(navigation image)
Home American Libraries | Canadian Libraries | Universal Library | Community Texts | Project Gutenberg | Children's Library | Biodiversity Heritage Library | Additional Collections
Search: Advanced Search
Anonymous User (login or join us)
Upload
See other formats

Full text of "Shina tetsugaku no kenky"

PLEASE DO NOT REMOVE 
CARDS OR SLIPS FROM THIS POCKET 



UNIVERSITY OF TORONTO LIBRARY 



B Uno, Tetsujin 

126 Dhina tetsugaku no kenkyu 

IJ52 

1921 



East iisia 



Digitized by the Internet Archive 
in 2012 with funding from 
Mc Master University - University of Toronto 



http://archive.org/details/shinatetsugakunoOOunot 



r 



究 研の 攣哲那 支 

士博學 文 
藩 人 哲野宇 



田 神 京 東 
版葳 餘 同大 



序 

をり くに かきあつめ たる 藻鹽草 

やかむ もつ らしゃ かざ るもう し 

支那 哲學の 研究 は 干が 畢生の 事業と する 所で、 從來發 表した る 論文、 漸く 廣ん 

で 山 を 成す に 至った。 而もて 或は 研究 的 態度 を 以て 論述した る も あ, c>、 或は 宣傳 

的 態度 を 以て 敷陳 したる,^ あ. C/ 文 體も亦 文章 體と 言文一致 體とぁ ft, 、 參差 とし 

C 1 律なら ざれ ども 今 其 主要なる もの を 選び、 古代よ, 始まって 近 ほに 化. cs、 & 

ぼ 時代 を 追うて 此 編.^ 成した。 若し 先き に 刊行せ る 支那 哲學 學史 講話と 饼せ 誦せ 

ば、 斯學 研究に 裨補 する 所 無くん ば あらず と 云爾。 

大正 九 4^ 三月 . . . 

• 著者し るす 

序 】 



支那 哲學の 研究 = 

支那 哲學 研究 

目 次 

一 、 支那 哲學 槪觀 1 

ir 先秦 思想 槪觀 二 七 

ョ、 洪範を 論ず - 五六 

四、 孔子の 三 大事 業と 一貫の 道 八 三 

五、 敎育 家と しての 孔 夫子 • 九 四 

六、 孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 聖人 堯に 及ぶ 10 九 

セ、 曾 子の 學說 1 ニニ 

八、 孟子の 良心 論に 就いて 二 111. 

九、 孟子の 敎育說 1 四 八 



lo、 孟子の 君臣 論に 就いて •: 二 五- 1 

1 一 、 孟子の 自由 平等 觀 一 五 九 

I 一一、 苟子 解蔽篇 を讀む 一七 一 

一 一一 一、 儒敎の 目的 を 論ず 一八 四 

1 四、 四 維に 就て 二 五 

「五、 道 敎の攝 生 法に 就て ニー 一三 

一 六、 漢代 思想の 傾向 二 四 四 

I 七、 秦皇 漢武の 思想界に 及ぼせる 影響 : 二 五一 

一八、 太史 公の 當代 思想家 評論に 就て 二 九 七 

一九、 陸 賈の學 三 c£ 

=o、 王 充の學 :: ニー 二 四 

1 一一、 荀悅申 鑑を讀 む • 三 四 1 

目 次 



ま 那哲學 の硏究 S! 

ニニ、 竹林の 七賢に 就て • 一 12 一 

二三、 文中 子の 哲學 一 11 六 a 

二 四、 唐 李 翰の 哲學を 論ず : 一一 一九 九 

二 五、 程 門の 四 先生 , :••:• 四 10 

一 1 六、 誠 敬の 說 四 1,10 

二 七、 事 上 磨鍊に 就て 四 五 〇 

二八、 支那の 公羊學 派に 就て 四 六! 11 

二 九、 支那 民國に 於け る 儒敎の 民主化 四 九 a 

i 一一 o、 支那 文化の 考察と 其 特質 • 五 五 



支那 哲學の 研究 

宇 野 哲人 著 一 

支那 哲學 槪觀 

崎 

上下 約 三千 歳に 亙って 現 はれた 支那 哲學の 要旨 を、 簡明に 叙述 せんこと は 決して 容- 

易の 業で は 無い。 其の 目的に 適 ふべき 方法 は 種々 あるで あらう が、 矢 張, 9 多くの 歷史 

家が 歴史 を 取扱 ふやう に、 之 を 幾多の 時期に 分って 其の 時代の 特色 言 ふの が、 最も 

便利な 且つ 一般の 人に 最も 了解し 易い 方法と 思 ふ。 そる で 支那 哲學 では 一 上古、 二 中, 

古、 三 近世の 三時 代に 分ける。 

支那 哲學 槪觀 • 一; 



支那 哲學の 研究 . .11 

上古と は 先秦卽 ら堯舜 時代から 秦 の始皇 までの 間 をい ふ。 卽 ち西曆 紀元前 二 五 〇 年 

以前の ことで ある。 中. tn とは秦 の始皇 以後、 唐の 末まで、 卽 ち面曆 紀元前 二 五 〇 年 I 

紀元後 九 六 二 年 をい ふ。 近世と は宋 以後 現代 必< で、 卽ち 西暦 紀元後 九 六 三年 以後 をい 

ぶ。 

. 上古に 在. て は 支那 民族の 思想が 段々 發 達して、 諸子 百 家の 學が 並び 起った。 この 

時代が 最も 裰雜で 最も 興味 ある 時代で ある。 中古の 時代に 在. ON て は 萬 事 漸く 整頓す る 

と共に、 外國 との 交通 も 愈 頻繁と な. cs、 思想 上から い へば 佛敎 の渡來 とい ふ 重大な 事 

件が あって、 本國に 於ても 之に 刺戟せられ 道教の 成立と な 力、 佛敎 と共に 三敎對 立と 

いふ 興味 ある 現象 を 惹起した。 近世 は 儒敎の 勃興 時代で、 佛敎 道敎の 刺戟に よって、 

儒敎に 一 生面 を 開いた ので ある。 ゾ. . 

一一 

,パ 上古に 於て 哲學 上から 見て 最も 輿 味 あるの は、 其の 末葉 卽ち 春秋 戰國 時代で ある。 



堯舜 IS? 湯 文武 周 公と いふ や ラな歷 代の 聖 天子の 言行 は、 極めて 尊崇すべき 幾多の 敎 P 

に 富んで 居る ると は 勿論で あるが、 此 等の 敎訓を 大成して 組織され た 孔子の 敎理を 論 

ずれば 足る ので ある。 春秋戰國時代には^-の孔子の儒敎の外に、 諸子 百 家が 並び 起つ 

たけれ ども、 其の 重なる もの は 老子 を祖 とする 道家、 墨 子を祖 とする 墨 家、 管 子.^ 祖 

とする 法 家、 I* 施鄧析 等に 因て 唱 へられた 名家、 鄒衍、 鄒爽 等が 主張した 陰陽 家な ど 

である。 

, 儒家 11 儒家の 開祖 孔 夫子 は 堯舜を 祖述し 文武 を 憲章し、 古來の 思想 を 集めて 大成 

した 人で ある。 孔子の 說く所 は 千 言 萬 語 皆 仁の 一字に 歸着 する。 從ゥて 孔子の 所謂 仁 

と は 果して 何で あるか ぼ、 儒家に 於て は 最も 重大なる 問題で あるが、 之 を 要するに 伊 

藤 仁齋の 解釋は 最も 當を 得て 居る と 思 ふ。 卽ち 仁と は 慈愛の 德、 遠近 內外、 充 實通徹 

至らざる なき をい ふので ある。 天地 生々 の德 あ, os、 天. の 覆 はざる なく、 地の 載せざる 

,なき を 見て、 • 孔子 は 天意の 仁愛に 存 する を 察し、 仁 を 以て 己が 心と し、 之 を 以て 物に 

支那 背 學槪觀 H 



支那 哲學 の硏究 gr , 

接した ので ある。 孔子の 一 言 一 行 皆仁德 に本づ くの は、 之 を 以て 天心に 叶 ふと 言 じた 

からで ある。 卽ち 孔子の 一 擧 一 動 は實に 天に 對 する 深き 信仰 を 以て 根柢と して 居る か 

ら、 困難に 遭遇す る 每に愈 をの 鞏固 を 加べ たので ある。 かくて 孔子 は 天下の 騒亂、 V 

民の 艱苦 を 見る に 忍びず して、 奮って 之 を 救 はんと 欲して、 天下 を 周遊して 其の 包 負 

を 天下に 行 はんとし たが、 遂に 其の 志,^ 成す ことが 出來 ず、 卽ち誊 を 著 はして 敎を後 

世に! i れ、 また 門下.^ 敎 育して 後 繼者を 養成 せんとし たので ある。 故に 門下生 三千、 

身 六藝に 達する もの 七十 餘 人の 多 さに 達した。 彼等 は 皆 孔子の 志 を 以て 志と したが、 

其の 最も 著しき は 孔子の 孫子 思、 及 孟子、 苟 子等で ある。 子 思 は 孔子の 思想,^ 繼 承し、 

»v の 未だ 明言し なかった 點を 明白に 喝破して、 天命 乙れ を 性と いひ、 性に 率 ふ 乙れ を 

道と. い^、 道を修 むる N> れを敎 とい ふと 說き、 天人 合! を 主張し、 誠 を 以て 天道に し 

て HJ つ f; 道で あると なした。 W 子 はまた 子 思の 思想 を 受けて、 天命の 性 は 善な ft> と 

# 福?? 商^ t^, 之. お反して 人性 は惡、 をの 善なる は人爲 によると 說. いた。 孔子の 仁、 子 



s の 誠、 孟子の 性 善 論、. 荀 子の 性惡 論と 夫れ夫れ 幾分の 變化は ある けれども、 凡ての 

儒家 を 通じて 一 致せる 點は、 一身 を 以て 天下 國 家の 本と し、 己 を 修めて 以て 人 を 治 ひ 

ベ .3- 乙と を 說く點 にある 「 換言すれば ゾ 格の 完成に よって 之 を 家國 天下 に 及ぼ さ ん 

とする 點 にある。 

道家 11 道家の 開祖 老子 も 亦 支那に 現 はれた 他の 一 方面の 思想の 大成 者で ある" 佛 

蘭 西の ラクペリ, や ラフ ヰッ ト など は 老?, f を 以て 孔子と は 全然 相違せ る 思想 を 抱きた 

る ものと し、 恐らく は 老子 は 支那 思想家で あるまい、 事に よ 6S て は 印度 地方からの 移 

住 者で あるまい かと 論じて 居る。 成程 老子の 思想 は 之 を 孔子に 比する と、 種々 の 相違 

が あるの は事實 である。 實際 的と 抽象的、 世間 的と 出世間的、 現實 的と 理想的 等の 相 

違が ある けれども、 また 全く 相 同じい 點も少 くな S 第一 に は 老子 も 修己を 以て 治 人の 

本と し、 第二に は 老子の 全篇 通じて 絕 えず 天下の 經 綸を說 き、 第三に は 王 を 以て 域 

中 四大の 一 として 君主 を 重視し、 第 四に は 聖人 を 尊び、 第五に は 古語 を 引用し 古を尙 

支那 哲學 槪觀 



支那 哲學の w 究 六 

ぶ 等の 諸點は 全く 儒家と 同じい" 蓋亂 世に 在. 9 て は 一 方に は 之 を 救 はんとす る 思想が 

起..^、 又 一方に は 之 を 厭 ふ 想が 起る の は當然 であって、. 儒家と 道家と はこの ニ大傾 

向 を 代表せ る ものである。 楊 朱の 爲我 主義 ゃ莊 子の 無用の 用な ど は無爲 自然 を 尊び、 

世間と は 全然 沒 交渉の 態度 を 執らう とする ものであるが、 開祖 老子 は無爲 自然 を鈹 吹, 

して 以て 天下の 亂を救 はんと 欲した ので ある。 

墨 子 11 開祖 墨 子の 主張 はかう である。 抑 も 天 は 1 視 同仁で あるが 故に、 人類 も 亦 

兼 愛 交 利で なければ ならぬ。 己 を 愛する と 同じく 他人 を 愛し、 己の 親 を 愛する と 同じ 

く 人の 親 を 愛し、 何等 自他の 別 を 設けぬ を 兼 愛と いふ。 卽ち 今の所 謂 博愛で ある。 世 

人の 互に 相爭; 3、 盗賊の 人 を 害 ひ 諸侯の W 攻む るが 如 さは 皆 兼 愛の 念な きが 爲め で 

ある。 故に 世の 騷亂を 止めて、 社會の 平和、 萬 民の 福祉 を 謀る に はこの 兼 愛 を 行 ふよ 

ら 先なる はない ので あると。 卽ち墨 子 は 社 會學者 的 見地から 萬 民の 幸福の 爲 めに 兼 愛 

^を. H.: 張した ので ある。 



- 法 家 11 管 仲 ケ-祖 とし、 申不害 • 商缺を 經て韓 非に 至って 其の 說が 大成 せられた 。彼, 

等 は 亂世を 救 ふに 儒 墨の 仁愛 を 以てしても 到底 實効は 無い。 老子の e 淡 無欲の 敎は到 

底 行 はる、 もので ない。 譬 へば 悍馬 を 御す るに 轡策を 以てせねば ならぬ ごとく、 亂世 

の 民 を 御す るに は 法 術 を 以てせねば ならぬ。 信 賞 必罸ヒ 以て 人民 を 率ね ねばなら ぬと 

說く。 儒 墨の 德治論 ケ-排 して 法治 論 を 主張す るので ある。 之 を 要するに 天下 國 家の 經 

綸を說 くもので ある。 

名家 11 惠施 • 鄧析 • 公孫龍 等 を 名家と いふ。 希臘に 起った 詭辯 論者と 頗る 類似せ る 

學派 である。 飛鳥の 影 は 移らず、 をの 瞬間に 於て 新に 影が 出來 るので ある。 射 放った 

矢 は 行かず 止まらざる 瞬間が ある。 1 尺の 棒 は 日に 半 を 取る も 萬世盡 きず 等の 說 をな 

して 居る のが、 その 最も 有名なる 白馬 非 馬 論、 堅 白 論で あらう。 白馬 は 馬に あらず と 

は、 白馬と: > ぷ槪 念の 內容と 馬の 槪 念の 內容と 廣狹の 差 あ- CS て 一 致せず。 故に 白馬 は 

: 馬に 非ず とい ひ、 堅 白 論と は rJv- に 堅 白 石 ありと せんに、 手に 執 .5 て 堅 を 知り、 目で 

支那 诉學 槪觀 も 



支那 哲學の 研究 < 

見て 白 を 知る 故に、 堅石と白石とのニな.o^とぃふ。 溉 念の 分 折 や、 知覺の 分析 を 試み 

たもので ある。 所謂 論理的 遊戯 を 弄して、 天下 國 家と 何等の 關係 なき 議論 をし.? -のは 

先秦 にあ て は 唯 乙の 名家の 一 派の みで ある。 

陰陽 家 —— 陰陽の 二 元と 木 火 土 金 水の 五行との 交渉に よって、 宇宙 間の 現象 や 人間. 

萬般の 事件が 支配され て 居る とい ふ 見地から、 吾人 日常の 行爲を この 法則の 下に 置か 

うとす る 一種の 議論であって、 寧 或點 まで は 迷信と もい ふべ く、 殆んど 何等 科學的 

根據が 無い といっても 差 支が 無い と 思 はれる が、 この 主張 は 戰國に 起って 中世の 初に 

盛 行し、 現今に 至る まで 支那 民族 は 勿論 我が 日本 國 民の 日常生活にまで も大 なる 影響. 

を 及ぼした ものである。 例へば 日の 吉凶、 人相、 家相、 方角の 如何 をい ふが 如き は。 

此の 1 派の 唱へ 出した 所で ある。 

之 を 要するに 先秦に 在りて は、 上述の 各派が 並び 起って 其の 所說は 夫れ夫れ 特色が 

ある けれども、 各派に 共通せ る點は 共に 天下 國 家の 經 綸を說 く 所で ある。 出世間的? 



非現實 的の 傾向 ある 道家で さへ も、 其の 開祖 老子に はな ほ 天下 國家を 忘る ゝる とが 出 

來 なかった。 苟 くも 志 土 仁人 は 天下の 亂を 見て 坐視す るに 忍びない ので あらう。 1 方 

に 於て は 是れ卽 ち 支那 民族の 特色で あると もい へや ラ。 卽ち 支那 哲學は 何 所まで も 人 

生に 直接の 關係 ある もので なければ 之 を 論議す るると を曆 しとせ ぬので ある。 儒 墨の 

如く 天を說 いても、 老子の 如く 玄之 又玄 なる 道を說 いても、 論理的 遊戯と して 之を說 

くので はない、 之 を 以て 吾人の 人生 觀の 根柢と せんが 爲め である。 尹 文 子の 大道 下篇 

は 曰く、 

天地 を 瀰綸し 萬 品 を 籠絡す と雖 も、 治 道の 外にして 群生の 餐指 する 所に 非れば、 s 

人 措いて 言 はざる な 

此の 思想 は獨 6> 上 代哲學 のみでな く、 支那に あ. て は 古今 を 通じて 渝 はらざる ものと 

思 ふ。 

ミ 

支那 哲學 槪觀 力 



支那 哲學の 研究 10 

秦の 始皇が 天下 を統】 してから、 處士の 橫議に 苦しみ、 天下の 誊を 集めて 之 を燒き 

儒生 を坑 殺した ので、 天下の 思想界 は 1 時少 からぬ 影響 を 受け たれ ども、 1 度國 民の 

間に 勃與 した 思想 は、 それが 國民 生活に 根抵を 有する 限. CN、 決して 消滅す る替は 無い 

ので ある。 先秦に 起った 六 派の 哲學も 種々 の 形 を 以て 中世 以後に 傳 はった の は 當然で 

ある。 

儒家 11 先秦に 在.^ て 天下の 思想界 を 三分し て 其 二 を 保つ た儒敎 は、 秦の 始皇の 

時、 始皇の政策が儒敎と衝突する點少からざft^しが爲めに、 S 迫 を 被む 力し rJ とも 最 

も甚 しかった が、 漢が 天下 を統 1 してから 秦 時の 故老が 殘闕 せる 經典を 携えて 之を敎 

授し、 儒生の 熱心なる 研究に よって 漸次 盛大と な fis。 漢武 帝が 天下 思想界の 統一 を 謀 

るに 儒敎を 以てしてから、 I 躍して 國敎の 位置 を 占有し、 所謂 儒家の 經典も 全部 整理 

せられ、 永く 支那 國民を 支配す るの 運命 を 開拓した ので ある。 然し 漢魏六 朝から 唐に 

至る までに 輩出した 儒者の、 經典 研究に 對 する 尊ぶべき 努力 は 決して 忘る、 こと は 出 



來 ぬが、 天下の 思想界と いふ 見地から い へば、 中世 哲學に 於て は 漢の董 仲舒、 隋の文 

中子、 唐の 韓返之 李翱等 二三 有名の 人 も あるが、 儒者 は 殆んど 閑却しても 差 支ない の 

である。 

道家— -漢初に在..^ては黄老學として、 上 は 王公. 大人よ. 9 下 は 凡 民に 至る まで 皆 之 

を 喜び、 魏晋の 際に は 老莊學 として、 所謂 竹林の 七賢、 院籍* 山 濤* 嵇康 • 向 秀* 劉 伶, 

阮咸 • 王戎 等が 主として 之 を 遵奉し、 I 代の 風氣 をして 滔. として 老莊に 向 はしめ た。 

漢 初の 黄老學 は無爲 自然 を 尊び、 之 を 天下 國 家に 用 ひて 功が あつたが、 魏晋の 老莊學 

は 無用の 用 を 主と し、 國家社 會と沒 交渉に して、 苟も 性 命を亂 世に 全うせん とした。 

同じく 道家と いっても 漢 初と 魏晉 との 祖尙 する 所の 相違 ある 點 はまた 之 を 知らねば な 

ら ぬ。 

道家 はまた 戰 阈以來 主唱 せられた 神仙 不死の 說、 陰陽 家の 主張す る 種々 の 所說、 及 

t5 支那 民族に 行 は れ た る 俗間 信仰 等と 協同して、 】 種の 宗敎卽 ち 道敎の 成立 を 促し 

支那 哲學 槪觀 1 1 



支那 货學の 研究 1 ェ 

た。 道 敎は後 漢の張 道 陵が 首唱す る 所で あるが、 老子 を 開祖と 仰ぎ 之 を 太上老 君と 稱 

して 世俗の 信仰 を 博す るに 至った。 最初 は 極めて 簡單 であった が、 主として 晋葛洪 • 

北 魏寇謙 之 • 梁陶弘 SISS- の 手に よって 純然たる 宗敎の 形式 を 具備す るに 至った。 夫に は 

後 漢の明 帝の 御代に 渡来した 佛敎の 刺戟が 與 つて 大 なる 力 ある は 勿論で ある。 漢、 魏、. 

晋の 時代 は 表面上 は 儒敎の 勢力が 盛で あるが、 天下 人心の 奧 底に 強き 力 を 有した の は 

寧ろ 道家 苦く は道敎 であった ので ある。 

墨 家 i -哲學 史上で は 中世の 初期に はな ほ 墨 家に 屬 する 學 者の 存在せ し 乙と を 知る 

けれども、 其 等の 著述 も傳 はらず、 殆んど 消滅せ るが 如き 有様と 思 はる V が、 墨 家の 

主張 は 中世 以後に 在って は 支那 民族の 社會 生活に 於て、 實際 的に 行 はれて 居ゥ たと 思 

はる 、理由が ある。 近世に 於ても 墨 家の 主張 は 可な. 9 ょく赏 際に 行 はれて 居る が、 を 

の 事 は 後に 讓る として、 少 くと TP 中世 以後の 哲學史 に は 墨 家の 系統 を繼 承す る ものが 

無 いのも 亦事實 である。 . 



其 w 名家の 所說は 先秦に 於て は苟子 • 中世に 於て は董仲 舒に對 じて、. 極め て顏 著なる 

影響 を與 へて 居る が、 支那 民族の 如き 實際 的國 民に は、 殆んど 論理的 遊 戲に圈 する 名 

家の 所說 は、 永く 其の 影響 を殘す ことが 無かった の は 勿論で ある。 法 家の 所說 は哲學 

よ 6 は 寧ろ 政治 學に 近い ので、 これ は漢 以後に は 實際的 行政 上に 鹰用 せられて 居る。 

陰陽 家 は 道家と 結合し 道敎 として 後世に 重大なる 影響 を與ヽ たこと は 前に も 述べた i 

.0 'である。 

之 を 要するに 先 秦の六 派 哲學は 中世に 在. て はも 幾多の 變 化を來 して、 なほ 生命お 

有する もの は 儒 • 道 *墨* 陰陽の 四 派と なった。 其 中で も 儒敎は 表面的に 過ぎず、 墨 家 は 

僅に 赏際 生活に 面影 を殘 し、 陰陽 家 は 道家に 攝 取せられ、 最も 根抵 あ. ftN 最も 有力なる 

學派は 道家で あると い つても 過言で あるまい。 但し 中世の 下半期に はこの 道家に 取ク 

て 代る ベ. n 偉大なる 一 派が 勃興した。 是は云 ふ 迄 もな く佛敎 である。 晋* 宋&齊 • 梁 *陳* 

隋 等の 數代は 全く 佛敎 全&の 時代で ある" 天台 • 華厳 A 驟 等の 大乗^ 敎が勃 典した; 

li 一 H 



支那^ 學の 研究 一四 

事實 は、 獨. 9 中世 哲學に 於ての みならず。 古今 東 S! に 亙ゥて も希覯 の偉觀 である。 然 

しながら 此方 面 は 支那 佛敎 史に讓 -o- てこ、 に は 之 を 措く。 ともかく 儒 敎* 道 敎* 佛敎の 

三 敎が併 立して 相互の 交 涉が行 はる \ と共に、 幾多の 論難 攻擊の 末、 遂に 融合の 蓮 を 

開いた。 近世 哲學 は實に 此の 三敎 融合の 果實 である。 

四 

近世 哲學史 は 更に 之 を ニ大 時期に 分つ ことが 出來 る。 卽ち宋 明哲 學と淸 朝哲學 との 

二で ある。 哲學 上よ ft> い へば 宋 明哲 學は 支那 哲學 史上に 於いて 最も 興味 ある 時期で あ 

る。 淸朝は 哲學的 見地から いへば 頗る 貧弱で あるが、 支那の, 現代 思想界と 最も 密接の 

黼 係が あるから、 宋 明哲 學 と共に 少しく 詳細の 叙述 を 試みたい と 思 ふ。 

五 

宋明 時代に 於て は 久しく 振はなかった 儒敎 も、 道 佛ニ敎 の 刺戟に よって 俄に 勃 輿し 

て、 天下の 思想界 は 再び 儒敎の 支配す る 所と なった。 宋 明の 儒學は 孔! +i の 流 を 汲む *^ 



と は 勿; fi なれ ども、 原始 Si 敎とは 頷る もの 趣 を 異にし 高尙な 哲學的 傾向 を帶 ぶる に 至 

つた。 之 を 分て は 程 朱 槃と 陸 王學の 二と なる。 程 朱 學卽ち 宋學は 吾人が 仁者た 人 

たらん とする に は、 居 敬 窮理の 方法に よらぬ ばなら ぬと 說け ども、 主として 格物致知 

によらん とする もの、 換言すれば 經驗を 重んずる ものである。 陸 王 學卽ち 明 儒の 學は 

我心 を 明かに し、 良知 を 致せば 可なら とする もの、 換言すれば 思索 を 重んずる もので 

ある。 而 して 佛老の 思想 を 加味し 來 AN て 儒 敎の新 解釋を 試みた る點は 同一 である。 

原始 儒敎 卽ち孔 置の 主張す る 所に 在..^ て は、 其の 目的 は 修己治 人に 在う、 其の 思想 

の 根 抵に撗 はる もの は 上天の 信仰で ある。 天命 を 遵奉し 俯仰 天地に 愧ぢ ざる 確信の 上 

に、 天下 國 家の 泰平 を企圆 せんとす るので ある。 然るに 宋 明の 儒者 は、 程 朱で も 陸 王 

でも、 同じく 天を說 いて は 居る が、 彼等の いふ 所の 天 は、 孔^の 言った 天と は餘程 4> 

王の 趣が 違った も のな る と は爭ふ 可らざる 事實 である。 孔孟の 天 を宗敎 的と いは 

程 朱 陸 王の 天 は哲學 的と いふべ さで ある。 孔孟 は 天 を 人格 視 して 居る が、 程 朱 陸 

支那 哲學 槪觀 1 五 



支那 哲學の 研究 1 六 

は 天 を 人格 視せ ずして、 寧ろ 宇 ffi を 支配す る 原理 原則として 解釋 して 居る。 これ は 恐 

らく 大乘 佛敎の 哲理の 影響で あらう と 思 はれる。 從 つて 孔孟 は 天の 信仰に 就て 餘. 多 

く を 語ら ざれ ども、 其の確固不拔の信仰の閃きがぁ-0^./\と見ぇ、 別に 宇宙の 赏 在に 

就ての 議論 をし なかった ので ある。 然し 宋 明の 儒者 は實 在に 就ての 議論に 汲々 とし、 

或は 理氣 二元論 をな し、 或は 1 元氣 論を說 き、 或は 心 卽理說 を 主張して 居る。 勿論 信 

仰お 有せぬ 譯 ではない が、 孔孟の 如き 人格 神 を 信ぜず して、 哲理 を 以て 立脚 « として. 

居る ので ある。 卽 ち哲學 として は 孔孟 時代よ 6> も、 宋明 時代の 方が 與味 あるの は、 Z 

れ 等の 理由に もよ るので あらう。 今 ゝ には宋 明哲 學の 代表と して 朱 王 二子の 所說を 

述べ やうと 思 ふ。 

朱 子 11 朱 子の 宇宙論 は 周 子の 太極說 と、 程 伊川の 理氣 二元論と を 綜合した もので 

ある。 周 子 は 本 體を無 極而太 極と いひ、 聲も なく 臭 もな く 形 もない から 之 を 無 極と い 

ひ、 其の 造化の 根本で 萬 物 發展の 原理で あるから 之 を 太 極と いひ.、 合ば せて 無 極而太 



極と いふ。 太 極の 外に 無 極な く、 無 極の 外に 太 極な し。 さて 太 極に は 活動 及靜 止の 二 

方面 あ. o、 活動的 方面 を 陽と いひ、 静止 的 方面 を 陰と 名 づく。 この 陰陽 ニ氣 から 五行 

卽ら 水火 木金土の 五 元素 を 生じ、 陰陽 五行から 萬 物が 生ずる といって 居る。 彼 は 陰陽 

五行 を氣 といって 居る が、 太 極の 何物た るか を 言 はない。 然し 周 子の 太 極 は 搴み氣 で 

ある。 次に 伊川 は gt. 氣ニ元 を 承認して 居る。 氣卽ち 陰陽の 二 氣が相 交って 萬 物 を 生ず 

るが、 陰陽の 二 氣相交 はる 所以 は 卽ち理 である。 換言す る は 氣は萬 物の 形 をな す 所の 

質 料で あるが、 この 賀料は 理卽ち 宇宙 を 支配す る 所の 法則に よって 斯の 如き 活動 をな 

す ものと 見る ので ある。 勿 論理と 氣とは 相 依って 存し、 氣 無き の理 なく、 理 なきの 氣 

無しと いふので ある。 朱 子 は 以上の ニ說を 綜合して、 宇宙の 本 體を太 極と いひ、 太 極 

を 以て 理氣ニ 元. ^綜合 せんと 試みた と 思 はる、 が、 彼 は 矢 張 太 極 は 一 個の 理の 字と い 

つて 居る。 卽ち斑 氣ニ元 を 綜合す る 處の太 極 は 矢 張. CN 理と 見る。 rJ の 理は絕 對的理 で- 

あって、 现氣相 對の理 の 上に 立 ゥ ものである。 卽ち彼 は 相對的 理を以 C 満足せ ずして 

支那^ 槪觀 一 ヒ 



支那 货學の 研究 一"^ 

更こ 其の上に 絕對 的理, ^置いた ので ある。 か、 る 思索 法 は 起 信 論の 論法と 1 致す ると- 

いふ ことで ある。 卽ち 彼の 說は 理氣 二元論と いふ も 大過な く、 或は 理 一元論と いふ も 

亦 差 支ない ので ある。 

此理が 宇宙の 本體 である C 天と いひ 帝と いふ も 皆 乙の 理を 指した ものである。 絕對 

的 理卽ち 太 極から 理氣ニ 元と なり、 理氣ニ 元によ. CSV- 一 切の 活動が 行 はれ、 現 はれて 

森羅萬 象と なる。 人 も 物 も 皆,. J の 理氣ニ 元よ.. =N なる ので ある。 然 らば 何故に かくの 如 

く 千 差 萬 別 を 生ずる かとい へば、 氣に偏 正 淸獨の 別が あるから である。 氣の 偏る 者 は 

とな, 0,、 正しき 者 は 人と なる。 同じく 人と な fcN ても淸 氣を受 くれば 聖人と な. 9 濁氣 

を受 くれば 凡人と なる。 而 して St 一に 於て は 塞 凡 賢愚の 別な く、 人-.. 物と も 亦 全く 同一 

である。 換言すれば理ょ,.^ぃ へば 萬 物】 源、 人と 物と、 聖と 凡との 區 別が なく、 氣ょ 

is へば 千 差 萬 別、 聖と 凡と、 人と 物と 皆區 別が あるので ある。 彼 は 乙の 理に 本づく 

を 本然の 生と いひ、 氣 に本づ くを氣 質の 性と 名 づけて 居る。 卽ち 本然の 性よ.. い へば., 



聖 凡人 物昝 同一 であり、 氣 質の 性よ. CS い へば、 人物 は 勿論、 聖凡も 亦 同じから ざる も 

ので ある。 本然の性ょり見ても^^に萬物 一 體觀を建設する乙とが出來る。 氣 質の 性よ 

-ftv 見れば 凡人 もとより 聖人と 同じから ざれ ども、 修養: i よ ゥて氣 質を變 化して 聖人な 

る こと, V- 得と 說く。 而 して 其の 修養 法 は 前述の 如く 居 敬 • 窮理の 二 綱に よるので ある。 

王子 11 王子 は 陸 象 山の 心 卽理說 の 上に 彼の 學說を 建設して 居る。 象 山 は 我が 心卽 

ち實 在で あると 說 いたが、 王 陽 明 は 更に 進んで 良知 卽ち實 在と 見る。 良知と は 心の 虛 

靈明覺 なる 能力 を 指す。 宇宙 間の 萬 物 は 皆 我が 良知の 作る 所で ある。 この 良知 は遍滿 

充塞して 永遠 不滅で ある。 然しながら吾人は私慾に蔽はれ天理に純なる^-とが出來ず 

して、 良知.^ 放って 求む る 乙 とケ- 知らないの である。 故に 吾人 は aii 人た らんと 欲せば 

唯 乙の 良知 を 致せば 宜 いので ある。 陽 明の 學 はかくの 如く 極めて 直截 簡易で ある。 

六 

宋 明哲 學は道 佛ニ敎 I 特に 佛敎 思想 を 加味して、 孔 i の 思想に 託して 自家の 哲學を 

4?^ 那哲 舉槪觀 . 】 丸 



支那 哲學の 研究 二 〇 

主張し、 孔孟の 眞 意と は 頗る 其の 趣が 變っ たものと なゥ た。 もこで 淸朝考 證學が 勃興 

して、 孔孟の 眞相 を闡明 せんと 試みた ので ある。 まづ經 典の 研究に 全力,^ 注ぎ、 宋明 

儒者の 解釋の 誤認 を 正さん が爲 めに、 文字 • 章句. の 解釋ょ 6 始めた。 文字 章句の, ぽ義 

明瞭に して 初めて 經 文の 意義 明かに 經 文の 意義 明かに して、 初めて 聖賢の 眞意 明かな 

るべ しとい ふ 主張で ある。 顧 炎武、 黄宗 羲、 閻若 a、 胡渭 等より 始まった この 硏究法 

は、 惠楝 • 戴 震 ヶ-經 て 漸く 岐路に 入る に 至った。 文字の 研究 は 手段で、 經 文の 解釋は 

目的であった の を、 遂に は 手段 を 以て: H 的と し、 文字の 研究に 沒 頭して、 本來の 目的 

は 立 返る 乙と を 知らざる に 至った。 彼等の 努力の 結果 經 文の 字義 は 頗る 明瞭と なった 

が、 經 典に 見 はれた る 義理に 就て は 多く 之 を 顧みざる もの ^ 如く、 所謂 「論語 讀 みの 

論語 知らず」 ともい ふべき 有樣 となった。 是れ 蓋考證 學の餘 弊で ある。 

此の 弊風 を 1^ しとせ ざる 1 派が 輓 近に 至って 勃興した の は 亦當然 であら ラ。 此の 1 

派 は 考證を 度外視す る譯 ではない が、. よく. 目的と 手段との 別 を 知. <=N、 經學の 大目 的 は 



義理お 措いて 外にない と を 知. 9、 極力 義理 を 主張す る ものである。 卽ち 春秋 公羊學 

派是 である。 彼等の 主張に よれば 孔孟 義理の 學は、 孟子 沒後 全く 漂 沒 して 傳 はらな か 

つた。 宋 明の 儒者の 主張 は 孔孟の 眞 意に 叶 はない もので、 唯 彼等の 主張の みが 千載 不 

傳の眞 意 を傳 へた ものと いふので ある。 但し 乙の 一 派の いふ 所の 義理 は宋明 儒者の 主 

張す る 所の 義现と は 雲泥の差が あるので ある。 

彼等の 說 によれば、 孔子の 眞意を 知るべき 經典 は、 四書 五經 の內、 獨 .o 孔子の 自か 

ら筆 削した 春秋で なければ ならぬ。 扉 秋の 三傳 I 左 氏 傳* 公 羊 傳* 穀梁傳 の內、 公羊傳 

でなければ ならぬ。 公羊傳 の內、 最も 大切な 乙 と は 春秋 三世の 義と いふ ことで ある。 

春秋 は魯隱 公から 哀公まで 十二 公二 百 四十 二 年の 乙と を記錄 して あるが、 之,^ニ世に 

分ち、 隱 *梪* 莊 *閔* 僖の 五代 は 據亂の 世で ある。 文 ふ寻 成 丄裝 の 四 代 は 升 平の 世で あ 

る。 昭 *定* 哀の 三代 は 太平の 世で ある。 據亂は 卽ち亂 世で ある。 升 平 は 禮_記 の 鱧運篇 

は 所謂 小康の 世で ある。 太平 は 同じく 禮運篇 の 所謂 大同の 世で ある。 世の中 は 初め 亂 

支那 折 C 學槪觀 二 1 



支那 哲學の 研究 一一 

れて 居ても、 次第に 進歩し C 升 平 • 小康の 世と な-^、 遂に 孔子が 出現して 春秋.^ 書か 

るゝに 至って 太平 • 大同の 世と なった と說 くの が、 此の 春秋 三世 說の 要領で ある。 彼 

等の 說 によると 小康の 世に は國家 主義 • 君主,^ 義* 階級 主義が 行 はる、 ので、 昔の 禹* 

湯 • 文 ,武* 成 王 • 周 公の 治世 は 夫れ である。 大同の 世に 至って 世界主義 • 自由主義 • 平等 

主義 • 社會 主義が 遣慽 なく 行 はれる と說 くので ある。 卽ち 彼等に 從 へば 孔子 は 太^ 大 

同の 世 を 理想と し • 孟子 も 亦 同じく 太平 大同の 世 を 理想と した。 苟子 以後の 儒者 は 之 

を 知らず して 唯 孔子の 升 平 • 小康 說 のみ を 祖述して 居る と說 く。 斯 くの 如くに して 彼 

等 は、 孔子が 大義名分 を 主張した 春秋 を 以て、 反って 民主々 義の經 典と 化せし めんと- 

する ので ある。 

宋 明の 哲學 は佛敎 思想の 上に 建設せられ た樓閣 である。 仰いで 其の 輪 奐の美 を 見れ 

ば、 一として 儒 敎の經 典に 本づ かざる ものな けれども、 其の 基礎 は 悉く 佛敎 思想と い 

はねば ならぬ。 若し 宋 明哲 學 を佛敎 思想に よる 儒敎の 新解釋 とい ふるとが 出來 るなら 



ば、 同等 以上の 確實を 以て、 輓近 春秋 公羊學 派の 說は、 西洋 思想に よる 儒 敎の新 解釋, 

とい ふこと が出來 やう。 何故かな らば 其の 用語 は 悉く 儒 敎の經 典に 本づく けれども、 

其の 根本 思想 は 基督 敎的 世界 觀ゃ、 ルッソ-の 民約說 等で あるから である。 乙の 春秋 

公羊學 派に 屬 する 者の 雄なる を康 南海と い。 今尙 現存す。 試みに 之 を 叩かば 果して 何 

とい ふで あらう。 

七 

滅滿 興漢を 標榜した 第 一 次 革命 は 其 功 成る に垂ん として、 満蒙 回藏の 漢人より 背き 

去らん 事 を 恐れ、 俄に 宗旨 を變更 して 五 族 共和 を呼號 し、 漢 満蒙 回 藏の五 族 を 現 は せ- 

る 五色 旗 を 以て、 滅滿 奥漢の 旗幟と 代へ たが、 當 時に 於て は 孔子が 君臣の 大義.^ 主張 

する を惡 み、 或は 孔子の 祭祀 を廢 し、 或は 孔子 廟を毀 0- に 至った。 乙れ 卽ち 孔子の 霄 

臣論は 共和 國 に 適せぬ と 思った からで ある。 然しながら 中華 民國 成, 9 て 幾 くもなく 思- 

想 銃 1 の 必要 を 感ずる と共に、 孔子の 敎を 以て 統一す る を 便利な と考 へ、 遂に 前に 

支が, 哲 舉槪觀 二三 



支那 哲學の 研究 二 四 

述べた 春秋 公羊學 派の 主張 を 採用して、 孔子が 君臣の 大義 を 主張した の は、 孔子の 小 

乘 的敎理 である。 孔子の 大乘 的敎理 は卽ち 太平 大同 主義で あ CN た。 換言すれば 孔子 は 

4? 和 主義で あつたの, たと 附會 し、 新聞に 雜 誌に 繰. 返し 其の 主張 を 叙述し たので あ 

る。 旣 にして 袁世 凱が 帝王の 業 を覿薪 する や、 此 等の 論 說は亦 新聞 雜 誌よ. ^ 其の 影 を 

絕 つ たのが、 最近 二三 年來の 支那の 現狀 である。 

八 

之 を 要するに 宋明 以後 現代に 至る まで、 思想界の 覇權を 握った 儒 敎哲學 の槪觀 は、 

上來述 ぶる 通. 9 である。 佛敎 哲理の 影響の 下に 發 達した 宋 明哲 學は、 原始 儒敎と 頗る 

をの 趣 を 異にする とも 大略 述べた つも i であるが、 西洋 思想の 影響 を 受けた 最近の 

春秋 公羊學 派の 說も 亦、 原始 儒 敎と異 る こと は 別に 指摘す るまで も 無い と 思 ふ。 然し 

ながらた とへ 外國 思想の 影響 はあって も、 矢 張- CV 支那 思想た る 乙と は 免れない。 何處 

.1H でも 人生に 直接の 影響 あらん 乙と を 要求して、 決して 所謂 論理的 遊戯に 墮 つる と 



が 無い ので ある。 

近代 哲學史 に 在りて は、 儒敎が 思想界の 覇 權を搔 つた けれども、 前に もい ふ 通 i、 , 

一度 國 民の 間に 勃 奥した 思想 は、 決して 消滅す る箬 はない ので ある。 卽ち 儒敎の 外、 

道敎は 信仰と して 支那 國民 全體を 支配して 居る。 孔孟の 儒敎は 信仰の 基礎の 上に 立つ 

たが、 近代 哲學は 哲學の 上に 思想 を 組織した ので、 一般人 民の 信仰 は 道 敎が之 を 支配 

する に 至った ので あらう。 無論 佛敎 • 回 數* 耶蘇 等の 各 宗敎が あるが, 回 數* 甚督敎 の 

信者 除いて は、 佛敎 徒と い へど も、 なほ 道敎の 信仰 を 取って 居る。 勿論 儒敎 は讀窨 

人間に 持て 嚷 される 外、 一 般 人の 日常生活 にも 風俗 習慣と なって 行 はれて 居る 事も尠 

く はない が、 道敎の 信仰 は 支那 人の 全部 を 支配して 居る ので ある。 又 墨 家の 主張 は 支 

那 人の 日常生活の 內に、 同鄕 人の 機關 たる 會館、 同業組合 たる 公所、 其 他の 社會 事業 

i な fiN て、 現に 行 はれて 居る ので ある。 

支那 哲學 槪觀 一 1五 



支那 哲學 の硏究 - 二 六 

予 は上來 支那 哲舉史 を 上古、 中古、 近世の 三世 期に 分って、 各 時代の 重要なる 思想 

に 就て 夫々 要旨 を 叙述した が、 眼識 ある 讀者は 巳に 古今に 通じ、 凡ての 學 派に 通じ 

て、 一貫した る 傾向 ある を發 見した であら ラ。 卽ち 一言 以て 之を蔽 へば、 支那 哲學は 

常に 實際 生活と 密接の 關係 ある ものた る 乙と である。 人生に 直接の 關係 なさ もの は、 

取る に 足らぬ とせら る ことで ある。 これ 卽ち 一 方に 於て は 支那 哲學が 實踐哲 學の方 

面に 於いて 不磨の 價值 ある 所以で あ 力、 又 一方に 於いて は 支那に 純粹 なる 科 學の發 達 

が遲,<-た6^し所以でぁる。 



先 秦 思 想 槪 觀 

時の 古今,^ - 論ぜず、 處の 東西 を 論ぜず、 大凡 此の世の 中に 光彩陸離たる 思想が 出る 

乙と が あ 6 ます。 此 光彩陸離たる 思想 は 決して 一朝一夕に 出た もので はない、 又斯の 

如き 思想 は 必ず 時代精神 其 ものの 背景の 上に 活躍して 居る ものであると 云 ふると は、 

恐らく 何人も 疑 ふ 人 はなから うと 思 ふので あ. ます。 ,v 乙で 支那の 思想 史の 中で、 殊 

に 各種の 思想が 併び 起. ました 所の 先秦の 思想界の 如き も亦此 例に 漏れな い もので あ 

ます、 を M で 其點に 就きまして 今日は 御 話 をして 見たい と 思 ふので あらます、 先秦 

の 思想界に 於け る 主なる 思想と 云 ふ もの は どんな もの かと 申します と、 史 記の 太史公 

の 自序の 中には 六つの 學派を 擧げて 居らます、 をれ は 陰陽 家、 儒家、 墨 家、 名家、 法 

家、 道 德と是 丈で あ ftN ます、 尙又漢 寄藝文 志に 依, 9 ます、 と、 太史公 自序より 一 層 詳し 

く、 凡て 十四 释擧 つて 居らます、 是は 後の 議論の 便 5«| 上 一寸 面倒で ご ざ い 1^ すが 書 ま 

先秦 思想 槪觀 二 七 



支那 哲學の 研究 二れ 

すと、 卽ち 儒、 M、 陰陽、 法、 名、 墨、 縦横、 雜, 農、 「小 說、 詩賦」 兵、 數術、 方 技 

の 十四で あらます。 是か 詰. 9 先秦に 現れた 思想の 全部で あると 申して 宜 から ラ かと 思 

ひます、 藝文 志に 依. ります と、 此 十四の 學 派と いふ 兄の は をれ み \ 本づく 所が あると 

云 ふ rO と を 述べて あ. ますが、 それによ らます と、 儒家 は 蓋し 司 徒の 官 から 出た、 司 

徒と いふ 者 は 敎ガを 掌る 者で あらます 道家 は 蓋し 史官から 出た もので あらう、 陰陽 家 

は曆ぉ司.c^ます所の羲和の官から出た、法家は理官かち出で、名家は禮官から出たもの 

であ 6. ますと 云 ふ 様に 其 外の 各 學派ー 々其 本 づく所 を 述べて ございます。 其 議論 は 私 

共の 考に 依る と 必ずしも 採 るるとが 出來 ない 所で、 大分 議論が あらう と 思 ふので あら 

ますが、 孰れ 此 十四の 學派 がそれ/ \本づ く 所が ある 乙と は 勿論で あらます、 然し 今 

日 は 十四の 學 派の 淵源す る 所 を 論ずる とい ふ 違が ございませぬ。 今日 御 話す るの は此 

十四の 學 派が 活躍し ました 當 時の 社會的 背景と 此 等の 學 派との 關係を 述べて、 71、 に 

揭げ まし た 先秦 思想の 槪觀を 論じ C 見やう と 思 ふので あ. o.^ す。 無論 槪觀で ござ いま 



して、 I 令 詳しく 申しますならば 到底 一 時間 や 二 時間の 話で は盡 さる 乙と では ござい 

ませぬ、 極く 要領 を 申 上げて 見やう と 思 ふ 次第で あ. CN ます。 十四の 學 派の 中で 此處 こ 

括弧 を 付けて 置きました 「 小設、 詩賦」 と 云 ふやうな もの は、 是は 所謂 今の 小說 とよ 

少し 違 ひます が、 兎も角 思想の 方から 云へば 大した 關係 はない ので あ .o ます、 全然な 

いこと は あ. ませぬ が、 先づ 大した 關係は 無い ので、 此處で 問題と して は あとの 十二 

舉派を 主として 申 上げて 見たい と 思; 3 ます。 後の 學 者の 內に 或は 九 流と 申しまして 此 

の 儒、 道、 陰陽、 法、 名、 墨、 縱撗、 維、 農を數 へる やうな 人 も あ. ますが、 今日は 

S に 擧げ. ました 是 等の 學 派が 起 6> ましたの は、 それ,, t-- 共通の 社會的 原因が あると い 

ふ rJ と を 申 上げて 見たい と 思 ふので あらます。 

玆に先 秦と云 ふの はいふ 迄 も 無く 秦の始 皇帝 以前で 主として 春秋 戰國 時代の ことで 

あ.. ます、 养 秋戰! ^時代と 云 ふの はどう 云 ふ 時代で あつたか 先づ 其の 時代 を 申 上げな 

ければ な 6 ませぬ が、 周の 文 王、 武 王が 天下 を 統一し ましてから 數 代の 間 は 能く 王 機 

や, 秦思 恕槪觀 二 九 



支那 哲^み 研究 so 

が行はれて居.=^ました、 幽 王に 至って 暴虐 無道であって、 さう して 褒姒 とい ふ婦ム に 

溺れました、 さう して 遂に 西の 犬戎 から 殺されて しま ひました、 其の 子の 平 王と 云 ふ 

人が 朿遷 して 洛 陽に 都す る 乙と にな, CS ました、 其の後 周の 王室の 權 力が 衰微して 號令 

天下に 行 はれず 王室 は 有れ ども 無き が 如き 狀 態であった ので あ ft^ ます、 そこで 齊の桓 

公、 の 文 公、 秦の穆 公、 楚の莊 王、 及び 越 王 句 踐の五 覇が迭 に 典, 9 まして、 さラして 

諸侯の會盟を主ど..=^、 漸次 強大の 國が 弱小の 國ぉ 合せまして、 さラ して これまで 澤山 

の 諸侯が あつたの が 段々 減って 參. 9 まして、 春秋の 時代に は 列國の 主なる 者 は 周、 

魯、 衞、 晋、 鄭、 吳、 燕、 齊、 宋、 秦、 楚、 越の 十二 諸侯と な. 9 ました、 もれから 尙 

ほ 下って 戰國 時代に 至て は秦、 楚、 燕、 齊、 趙、 韓、 魏の七 雄 瓦. に 强を爭 ふと 云 ふや 

ラな 有様に なって 居らました、 其 春秋 戰國の 間に 兹に 擧げ ます やうな 學 派が、 相 前後 

して 世に出て 參 つたので あらます。 其學 派の 出ました 主なる 原因 は 主として 周 室の 衰 

皲 した M とで ありました、 室の 權 力が 盛であった 當時は 造. 言の 刑、 亂 民の 刑と 云 ふ 



やうな 刑罰が 行 はれて 居った、 卽ち當 時の 典據 である 所の 思想の 外に、 事新しく 異様 

の 意見 を 述べ る 者 を 罰し、 若く は 人民 を 惑 はし 治安 を 害する もの を 罰する と い ふやう 

な 刑罰が、 王室の 權 力が 盛んで ある 當時は 行 はれて 居.?^ したが、 夫 等の もの も 周 室 

の 衰微す ると 共に 悉皆 行 はれな くな. ON ました、 を? I で 勝手に 自分の 意見 を 述べ る 人 も 

出て たので あ- > ます。 さう して^ 侯が 互に 强を爭 ひます から、 盛んに 人材 を 登庸し 

やうと 試みました、 其の 結果 は 各地に 人材の 輩出 を 促して 來 たので あ ftN ます、 かくて 

當 時の 列強 は 自國の 富强を 謀. 9 他國を 侵略 せんこと 試みまして、 始終 戰爭 が絕 えませ 

ぬので、 人民 は 申す まで もな く 非常な 困難に 陷 つたので あります、 昔 は 租稅の 方から 

申しましても、 農作物に 對 して 十分の一 だけの 租稅を 取って 居た ので あ. ov^ すが、 政 

費の 膨脹 或は 兵 を 動か す こと が 度々 あ. ます 爲に、 夫れ • たけ では 浊も輕 費が 足. な 

い、. 隨 つて 租稅も 段. と增 如して 参. 5 ました、 論語な ど を 見ましても 孔子の 時代に 魯 

の國 では もはや 十分の 一 でな くして、 十分の 二 を 取って 居った と 云 ふ 乙と で あ. CN ま 

先秦 思想 概觀 1 



支那 哲學の 研究 一 ラー 

す、. (論語 顔 淵篇參 照)。 是 はいふ 迄 も 無く 魯國 のみで は 無い ので あ.^ ます、 且つ 什の 

二の 外 色 令の 雜稅が 段 令に 附 加って 參 つたので あ. 5 ますから、 人民 は 誠に 生活に 困つ 

たので あらます、 斯の 如き 時代に 於き まして 苟も 心 ある 人 は 此の 人民の 艱苦に 對 して 

之 を救濟 しゃ ラと考 へる ので あ. す、 又 有 爲の志 を 抱く 者 は、 此 時代に 際して 自分 

の 手腕 を 揮 はラと い ふゃ5な ^Jとを考 へ る の であ. 《N まして、 卽ち當 時の 思想界に 於て 

は 丁度 二様の 思想が 起って 參 つたので あ ft^ ます、 1 は 天下の 喪 亂に乘 じて 大に 自分の 

手腕 を 揮 はう、 大に 抱負 を 行 は ラと云 ふやうな 英雄 豪傑の 人で あ. 5 ました、 又 一は 天 

卞の 喪亂を 哀しみ 生 民 塗炭の苦しみ を 救 はう と 云 ふ考を 起す 者で あ. 5 ます、 此 時代の 

喪 亂に乘 じ 風雲に 際會 して 大に爲 す あらんと する 人 は、 私 は 之 を 積極的の 傾向 を帶ぴ 

た 人と 名付けて 置きました、 之に 反して 此 時代の 難 苦 を救濟 しゃ ラと云 ふやうな 人 を 

私 は 名付けて 消極的と 致して 置いた ので あ. 5 ます。 春秋の 十二 諸侯 若く は 戰國の 七 雄 

など はとうい ふ 事を考 へた かと 云 ふと、 詰. > 自國の 富 强を闉 つて、 國 力の 發《 を 期し 



他^との』 s 爭に勝 を 制 I、 他 國を藤 倒す ると 云 ふるとが 重大なる 問題であった ので あ 

す、 丁 一お-唯 今世界の 各國が 富國强 兵を圜 つて 居る やうな 工合で あ. ft> ました、 春秋 

戰 まの 諸侯 は 丁度 今の 歐羅 巴に 列 强對峙 して 居る 形勢と 似た やうな 關係 であ 6 まし、 

た。 今の 言葉で 申しますならば、 其 時代 は 所謂 軍國 主義と か 若く は 帝 阈キ: 義と云 ふや- 

うな ものが 行 はれて 居った と 言って 宜 からう と 思 ふので あ. ます、 卽ち 彼等の 眼中に 

は唯國 力の 發展と 云 ふ 乙とば か .9 であ. ON ます、 或は 各國對 立して 居. CN ますから して、 

^^^互に外交政策を用ねて勢カの平均を圖る、 所謂 パ ラン ス* オフ • パヮァ とい ふ, と は 

春秋 戰國 時代に 於ても 最も 大 なる 問題の 一 であらます。 そ で 彼等が やった 事 を內治 

と 外交との 一 一 つに 別け る ことが 出來 ます、 さて 內 治の 方で は 富國强 兵を圖 ると 同時に.. 

自國の 統治が 旨く行 はれねば ならぬ、 卽ち 富國、 強兵、 統治と 此 三つの 事に 分かれ や 

うかと 思 ふので あ 6 ます。 先づ第 一 に國を 富す と 云 ふ 方から 申します と、 當 時に 現れ 

ました 學 派の 思想 を考 へて 見ます と 丁度 二種 類^ 分れて 居 6S ます、 專ら 農本主義 を; 爽 

先秦 想概觀 コー H 



支那 哲學の 研究 三 P 

いた 一派と、 をれ から 殖齑 興業 を 盛んなら しめ や ラと云 ふ 乙と を考 へた 一派と、 斯ラ 

二 派に なつて 居ります。 今の 樣な 時代なら ば 農本主義の 外に 商工業 を 以て 國の 本と す 

ると いふ 樣な 色クな 方法 も ございませ うが、 古代に 於て、 且つ 特に 支那の や ラな阈 土 

の廣ぃ 所、 農產 物の. 豐 富な 所で 農本主義と 云 ふ もの は國を 富ます ことに 於き まして 最 

も 目的に 適った もので あら ラと思 ふので あ ft^ ます。 それ を 特に 主張した のは魏 の李悝 

秦の 商鞅此 二人であって、 李 悝と云 ふ 人 は專ら 地力お 盡 すの 敎と いふ もの.^ -立 てまし 

た、 土地の カを盡 す、 卽ち 成べ く 適當な 方法 を 用ね て、 成べ く 適當に 土地からの 生産 

物が 澤山 出る やうに すると 云 ふやうな 方法 を や 6^ ましたの が 李 悝と云 ふ 人で あ. 5 ま 

す。 をれ から 時代が 少し 後に ならます けれども、 商 鞅と云 ふ 人 は專ら 農業 政策 を 用な 

まして、 さう して 所有る 方法 を 以て 農民 を 保護 獎勵し 農産物の 豊富に なると 云 ふこと 

を 試みた ので あ.?^ す。 商 子の 農戰、 懇令ニ 篇には 其 主張が 委しく 述べて あ.^ 寸. す、 

等 は 専ら 農本主義 のみ を 執-^ ました か、 管 子 卽ち法 家の 祖 であ.?^ す 管 子 は 農業 を 



獎勵 すると 同時に 又 一 方に 於て 殖產 興業 を 非常に 獎勵 しました。 或は 山から 金屬 を^ 

掘し 或は 海の 潮 を 採って 之 を 煮る と 云 ふやうな 乙と も 致しました、 殊に 牧畜 を 獎勵し 

山林の 經營を も 努めまして、 其方 面に 於て 非常な 功勞の 有る 人で あ..^ ます。 管 仲が 居 

6 ましたの は 御 承知の 通. 9 齊 の國卽 今の 山 東 省の 地で あ. a> ますから して、 彼等 は餾產 

卽ち. E から 出ます 所の 鑛物は 非常に 豐 富な 所で あ. 9 ます、 又 周圍は 海で 繞っ て 居ら ま 

すから して 鹽を 採る と 云 ふこと も餘程 都合が 好 いので あ. 9 ました。 李 悝の說 は 學說と 

して 傳 へられて 居. まして 相當 に效杲 があった やうで あ. CN ますが、 商鞅の 如き は大に 

農本主義 を實 行して 以て 自分の 仕へ て 居った 秦國の 富 强を圖 り、 遂に 後世に なって 天 

下 統一 の 素地 を 作った ので あ もます。 管 仲 は 農本主義と 殖產 興業と も 併せ 用. Q まして 

齊の 富强を 助け 遂に 自分の 輔 けて 居った 桓公 をして 諸侯に 覇 たらし: C て 五 覇の隨 一 と 

致す^Jとか出來たのでぁ.C^ます、 此 人達 は 其 意味から 言って 餘^ 目的に 適った 政策 を 

行った のであります。 

先 祭 思想 槪觀 111 五 



支那^ 學の 研究 三 六 

をれ から 强 兵の 方法と 致しまして は、 色 令な 人が 此兵學 の 研究 を や. 9 ました。 始終 

戰爭が あ 6, ます 爲に、 兵學の 研究と いふ MAJ が 非常な 勢 を^て 勃 典 致しまして、 所謂 

兵家 者 流が 起 6 ましたが、 中に も 孫子と か吳 子と か は 其 傑出した 人で、 孫臏、 范 fi な 

ども 著書 をした ので あるが、 殊に 孫子の 兵法の 如き は 現今です らも 最も 進歩した 兵 術 

と 殆ど 一致す る 所が 多い と 云 ふ 位で、 餘 程の 立派な 兵法の 本 を 遺して 居.. - ます、 漢志 

によると 兵家 は 之 を兵權 謀、 兵 形勢、 陰陽、 兵技巧の四種に分c^てぁ^^まして、 砂 【時 

非常に 發 達して 居た 乙と を 暗示して 居ます、 而 して をれ は卽ち 各國が 互に 爭 つた 結果 

必要に 迫られて 出て 來た 1 の學 派で あらます、 所謂 兵家が 兵法 を 研究した ばか-' でな 

く、 農本主義 を 主張した 商鞅の 如き も 兵法に 就て は餘 程の 研究 を 致しまして 兵法の 著 

述を 遺して 居らます。 墨 子の 如き は 此戰爭 に は 非常な 反對 で、 非戰 論者で あら 平和 論 

者で あるに 拘 はらず、 矢 張 兵學の 必要 を 感じまして、 兵法に 關 して 立派な 著述が 广ざ 

います、 彼 は 蓋し 時勢に 迫られて、 武装 的 平和の 必要 を考 へて、 さう して 兵法に 就て 



相當 に. E 分が 研究した 上で ギ和論 AJ 主張した ので あ. CN ます。 楚の王 樣が將 に 宋の國 を 

攻め ゃラ とした 時に、 墨 子 は 宋とは 幾分の 關係 はあり ますが、 自分に 關 係が あると 云 

ム 理由で なしに、 自分の!^}.和論と云ふ主義の上から大に之を憂へまして、 非常な 長距 

離の 所を馳 付けて 楚の 國に參 ,9、 さう して 楚 王の 前に 大に 平和主義 論じました、 遂 

に假設 的に 戰爭の 眞似を 致しまして、 楚の 王様が 將に 攻め やうと した 公輸般 とい ふ 人 

の發 明した 攻 道具と 自分の 防禦 術と を戰 はせ まして、 遂に 完全に 防禦し 得た 所から 楚 

の王樣 が戰爭 をす る 乙と を 忍: y まら しめたる とが あ もます、 さラ云 ふやうな 譯で、 平 

和 論者です らも 兵法に 就て は大 に硏究 するとい ふやうな 有樣 で、 兵 を强 ふす ると 云 ふ 

とに 就て は餘 程各國 共に 研究 を 致した ので あ, CN ます、 卽ち此 十四の 學 派の 中に 兵家 

の 起った の はさう いふ やうな 原因に よると 思 ふので あ もます。 

次に 國家 統治の 方で あらます が、 國を 統治す る 上から は 申す まで もな く 第一 に 必要 

なると は 君 櫂の 擴大卽 ち 君主 權の 確立と 云 ふこと であ 6N ますが、 次に 必要なる と はや 

先奏 思想 概觀 三セ 



支那 哲學 s 研究 三 八 

チンと 定まった 法と いふ ものが 其處に Si けらる 乙と であ .ON ます、 をれと君主が臣民ケ- 

統御する所の術でぁ..^ます、 今 一 つ は 官吏 をして 服務 規定 を嚴 守せ しむる とで あ ft- 

ます、 以上四っの事柄が主として硏究されたのでぁ.0^ます、 其 中で 法の 事 を 特に 研究 

し したの は商鞅 であり ますが、 臣民 を 統御す る 所の 術 及び 官吏の 服務 規定と いふ 方 

面に 就て 特に 面白い 硏究 をした のが 申不 害と 云 ふ 人で あ ft^ ました、 ■ 何れも 是は法 家に 

屬 する 人達で あ, 5 ますが、 夫 等の 人 の 硏究を 最後 は纒 めて 自分の 】 家の 言を爲 した 

のが 法 家の 大成 者た る 所の 韓非 であ 6^ ます、 斯うい ふ 法 家な どと 云 ふ 人 は 矢 張 時勢の 

必要に 迫られて 出て 來 たもので あ. 5 ます。 

: をれ から 外交問題の 方に 就て 申しますならば、 是は 十二 諸侯 若く は 七 雄が 互に 對 a 

して 居った 時ば か. 9 でな く、 昔から 外交と いふ とに 就て は、 支那に 於て は隨 分硏究 

されて 居り す。 中國は 文明 は發 達して 居. 9 ますが、 同時に 非常に 文弱に 流れて 居 6- 

ます、 隨 つて 古代に 在 ftN て は 西 又は 北の方から 夷狄が 盛んに 攻めて 參カ ました、 それ 



は 周 時代、 或はもゥと前からさラぃふ傾向がぁ.》^まして、中國の文物か盛んになって,. 

弱くなる と 直に 後から 蕃族が 攻めて 來て 荒らす と 云 ふ有樣 であ 6 ましたので、 此 蕃族 

に對 する 外交が 色+な 事で 研究され て 居 6^ ます。 又 中國に 於ても 諸侯が 各地に 割據し 

て居.oましたので諸侯同志の外交も必要でぁ^^ます、 と 云 ふや ラな 次第で 外交問題に 

就て は 隨分色 令と 硏究 されて 居 もます が、 殊に 春秋 戰國の 際に 於き まして 此 外交の 發 

達と いふ 乙と は 驚くべき ものが あった ので あ. ON ます、 それ は 一 々例 を 取って 申 上げる 

fJ と は 止めて 置きます が、 例へば 論語な どに も 其 事 は 見えて 居 6 ます、 論語の 憲問篇 

の 中に 孔子の 言った 言葉に 「爲, 命辣誰 草-創 之-世 叔討 4i 之 T 行人 子 羽 修,, 飾 之: 東 里子 

產潤, 一色 之,」 と あらます、 鄭の國 は 强大國 の 間に 介在して 居った もので あ ftv ますから、 

殊に 外交 術が 發 達して 居った ので、 斯の 如く 外交文書 を 作る ときな ど は 色. 6- な 人が 硏 

究 して 作った と 云ふ爲 に、 鄭の國 家 を 安泰なら しめたと 云 ふ ことで、 孔子の 如き も 之 

を 大層 推獎 され 居 ます。 其當 時の 外交の 有様 は 例へば 左傳、 戰國 策な どに は 非常に 

牛秦 思想 槪觀 1 二 九 



支那 哲學の 研究 PC 

詳しく载ゥて居fc^ますので、 若し 之 を 外交的 手腕 又は 外. 交 的 見識の ある 方が 左 傳ゃ戰 

國 策の 如き. -の を御覽 になれば 餘稃 御參考 になる 所が あら はせ ぬかと 思 ふ 次第で あり 

ます。 外交の 問題 は 列國の 競爭が 激しくな るに 從 つて 益々 研究が 盛んになりまして、 

戰國 時代に 入. - まして は 所謂 合從 連衡と 云 ふニ大 傾向が 出て 參." ました。 合 從と云 ふ 

の は 支那の 中國を 南から 北 〈 列んで 居る 諸侯の 同盟であります、 連衡と 云 ふの は 東と 

西との 諸侯の 同盟で あ, 9 ますが、 是は 申す まても なく 其當 時に 於て 秦の國 が 段々 强く 

な ました からして、 此秦 國に當 らうと 云 ふ 必要 上、 他の 六國の 同盟が 卽 ち合從 であ 

.5 ます、 而 して 秦國を 宗主と して 他の 國が之 を 尊ぶ と 云 ふの が 連衡で あ." ます、 申す 

まで もな く當 時の 社會に 於て 勢力 平均の 方法で あ. 9 ます、 合 從を說 いたのが 有名な 蘇 

秦 であ. ます、 蘇 秦と云 ふ 人 は 鬼 谷 子と 云 ふ 人に 學 びまして 大に辯 論 術 を硏究 しまし 

た、 張 儀 は 連衡の 方 を 主張した ので あ もます、 蘇秦張 儀の 風 を 承け て 後で 出た 從横家 

とい ふ 者 は 枚 擧に遑 あらざる 程で あ,^ ます 各國對 立の 間に 必要に 迫られて さう いふ や 



うな 辯 論 術の 研究と いふ ものが 段 令 起って 參 fe^ ました、 而 して 其 辯 論 術の 研究が 纏て 

名家 者 流の 勃興 を 促して 居ります。 名家 者 流と 云 ふ もの は 物の 名前と いふ ものの 研究 

或は 物の 名前と 實 物との 一 致す るかし ないかと 云 ふや ラな 問題、 或は 自分の 槪念其 も 

のの 分析、 或は 吾が 物 を知覺 する、 知覺に 付ての 研究と いふ やうな、 今の 言葉で 云へ 

ば 純然たる 論理 學の範 園に 屬 する ものが ある やうで あ. すが、 例へば 公孫龍の 白馬 

非 馬 論 は 白馬と いふ 槪 念と、 馬と いふ 槪 念との 相違 を根據 としで 白馬 は 馬に あらず と 

いったので、 論理 學ト: の 外延と 內 包との 關 係を說 いた もので あ ft^、 堅 白 論 は 知 覺の分 

析を 試みた もので あ. 9 ます、 併し 是は 矢張當 時の 各國對 立の 關 係から 合從 連衡の 論が 

起. まして 辯 論の 硏究 をな した 所から 促された 所の 一 の學 派で あ- CN ます。 名家 其 もの 

. は 直接 は 此國家 統治の 問題 或は 外交問題 などに は觸れ てね ませぬ けれども、 もれから 

促されて 出た 一 の學 派で あ fc> ます。 さう 云 ふやうな 關 係で 今迄 申 上げました 法 家、 兵 

家、 縱撗 家、 名家、 斯うい ふ 學派は 何れも 積極的に 國 家の 騒亂に 際して、 風雲に 際會 

先秦 思想 槪觀 IU 



支那^^"學の研究 四 二 

して 大に 自分の 抱負 を展べ やうと 云 ふやうな 方面 を 主と した 學派 であります。 

それから 次に 移 ftN まして 此騒亂 に 於き まして 大に 人民が 苦しんで 居る、 此 苦しみ を 

どうかして 救 ひたいと 云 ふこと を考 へた 中には、 何處 まで も此苦 を 救 ひたいと 考へ終 

身 其 爲に盡 さう と 云 ふ 一 派の 思想が あると 同時に 自分の 微力で は 到底 此騷亂 を 救 ふの 

力が 無い、 寧ろ 返いて 獨. 己れ を 善くし やうと 云 ふやうな 一 派の 思想が 起った ので あ 

.ON ます、 卽 ち何處 まで も 此騒亂 を 救 はう と 云 ふの を 積極的と いふなら ば、 到底救ふこ 

とが出來な い から寧ろ獨^^己を善くしゃラと云 ふのは消極的と い ふ 乙とが出來ゃぅか 

と 思 ふので あらます。 そ N> で何處 まで も 救 は ラと云 ふ 積極的の 學派は 思想 上から と 政 

治 上から と兩 方から 說く, J とが 出來 ると 思 ふので あ. o> ます、 先づ 順序と して 政治 上の 

方から 申しますならば、 政治 上の 方から 當 時の 時代 を 救 は ラと云 ふ 事に 就て は 君主 權 

を 尊重す る, 乙と、 王道 を實 現す る 乙と、 S 會 政策 を鈹 吹す る 乙と、 此の 一 二に 分つ 乙と 

が出來 ると S ふので あ. ます。 君權の 尊重 を 主張した ものの 中で、 特に 著し いのは 孔 



子の 大義名分 說 であ. 9 ます、 孔子の 考に 依る と 時の 騷亂 の甚 しいの は、 王室の 權 力が 

衰へ てし まって、 諸侯が 跃慝 する 爲 である、 君主 權の 尊重が 完全に 行 はれ、 昔の 周 公 

の 定めた 禮が 完全に 行 はれて、 諸侯が 各 其の 分.^ - 守って 行くならば、 天下 は 泰平で 

あると 云ふ考 であ. ON まして、 其 爲には 春秋 を 著し 一 統を大 にす ると 云 ふ卽ち 君主の 尊 

K,^ 益々 大 ならしむ ると 云 ふこと を 特に 力説され たので あ 6 ます。 春秋 時代に はまお 

孔子が さゲ いふ Ni と を說ぃ て 居られ まずが、 孟子の時代に至ゥては王室の尊嚴は益,^- 

衰 へまして 王室 は 殆ど 有れ ども 無き が 如き 狀態 にな ゥた爲 に、 子 は 其方 面 は餘. 9 强 

く說ぃて居^^ませぬ、 併し 孔子の 說 きました 大義名分 說は 後に 苟 子に 至って 强く說 か 

れて 居. > ます、 此點に 於き まして は、 法 家 者 流の 君 權擴大 と 儒家の 說く 所の 君權 尊重 

と 動機 は 違 ひます けれども 其 結果に 於て は 同じく 一 致して 居る 次第で あ. y ます。 

それから 次に 王道の 實 現と 云 ふこと は どラ云 ふこと かと 申します と、 是は 孔子 ゃ孟 

子の 極力 主張した 所で あ. 9 まして、 特に 孟子の 議論に は 其方 面 は 非常に 精細に 說 かれ 

先 素 思想 槪觀 四 111 



支那 哲學の 研究 四 四 

て 居. CS ます、 孟子 七篇の 中の 三 箇所に 其 意見が 述べて あ. 9 ますが、 要するに 此 人民の 

衣食住の 困難 を 無い やう はして 民力 を 休養して、 さう して 仁義 道 德の敎 が 完全に 人民 

の 間に 普及し まして 萬 人 各, 其 所 を 得て 行く と 云 ふやうな 遣 ftN 方で あ. CN ます、 粱惠王 

章句上に見ぇて居.<=^ます所などは^vれを述べたものでぁft^ます、 少し 長ラ ございます 

が 一 寸讀 みます と 不」: a 一一 農 時 一 穀不, 可-一勝 食 一也。 穀物 耕作の 時に 農民 を 使役せ ぬゃラ 

にす る數 不, 入 U 污池 一魚 驚不, 可-一勝 食 一也。 細 網で 何も彼も 獲ら 盡すゃ 5 なると をし 

ないやう にす る。 斧斤 以, 時 入,, 山林 一 材木 不 J^, 一勝 用, 也。 卽ち 山林な ども 春 夏の 樹木 

發 育の 盛なる 時に 材木 を 伐る ゃラな こと をせ ぬ。 かくて 穀與, 一魚 », 不, 可, 一勝 食? 材木 

不, 可 勝 用: 是 使-民 養笙喪 也。 養, 生 喪 k 無, 慽。 王道 之始 也。 生活 上の 困 

難が 無く、 生 を 養 ひ 死 を 喪して 慽 ならしむ るの は卽ち 王道の 始 である。 五 畝 之 宅、 樹, 

之以, 桑。 五十 者 可,, 以 衣" 帛矣。 鶴 豚狗彘 之畜。 無, 失-其 時? 七十 者 可,, 以養, 肉矣。 百 

畝 之 田。 勿, 奪-其 時? 數ロ之 家。 可,, 以無, 飢矣。 かくて 生活 上の 不安が 除かれ、 萬 民 



智其所 を 3:、 之に 加 ふるに 敎育を 以てして 人々 をして 孝悌の 何物た る を 知 らし ひれ 

ば、 王たら ざる 者 は 未だ 之れ あらず と說 いて ございます。 租稅を 取る のに も 必ず 十分 

の 一 を 取って、 其 外の 雑稅は 取らない と 云 ふやうな 乙と を 述べて ございま すが、 租稅 

は 十分の 一 が 一 ffi 適當 であると 云 ふので、 もれよ ら 以上 を 取る 者が あったならば、 是 

は 恰も 自分 隣家の 鷄が 庭先に 入って 來 たから 是は 結構で あると 云 ふので 盜 ひや 5 な も 

のに 似て る (滕义 公 下篇參 照) 又 十の 】 でも 餘. 多過ぎる から 二十 分の 一 の 租稅を 取 

らうと 云 ふやうな 者は是 は,' 絡 小;^ 卽ち 夷狄の 道で あると 云 ふやうな,, -とを 述べて、 

(吿 子下篇 11 照) 孟子 は 夫 等の 方面に 付て 詳しく 彼の 見る 所 を 述べて 居, CN ます、 申す ま 

でもな く;. f 道實 現の 時代に は 鰥寡 孤 ® とい ふやうな 窮民に 對 して は 相當の 方法 を 用ね 

て 之 を 養 ふので 所謂 社會 政策の やうな もの も 無論 行 はれねば ならぬ ので あ 力ます。 以 

上 は 孟子の 述べた 王道の 大要で あ fts ます、 然し其具體的の方法論に至,o^ますると、 非 

常に 話が 長くなら ますし、 孟子ば か が 言つ < ^ので も あ. 0> ませぬ し、 後の 苟子 など も 

先秦 思想 概觀 四 五 - 



支那^^學の研究 p^./ 

孟子よ-' も 一層 詳しく述べて 居... ますから、 , ^れに 就て 一 , ^申します と餘く 長くな i 

ますから して をれ は 省いて 置きます が、 さう いう やうな 王道の 實現. 一一 pi れへ ーレ 

を 民に 施く と 云 ふとで、 社會 の救濟 をし やうと 云ふ考 であります。 然るに 特に 社會政 

策と いふで と を 標榜して 自分の 學說を 立てた の は 農家 者 流 及び 墨 子で あ." ます、 此農 

家 者 流 は 有 ,爲> 一 神 農 者 之 言-者 許 行お と 云 ふとが 孟子に も晃 えて 居." ます、 彼の 說 によ 

ると 君主と 臣民と 肩 を 比べ 共に 耕して 天下 を 治める、 市で 賣る 所の 物 は 値段 は 必ず 一 

定 して 置く やうに する、 例へ は 布 も 綿布 も 長さが 同じければ 値段 は 同じに する。 麻で 

捲 へ た 物 も 或は 木綿で 描 へ た 物 も 同じ 重さ なれば 僦段 は同樣 にす る、 五穀 は 米で も麥 

でも 粟で も 豆で も桝 目が 同じければ 同じ 値段 にして置く、 もれから 靴な どは大 さが 同 1 

じければ 非常に 精巧に 出 來た物 も 或は 粗つ ぼく 編んだ 物で 同じ 大 さの 物 は 同じ 値段 は 

すると 云 ふや ラ I と を此許 行な どは說 くので あ.^ ます (滕文 公上篇 載し 社會 政策 

と は 申しながら 無差別 平 等を說く 所の 一 ffl^n 凡 S? 以 S 等の f 得 



ると云ふ乙とAJ說くのでぁfc^ますからして、 最も 過激なる 社會 主義の やうな 主張で あ 

4 ます、 孟子 は 申す 迄 も 無く 此許 行の 主張 を駁擊 して 餘カを 遺 こさなかった ので あ. OX 

ます、 漢 志に ft: 水の 弊 を 論じて 君臣 ケ- して 並び 耕さし め 上下の 序を亂 ると いふの は、 

此の 許 行の 輩 をい つた ものと 思 はれます。 さ ラぃラ やうな 過激な 思想 も 時代が 之 喚 

起した ので あ fcv ます、 墨 子な ども 社會 政策お 說 きました けれども 許 行の やうな 過激な 

キ: 張で は あ ft' ませぬ。 

もれ か.^ 思想 上から 申します るなら ば、 者 は 仁義 を說 き、 墨 子 は 兼 愛卽ち 平等 無 

差別に誰も彼も同樣に愛するとぃ ふゃぅな^Jとを說ぃ て、 大に國 民の 反省 を 促した の 

であ ます、 , ^れと 相竝 ぶべき は 平和 論で あ. ますが、 宋^!、 墨 子な ど は をれ であ, y 

ます、 戰爭 とい ふ もの は 非常に 慘儋 たる 害毒 ケ- 流す ので あ. c> ますから して、 彼等 は戰 

爭に對 して 口 を 極めて 攻轚 しまして、 何處 まで も 平和 ケ」 維持し なければ ならぬ、 平和 

を 維持す るに 付て は宋輕 など は 侮られても 自分 は主觀 的に 辱 を 受けた と S ひさへ しな 

先秦 思想 槪 觀.. 四 七 



支那 哲學の 研究 ハ 

けれ 士宜 いので あると 云 ひ、 墨 子 は戰爭 とい ふこと は 百害 有って 一 利が 無い と 云 ふや 

うな ことな ど 述べまして、 大に 平和 論の 鈹 吹に 從 事して 居ります、 此の ゃラな 平和 論 

i 非戰 論者が あつたと 云 ふ.. -は管 子、 ^子、 孟子、 荀子 などの 書中に 散見して 居り 

ます 以上 述べた やうな 各種の 思想が 併び 起って、 さう して 積極的に どラ かして 人民の 

: 用 苦 を、,^ は ラと云 ふので、 孔子の 如き は 席 暖まる に遑 あらず、 墨 子の 如き は 其 住居の 

御飯. V 炊く 煙突が 黑 くなる 暇 もない 位に 天下 を 周遊して 自分の 理想 を鈹 吹した ので あ 

らます。 

次に 幽 的の 方 を 申します と、 到底 自分の 力で は 時り 困苦.^ 救 ふだけ の 力が 無い と 

云 ふ 所から 老子の 如き は 無 爲而化 を 主張した ので あ. 9 まず、 聖人が 有 爲の志 有って 禮 

樂 ™ 政ケ- 設けて 天下 を 治めん として 居る、 而 して 是れが 却つ て國家 騷亂の 基で ある、 

塞 人 死せ ざれば 大盜 止まず、 斗 を 剖き 衡を 折れば 民& はずと 云 ふや ラな譯 で、 總て無 

-爲 にして,.^ すると 云 ふ 方法 を 執れば、 却て 天下 はお 儘に ¥ 和に 治まる と 云 ふやうな こ 



と を 主張した ので あ. 9 ます、 是は當時に於さまして帝國主義を主張し富國强兵を圖ク 

て居ゥた人達の耳に入る譯はぁh^ませぬ、 も 己で 大言は 俚耳に 入らず と 憤慨して 見 ま 

した けれども 到底 駄目で あ. 9 ました、 卽ち 自然主義、 放任主義 を 以て 天下 を 治め やう 

と 云 ふ h; を說 きました けれども 何人も 耳 を 傾く る 者が 無かった ので、 老子 は關を 出で 

て 去.. >、 己れ 獨ゥ 善くした ので あ. 9 ます。 老子の 如き はな ほ 天下の 政治 を 論じて 居る 

ので あ ます けれども、 其 門下 者 流に 至 fes まして 全く 世間と 沒 交渉と な. OS 、專ら 自己 獨 

善 を 主張した ので あ 6 ます、 卽ら莊 子 は 主として 無用の 用 を 鼓吹し ました、 世間 的に 役 

に は 立たない と 云 ことが 自分 一 己に取c^ては役に立っと云ふ^iとでぁft^ます、 莊 子が. 

或 時 魚 を 釣って 居, 9 ましたら ば、 楚の王 樣が莊 子の 賢なる を 聞いて 禮を 厚う し聘. ^重: 

うして 之 を 招いて 宰相に しゃう とした 所が、 莊 子が 其 使者に 向って 溝の 中に 尻尾 ひい 

て 居る 所の 龜と、 宗廟の 中に 鄭重に 保存 せられて 居る 所の 龜と どちらが 幸福で あるか 

と 問うた ので あ- >ま す、. 宗廟の 中の 龜 はたと へ 鄭重に 取 6 扱 はれても 生命 を棄 て. - 居.. 

先秦 思想 概觐 四 九 



支那 哲學の 研究 ,五0 

らます、 溝の 中に 尻尾お ひいて 居る の は、 誠に 不潔で 不幸の ゃラ であるが、 生命 は あ 

ら ます、 使者 曰く もれ は 溝の 中に 尻尾 を ひいて 居る 龜の 方が 幸福で あると。 そこで 莊 

子が 自分 は卽ち 溝の 中に 尻尾 を ひかう と 思 ふ、 卽ち 王様の 招聘に 應 ずる こと は出來 0. 

と 云って 斷 つたので あらます、 例 へ ば 橘 や 瓜の 如き 果物 は 其實が 食べられる 卽ち 役に 

立てば f07y 枝 を 折られた. 5 蔓を 切られた i すので あるが 役に立ち さへ しなければ 天然 

を 全うする ことが 出來 る、 油の 如き は 燃へ るから 人が 燃やす、 隨 つて 油 其 ものが 無く 

な ゥ てし まふ、 漆の 如き は 役に立てば 乙 そ 幹 を 割かれて 痛い 思; 5 をし なければ ならぬ 

を/^-で無用の用を說くので、 彼の主張は自家獨善でぁ.*^ます、 楊 朱の 爲我 主義の 如き 

も 全く 自家 獨 善であります、 例へば 髮の毛 1 本 を 抜いて もれが 天下の 爲 になっても、 

自分 は髮の 毛を拔 くの はィャ である、 絕對に 自分自身 を 守って 天下の 爲を思 ふると は. 

しないと 云 ふやうな 自家 獨善 主義 を 執って 居. 9 ます。 是 等の 人達 は 天下の 爲 すべから 

ざる を m て 憤慨した 爲め、 若く は苟 くも 性 命を亂 世に 全うする と 云 ふやうな 考 から ® 



りた もので あ. 5 ます、 其 外 是の亂 世に出た の は卽ち 神仙 家 若く は 迷信の 輩であります、 

ffl 舍の 無智の 人の 間に も 迷信 は 相當に 盛んで あ 6^ ますが、 割合に 生存競^の 劇しい 都 

會に 却て 迷信の 盛んな ものが ある や ラに思 ひます が、 那に 於ても 上代から 迷信 は ご 

ざいます けれども、 戰國の 際に 至って は 愈 < -甚 しくな つた やうに 思 はれます、 孔子の 

如き は 怪力 亂神を 語らず とて、 頻. に 迷信 を 打破す る h; を 務められ ましたが、 到底 孔 

子の 獨 力で 出來る とで はあり ませぬ、 寧. <: 戰 鼠に 至って は大に 迷信が 盛んになった、 

又此 世の中に 於て 己れ の 生命 は 非常に 不安 固で あると 云 ふので、 却て 神仙 不死の 術 を 

學ぶ 人が 盛んに 出て 來 ました、 尤も 神仙の 術 を 學ぶ人 は 主として 山 東 省 あた ft^ に 起 力 

ました、 山 東 省と 云 ふ 所 は、 海に 面して 居って 蜃氣樓 などが 見えます、 この 蜃氣樓 が 

見えます ので、 海中に 蓬萊 山が 在る と 云 ふ M と を考 へ て 海中の 神仙の 山に 行きたい と 

S ふ 乙と を考 へて たので あ. 9 ませう、 是は矢 張 現世に 對 して 悲観した 結果、 さう いふ 

思想 も 出て 來た らラと 思う ので あう ます。 迷信の 中には 陰陽 家と いふ ものが ございま 

先秦 思想 槪觀 五 1 



支那 哲學の 研究 $^ 

す、 陰陽 家と いふ 者 は 本來の 目的 は曆を 正しくす ると 云 ふ 乙と であ ft^ まして、 一年お 

十二 ヶ月、 1 月 を 三十日、 一日 ヒ 十二 刻に 分つ、 さう して 春夏秋冬 を 定め、 春 a 秋 冬 

こ^て 夫れ夫れ 爲 すべき 月 令 を 定める とい ふやうな 乙と が 陰陽 家の 目的で あ ft- ます 

が、 併し 陰陽に 拘泥す る 人になります ると、 複雑な 種, の 迷信が 伴って 參ゥて 居.??^ 

す。 それから 又 方技數 術と 云 ふ 中に も、 マ ァ 方技數 術と 云へば 大抵 想像が 付きます が、 

色 な 迷信が あるので あ..^ ます、 例へば 龜卜、 占筮は 昔から あ ますが、 をれ から 色 

な 迷信が 起 6- まして 人相 家相の 吉凶と か 云 ふやうな ことな どが 色々 說 かれて 居. fl^ ま 

す。 是 等の 迷信 は 矢 張 時代精神の 不健全な 結果と して 現れて 來た 思想で あ."^ ます。 此 

處 に擧げ ました 十四 家の 中の 小說 家と か詩賦 家と 云 ふ もの は、 それ を 讀んで 其 中に 現 

れて 居る 人生 觀を 詳しく 研究し ますならば、 又時代精神と結付けて論ずる^-とが出來 

ると 思 ひます が、 それ は 姑く 措きます、 其 他の 學派は 上に 述べた とラ. 5 皆 それ,, 時 

代 思想に 依 CN て 惹起され たもので あ. > ます、 唯雜 家お け は 省き ましたが、 是は儒 、道、, 



名、 法な どい ふ 色 令な 思想 を 混ぜた もので あ 6^ ますから 態と 省いて 置 さました。 以上 

述べた^ を闉 にす ると 次の やうになる かと 思 ひます、 



へ內治 



,積極的- 



農本主義 11 李悝、 商 狭 

磙產 興業 —— 瞀子 

强兵 —— 兵學 研究 —I 兵家、 商 狭、 墨 子 

君 權擴大 メ 

法 商缺 

術 申 子 



富 國. 



統治. 



合從 



I 服務 規程 

-蘇秦 一 



韓非 



周 室 喪 



連衡 -11 張 儀 

,君 權尊道 



從撗 家、 名家 



パ 消極的. 



積 



政治 上 



I 思想 上 



春秋 大 1 統論 

王道 實現 11 孔孟 

社會 政策 11 農家、 蠱子 

仁義 —— 儒家 

兼 愛 i .1 墨 子 

牟和論 11 宋輕、 墨 子 ,. 



先秦 思想 槪觀 



五! ラ 



支那 哲學の 研究 五 四 

, 消極. 



無爲 自然 11 老子 

自家 獨善 11 揚子、 莊子 

神仙 陰陽 

I 迷信 —— . ^方技 

I 數術 



さて 太史公 ^自序お 見ます と 易の 大傳に 天下 は 一 致に して 百 慮、 同歸 にして 殊 塗と あ 

るが、 如何にも 尤の 言で かの 陰陽、 儒、 墨、 名、 法、 道 德と云 ふやうな 學派 は、 何れ 

も此 天下の 治まらむ 己と を 努める ものであって、 其 言 ふ 所の 路は 違って 居って 或は 精 

しく 或は 簡單 であると 云 ふ 相違 は あるが、 其 目的 は 皆 1 致す る ものであると 云 ふ 意味 

を 述べて 居. 9 ます、 是は 大體に 於て 如何にも 尤もな ことで、 此の 積極 消極の 二 派 を 通 

じて 支那 思想の 全 體を掩 ふ 所の 言葉と 申して 宜しい やうで あ ます、 尹 文 子 大道 下 編 

は 斯うい ふ 言葉が あ-ます 雖 T 彌 --綸 天地 ハ 籠 * 絡 萬品ハ 治 道 之 外、 非- 。群生 所- -餐 挹ハ聖 

人措而不 Jー^也とぁft^ます、 卽ち 例へば 天地 を 網羅し 一 切の 現象 を牢 籠して 居る や ラ 

な 問題であって も、 是が 天下の 政治の 問題に 直接 關 係が 無い、 人間の 實際 生活に 直接 



影響の 無い もの は 聖人 は 措いて 論ぜず と斯ラ いふ と を 述べ て あ 6 ますが、 是は尹 文 

子な どと 云 ふやうな 名家に 屬 する 人の 言った 乙と では あ.. > ま すけれ ども、 太古 公の 自 

序の 說 とも 一 致し 如何にも 能く 支那 思想界の 全體の 精神 或は 傾向 を 言 現した 言葉で あ 

6 ます。 を 乙で 先秦 思想界に は 種々 雜 多の ものが 雜 然と 現れて 來 たやう であ 6 ますけ 

れ ども、 之 を 纏めて 見ます と、 鼓に 圖を 書いた やうな 工合に 總て 時代精神の 背景の 上 

に 活躍して 居る と 云 ふこと が朧氣 ながら 分る かと 思 ふので あ. 9 ます。 便宜上 演繹 的の 

やうな 方法で 御 話ケ- 致し ましたが、 是は矢 張歸納 的に 研究した 結果で あ ftN ます、 僅の 

時間で 御 話す る 上に は 斯うい ふ 方法で 御 話した 方が 却て 槪念を 明かに する とが 出來 

ると 思 ひました ので、 少し 如何 はしい と 思 ひつ、 演繹 的の やうな 方法で 御 話した 次第 

でぁft^ます、 尙ほ 詳しく 申 上げますならば よほど 長時間 を 要します ので、 今 n は大 g_ 

の 事 を 申 上げて 御 淸聽を 煩した 次第で あ ます。 

先秦 思想 槪觀 S 



支那 哲學の 研究 五六 

洪範を 論す 

周書洪 範は箕 子が 武 王に 對 して、 天意の 在る 處、 葬 偷の叙 ゥ る 所 答へ たる ものな。 

り。 箕子 曰く、 

我 聞 在 昔、 鯀湮- 洪水: 泊, -陳其 五行: 帝 乃 震 怒、 不, Ek_- 洪範九 疇: 彝 儉攸, 敎、 鯀則 

極 死、 禹乃嗣 興、 天 乃 錫- 禹洪範 九 疇 r 彝倫攸 k 叙、 

洪範 九晴は 天の 禹に錫 ふ 所と なせ ft^。 帝と いひ 天と いひ、 其 語 は異れ ども、 要する. 

は 天の み。 陳澧は 之 を 論じて 曰く、 

洪範 九嗜、 天帝 不レ 錫, 鯀而 錫, 禹、 此事 奇怪、 而载 在- 尙書 r 反復 讀, 之 乃 解、 所, W 

我 聞 在 昔 者、 箕子 上距- -鯀與 "禹千 年矣、 天帝 之 錫不, 錫、 乃 在 昔 傳聞之 語 也、 洪範之 

文、 奇古奧 博、 千年 以來、 奉 爲-- 祕寶ハ 以爲 出, 自-- 天帝 T 箕子吿 _;武 王 r 述,, 其 所,. 聞: 

如 X 此耳、 至 H- 以爲 -龜文 r 則 尤當- 存而不 1^ 論、 東塾讀 書記 卷五 



龜文 云.^ は 之 を 後 文に 讓る。 彼 は 洪範九 疇 を 天帝の 錫へ る ものと いふ は 奇怪に して 

解すべからざる 乙と ゝし、 所謂 箕 子が 傳 聞の 語 を 述べた るに 過ぎず、 措いて 論ぜず し 

て 可なら とな せら。 是れ卽 ち 儒者 氣 質の 論な ft. 。 古 は 民族の 如何に 關 せず、 神人の 關 

係 は 最も 密接に して、 其の 交涉は 最も 頻繁な りしと、 後世 人の 到底 想像し 得べき 所 は 

あらず。 我國に 於いても、 上代 は 勿論、 や- -降ゥ て も 其例甚 多し。 例へば 道 鏡が 不臣 

の 心 を 抱 さし 時、 宇佐八幡の御祌託ぁ..=^しが如き、 嚴 として 正史に 記された. y。 希臘 

め 上代 は 神人の 交涉 最も 頻繁なら し は、 何人も 之 を 疑 ふ 者な かるべし。 猶太に 於いて 

も亦然 6。 例へば 舊約 全書 を閲せ ぱモ, ゼ、 ュホパ 等が 常に 種. > の 垂示 をな せる を 見 

る。 然 らば 支那の 上代に 於いて、 天帝が 禹に洪 範を錫 ひし も 亦 怪しむ に 足らざる な ft. 。 

天 錫の 形式に 就いては、 所謂 河圖、 洛 書の 說ぁ ft^。 河圖は 易繋辭 上、 論語、 禮記醴 

M 篇に 見え、 洛書は 易翳辭 上に 見 ゆ。 上 繋に 曰く、 

河 出, 圖、 洛出 ,書、 聖人 則, 之、 

洪範を 論ず 五セ 



支那 哲學の 研究 五八 

上 槃の論 は專ら 易に 就いて いふ" 卽ち 聖人 は 河圜洛 書に 則 CNV -、 易 を 作れ とい ふ 

f。 然るに劉欲は河圖を易に、洛番を洪範に分って說をなせ.o^。 漢窨 五行 志に 曰く。 

劉歆 以爲、 伏羲繼 k 而王、 受- 河圖? 則 而畫, 之、 八卦 是也、 禹 治-洪水つ 錫,; 洛書 r 

法 而陳, 之、 洪範是 也、 

上 紫の 文 を 以て 言 は^ 河圖、 洛窨共 は 易に 就いて い へる もの なれば、 洛書を 洪範 

繋く るは斷 じて 取るべからず、 然れ ども 今 暫く 之 を 措く。 書 偽孔傳 にも 亦 曰く、 

天與 J€、 洛出 JT 神龜負 k 而出、 列, 1 於 背; 有, 數至 U 于九: 禹 遂因丽 第, 之、 以成, 一 

九 類 T 

神龜、 洛窨を 負 ふ は 經に其 事な し。 唯 尙窨中 候 及び 諸 緯に見 ゆと は孔顏 達の 旣に道 

破せ る 所な 6S。 さて 神 龜が負 ふ 所 は、 洪範 全文と して は 多き に 過ぐ るの 嫌 ある を以 

て、 畢者亦 之が 說を爲 す もの あ. 9。 漢書 五行 志に は 初 一 曰、 五行より 次 九 曰、 嚮^, 五 

顱 「畏 用-六 極- で 凡て 六十 五 字 は、 皆 維 書の 本文な. CN とい ひ、 劉 向 は 初 一 曰、 次 二 



曰 等の 二十 七 字 は^が 加へ たる ものにして、 雄 書の 本文 は 三十 八 字な. 9 とい ひ、 § 

はな ほ 敬 用、 農 用 等 十八 字 も 亦禹が 叙す る 所^して、 M 書の 本文 はだ, 二十 字の みと 

いひ、 降って 桓君 山に 至って は、 

河園洛 書、 但 有-一兆 臉: 而不, ?s ノ知 王 嗚盛尙 書 後 案 所 引 

とい 7。 是れ 後世 河 圖洛窨 の 圆の後 儒に よって 附會 せらる 所以なる ベく、 皆 取る 

に 足らざる の 論なら。 王 鳴 盛 曰く、 

漢 儒雖, 有, 圖書 配, 1 卦 6- 之說ハ 未, 詳 U 圖書 何狀: 其 亡 久矣、 俗 說紛々 之 論、 以- 五行 

生成 圖-爲 n 河圃: 以,, 太 一 下行 九宮圖 1 爲-洛 書 r 所, 未】 也、 後 案 

斷じ i て 痛快 を 極 :3。 神 龜洛書 ケー負 ふて 出で しに 非 ずん ば、 天 錫の 形式 は 如何。 愚 

按ずる に禹は 直接に 天帝の 垂示 を 受けた るの み。 凡人 は 神 を 見ず 神の 聲を聞 力ず、 而 

して 聖人 獨. 9 よく 神の 姿ヒ 見、 よく 神の 聲を 聞く。 多くの 宗祖、 敎祖の 如き 皆此 類な 

i 。亦 何 を か 怪しまん や。 思 ふに 禹聖德 あわ、 洪水 を 治めて 天下に 大造 あ. 9、 民心 を 得、 

洪範を 論ず a 九. 



支那 哲學の 研究 六 〇 

舜の讓 を 受けて 位に 卽 くや、 古來傳は..^たる道德政治の法則を硏究して、 この 洪範九 

喃を 成せる もの、 禹 は蓋自 から 以て 天啓と なし、 なり、 亦 他意 あ. しに あらず。 而し 

て 恐らく は 後人の 幾分 かの 補足 を經 て、 夏 殷を經 て 周 初に 至ら 箕. 子 之を武 王に 傳 へて 

永く 經 世の 寶 典と なれるな. 9。 

洪範の 全文 を禹の 作と せず して、 其 間 幾分の 補足 あ. <=> とする 說は、 旣に孔 穎 達の 正 

義に見 ゆ。 彼 は 初 一 曰よ. 9 威 用 六 極まで 六十 五 字 を 以て、 禹の第 叙す る 所と して、 】 

五行以下更に九疇の義を條陳する所は卽ち箕子の作な.o^となせ..^。 王 鳴 盛 は 反 對の意 

見 を 述べて 曰く、 

初 一 曰 五行、 一 節 六十 五 字、 旣爲 -洛誊 本文 r 則 自,, 1 五行-以下、 皆禹 所- i 推衍, 也、 

然其中 曰, 而曰, 汝 曰, 乃 者、 爲 44、 子 吿-武 王- 之辭" 若-八 政ハ 若-五紀 r 若-福 極 r 

疑但 爲-, 禹之 語; 箕子 無, 所- 附益ハ 其 餘諸疇 之 中、 必多 3 箕子 所- 演說, 可, 知、 皇極 I 

禱、 凡 二百 五十 四 字、 較- 他嚼, 獨詳、 蓋 洪範所 在, 此也、 傳疏旣 以-初 一 次 二等 i 



爲- 禹所 p 第、 遂謂 TI 曰 水 二 曰 火 以下、 直 至-六 曰 弱 「 盡屬 -箕子 之言ハ 而 與レ禹 無., 

涉、 禹之文 太少、 箕子之 文 太鯀, 皆 非 也、 尙書後 案 

予は 旣に洛 誊の說 お取らず、 禹は 天啓に よ .0自 から 洪範 を作爲 せる ものと す。 而し 

て禹の 作る 所 は S 初 一 曰 五行の ! 節 六十 字 £ て、 一 五行 以下 S 六 f 解說 せる 

所 は、 後人の 補足な .o と 思 ふ。 今傳 はる 所は箕 子の 演說 する 所 なれ ども、 獨., 箕 子の 

作の みに あらず、 多くの 賢者の 所 說も亦 もの 內に 包羅 せられた るべ さは 想像に 難から 

ず 予 は王嗚 盛の 說を 取らず、 亦孔穎 達の 說に 肓從 する 能 はざる な 力。 孔王旣 に臆說 

をな す、 予も亦 新に 臆說 をな す も 亦 可なら ず や。 

洪範と は 大憲、 大法と 云 はんが 如し。 其の 大法 は 九 疇卽. ち 九個條 よ., 成る。 今各條 

に 就いて 簡: S なる 說明 をな さんに。 

1 き 五行 は 水火 木金土 を 云 ふ。 其の 性 を 云 は 、水 は 潤 下、 火 は 炎上、 木 は 曲 

直卽ち 揉して 以て * 直なら しむべし。 金は從 革卽, T 火に 從 つて 銷鐸せ しむべし、 土 は 

洪 範 を 諭ず ,、 • 



?稼穑 すべし。 其の f 云 は,、 滅、 苦、 酸、 辛、 1^0 洪範 中には 唯 この 五行 

I 擧し、 其の 性と 其の 味と I。 述 する のみ。 2 にき 五行 は、 印度の 五大 說ジ女 

く、 哲學的 考察に よえ、 宇宙の 元素 を唯此 五行の みと 1 に 非ず、 人生に 必須なる 

もの、 M の 五行な きき W る 外なら f ま。 孔 置の I 正義に、 

書傳 云、 水 人 者、 百姓 之 求- -飮 食-也、 金 木 者、 百姓 之 所-興 作-也、 土 者 萬 物 之 所- 資 

生, 也、 是爲, 入, 五行 卽五材 也、 襄ニ 十七 年左傳 云、 天生-五 材ハ i 用乏、 

といへ る は 確然 動かす ベ かきる ま。 所謂ち S 水火 金 木土穀 (競 年) £て 五行の 

t 別に 穀を擧 げた. -、 此 點に關 して は孔穎 逮旣に 其の 說 あら、 く、 

襄ニ 十七 年 左 極、 天生-五 材: 民 並き 之、 卽是 水火 金 木士、 民 用 レ此臭 也、 彼 

惟 五材、 此 兼以, 穀き 六府, 者、 穀之 於, 民竟 急、 穀是土 之 所』、 故 於-土 一 is 

&、 尙書 正義 

» し 得て 頗る 明瞭、 亦 吾人の 陳辯を 要せざる なり。 さて 五行 は 人生 必須の ものた 



i 故に 苟 くも 人君た る もの、 必ず 之 を 重視せ ざるべからず。 是 れ洪範 第一に 五行 を 

揭 けたる 所以な. os。 洪範が 五行 を汨陳 せる 鯀に賜 はらず して^に 賜 はもた る は 之が 爲 

f。 啓が 有 扈氏を 伐つ や、 もの 五行 を 威 侮す るの 罪 を 鳴らせる が 如き (#1。 禹 g) 亦 之 

が爲 な. cs。 

二、 五 事 五 事 は貌、 言、 視、 聽、 思な. >。 洪範に 五 事 を 解して 曰く、 

貌曰, 恭、 言 曰, 從、 視曰, 明、 聽 曰, 聰、 曰 恭 作, 肅、 從伤 k 乂、 明 作, 晳、 聰 

作, 謀、 睿 作^、 S 

貌は 恭し かるべし、 貌 恭しければ 卽心自 から 肅な. CN。 言 は從に 就て、 馬 融は發 J 一一 

使, 可, 從と いひ、 鄭玄、 僞孔傳 皆 之に 同じ。 春秋 繁露卷 十四 五行 五事篇 にも 亦此文 を 

引いて 從 ふべき ならと 解せ. CSC 或は 然ら む。 然れ ども 予は寧 Z: 論語の 言 順の 意に 解し、 

言 は 義理に 順 ふの 意 > 解 せんとす。 然れ ども 義理に 順 なれば 人 卽.^ 從 人の 從ふは 

をの 義理:^ 房らざる が爲 な. 5 と 見 来れば、 その 解 は少異 ある も、 其 結果 は 同じ かるべ 

洪範を 翁ず 六 三 



那贫學 の 研^ 六 四 

し。 卽ち 言從 へば 以て 治 ひべき な-,。 視、 邪 正 を 明かに すれば 明哲に して 惑 はず。 

聽、 聰明に して 是非 を 洞察 すれば、 卽ち謀る所必ず成.o^、 事に 臨んで 思 ふこと 睿 深な 

れば、 卽ち聖 にして 通ぜ ざるな きな 6^。 以上の 五 事 は 皆是れ 自己の 德を養 ふ 所以 を述 

ベた る ものな ftN。 馬融 及び 鄭玄 は恭、 從、 明、 聰、 睿を 人君の 事と し、 肅、 乂、 皙、 

謀、 聖を 人臣の 事と なす は、 理に 於いて 妨 なしと い へど も、 寧る 孔穎 達の 

1 人 之 上、 有,, 此五 事, 也、 洪範 本體、 與, 入 主, 作』、 皆 據-人 主, 爲, 說、 貌 

總, 身 也、 口 言, 之、 目視, 之、 耳聽 ^ 之、 心 慮, 之、 人 主 始-於 敬.. 身、 終, 通- 1 萬 事 T 此 

五 事爲- 天下" 之 本 也、 尙書 正義 

といへ るの 妥當 なる に 如かざる な- os。 五 事 は卽ち 人君の 己を修 むる 所以に して、 亦 治 

人の大本な-=^。 伏 生 傳に五 事お 五行に 配し、 貌を 木、 言 を 金、 視を 火、 聽を 水、 思 を 

土に 配し、 其後董 仲舒、 劉向等苟くも五行を說くもの皆之を祖述せ..^。 事 はな ほ 後 文 

に詳 かな.^。 



三、 八 政 八 政と は 食、 貨、 祀、 司 空、 司 徒、 司宼、賓、師是な.》^。 洪範に は 唯 この 

八 を列擧 する のみに して、 別に 說明を 加へ ず。 惟 ふに 食 は 民の 天な. 9。 故に 堯舜 以來 

最も 食 を 重し とす、 盖民 をして 食 乏しから ざ らしむ る は、 君主の 最も 重大なる 責任な 

.9。 故に 食 を 第 一 として、 貨 之に 次ぐ。 而 して 祭祀 亦 之に 次ぐ。 上古 祭政一致の 風以 

て 想 見す るに 足る。 孔穎 達の 尙誊 正義に は 

八 政 者、 人 主 施,, 政 敎於民 r 有,, 八 事, 也、 :: 食、 貨、 祀、 賓、 師、 指, 事 爲_- 之 名 7 

三 卿擧, 官爲, 名 者、 三官 所, 主事 多、 若以, 二字, 爲, 名、 則 所 J* 不 Jl、 故擧 n 官名, 

以見, 義、 

とい ひ、 食 貨祀賓 師の五 は をの 事 を 指して 名と し、 司 空、 司 徒、 司宼は をの 官を 擧げ 

て 名と すと なせ. *^。 彼が 事と 官とを 雜ぇ擧 ぐると いふ は當ら ず、 寧^c彼が不可なft^と- 

せし 鄭玄 の說 の當れ るを覺 ゆ。 鄭玄は 曰く、 

此數 本- 1 諸 其 職 先 後 之宜, 也、 食 謂 T 掌-民 食-之 官 h 若-后 稷, 者 也、 貨 掌-金 帛- 之官? 

洪範を 論ず 六 五 



支那 哲學の 研究 六ナ 

若-周 禮司貨 賄- 是也、 祀 掌-祭祀-之 官、 若- 宗 伯-者 也、 司 空掌洫 k 之官、 司 徒 掌 V 

敎, 民之官 也、 司寇 掌, 詰-盗賊-之 官、 賓 掌-諸侯 朝覲- 之官、 周禮大 行人 是也、 師 掌- 

軍旅-之 官、 若-司 馬 一也、 尙書 正義 所 引 

江聲、 王 鳴 盛、 孫虽衍 等皆鄭 説お 取る。 之 を 要するに 八 政 は 卽ち國 家の 統治 機關 な- 

ク。 之 を舜典 及び 周禮と 比較す るに、 頗る 興味 ある 相違 を發 見すべし。 之 を圖に 示せ 

ば 下の 如し。 

舜典 洪範 周鼸 

后 稷. しう. £ 食 家宰 . 

^-c ::: …… 貨 (司貨 賄) 

秩宗… ::• 祀 …… I 宗伯 

司{^^: •、:: 司 空 ::• • 司 空 

司 徒 ::. 司 徒 ::: 司 徒 



納言 缺 

舜 典と 洪範と は 大同 少 異なれ ども、 外人に 接する 賓と 軍務 を 司 どる 師と舜 典に 缺け 

て洪 範に存 し、 周禮に至.0^ては家宰を設けて百官を總ぶるが如き時代の推移を見るに 

足るべし。 

四、 五紀 五紀と は歲、 月、 日、 星辰、 藝數是 な ftN。 歲を 以て 四時 を紀 し、 月.^ 以 

て 一 月を紀 し、 日 を 以て 一 日を紀 す。 二十 八 宿迭に 見えて 以て 氣節を 叙し、 十二 辰以 

て 日月の 會 する 所を紀 す。 而 して 二十 四 節 氣の度 を曆數 して 以て 曆を爲 る。 五紀 は卽 

洪範を 論ず 六セ 



支那 哲學の 研究 六 八 

ち 民に 時を授 くる 所以、 堯 舜以來 最も 之 を 重んず、 堯の羲 和 氏に 命じて 日月 星辰 を曆 

象した る (堯 典)、 舜の a 璣玉衡 を 察せ しめたる (舜 典) が 如き 卽是 な. cx。 

五、 皇極 天子 は 大中至 正の 德を 以て 臣民の 模範た るべき を 述べた る ものにして、 

洪範九 疇の 內、 もの 最重を 置く 所は皇 極に 在 力、 故に 之を說 明す るると も 亦 頗る 詳細 

を 極む。 今 その 大要 を 記すべし。 

天子 身 を 以て 民 を 率; 3、 民 皆る の 敎に從 は >、 亦淫 過、 朋黨比 周の 惡 なく、 天下 皆 

大中至 正に 歸 すべし。 凡そ 庶民 謀 あ- 爲す あ. 9 守る ある もの は、 汝 宜しく 之 を 收錄す 

べし。 中正に 協 はずと 雖も、 咎 惡を爲 さざる もの は、 其の 所長に 由って 各 之 を 用 ふべ 

し。 汝 宜しく 汝の 顔色 を 安んじて 下人に 謙し、 德を 好む 者に は 之に 福を與 へよ。 然ら 

ば 庶民 皆奮勵 すべし。 孤獨 なる を 以て 之を虐 ぐる 勿れ。 高 明なる を^て 法を枉 ぐる 勿 

れ。 苟も 有 爲の材 能 は 擧げて 之 を 用 ひば 邦 其れ 昌 ならむ。 若し 正 人 を 用 ふる 能 は ざれ 

は人を失ふ.の恐ぁ.0^、 誤って 不德の 人 を 任用せば 遂に 事 を 敗る の悔 あらむ。 君主た る 



道は須 らく 公平無私 にして、 1 點 愛憎の 念 あるべからず。 故に 曰く、 

無, 偏 無 k 、遵- 王之義 T 無瀹 fe: お、 遵-- 王 之 道: *U 有, 作 k、 遵- 王 之 道: 無, 

偏 無 i、 王道 蕩々、 無 JWL 偏、 王道 平々、 無 fenL 側、 王道 正直。 

かくの 如く なれば、 天下 皆 中正に 歸 すべし。 斯道 は 常に 行うて 謬らず、 以て 天下 後世 

の訓 とすべき ものにして、 天意に 順なる 所以の ものな. ON。 故に 曰く-。 

是彝 是訓、 于, 帝 其訓。 

民 皆 此敎に 從はゝ まさに 天子の 光 を 益すべきな ウ。 天子よ く靳 くの 如くならば 卽ち民 

の 父母た るに 負か ざ るな. ov。 故に 曰く、 

天子 作,, 民 父母 7 以 爲,, 天下 王 T 

之 を 要するに 天下 を 治む るの 道 は、 天子 自 から 大中至 正の 德ぁ ftN て 以て 民を敎 導し 材 

能に 任し、 姦邪を 返け、 孤獨を 欺かず 顯貴を 恐れず、 偏な く黨 なく 王道 蕩令 たるべし。 

是れ卽 ち 常 行 不易、 天意に 順なる 所以な. CN。 天子よ く斯の 如く なれば、 よく 民の 父母 

洪範を 論す 六 九 



支那 哲學の 研究 七 〇 

た. 0-、 天下 之に 歸 せざる はなき な ft -。 

六、 三德 三徳と は 正直、 剛克、 柔 克是れ な.^。 三德に 就いては 諸說 あり。 丽 して 

之 を 大別 すれば 二と なる。 

1、 孔穎達 は 僞孔傳 の 意.^ 敷衍して、 三德を 以て 人君 を 謂 ふとな して 曰く、 

此三德 者、 人 之德、 張 弛 有 J 二 也、 一 曰 正直、 言 能 正-人 之 曲 > 使, 直、 二 曰 剛克、 

, 言 剛强而 能 立, 事、 三 曰 柔克、 言 和柔能 治、 

古に あって 王肅ぉ 初と し、 宋 明の 儒者 は 殆んと 悉く 此說 によ.^、 淸朝 はあって は雍 正、 

及び 孫 星衍の 如き、 皆 此說を 取る。 

二、 鄭玄は三德を以て人各ー德ぁ6^とし、 人臣 を 謂 ふとな して 曰。 

正直 中 平 之 人、 克能 也、 剛而 能柔、 柔而 能剛、 寬猛 相濟、 以成, 治 立 k 功、 剛 强、 

柔則 弱、 此 陷,, 于 滅亡 T 之 道、 非, 能 也、 三 德人各 有-二 德 T 謂-人臣-也、 

克を 能と 解す る は 可な り。 然れ とも 剛克 を剛加 能柔、 柔克 を柔而 能剛と 解すべき や 否 



や は 疑問な. 9。 今 暫く 之.^ 措き、 三德を 指して 人臣 を 謂 ふの 說は、 淸 朝の 漢學者 多く 

は 之に 據る C 

二 說は皆 一理 あ.. - 共に 通ず。 然るに 王 鳴 盛 は 曰く、 

鄭云、 三 德擇- 使, 之 者 r 蓋 天子 無, 職、 用乂其 職、 而 天下 之德、 才質不 X 齊、 大約 有- 

此 三等 r 故 隨-其 時 地所 宜用, 之、 若人 君自 有- -此 三德ハ 而隨 k 時以 協- 1 于極 T 此義已 

在,, 皇極 一 e 中, 矣、 鄭 說是、 傳非 也、 £5 案 

頗る 有力の 說な. ov。 然.o^とぃ へども皇極は天下に君臨するの大方針を述べ、 こ ゝには 

三德の 活用 を述 ぶる と 見る も大 なる 支障 を 見ず。 且つ 呂刑 にい へる 、惟敬-一 五 刑 r 以 成-" 

三德 一の 語 は、 偽孔傳 にい ふ 如く 剛柔 正直の 三德 なること 疑な く、 成と は 三德の 人才 を 

養成す るの 意に あらず して、 三德の 活用 を 完成す る 意なる を 見れば、 暫く 正義に 從 

ふ を 可とせん か。 平康は 平安 いふ、 旌徵 中に 家 用 ギ康の 語 あり、 平康 なれば 正直 を 

以て 治 ひべ し。 彊弗友 は强禦 不順、 卽ち剛 能 以て 治むべし。 燮友は 和 順、 卽ち 柔能以 

洪範を 論ず セー 



支那 哲學の 研究 七 二 

て 治むべし。 沈潜 高 明の 語、 偽 孔傳に は 之 を 天地と し 君臣に 配せ る は 取る に 足らず、 

馬融は 

沈 陰 也、 潜伏 也、 陰 伏 之 謀、 謂 S 亂臣 賊子 非-一 一朝一夕 之漸ハ 君 親 無- 將將- 而誅、 高 

明君 子、 亦以, 德懷 也、 

とい ふ。 按ずる に 高 明の 語は皇 極に 無 T 虐 -1 煢獨 T 而畏, 高 明-. と 見 ゆ。 こ- -に 所謂 高 明 

は卽 ちかの 皇 極に いふ 所と 同 1 なるべく、 馬氏の說は當れ.0^、 且し 沈潜 は 高 明の K 對 

して、 必ずしも陰伏の謀と解するを用ねVDるな6^。 明邵寶 曰く、 

三 德之用 五、 所- 以 施, 之 者 三、 世^、 人 也、 地 也、 世 云 者、 周 禮平國 亂國新 國之謂 也,, 

人 云 者 論語 求 也 退、 由 也 兼, 人 之 謂 也、 地 云 者、 中庸 甫方 之强、 北方 之 强之謂 也、 欽 

定書經 所 引。 

三 德の用 五と は經 文に 所謂 平康、 彊弗 友、 變友、 沈潜、 高 明の 五 をい ふ、 周禮 云々 は 

大司寇 之 職の 文な り。 之 を 施す 所以 を、 世、 人、 地の 三と い へる は 其義具 さに 備 はれ 



hsc 王 鳴 盛 は 之 を 人臣に 就いて いふと なすが 故に 時、 地の 二と し、 邵寶は 之 を 人君 は 

就いて いふと なすが 故に 世、 人、 地の 三と するな ft.。 雍正は 曰く、 

三德 者、 所 n, 以宜, 民 善, 俗、 協, -之于 中: 當 敎化 上: 而 刑賞自 兼用お 之、 宋元諸 儒、 

大槩 從,, 世 道 上, 說、 如, 呂刑 所謂 刑罰 世輕世 重、 周官 所謂 刑-新 國, 用 fe 典: 刑- 亂 國- 

用-重 典 T 刑-平 國- 用, 中 典 h 似,, 說向, ニ邊, 去 ハ邵氏 兼- 1 世與, 人與. ^地 言, 之、 其義較 

備。 欽定 書經。 

當 年の 意 は 必ずしも 邵 氏の 說の 如く 精緻なら ざるべし、 然れ ども 如上の 意 を 含 ひとい 

ふ も 亦 妨げず • 而 して 之 を 後人の 鑑戒 として 讀む際 は 必す雍 正の い ふが 如く 解せ ざる 

可から ず。 次に 經 文に 

惟 m 作, 福、 惟 辟 作, 威、 惟 辟 玉 食、 臣無, 有, 1 作 J 鹏作, 威 玉 食: 臣之 有-作 JS 作, 威 玉 

食: 其 害,, 于而 家: 凶,, 于而 國? 

とい ふが 如き、 君臣の 分 を 明らかにし、 君主の尊嚴を犯す勿からしむるな.0^。 後の 法 

洪範を 論ず 七三 



支那 哲學の 研究 七 四 

家 者 流 は、 特に. 此點. ^重視せ る ものな fcN。 

七、 稽疑 卜筮の 人 を 採用し、 事の 疑 はしき は 之 を 卜筮せ しひ。 龜を 卜と いひ。 蓍 

を筮 とい ふ。 易 を伏羲 氏の 作と せば 亦 噪喋を 要せず、 若し 伏羲氏 卦を畫 する は 疑問な 

i とする も、 易が 周 代 以前よ ft> 行 はれし 乙と は 勿論なる ベく、 周 官大卜 三 易の 法 を 司 

どる、 曰く 連山、 歸藏、 周易、 その 經卦各 八、 をの 別 各 六十 四と い へば、 洪範に を 

いふ も 怪しむ に 足ら ざら む。 卜筮の 長短に 就いては、 僖四年 左傳に 筮短龜 長の 語は盖 

動かすべからざる 斷案 ならん。 孔穎 達が 之を辨 じで 龜筮智 等しと いへ る は、 洪範の 本 

文 を 解す るに 於いて は當 さに 然るべきに 似 たれ ども、 上代の 一 般の 習俗よ 6- い へば 恐 

らく は當ら ず。 卜に は 五 兆 あ. ON 曰 雨、 曰霽、 曰 蒙、 曰驛、^:克是な.o^。 筮にニ あ 6N、 

曰く 貞.、 曰く 悔是 なら。 五 兆のう ち、 雨と は 僞孔傳 に 似 雨 者と いひ、 霽は 似, 一雨 止 1 者 

と いひ、 蒙 は 陰閽、 驛は氣 落 不一 一連 屬ハ克 は^ 相 交錯と いべ.^。 卜 法に 就いては 諸家 說 

をな す もの あ 6 しが、 其 精確なる 事 は 到底 知る 可から ざ. しも、 彼の 殷墟 よら 得た る 



龜 w '獣 骨の 卜に 使用せ しものに 就いて 之 を考 ふれば、 略 其の 法 を 窺 ひ 知る ベ きが 如 

し。 ,v は 暫く 之 を 措き 古代に あ. 9 て 卜筮 を 以て 疑 を 決せし は、 卽ち 神慮の 在る 所 を 察 

する 所以 なれば その 重視 せられし 7- と 想 見すべきな ft^。 

さて 洪範 には龜 筮の應 用に 就いて 說を なして 曰く、 三人 占へば 二人の 言に 從ふ。 そ 

の 多 數に從 ふな ftN。 若し 乙 乙に 事 あ 6> て 疑惑せ ざる 時 は、 君主 は 先 づ之を 思慮し、 更 

に 之 を 卿士に 謀. o、 次に 庶 人に 及び、 次に 卜筮に 問 ひて 之 を 決すべし。 衆 口 1 致、 龜 

筮 共に 從 ふとき は 之 を 大同と いふ。 其 身康彊 にして 子孫 皆吉 な-^。 汝の 可とする 處、 

龜筮 共に 可とすれば、 卿士庶民否とするも吉な.<^。 卿士 可とし、 龜筮之 を 可とすれば、 

君主と庶民と否とするも吉なft^。 以上 は 皆 名 數に從 ふが 故な 6N。 若し 君主と 龜と 可と 

し、 鼓、 卿士、 庶民 否と する 時 は、 之 を 國內に 於て する は吉 なれ ども、 之を國 外に 於 

てす る は 凶な. 9。 例へば 祭祀 冠 婚に可 なれ ども、 以て 師を 出し 征伐すべからざる が 如 

し。 人 皆 之 を 可とする も、 龜筮 共に 否と する 時 は、 謹し みて 事を擧 ぐる 勿れと。 

洪範を 論ず セ五 



支那 哲學の 研究 セ六 

八、 庶徵 庶徵と は 雨、 暘、 澳、 塞、 風、 時是 なウ。 雨暘澳 寒風の 五者來 6 備は 6,、 

各 其 叙 を 以てし、 皆 その 時の 宜しき を 失 は ざれば、 庶草 蕃殖す。 若し 其の 一 極備 なる 

か 極 無なければ 凶な ゥ。 庶徵に は休徵 及び 咎 IS の 二 あ 力、 君の 行爲の 如何によ. c> て、 

或は 休 徵來ぅ 又は 咎徵 生ず。 



休徵 

肅 なれば 時雨 之に 從ふ 

乂 なれば 時 陽 之に 從ふ 

皙 なれば 時澳 之に 從ふ 

謀 なれば 時 塞 之に 從ふ 

\聖 なれば 時 風 之に 從ふ 



咎徵 

狂 なれば 恒雨 之に 從ふ 

僭 なれば 恒暘 之に 從ふ 

豫 なれば 恒燠 之に 從ふ 

急 なれば 恒寒 之に 從ふ 

蒙 なれば 恒風 之に 從ふ 



王の 職 は】 切 を 兼ね 猶歲の 四時 を 兼ぬ るが 如し、 卿 士の職 は 月の 如く、 師尹は 惟れ 

日の 如し。 歲 月日の 三者 各 その 常に 從へ は百穀 成. CN、 君臣 易 はる 無ければ 政治 明かな 



賢 良 登用せられ 國 家平康 なら。 若し 三者 その 位 を 易 ふれば 百穀 成らず、 國 家昏亂 

して 賢 良 隱れ、 君 その 柄 を 失 ひ權. 臣命を 擅に すべし。 庶民 は譬 へば 星の 如し。 星に 風 を 

好む あ ft> 雨 を 好む あ ft>。 民の 好惡 同じから ざる i 亦然 6N。 日月の 運行 は 冬 夏 あ 6N、 君 

臣の關 係 は 常 法 あ. CN、 宜しく 民の 好惡を 察して 之 を 治むべし と。 此點に 於いて 洪 

啻に 譬 ft 的に 君臣の 關 係を歲 月に 比する のみならず、 人事 は 天象と 密接の 關係 あるる 

と を 認め、 君の 行爲 如何 は 直ちに 庶徵 となって 表 はると なせ *。 漢代 以後に 盛 行せ し 

五行 說は實 にこの 點に 於いて 洪範 に本づ く。 

九、 五福 六 極 壽 -富* 康樂 • 攸好德 -考 終 命 を 五福と S ひ、 凶 短 折 .疾. 憂 • 貧 弱 

を 六 極と いふ。 洪範に は 唯 五福 六 極の 名 を列擧 する のみに して、 別に 之が 說明を 加へ 

ず。 思 ふに 五福 は 天意 を泰 戴して よく その 職責 を盡 くす ものに 對 する 恩賞に して、 六 

極 はもの 反對 なる ものに 加 へらる る 神罰なる べし。 孔穎 達の 疋義 に、 

五福 六 極、 天 赏 得, 爲, 之、 而 歷-, 言此, 者、 以 X 生,, 於 世; 有, -此福 極 r 爲, 善 致 J 鹏、 

洪範 を, 論ず 七 七 



支那 哲學の 研究 七 八 

爲」 3- 致&、 勸, 人君, 使お J* 也。 

へる は 確 論な ft^。 

洪 範九晴 の內、 最後の ニ個條 は、 君主が よく 洪範を 遵奉す る や 否やに 對 する 賞罰に 

して、 實に 君主の 行爲を 制裁す る 所以な.^。 庶徵は 君主が 代表す る國 家に 對 して、 團 E 

的に 下さる、 制裁に して、 五福 六 極 は 君主に 對 する 個人的の 制裁な り。 君主 は I 園の 

代表者な るが 故に、 君主の 一言一行ば、 個人的の 制裁 を 蒙む ると 共に、 又圑體 的の 庶 

徵とな.c^v-見はる\な6^。 而 して 庶徵は 寧 君主の 行 爲に對 する 警戒と も 見るべく、 

福 極 は 寧ろ 直接の 賞罰と も 見るべきな..^。 禮記昏 義篇に 曰く、 

男 敎不, 修、 陽事不 J_ お、 適 見-於 天? 日爲, 之 食、 婦 順不, 修、 陰 事不, 得。 適 見-於 天 f 

月爲, 之 食。 

中庸に 曰く、 . 

國 家將, 典、 必 有,, 顏祥; 國 家將, 亡、 必 有- 妖孽ー . 



是等は 政治の 如何が 庶徵 とな 6s て 表 はる、 を い ふな ftvc 中庸に 曰く。 

大德必 得-其 位 T 必得 其 祿ハ必 得- 1 其名ハ 必 得-其 壽, :: 故 大德者 必受, 命。 

是れ德 ある 者の 天 賞 受 くる を 言へ るな. ON。 洪範の 思想が 後世に 行 はる 、もの、 此類 

猶 多し。 今一 . ^之 を 列擧 せず。 庶徵卽 ち圑體 的の 制裁 は、 君主 若しくは 有力者の 行爲 

にして 初めて 天象 を 動かすべし。 福極卽ち個入的の制裁は獨6^君主のみに止まらず、 

臣民 も 亦よ く 天意に 順 なれ は 福 を 得、 天意に 順 は ざれば 極 を 得べ し。 卽ち 君主 は 勿論、 

臣民と 雖 も富壽 なる は 天意に 順なる が爲 めして、 貧に し C 且つ 夭す る は 天意に 順なら 

ざるが 爲な fts。 若し 政治的に 何等の 關 係なければ、 臣民 は 福 極 を 得る に 止 ^^<れ ども、 

もの 行爲が 政治 上に 關係 あれば 或は 君主の 恩賞 を 受け 或は 刑罰 を受 く。 此の 場合に 於 

ける 賞罰 は 君主が 天に 代って 臣民 を 賞罰す る 所以な .c>。 泉陶謨 に。 

天 叙-有 典: 勅-我 五 典 7 五惇 哉、 天秩 -有禮 r 自- 我五禮 r 有, 庸哉、 同赏 協恭、 和衷 

哉、 天命- _ 有德 7 五 服 五 章 哉、 天 討,, 有罪 r 五 刑 五 用 哉、 政事 懋哉懋 哉。 

洪範を 論ず 七 九 



支那 哲學の 研究 八 ◦ 

とい ふが 如き、 上述の 精神 を 以て 之を讀 まざれば 到底 解すべからざる な ft^。 檀弓 上に 

曰く、 

子 夏 喪-其 子- 而 喪-其 明: 曾 子 I? 之 曰、 吾 聞, 之 也、 朋友 喪お 則 哭乏、 曾 子哭、 子 

夏亦哭 曰、 天 乎予之 無, 罪 也、 曾 子 怒 曰、 商、 女 何 無 也、 吾與 k 女、 事-夫子 於诛 

泗之間 【退 而老- 西 河 之 上ハ使 M- 西 河 之 ar 疑 * 女 於 夫子 ハ爾罪 1 也、 喪- -爾親 r 使-, 民 

未, 有. 簡焉、 爾罪ニ 也、 喪-, 爾子, 喪- 爾明 S 罪 三 也、 而 曰-女 何 無 與、 子 夏投- 其 

杖, 面拜 曰、 吾 過矣、 吾 過矣、 吾 離 群而索 居、 已 久矣。 

子 夏の 如 さは 卽ち 個人と して 天罰 を 受けた る 1 例な ft.。 斯 くの 如く 君主 若く は 臣民の 

行爲 如何よ -9 て 直ちに 賞罰 を受 くと して、 病災 不幸の 如き も 皆 天罰と 解釋 する は、 蓋 

單 純なる 上代の 思想な. c>。 人事の 複雜 なる 必ずしも 斯 くの 如く 軍 純なら ず。 極惡 無道 

なる rJ と 盜跖の 如くして 壽覷を 得、 正 人君 子 反 ゥ て 不幸 短命に して 死す る もの 顔囘の 

如き あ.^。 換言すれば 禍福が 正義の 行爲と 正比例す る 時 は、 上述の 點に 就いて 疑問 を 



生ずる ことなし といへ ども、 禍福が 正義の 行爲と 反比例す る 時に 當っ では、 斯人 にし 

てこの 疾ぁ, 5 との 歎と な- os、 所謂 天道 是か非かの 疑な き 能 はず、 是に 於いて か 老列楊 

莊の 如き は 極端なる 宿命 觀を 以て 僅かに 安立 を 求 むれ ども、 儒敎 にあ 6N ては卽 ち然ら 

ず。 孟子 曰く。 

天將, 降,, 大任 於是人 i 也、 必先 苦-其 心 志 r 勞-ー 其 筋骨 『餓- 其體膚 乏其 身: 行拂 _,亂 

其 所, 爲、 所 3 以動 \5 忍, 性、 曾:: 益 其 所- 不, 能、 享下。 

艱難 は 汝を玉 成せし めんが 爲に 降され たる 天の 恩寵と 觀 して、 天 を 信ずる こと 愈 堅 

く、 毫も 天道の 是非 を 疑惑せ ざるな. ov。 かの 張 撗渠の 西銘の 下半 はミの 意味 を 一層 强 

く 言 ひ 表 はせ る ものな. *>。 之 を 舊約全 害に 見れば、 約 百 記 四十 二 章に 述 ぶる 所の 約 百 

が 幾多の 試みに 對 して、 毅然として 動かず、 もの 神 信ずる こ と 愈 確固た ftv しが 如き 

は、 卽ち 孟子 撗渠の 思想に 類す る ものな 6,。 然し 如上の 思想 は 人智 や 、進歩した る 後 

に 起るべく 上代に あ. 9 て は洪範 にいへ るが 如く 行爲 如何によ ft> て 福 極を受 くと なせる 

洪範を 論ず 八 1 



支那 哲學の 研究 八 一一 

は 蓋 當然の 信仰なる べきな. 5。 、 

之 を 要するに 洪 範の學 は、 自己の 德を養 ふ 所以よ 6^、 天下 國家を 治む る 所以に 至る- 

まで、 之 を 組織的に 叙述せ る ものな う。 五 事 は卽ち 自己の 德を修 むる 所以な 6N。 聖人 

は 五 事 を 以て 德を 修め 中正 を 履み、 有 極 を 建て k 民 を 導き、 風 を 移し 俗 を 化し 悉く 中正 

の 德に歸 せし む。 故に 九 疇の 內、 最も 重き を 置く K は皇 極に あ. 9、 故に 皇極を 以て 九 疇 

の中に讀けh^。 而 して 五行 を 修め 八 政を齊 へ、 五紀お 治めて、 以て 民 をして 各 其 所 を 

得しめ、 躬ら 三德を 以て 國 家に 臨み、 事の 疑 はしき は 之 を 卜筮に 考 へて、 以て 鬼神と 

其 吉凶 を 合 はせ 庶徵を 察し 陰陽.^. -燮理 して 以て 四時と 其 序 を 同じう す。 新の 道 は卽ち 

天意に 順にして 先王の 以て 敎 となす 所以な ft. 。 果して 斯の道 をよ くせば 卽ち 五福 を 得 

VHハ極.i^違るべきな.<^。 其の 立論 正大、 條理 整然、 之 を 中外に 施し 古今に 通じて、 實ー 

に 洪範の 名に 負かざる ものと いふべ し。 



孔子の 三 大事 業と 一 貫の 道 

孔子 は 山 東 曲 阜の片 田舍に 一村 長の 子と 生れ、 幼に して 孤と な 64 ぶ も 亦 貧しく、 或 

は會庫の書記とな.^或は牧畜の小吏とな.=^て僅にロを糊せしが、 其の 非凡なる 資性に 

加 ふるに 熱心なる 勉勵ぉ 以てして、 弱冠に して、 早く 巳に 其の 名 を 國老に 知られ, 子^ 

の來 たり 學ぶ もの 漸く 多く、 年と 共に 其の 德長 ずるに 及び、 1 躍して 國政を 料 斑す る 

局に 當. ON、 居然と して 國 君の 師 とな fts 、不幸 幾 も 無く 失敗す るに 及び、 鄕國を 去. 5 四方 

を 周流して 道 を 天下に 行 ひ 蒼生 を 救 はんとせ しも、 遂に 意 を 得ず して 鄕 里に 終老 せら 

れた。 其の 七十 餘 年の 一生 は 決して 多幸で は 無かった。 當 時の 王侯 は 其の 生 時に あ fcN 

て は 金 殿 玉 樓に超 臥して 孔子の 違令と して 席 暖かなら ざるに 似ず、 珍羞 方丈 孔子の B 

餓 ゆるが 如くなら ず、 供奉 幾 百 常に 顔色 を 承け 未お 言 は VD るに 聞き 未だ 命ぜざる に從 

ひ、 何 1 つと して 意の 如くなら ざる は 無かった。 然し 1 旦 家中の 人と なれば 杳 として 

化 子の-三 大事 業と 一 貫の 道 八 三 



支那 哲學の 研究 八 四 

亦 聞く 所 無いで はない か。 孔子 は 其の 生 時に あらて も 不遇であった が、 其の 遺風 は 

四海に 溢れ 年を經 るに 從 つて 益 其の 光輝 を發揚 せんとす。 これ 果して 何の 爲か、 予は 

私に 謂へ らくこれ 卽 孔子の 一 生涯に 於け る 三 大事 業 及び 其の 生涯 を 一 貫せ る 偉大なる. 

精神に よる ものである。 三 大事 業と は 曰く 經世的 事業、 曰く 敎育的 事業、 曰く 述删、 

而 して 之 を 1 貫せ る大 精神 は卽ち 仁で ある。 孔子の 三 大事 業 は 凡て 孔子 仁 德の發 現に 

外なら ず。 近來 孔子に 就ての 論評 も » からず 世に出で、 予も亦 先に 孔子 敎を著 はして 

孔.: 敎の 大意 を 叙述した が、 孔子の 眞 面目 は實に 上述の 點 にあら 思 ふ。 請 ふ 頓序を 追 

ぅ^-^其の大耍を說明せむ。 

一 經世 的蓽業 

孔子 は 晩年に 至って 自ら 其の 一 生 を 回顧して 十 有 五に して 學に 志す と 述べられ、 

此の 志 學とは 私見に よれば 卽ち 先王の 道を學 び、 以て 天下 萬 民 を 救 はんとの 志 を 確立 

. - 一- 

せられた ことで ある。 當時周 室 は 有れ ども 無き が 如く、 諸侯 放恣に して 互に 强を 爭; S 



民 其 生 を 安ん ずる 乙と が出來 なかった。 孔子 はか V る 世の中に 出 でられた ので、 其の 

至大なる 同情心 は 痛切なる 威慨 とな 到底 默 止す るに 忍びず、 如何にもして 世 を 治め 

民 を 救 はんとの 大志.^ - 起された ので ある。 故に 主として 先王の 道を學 び、 堯舜 以來の 

大憲修 己 治 人の 義を 思; 5、 非常なる 熱心 を 以て 自己の 修養 を 積み、 著々 として 進境 あ. 

え 三十に して 而立の 域に 達し、 經 世の 大方 針 は已に 確立して 眼底に 明と なった。 其. 

の 大綱 は 主として 左の 五個條 である。 

第 一 大義.^ 明に し 名分 を 正す こと 

第二 德治 主義の 確立 

第三 民力 休養 を 謀, 9 國民敎 育 を 振興すべき f 

第 四 禮樂の 制定 

第五 人才 を 登庸す ぺ きこと 

修己治 人 は 堯舜以 來の+ 、憲 である、 卽ち 君主 は 身 を 以て 天下の 模範、 に. ib ねばなら 

孔子の 三 大事 業と! 貫の 道 八 五 



.flK 那哲學 の 研究 八 六 

ぬ。 而 して 政治の 大綱 は 上述の 五 個條の 外に 出で ぬ。 今 孔子の 言行 を雜へ 引いて 1 令 

其の 實證 を擧^ る こと は 到底 此の 簡單な 論文の 盡 くす 所で 無い から 其の 大 耍を云 へ 

ば、 第一に 孔子が 春秋 を 著 はされ た 翼 意 は、 孟子の 云 ひし 如く 大義名分 を 明に せんが 

爲 であった。 其の 他 孔子が 泰伯 • 文 王 を 至 德と稱 し、 三桓の 僭越 を 憤.^、 正 名 を 以て 衞 

の亂を 平ぐ るの 第一 法と し、 或は 陳恆の 逆 を 討たん とせられ しが 如き、 皆 此の 爲 であ 

る。 第二:^ 其の 德政を 主張 せられし 乙と は、 政を爲 すに 德を 以てすれば 北辰の 其 所に 

居て 衆 星の 之に 共 ふが 如しと 云 ひ、 或は 之 を 道く に 政 を 以てし 之を齊 ふるに 刑 を 以て 

すれば 民 免れて 恥づる t と 無しと 云 はれた I とに 因て 知る 乙と が出來 る。 第三に 孔子 

は 乙の 德政を 施す に 就て 先 づ民を 富まし 而 して 後 之に 敎 ふる 道 を 以てせん とせられ 

た。 民 を 富ます 爲には 積極的に は 種々 の 施設が 無ければ ならぬ、 消極的に は 國用を 節 

して 民の 時 を 奪 はぬ 樣 にせねば ならぬ、 かくて 民力 休養の 實擧 -^、 民 をして 衣食に 窮 

する 乙と 無から しめて 後 之 敎へ 國民敎 育の 振興 を 計らん とせられた。 かの 民 を 愚 K. 



する 政策 は 老莊哲 學の敎 ふる 所、 法 家 者 流の 主張した 處で、 孔子の 意で は 無い。 第 四. 

に 周 は 夏 殷のニ 代に 監み 郁々 として 文なる ものであった、 故に 孔子 は 主として 周の 制 

度に 依られた けれども 亦 其 間に 取捨 をな す 志が あつた。 孔子が 顔 回に 語 ftN て 夏の 暦法 

を 行 ひ殷の 車に 乘り 周の * を 服し 舜の 音樂を 執る と 云 はれた のによ つて、 大約 其の 禮. 

樂 制定の 方針 も 想像す る ことが 出來 る。 第五に 孔子 は 人才 登庸 を 重んじ 國 政の 興 廢は 

1 に 繋って 其の 人 を 得る や 否やに 在 fts とせられた。 卽ち 哀公に 答へ て 其人存 すれば 其 

政擧, 其 人 亡ければ 其 政 息む と 云 はれた。 

以上の 五大 綱 は已に 孔子の 胸中に 定まった が、 之を實 際に 施設せられ たの は、 卽ち. 

魯に仕 へ て司寇 となられ た 時で ある。 孔子の 相と なるや 其德は ほら 人民に 徹底して 幾 

も 無く 一 國 翕然と して 風に 嚮 ふた。 而 して 孔子 は 三 桓の權 を 殺ぎ 魯の公 室の 勢 を 張ら 

ん とし、 三桓 の根據 となせ る 三 都.^ 墮っ策 を 建てられ たが、 不幸に して 其 業 成る に垂 

ん として 中途に して 敗れた けれども、 實に其 大義名分 主義 を赏行 せんとし たので あ. 

孔子の 三 大事 業と 一貫の 道 八 七 



支那 哲學 の硏究 . 八 八 

る。 之 を 外にして は夾 谷の 會に 於て 齊人は 孔子 を 以て 禮を 知れ ども 勇 無しと 思 ひ、 武 

力 を 以て 魯を壓 服 せんとし たが、 孔子 は 武備 を嚴 にして 禮を 執って 動かず、 よく 弱 

を 相け て 强齊の 暴 を 制し、 以て 國勢を 張った 如き、 其の 實際的 手腕 も 偉大な. o し rJ と 

が 分かる。 唯 其の 位に 在る でと 餘り 短日月であった 爲に、 充分に 其の 大經綸 を 行 ふの 

遑が 無かった の は遺慽 である。 魯を 去って 後 四方 を 周流せられ たの は 民 を 救 はんが 爲 

めであった、 之が 爲に 或は 不可なる を 知って 強て 之を爲 す 者との 批評 を 受け、 或は 己 

を 知る 無くん ば 止まん のみと も 評せられ、 或は 又 天將に 夫子 を 以て 木鐸と 爲 さんと す 

i も 評せられた。 

一一 教育的 蓽業 

周の 盛 世に 於て は 王宮 國 都よ. 閬 巷に 至る まで 學 校の 設 あらざる 無く、 師儒 は 子弟 

を敎 へて 道 を 知らし め、 敎 育の 制度 は 完備して 居った が、 周の 中葉 以後 は 周 室 衰微し 

て諸侯放恣とな6^、 敎 育の 制度 頹廢 して、 天下 * 唔 の聲絕 えて 刀 槍の 響の みとな つた 



孔子 は 乙の 際に 出 でられた ので、 孔子 弱冠の 頃 巳に 其の 名 を 聞い て 來り學 ぶ もの W か 

らず、 魯の國 老孟僖 子 も 亦 其 二子に 遺囑 して 就て 學ば しめた。 

孔子 は圓满 至聖の 性格 を 以てして 身 を 以て 子弟の 模範と なられた。 其の 1 擧手 1 投 

足 は 皆 子弟 を敎 ふる 所以で ある。 而 して 其の 人を敎 ふるに は 毫も 差別 を 置かず 進んで 

聞かん とする 者に は 喜んで 之を敎 へ、 兩端を 叩いて 竭 くさ ずん ば 止まず、 循 々として 

善く 人 を 誘 ひ 子弟 をして 罷 まんと 欲して 罷む能 はず 各 其の 才を竭 くさしめ た。 孔子の 

如き は眞に 天成の 敎育 家で ある。 孔子 は 嘗て 自ら 人を誨 へて 倦まず と稱 した。 この 人 

を誨 へ て 倦まず と 云 ふこと は 容易なる に似て 實は 甚だ 困難なる ことで ある。 身 親しく 

敎 育の 任に 當 つた 人 は 必ず 我が 言 を 首肯 せらる 、であら ラ。 乙れ は 子弟に 對 して 胸中 

に 溢る く 計の 同情 ある 者に 非 ざれ は 決して 不可能の ことで ある。 若し 果して 眞に 子弟 

に對 する 同情の 偕 値 を 知る もの あらば、 其の 人 は 卽ち眞 成の 敎育 家で ある。 孔子 は絕 

大の同 倩 を 有せられ たるが 故に、 よく 子弟の 性情 を 知 ftN 各 其 性に 從 ひて 其の 才を 成就 

孔子の I 一一 大事 業と 1 貫の 道 八 九 



ま那 學 の硏究 九 〇 

せし むる tu を 得た。 孔子の 敎授法 は 所謂 啓發 的に して、 孔門の 敎科は 詩 書禮樂 であつ 

たが、 之れ 等 は 抑 も 末で ある。 其敎 育の 大本 は實に 此の 同情であった。 故に 孔子の 子 

弟 は 皆 孔子 を崇拜 して 生 民あって 以來 未だ 孔子の 如き は 有らず とし、 其の 遺風 は 天下 

後世 を 感化して、 萬 世の 師表と なられた ので ある。 

一一 I 述 删 

孔子の目的は民を救ふに在.0^、 不幸に して 其 經世的 事業 は 充分 之 を 世に 行 ふると を 

得ず して 終った。 孔子が 人才 を敎 育した の も、 其の 主要の 目的 は 經世濟 民に 在った。 

子弟 をして 己の 遺志 を繼 いで 道 を 天下に 行 はし めんが 爲 であ ゥた。 故に 其の 最囑 望し 

た 高足の 弟子 顔 回が 沒せ しとき は、 哭して働するに至6^、 天 我 を 喪 せら 天 我 を 喪せ 

と 歎ずる に 至った。 晩年に 至って 其述 刪に カを盡 くした の も 亦 實に大 なる 寓意 ある 7- 

と を 看取せば ならぬ。 他な し、 道の 天下に 行 はれざる を 知. CN て、 空しく 遺經に 託して 

敎を萬 世に 垂れた ので ある。 其の 用 意 の 周到なる、 其の 生 民に 眷々 たる、 眞に 感嘆の 



外 は あらず。 

詩 g: 跨 樂は卽 ち 孔門の 敎科 とせる 所。 周 初 よら 春秋 時代に 至る まで 常に 之 を 尊びし 

と雖 も、 特に 孔子 は 之 を 以て 子弟 敎へ、 當時 其の 殘缺を 整理せられ た。 史 記に 云 ふ 

所、 詩もと三千餘篇ぁ,o^しを孔子删ft^て三百五篇となすの說、 尙書緯 に 云 ふ 所、 書 凡 

も lli 千 二百 四十 篇ぁ ft> し を 孔子 删. 9 て 百 一 1 篇 となす の說 は、 決して 信す ベ から ざれ ど 

i 殘缺 せる 詩 書が 孔子に 因て 整理せられ し は事實 である。 易 は 孔子の 熱心に 研究し 

てよ く 之を學 ば、 大過な きに. 至らむ と稱 せられし 所、 十 翼 は 必ずしも 孔子の 自ら 記述 

せられた る ものに 非れ ども、 孔子の 思想の 大部 は 十 翼 中に 存す。 若し 夫れ 泰 秋に 至つ 

て は 孔子 暴 生の 心血 を 傾注し、 魯史を 筆 削して 此の 書 を 成されし もの、 孔子の 道は此 

の 書に 因て 知る 事が 出來 る。 是の 故に 孔子 曰く、 我 を 知る 者 は 其れ 惟 春秋 か、 我 を 罪 

する 者 は 其れ 信 春秋 かと、 以上 六 經に加 ふるに 論語の 1 誊ぁ 6/ 因て 以て 孔子の 實行 

せられた 所を詳 にす る M と を 得。 孔子 敎の 天下 後世に 大 影響を及ぼせし は、 其の 人格 

孔子の 三 大事 業と 1 貫の 道 九 1 



支那 哲學の 研究 力 1, 一 

の 偉 なる によると は 云へ、 赏 に六經 論語の 儼として 存す るが 爲 である。 

四 I 貫の 道 

孔子の 一 生に 於け る 事實は 上述の 三に 止 るに 非ず。 孔子 は 非凡なる 資性 あ. ON しと 

は 云へ、 志學ょ,?^て悠.>自適の域に到達せられたるが如きは、 實に 絕大の 事業と 云 

はねば ならぬ。 然れ どもる、 に は 孔子の 外界に 向っての 大事 業を數 へて 以上の 三 を 得 

たので ある。 而 して 此の 三 大事 業 は 勿論、 孔子の 一 生 を 通じて 一貫した 道が ある。 孔 

子 も 亦 自ら 稱 して 我が 道 一 以て 之,^ "一貫く と稱 せられた。 蓋し 孔子 一 貫の 道は發 して 經 

世的事業とな^^、 敎育的事業とな.《^、 或は 述删 ともなった ので ある。 一 賞の 道と は 何 

どや、 曰く 他な し、 仁是 な. 9。 

孔子の 胸中に 溢る.^ 忠恕の 念、 「片 惻隱の 心、 世の 亂離を 見る に 忍びず しに 經世濟 

民の 大志 を 起す に 至らし め、 之が爲めに自彊不息終に大聖とな.=^、 之が 爲 めに 經 世の 

大方 針 實 行せ, < とし、 之が 爲 めに 天下 を 周流し、 之が 爲 めに 子弟.^ 5^ 育し、 之が 爲 



めに 天下 後世 を盧. て 述删の 大業 をな すに 至った, p である。 孔ネの 言行 頗る 多端な J 

と雖 も、 其の 根柢に は 儼として 孔子 仁徳の 恰も 大 磐石の 如く 動かす 可から ざるち. の あ 

る,^ 見るべし。 故に 曰く、 孔子の 一生 を 通じて 1. 賞せ る大 精神 あ. 0/ 曰く, a 是 也と。 



. ン e ぉ失モ 

扎 子の 11 一大事 橥と 一 貫の 道 .21 



支那 哲學の 研究 

教育家と しての 孔 夫子 

孔子 は兒 たらし 時、 常に 俎豆 を陳ね 禮容を 設けて 嬉戯した とい へば、 其 資性 巳に 凡 

庸で 無かった と 思 はれる。 然れ ども 當 時の 人 も往々 批評した 樣に、 天 縦の 聖人と か 成 

は 生れながら にして 知る 者と かいふの では 無い。 孔子が 自 から 十 室の 邑、 忠信 丘の 如 

きもの あらとい ひ、 又 吾れ 生れながら 知る 者に 非ず と 言 はれた の は、 決して 虚偽で も 

無く、 決して 謙遜で も 無く、 事實其 儘で ある。 孔子 は 非常なる 奮勵 努力の 結果、 —所 

謂敏 求の 結果、 終に は 大聖の 域に も 至られた ので ある。 十 有 五 k し學に 志す よ. 始ま 

つて、 漸次 進境 あ. 9、 七十に して 心の 欲する 所に 從 つて 矩を踰 へざる に 至った ので あ 

る。 孔門に 遊ぶ 者 は、 目の あた. 9 之 を 見聞した とき、 いかに 心强く 感じた であら ラ。 

彼等 は 蓋し 思った に 違 ひない。 吾等 も 夫子と 同じ 樣に 奮勵 し、 同じ 樣に 努力 さへ すれ 

:ぱ、 夫子と 同じ 樣に なれぬ 事 は 無い 箬 であると。 而 して 孔門 弟子の 內で, 最も 熱心に 



孔子 を學 ばんと したの は、 いふ 迄 も 無く 顏囘 であった。 即ち 顔 囘は舜 何人 どや、 予何 

人 どやと 言って 居る では 無い か。 孔子 も 其の 努力 を 認められ たので、 顏囘を 評して 學 

を 好む と 言 はれ、 其 聰明.^ 愛して は囘ゃ 愚なら ずと も、 其 默識心 通 を 喜びて は、 囘ゃ 

我. V 助ける 者に 非ず とも 言 はれ、 また 或 時には 我れ 囘に 如かず とも 激賞せられ たので 

ある。 然し 孔子の 如く 學を 好み 孔子の 如く 敏求 する こと は、 顏囘 と雖も 容易で 無 かつ 

た。 顏囘は 遂に 嘆 じて、 

之, -ヶ 仰げ ぱ彌 e 高く、 之, V 鑽 れば彌 e 堅し、 之を瞻れば前に在.c^、忽焉後に在ft^、夫子 

循令 として 善く 人 を 誘 ふ、 我 を 博む るに 文 を 以てし、 我 を 約す るに 鱧?. J 以てし、 ゃ罷 

めんと 欲する も 能 はず、 旣に 吾才 を竭 す、 立つ 所 あ, 9 て卓爾 たるが 如し、 之に 從は 

んと 欲すと 雖 7^ 由な さの み、 

と 言った ので ある。 其 ほか 子 貢 は . 

夫子の 及ぶ 可ら さる は、 天の 階して 升るべからざる が 如し。 

敎育 家と しての 孔 夫子 九 五 



支那 哲學 の. 研究 九 六 

と 言び、 公 ■ 華 はま さに 唯.. 弟子 學ふ^ はずと 言 ひ、 冉 求の 如 さは、 夫子の 道 を 說ばさ 

るに あら ざれ ども、 力足ら ざれば な とも 言 ふに 至った。 

然し 孔子が 循<- として 子弟 誘 はれた こと は、 顔囘の 言に よって 知る ことが 出来る 

し、 また 

譬 へば 山を爲 るが 如し、 未だ 成らざる 一 贊:: して 止まる は 吾 か 止まるな ft^、 譬 へば 

平地の 如し、 一 *;を覆すと雖も進むは吾が往くな.《^、 

とも、 或は また 

若しよ く 一 日 其 力 を 仁に 用. Q る もの あらん か、 我れ 未だ 力足らざる もの を 見ず、 

とも 言って、 絕 えず 子弟 を激勵 せられた のに 因って 知る 乙と が出來 る。 兎も角も 子弟 

をして 罷 めんと 欲する も 能 はず、 各.. 其 全力 を盡 くさしむ ると いふの を见れ ば、 其の 如 

何ば から 訓育の 秘訣 を 自得せられ たかを 察する ことが 出 來ゃラ と 思 ふ。 即ち 他で は 無 

孔子が 自 から 言. はれた 様.^、 人を誨 人て 倦 1H ない とい ふ. 1 a にあ, る。. 彼の Jtv 人 



不, 倦と いふ 乙と は、 甚だ 平凡な やうで、 實は 決して 容易で ない。 聰明な € 徒なら ば、 

其の 進境が 日に 月に 見える から、 生徒 自身 も 舆味を 持つ が、 敎師 としても 實に樂 しみ 

な 事で ある。 然し 愚鈍な 生徒で、 いくら 敎 へても 左の 耳から 入った 事 は、 右の 耳から、 

出て 行く 樣で あったら、 敎師 として うんざ. 9 せぬ 入 は 少ない ので ある。 即ち 人 を誨へ 

て 倦む ので ある。 孔子 は 顏囘の やうな 聰明な 子弟 のみでな く、 語る に 足らぬ 互鄕の a, 

子と 雖も、 つまらぬ 鄙 夫と 雖も、 兩端を 叩いて 之を竭 くされた ので ある。 公 西 華が ま 

さに 學ぶ能 はずと 言つ、 たの も、 決して 溢 美で 無い と 思 ふ。 

,、—孔子 は 二十 幾 歳の 時には、 旣 に名聲 四方に 聞こえ、 或は 學ぶ もの 甚だ 衆かった。 其 

の 四方 を 周遊 せられた 時 も、 多くの 門弟 は 常に 御供 をした ので ある。 然し 專心敎 育に 

從 事せられ たの は、 道の 遂に 天下に 行 はれざる を 知られた 晩年の 事で ある。 孔子の 德 

性 は 十五から 三十、 十、 五十、 六十、 七十と 約 十 年 を 期して 一進 境, ど 劃して 居る 事. 

孔子が 晚 年に自 から 言 はれた 通. >て あるが、 孔子 は 子弟に 對 せらる、 處は、 終始- 

育 家と しての 孔 夫子 九セ 



支 V 哲學の 研究 力 A 

1 莨、 身 以て 模範と なられた。 

二三 子、 我を以て隱せft^となすか、 吾れ 爾に隱 す rJ と 無し、 吾れ 行 ふとして 二三 子 

と (こき vt- る ものな し、 是れ丘 也、 

と は 孔子の 一 擧手 一 投 足が、 皆 子弟 を敎 ふる 所以に あらざる なきお 言った ので ある。 

孔子 曰く 予れ言 ふなか らんと 欲すと。 子 貢 曰く、 子 若し 言 はずん ば、 小 子 何ヒか 述べ 

んと。 顏囘の 如き は 默識心 通 すれ ども、 子 貢の 如き は 夫子の 言 を 聞か ざれ は、 之を視 

述す るに 由な しと 思った ので ある。 失 子 を 以て 隱す といへ る 二三 子の 徒で ある。 然し 

失 子の 一 言 一 行 皆 子弟 を敎 ふる 所以なる を 知った 所の 彼れ 門弟 子等 は 非常の 歡 喜を以 

て 夫子の ー擧ー 動 を 注視した ので ある。 論語 鄉黨篇 に ai す 所 を兒れ ば、 いかに 細かな 

事 を も 見逃 かさじと した 弟子 等の 用意が 窺が はれる では 無い か。 其 他、 孔子が 師 冕に 

對 する 言行 を 注視して、 子 張 は 瞽者と 應對オ るの 道 を 知った 如き、 皆 をの 例で ある。 

孔子が 子 を敎 へらる k とき、 或は:' 責 して 少しも 假 借せられ ぬると も ある。 宰我 



が晝寢 ねたと きに、 朽ちた る 木は雕 るべ からず、 糞土の 牆は ぬる 可から ずと いひ、 成. 

は冉 求が 季 氏の 爲 めに 聚斂せ る を惡ん で、 吾が 徒に あらず、 小 子皴を 鳴らして 之 *v 攻 

めて 可な. 9 と 言 はれた る 如き は、 駿乎 として 秋霜 烈 R の やうで ある。 或は 婉曲に して 

人; \J して 自ら 恥ぢ しめらる >-rJ とも ある. - 子 貢がよ く 人 を 批評 するとき、 賜 や 賢なる 

かな、 夫れ 我 は, VA な 暇 は 無い と 言 はれた る 如き はもれ である。 種 の 方法 は あれ ど 

も、 主として 啓發的 方法お とられた ので、 啓發 とい ふ 語 は 元來、 論語 述而篇 に 見えた 

孔子の 語に 本づ くので ある。 即ち 

憤せ ざれば 啓せ ず、 悱せ ざれば 發 せず、 1 隅 を 擧げて 三 隅 を 以て 反せ ざれば、 則ち 

復 せざる な ftN、 

と 見えて 居る、 或る 場合に は 先き に擧 げたや ラに、 兩端を 叩いて 竭 くし、 又 ある 場合 

に はかくの 如く、 !隅 を擧げ 示す のみで ある。 そこで 子弟 等が 自分が 硏究し 考察す る 

轡慣も 出來、 大いに 力が 附 くので ある。 かの 1 から 十まで、 嚙んで 含める 樣に する 敎 

育敎 家と しての 孔 夫子 



支那 哲學 の^ 究- -OU 

育 は、 子弟の 消化 力 を 鈍く する ばか... で、 或は 敎授 法の 退步 では あるまい か。 

^ 孔門の 敎科窨 ともい ふべき は、 詩 書 禮樂の 四で ありた。 乙れ は-^ 子の 發明 でも 何で 

も 無い。 詩 嘗禮樂 を 重んずる と 云 ふ 春秋 時代の 風俗で あつたので ある。 るの ほか 

射 御の 二 もあった。 孔子 自身 は 勿論、 門弟 子 三千のう ちに 六藝に 通ず る もの 七十 餘人 

と傳 へられて 居る。 そ で 詩 書 は 勿論、 禮の 如き 旅行 中に も 習 はされ た、 禮を 大樹の 

下に 習 はすと は 即ち 是 である。 音樂は 特に 孔子の 好きであった ので、 或る時 は 三月 肉 

の 味 を も 知らぬ 程に 凝られな 事 も ある。 あの 無骨 もの、 子路さ へ も 堂に 上る の 手腕 は 

ありた ので ある。 詩に 典ら、 禮に 立ち、 樂に 成る といって、 非常に 重視され て 居る 。ヒ 

. 、: 然るに 詩 書の 解釋 法の 如き も、 唯 訓詁に 通ず るの みで はいけ ない。 必ずや 眼光 紙背 

に 徹する 的で なければ ならぬ。 其の 1 例お 擧 ぐれば、 

二 唐棣之 華, 偏 其 反 、豈不 -1 爾思 T 室是 遠而、 -;: ゾ P 

いふ 詩が ある。 是れは 无來戀 歌で ある。 唐棣の 華の 風に ひらく 吹かれて 居る めお 



見て, かの 花の やうな 美人 V- 思 ひ 興し 私 は. wl を 思 はぬ ので は 無い, か、 爾の 居る 室が 遠 

v. ろが ね 

S から 行かれな いとい ふので、 障子 一重が 鐡 のと 言った 樣な 意味の 歌で ある。 然る 

は 孔子 は 評して、 未だ 之 を 思 はざる な ft>、 夫れ 何の 遠き ると か 之れ 有らむ。 思 ひやう 

が 足らぬ ので あると 言 はれた。 ゥま 

• 仁 遠 からん や、 我れ 仁 を 欲すれば、 新に 仁 至る 

の 意 を 以て 解せられ た。 か V る 方法 を斷 章取義 とい ふ。 此の方 法を學 びた る 子 貢が、 

貧に して 諂 ふこと なく、 富んで 驕る 無き は 如何と 問; 5、 可な- >、 未だ 貧に して 樂 しみ、 

富みて 禮を 好む ものに 若かざる な fc> との 答 を 得て、 詩 衞風淇 澳篇に 所謂 

如 k 切 如, 磋如, 琢如, 磨 

と は 之 を 謂 ふかと いひ、 賜 也 始めて 與に詩 を 言 ふべ ぎの み、 f.- れに往 を 告げて 來を知 

る ものと 賞贊 せられ、 子 夏が 

巧 笑 倩兮、 美 目^ 兮 素 以爲, 絢兮 

敎育 家と しての 孔 夫子 10 一 



支那^ 學の 研究 一 二 

と は 何の 謂 どやと 問 ひ、 繪事は 素 を 後に すとの 答 を 得て、 禮は後 乎と い; 5、 予を 起す 

もの は 商な. ft/ 始めて 與に詩 を 言 ふべき のみと 賞賛せられ たるが 如き、 如何に 孔子が 

啓發的 方法 活用せられ たかを 想像す る 乙と が出來 やう。 

1ニ人行けば必ず我が師ぁ.=^、 其の 善なる もの を擇 びて 之に 從ふ、 其 不善なる もの は 

之 を改む 

とい ひ、 或は 

賢 を 見て は齊 しからん 乙と を 思 ひ、 不賢を 見て は內 から 自 から 省みる 

とい ふが 如き、 平凡 なれ ども 又 極めて 適切の 敎訓 で、 此の 敎を 受けた る 子弟 は 實際社 

會に處 して、 至る所に 自己 修養 上の 餘 師を發 したる とで あらう。 

孔子 敎の 理想 は 申す 迄 もな く 仁で ある。 而 して 仁を爲 すに は 博 文、 約禮の 二方 法 を 

以てしなければ ならぬ。 然し 性 相 近し 習 相 遠し ともい ひ、 敎 ありて 類な しと もい ひ、 

資性 はは 大差な けれども、 習慣と 敎 育と はよ つて 大差 を 生ずる N?J は、 孔 の 充分 承 



知して 居らる- * 處 である。 然しながら また 人の 性情 は 必ずしも 1 ならざる 乙と は、 孔 

子の 亦 承知 せらる、 處 である。 生 知、 學知 及び 困 知の 別 も あ 6N、 上智と 下 愚と は 移ら 

ず、 中 人 以上に は 以て 上 を 語るべく、 中 人 以下に は 以て 上 を 語る ベから ざ る, J と は、 

孔子の 熟知 せらる、 處 である。 故に 孔子 は 同じく 仁 を 以て 目的と はすれ ども、 個人性 

•y- 沒 却して 悉く 同じ 型に 容 れんと はせられ ない。 孔子の 門人 は 三 干 人と い ふけれ, ど 

も、 三千 人が 同時に 敎 つたので はない。 或 時 は 二三 十、 或 時 は 四 五十と いふ 工合に、 

孔子に 敎育を 受けた ので、 孔子の 一生涯 中に 敎 へられた 子弟が、 三千 人に 上った ので 

ある。 そ^.|で門人等は朝夕に孔子に親炙して居るから、 孔子 はよ く 各人の 性質 も 見て 

居られる。 折が あれば 門人 等に 對 して、 各 其の 志 を 言 は しめられる こ とも ある. - 顔 淵、 

子路の 二人が 侍った とき、 其の 志 を 言 は しめられ.?^ れば、 子路は 

やぶ うらみ 

願く は 車馬 衣 輕裘、 朋友と共に之を敝ft^て慽なからん . 

と 言 ひ、 顏囘は y 

敎宵 家と しての 孔 夫子 10!1】 



支那 哲學の 研究 で OBr 

願く は 善に 慨る 無く、 勞を 施す 乙と 無 からん、 

と 言 ひ、 子 路の問 ひに 由って 孔子 は . 

老者は 之 を, 安んじ、 朋友 は 之 を 信じ、 少者 は 之を懷 けん 

と 言 はれた。 又 かの子 路、 曾皙、 冉 有い 公 西 華 侍 坐した とき、 各 其の 志お 言 はし めら 

れた 一節の 如き は、 師弟 相 得て いか. に樂 しき 事で あらう と、 千載の 下、 人 をして 其 光 

a, 汇 想望せ しひる に 足る ものが ある。 論語 中の 名文で あるから、 文 少しく 長い けれど 

も、 之 を 下に 擧ぐる 乙と、 する。 

子路、 曾皙、 冉有、 公 西 華 侍 坐す。 子 曰く、 吾が 一 日爾 等に 長す る を 以て、 吾 以 

てす る 勿れ。 居りて は 則ち 曰く、 吾 を 知らざる な ft,, と。 若し 或は 爾等を 知らば、 則 

せま 

ち 何ケ」 以てせん 哉と。 子路 率爾と して 對 へて 曰く、 千乘 の國、 大阈の 間に 攝 ft^、 ± 

に 加 ふるに 師旅を 以てし、 之に 因る に 饑饉 を以セ す。 由 や 之を爲 し、 三年に 及ぶ 比、 

勇 あり 且つ 方 を 知らし む 可き な ft> と。 夫子 之を哂 ふ。 求、 爾は何 如、 對 へて 曰く、 方 



六 七十、 若く は 五六 十、 求 や 之を爲 し、 三年お 及ぶ 比、 民 を 足ら しむべし。 其の 禮樂 

の 如き は 以て 君子 を俟 たんと。 赤、 爾は何 如。 對 へて 曰く、 之 を 能くす とい ふに 非 

, ず。 願く は學 ばん。 宗廟の 事、 若く は會 同、 端章甫 して 願く は 小 相た らんと。 點。 爾 

E ほ, 何 如。 瑟を 鼓す る &な. 9。 鏗爾 として 瑟を舍 て 作ち、 對 へて 曰く、 三 子 者の 選, K 

異れ り。 子 曰く、 何 ど 傷まん 亦 各.' 其の 志 を 言 ふな 6^。 曰く、 暮春に は 春 服 旣に成 

る。 冠者 五六 人、 童子 六 七 人、 沂に 浴し、 舞 零に 風し、 詠して 歸 らんと。 夫子 噌然 

として 歎じて 曰く、 吾 は 點に與 せんと。 (下略) 

或は また 先進 篇には 

閱子側に侍すliv如た..^、 子路 行,^ 如たり、 冉有子 貢 侃 侃 如た i、 子樂 しむ ノ r, 

とも ある。 孔叢 子に は 顔 淵、 子 貢、 子路、 子 張 を 四 友と いひ、 尸 子に は 顔 淵、 冉伯 牛. - 

子路、 宰我、 子 貢、 公 西 華 を 六 侍と いつて ある。 論語に 四 科 十哲と して 

.德 行 顔 淵、 閱 子騫、 冉伯 牛、 仲 弓 

敎育 家と しての 孔 夫子 1〇 五 



支那 哲學 の硏究 10 六 - 

政事 冉有、 季路 

言語 宰我, 子 貢 

文學 子游、 子 夏 . 

を 擧げて あるの は、 何人も 知る 所で ある。 此 等の 濟々 たる 多士を 左右に 侍せし めて, 

循々 として 道 を 講ぜられた 孔子の 胸中の 樂し みは、 いかば か 6 'であった か。 想像す る 

に餘 あるで は 無い か。 

さて 斯 くの 如くに して、 孔子 はよ く 弟子の 性格 を 熟知 せられて 居る から、 其の 敎は 

決して 同一 では 無かった。 爲政篇 に孟懿 子、 孟武 伯、 子游、 及び 子 夏 等が 同じく 孝 を 

問うた 時、 其の 答 は 同 一 でない。 顏淵篇 に 顔 淵、 仲 弓、 司 馬 牛 及び 樊遲が 同じく 仁 を 

問うた 時、 その 答 は 皆 違って 居る。 其の 最も 著しき 例 は、 子 路と冉 有と が、 同じく 聞, 

くま に 諸 を 行 はんかと 問うた ときに、 子 路には 父兄 在せ. n -、 直に 行うて はならぬ と 

いひ、 冉 有に は 聞く t< ゝに 直ちに 之 を 行へ と 答 へられた。 其の 時 側に 侍 もて 居た 公 西 



華が、 其の 答の 全く 正反對 なの を 見て、 怪しんで 其の 故 を 問うた とき、 孔子 は 求 や 返 

く 故に 之.^ 進 ひ、 由 や 入 を 兼ぬ 故に 之 を 返く と 言 はれた。 即ち 所謂 應病 與藥、 人 見 

て 法を說 くので あって、 其の 人に よりて 各.. 其の 材を 成さし めんと せられた ので ある。 

孔子の 敎 育法 は 以上 述べ ゃ通ft^でぁる。 而 して その 感化 力の 偉 犬なる 點は實 に 敬服 

ずべき である。 顔 淵が 仰 鑽の情 篤かった 事 は 前に 言った 通りで あるが、 夫子に 事 ふる 

乙と は M (に 父に 事 ふるが 如くであった。 子 貢 は 夫子 を贊 して 仲 尼 は 日月なら とい ひ、 

夫子の 及ぶ 町から ざる は 天の 階して 升る 可から ざ るが 如しと いひ、 又 生 民 ありて よ. 9 

以來 夫子の 如き は あらず とも 言って 居る。 宰我は 失 子 は 堯舜に 賢る と 遠し とい ひ、 有 

若 は 類 を 出で 萃を拔 き、 生 民あって より 以來、 未だ 孔子 よら 盛なる あらず と稱 し、 曾 

子 は江漢 以て 之 を 濯 ひ、 秋 陽 以て 之 を 暴す、 « 々として 尙ふ 可から ざるの みと 言って 

居る。 子弟等の傾倒心服せる^Jと斯の通.=^でぁる。 これ 實に 孔子の 偉大なる 人格が 然 

らしめ たので ある。 儀の 封ん 甞て 孔子 を 評して、 天將 さに 夫子 を 以て 木鐸と 爲 さんと 

敎育 家と して-. 】0 七 



支那 哲學の 研: 仉 一 八 

すと 一一 一 in つたが、 孔子 は獨. 《>當 時の 木録た 6 しのみ でな く、 實に萬 世の 師表で ある- 



孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 聖人 堯に 及ぶ . 

孔子の 敎 ふる 所 は赏踐 倫理で ある。 其の 說く所 は 經世濟 民で ある。 高遠なる 哲理、 

玄妙なる 宗敎を 論ずる が 如き は 彼の 志で ない。 彼の 特色 は 寧 ろ 彼れ 以前の 迷信 的 生活 

を 打破して 人 をして 道德的 生活 をな さしむ るに 至った 點 である。 然しながら 孔子の 所 

說に は、 全然 {ー!- 敎的 色彩 を缺 くと いふ もの あらば、 夫は大 早計の 譏 は 免れない ふ 思 ふ。 

易の 十 翼 や、 禮 記の 諸 篇は 種々 の 疑問 も ある ことなれば、 暫く 之 を 措く として、 專ら 

論語に 就いて 之 を 見る も、 彼の 宗敎觀 を 餐餚 する ことが 出來 ると 思 ふ。 

孔子の 宗敎觀 を 論ずる 前に 吾人 は當 時の & 5 想界に 於け る 宗敎的 信仰 又は 宗敎的 生活 

を 知らねば ならぬ。 何と なれば 如何なる 偉人 も、 社會 の雰圍 氣を脫 すると は出來 ぬか 

ら である。 思 ふに 支那 國民 は古來 天の 信仰 及び 靈魂 不滅の £5 想 を 有して 居る。 所謂 鬼 

(又は 往々 鬼神と いふ) は 不滅の 靈 魂に 名 づけ^も ので、 皇天 上帝 は 天 を 人格化し たる 

孔子の 宗敎鹳 を 論じて 理想的 聖人 堯に 及ぶ ー0 九 



支那 哲 の 研究 二 〇 

名稱 である。 予は 種々 の 機會に 於て、 屢ぐ 支那 人の 所謂 天、 及び 鬼に 就いての 意義お 

論述した から、 今 玆に之 を 叙述す るの 煩 を 避けて、 唯 天 及び 鬼の 信仰が 支那 國 民に 於 

ける 古來め 信仰なる 乙と を 注意して、 當 面の 問題に 移 ft^ たいと 思 ふ。 

爲政篇 に 曰く、 非-其 鬼, 而祭饀 也と。 鬼 は 卽ち人 鬼で ある。 其 鬼に 非ざる もの、 換 

言 すれば 自家の 祖先に あら ざ る もの を 祭る は、 幸福 を 僥倖 せんとす る S 諛の 心に 出づ 

る もので、 孔子の 取らざる 所 なれ ども、 其 鬼 即ち 祖先の 靈魂は 之 を 祭らぬ ばなら ぬ。 

故に曰く祭"1ー^^、ザ 祭, 神 如-神 在 ス八危 きと。 其 他 大廟に 入って 事毎に 問 ふの 禮を S 

くす が 如き、 彼 は 鬼神の 存在 を 認め、 敬虔の 情 ど 以て、 之に 仕へ たので ある。 泰伯篇 

に 曰く、 

禹吾 無- 1 間然: 菲 -1 飮 食- 而 致-孝 乎 鬼神 ハ 惡, 1 衣服, 而 致-美 乎黻 冕-云々 

大 禹を稱 して 間然す るな しとい ふの も、 孝お 鬼神に 致し 祭服 を 美に する を 理由の 1 

として g る。 卽ち 孔子 は靈魂 不滅の 觀念 があった ので、 支那 古來の 信仰 を 承認した の 



である。 然し 人 は 死後 . 何なる 境遇に 置かるべき か、 生前 行事の 善惡に CN 」 賞罰 を 

受 くるが 如き と あるか、 是れ 等の 問題に 就いては、 詩 書の 中に 二三の 解答 を發 見す 

る 乙と が 出來る けれども、 要するに支那國民は餘6^明瞭な考を有して居なかったが、 

孔子は搴^C生死の問題には深く立入る^Jとを避け、 措いて 之 を 論ぜ さるの 能 や 度 を 取つ 

て 居る。 先進 篇に 曰く、 

季路 問, 事,, 鬼神 r 子 曰、 未, 能, 事, 人、 焉 能事, 鬼、 曰敢問 J^、 曰 未, 知, 生、 焉 知, 

死、 

朱 子 はるの 章 を 解して、 始を 原ね て 生す る 所以お 知る に 非 ざれば、 必ず 終に 反 ftN て 死 

する 所以 を 知る 能 はず、 蓋幽 始終 初めよ 6 ニ理 なし、 但之,^學ぶに序ぁ.^、 等を躐 

ゆ 可から ず、 故に 夫子 之: 2: 吿 ぐる 乙と 此 くの 如しと いって 居る. * 若 I 難^ 備に 詣 へる 

. 原レ始 反, 終、 故知,, 死生 之說 r 

を 孔子の 所說 とすれば、 朱 子の 說も之 を 承認せば ならぬ と 思 ふ。 然し 予は 騭辭 傳を孔 

孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 聖人 堯に 及ぶ 11】 



支那 哲學の 研究 一一 二 

子の 所說 とする 乙と を 疑 ふ もので、 從 つて 朱 子の 說は之 を 取らない。 かの 禮 記に 見 ゆ 

る 死 は 息 ふな. OV とい ふが 如き は、 正しく 老莊の 思想で、 斷 じて 孔子の 所說 とい ふこと 

は出來 ない。 卽ち 孔子 は 生死の 問題に 立 入る 乙と を 避けた もので、 是れ卽 ち 孔子 敎學 

の 特色で ある。 生死と いふる と は、 宗敎 上に 於いて は 重要なる 問題と して 論議せられ 

る處 で、 未來 觀を缺 くもの は、 齩 正なる 意味に 於いて、 之 を宗敎 とはい ふ 7- と は出來 

ない、 此點 からい へば 孔子の 思想 は宗敎 とい ふ 乙と は出來 ぬ。 

次ぎに 孔子 は 上下 神祇の 存在 を 承認して 居る。 鄕黨篇 に 曰く、 

鄕人 儺、 朝 服 而立-於 昨 階: 

儺卽ち 追儺の 式 は 上古 よらの 風習で、 病災 不幸 を 人間に 下す 所の 惡神を 追 ひ拂ふ もの 

である。 周禮 によると 朝廷に は 方 相 氏と いふ 追儺 を 司と る 官職な ども 設けら f た。 民 

間に も 其 風俗 は 勿論 存 して 居た ので、 追儺の 時には 孔子 は 朝 服 を 着け 昨 階に 立ちて、, 

先祖 及び 正しき 神々 を 驚かすまい とせられた。 雍也篇 に 曰く、 



務- 一民 之義 7 敬 二 鬼神 一而 遠, 之、 可, 謂, 知矣、 

敬虔の 情 を 以て 神 を 奉ずれ ども、 寧 敬遠 主義 を 取らねば ならぬ とい ふ考 である。 赏 

時 迷信の 甚だしかった と は、 左傳、 國語、 墨 子等に 散見す る 記事に よって、 ,4- の 一 

斑 を 察する ことが 出来る。 今 1 ク をの 例 を擧げ ない が、 鄭子產 の 如き 聰明なる 政治家 

など も、 當 時の 迷信 を脫 する 乙と は出來 なかった。 然るに 孔子 は 全然 怪力 亂 神の 如き 

迷信 を 語らなかった。 (述 而篇) 要すろ に 迷信 的 生活 を脫 して、 倫理的 生活 爲す とい 

ふ 乙と が、 孔子の 本旨で ある。 

鬼神 を 敬遠し、 生死の 問題 を 語らなかった とすれば、 孔子 は 遂に 何等 宗敎 的觀 念に 

« る、 こと 無くして 終った か。 否、 孔子 は 天の 信仰 を 有す。 孔子の 敎學 は實に 天を以 

て甚 礎と す。 公冶 長篇に 曰く、 

子 貢 曰、 夫子 之 文章、 可,, 得 而閒, 也、 夫子 之 言,, 性 與,, 天道? 不, 可,, 得而 聞, 也、 

蓋 孔子の 天道 をい ふこと 極めて 罕 であった と 思 ふ。 それで 子 貢 は 孔門 十哲の 一 人 なれ 

孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 聖八堯 に 及ぶ 1 1 三 



支那 哲學の 研究 1 1 四 

ども、 乙の 言 をな したので ある。 朱 子 は 之 を 解して、 蓋聖 門の 敎は 等を躐 えず、 子; 裒 

是に 至って 始めて 之 を 聞く を 得て 其 美 を 歎ずるな ftN といって 居る。 恐らく は當 つてね 

るで あらう。 卽ち 孔子 は妄. 9 に 天道 を 言 はない けれども、 折に ふれて は 天 を說き 敬虔 

の 情 を 述べて 居る。 否、 寧ろ 論語 中には 天を說 くこと が 割合に 多い と 思 ふ。 季氏篇 は 

曰く、 

君子 有,, 三畏: 畏,, 天命 「 畏,, 大人 r 畏,, 聖人 之 言つ 

天命 を畏 ると は 天命に 背く ると なからん 乙と を 努力す るの 意で ある。 大人 又は 聖人の 

言 は、 要するに 天意 奉戴す る もの なれば、 此三畏 の 中、 最も 重大に して 根本と もい, 

ふべき は 勿論 天命で ある。 而 して 畏 はいふ 迄 もな く 畏敬の 意で ある。 小人 は 天命の 畏 

るべ く、 大人 君子の 敬すべき を 知らないが、 唯 君子に して 天命 を 知る ので ある。 死生. 

命 あ fts、 富貴 天に 在, <>(顏 淵篇) とい ひ、 或は 道の 奥廢は 命な. 0、 公伯 寮 夫れ 命 を 如何 

とい ひ、 (憲問 篇,; I 或は 命 を 知ら ざれば 以て 君子と 爲 すなき な 6, (堯 曰篇) とい ふが 如 



き、 皆 其の 信仰よ 6 出て たるに 非る はない。 憲問篇 に 曰く、 

子 曰、 莫, 知, 我 也 It 子 貢 曰、. i:"^.k 莫, 知, 子 也、 子 曰、 不, 怨, 天、 不, 尤 k 人、 下 

學而 上達、 知^^者天乎、 

人 己 を 知る ものな し、 自家の 胸中、 «^ 皇天の 知る のみと。 乙の 信念、 確固 不拔 なる も 

©.ぁ,c^、 もの 天 を 怨みず 人を尤 めざる 所以で ある。 子 罕れ、 に 命を言 ふといへ ども、 上 

に 引用す る 所に よると 必ずしも 稀れ でなかった とい はねば ならぬ。 然 らば 孔子の 所謂 

天 は 何物で あるか。 

第 1 に 天 は 意志 を 有し、 天の 爲す所 は 人力の 之 を 如何と もす ベ からざる もので あ 

る. * 述而篇 に 曰く、 . 

天生- 德於予 7 桓魆其 如- 予何 r 

乎罕篇 に 曰く、 

乎 畏,, 於 IHK 曰 文 王 旣沒、 文不 X 在 k 乎、 天之將 斯文-也、 後 死者 不 k 得 於斯 

孔子の 宗敎觀 を 論じて 想 的 聖人 堯に 及ぶ 一 一 五 



支那 哲學の 研究 11 六 

文, 也、 天 之 未, 喪- i 斯文, 也、 a 人 其 如,, 予何ハ 

t の 二 章 は 1 方からは孔子の天を信ずる^iと如何に强大なるかを知る^Jとが出來ると 

共に、 又 他の 一 方から は 天意の 在る 所 は 人力の 如何と もすべからざる を J やべ たものと 

S ふ 乙と が出來 る。 又 前に もい つた 道の 與廢は 命な 6<ム 伯 寮 ぞれ命 を 如何と いふが 如 

きも、 同じ 意味 を說 いた ものである。 

第二に 天 は 全智に して 欺くべからざる ものである。 孔子が 病に 臥して 危篤に 瀕せら 

れた 時、 子路は 後事 を 治めて 門人 をして 臣 たらしめ た。 後 病 ゃゝ痊 えて 之 を 知る に 及 

んセ、 子路を 責めて、 吾 誰 を か 欺かん や、 天 を 欺かん やとい はれし が 如き (子 罕篇) は 

卽ち 4/ の 1 例で ある。 

第三に 天 は 賞罰 を 司 どる。 天意に 肯く とき は、 之 を 罰して 許す ことなく、 天意に 從 1 

へば 之に 福祉 を 降す ものである。 雍也篇 に 曰く、 

子 見-南 子 r 子 路不, 悅、 夫子 矢, 之 曰、 予 所, 否 者、 天 厭, 之、 天 厭, 之、 



若し 否 行 あらば 天 之 を厭絕 して 予を 罰すべし とい はれた ので ある。 言 ふ 迄 もな く 天 は 一 

斷 罪の 事實 ある 乙と を 承認した ものである。 八 惜篇に 曰く、 

• 王孫 賈問 曰、 其 媚,, i 於 奥 :寧媚= 於 竈: 何 謂 也。 子 曰、 不 獲-罪 於 天 T 無, 所 Jt 也、 

王孫 賈は當 時の 諺 を擧げ て、 孔子 を 諷して 己の 門下に 致さん としたの て ある。 奧は近 

臣に喩 へ 竈は權 臣に喩 へたので ある。 從 つて 天 は 君に 喩へ たものと いはねば ならぬ。 

然し 正面の 意味 は、 天意に 肯き 天罰 を受 くるに 當 つて は、 如何と もす ベ 、からざる をい 

つた ものである。 述而篇 に 曰く、 、 

子 疾病、 子路 請, 禱、 子 曰、 有 fe5、 子 路對曰 、有, 之、 諌曰、 禱 -1 爾于 上下 神祇 ハ子 曰、 

丘之禱 久矣、 

天神 地 紙に 禱 つて 福祉 を 求む る は、 子路の 言の 如く 古來の 風習で ある。 武 王の 疾病の 

時、 周 公が 之 を 祈って、 武 王の 疾 翌日 乃ち 痊 えたと いふ ことが、 書經 金滕篇 にも 見え 

て 居る。 然るに 孔子 は 子路に 向って 丘が 禱る 乙と 久しと いはれ た。 その 意 は 天意に 货- 

孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 聖人 堯に 及ぶ 1 1 七 



支那 哲學の 研究 1 一八 

かされば、 天が 之に 齲 祉を與 ふるる と を 言った ので ある。 所謂 菅 公の 詠と 稱 せらる る 

心 だに 誠の 道に かな ひなば 祈らず とても 神 や 守らむ 

の 意で ある。 因みに 太平 御 覽八四 九に 莊子 逸文 を 引いて 乙の 章と 類似の ると を 述べて 

あるから、 rO V に 引用す る M と >• する。 

孔子 病、 子 貢 出 ^ハス 孔子 曰、 子 待 也、 吾 坐 席 不-敢 先 ハ居處 若, 齋、 食飮 若, 祭、 吾ト, 

之久矣 

孔子の 天に 就いて いふ 所 は、 塞,^-上の數章に過ぎなぃから、 其の 詳細 を 知る,^ と は 

出來 ぬが、 詩 書 は 孔門の 敎科 書であって、 孔子 は 甞て之 を 整理した ので ある。 故に 古 

來の 天に 關 する 思想 は、 大體に 於いて 孔子の 承認した ものなる 乙と は、 上に 述べ, た 所 

はよ つて 推測す るるとが 出來 ると 思 ふ。 卽ち天 は 孔子 敎學の 根 本義であって、 孔子 © 

B 常 一 切の 行動 は、 皆 乙の 天 を 模範と せられた ので ある。 故に 陽 貨篇に 曰く、 

子 曰、 予欲, 無 Js、 子 貢 曰、 子如不 Jiin 、則 小 子 何 述焉、 子 曰 天 何 言 哉、 四時 行焉、 



. 百 物 生焉、 天 何 言 哉、 . . 

塞々 數言 に過ぎない けれども、 何? V 其の 理想の 雄大なる。 卽ち 孔子の 天に 對 する 信仰 

は、 初めて 天の 存在 を 知る や 之 を 畏敬し、 次いで 天 を 信じて 命に 安んじ、 終に は殆ん 

ど 天と ー體 たるに 至った と 思 はれる。 卽 ち この 點 からい へば、 孔子 は 宗敎の 根 本義に 

觸れ、 そこに 安立した ものと いはねば ならぬ。 然し 孔子の 謙讓 なる、 自 から 天人 合 1 

の 聖人た る を 以て 任ぜず して、 之 を歷代 先王の 中に 物色して 堯舜禹 湯 文武 周 公の 數聖 

を 得た ので ある。 而 して 孔子の 乙の 數聖に « する 尊崇の 念 は、 その 間に 幾分 か 異同が 

ある。 夫子 は絕 えず 周 公 を 夢み、 武 王の 賢臣少 からぬ を稱 し、 文 王を稱 して は 至德と 

いひ、 湯の 自 から 罪する を稱 し、 禹,^ 稱 して は 間然す る 無しと いふ、 舜を稱 して は 正 

しく 南面す るの みとい ふ、 或は 舜禹 を並稱 して 巍々 乎た ft> とい ひ、 或は 堯舜 を. 並稱す 

れ ども、 特に 堯を 尊崇す る 乙と 至れり 盡 くせ も。 泰伯篇 に 曰く、 

大哉堯 之爲. 君 也、 巍令乎 唯 天爲, 大、 唯堯 則, 之、 蕩々 乎 民 無- i 能 名- 焉、 魏々 乎 其 有.^ 

孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 聖人 堯に 及ぶ 一 一九 



支那哲學の研^^ 二 lO 

成功, 也、 換乎其 有-文章 T 

卽ち 孔子の 眼中に は唯堯 のみ は 最も 偉大なる 人格、 否 寧ろ 神と して 表 はれ たので あ 

る。 換言すれば 堯 とい ふ傳說 的聖王 は、 孔子の 偉大なる 理想に よって、 更に 樊ゲ たる- 

光彩 ある 神人と して 現 はる ゝに 至った ので ある。 堯に關 する 傳說が 偉大で あ ft> 且つ 光 

彩 あれば ある 程、 是の傳 說を造 ft> 出した 孔子の 理想 は、 偉大で あり 且つ 光彩 ある ものと 

いはねば ならぬ。 何と なれば 凡て 神の 觀念 は、 之を造ft^出す民族の文化の程度如何に• 

よる もので、 文化が 進歩 すれば 進歩す る ほど 祌の觀 念 も 亦高尙 となるべき 箬 であるか 

ら である。 

予は 乙、 に 堯を稱 して 敢て傳 說的聖 王と いった。 其の 意味 は 堯に關 する 種 令の Si 錄 

を傳說 的と 見る とい ふ M とで 堯の歷 史的 存在 を 否定す るので はない。 堯は實 在せ る歷 

史的 人物で あるが、 後人の 理想に よって 多くの ffi 飾が 加 へられた ものと 見 るので あ 

る。 子 張篇に 曰く、 , 



子 貢 曰、 紂之 不善、 不-- 如, 是 之甚- 也、 是以 君子 惡 fes- 下流 7 天下 之惡、 皆 歸焉、 

子 貢の 說は當 時に あって は 卓見と いはねば ならぬ。 紂の 暴虐 必ずしも 今 吾人が 傳 聞す 

るが 如く 甚 しかった ので はない が、 天下の 惡皆 之れ に歸 したので ある。 堯の 場合 は 正 

に 之と 反對の 場合で ある。 堯の 聖德、 必ずしも 今傳 ふるが 如く 偉大で はなく、 天下の 

善 皆 之に 歸し たものと 思 はれる。 白鳥 博士が 堯舜を 以て 全然 理想的 假筌の 人物と いふ 

の は、 この間の 消息に 通ぜ ざる もので、 予の斷 じて 取る 能 はざる 所で ある。 然し 亦堯舜 

の W 說を 悉く 歴史的 事實と 見る もの は 子 貫に 對 しても 恥 かしき 次第で は あるまい か。 



孔子の 宗敎觀 を 論じて 理想的 塞 人堯に 及ぶ . 【一 一 1 1 



支那 哲學の 研究 に ぶ 

曾 子の 學說 

孔子 曰く 參也魯 ならと。 然れ ども 遂に 孔子の 傳を 得た る は實に 我が 曾 子な i とす。 

孔子 曾て 曾參に 語って 曰く、 

參乎、 吾 道 I 以 賞, 之。 曾 子 曰 唯。 (里 仁) 

曾 子 は 言下に 1 貫の義を覺れ.《^。 衛靈 公篇に 曰く、 • 

子 曰、 賜 也、 女以 4 予爲 = 多學 而識, 之 者, 乎。 對曰然 、非 歟。 曰 非 也。 予 I 以 賞, 之。 

1 を 聞いて 二 を 知る と自稱 せし 子 貢が、 孔子 一貫の 道 を 解せ ざ. 9 しに 比すれば、 果然 

參ゃ魯 なら ざ, OS し を 知るべし。 盖其 人と な ftib 誠 謹直な. 9。 學而篇 に 曰く、 

吾 日 三,, 省 吾 身: 爲, 人 謀 而不, 忠乎、 與,, 朋友, 交 而不, 信 乎、 傳^, 習 乎、 

傳 習と は 文な ftN、 人の 爲に 謀る に忠。 朋友と 交る に 信、 曾 子の 三省す る 所 即ち 文、 忠、 

信是なft^。 三省して 之 を實行 せんこと を 求む る N> と 勿論 なれば、 三省す る 所 は 文行忠 



信と 云 ふ も 亦 不可な し。 而 して 文 行 忠信の 四 は、 孔子の 常に 敎 ふる 所。 曾 子 其 師の象 

を格夺 する NJ と斯の 如し。 其の 人と な.^ を想兒 する に 足らむ。 而 して 其の 自ら 任す る 

fO と 極めて 重く 且つ 遠し。 泰伯篇 に 曰く、 

士不 %, -, 以不 k 毅 一任 重而道 遠。 仁 以爲, ~ 己 任 ハ不- 亦 重-乎。 死 而後 已、 不-亦 遠-乎。 

所謂 俛焉 日に 華々 する あ.^、 斃 れて而 して 後已 むの 慨ぁ. 9。 是れ 其の 遂に 孔子の 傳を 

得た る 所以な 6S。 其の 將に死 せんとす る 時。 敬 子に 語 .o^ し 言 を 聞け 

鳥 之將, 死 也、 其 鳴 也哀、 人 之 將へ死 也、 其 言 也 善。 君子 所 於 道-者 三。 動-容貌- 

斯 遠-暴慢? 正-, 顔色- 斯近, 信矣。 出- 辭氣- 新 遠-鄙 倍- 矣。 籩豆之 事、 則 有司 存。 

(泰 伯) 

其の 謹直なる 風釆、 眼前に 髮髴 たる を覺 ゆ。 然れ ども 曾 子 は 徒に 容貌 を 盛に する もの 

にあらざる 乙と は、 其子張を評する語にょ^^て明なft^。 曰く、 

堂々 乎 張 也。 難,, 與 並爲, 仁矣。 (子 張) 

曾 子の 學說 - i 



支那 哲學の 研究 一二 四 

而 して 其の 道 を 信ずる の 厚き、 大 節に 臨んで 毅然として * ふ 可から ざる もの あ 6>。 泰 

伯篇に 曰く、 

可, 一一 以 託-六尺 之 孤 r 可 S 以寄 一一 百 里 之 命: 臨, 一大 節, 而不, 可, 奪 也" 君子: <舆 、君子 人 也。 

藎子 公孫 丑上篇 にも 又 曾 子の 語 を 引いて 曰く、 

自反而 縮雖- 千万 人, 吾 往矣。 

其 人と な 6N 以て 想 見すべきな ftN。 

曾 子 は 資性 至孝 を 以て 聞、 こ ゆ。 韓詩 外傳、 設苑、 新 序、 戴 si、 及び 孟子 等に 散見す 

る 種 の說話 は、 必 しも 悉く は 信し 難 けれども、 皆 曾 子の 至孝 を稱 せざる はなし。 孟 

子に 曰く、 

曾 子 養 = 曾皙: 必 有-酒 肉! 將, 徹、 必 謂, 所 k。 問靳 必 曰, 有。 (中略) 若- 替 

子: 則 可, 謂 feu 志 也。 (離婁 上) 

曾 皙嗜- 羊 棗 r 而曾 子不, 忍, 食-羊 棗: (盡心 下) 



曾 子の 此の 性格 は 彼 をして 特にえ 子の 孝論ヒ 祖述して、 更に 重要なる 意義 を 加. へしめ 

た 6N。 抑 も 孝と は說 文に 曰く、 * 

善事 = 父母, 者、 从,, 老省 7 从 X 子、 子 承, 老也。 

是れ蓋本來の意義なfe^。 故に 孔子 は孝德 以て 子の 父母に 事 ふる 道と なし、 子と して 

父母に 蓽 ふるに は 服, 從、 愛敬、 養 志 及び 幾 諫の四 道 あ. となせ. o。 

1、 子 曰、 父 在 觀,, 其 志 r 父 歿觀- 其行ハ 三年 無, 改,, 於 父 之 道 T 可, 謂, 孝矣 (學而 ) 

二、 子 游問, 孝、 子 曰 今 之 孝 者、 是謂 _1 能 養 r 至,, 於 犬馬 T 皆 能 有, 養、 不, 敬 何 以別乎 

SS 政) 

三、 子 夏 問, 孝、 子 曰 色 難。 有 k 事 弟子 服,, 其勞; 有,, 酒 食, 先生 饌、 曾是 以爲, 孝 乎 (爲 政) 

四、 子 曰、 事,, 父母, 幾諫、 見,, 志不, 從、 又 敬而不 J 連、 勞 而不, 怨 (里 仁) . 

以上 擧 くるの 四條 の.^、 1 及び 四の 下半 は 服 從を言 ひ、 二三 は 養 志 を 言 ひ、 二の 下 

句 及び 四の ド半は 愛敬お 言 ひ、 四 は幾諫 Ain ふ。 然るに 曾 子の 孝 論 は 同じく 服從、 養 

曾 子の 學說 • 1 二 五 



支那^ 學の 研究 . 二 H ハ 

志、 愛敬 及び 幾 諫を言 ふと 共に、 更に 天子 諸侯 卿大 夫士庶 人の 孝 を 別 ゥて之 を 論じ、 

且つ 1 切の 德を 以て 凡て 孝に 本づ くと なし、 孝に 形而上の 意義 を 加へ た fcN。 其の 說は 

大戴禮 記 中に て 曾 子 本 孝、 曾 子 立 孝、 曾 子大孝 及び 曾 子 事 父母の 四篇 及び 禮記 祭義等 

の 諳篇に 見 ゆ。 曾 子 本 孝に 曰く、 

孝子 之 使, 人 也、 不, 1 敢肆行 r 不,, 敢 自專, 也、 父 死 三年、 不 ,,, 敢 改,, 父 之 道 r 又 能事,, 父 

之 朋友? 

るれ 服 從を說 くものに して、 父 死 三年、 不 3 敢改, 1 父 之 道, と は、 孔子の 已に說 ける 所な 

る nJA3 上に 云へ るが 如し。 曾子大 孝に 曰く、 

孝 有 Jll、 大孝 尊, 親、 其 次不, 辱、 其 下 能 養、 

又 曰く、 

烹熟羶 香、 甞而 進, 之、 非, 孝 也、 養 也。 (中略) 養 可., 能 也、 敬爲, 難、 敬 可, 能 也、 安 

爲, 難、 安 可, 能 也、 久爲 ,難、 



後者 は 又禮記 祭義篇 にも 見 ゆ。 れ養 志を說 くものに して、 且つ 愛敬 すべさ を 言へ る 

な6^。 曾 子 立 孝に も 又 曰く、 

君子 之 孝 也、 忠愛 以敬、 

其の 下 文に 微 諫を說 いて 曰く、 

君子 之 孝 也。 忠愛 以敬、 反; K 亂也、 盡, カ而 有, 禮、 莊敬而 安, 之、 ^ 諫不, 倦、 聽從 

而不, 怠、 

曾 子 事 父母に も 又 曰く、 

或 問 曰、 事-父母, 有, 道 乎、 曾 子 曰、 有、 愛而 敬、 父母 之 行、 若 中, 道 則從、 若不ド 

中, 道 則諫、 孝子 之諫、 達, 善而 不-, 敢爭 辯: 爭辯 者、 作^ 之 所,, 由 奥, 也、 

幾諫 とい ひ徼諫 とい ふ も、 爭辯 せざる 謂に して 其の 實は 一 な. 9。 

論語 泰伯篇 に 曰く、 

曾 子 有- 疾 召- g: 弟子 曰、 啓,, 予足 r 啓- 予手 r 詩 云、 戰々 兢令、 如, 臨,, 深淵 ハ 如, 履,, 

曾 子の 學說 二 1 七 



ま 那哲學 の 研究 1= 八 

薄氷 r 而今 而後、 吾 知, 免 夫、 小 子、 

此の 語 は 又 祭 義篇に 見 ゆる 處の曾 子の 語と 同義な 6S。 曰く、 

身 也 者、 父母 之遺體 也、 不,, 敢敬, 乎、 

曾 子 大老 篇に 記す 所に よれば、 樂 正子 春 足 を 傷 ふて 憂色 あら 門弟 子の 問に I かへ て 曰く、 

吾 聞-, 之 曾 子 『 曾 子 聞-, 諸 夫子? 曰 天 之 所, 生、 地 之 所 JT 人爲, 大矣、 父母 全 而生, 

之、 子 全 而歸^ 、可, 謂, 孝矣、 不 fe- 其體 T 可 鈾:, 全矣、 故 君子 頃步之 不,, 敢忘, 也、 

此語は 曾 子の 言行に 思; 3 合せて 符節 を 合する が 如 I。 其の 曾 子の 敎 なること 疑な し。 

然れ ども 若し 樂 正子の 云 ふが 如く、 孔子に 本づ くと せば、 先に 擧 r る 所の 四條 の外更 

は、 孔 二子の 孝 論 第五の 個條 として 不, 傷-遺 體, を擧 げざる 可から ず。 

然れ ども 曾 子の 言 は 孔子の 未だ 言及せ ざる 所 凡 三 あ. ON。 曾 子 本 孝に 曰く、 

君子 之 孝 也、 以, 正 致 Ji、 土 之 孝 也、 以, 德從, 命、 庶人之 孝 也、 以, カ惡 k 食、 任, 善 

不- 敢臣- -三德 r : 



三 德を臣 とせ さる は 王の 孝、 正お 以て 諫を 致す は大 夫の 孝な 6.。 卽ち此 句 は 王公 庶人 

の 孝 を 別てる もの、 孔子の 未だ 曾て 言 はざる 所の 1 な 6^、 曾 子大 孝、 及び 祭 義篇に 曰く、 

居 處不, 莊非, 孝 也、 事^ 不, 忠、 非鈿 也、 荏 i 官不 k、 非】 也、 朋友 不穑、 非 ^ 

孝 也、 戰 3 ^無, 勇、 非 k 孝 也、 

曾 子 立 孝に も 亦 曰く、 

未 レ有, 君而 忠臣 可, 知者、 孝子 之 謂 也、 未, 有, 長 而順下 可, 知者、 弟 令 之 謂 也、 (中 

略) 故 曰、 孝子 善事, 君、 弟.^ 善事, 長 

此の 二 節 は 孝 を 以て 百行の 本と なし、 忠孝 1 致お 說 くものに して、 孔子の 未だ 曾て 言 

はざる 所の 二な .9。 曾子大 孝に 曰く、 

夫 孝 者、 天下 之大經 也、 夫 孝 置, 之而 塞-於 天地? 衡, 之 而衡- 於 四海: 施-諸 後世 『而 

無-朝夕 r 推而 放-, 東海 一而 準、 推而 放, -諸西 海- 而準、 推而 放-諸 南海- 而準、 推而 放-" 

諸 北海, 而準、 ©14、 自, 西自, 東、 自 声 北、 無-思? 服、 此之謂 也に 

笛 子の 學說 一二 九 



支那 哲學の 研究 ニー I コ 

是れ 孝に 形而上 的 意義 加 へ しもの、 孔子の 未だ 曾て 言 はざる 處の 三な. cs。 

通常孝經は孔子の曾子にロ授せしものな6^と稱すれども、 孝 經に表 はれ たる S S 

は、 孔子の 思想よ 6- も 更に 廣大 にして、 曾 子の 言 ふ 所と 符節 を 合する が 如し。 唯 曾? 

の 云 ふ 所の 斷片 的なる に 比して、 孝經に 記す 所 は 首尾 一 貫 秩序 整然 又 往.^ 圭角ぁ 6, 語 

« あるの 相違 あるの み。 故に 予は 謂へ らく 孝 經は曾 子の 門 流の 手に 成, cv、 曾 子の 孝 論 

を 組織的に 論述せ る ものな fts と。 



孟子の 良心 論に 就いて 

孟子 は 良知 良能の 語お 用 ふ。 而 して 彼 は その 義を 解して 曰く 

人 之 所- -不, 學而 能-者、 其 良能 也、 所- 1 不, 慮而 知-者、 其 良知 也、 (盡心 上) 

卽ら. 仮 こよれ ズが とよ i5 ず 慮ら ざ るの 謂 ひな ftv。 換言すれば 何等の 人爲を 加味せ ざ 



る を IF ふ。 苟 子の 用語 を 昔 ftN て 之 を 言へば、 所謂 僞を 加味せ さるな も。 然ら: S 已に良 

心 (吿子 上) とい ひ、 ssf を 加 ふれば、 孟子の 用語 法に よれば、 先天的に 固有せ る 心、 

換言すれば 所謂 本心に 外なら ざるなら。 然れ ども 今 暫く 之 を 措き、 (後に ゆ) 良心と 

は、 コ、 ン、 シ、 ァ、 スの義 として 之 を 解 すれば、 孟子 は 果して 先天 良心 論者なる か、 はた 後天 

良心 論者なる か、 若し 後天 良心 論者と せば、 英« 經驗 論者の 所謂 タブう、 ラザを 承^ 

する か、 或は 良心 發達 論者なる か是れ 予の此 論文に 於いて 孜究 せんと 欲する 要點 な."。 

孟子 は 先に も 引用せ る 如く、 吾人に 良知 良能の 存在せ るを說 さ、 又は 後に 詳論す る 

孟子の 良心 論に 就いて ニー 二 



支那^ 學の 研究 1 三 一 一 

が 如く 四 端の 心 ある を說 く。 (公孫 a 上) 然 らば 彼が 所謂 ダグ ラ、 ハフ ザ を 承認せ ざる 乙 

と、 亦 言 を 待たず。 卽ち 問題 は 先天 良心 論なる か、 良心 發達 論なる かの 二 條に歸 す。 

而 して 是れ實 に 古注と 新 注との 相違す る 所以の 1 なり。 而 して 此 問題 は實に 孟子 學說 

の 全豹に 關 係す、 性 善の 意義、 存養、 擴充の 意義、 四 端の 意義 等 は皆此 問題の 解釋如 

何に 重大なる 關係を 有す。 今 雨, の 議論の 要旨 ケ-揭 げて之 を 批評し、 以て 大中至 正に 

歸 せしめん と 欲す。 請 ふ先づ 良心 發達 論者の 言 ふ 所 を 聞け。 

良心 發達 論者の 重なる 根據 とする 職 は 公孫 a 上篇に 在. CN、 曰く。 

: 惻隱之 心、 仁 之 端 也、 羞惡之 心、 義之端 也、 辭讓之 心、 禮之端 也、 是非 之 心、 知" ヒ 

端 也、 人 之 有, -是四 端, 也、 猶„, 其 有,, 四體, 也、 :: 凡 有, 四-端 於 我, 者、 知,, 皆 is 而 充- 

^之矣 、若-火 之始 燃、 泉之始 達; 苟能元 壬、 足 „, 以 保-四海: 苟不 k^、 不, 足。, 以 

今 暫く 此 論の 重なる 1 人と して、 伊藤 仁齋の 說を擧 げんに、 彼 は の 1 節 を して 曰 



く 

端、 本 也、 言惻 隱羞惡 辭讓 是非 之 心、 乃 仁義 鱧智之 本、 能 傭 而充, 之、 則 成-仁義 禮 

智 之德? 故 謂-之 端-也、 (孟子 古義) 

又 曰く、 

孟子 之 意 以爲、 人 之 有- -是四 端 T 卽性之 所 J ?、 生來 具足、 不, 待-外 求: 猶 四體之 具- 

於 其身ハ 苟櫥而 充,, 大之ハ 則 能 成,, 仁義 鱧 智之德 r 猶 T 火之始 燃、 終 至- 燎, 原 之 熾: 泉 

之始 達、 必至, 於襄, 陵 之蕩, 矣、 (語孟 字義 上) 

思 ふに 惻隱、 羞惡、 辭讓、 是非の 四 端 は、 是れ 吾人の 外物に 接觸 して 發 する 情に して、 

仁義 藉智 は德の 名な ft^、 故に 語孟 字義 上に 仁義 禮智四 者、 皆 道德之 名、 而 非-性 之 名つ 

と 云 へら。 四德 は廣大 にして、 惻隱、 羞惡、 辭讓. 是非の よく 盡 くす 所に あらず。 故 

に 之 を 端と 云 ふ。 孟子が 告子 上篇に 

惻隱之 心 仁 也、 羞惡 之心義 也、 恭敬 之心禮 也、 是非 之心智 也、 

子の 良心 論に 就いて - S 



支那 哲學の 研究 1 三 W 

と 云へ る は、 ^文なる 乙と 斷 じて 疑 ふ 可から ず。 四 端の 心 は 吾人の 固有す る 者なる • 

さ、 猶 吾人が 四體を 具有す るが 如し。 而 して 吾人 はこの 四 端の 心 を擴充 して 後、 仁義 

禮 智の德 をな すべき こと、 譬 へば 火の 始めて 燃 ゆる や 塞, たるの み、 煽て 之 を 熾に す 

れば 以て 原 燈く ベく、 泉の 始めて 達する ゃ涓, たるの み、 疏 して 之 を 導けば 以て 海- 

に 放るべき が 如し。 の 論 を 推せば 孟子が 養 性 (盡心 上) を 云 ひ、 養氣 (公孫 S 上) を 云 

ひ、 iK 盡心 下) を 云 ふが 如き、 皆 極めて 自然に 解釋 せらるべき なら。 然れ ども 端は果 

して 仁 齋の云 ふが 如く 本と 解すべき か、 はた 朱 子の 云 ふが 如く 緖と 解すべき か は、 猶 

ほ 1 考を耍 す。 

抑 も 孟子 は 常に 性 善 をい ふ。 (I おお 上) 而 して 性と は 何 ど、 彼 は 未だ 之 を 明言せ ず。 

彼は吿 子の 生 之 謂 性 說を駁 して 曰く、 

生 之 謂, 性 也、 猶,, 白 之 謂" 白與、 曰然、 白羽 之 白 也、 猶, 一白 雪 之 白 r 白雪 之 白、 猶,, e: 

玉 之 白, 與、 曰然、 然則、 犬 之 性、 猶,, 牛 之 性? 牛 之 性、 猶 U 人 之 性, 與、 (吿子 上) 



H.^ 子の 論法の 粗笨なる 乙と は 暫く 之,^ I 措き、 生と は 蓋し この 形骸 をい ひ、 性と は 精神 

を 指す もの 、如し。 彼 は 性の 定義 を 下さ どれ ども、 却って 才の字 を 用ね て 彼の 意を述 

ベた five 吿子 上篇に 曰く、 

若夫爲 ,- 不善: 非-一才 之 罪-也、 

又 曰く、 

富歲 子弟 多 , 賴、 . 凶歳 子弟 多, 暴、 非,, 天 之 降, 才爾殊 , 也、 

仁 齋は才 を 解して 才者性 之 所, 能 (孟子 古義) と 云 ひ、 朱 子 は 才は猶 ほ 材質の 如しと 云 

7。 二 解 はや、 異れ ども、 耍するに性は吾人のク マ レ ッ キな.„^。 次に 彼の 所謂 善と 

は 何 ど。 彼 は 可 k 之 謂, 善 (盡心 下) と 云 ふの み。 是れ 善の 定義と して は 殆んど 無意義な 

らと云 ふべ し。 然れ ども 彼 は 又 人 は 五官 その 嗜ひ所 を 同じう する が 如く、 心 も 亦 同じ 

く然. とする 所 あ. 9、 理義是 なら (吿子 上) と 云へ う。 然 らば 彼の 所謂 善と は 理義是 な 

4 と 云 ふ も敢て 大過な かるべきな 6>。 彼れ が 性 善 を 主張した る は、 思 ふに 下の 二方 法 

孟子の 良心 論に 就いて - ニー 一 五 



支那 哲學の 研究 二 11 六 

による。 第一に は 演繹 的 方法に して、 第二に は 歸納的 方法 是な 6S。 

演繹 的 方法と は、 彼が 性 善 を 主張した る は、 中庸に 天命 之 謂, 性と 云 ひ、 詩大 雅^ 民 

篇に 天生-一 丞 一 氏: 有, 物 有, 則、 民 之秉, 彝、 好-一 是 懿德, (告 子上篇 引) と 云 ふ に 基づき 

て、 吾人の性は天命なり天賦なるが故に善な.c^となせるな.c^。 歸納的 方法と は、 彼が 

吾人に 四 端の 心 ある を 指摘して、 るの 心理的 根據 によらて、 性善を、王張せるな.<^。 

若し 仁齋の 主張す るが 如く、 吾人の 性に 四 端の 心 を 固有 すれ ども、 未だ 完全なる も 

のと 云 ふべ から V ;、 必ず 之 を擴充 して 後 始めて 其大を 致す ものと し、 性 之 善不, 可, 恃、 

而擴充 之 功、 最不, 可, 廢 (孟子 古義) と 云 は i -、 ^w子の居常唱道せる性善とは唯性.t^ 

善 的 萠芽 あ. 9 と 云 ふの み。 換言すれば 吾人の 性は微 善の み。 按ずる^^徼善說を^^すも 

のは漢 の, 董仲舒 よも 始まる。 春秋 繁露、 深 察名號 第三 十五に 曰く、 

性 有- 1 善 端: 動^愛,, 父母 s_l 於 禽獸ハ 則 謂,, 之 善 r 此 孟子 之 言、 

善-於 禽獸, の 一語、 人 をして 不快の 感を 抱かし むれ ども、 善 端 あ 力と は 子 脱 子 ST 端の 說 



にして、 董 子の 評 は 仁 齋の說 に 外なら ずと 云ぶべし。 陳氏 東塾讀 書記に も 亦 曰く、 

孟子 所, 謂 性 善 者、 謂 U 人人 之 性、 皆 有 "善 也、 非 ご 謂 3 人人 之 性 皆 純-乎 善-也、 

亦 仁齋の 所說と 大差な し。 且つ 夫れ 心理 學 上よ.^ 之 を 言 は- - 吾人が 生れながら にして 

完全 自足の 善 を 所有し、 先天的 良心 を 具備す と說 くよ も、 吾人 は 善 的 萠芽 を備 へ 、 存 

養 擴充の 結果、 その 偉大 を 致す と說 くの 勝れる さ 言 を 待たず。 然れど 自己の 體系 とし 

てなら ば 格別、 苟 くも 科學的 研究の 對象 として 之 を 見れば、 ^>の議論が合理的なるゃ 

否や は 問題に あらず して、 其の 著者の 眞意を 得た る や 否やが 問題た る 乙と 勿論な ft- 

微 善說、 良心 發達說 は 果して 孟子の 眞意を 得た る や 否や。 吾人 をして 言 はし むれば、 

孟子が 大聲疾 味して 性 善 をい ひし は、 唯. た 何人に も 善 的 萠芽 あ .0^、 微善 あ, 9 と 云 ひし 

のみと せば、 吾人 は 頗る 不満 を 感ずる を 禁ずる 能 はず。 盡心 上篇に 曰く、 

君子 所, 性、 仁義 禮智、 根-一 於 心 T 

7- の 意 は 吾人の 性に 具有す る 所 は、 啻に 善的萠 茅の みならず 仁義 禮智 の四德 なる を 云 

孟子の 良心 論に 就いて ニー 5 



支那 哲學の 研究 - ^ 

へるな. *>。 然れ ども 仁齊の 解す るが 如く、 根 は 本な. os、 仁義 禮智の 四德は 心に 備 はれ 一 

. る 四 端に 本 づきて 發 達せる ものな- OV と 云 ふ も、 彌 縫し 得ざる にあらず。 告 子上篇 にも 

亦 曰く、 

惻隱之 心 仁 也、 羞惡 之心義 也、 恭敬 之心禮 也、 是非 之心智 也、 仁義 鱧智、 非,, 自, 外 

鑠 P 我 也、 我 固-有 之, 也、 弗, 思 耳矣、 一 

外よ ら錢 する に 非ず、 我 之 を 固有す と は、 虚心坦懐に 之を讀 ま 5-、 菩 人の 本心に るの 

四德を 固有す るの 意なる こと 明明白白な 力。 仁 齋ょ之 を 解して 曰く、 

先 儒以- 固有 二字 r 便當& 字-者、 非 也、 仁義 禮昝、 天下 之 達德、 本不, 可, P, 之 固 

有: 以-入 之 性 r 成-天下 之德: 推,, 其 所" 本、 故 謂-之 固有: (孟子 古義) 一 

其辭 頗る 窘窮 せる を 見よ。 然れ ども 吾人 をして 仁齋の 立脚 點 にあって 此文を 解せ しめ 一 

ば, 乙の 文に 於け る 仁義 鱧 智とは 四德を 指す ものに あらず、 前文 惻隱之 心 仁 也 云々 を 一 

受 てい へる もの なれば、 吾人 四 端の 心 を 固有す る を 云 ふと 解すべきな fts。 かくて,, -ー 



の 文 も亦彌 縫し 得べ し。 然れど 仁 齋の微 善 若く は 善 的 萠芽 說は 孟子の 本心、 (吿子 上) 

良、 ひ、 又は 赤子 之 心 を 解す るに 至って 窮す。 吿子 上篇に 曰く、 

雖 T 存-- 乎 人-者 ハ豈 無-仁義 之 心-哉、 其 所- 以 放-其 良心-者、 亦 猶-! 斧斤 之 於 T 木 也。 

又 曰く 

學問之 道 無 X 他、 , 求-其 放心- 而 已矣、 

離 婁下篇 に 曰く 

大人 者、 不, 失-其 赤子 之 心 1 者 也、 

放心 を 求む と は、 放てる 本心、 良心 を 求む るの 謂なる 乙と 明白な. ft -。 而 して 放心 を 求 

むる を 以て 學 問の 道と すれば、 心 を 放た ずん ば 可な. 9。 心 を 失 はずん ば 可な. os。 故に 

大人 は 赤子の 心 を 失 はざる ものと 云 ふな ft^ 。良心 は卽ち 本心 卽ち 赤子の 心な .0^。 吾人の 

本來 固有す る ものな. 0,。 若し 吾人の 本性 は 善 的 萠芽の み、 吾人の 良心 は微 善の みとせ 

ば、 赤子の 心は微 善の み、 善 的 萠芽の み、 而 して. N を 失 はざる もの を稱 して 大人と 云 

fll 子の 良心 論に 就いて 一 コ 一九 



支那 1^ 學の 研究 一四 〇 . 

ふ は、 到底吾人の了解す可からざる所な.=^。 かの 所謂 良知 良能と は 良心の 內容 な. 屬 

性なら。 孩提の 童、 其の 親 を 愛する を 良知と 云へば、 良知 は 仁な 力。 長 じて 其の 兄お 

敬す る を 良能と 云へば、 良能 は 卽ち義 な. hN。 離 婁上篇 に 

仁 之實、 事 ヒ親是 也、 義 之實、 從, 兄是 也、 

と 云 ふ は 之が 爲 な.. >。 上に 引用せ る吿 子上篇 に、 人に 存 する ものと 雖も、 豈に 仁義の 

心な からん やと 云 ひ、 之 を 受けて 其の 良心 を 放つ 云々 と 云へば、 良心の 內容は 卽ち仁 

義 なる? -と爭 ふ 可から ず。 卽ち 赤子の 心 も 亦 仁義なる rJ と は 勿論な. CN。 故に 大人 は 赤 

子の 心 を 失 はざる ものと 云 ふ。 堯舜 性, 之 也 (盡心 上) と は 中庸の 所謂 生 知 安行と 同意 

にして、 亦 の 謂な り。 卽ち 孟子の 眞意を 推す j^、 吾人の 良心 は 完全 自足なる もの、 

謂に して、 善 的贿芽 あ. o、 存養 擴充を 持って 發 達すべき もの >謂 にあらざる 乙と 疑 ふ 

可から ず。 鄒魯大 旨に 

胤按、 四 端の 說 孟子に 始まる。 仁義 禮智の 根本 わが 心に 備は 6> て ある, J と を 示し 給 



ふなり。 :: 是を四 端と 云、 仁義 禮智の 根本な $。 此外又 良心と 云、 本心と 云、 良 

知 良能と 云、 言 はか はれ ども 何も ひとつ 趣に て、 所に よ 6- て 名稱を かへ 人の 善心 を 

ふ。 

と 云へ る は、 寧ろ 大簡 にあらず や。 蓋し 天命の 性、 及び 生 知, 安行お 認. めた る 子 思の 系 

統を 受けた る、 孟子が、 先天 良心 論を鈹 吹す る は めて 自然の 結果な り。 然 らば 仁齋 

の 端本 說は擴 充を說 くに は、 極めて 自然 なれ ども 本心 良心 赤子の 心を說 くに 當 つて、 

重大なる 矛盾に 撞着せ る ものにして、 吾人の 未だ 俄に 首肯すべからざる 處 とす。 

次に 先天 良心 論者と して 朱 子の 所說. y 擧 げんに、 彼 は 公孫 丑篇に 註して 曰く、 

惻隱、 羞惡、 辭讓、 是非、 情 也、 仁義 禮智、 性 也、 心統- 性情-者 也、 端緖 也、 因-其 

愦之發 : 而性之 本然、 可-得 而見: 猶,, , 有, 物 在 k 中而緖 見-於 外-也、 

仁義 禮智は 性に t ずして 德 なること は、 仁齋の 指摘せ るが 如し、 而 して 之 を 性と 云 

へるは朱子の誤霧な.^。 然れ ども 朱 子 も 亦 固より 已は 之お 知れ.^。 故に 盡心上 篇に註 

孟子の 良心 諭に 就いて 】 四 一 



支那 哲學の 研究 1、 二.. : 

して 曰く、 

仁義 禮智、 性 之四德 也、 

性の 四德 な. C/ 然るに 之 を 性と 云へ る は、 なほ 孟子が 君子 所, 性、 仁義 禮智、 根, i 於 心, 

と 云へ るが 如きの み。 卽ち こゝに 問題と すべさ は、 性に 固有す る四德 なる か 否かの 點 

にあ, 9。 而 して 朱 子 は 固有 論者に して、 仁齋は 萠芽 論者た るの 相違 あるの み。 故に U 

齋は 端本 說 良心 發達論 を 取.^、 朱 子 は 端 緖說、 先天良心論を取れるな.^。 端本 說 良心 

發達論 は、 赤子の 心を說 くに 當 つて、 決して 解釋す 可から ざる 矛盾に 撞着し、 端緖說 

先天 良心 論に あら ざれば、 到底 了解し 難き ると 前に 述べた るが 如し。 然れ ども 朱 子の 

說は又 擴充を 云 ひ 達 を 云 ひ 養 性 を 云 ふに 至って、 端本 說の 如く 自然なる ると 能 はず、 

是れ 其の 重大なる 難點 な. 9。 擴充と は 其の 微々 たる もの を擴充 して、 漸次 その 大を致 

すの 義 なる. V/ は 勿論な.^。 故に 子 風 子 は 之 を 火の 始めて 燃え 泉の 始て 達する に譬 へたる 

な.^。 然 らば 端緒 說は擴 充を說 くに 當 つて、 到底 解釋す 可から ざる 矛盾 ある こと、 猶 



ほ 端本 說の 赤子の 心に 於け るが 如き もの ある や 否や。 朱 子 は 日く、 

擴推廣 之 意、 充满 也、 四 端 在 k 我、 隨處發 見、 知 S 皆卽, 此推廣 、而充 --滿 其 本然 之 量- 

則 其 曰 新 又 新、 將, 有, 不, P1 自已, 者蕋、 

良心 は 本より 完全 なれ ども、 物欲の 爲 めに 陷溺 せられて、 人の 禽獸 と異る もの 殆んど 

希な らんと す。 然れ ども 本性の 善 は 到底 磨滅す 可から ざる もの あ. て存 す。 此の 良、 え 

は 折に 觸れ 機に 臨みて 發 見す。 四端の心卽是な.<»^。 故に 吾人 は此 i: 端の 心に 卽 いて、 

之 を擴充 して 本性の 善に 復る べしと いふ は 卽ち朱 子の 意な. 9。 此 くの 如く 說き 來れば 

養 性 も 達 も、 皆 何等の 支障な く彌 縫し 得べ し。 唯 虚心 平氣に 之を讀 めば、 到底 端本 說 

め 自然なる に 如かざる を覺 ゆるの み。 

以上の ニ說を 比較 すれば、 ニ說皆 をの 長所 あると 共に 短所 あ. 9。 然れ ども 矛盾の 多 

少を 以て その 優劣 ケ 論ぜば、 端本 說は 到底 端緒の 矛盾の 少 きに 勝る こ > 能 はず。 故に 

予は 寧ろ 先天 良心 論に 與 せざる 能 はざる な. 9。 

孟子の 良心 諭に 就いて 1 ?1 一 J 一 



支那 哲學の 研究 1 四 四 

千; 古學派 をして 言 はし むれば、 儒 學には 元と 復性復 初の 思想な し、 をの 復性復 初 を 云 

ふ は 老莊の 思想な. 9。 朱 子が 孟子 を 解して 先天 良心 論者と なす は老莊 思想の 影響の み 

と。 老莊に 復性復 初の 思想 ある と は、 實は. 5 派の 所論の 如し。 老子が 復_ ー歸于 嬰兒, 

を 鼓吹せ るが 如き、 をの 動かす 可から ざる 誇據な .^。 然れ ども 儒學に 復性復 初の 思想 

なきや 否や は、 未だ 俄に 之 を 決す 可から ず。 孔子 は 上智の 人 を 承認し、 又 生 知の 人 あ 

る を 承認せ ftN。 換言すれば 生れながら にして 完全 自足の 人 あるべき を 承認せ.^。 再 言 

すれば 先天 良心 を 具有す る 人 あるべき を 承認せ. 9。 子 思に 至って は をの 思想 を 受け 生 

知 安行の 人 ある を 言; 5、 又自, 誠而 明、 謂, 一之 性, と 云 ひ、 更に 之に 哲學的 根據を 置かん 

として、 吾人の 性 は卽ち 天命な り 天賦な ftv となし、 吾人 は 天命に よらて 先天 良心お 具 

有すと なせり。 をの 思想 を 受け、 當 時の: 學界に 於て 問題と な 6 來れる 性 を 取 ftv、 特に 

性 善 を 以て 自家 學說 の根據 となせ る 孟子が、 先天 良心 を 主張す る は 毫も 怪しむ に 足ら 

S 子 は 寧. <: 常識 論者 にん, て," 強て ずれば 性 三 品 卽 ち.. -智、 中 人、 下 愚 



を說 き、 子 思 は 之 を 受けて 生 知、 學知、 困 知の 三 品、 若く は 之に 下 愚 を 加 < て 四 品 を 

說く と共に、 一方に 於て は 吾人の 性 を 天命な .o とする 萬 人 同性 說の 思想 あ ftN。 孟子に 

至って 專ら萬 人 同性 說を 取. 9、 堯舜は 人倫の 至な, OV としつ、、 人 皆 以て 堯舜 たるべし. 

と 云へ. 5。 新く の 如く 見來れ ば、 孔子 及び 思孟の 思想 發 達の 迹は、 歷. > として 指示し 

得べき に 非ず や。 而 して 儒學に 於け る 復性復 初の 思想 は、 實に子 思に 始まる。 中庸に 

曰く、 

天命 之 謂, 性、 率, 性 之 謂, 道、 修, 道 之 謂, 敎、 

天命の 性の ま.^ に 率 ふ 道と せば、 之を修 むる の 必要な きに 非ず や、 然るに 彼 は 之 を 

修 ひる を 以て 敎 となせ. V。 自 Jsi 、謂- i 之敎 一と 云 ふ も 亦 同意な ft^。 ^-の思想は猶ほ孟 

子が 性 善 を說き 先天 良心 を說 きて、 然も 猶ほ 擴充、 養 性を說 くが 如きな. 9a 本來 善な 

らと雖 も缺損 あ. 9、 故に 修めて 之 を 其 初めに 復 せしめん とするな. n^。 抑 も 中庸 は 仁 

齋、 徂械 等が 言へ る 如く もと 老 氏と 相抗 して、 儒學の 精神 を 明かに せんが 爲 めに 作 

チ 良の 心 龍に 就 いて 一四 五 



支那 哲 C やの 研 i 九 Ira: 六 

る。 ,v の 間に 自 から 幾分の 影響 を 受けし 乙と は 想像し 難から ず。 復性復 初の 思想 も 孰 

れ かその 老莊學 の 影響に あらざる を 知ん や。 孟子が 大人 は 赤子の 心 を 失 は VD る もの 

と 云 ふに 至って は、 明かに 復性復 初の 思想に して、 老子が 嬰兒 に復歸 せんこと を 主張 

せる と 酷似す。 復性復 初の 思想が 老莊の 影響なる や 否や は、 暫く 之 を 措 さて、 もの 思、 

想が 思孟に 至って 現 はれた る 乙と は、 斯 くの 如く 夫れ 明白な う。 故に 之 を 以て 復性復 

初 を 主張す る 端緖說 は、 儒家の 思想に あらず と斷 ずる は、 思想 發 達の 歷史を 無視す る 

大 なる 誤謬な. *y。 

或は 曰く、 孟子 は頭腦 明晰なる 學者 にあらず、 寧る 氣を 以て 其の 論 を 行る 才人な 

ら。 もの 議論 もとよら 矛盾に 富む。 然れ ども 文 を 以て その 意 を 害する. 勿れ。 孟子 は 性. 

に 善 的萠茅 ある を 認め、 之 を擴充 して 仁義 禮智 の德を 養成し 得べ しとな す。 換言 すれ 

ば 吾人の 良心 は存 養に よって 發 達すべし と說 くなら。 本心、 良心、 良知、 良能、 赤子 

之 心と 云が 如き 暫く その 矛盾 を 論ずる 勿れ。 要するに 皆 四 端の 心と 大同小異 のみ。 U. 



齋の說 は の 意に 於いて、 £ 子の 具 意 を 得た, 9 と、 夫れ 或は 然 らん。 或 人の 所 設の如 

くんば 吾 亦 何お か 言 はんや e 



!!^ 子の 良、. 5 譫に 就いて t 四. 



支那 哲學 の硏究 1 四 八 

孟子の 敎育說 

人性 はもと 善 なれ ども、 欲心 あるが 爲 めに 其の 本心 を 放って 之.^ 求 ひる こと を 知ら 

ず 若し 存養 其の 宜しき を 得ば、 人 皆 以て 堯舜 たるべし とい ふ。 是れ 孟子の 偷理 敎育說 

の立脚點な.^。 偷理說 に 就いては、 今 暫く 之 を 措き、 彼の 敎育說 を 見る に、 彼 は卽ち 

敎 育の 可能 を 認める と共に、 敎育を 以て 本性の 善に 復歸 し、 已に 放てる 本心 を 求む る 

所以の ものと し、 消極的 意義 ある ものと なせり。 而 して 敎 育の 目的 は、 言 ふ 迄 もな く、 

人 * 皆 以て 堯舜 たるに 在 ftN。 故に 離 婁上篇 に 曰く、 

規矩 方 員 之 至 也、 德 人人 偷之至 也、 

盡心 上篇に 曰く 

公孫 丑 曰、 道 刻 高矣、 美矣、 宜- 若 天然: 似禾谙 k 也、 何不, 使 爲. 可-幾 

及, 而曰孳 也、 孟子 曰、 大匠不 T 爲,, 拙ェ, 改, 廢繩墨 不, 爲-, 拙, 變 V; 、穀率 



子 引 而不, 發、 躍如 也、 中道 而立、 能 者從, 之、 

堯舜は 入 倫の 至な も。 舜を 以て 標的と なさん 乙と は 美 は 乃ち 美 なれ ども、 恰も 天に 

登る が 如く、 常人の 企及すべからざる に 似た. <>。 然れ ども 人を敎 ふるに 當 て、 凡庸 

の爲 めに その 標的 を變改 する 乙と 能 は ざ るな 6^。 

抑 も政敎 一 致 は 人文史 上 多くの 民族に 共通に して、 支那に 在らても 亦堯 舜以來 儒家 

の宗 とする 所な .0。 故に 孟子 も 亦 君主と して 臣民 を敎 育す る 所以 を 論ぜり。 彼が 政治 

說に 於いて、 恒產 無ければ 因て 恒心な き は 人情の 常 なれば、 民 を 治む るに は 民の 逢お 

制して 衣食に 窮す るると 無から しめ、 而 して 後 學校を 設けて 之を敎 ふるに 孝悌 忠信 を、 

以てすべ しと 說け るか 如き 是れ なり。 盡 心上篇 にも 亦 曰く、 

仁 言 不』, , 仁聲之 入, 人 深, 也、 善政 不, 如, 1 善 敎之得 T 民. 也、 善政 民畏, 之、 善敎民 愛, 

之、 善政 得 民 財 r 善敎 得, I 民心 7 

栄子は 政と 敎とを 解して、 政 は 法度 禁令 を 謂 ふ。 其の 外 を 制する 所以なら。 敎 は道德 

孟子の XI- 育說 1 四 九 . 



支那 哲學の 研究 1 五 〇 . 

齊禮を 謂 ふ。 其の 心 を 格す 所以な ftN とい ひ、 民 財と 民心と を 解して、 民 財 を 得と は、 

百姓 足らば 君 足らざる なきな 6V。 民心 を 得と は、 其 親 を 遺れ ず 其の 君 AJ 後に せざる な- 

- 0と い へ. os。 其說 當れ. <>。 要するに 君主の 人民 を敎 育せ る效果 をい へるな fcN。 

- 人の 師 として 子弟 を敎 育す るに 就いては、 種々 の 方法 あらとす。 告子 下篇に 曰く、 • 

敎亦 多, 術矣、 予不, 屑 之 敎誨也 者、 是亦敎 海 之- 而已 矣、 

子弟の 質疑に 對 して 滔<- と 之 を 辯 じて 以て 其の 惑 を 解き もの 誤 を 正す 乙と、 孟子の 公 

孫 丑、 萬 章 等に 對す るが 如き は、 いふ 迄 もな く 敎育的 方法 なれ ども、 別に 不 屑の 敎と 

いふ もの あ. cs。 是れ人 を 奮起せ しむる 所以に して、 亦 或る 場合に は 極めて 有效 なる 敎 

授 法の 一 な 6N。 是 所に は 彼 は 敎に術 多し とい ひ、 唯不 屑の 敎 のみ を 擧 ぐれ ども、 盡心 

上 篇には 之 を 列擧せ 6,。 曰く、 

君子 之 所- 以敎, 者 五、 有, 如,, 時雨 化^者 箸-成」 i 者 r 有-達お 者: 有-答 者: 有. T 

私淑 艾者 r 此五者 君子 之 所- 以敎, 也。 • 



此の £ 者に 就いて 之 を 見る に、 前の 三者 は 感化 又は 效果に 就いて いひ、 後の 二者 は 方 

法に 就いて いふ。 而 して 其の 方法の 中、 前者は之を敎ふるに意ぁ.<^。 後者 は 無心に し 

て自 から 範を 後人に 垂れ 後人 を 感化す るなら。 彼 は 人の 師 たる を 好む を 以て、 人の 大 

患 (離婁 上) ならと すると 共に、 賢者 は 必らず 不肖 者を敎 育すべき を 述べて 曰く、 

中 也 養,, 不中: 才也 養-, 不才: 故人 樂 賢 父兄-也、 如 中 也 棄/, 中: 才也 棄-- 不才 r 則 

賢 不肯之 相 去、 其 間不, 能, 以, 寸、 (離婁 下篇) 

伊 尹が 自 から 先知 先覺を 以て 任じ、 後 知 後 覺を覺 さんと 欲せし は、 即ち 中に レて不 中 

■V 養; 3、 才 にして 不才 を 養 はんとせ しのみ。 故に 人 は 賢 父兄 ある を樂 しむ。 然れ ども 

君子 は 親から 其の 子を敎 へず。 離 婁上篇 に 曰く、 

公孫 丑 曰、 君子 之不, 敎 k 子 何 也、 孟子 曰、 勢不っ t 也、 敎者 必以, 正、 以, 正不 At.- 

繼, 之以 怒、 繼, 之以 kr 則 反夷矣 、夫子 敎 k 以 k 、夫子 未, 出-於 正-也、 則是 父子 相 

夷 也、 父子 相 夷、 則 惡矣、 古 者 易, 子 而敎, 之、 父子 之 間、 不, 責, 善 、責, 善 則 離、 離, 

孟子の 敎宵說 1 五 一 



支那 哲學の 研究 一 五 二 

則 不祥 莫, 大焉、 

是れ 正に 孔子が 其 子 鯉 を 遠ざけし と 其の 意 を 同し 5 す。 是れ 孔孟の 家庭 敎 育に 冷淡な 

るが 爲 めにあらず。 寧ろ 大に 之に 注意して 然 ftoi は、 之 を 前文 人樂 k 有-賢 父兄-の 語 

に 身 照して 之 を 知るべし。 眞に 家庭 敎 育の 何物た る を 知る もの は、 易 k 子 而敎ぃ 之の 頗 

る 意義 あるる と を 了解すべき なら。 孟子 甞て 論じて 曰く、 : 

君子 有-三 樂 T 而 王-天下? 不- -與存 -焉、 父母 俱存、 兄弟 無, 故、 ー樂 也、 仰 不レ愧 --於 

天 不 お-於 人三樂 也、 得-天下 英才- 而敎- 育之 r 三樂 也、 君子 有-三 樂っ而 王 天 

下つ 不,, 與存, 焉、 (盡心 上篇) 

敎育 者た る もの 果して この 抱負 あ ftv、 この 氣慨 あらば、 會 上の 位地 如何、 對 遇の 良 

否 如何の 如き は、 齒 牙に 懸 くるに 足らず。 予 M の 文 を 讀む每 に 孟子の 人と 爲. 《 ^を 想望 

せず i ば あらず。 思 ふに 敎 育に 從 事す る もの 須 らく 7- の 自重と 乙の 自任と なかる *《 力 



孟子の 君臣 論に 就いて 

, > 、、に. Ili..,- に ""尸 

孟子 は自 から 稱 して 孔子 を學 び、 孔子に 私淑す とい ふ。 然れ ども 君臣の 關 係に 就い 

て、 孟子の 論ずる 所 は、 孔子の 所論と 頗る 其の 趣 を 異にし、 疑 ふべき 點 なきに あら 

ず。 請 ふ 其の 仔細 を 語らん。 

孟子 は 勿論 君 ほの 義.^ 重んずる ものなら。 故に 人倫 を 論じて 君臣 有義 といべ. 5。 論 

奢 或は 孟子が 湯武放 伐の こと を; g ずる を 聞きて、 孟子 は 毫も 君臣の 義を 顧慮せ ざる も 

のとな すに 至って は是れ 盾の 一 面 を 見.; る ものにして 、未だ © くせ i と いうべからず。 

何 を 以て か 之 を 言 ふ。 

孟子 は 楊 朱の 爲我 說、 墨 翟の兼 愛 說を排 する を 以て、 己が 任と なし、 楊 朱の 說は君 

を 無視し、 墨 子の 說は父 を 無視す る ものにして、 斯 くの 如く 君 父 を 無視す る は、 是れ 

禽獸 な.^ といべ i。 (滕文 公 下) 楊 墨の 說が杲 して 君 父 を 無視す る や 否や は 暫く 之 を 措 

孟子の 君臣 論に 就いて 1 五三 



支那 哲學の 研究 1 五 四 

き、 k 子が 君 父レ- 無視す る を 見て、 之 を禽獸 な. 0, とい ふに 至って は、 彼の 君臣の 義 t 

重んずる 念 厚 か. し 10 と 想像す るに 足るべし。 其の 他、 彼 は 孔子 を 推 尊し、 孔子が 春 

秋 ♦ ^著 はして 大義名分 を 明かに せし こと を推稱 して、 孔子 成-春秋 T 而亂臣 賊子 懼 とい 

ひ、 (滕文 公 下) 其の 他 春秋に 關 して 論ずる 處、 滕文公 下、 離婁 下の ニ篇に 見え、 景 慕の 

情 切なる もの ありし を 窺 ふに 足る もの あ. 5。 萬 章 上 篇に見 ゆる 咸丘襃 との 問答の 如き 

も、 亦 彼の 意 を 窺 ふに 足る もの あ. *^。 

咸丘蒙 問 曰、 語 云、 盛德之 土、 君 不,, 得而臣 T 父 不-- 得而子 r 舜南面 而立、 堯 帥-諸侯 r 

北面 朝. 之、 瞽瞍亦 北面 而朝, 之、 舜昆 --瞽 S- 其 容有, 蹙、 孔子 曰、 於- 斯 時-也 • 天下 

殆哉、 岌々 乎、 不, 識此語 誠然乎 哉、 

咸丘 蒙の 問 ふ 處は韓 非 子 忠孝 篇. も 亦 之 を 引き、 孔子 は 孝弟 忠 順の 道 を 知らざる もの 

ならと 批評せ. o。 若し 此 語.^ して 果して 信なら しめば、 韓 非の 批評に 對 して 殆んど 辯 

解の 辭無 からん とす。 然るに 孟子 は 之 を 解して、 是れ 君子の 言に あらず、 齊東 野人の 



語なら とし、 堯 老いて 舜攝 する のみ、 堯 典に 

二十 有 八 載、 放 勳乃报 落、 百姓 如, 喪-, 考妣 n 二 年 四海 遏-密 八 音 r 

と あ 6。 孔子 曰く、 天 無, 一二 日: 地 無-一二 王, と。 舜已に 天子た 6,、 又 天下の 諸侯 を 帥; S 

て、 堯の 三年の 喪 をな せらと せば、 是れニ 天子の みとい へ i。 孟子が 大義名分 を 重ん 

ずる 乙と 靳 くの 如き もの あ .ON。 論者が 孟子 を 以て 毫も 君臣の 義を 顧みざる ものと いふ 

の 非な ゥと いふ は是を 以てな hNO 

然 らば 孟子の 君 E 論 は 全然 孔子と 其の 軌を一にす るか。 否、 其の 間 頗る 徑庭 あ. 9。 

予は今 こ V に 孔子の 大誇 名分 說を述 ぶる. の 必要 ある を 知れ ども、 暫く 之 を 措き、 乙 y- 

に は 孟子の 所論の 頗る 疑 ふべき もの を列擧 すべし。 孟子 嘗 つて 齊宣 王に 告げて 曰く、 

君之覷 レ臣、 如-手足 T 則 臣視, 君、 如 一一 腹心: 君 之視, 臣、 如 一一 犬馬: 則お 視, 君、 如, ー國 

000 0000000 

人? 君 之視, 臣、 如-一 土 芥ハ則 臣視, 君 • 如 ,1 寇讎 『(離 宴 下) 

夂嘗っ て齊宣 王が 貴 戚の卿 を 問 ひしに 答 へ て、 

孟子の 君臣 論に 就いて 】 S 五 



支 郝哲學 の 研究 1 五六 

君 有-大過, 則諫、 反,, fM, 而不, 聽、 則 (萬 章 下) 

とい ひしが 如き、 皆 後人の 批難 を 免 かれざる 所な i。 特に 彼の 架紂 論に 至って は愈甚 

し。 梁惠王 下篇に 曰く、 . 

齊宣王 問 曰、 湯 放, 柴武王 伐, 紂、 有 fe、 孟子 對曰、 於 ,傳 有^、 曰 ぼ 弑,, 其 君; 可 

乎、 日賊 b 者 謂- 1 之賊: 賊. 義者謂 U 之殘 『殘賊 之 人、 謂-一之 1 夫" & 一 5< ぎ^、 



未 君 也、 

是等は 皆 彼が 人君に 告げて、 其の 過な からん と を 望む が爲 にい へる もの なれば、 所 

謂 對症藥 にして、 之 を 以て 直ちに 孟子の 思想なら と斷じ 難き こと 勿論 なれ ども、 要す 

るに 頗る 不穩當 にして、 其の 體を 得ざる と は 云 ふ 迄 もな く、 吾人の 到底 取る 能 はぎ 

る 所、 特に 一 夫 紂を誅 する を 聞く、 未-た 君お 弑 する を 聞か ざ るなら とい ふ に 至って 

は、 ^Vの後世の敎を亂る^Jと杲して如何どゃ。 

孔子 は 四方 を 周流して、 席暖 るに 遑 なしと い へど も、 若し 孔子 を 用 ねる もの あらば 



卽ち東 周を爲 さんと 欲せし な. 然るに 孟子 は 齊粱の 君に 勸 めて、 王道 を 行 はし めん 

と 欲し,、 齊梪 晋义の 覇業 を 蔑視す るが 如き、 亦 孔子の 周 室に 眷. たるの 趣 ある を 見 

ず。 是れ 蓋し 當時周 室の 勢力 全く 衰微して、 また 天下の 宗主た るの 實 なく、 之お 孔子 

の 時代に 比すれば、 巳に 雲泥の差 あるに 由る とはい へ、 抑 も 彼が 民本主義 を懷 抱せ し 

による。 故に 盡心 下篇に 曰く、 

民爲, 賣、 社稷 次, 之、 君爲, 輕、 是故 得-乎 丘 民 r 而 爲,, fK 子 r 

離 婁上篇 にも 亦 曰く、 

桀紂之 失-天下, 也、 失 ,- 其 民, 也、 失-其 民-者、 失- 1 其 心-也、 得-天下 %Jr 得-其 

民ハ斯 得,, 天下, 矣、 得, I 其 民, 有, 道、 得,, 其 心 T 斯得, 民矣、 

萬 章上篇 にも 亦、 萬 章に 語りて、 舜が 天下 を 有ち し は、 堯が 之を與 へしに あらず、 天 

之に 與 へしな ft, として、 

昔 者堯薦 _,舜 於 天 i 天受, 之、 暴-之 於 民 i 民受 i 之、 :: 使 之 主" 祭、 而百 祌享、 

孟子の 君 K 論に 就いて . 1W 七 



支那 哲學の 研究 ^ 3^ 

是天受 之、 使-之 主 T 事、 而, 事 治、 百姓 安, 之、 是 民受, 之 也、 

t いふが 如き、 皆 彼の 民本主義 をい ふに あらざる はなく、 乙の 點に 於いて は古來 支那 

民族の 天人 思想 を 纏 承せ る ものと いふべ し。 

予 はこ ゝに 孟子の m 心 想を斷 じて 民本主義と いひ、 敢て 民主 令義 とい はず、 何ん とな 

れば、 民主々 義の國 家に あ ft 'て は、 統治 權を 有する もの は 人民な. 9。 而 して 統治の 機 

關 たる 大統領と 人民との 關係 は、 別に 君臣の 義 あるに あらず。 而 して 孟子 は 之と 異 

る。 入 民を貴 び、 人民の 意嚮 を 尊重し、 人民の 心 を 得 ざれ ぱ君 主たる 能 はずと 稱 すれ 

ども、 已に 君主 を認 むる のみならず、 君臣の 關 係は餒 として 名分の 存 する あ ftN、 臣民 

の 君に 仕 ふるや 忠 ならざる ベから ずと す。 換言すれば 君臣の 義を 承認した る 上に 於い 

て、 君主 は 臣民の 意志 を 尊重す べしと いふな ftN。 是れ予 の 孟子 を 指して 民本主義 とい 

ひ、 民主と K 別す る 所以な. ft>o 



孟子 の 自由 平等 觀 

一 

支那 史, y 繙 いて 春秋 戰國の 際に 至る と、 周 室 衰微して 諸侯 放恣、 列國は 互に 强を爭 

ひ、 生 民 は 塗炭の 苦 や」 免れず、 其 間 各種の 思想が 雜 然として 並び 起. 5 たる 狀況 は、 多 

くの 點 から 比較して 宛と して 現代の 世界 を 見る が 如き 心地が する。 一 方に 於て 軍國、 王 

義を 主張す る 者 あれば、 他方に 於て は 平和主義 を高唱 する 者が あ. 9、 又】 方に 於て 君 

權の 強大 を 謀る 者 あれば、 他方に 於て は 君民の 差別 を撤廢 せんと 說く 者が あ. c>、 其 他 

互に 矛盾せ る 思想が 並び 起って、 其 間 或は 國家 社會に 害毒 を 流す 者も尠 くない。 苟も 

心 を 經サ」 涛 民に 存 する 者 は、 誰し も 之 を 見て 苦心 焦慮せ ぬ 者 は 無から う。 我が 孟子の 

如き は卽ち 慨然と して 之お 救濟 せんとし、 盛に 邪說淫 辭ぉ駁 撃して、 或は 辯ヒ 好む (滕 

文 公 下) との 批評 ケ- 蒙む るに 至った。 請 ふ 其 一 斑 を 論じて 見よう。 

孟子の 自出 平综觀 】 五 九 



支那 哲學の 研究 1 六 

一一 

由 平等の 思想 は古來 支那 民族の 思想で ある。 宇宙の 主宰者た る 天と、 1 般ん 民と 

の關 係に 就て、 支那 民族の 抱いて 居る 思想 を 考察 すれば、 明々 白,? -疑ふ 可から ざる 事 

赏 である。 此點に 就て は 予は屢 々論 丈に 一^書に 論述した 所で あるから、 今 又 之 を 繰 A> 

S す rj と は 止める。 要するに 佛蘭: i: 革命に 際して 起った 天賦 人 櫂 論の 如き は、 支那に 

於て は 開 國以來 明瞭なる 事實 として 考 へられた る 所で ある 。天下 統治の 必要 上、 統治 權 

の 强大と 君主の 威厳と を增 さんが 爲に、 歷 代の 君主 は 苦心 慘儋 種々 の 方法 を 用 ひたに 

. ^拘 はらず、 開 國以來 の 自由-牛 等 思想の ために、 遂に 其 目的 を 達する ことが 出來 なか 

ゥ た 程で ある。 孟子の 如き も 勿論 此の 國民 思想の 範 圍を脫 する 乙と は出來 ぬ。 聖人 は 

我と 類 を 同じう する 者と い ひ (告子 上) 萬 人 同性 を說 き、 人 .1- 皆 以て 堯舜 たるべし とい 

ふが 如き は (吿子 下) 卽ち 自由 ギ综 思想お 某 礎と して、 之 を 倫理 道徳上に 論及した る も 

ので ある。 伊 尹の 志お 述べて、 天の 此民を 生ずる や、 先知 をして 後 知を覺 せしめ、 先 



覺 をして 後 覺を覺 せし む、 予は天 民の 先覺 者な ゥ、 予將に 斯道 を 以て 斯 民を覺 せしめん 

とす、 予 之を覺 せし むる に 非ず して 誰 どやと いふ は (萬 章 上) 萬 人 皆 同じく 天の 生む 所 

はして、 皆 同じく 知覺の 能力 あ, CN となす もの、 卽ち 自由 平等 思想に よって 、之お 政治 上 

に 論及した ものである。 其 他 孟子の 所 IS 仁政 又は 王道 は 正しく 國 民の 自由 平等 を 目的 

とした もので、 特に 井田 法 や 鰥寡 孤獨の 待遇 法の 如き は 同 主義に よる 社會 政策 的 施 议 

とい ふべき である。 斯 くの 如く、 自由 平等 思想 は 服 子の 承認す る 所で あるが、 差別 を 

無視した る惡 平等、 責任 を 無視した る 放縦 は、 子 i 子の 斷乎 として 排 せる 所で ある。 

其 議論の 耍旨は 楊 墨.^ 徘し、 (滕文 公 上、 下盡心 上、 下) 農家 を駁 せる、 (滕文 公 上) 諸 

篱に 見えて 居る。 

三 

孟子の 楊 朱を駁 する 語 は、 楊 氏爲, 我、 是 無, 君 也 (滕文 公 下) と、 楊子 取, ー爲我 T 拔, 二 

毛 一而 利,, 天下 r 不, 爲也 (盡心 上) との 二 章 あるの み。 楊 氏の 學說 は今存 する 所の 列 子 楊 

子の €1:,^ 小等觀 1 • ;,、 一 



支那 哲學の 研究 一 六 二 

朱 篇に詳 かで あるが、 彼 は 極端な 個人主義者で、 國家 社會と 全然 沒交涉 に、 自家 獨善を 

計った ので ある。 從ゥて 一毛 を拔 いて 天下 を 利す るも爲 さず と は、 楊 朱の!^ 素の 主張 

である。 卽ち 意識的に 惡 意あって 君 を 無視す るので は 無い が、 其 行爲は 勿論 君 を 無 S 

し、 國家 社會を 無視す る ものである。 卽ち楊 朱 は 獨6> 自ら 守る 乙と 義 に似て 非なる も 

のぁft^、 且つ 全然 孔子の 仁德の 何物た る を 知らざる ものである。 次に 孟子 は 墨 子ケ」 駁 

して、 墨 氏 兼 愛、 是無, 父 也 (縢 文 公 下) とい ひ、 又 墨 子 兼 愛、 摩, 頂 放, 踵 利, 一天 下, 爲, 

之、 (盡心 上) といって 居る。 墨 子の 著述 は殘闕 する もの 少く、 多く は 現存して 居る 

が、 其 著書に よると 彼ば 極端な 博愛主義者で、 徹頭徹尾 社會の 安寧 幸福 を 計らん とす 

る ものである。 意識的に 父 を 無視す るので は 無く、 否 寧 k: 父 を 愛する 乙と 敢て 儒者に 

劣らざる ものであるが、 無差別 平等に 己が 父 も 他人の 父 も 兼 愛する が 故に、 其の 結果 

は 父 を 無視す るに 至る ので ある。 墨 者 夷之との 問答に よると、 此點は 一 層 明瞭で あ 

,ぁ0 夷 子 は 曰く、 



儒者 之 道、 古 之 人、 若, 保-赤子 r 此言何 謂 也、 之 則 以爲、 愛 無-差等; 施 由, 親始、 (滕 

文 公 上) 

儒者が 萬 民 を 愛撫す る 7- と、 赤子 を 保ん ずるが 如くせ よと 說く は、 我が 墨 家の 主張 

する 所と 同じく、 愛に 差等 無く、 唯其の施設の順序として親ょft^始ひるに過ぎざるに 

非ざる かとい ふ 意で ある、 孟子 之を駁 して 曰く、 

失 夷 子信以 K 爲人之 親-其 兄 之 子 r 爲. -若, 親,, 其 隣 之 赤子-乎、 彼 有, 取爾 也、 赤子 匍匐 

將, 入, 井、 非 = 赤子 之 罪, 也、 且天之 生, 物 也、 使-之 11 本、 而夷子 二, 本 故 也、 (滕文 

公 上) 

夷 子 は 信に 人の 其 兄の 子 を 親しむ と、 隣人の 子 を 親しむ と、 全く 相等しと 爲 すか、 

人情の 自然に 從 はば 其 間 必ず 差別 あるで と 勿論で あらう。 彼の 若:, 保 U 赤子 1 の 語 は、 も 

と 人民 無知に して 法 を 犯す 乙と、 赤子の 無知に して 井に 入らん とする が 如き を譬 へた 

ものである。 且つ 人物の 生ずる や 必ず 父母に 本 づき 1 にして 二 無し、 然るに 夷 子 は 我 

^子の目^H;牛ls-觀 1 六ョ 



支那 哲學の 研究 1 六 四 

親と 他人の 親と を 等しと する は 是れ本 を 二に する ので あると。 要するに 墨 家の 翁 愛 は 

孔子の 仁に 似て 非なる もの あう、 而 して 全然 義の 何物た る を 知らざる ものである。 故 

に 楊 墨の 說を排 せ ざれば、 孔子の 道 著 はれず、 是れ 孟子が 楊 墨 を 排斥して 仁義 を 主張 

した 所以で ある。 故に 曰く、 

楊 墨 之 道不, 息、 孔子 之道不 J 者、 是邪 說誕, 民、 充-塞 仁義 > 也、 (滕文 公 下) 

孔子 は 唯一 の 仁の 字を說 く、 而 して 孟子が 仁に 配す るに 義を 以てし 仁義 を說 き、 孔 

子の 道 を 明かに したの を 見ても、 孟子が 國家 社會を 無視した る 個人の 自由 や、 或は 無 

金 別の 惡 平等 論 を排し た ^- とが分 か る と思 ふ。 

四 

滕文公 上篇に 曰く、 神 農の 言 を 爲す者 許 行なる もの あ. 9、 其 徒 皆 褐を衣 履を捆 ち、 

席 を 織って 以て 食と 爲 すと、 換言すれば彼等は自^i勞働して生活の資とす るので あ 

る?. 彼等の 說に從 へば、 君主 は 民と 並び 耕して 食 ひ、 自 から 炊いで 食を爲 ft- つ 兼ね 



て 民事 を 治むべき である、 租税 を徵收 する が 如き は 民 を 病まし むる 所以で あると。 日 

滕君則 誠 賢 君 也、 雖, 然未, 聞 k 道 也、 賢者 與 k 民 並耕而 食、 饔飱而 治、 今也滕 有-倉廩 

府庫 (則 是厲, 民 面 以自養 也、 惡 得:, 賢、 

孟子 は 則ち 鸫々 數十言 之を駿 したので あるが、 其 耍旨を S へば、 許 子 は 必ず 粟お 種 

えて 食 ふと 雖も、 其 素 冠は自 から 之 を 織らず、 釜 觀鐡耕 も亦自 から 之を爲 さず、 皆 粟 

を 以て 之に 易 ふ。 是れ百 ェの事 皆 分業に よるべく、 固よ ら軿 して 且つ 爲す 可から ざる 

が爲 めで ある。 而 して 是れ 勿論 許 子の 徒と 雖も亦 承認せ ざる 所で ある。 故に 曰く、 

許 子何不 F 爲,, 陶冶: 舍皆取 n 諸 其 宮中, 而用 VN、 何 爲紛々 然與- 百 エー 交易、 何 許 子 之 

不, 憚, 煩、 曰 百ェ之 事、 固不, 可,, 耕 且爲, 也、 

是れ *^ 子 問うて 許 行の 徒 答 ふるの 語で ある。 旣に社 會の事 分業の 制に よるべ きる と 

を 知らば、 同じ 理由に よって 天下 を 統治す るの 職 は" 農夫の 職と 兼ぬ 可から VD る 乙お 

子の ほ 由 平 I サ觀 一六 五 



支那 哲學の 研究 . 1 六 六 

を 知らねば ならぬ。 故に 孟子 曰く、 

然則 治,, 天下 r 獨 可,, 耕 且爲, 與、 有 大人 之 事: 有-小人 之 事: 且 一 人 之 身、 而百ェ 之所ト 

爲備、 如必 爲而 用, 之、 是 率,, 天下, 而路 也、 故 曰、 或勞, 心、 或勞, 力、 勞 つむ 者 治, 

人、 勞, 力 者 治, 於, 人、 治, 於, 人 者 食, 人 治, 人 者 食 X 於, 人、 天下 之通義 也、 

自己の 職と する 所 を 以て、 他の 職と する 所と 有無 相 通ず る も、 互に 相 病まし むる に 

非ず、 農夫が 粟 を 以て 陶冶の 器械と 易へ、 陶冶が 器械 を 以て 農夫の 粟と 易 ふる も 互に 

他 を 病まし めず とせば、 君子が 心を勞 して 人 を 治 ひるの 故 を 以て 食 を 民に 取. c>、 民が 

カを勞 して 人に 治めら る ゝの故 を 以て、 食 を 君主に 供す る も、 亦 互に 他 を 病まし め 

. ず、 許 子が 滕に 倉廩 あるの 故 を 以て 民を厲 ますと いふの 非なる rJ と 明々 白々 とい ふべ 

きで ある。 孟子 は 更に 進んで 堯舜禹 等の 聖人 民 を 憂 ふる と大 にして 其 耕す に 暇 無 か 

-0 し を縷述 して 且ゥ 曰く、 

堯舜之 治 U 天 豈 無, 所, 用-其 心, 哉、 亦不, 用, 於, 耕 耳、 



抑 も 文明の 進步 と社會 分業の 發 達と は 正比例 をな し、 文明 進步 すれば 進步 する だ 

け、 分業の 制愈發 達する は、 所有る 國家 社會に 於け る 通則で ある。 かの 農業 を 勤め ク 

ゝ國政 を 執るべし とい ふ 許 行の 說の 非なる こと 孟子の 論破せ るが 如しと せば、 工業 を、 

勤めつ、 國政を 執る こと も、 商業 を 勤めつ、^ 政 を 執る 乙と も、 亦 同樣に 非と せねば 

ならぬ。 從 つて 結局 政治 を 所有る 人民が 爲 すべし と 論ずる 近時の 民主主義 も 亦 同様に 

非で ある。 文明の 進歩と 社會 分業の 發 達と は 正比例 を爲 すと 云 ふ 明々 白.^ たる 通則と 

民主主義との 矛盾 は 如何に 之 を解釋 せんとす るので あらう。 許 子の 徒 又 曰く、 

從,, 許 子 之 道 T 則 市賈不 k 貳、 國中 無, 僞、 雖, 使 五 尺 之 童-適 * 市、 莫= 之 或" 欺、 布^ 

長短 同、 則賈相 若、 麻縷絲 絮輕重 同、 則賈相 若、 五穀 多寡 同、 則賈相 若、 驕 大小 同、 

則賈相 若、 

若し 市中 所有る 貨物 は皆價 格が 一定して 之 を 二三に するとが 無く、 五 尺 無知の 童子が 

市に 行く も 之 を 欺く ことが 無いならば 實に 結構の ことで ある。 懸 引に 巧妙なる 支那 人 

孟子の 自由 平等 觀 一六 七 



支那 哲學 の硏究 1 六 八 

に 取つ て、 特に 上代に 在って は、 此 くの 如き 議論 は 殆ど 或は 空想と 考 へ られ たかと 思 は 

れる。 然し 現今の 會に 於て は 多く 見る 所であって、 其眞理 なること は 勿論で ある。 但 

し 市 價不, 貳の 意味 を 定價の 意味に 解せ ず、 下 文の 布帛 長短 同じければ 其價 等し 云, の 

意に 解す るなら ば、 を は甚, た 不條理 なる 思想と 云 はねば ならぬ。 許 子の 意 は, 唯 長短の 

同じき の 故 を 以て、 布も帛 も其價 等しく、 輕重 同じき の 故 を 以て 麻縷絲 絮の價 等しく、 

多寡:!: じきの 故 を 以て、 米麥黍 稷菽: 周禮鄭 注に 據る) の價 等しく、 大小 同じき の 故 を 

以て 精疏の 別無く 》 の價 等しと する もので、 卽 ち是れ 質の 相違 を 無視して、 唯 量の 多. 

寡の み を 論ぜん とする ものであるから、 それ^-を最も不公平なるもの、 所謂 惡 平等と 

云 はねば ならぬ。 是れ譬 へば 黄金と 11^ 礫と 其の 價を 等しう し、 智愚賢 不肖 を 同 一 視す 

るが 如き もので、 乙 の 思想に よれば 國家 社會の 秩序 を破讓 して 殆んど 之を收 拾す る こ 

とが 出來ぬ やうになる であらう。 將 校に は將校 としての 訓練 を 必要と し、 統治者に は 

統 ifi 者と しての 訓練 を 必要と する は 勿論で あるのに、 特別の 訓練 無き 勞働 者が 統治者 



とな. 9、 何等の 訓練 無き 一 兵卒が 軍司令官 となる が 如き、 過激 主義の 方法 を 用 ひて 國 

家の 混亂を 招いた 勞兵會 の 思想 も、 許 子の 思想と 其 軌を一にする ものである。 十の 才 

能 ある, ォが 十の 位置に 着く と、 一 の 才能 ある 者が 一 の 位置に 着く と は 眞のギ 等で ある 

が、 十の 才能 あ ft, て 三の 位置 を 占め、 一 の 才能 ぁゥて 三の 位置 を 占む るの は 之 を惡平 

等と いはね はならぬ。 故に 子 1 子 は 其 意 を 述べて 曰く、 

失 物 之不, 齊、 物 之 情 也、 或 相 倍 礎、 或 相 什 伯、 或 相 千 萬、 子比而 同, 之、 是亂- 天下- 

也、 旦鍵小 賈、 人 豈爲, 之 哉、 從,, 許 子 之 道 r 相 率 而爲, 偽者 也、 惡能 治- 國家 7 

物齊 しからざる は 物の 情で ある、 或は 一倍 五倍し、 或 十 百 千 萬 倍す。 若し 强 ひて 之 

を 同 一 として 取极 ふなら ば 天下 を亂る 所以で あると。 獨ら瞜 .V 擧げて 之 を^せる は、 

許 行が 屨を捆 つて 食と 爲 すが 爲 である。 孟子の 此論 間然す る 所 は 無い ので あるが、 許 

子の 如き 過激 思想 は 喪亂の 世に 於て 可な fc- の 勢力 を 占めた ものと 見え、 荀 子の 如き も 

惡 平等 思想 を徘 示して、 書呂 刑の 維齊非 k 齊の語 を 引い て 自己の 議論の 證 として 居 る 

孟子の 自由 平等 觀 一六 九 



1^<那哲學の研究 , セ G 

《王制 篇)。 然し 今 は 孟子の 所論 を擧 ぐるに 止めて 置く。 吾人 は 現代の 世界に 於ても、 

頗る 許 行の 徒 や、 楊 墨の 徒と、 其 主張 を 同し うする もの、 害毒 を 天下に 流す もの ある 

を 認めて、 頗る 憂慮に 勝へ ざ る ものである。 



苟子 解蔽篇 を讀む 難 讜、) 

解 蔽篇は 文辭奇 古に して 誤脫 尠からず、 荀子 三十 ニ篇 中、 最も 解し 難しと す。 文辭 

の 解し 難き もの は、 或は 意 を 以て 之を讀 ひべ し、 其の 思想の 矛盾に 至って は、 遂に 之 

を 解し 難しと す。 請う 少しく 之 を 論ぜん。 

解 蔽篇の 上半 は、 凡そ 人の 患 は】 曲に 蔽 はれて.、 大理に 闇き は 在. cs、 欲惡、 始終、 

遠近、 博淺、 古今 等の 如き 皆 蔽を爲 す 所以 なれば 宜しく 之 を 解くべき を 論ぜる ものし 

て、 文意 明瞭 亦 疑 ふべき 無し。 其の 解し 難き は卽ち 此の 篇の 後半に 在 ftN。 

抑も荀 子の, 考に よれば、 吾人が】 切の 行爲 は、 凡て 意志の 選擇、 判斷 によ.^ て實行 

せらる 而 して 人性 はもと よ 6- 惡 なれば、 若し 吾人の 情欲の 命ずる ま-^ に從は 5^、 互 は 

相爭 ふて 亂る べし。 

故に 吾人 は 意志 を 以て 之 を 制馭せ ざる 可から ず。 而 して 如何にして 其の 善なる 者 を 選 

荀子 解蔽篱 を讀む 】 七 1 



支那 哲學の 研究 一. V 二 

擇し、 如何にして 其の 可否 を判斷 し、 以てよ く 其の 誤謬 無き を 得る かと 云へば > 心卽 

ち 精神に 一定の 標準な かる 可から ず。 此の 標準 を稱 して 彼 は 之 を 衡と云 ふ。 何 謂, 衡、 

曰 道 (解 蔽篇) と 云へば、 此の 標 S. は 卽ち荀 子の 所謂 禮義 是れ な. CN。 禮義の 物た る 

か は 今 暫く 之 を 措き、 如何にして 此の 鱧義卽 ち衡を 知ら 得る か を 論ずる もの、 即ち 此 

解蔽篇の後半な..^とす。 解 蔽篇に 曰く、 (§ 鮮 lT¥;«lg§% づ) 

何 以知, 道、 曰 心、 心何以 知、 曰虛ー 而靜、 

卽ち 吾人が 禮義を 知る 法 は、 吾人の心卽ち精神が虛 一 にして靜なるに在ft^とす。 然ら 

ば虛】 而靜と は 何 ど。 彼 は 其の 意義 を解釋 して 曰く、 

心 宋-甞 不,. 臧也、 然而 有,, 所謂 虛; 心 未-, 甞 不.. 滿也、 (|^) 然而有 „ 所謂 K 心 未,, 甞? 

動 也、 然而 有-所謂 靜; 

是れ 心の 虛ー 而靜は 其 事 容易なら ざる 似 たれ ども、 必ずしも 困難なら ざる を 述べた 

るな ftN。 彼 は 更に 語 を 進めて 曰く、 



人生 而 有. 知、 知" .2 有】、 志 也者臧 也、 然而 有-所謂 虛: 不, 以, 所,, 已臧 【害,, 所, 將, 

s、 謂-之 虛 r I .V 

是れ卽 ち 虛の說 明な ft>。 知と は 知覺の 謂に して、 志と は 記憶の 謂な. CN。 心に 記 億す る 

所 あれ ども、 其の 記憶に 拘は て 新に 知覺 する 所 を 害せざる を 虛と云 ふ。 又 曰く、 

心生而 有, 知、 知而 有, 異、 異也 者、 同時 兼 知, 之、 同時 兼 知, 之、 兩也、 然而 有,, 所謂 

1 以,, 夫 I , 害』 二 謂,, 之 K 

吾人の 知覺は 同時に 一 若く は 二 以上 を 感受す る え あ, c>、 然れ ども I の 知覺を 以て 他 

の 知覺を 害する 無ければ、 之 を 一 と 云 ふ。 又 曰く、 

心 臥 則 夢、 偷則自 行 -使, 之 則 謀、 故 心 未.. 甞 不., 動 也、 然而 有-所謂 靜; 不, 以,, 夢 劇- 

亂ぉ 知、 謂,, 之靜 r 

行往坐 臥、 外物の 刺戟に 感じて 動かざる 能 は ざれ ども、 其の 感覺を 以て 知覺 能力 を亂 

る こと 無き を靜と 云 ふ。 

苟十 解蔽篇 を!: む - 



支那^^!學の研究 I 七 四 

以上 說く 所の 虛 一 而靜 は卽ち 道衡を 知る 所以に して、 若しよ く斯 くの 如く なれば、 

吾人の 精神 は 毫も 蔽 はる と 無 かるべし? 而 して 新く の 如き 吾人の 精神 狀態 を稱し 

て、 彼 は 之 ♦^K 淸 明と 云 ふ。 而 して 彼 は大淸 明の 効果 を 述べて 曰く、 

人心 譬 如- 槃水: 正錯而 勿, 動、 則湛髑 在苄、 而淸明 在 i、 則 足 T 以 見-鬚 眉, 而察 * 

理矣、 微風 過, 之、 满濁 動-乎 下; 淸明 亂,, 於 上 r 則不, 可,, ,以 得,, 大形 之 正, 也、 心 亦 如 > 

是矣、 導^ 以^、 養 V 之以 JT 物 莫-之 傾 r. 則 足 K 以定 是非-決 * 嫌疑, 矣、 小物 引, 

之、 則 其 正 外 易、 其心內 傾、 則不, 足 以 決-粗 理, 也、 

彼 は 特に 吾人の 精神が 專 一 にして 甙 すべから ざる を 論ずる と甚ぉ 親切な. 9。 曰く、 

I 心 枝 則 無知、 ::知者擇ニ而,一焉、 

又 曰く 

好. 書 者 衆矣、 而倉頡 傳者 一 也、 好, 稼 者 衆矣、 而后稷 獨傳者 一也、 好, 樂者 衆矣、 

而夔 獨傳者 一 也、 好, 義者 衆矣、 而舜 獨傳者 一也、. 



勸寧篇 にも 亦 曰く、 

螭 無-, 爪牙 之 利、 筋骨 之强: 上 食-埃 土: 下 飲-黄泉: 用, 心 一 也、 蟹 六 跪 (§ ハ^) 而ニ 

螯、 非-; 蚰蟢之 穴 r 無, 所-寄託, 者、 用, 心躁 也、 :: 行- 衞道, 者不, 至、 事-雨 君, 者 

不, 容、 目 不,, 兩視 一而 明、 耳 不,, 兩聽, 而聰、 隱蛇 無, 足而 飛、 梧 鼠 五 技 而窮、 

專ー なれば 卽ち其 事に 精妙なる 乙と を 得、 故に 曰く、 

其 精 之 至 也不, 貳、 

又 曰く 

ま 

僮 作, 弓、 浮游 作, 矢、 而 弊 精, 1 於 射 T 奚仲 作, 車、 乘杜 作- 乘馬 『 而造父 精-於 御 『自, 

古 及, 今、 未, 甞 有,, 兩而能 精 者, 也、 

成相篇 にも 亦 曰く、 

思 乃 精、 志 之榮、 好而 一 , 之、 神以 成、 精神 相反、 (la 桃 之 曰 ^§;>1 而不」 一、爲_ - 聖人 7 

精】 なれば 吾人 か 道お 知 6N 得べき こと を 論ずる ると、 至れ.《^盡せfe^と云ふべし。 彼 は 

荀子 解蔽篇 を讀む 一 七 五 



支那 哲學の 研究 lb 六 

舜の事 を 引用して 曰く、 

昔 者舜之 治-天下, 也、 不,, 以, 事 詔 r 而 万物 成、 處ー危 之、 其榮滿 側、 SK、lk ぎ、 榮 

矣而 未, 知、 故道經 曰、 人心 之危、 道心 之微、 危微之 幾、 惟明 君子 而後 能 知, 之、 

此文 は從來 の. 說、 多く は尙 書大禹 謨僞孔 傳の說 によ ゥて 解かん とする を 以て、 其の 義 

を 解す る i 能 はざる な .cx。 大禹謨 は 偽 古文なる 乙と、 學界の 定論 なれば、 今 之 を 辯す 

るの 要な し、 然れ ども 人心 道心の 說に 就いては、 之 を 後 文に 讓 力て、 fj ゝには 先づ危 

微の義 を 求むべし。 而 して 吾人 は須 らく 苟 子の 說 によ ft> て、 彼の 眞意を 窺 はざる 可 か 

らす。 今 之 を 解す るに 先って、 便宜上 堯問篇 の 一 節を擧 くべ し。 曰く、 

堯 問-於 舜, 曰、 我欲 鼬-, 天下; 爲^ 奈何、 對曰、 執」, 失、 行, 微, 怠、.… 執, 

一如, 一天 地 r 行 • 如,, 曰 月 r 

前文 處 一 危之は 堯問篱 に 所謂 執 一 無 失の 意なる べきる と 疑 ふ 可から ず。 然るに 楊惊注 

はは 之 を 解して、 



一 謂-, 心 一 , 也、 危之當 之危: 危謂 V 不- 自安ハ 戒懼之 謂 也、,:: 處- 心 之 危ハ言 能戒, 

懼、 兢々 業々、 終 使, -之 安- &、 

と 云へ. o。 危の 意義 は 後 文荀子 自身の 解を擧 ぐべ し。 要するに 之 を 戒懼の 謂と 解す る 

は 得た.^。 然れ ども 危之を 之危に 作るべし と 云; 5、 處 心之危 云々 とい へる は、 尙 書偽孔 

傳の 解に よる ものにして 當ら ず。 危之 はもとの ま、 とし、 處 一 危之は 一に 處 して 之 を 

危 しとす と讀 むべき のみ。 王 念 孫は已 に阮 元の 說を 引いて、 

楊 注 謂,, ,危 之當, 作,, 之危, 非 也、 危, 之 者、 懼, 蔽,, 於 欲? 而 慮, 危也、 之危 者、 巳 蔽-- 於 

欲, 而陷, 危也、 

と 云へ る は 我が 意 を 得た, 9。 即ちよ く是の 如く なれば 其榮滿 側す、 满 側と は 充満の 意 

にして、 堯問篇 に 所謂 執 一 如 天地の 意な ftN。 

次に 養 一 之 微は堯 問篇に 所謂 行微無 怠の 意なる と 言 待たず。 楊惊 注に は 之. を 解.: 

して、 

荀 千解蔽 篇を讀 む . 一七 七, 



も. I I 

-,、 - * ザ ■ 



支那 哲^の 研究 1 セ 八 

微 精妙 也、.… 養,, 心 之微: 謂 其 未 萌、 不, 使,,, 異端, 亂ぉ之 也、 

i 云 へら。 微の 意義 は 後 文に 苟 子の 解を擧 ぐべ し。 要するに 精妙な. リの解 は當れ 

然れ ども 養 心之微 云々 の說 は、 偽孔 傅の 解に よる ものにして 非なら。 、養、 1、 之.^ は、】 If 一 

養 ふて 之れ 微 とよむべし。 予は今 順序 上苟子 自身の 危微の 解を擧 ぐるの 時機に 達せ 

.A -。 彼 は 曰く 

空 石 之 中 有 乂焉、 其 名 曰, 般、 其爲, 人 也、 善 射 (g 翻 以好 思、 耳目 之 欲 接、 則 敗,, 

其 思 r 蚊 虻 之 臀 聞、 則 挫,, 其 精 『是以 闢-- 耳目 之欲ハ 而 遠-蚊 虻 之聲ハ 鬧居靜 思 則 通、 

思 J4 若、 K、 可 ヒ謂, 微乎、 子 1 子惡, 敗而 出, 妻、 可, 謂,, 能 自彊, 矣。 有 子惡, 臥:, g 淬, 

掌、 可, 謂-能 自忍, 矣、 未, 及, 好 也、 闢-ー 耳目 之 欲: 可, 謂 一一 能 自彊, 矣、 未, 及レ f 也、 

. 蚊 虻之聲 聞、 則 挫-其 精: 可齑. 危矣、 未^ fefe 也、 夫が ST 人 也、 ぎだ ぜ、 I: 

〇 

彊何忍 何危、 

此 文誤脫 あ. -讀み 易から ざれ ども、 郭嵩燾 及び 郝懿 行の 說に從 ひて、 中間 二三 行 を 左 



の 如く 訂正 すれば、 極めて 妥當 となるべし • 

孟子 惡ぉ而 出 JT 可, 謂,, 能自彊 -矣、 未 也、 有子惡 k 而&^ 、ヌ 謂-能 自 

忍- 矣、 未 好 也、 闘-耳目 之 欲: 而 遠-蚊 y 之聲 T I^JS- 能自危 -矣、 未^" 

微也、 

要するに 此の 一節 は、 孟子の 自彊は 未だ 思 ふに 及ばず、 有 子の 自忍は 未お 好む は 及ば 

ず、 船の 好 思して 自 から 危 しとす る も 未だ 至 人の 微に 及ばざる こと を 述べ たる もの は 

して、 危微 の義は 此の 一節 中に 解し 盡 くして 餘蘊 なし、 危は卽 ち 危懼 恐懼の 義、 微は 

即ち 微妙 神妙の 義 な...。 危は 賢者の 位置と 云 ふべ くんば 微は卽 ち 聖人の 位置、 危を小 

B と 云 ふべ くんば、 微は大 乘と云 ふべ し。 故に 微卽ち 至 人、 聖人の 境に 至る もの は彊 

むるな く 忍 ふなく 危 しとす るな く、 從容 道に 中る のみ。 其の 事 常人の 爲 めに 言 ふ 可 か 

らず、 故に 榮矣 未知と 云 ふ。 唯 高 明の 人 之 を 知るべし。 故に 危微之 幾、 唯 明君 子の み 

之 を 知る と 云 ふな.. y。 

苟子 解蔽篇 を讀む 一 七 九 



支那 哲„& の 研究 . .◦ 

iam Bi^s. 進んで 謹 及び の 語 

^就いて、 之れ を 解 稀せ ざる 可から ず。 道 經とは 何 ど。 楊惊 曰く、 

今 虞 書 有-, 此語 『 而 云-, 道經 「 盖有道 之 語 也、 

虞 瞽と は大纖 f 。 大 護 II 上 ま S 偽 古文 £5 大禹燈 所謂 

人心 惟危、 道心 惟微、 傕 精 惟 一 、 允 執,, 厥 中; . 

の 四 句 十六 字 は、 寧禱 子の 此 S 本づ き、 且 sli の 允 執 厥 中と I はせ て 

成せる もの f き、 閻薩の 古文 i 出で 以 I 界の謹 f。 重 書 i 

あまの 說は據 る 可から ず。 謹 行 は 謹き 芦 I 書と 解し、 糞と 大同小異の 說 

をな せ ft^。 K 元は 苟子引 道 經解を 著 はして 曰く、 

謹 者、 裏 裏 也、 此等 古說、 周證 間、 尙多, 存者 『故大 ii 難胷、 武王 

問-黄 帝 蟹 之 道; 師尙父 曰、 在- S: 尙父西 厘 15 言-曰、 敬 

着 一 義勝欲 者從、 欲朥, 着 凶、 然則苟 子 薩所簾 i 書 者、 薹老之 喜 



道經を 以て 黄老 の古說 なりと 斷定 せし は 眞に然 i。 然れ ども 阮 元は 苟 子の 當時 黄老の 

古說存 する もの あらし こと、 及び 大戴 記に 黄老の 古說を 引用せ るの 理由 を 以て、 荀子 

も 亦 之 を 引用せ るなら と斷定 せる は、 輕卒 なる 推論に して 未だ 人の 信 を 引 くに 足ら 

ず。 予桉ん ずるに 抑も苟 子が 諸子 百 家並び 起. 5 たる 後に 出 r.- ゝ、 儒 墨 名 法 一として 通 

ぜ ざる 處 なく、 往々 其の 短所 を排擊 して 措かず。 莊 子の 如き は莊 子蔽, 一 於 天, 而不, 知, 

人と 論ずる が 如き、 頗る 適切なる 批判 を 下せし も、、 亦 其の 長所 を 執りし と は 想像に 

難から ず。 卽ち 解蔽篇 中に 論す る 所、 虛 一 而 I ゆ を 說き至 人を說 き、 (1 駄 Iffig) 耳目 

の 欲を闢 け、 閑居 靜思 を說 くが 如き は、 全く 老莊學 派の 思想よ ft> 得 來れる 所と 云 ふべ 

し。 且つ 太平 御 覽入事 部 四十 二 引く 所の 荀子佚 文に、 

天下 無 J 一道 r 聖人 無 U 兩心 r 神人 無, 功、 聖人 無 k 名、 聖人 者 天下 利器 也、 

と あ ft>。 天下 無二 道、 聖人 無兩 心の 二 語 は、 又 解 蔽篇に 見 ゆ。 若し 此の 佚 文 を も 信し 

苟子 解蔽篇 を讀む 1 八 I 



支那^ 學の 研究 二 

得べ しとせば、 此 等の 語 は 老莊學 派の 思想に 本づ くこと 言 ふ 迄 もな し。 是に 由って 之 

を 見れば、 道經と は卽ち 道家の S 典なる, J と 疑 ひなし。 

次に 人心 之危、 道心 之 微のニ 句 は、 楊 注に は 偽孔傳 の說を 引いて 危則難 安、 微則難 

明と 云 へら。 朱 子 は 僞孔傳 の 說に本 づき、 中庸 章句 序文 中に 之 を 詳論し で、 人心 は 形 

氣の 私に 生ずる が 故に、 危殆に して 安から ず、 道心 は 天理の 公に 原つ けど も、 形氣は 

拘 はるか 爲 めに 往々 微 にして 見 難しと 說け 6.。 其他宋 明の 諸 儒 人心 道心 を說 くもの 紛 

々たれ ども、 孰れ も 自家の 哲學に 本 づきて 之を說 ける が 故に、 乙、 に 苟子か 引く 所の 

道 經の眞 意に 叶 はず。 危微の 義は已 に 前に 解す るが 如し、 而 して 人心 道心 も 亦 危微の 

義 はよ ft, て 推す 時 は 意義 始めて 明瞭 たるべし。 即ち 人心と は 常人の 心絕 えず 修養る 

ひて 危懼す るの 心な. 9。 道心と は 至 人の 心、 已に道と1體た.-^微妙の域に達し、 更に 

勉强を用ねざる心な..^。 

以上 論述す る 所, ど 約言 すれば、 虛 一而 靜 なれば、 吾人の 心 は 道卽ち 禮義を 知と 思.^ 



お得べ し。 然して 同じく I といへ ども、 聖賢に よ 6S て 其 事 同じから ず。 ii 人 は 一 を 養 

ふて よ,、 微妙の 域に 入ら、 何等の 思慮 無く 勉强 なく 從容 として 道に 中 6.、 賢人 は 一 に 

處し 危懼 戒懼 して 過つ, となければ、 其の 榮充 塞すべきな りと す。 然 らば 解 蔽篇に 云 

ふ 所と 彼の 根本 思想との 矛盾 を感 せざる 能 はず。 彼が 人心 を 以て 槃 水に 譬へ、 安置し 

て 動かさ V れば よく 鬚 眉 をも辨 する が 如く、 人心 も 物欲 之 を 外に 惹 くこと 無ければ、 

是非 邪 正 を 辯すべし。 故に 虛 一 而静を 以て 外物の 蔽を 去らざる 可から ずと い へ るに 由 

て、 之 を 見れば、 S は 人心 を 以て もと 大淸 明と なす ものな .0^。 換言すれば 人心 は本來 

是非 正邪 を辨 別して 誤らざる ものと なすな り。 是れ卽 ち 先天 良心 論な. 9。 若し 彼の 性 

惡 論の 根本主義よ 6^ 說 かば、 彼 は當然 後天 良心 論者なら ざる 可から ず、 然るに 彼が 解 

蔽篇に 於いて は 反って 先天 良心 論 をな すは大 なる 矛盾に 非して 何 どや.^ 是れ予 の 到底 

解すべからず とする 所な. nNO 

荀子 解蔽篇 を讀む 】 八 三 



;^、 支 都 哲學の 研究 一八 四 

儒教の 目的 を 論す 

私は此 所に ございます 「儒敎 の 目的 を 論す」 と 云 ふこと を 御 話いた したいと 思って 

居, ます、 儒敎の 目的 はどうい ふ 乙と であるかと 云 ふ 乙と に付きまして、 私 は 豫て東 

亜 協會の 夏季 講習 會の 節に 孔子 敎と いふ ものに 付て 論じました 際に 二 時間ば か,^ 述べ 

たこと がご ざいます、 それ は 私の 其 時の 講演 筆 記 が 孔子 敎と 題す る 書物に な ftN まして 

出て 居 6 ますので、 大凡 私の 儒敎の 目的に 對 する 論 は. 4- れに盡 きて 居る の であ. ま 

す、 其の 時には 私 は 主として 孔子の 1 言 1 行、 孔子の 日常の 生活から、 それから 孔門. 

諸子な どの 御 話 や、 又儒敎の基く所の堯舜以來の^Jとなどに付きまして、 其の 證據を 

擧げて 御 話.^ したので ございます、 今日は 同じ 乙と はや ftN たくない ので ございま すか 

らして、 他の 方面から まだ 私が 未だ 曾て 述べなかった 方面から 矢 張ら 儒敎の 目的 を 論 

じて 見たい と 思 ふので あらます、 唯 だ 昔の 經 典の 言葉 を 引用して 御 話 をす る 乙と でな > 



しに、 少し 現代の 學問 にく ッ 着けて 論じて 見たい と 思って 同じ 問題 を擧 げた 次第で あ 

ます、 私 は 此の 儒敎の 目的と いふ もの を 論ずる 前に、 先づ 我々 人間の 目的 は 何 所に 

あるかと 云 ふ 乙と を 御 話 をして、 さう して 儒敎の 目的に 引 着けて 御 詰お しゃう と 思 ふ 

ので あ もます。 

デ、 我々 は斯の 如くに 生 を 此の世に 禀 けて 人間と なって 生れて 居. 9 ます、 此の 人間 

として 生れた 以上 は 如何なる 乙と をして 我, > の 目的 を 貫かなければ ならぬ か、 人間と 

して どう 云 ふると をす るの が 肝要で あるか、 生れて 來た 所の 理由 を考 へなければ なら 

ぬ、 唯お ボン ャリ其 日/ \を 過して 往 くやう では 所謂 醉生夢 死と 云 ふので、 まるで 無 

意義の 生活 をす る やうな さで は 生れた 甲斐がない、 人間と して 生れた 以上 は 生れた だ 

けの 事 をす る、 縱令天 事 は 如何なる もので あらう とも 夫.^ 盡 さねば ならぬ 所の 義務が 

あらう と 思 ふ、 そこで 凡 を 此の 人間と して 世の中に 生れ. た 以上 は、 夫々 相 $S の 目的が 

あると 思 ひます、 先づ飜 つて 一般の 此の 宇宙 界の 現象に 就て 考 へて 見ます と、 宇宙の 

儒敎の 目的 を 諭す 一八 五. 



支那 哲學の 研究 1 八丄ハ 

有らゆる 現象 は總て 此の 自然淘汰と 云 ふるとが 行 はれて 居る、 自然淘汰、 言換へ 15- 

れば 則ち^ 存競爭 であ ftN ます、 優勝劣敗 であ ます、 或る 1 つの 生物が あれば 其の 生 

物 は 此の世の 中に 活 きて 往 くだけの 價 値の ある ものである、 生活に 堪 ゆる ものなら ば 

其の 種屬は 必ず 發展 する もので、 若しもれ が 劣敗 者な i、 若く は 生活 を 優に 維持す る 

M とが 出來ぬ もので あれば、 必ず それ は衰 へつ 、滅亡して 仕舞 ふ ものである、 有ら ゆ 

る 動物と 言 はず、 凡, 4/ 生物 は 必ず 優勝劣敗、 自然淘汰と 云 ふ 法則の 範圍を 出る こと は 

出來 ない ので あ 力ます、 人類 も 同じ M とで 適者生存の 理に依 6N、 人類の 中で も 最も 生 

活 に適當 なる ものが 兹に 生命 を 維持して 往 くので、 適當 でない もの は 皆 そこで 滅亡に 

歸 して 仕舞 ふ、 東西 を 論ぜず 古今 を 問 はず、 歷史上の事實を見ま1•^れば、 適者生存の 

理と云 ふ もの は 少しも 之に 例外 I 除外例と 云 ふ もの を 見出す 乙と は 出來な S ので あ. 

まして、 總て 生活に 最も 適當の ものが 必ず 殘 つて 居. CN ます、 羅 馬が 滅びた のも羅 馬が 

墮 落して 仕舞った からで、 決して 他の 者が 俄かに 之 を 打 滅ぼした ので はない、 總て物 



と 言 はず、 人 顔と 言 はず、 民族と 言 はず、 皆 生活に 適當 でない、 墮 落して 生命 を 維持 

する との 出來 ない 場合 は、 悉く 滅亡して 仕舞って 居. 9 ます、 デぁ. 9 ますから して、 

我々 が 此の世の 中に 生きた 以上 は、 我.^ は 我,^ として 適者生存の 法則に 遵ひ、 優秀な 

る 生活 を 維持して 益,^ 我々 が發展 すると 云 ふると は、 我,^ の 職務で ある、 卽ち 我々 日 

本人で あれば 日本人と して 優等なる 道德な ft^ 身體 なら 智識な i を 致して、 此の 人類の 

中で 最も 優等なる 位置 を 占め、 さラ して 益.^ 日本人の 將來 發展を 希望す るの が 我, --の 

職務で あら ラと思 ふので あ ます、 それで 總て 此の 人類 は 必ず 將來 發展を 希望す ると 

去 ふこと がま ァ我々 の 希望で あ.?^ すけれ ども、 國家 として 若く は 小さく 言へ お 我々 

】 個人と して、 總て 此の 我 々が 此の世に 生れた 以上 は、 我々 の屬 する 所の 家の 爲め國 

の S め 若く は 人類の 爲に、 益々 將來 發展を 希望す ると 云 ふでと が 我々 の 最も 大寒な ぎ 

務 であらう と 思 ふので あ もます、 さラ云 ふやうな 立場から 私 は 此の 儒敎の 目的に 就て 

論じて 見たい と 忍 ふので あ-.? す、 デ私 典が 何の某と 云 ふ 名前 を 有って 居ます 以上 は、 

儒 敎の 目的 を 論す 一八 H 



支那 哲學の 研究 マ 八 

先づ 小さく 見 ますれば 何せ A も 云 ふ 家に 属する 一 人で ござい^す、 即ち 私 宇 野と 申し ま 

すれば 宇 野と 申す 家に 屬 する I 人で あらます、 併ながら 同時に 又 私 は 自分の 屬 する S 

の 小さい 村な. cs、 若く は 進んで は國 であ. c ます、 即ち 日本 國 民の】 人で あ.,, ます、 又 

同時に 私 は 人類と しての 一 人で ございます、 私 は 自身が 最も 此の 適者生存の 理に適 ふ 

やうに 將來 發展を 希望す ると 云 ふ 以上 は、 自分自身の身lgな,c^替識な,c^、 道德な 6 を 

向上せ ねばなら ぬので、 これ はやが て 之 を 小に して は 自分の 属して 居る 家な fc, 村な 

-5、 又は 之を大 にして は國な 人類なら の爲 に、 一 S の 光 を 添へ るので ある、 Z の 人 

類の 爲め國 の爲め 家の 爲 めに 自分の 努力が 一 點の光 を 添へ ると 云 ふこと は、 .V れが即 

..r 自分自身が 此の世の 中に 生れた 本來の 意義で あると 思ユ、 然るに 世の中に は 今 現在 

でも 西洋 邊 6 で競爭 —— 戰爭 をして 居. ます やうな 工合に、 人 噴の 一 ん として 立つ 場 

合と、 國民 として 立つ 場合と 齟齬して 來 ると 云 ふ 人が あ 6, ますが、 決して 矛盾の ある 

べき 喾 はない、 實際上 能く 衝突 矛盾 を來 たす ではない か、 現に 各國 互に 鶴 を 削って 爭 



つて 居る、 をう 云 ふ 風に 互に 爭 つて 居る 場合に は 何 を 標準と して 自分の 立場 を 決めな 

ければ ならぬ かと 申しますならば、 我,^^-はどラしても此の國と云ふものを中心として 

考 へ なくち やならぬ、 人類と しての 一 人で ある、 同時に 又國 としての 一 人で あるか 

ら、 國とく 相互に 衝突 矛盾 を やって 居る から、 我々 は 人類の 一人と 云 ふ 立場に 居る 

譯に往 かぬ、 國の 1 人と して 立た なくち やならぬ、 即ち 自分の 屬 する 民族の 爲 めに、 

自分の 屬 する W 家の 爲に、 他の 國 家に 對 して 對抗 する 必要が あるので あ.. - ます、 デ、 

さ ラ云ふ 風に 對抗 する 云 ふ 立場が 必要:^ と 云 ふの は 何の 爲 めかと 云 ふと、 即ち 1 方 か 

らい へば 正義の 觀 念の 爲め、 又 一 方から 云へば 自分に 最も 近い 最も 親しい 爲め であ 

る、 元來 人間に は總て 人類に 典 通した 所の 道 德が行 はれて 居る、 國、 家と 云ふ總 ての 

もの を 包 合して 少しも 矛盾 衝突 はない ので あ. OS ます、 そ で. 併ながら 戰爭が 起る、 或 一 

の國 家が あって 其の 國が暴 逆 無道なる 爲に、 乙 ちらの 正義 を 犯す 爲に、 それに 對 して 

對 杭の 必要が 起つ マ來 る、 さう すると 自分 は 自分の 屬 する 國 家の 爲に戰 はなければ 5 

儒敎の 目的 を 諭す 1 八 九 



+乂那 哲舉の 研究 一九 

らぬ、 之 を 犯す 所の 國、 正義に 背いた 敵の 爲に 自分の 國 家が 戰 ふなら は、 人類の 立^ 

と 云 ふ 方 は 姑ら く玆 では 措かなければ ならぬ、 措かなければ ならぬ が、 又 大きな 眼で 

見る と るれ が やがて 人類の 爲め である、 人類に 於け る 正義の 觀念、 さう 云 ふ 犬なる 使 

命の 爲 めに 戰 ふと 云 ふこと になる、 デぁ らます から、 私 典が 詰 6^ 國民 としての 立場の 

場合と、 人類と して 立場の 場合と 衝突した « 合に は、 其の 正義の 觀 念に S いて 自分が 國 

民と して 戰 ふと 云 ふと は 立派な 我々 の 義務で ある、 是は 自分の 道 德的觀 念に 於て 少し 

も 恥 かしくない さで あら 5 と 思 ひます、 それから 又 儒敎の 方から 申せば、 儒敎は 親疎 

の 別 を嶽 くので あ. 9 ます、 勿論 儒敎は 仁を說 きます、 孔子の 仁 は 傅 愛、 博く 愛する と 

云 ふ とで、 即ち 四海の 內皆 兄弟な とも 論語に ございます、 同時に 儒 敎の仁 は 差別 

を 認め、 親 竦の 別 を 置いて、 最も 親しい 者 を 愛して、 漸次 親しい からざる 者が 之に 次 

ぐ、 最も 自分に 近い 者 を 愛して、 漸次 遠い 者が 之に 次ぐ と 云 ふ 態度で なければ なら 

ぬ、 論語に 怨に報 ゆるに 德を 以てする と 云 ふ 言葉が ある、 乙れ は 老子の 言葉で ある、 , 



向 ふが 自分に 對す るに 暴虐 を 以てした ときには、 之に 報 ゆるに 7- ちら は 恩德を Ei^ てす 

ると 云 ふの が 老子の 主義、 をれ は 即ち 絕對的 平等の 態度で あ ft^ ます、 所が 孔子 はさう 

は 言 はない、 怨に報 ゆるに 德を 以てする と 云 ふ 乙と は 誠に 不公平の 話で ある、 即ち 德 

に 報 ゆるに 德を 以てする、 同時に 怨に報 ゆるに 直 を 以てする と 言って 居る、 即 了つ 怨は 

報 ゆるに 德を 以てし、 德の ある ものに 德 ♦ ^以てする と 云 ふと、 是は 非^な 不公平の 話 

である、 怨に報 ゆるに 直 を 以てする、 儒敎は 一 方に 於て 四海同胞と 見る 中に、 又 一 方 

に 於 r 差別 を をの 間に 認める と 云 ふ 立 傷で ございます、 それが 即ち 儒敎が 親疎の 別.^ 

置いて 居る 所で あ, OV ます、 故に 儒敎の 方から 申します と、 我,! は國 民と しての 立 ttAJ 

童く 見て、 最も 近い 最も 親しい 自画の 爲に戰 ふとい ふ覺 悟で なければ ならぬ ので ぁゥ 

ます、 所で 今 申しました 通らに、 我, I- は 人類の 1 人と して、 國 民の 一 人と して、 家族 

の 一 人と. "て將 來發展 すると 云 ふこと が 我々 の 大目 的で ある、 即ち 適者生存の 理に遵 

ひ、 自然淘汰の 原則に 背かぬ やうに、 我々 が 自分の 發展を 大目 的と するならば どう 云 

儒敎の 目的 を 論す 一九 1 



ま那 學の 研究 1 九; 一 

ム 方法 を 執れば 宜 いか、 斯ラ云 ふ 問 になって 來 ます。 

發展 の爲に 自分自身が 働く に は 二つの 方法が あらう と 思 ふ、 卽ち 1 は 自己保存 

と 云 ふこと、 B 分 自身の 保存の 爲め、 今一 つ は 自分の 稱族を 發展 させる、 後繼. お を 造 

ると 云 ふこと、 此の 二つと 思う、 分 S 身 を 保存す ると 時に、 自分の 種族 を發展 -tJ 

しめる、 此の 兩 方面に 働く であらう と 思; 5 ます、 ,でれ を 懦敎の 言葉で 申せば 修己治 人 

であ,^ ます、 自己保存 は 孔子の 修, 己と 云 ふ と、 種族^ 展は 治, 人 此の 敎の修 己. g 

人と 云 ふの が、 卽ち 自然淘汰の 原則に 遵 ひ、 自己保存、 種族 發展、 此の 二つに 丁度 當 

るのでぁ6^ます、 其の 自己保存 はどう 云メ 方法 を 以て やれば 宜 いかと 云 ふと、 是は又 

別けて 見れば 二つに なるやう であ.. y ます、 卽ち 消極的に 保存す るのと、 積極 W に 保存 

する、 此の ニ樣 になら うと. 思 ふ、 卽ち 消極的に 保存す ると 云 ふこと は 其の儘、 進んで 

取る と 云 ふると をせ ず、 此の儘に 此の 形 を 保存す ると 云 ふ 所が 消極的 保存 と 云 ふの 

で、 是は 私共に 言 はせ ると 眞の 保存で はない。 消極的 保存 は卽ち 一歩く 退歩す る 所 



以 である、 進んで 發 K する、 積極的に 進んで 取る 態度で なければ 眞の 自己保存と 云 ふ 

と は 出来ない、 消極的に 此の儘 先き に 進まん か、 自分の 信ずる 智識、 道德、 總 ての 

點に 於て 我々 は 一日/ \ と返步 する、 例へば 戰爭で 防禦す るに しても、 敵軍から 攻め 

て來 るの. じっと 待 CN て 居て 防禦して 居る だけで は、 其の 防禦 は 成 効せ ぬ、 積極的に 

攻擊的 防禦の 立場に 居らなければ 決して 眞の 防禦、 保存 は出來 ない、 それで あ. 9 ます 

から、 我, の 自己保存と 云 ふこと に は、 消極と 積極の 二方 法が あるが、 積極的 保存の 

實 がなければ、 決して 自己保存の 目的 を 達する 乙と は出來 ない、 佛蘭 西な どに 能く 流 

行して 居. 9 ます ッ ワイ、 キンデル、 システム、 卽 ちニ兒 制度、 失婦 として 子供 を 二人 

以上 生 ひこと は、 自分の 生活の 爲に 種々 の 方面から して 甚だ 係 ©r? ハ多 いから、 子洪を 

二人 以上 育てない と 申して 居 6^ ます、 この ニ兒 制度 は 丁度 消極的 保存に ならます、 夫 

婦に 子供が 二人なら ば 自分 達 夫婦の 代りに ニ兒. ど殘 すから 人口 は增 減ない 箬 である、 

所が 實際 はどラ かと 云 ふと、 自分 達が 亡くなっても 二人の 子供が 完全に 育 一てば 宜 い 

譖敎 の:::! 的 を 論す 1 九 三 



ま 那哲學 の 研究 1 九 四 

が、 子供 は 必^> しも 完全に 育たない、 ニ兒 制度に よると 必ず 入口が 段 減って 來る、 

蘭 西 は 現に 人口 か 減った やうな 工合で、 消極的保存は^Vれでぁ.C^ますから返.L5^するの 

であります、 三人 子供 を 育て、 漸く 現狀を 維持す ると 云 ふ Mj を 聞て 居る、 二人の 夫婦の 

間に 三人の 子供 はま づ 積極的 方法で あらます、 此 積極的 方法で 始めて 現狀, V,- 維持す る 

と 云ふ譯 であります、 本當の 自己保存 は 積極的に 淮 一む 態度 を 執らなければ、 眞.: 保存 は 

出來 ない ので あらます、 そ M で 儒 敎の修 己と 云 ふ も 同じ 譯で、 已を 修める に は 積極的に 

修める, のが 必要で ある、 決して 消極的に 巳れ 自身 を 修める と 云 ふさで は、 眞の, H 己 保 

存の 目的 を 達する 乙と は出來 ない、 已を 修める と 云 ふこと は、 是は 色々 の 方面から 說か 

れ ませう、 併し 私 は 修已と 云 ふこと は、 身體、 智識、 道德、 此の 三方 面から 說 かれる と 思 

ふ、 卽ち 身體を 益, I- 健全に する こと、 智識 を 益.^ 磨く と 云 ふこと、 及び 道德的 修養お 

益令勵 むと 云 ふ、 此の 三つの 方法に 依って 始めて 修已と 云 ふこと が出來 るので あ.?^ 

す、 己ケ」 修める と 云 ふこと も、 自分自身が 健 4- の 人間に なると 云ム MJ であ 6 ま- k うが、 



少なくとも、 今 申 上げました 積極的 保存の 法則に 依れば、 我 は 自分の 親、 若く は自. 

分の 先生よ 6 以上に 進まな くち やならぬ、 若し自分の兩親な.0^、 自分の 先生の 程度に 

止ま. ますれば、 丁度 佛蘭 西の 所謂 ニ兒 制度と 同じで、 是は本 當の修 己の 方法に 適 は 

ない、 我々 は 是非とも 身體、 智識、 道德に 於て 自分の 先生よ. 9 以上に 進み、 自分の 兩 

親 よら 以上に 進まなくて は、 冥の 自己保存の 目的 は 達せられ ぬので あ ft- ます、 若し 我 

.>が先生ょ.o^總ての點に於て劣-り、 兩 親よ らも 總 ての 點に 於て 劣るならば、 我 < -の屬 

する 家族が 我々 の兩 親の 在る 時 よら 劣った 家族と なる、 國家入 類の 點 から 見て、 我々 

が 自分の 先輩よ らも 劣るならば、 我, 《 -の屬 する 將來 の國 家、 將來の 人類と 云 ふ もの は 

. 段令墮 落に 近づく 譯 である、 我々 が 先輩 を 凌ぐ, たけの 發展 をして、 始めて 眞の 自己 保 

存な. 5、 眞の修 己と 云 ふ M とが 出來 るので あ ftv ます、 デ、 幸に 何事に も 我. ふは修 己の 

機 關を與 へられて 居る、 此の 國 家から 敎育 機關を 具へ て 立派に 與 へられて 居る、 我々 の 

. 先輩が 敎 育され たもの よら 數等 完全な 機關が 出来て 居る、 且我々 は 東洋の 言葉で 申し 

儒. 秋の 目的 を 論す 一九 五 



安那 哲學 の硏究 一 九 六 

ますと 四 尊、 四 尊から して 我 令 は敎を 受けて 居る、 何 を 四 尊と 云 ふか、 君、 父、 師、 

長、 之 を 四 尊と 申します、 此の 君 父 師長の 四 尊に よって 我々 の修 己と 云 ふ 方法 をす る 

やうな 機關が 出來て 居る、 君 は 我々 を洽 めて 下さる、 親 は 我々 を 生んで 育て、 下さる 

先生 は 我々 を敎 へて 知德を 磨いて 下さる、 長者 は 我々 を 誘掖し 引立て 下さる、 此の 君 

ハ乂 師長の 四つの 道德を 以て 我 を I 人前に して 下さる、 之に 依って 我々 は 向上の 一 路 

を迎 つて 往 くので ある、 さう して 而も 我々 の兩 親な り 我々 の 先輩が 敎 育され た 時代よ 

らズ ッと 進歩した 時代に 在って、 ズ ッと 進歩した 機關に 依って 敎 育され つ 、あるか 

ら、 我 は 是非共、 我々 先輩,^ 凌がなければ ならぬ 責任 あ, 義務が あ fts ます、 若し 

我々 が 先輩 以下であるなら ば、 則ち 我 4- 自身の 罪で ある、 そこで 我々 は 其の 修養 をす 

るので あ ft> ますが、 其の 修養 法 は 如何なる 方法 を 採る かと 云 ふと、 儒敎で 申す と主觀 

的と客觀的とのニっの方法でぁ6^ます、 孔子の 學說 は主觀 的、 客觀 的の 兩 方面,^ 兼ね 

乂居 るので あ 力ます、 然る k 曾 子、 子 思、 孟子と 云 ふ 人々 は 孔子の 主觀的 方面に 進ん 



だ人間でぁ.<^ます、 子 夏、 冉求、 苟 子と 云 ふ 人達 は 孔子の 客観的 方面に 進んだ 連中で _ 

あ. ます、 主觀的 方面の 人々 は 傳道的 方面、 客觀的 方面の 子 夏、 苟子等の人.^-は傳;ま, 

卽ち儒 敎の經 典を傳 へ る 方面に 進んで 居る、 孔子 は 此の 二 つ を 兼ねて 居られます、 卽ち 

主觀的 客観的の 兩 方面 .v, 兼ねて 往く HT か 此の 儒 敎の敎 であ ftN ます、 孔子の 言 はれまし" 

た 所の 博く 文 學 ぶと 云 ふの は 客 觀的カ 面で あ ft^ ます、 卽ち 智識 を 外に 求む る、 之 を 約 

する に禮を 以てす、 禮を 以て 我 身を撿 束す る、 是は卽 ち 主觀的 方面、 內省 であ. ます、 

顏子 がいった 語に 我 を 博む るに 文 を 以てし、 我 を 約す るに 禮を 以てする、 博 文 は 客觀的 

方面 約 禮と云 ふの は卽ち 主観的 方面で ある、 中庸の 言葉で 申しますならば 中庸の 問學 

に 道る は 博 文、 德性を 尊ぶ は卽ち 約禮、 子の 言葉で い へば 存心養 性、 心 を 存し性 を 養. 

ふ は、 主觀 的で ある、 大學の 言葉で 云 ふと 致 知 格 物、 知 を 致し 物に 格る と 云 ふ、 格 物 は 

色々 說が あ. 9 ますが、 物の 道理 を 極める と 私 は 見て 居らます、 rJ の 致 知 格 物と 云 ふこ 

と は 客観的に 當る、 さう 云 ふ 風に 儒 效の經 典 を 見る と、 、王 觀客觀 兩方を 兼ねて 往 くも. 

儒敎の H 的 を 論す 1 九 七 



支那 哲學の 研究 . 一九 八 

ので あると 云 ふ 風に 始終 說 いて あ.^ ます、 卽ち主 觀と云 ふ 方面と 容觀と 云 ふ 方面と、 

始終 相 並んで 始めて 向上の 一路 を 迎る、 論語に は 「學而 不思則 罔」 と ある、 卽ち 客観的, 

の 博 文と 云 ふことば か, 9 して 居って、 內省を やらなければ 則ち 陶し、 卽ち眞 の g-Br か 

出來 ぬ、 又 同時に 「思 而不學 則殆」 と ある、 是は唯 だ 思と 云 ふ主觀 的の 方法の み を 用- Q 

ると 則ち 殆し、 をれ だけでば 危險 で、 眞の道 を 得る 乙と は出來 ぬ、 斯ふ 云って 居る、 

主 a 客觀 兼修め る、 それが 此の 儒敎の 方法で、 此の方 法 を 取って 進んで 往 きさへ すれ 

ば、 我,^ は 必ず 總 ての 機關が 完全に 備 つて 居る から、 先進 を!^ C に 決して 困難 はな 

K 又 先進 を 凌がなければ 眞の 自己保存 は出來 ない、 眞の修 己 は出來 ない、 卽ち 先進 

先輩を凌ぐと云ふ^Jとに依って始めて日本の國家も益々發展する、 小に し C は 我々. 固 

人の 家 も 益々 發展 する、 大 にして は 人類 も 益々 文明の 域に 進む ので あ fts ます、 デ、 若 

しも此の修己と云ふ^;とが出來、 眞の 積極的 修 己と 云 ふこと が出來 たなら ば、 もこで 

我々 の 道德總 ての/^ と は出來 た、 卽ち 右の 手 だけ はもれ で 具った、 卽ち儒 敎の修 己 は, 



もれで 出來 るので あ 6 ます、 所が 儒敎 では 修己卽 ち 自分 だけ 修ゥ たと 云 ふ HJ では 足ら. 

ない、 もれ, たけで 濟 むなら ば是は 純然たる 個人主義 である、 もれ だけで は 折角 德が 出來 

て も德が 出來た けに 止まる、 儒敎 では 其の 出來 上った もの を 以て、 今度 は 更に 世の中 

に 感化 を 及ぼす と 云 ふ i を說 くので あ. 5 ます、 4- れを名 づけて 治 人と いふ、 修 己と 治 人 

は 左右の 兩 手で、 修己治 人 兼備 はって 始めて 眞の 完全な もの ふ 言へ る、 治 人 卽ち人 を 治 

めろ と 云 ふこと である、 治 人と 云 ふと 往々 人が 行政官と なつて そうして 人民 を 治める 

t との やうに 解し ますが、 儒敎 では さラ でない.' 成程 行政官 は 人 を 治める から 治 人で 

あ ftN ます、 それ は 治 人の 本體、 併ながら 必ずしも それに 止まらぬ、 我, < -が德 を 修めて 

自分の 子弟 を敎 へる の も 矢 張ら 治 人の 一 ゥ であ ます、 學 校長と なって 學校を 整理す 

るの も 一 の 治 人で あらう、 銀行 會 社の 長と なって 自分の 部下 を 統御す るの も 治 人で あ 

4 ませう、 或は 婦人なら ば 家の 主婦と なって 自分の 奴婢 を 使 ふの も 一 つの 治 人で あ 6- 

ます、 のみならず、 子弟た る ものと 雖も矢 張ら 治 入 をな す とが 出來 る、 論語の 爲政. 

儒敎の 目的 を 論す 一 九九 



支那 哲學の 研究 二 〇 り 

篇の 中に かラ い メ ことがある 、 或 人が 孔子に い つ て 子 奚不, 爲, 政と 云 つた ことがあり 

ます、 孔子が 政治の 當馬 者に ならない のを殘 念に 思った ので あ. 9 ます、 をれ から 孔子 

の 言 はれる のに 「誊 云。 孝 乎 惟孝。 友, 于 ,- 兄弟 ik,, 有政ぺ 是赤爲 k。 奚 其爲, 爲, 

政」 と 言って 居る、 卽ち 子弟と して 親に 孝行 を盡 し、 或は 兄弟に 友愛す ると 云 ふこと 

も卽ら 1 の 政治で あると 書經に い ゥ て あると 答 へ られ たの で、 特別に 國 家の 當局 者と 

なって 31 民 を 治める ばか. が 治 人と 云 ふので はない、 卽ち 子弟と して 親に 琪 へる もの 

も 此の 治 人と 云 ふので ある、 卽ち 何も 行政官ば からが 治 人と 云 ふので はない、 我々 總て 

の 人 は B 常 生活に 於て き 人が 出 來る譯 である、 デ、 治 人と 云 ふ 乙と を やる に 付て は、 

我. クが 養; 5 得た 德ぉ 以て、 我々 は 更に 自分の 後 繼者を 養成して 自分 以上の 人 間 お 造 

る、 そこで 始めて 治 人の 目的 を 達する ので ある、 自分, ご同じ、 甚 しき は 自分 以下の 者 

を 造った ので は、 本 當の敎 育 者で もなければ、 本 當 の 政治家で もな し、 本當の 銀行 會 

社の 長と も 言へ ない ので ある、 若し 自分 以下の 人し か 造れぬならば 其の 國家、 其の 學 



校、 其の 銀行 會社は 皆 段々 衰へ るので ある、 自己保存、 種族 發展と 云 ふ 乙と は 出來な 

いので あ .o ます、 自己保存、 種族 發展と 云 ふ 方に 進む に は、 どうしても 自分の 後繼者 

..-n 分 a 上に 造る 必要が ある、 自分 以上に 造った ので 儒敎の 所謂 治 人の 目的 を 完全に 

ゆ 5g する ので ある、 A: 分 以上の 人間 を 養成す るに 付て は、 謂 は V 有らゆる 方法が あ.?^ 

せラ、 敎育 者と して は 子弟 を敎 育す るに、 自分 以上の 俊才 を 養成 するならば 治 人の 目 

的 を 透した ものである、 銀行 會 社の 長と して 自分の 部下.^ 自分 以上に 養成す ると 云 ふ 

己と も 治 人の 目的 ケ- 達した ので ある、 女子の 如き も 若し 結婚 をして 完全の 兒童を 逢む 

ならば、 これ 卽ち治 人の 1 の 方法で ある、 今の 新しき 女と 云 ふ 連中 は、 51 婚は 婦人の 

目的お やない などと 勝手な 乙と を 言って 居る. - あれ は 儒敎の 方から. せば、 此の 治ゾ 

と 云 ふて とに 背いた 譯 であり 1H す、 婦人と して は 必ず 完全の 子供 を 逢んで I 自分 以 

上の 立派な 子供. V 育てる ことが 儒敎で ゆす 眞の治 人の 目的に 適 ふ、 此の 治 人の 目的 を 

到達して 始めて 國 民と 云 はす、 國體と 言 はず、 總 てのものが 段, > 發展が 出来る、 卽ち 

儒. 粒の 的 を 論す 二 〇 一 



支那 哲學の 研究 一一 0ェ 

自然淘汰の 法則に 依って、 其屬 する 所の 國家、 其歸 する 所の 人 顔が、 段々 向上の 一路 

を迎る とが 出來 るので あ.^ ます、 デ、 此の 修己治 人が 儒敎の 目的で あるので あ .o ま 

すが、 此の こと を 儒敎の 方で 最も 組識 的に 書いた ものが 大學と 云 ふ 本で あ もます、 先 

程 中庸の 御 話が 出ました が、 中庸と 云 ふ 本 は 儒 敎の經 典の 中で 儒敎の 哲理と 云 ふ 方面 

を 論じた 本で あらます。 そ rJ で 大學と 中庸と は經 とな- 緯 となるべき もので、 儒敎の 

經典 中、 兩々 相 待って 左右の 手の 如くなる もので あ 力ます。 け ふ は 儒 敎の修 已治人 を 

現代 生活の 方面から 御 話した 次第で あ. ON ます。 . 



. . 四 維に 就て 

私 四 維と 云 ふ 乙と に 就て 少しく 御 話して 見たい と 思 ひまず。 四 維、 卽 ち禮、 義、 

廉、 恥の 四つ、 言 ひ 換れば 四 本 柱 この 四 本 柱が 近來は 餘程危 かしくな つて 居る、 缺け 

て 居る と は 申し ませぬ が、 餘 危 かしくな つて 居.^ はせ ぬかと 思 ひます。 を^で 四 本 

柱の 御 話 を 致して 見たい と豫て 思って 居.^ ましたので、 其 說を申 述べ やうと 思 ひます。 

四 本 柱 卽ち四 維と 云 ふこと は 管 子,^ 云 ふ 書物に 載って ^るるとで、 其 管 子の 中に 四 

本 柱が ちゃんと、 しっから してお なければ 國が 滅亡す ると 云 ふこと が 書いて あります 

尤も かの 說と思 ひます。 此四本 柱卽ち 禮義廉 恥、 之 を 一 つ/ \ 御 話す ろと 餘 ft^ 畏く 

ならます がら、 最後の 恥と 云 ふ^と を 詳しく 御 話して、 其 他 は 1 通 御 話して 見やう と 

、 思 ひ. す。 

四 維に 就て 二 一一 一 



キ、 那哲學 の 研究 二 〇四 

^四 本 柱がなければ、 先 づ兩國 の國技 館で 申せば、 檢资 役の 座る 場所が なくなる 譯 

で、 極く 簡單な 建築で も 四 本の 柱が 要る、 其 一 本がなければ 家 は- 乂" たない、 尤. な 

ど は 鼎 足と 云って 三本お で、 人間 は 二 本 足で あるし、 案山子 は 一本 足で あるが、 阔家 

は 1 本 足で は いかぬ。 大厦の 覆 へらむ とする や 一 本の 能く 支 ふると 7- ろに あらず で 1 

本 足で は國は 立つ M とが 出来ない、 必ず 四 本 足がなければ ならぬ と 思 ひま r -。 

二 

借 四 本 足の 第 1 の 禮はど ラ云ふ 事で あるかと 云 ふと 是れは 誰も 知って, 居る 事で、 鱧 

を重んずべき事は常識のぁる者は知らぬでとはぁ.=^ませぬが、 禮の 中で 一 番重 いもの 

は 何かと 云 ふと、 冠婚 1^ 祭と 云 ふ 四つの 禮 法が ぁゥ ます。 冠す る 乙と、 結婚す る 乙と、 

靠式 をす るると、 祭AJする^Jと、 是が 人生の 四大禮 儀で あ. CN ます。 此の 禮 儀が 完備し 

なければ ならぬ。 冠と 云 ふさ は ど ふ 云 ふ 事 か、 是は 不幸に して 現在 普通 一般に は缺け 

て 居 ます、 昔 は 冠の 禮と 申しまして、 是は卽 ち 】 人前の 人間に なった と 云 ふ を 示す 



爲 めの 禮で、 卽ち 日本の 言葉で 申せば 元服す るるとで あ. ます、 元服 をして 成年に な 

つた、 一人前の 人間に なった と 云 ふ 乙 と を 示す 鱧で あ 6^ ます。 虛禮と 云へば 虛禮に 相 

逢ない けれども、 冠 禮と云 ふ もの は、 是で 以て 一人前になった と 云 ふと を 適切に 知ら 

せて 其自 覺を當 人に 喚?^ させる ので あ ftN ます、 モク 子供の 考 へで 居て はいけ ない、 自 

分 は 一 人前の人間になったと云ふ^:1覺を有っならば自ら自^心がぁ.5、 隨 つて 亂 暴の 

事 を しないと 云 ふ M とに ならます、 冠の 禮は昔 は 重く 視 たので あ. 9 ますが、 維新 以來 

此 禮が廢 りました の は 甚だ 悲しむべき 乙と であります。 冠の 禮は 帽子 を 被る こと、 今 

は 帽子 は 子供の 時から 被って 居, 9 ます、 昔の ゃラに 總髮で 居った もの を 眞中を 剃る と 

云 ふ 乙と は あ. 9 ませぬ から、 どう 云 ふ 形式で 冠の 禮,^ 行 ふかと 云 ふ 乙と は 今 私に は 具 

體的の案はぁ...^ませぬが、 併し 成年に な ゥ たと 云 ふ 覺を與 へ ると 云 ふ 方法 を 何とか 

定めて 置く 乙と は宜ぃ 乙と であら ラと思 ひます。 今の 處 では 四 大禮の 1 ゥは缺 けて 仕 

舞って 居る と 云ふ譯 であ ゥ ます。 結婚の 鱧 はどう か、 是は 現在 種々 の 形式で やって 居 

四 維に 就て roE 



安 郝哲學 の^ 究. . 二 0. バ 

ます。 S 論晋と 今と は 方法 は 違 ひます けれども 立派に 行 はれて 居る と 思 ひます、。 但: 

し 西洋の 文明が 參 ft^ ましてから 以夾" 自由結婚と 云 ふ ものが ある、 昔 は,^ めて 下等の 者 

しか やらな かづた もので あらます が、 此頃 では 親の 目 を. 偸んで 互に 引 張 合って 結婚し 一 

たと 云 ふ M とが 隨 分に 行 はれて 居 feN ます、 それ は 結婚で はない 共同生活 である、 もう 

云 ふ M とが ほつ 思想界の I 劃に は 流行して 居 6^ ますが、 是も 甚だ 困った 事で は あ. 

るまい かと 思 ひます。 成程 儀式と 云 ふ もの は 詰らぬ もので 廢禮 のゃラ であります けれ 

ども、 其 處に禮 と 云 ふ もの を 設けて やれば、 そ^Jで男女が始めて夫婦となる資格が出 

來 たと 云 ふので、 是も缺 くべ から ざ ると 乙ろ の 1 つの 禮 であると 思 ひます。 それが 無 

くな つて 仕舞へば、 忽ちに して 合 ひ、 又 忽ちに して 離れる と 云 ふこと を や ft- ます 或は 

此 最近に 至らまして は、 二重結婚と 云ふ國 家の 法律で 禁じた もの さへ 行 はんとす る 者 

が ある やうです、 斯う 云 ふ もの は 思想界に は 誠に 危險の もので、 思想界 を 毒す る も 

であらう かと 窃に考 へ て 居. 5 ます。 併しながら 大體. に 於て 結婚に 就て は 完備して. 居 :-?^ へ 



ij^ す。 をれ から 葬式の 禮、 是は現在色々の形式で行はれて居,„^まして、 何の 缺點 もな. 

いやう に 思 はれます が、 實 際に 於て は 餘程缺 けて 居る やうに 思 ひます、 と 申す の は、 ま 

舊 幕府の 時代に 於て は、 御 承知の 通ら 服 忌 令と 申しまして、 親屬の 不幸の 際に は 直系 

卑屬 並に 尊屬の 人達が 何日 間の 喪に 居る、 或は どれ だけの 服に 居る と 云 ふ t とが 極つ. 

て 居た ので あう ます、 現今に 於き まして は 昔の 武家時代の 服 忌 令に 依って 習慣と して 

やって 居らます けれども、 極った 服 忌と 云 ふ もの は あらませ ぬ、 卽ち 親が 死んだら 必 

す 五十 日の 喪に 我ケは 服さなければ ならない と 云 ふ 乙と を國 家の 法律で は 極めて 居ら、 

ない、 是は唯 習慣 上 昔から 仕來 つて 居る に過ぎない、 其の 服 忌 令の 無い と 云 ふ, J と は、 

私の 考 へで は將來 RT 本の 國家 を發展 せし むる、 卽ち 家族 主義な ど、 云 ふやうな もの 

益々助長1て;ぉくと云ぶ上には„^^常な缺陷だらラと思ひます。 葬式の 應其物 はや S 支 あ 

6 ませぬ が、 葬式に 關 して 居る と fO ろの 服 忌 制度の 無い と 云 ふの は、 國家 として 非常 は. 

不備で は ある ま いか、 何 か是に 就て は 相當の 制度 を 造る と 云 ふこと は必耍 おらう と豫 

四 維に 就て 二 セ 



支那 哲學の 研究 二 八 

て考へ て居る次第でぁ^^ます。 祭の 禮、 是も相當に行はれて居.<^ます、國家としても、 

例へば 國 家に 功 勞 ある 人 は 招魂 社の 如き 所に 祭って 居 ftN ます、 或は ! つの 神社 を 立て 

. ^祭. リ ます、 個人と しても 祖先の 祭 >V 致します、 をれ に 就て は 大した 差 支 はない やう 

です が、 是は益<-しっか.<^ゃって貰ひたぃと思ふ次第でぁります。 冠婚葬祭の 四大禮 

の 中で 殊に 缺陷 あ. 9 と 云 ふべき もの は、 冠の 禮、 及び 葬禮の 中で 服 忌 令と 云 ふ ものが 

無い と 云 ふこと であらます が、 鬼 も 角 も 四つの 禮 はどう やら 斯 5 やら 行 はれて 居. O ま 

す。 

ミ 

人生の1!大禮は今申上げた通6'でぁ6^ますが、 我, 人間が 一 人前に なると 云 ふると 

に 就て は、 どれ だけの 尊ぶべき 者 を 有って 居る かと 云 ふと、 是は 東洋の 思想に 於 まき 

して は 四つの 尊ぶ ベ き 者が あ.^ ます、 何かと 云 ふと、 君 父 師長の 四 つ であ. 9 ます、 之 を 

四 尊と 申します、 我々 は 四 尊な くして 一 日も此 世に立つ ると は出來 ない、 四 尊な くし 



て我,^>は 一 人前になる rJ と は 到底 出來 ない ので あ- 5 ます、 卽ち君ぁって我,^-は立ち、 

父あって 我 は 育ち、 師 あつて 我々 を敎 へ、 長者あって 我^ を 導く ので あ.^ ます、 rar 

尊と 云 ふ 者 は 我々 の 一 人前になる に は 非常に 關 係が ある ものと 思 ひます、 君主に 對す 

る 日本 國 民の 忠義の 心の 厚い と 云 ふ 乙と は、 今更 申す まで もない、 此點は 非常に 結構 

であ. ます、 親に 對 して 我 4- 日本 國 民の 孝行で あると 云 ふこと は 幾多の 例外が あるけ 

れ ども、 大體に 於て 非常に 結構の 事で あ, 9 ます、 忠孝 を 貴ぶ と 云 ふこと は 先 づ大體 に 

於て 差 支な S やうに 思 ひます が、 唯 師に對 する の, 道が 廢れ て、 殆んど 師道の 尊 嚴が地 I 

こ墜 ちた と 云 ふ K は 誠に 歎 か はしい ところの 1 つで あらます、 能く 地方な どの 師範 學 

校中學 校と 云 ふやうな 所に 「ストライキ」 が 起. 9 ます、 さう して 敎師^ 排 * 斥す る、 是 

れは 師道の 尊厳が 衰 へた 證據 であ. 9 まして、 苟も 自分に 對 して 人の 人た る 道を敎 へて 

吳れ、 自分 を 導いて 吳れ る、 是に對 して 反抗す ると 云 ふ 乙と は 非常に 歎 か はしい 乙と. 

であります が、 是には 相 奮の a 由が あるお らうと 思 ふ、 何が 故に 其 師道の 尊厳が 地に ま 

四 維に 就て 二 〇 九 



支那 哲學の 研究 一 一 

ちて 仕舞った かと 云 ふに、 種々 の 原因が あると 思. ひます が、 私の 考へ では 五つば かり 

ある やうで あ, 9 ます、 第 一 に は 不幸に して 敎師其 人に 人格の ある 人 を 求め 得ない と 云. 

ふこと、 敎師其 人 は 敎師の 職の 如何に 貴重なる ものであると 云 ふこと に 就て 何ャネ B 言 

もなくて、 唯 衣食の 爲に敎 師と云 ふ 職 を假に 執って 居る に過ぎない、 敎師の 天 識の何 

物た る を 忘れて、 さう して 敎師 の爲 すべから ざる 事 をす る とが 隨分 ある、 是れが 子. 

弟の 敬服 を 受ける ことが 出來 ない 所以の 1 つで あ ft> ませう、 何故に 新の 如く 人格な き 

人が 敎師 になる か、 ,v れには 種々 社會 上の 原因が あらう と 思 ひます、 敎 n の 天職 其の 

物 は、 誡に 貴い ものに 拘ら ず、 敎師其 者 は社會 上の 位地 も 低し、 社會 から 敎師を 尊ぶ 

の 念も少 いし、 此 世の中に 於て 他の 方面 を 見る と、 或は 堂々 とやって 居る のに、 敎師 

だけ は 誠に 見窄らし い 有樣 をし て 居る と 云 ふやうな 詰まらな い 事に 屈托を 致し まし 

て、 さラ して 敎師 自身に 自信がない と 云 ふやうな 乙と が 恐らく 重なる 原因で あ 6 ます 

う。 それから 第二に 敎師其 人の 生活の 餘裕 のない と 云 ふこと であ. 9 ます、 敎師其 人り 



生活に 餘裕 がない と 云 ふこと に は、 隨 つて 敎師に 卑屈の 感じ を 起させます、 生徒の 有, 

樣を 見る と、 或は 所に 依って は 非常に 立派な 眞似 をして 來る、 例へば 貴族の 子弟で あ 

ると か、 或は 非常な 富豪の 子弟なら ば敎師 よ.^ も モット 立派な 眞似 をして 居る、 學校 

に 來る時 は 鬼 も 角 外に 出る 時には 自動車に 乘 ft^、 馬車に 乘 つて 居る、 敎師 はどう かと 

S ふに。 羊羹 色の 洋服 を 着て 十 年 1 日の 如く テク- (. 歩いて 居る、 其爲に 敎師も 詰ま 

ら ぬと 思 ふ、 さう して 自分. V 學生 時代に は 殆んど 同等 位であった、 或は 自分よ. 9 才能 

に 於て は 下, たと 看做して 居った 者が、 他の 職 を 執. 9、 或は 銀行 會 社に 出る、 或は 政治 

舉を 學んで 政治 社會に 飛び出した 人 は隨分 高位 大官に 渡って 時め いて 居る、. 敎師は 十 

年 一 日の 如くに 働いて 所謂 體の 休まる 間 もない と 云 ふ有樣 である、 それで 敎師の 卑屈 

の 心が 益 々卑屈に なって 來る、 敎師の 生活 は餘裕 がなければ 人才 を 敎育界 に 招く 乙と 

が出來 ない と 云 ふとになる、 是が 重なる 一 ゥ の 原因で あらませ う 今一 つ は社會 上の 地 

位の低ぃと云ふ^^o、 是も囊 に. ^しました が、 社會 上の, 地位の 低い と敎師 の. 天職の 尊 

四 維に 就て n 一 1 



ま 那哲學 の 研究 一二 „ 

い NI と を 理屈で は 承知して 居ても、 凡人の 悲し さに は、 是は 誠に 詰らない と 云 ふ 感じ 

を 起して、 而 して 敎師の 自覺が 進まず 精神 上に 迷 ひ を 生ずる、 そ 乙で 敎. 帥に 眞の 人才 

が出來 ない と 云ん ことにな, 9 ます。 それから 生徒の 父兄が 敎 師を輕 蔑す る と 云 ふこ 

と、 敎師は 我が 子 を 托して、 我が 子に 人の 人た る 道を敎 へて 貰ら ふ 人なら ば、 非常に 

尊敬し なければ ならぬ と 思 ふので あ. ます、 例へば 自分の 娛樂 にす 

ると 乙, ろの 糟 1 

ゥ 描いて 貰 ふ、 或は 何 かちよ つと した 工事 を賴 むと 云 ふのに も、 隨分其職ェな.c^、 或 

は畫 家に 對 して は、 其の 報酬に 立派な 事 をしても 敎 師に對 して はもんな 事は考 へ な 

い、 而も 家庭 敎师の 如き もの を 雇って 居る 人 は、 家庭教師 其 者 を 恰も 自分の 雇人の や 

うに 待遇す る 人は少 くない やうに 思 ひます、 小學 校の 敎師 などに 就て 見ます と、 子弟 

の 父兄が 家庭の 中で 小學 校の 先生の 言った 事に 統て 頗る 冷淡であって、 あの 青二才に 

何, 力 分る もの か、 社會 上の 經驗 もな し、 敎師 では あるが あんな 者の 言 ふ 事 を 信用す る 

は 足る こと はない、 噓 ばから を敎 へて 居る と 云って、 自分の 子弟の 前で ji 詈 して 見. ij! 



4、 或は 敎師 を輕 蔑す る 言葉 を 以て 話 するとい ふ 乙と は、 是 から 育つ と 7- ろの 子弟^ 

敎 師を輕 蔑す る 心お 起させる 所以で あ ft. ます、 是が 師道の 尊嚴 地に 墜 ちる 所以の 一つ 

であ 6 ます、 それから 子弟 其 人が 善良で ない、 即ち 今 申しました 敎師に 人格の 無い と 

云 ふこと、 敎師の 生活に 餘裕 のない と 云 ふこと、 敎師 の社會 上の地位の 低い こと、 父 

兄が 敎師 を輕 蔑す る こと、 子弟が 善良で ない と 云 ふ^と、 是が經 とな. 9、 緯 となって 

子弟 をして 敎師に 反抗させる、 隨 CV て 敎師に は 良い 敎師 は來 ないし、 「ストライキ」 と 

云ふものが勃發すると云ふ^>とになゥたのでぁ6^ます、 大事な 次の 時代の 國 民.^ 養成 

すべきと ころの 敎師其 人 を斯の 如く 輕 蔑し、 斯の 如く 無視す ると 云 ふると は、 國 家の 

政策と して 決して 宜ぃ 事で あるまい と 思 ふ、 是は敎 師に對 する 禮と云 ふ ものが 力 「殆 / 

ど 見る ことの 出來 ない 一 つの 原因で あ- > ませう、 此の 點 から 申しても 四つの 柱の 中の 

】 ゥは蟲 が 喰って 居る と 云 ふ 7- と は 言へ ませう と 思 ひます。 

四 

四 維に 就て 一一 一一 一一 



支那 哲學の 研究 一一 一 a 

もれから第ニの柱の義に就て御話致したぃのでぁ.0^ますが、 義と云 ふ もの は 普通に 

義理 人情と 云 ふ、 それから 今 1 つ 能く 使 はれて 居る ので は 正義と 云 ふの が ある、 元々 

義と云 ふこと は 事の 宜しく 行 はれる 乙と である、 事に 當 つて 其 宜しき を 得る のが 義で 

あ. > ます、 さう して それが 正義で あ.. ます、 或は もれが 義理で あ. ます、 能く 人情と 

義 とが 街 突す る やうに 考 へられて 居って、 義理に 於て は斯の 如くし なければ なら^ 

けれども、 人情に 於て 忍びない、 人情に 於て は 忍びない けれと も、 義理に 於て 是非 此 

め タ くしなければ ならない と 云 ふ 風に 普通に 考 へられて 居らます、 義^と 入; 15 との S 

突と 云 ふこと は、 能く 御 承知の 通ら 近 松の 戯曲な どに 取扱 はれて 居 6, ます、 其.., 〕 文學, 

的から能く取极はれて居.c^ます、 併じ義理と云ふ^;とは事の宜しきこと、 卽ち 正義で 

あ.^ ますから、 必ず 人情と 衝突す る ものと いふ もので はない、 本當の 義理なら ば、 人 

情と 義理と は兩 立す る もので なければ ならぬ、 總 ての 場合に 於て 義理 人情と 衝突す る 

ものではぁ.c^ませぬ、 若し 義理と 人情と 衝突 するならば 義理の 重きに 從 はなければ 5, 



らぬ、 義理と 云 ふるとが 今どラ 云ふ狀 態に なって 居る かと 云 ふと、 まづ 今の 世の中 は 

は 義现と 云 ふこと は、 十分 世人 も 能く 知って 居 ft^、 又實 際に 義と云 ふこと が 割合によ 

く 行 はれて 居ろ やうに 思 ひます、 今の 世の中で は 今擧げ ました 四 本 柱の 中で は義と 云- 

ふ 柱 だけが 餘程 完全に 近い 乙と であら ラと思 ひます。 

次に 廉と云 ふ 柱、 乙の 糜と云 ふ 柱が 今の 世の中で は 必ずしも 完全で ないやう であ. 5 

ます、 廉と云 ふ 字 は 廉潔と 申します、 或は 淸廉 潔白と も 申します、 どう 云 ふ 場合に 廉 

潔と か、 淸廉 潔白と 云 ふるとが 赏際 役に立つ かと 云 ふと、 義務の 觀 念が 廉潔の 精神の 

人に 依って 能く 實 行され るので あ, 9 ます、 不幸に も 今の 我が 日本の 世の中 は 大體に 於 

で 黄金 萬 能の 世の中の やうであります、 或は 成金 崇拜 であ. y ます、 殊に戰爭にな.0^ま 

してから 成金と 云 ふ ものが 方々 に 輩出し まして、 世界の 非常の 大戰亂 に 際して、 我が 

國が 少しば か の 金が 出來 たと 云 ふて 有頂天に なって 金なる 哉と 云ふ考 へが 世間 一 股 

四 維に 就て 二 1 



支那 哲學の 研究 一二 六 

に 生じて 居る やうで あ, 9 ます、 成程 將來の 世界の 競 爭場裡 に 起ちます に は、 富と いふ 

ると が 非常に 重大の ものであって、 富の 力がなければ 何事 も出來 ない に 相違ない、 如 

何なる 强大國 と 《a 本が 戰 つても 日本が 將來 負けない、 或は 日本の 完全なる 獨 立と 云 ふ 

ると を 維持す る 上に は 富の 力と 云 ふ ものが 最も 重大なる もの V I つで あ. ませ 5、 併 

し 富の みを崇 &t する 黄金 萬 能 思想と 云 ふ もの は 決して 健全の ものと は 思 はれない、 富 

ば 力 6, すると 云 ふ 乙 とになる と、 あらゆる 方法に 依って 富 を 得ゃラ とする、 曰 1^ よ 

決して 健全なる 方針で ない、 あらゆる 方法で 富 を 得たい と 云ふ國 民の 精神が 現 はれて 

投機 事業が 起って 來る、 卽ち山 を 張る と 云 ふこと が 盛んに 行 はれて 來る、 例へば 博 爽- 

を 打つ と 云 ふこと が 投機 事業の】 c^でぁ.e^ます、 國 家が 之 を 非常に 國 民に 害 あ. とし 

て 禁じました、 富 鐘と 云 ふ もの は 投機の 一 つで あ. ます、 國家は 害 あ ftN として 禁じ ま 

した、 之が 今日で は 犯罪者と して 取扱って 居, 9 ますが、 幸か不幸か 現今の 日本 は果し 

て此 精神 を赏 徹せし めて 居る かどう か、 私の 見る ところでは 勸業 w 券と か 貯蓄 债 券と, 



.vs. しまして、 五圓 なら、 十圓 な.^、 二十 圓な. 9 の 債券 を發 行して、 籤 を 引いた 結果 

當ゥた者には五百圓な.^、 千圓 な..、 二 千 圓吳れ ると 云 ふので、 是は體 裁の 好い 一種 

.mat 非常に あれ は 曰 本の 精神 界に害 f 流す ものお 

と a ふので あ. -ま す、 斯ふ云 ふ 事 をし なければ 日本の 國 家の 財政が 甘く 行か 5 いかと 

S ふと、 ,-靑 けない、 をん な 乙と では 誠に 困った ものおと 思 ふので あ. 9 ます、 

程に 黄^ 萬 能の m 心 想が 行き渡って 居って、 國 家が 一方に 禁じて 居って、 1 方に 許す と 

云 ふこと ならば、 國家 自身が 國民を 欺く のであって、 譬 へば 耳..^ 掩 ふて 鈴を盜 むの 類 

でぁ.c^ます、 それ を 以て 國 民の 健全の 發達を 望 ひの はむ づ かしい もので あらう と 思 

ふ、 古い * へで あ. - ますが、 木に 緣. て魚ヒ 求む るが 如しと 云 ふの はさう 云 ふ 事で あ 

せラ、 さ ラ云ふ 風に 投機 事業が 盛んで あると か、 成金 崇拜と 云 ふ 時代に 於て、 如 

何にも 廉潔の 精神、 淸廉 潔白の 精神が 日本の 國 民の 間に 出來 ない と 云 ふると は、 誠に 

當然の 事で、 又 誠に 歎 か はしい 次第と 思 ふので あ.. す、 西 鄕南洲 翁の 詩と して 知ら 

四 維に 就て 一一 一 H 



支那 暂^ の 研究. 一一 一.^ 

れて f f s、 霊 霞 人 I。 爲 子孫 不墨 田と 5 句が??, 卽. ち 我お. 

家の 證义が 知? 居る かぎ か、 私の 家の 法で は 子 g 爲 sf 田地 を M CV 

て 置かない、 卽 ち-子孫 nts かまと 5? あます、 それだけの 氣慨の 

ある 人が 今 あ.,? か、 m 上 は 大人 J 下 is る? 曹 子孫 

眷 ない、 看して 子, 健全 sf して 置く、 ,^れ だけ I き ある 人が 今 あ 

ろます か。 どうで あ. ます か、 もれ だけの 氣慨 がなければ こも 王公 大臣に して 隨分職 

を瀆す 人が ある ゃラ であ.^ ます、 最早 亡くなった 人々 の 中に も、 明治の 功臣と 云 ふ 人 

々の 中に も、 其 日本の 文明が 是 だけ 進んだ に 就て は 弗 常に 功勞が ある にも拘らず 利益 

と 一 5 問題の 前に は 頗る 遺慽の 人物が 少く なかつ? うに 思 ふ、 利 f 云 ふ 問題の 前 

に は惡く 言へば、 低能の 人 令 もあった やうに 思 ふので あ.. ます、 論語の 中に 見い 利 

義と云 ふ 語が あ. ます、 自分 は是 だけの 物 を 欲しい と 云 ふ 場合に は、 必ず 義に 於て 是 

は 取って 善い もの か、 惡 いもの かと 云 ふこと を考 へて、 然る 後 取らなければ ならぬ と 



云 ふ fJA; があります、 是は 孔子の 敎 であ. 9 ますが、 如何にも 是は 善い 敎 であら ラと思 

>i、 な:.. の 世の中に 於て 淸魔 潔白の 人が 少ない 爲に何 か 利益に 臨んだならば 父子 兄弟 a 

に つて 其 利益に 赴く ので あ.?^、 す、 利の ある 所に は 恰も 蟻の 甘き に 付く が 如き 有樣 

で、 利が なくなる と 互に 反目して 爭 ふと 云 ふ 乙と が 少なくない、 見 k 利 思つ iS と 云 ふ 人 

が 甚だ 少 いと 思 ふので あ. 5 まして、 此點は 誠に 遺 « の 次第で あり.^ す、 若し 利益が 眼 

の 前に ある 時分に、 自分が 此 利益 を 取る のが 善い か、 惡 いか、 正義で あるか、 正義で 

ないかと 云 ふ 乙と を、 一つ 考 へるならば、 砂糖 を 嘗め 過ぎた 爲に 犯罪者になる 議員 も 

あるまい、 成 は 軍艦 を 嘗めて 問題 を 起す 將校 もないで あ. 5 ませう、 所謂 瀆 職と 云 ふ 罪 

名の 下に 犯罪者と して 拘禁 者の 中に 這 入った 人の 如き は、 利益に 眼が 肢 らんだ 人で あ 

るまい か、 卽ち 廉潔の 德に 乏しい 人で は あるまい か、 廉潔と 云 ふ德は 非常に 輕微の 所 

にある ので、 易 さしい やうで むづ かしい もので あらます、 或は 建築 を 致して 居る とる 

るの 建築が 其 建築費に 比較 すれば 非常に 粗末に 出來て 仕舞った、 或は 罐 詰の 中に 石塊 

四 維に 就て 一二 九 



支那 哲學の 研究 ニー 一 ◦ 

を 入れる と 云 ふ 話、 是は 話で あ.^ ますから、 赏際かどぅか分.c^ませぬが、 さう 云 ふや 

うな 間違った 事が あると 云 ふの は、 唯 己れ の 利の みを訐 つて、 義理の 何物た る を 知らな 

ぃ爲 めで あ. ませう、 若し 義の 何物た る を 知るならば 自分 一 個の 利益と 云 ふこと を 計 

ると云ふことはなぃ喾でぁ<^ます、 所謂 商業 道 德の行 はれない の も 廉潔の 精神がない 

爲め であ ft> ます、 簾 潔と 云 ふ もの は 何も 利の ないやう にせよ と 云 ふので な ひ、 正義で も 

物 を 取らぬ のが 廉潔で は あらませ ぬ、 正當の 利なら ば 取って 差 支 あ. ませぬ、 正當 か、 

不正 當カ もれ を 判別す る 精神がなければ ならぬ と 思; 5 ます、 それならば 商業に お 事 

して 鲻銖の 利 を營ん でも、 其 者が 正 當の利 を 得たならば 差 支 はない、 自分の 職務 を瀆 

して 利 を 得る の は 不正 當の 利で あ 力ます、 1 時の 利益 を 計って 永遠の 利益 を 失 ふの が 

不正 當の 利で あ. CN ます、 脫脂 綿の 中に 摇樓綿 を 交ぜて 賣 ると 云 ふの は 不正 當の 利益 を 

占め やうと したので あり-ます、 それが 爲は 日本 帝 國の體 面 を 汚し、 日本 帝國の 信用 を 

墜 して、 日本で 製造した 物 は 再び 買 ふ 乙と は眞平 御免で あると 云 ふ 風に 方々 から 言 ま 



れて 居る と 云 ふ 話 を 聞きました が、 是は 確に 廉潔と 云 ふ 精神がない 爲め であ. 5 ます、 

私が 熟々 日本の 現 狀を考 へて 見ます と、 上 大人よ. 9 下 匹夫に 至る まで 廉潔の 精 祌が甚 

だ 乏しいで は あるまい か、 卽ち 日本の 國 家に 對 する 廉と云 ふ 一 つの 柱 は 頗る 蟲が 喰つ 

て 居る、 外見 は 稍々 存 して 居る かも 知れぬ が、 心 は 殆んど 白蟻で 喰 潰されて 居る ので 

ないかと 思 ふので あらます。 

六 

それから 最後の 恥と 云 ふ 乙 とで あ .0 ます、 此 恥と 云 ふ 柱 は 四 本 柱の 中で も 又 1 つの 

太き な 柱で あ ftv ます、 禮義に 反き、 義理に 反く と 云 ふ 7- と は恥づ かしい 次第で ある、 

君に 不忠 をし、 親に 不孝 をし、 其 他の 者に 不人情 をす るの は 恥 を 知らないの であ. n> ま 

す、 又師 として 自覺 がな く、 自信がない と 云 ふの は、 恥づ かしい 次第で あ ft^ ます、 又 

不正 當の事 をし、 正義に 反く 事 をして、 恥 を 知らない 者、 是も 誠に 困った もので あ 6 

ます、 もれ は 廉潔の 反對で 貪慾で ある、 併しながら 恥と 云 ふ 乙と を 知って 居るならば 

四^に 就て 》1 二 1 



支 都 哲學の 研究 ニニ 二 

4 申 上げました 禮義 廉潔と 云 ふ 柱 は 完全に 維持され る箬 であ. ます。 f 妝義廉 r 心の gro 

の 中で も 恥と 云 ふこと が 最も 我々 自身の 心得と して 必要の 事で あらう と 思 ひます から 

して、 特に 恥と 云 ふると を 詳しく 說 明して 見やう と 思 ふので あ ます。 

今 中す 通 もに 恥と 云 ふ ことがあ ポば、 禮に 反する こ ともなし、 義を 忘れる こと もな 

し、 廉潔と 云 ふ德. ^失 ふこと もな レ ので、 恥と 云 ふ 乙と がー 番人 間に 取って 大きな 亨 

であらう と 思 ひます、 卽ち 孟子が 恥 之 於い 人 大矣と 言って 居 ft^ ます、 恥 を 知って 居るな 

らば、 人間と してし 债値は 維持され るの てあらう、 世の中に は隨分 厚顔無恥の 人が 少 

くないので あ,?^ す、 朝、 に 言った 事と、 夕に 言った 事と、 始終 違って 來る、 所謂 朝 令 

暮改と 云って、 主義 もなければ、 節操 もない と 云 ふ 者が 隨分少 くない、 見渡した とミ 

るが 政治 界に 雄飛して 居る 人に して、 更に 主義 節操お 長い間 維持す る 人が あ ます 

力 とラ であ.?^ すか、 或は 堂々 たる 大政 黨の 人に して 恥 を 知って 居る 者が あるか、 な 

いか、 窃に考 へて 見^す と、 私 は 甚だ 遺慽 ながら 日本の 現在の 政黨の 如き、 其の 他 現在 



の 大人の 如き、 恥 を 知る 人が 極く 少 くな S かと 思 ふ、 恥 を 知って 居るならば 到底 出來 

ないやうな 事 をして、 厚顔無恥の 事 を 致して 居る。 

恥と 云 ふこと は 色々 に 分けられ るので あ..^ ますが、 是れは 三 段に 分けて 言 ふこと が 

出來 ます、 他人に 對 する 恥、 をれ から 己に 對 する 恥、 をれ から 天に 對 する 恥 この 一 二 CN 

に 分る ことが 出来ます。 卽ち 第一が 他人に 對 する 恥、 是は 恥の 極く 幼稚の もので あ 

ます。 第二の 己に 對 する 恥 は、 それ よら 一歩 進んだ もので、 をれ よら 更に ー步 進ん お 

もの は 天に 對 する 恥、 神 樣に對 して 恥 かしい と 云 ふので、 此處 まで 至らぬ ければ 本當 

の 恥で ない ので あ. ます。 他人に 對 する 恥 も 分ける と 色, > になる やうで あ. 9 ます、 唯 

1 個の 人に 對 して 恥 かしい と 云 ふなら ば、 其 人の 居ない 所で あれば、 どんな 1$ をして 

も 恥 かしくな いと 云 ふ 威 じが 起る ので あ, ON ます、 甲の 人に 對 して 恥 かしい と 思 ふなら 

ば、 甲の 人の 居ない 時 は 勝手の 事 をす る、 是は 甚だ 幼稚であります、 .ig は 甲に 對 して 

なくて、 人に 對 して 恥 かしい と 云 ふなら ぱ、 人の 見て 居ない 所で あれば 恥 かしくな 

四 維に 就 て 二 1 二 11 



支 響學の 研究 ニー 一四 

. い、 暗闇なら ば 惡ぃ事 をしても 恥 かしくない、 さ ラ云ふ 事に なって 來 ますと、 制服 制 

帽を 着けて 居れば 耻 かしい、 併しながら 鳥 打帽を 被って 居れば 何處の 誰れ だか 分らぬ 

から 耻 かしくない、 是れが 極めて 幼稚の 耻 であらます。 次に 家に 對 して 阯 かし"、 卽 

ち 自分の 家名, ^一 傷つけ ないや ラに、 自分の 祖先の 名前, v.」 汚さない や 5 にしたい、 之.^ 

儳ゥ ける と 家に 對 して 耻 かしい、 此 感じ は 人に 對 して 耻 かしい と 云 ふよ. も、 トし I 

んで 居. - ます、 家の 名前に 舞して 耻 かしい と 云 ふので 家名 を S ん ずると 云 ふこと は甚 

お 結構で あ.?^ すが、 ,^れ ならば 立派の 家に 育って、 立派な 家の 名前 を 冒して 居る 人 

ならば 兎も角、 惡ぃ 言葉で 中す と、 何處で 生れた か譯の 分らぬ と 云 ふ 人間なら ば、 自 

分が 惡ぃ事 をしても、 さう 云 ふやう に 家 もない やうな、 誰 だか 分らぬ 位の g 度の 人な 

らば、 家 を 重んずる 精神 も 少ない ので あ- ます、 段々 個人主義が 盛んになって 家族 主 

義が衰 へて 來 まして は、 自分 一. 個の 活動が 直ちに 一家に 影響 及ぼし、 自分自身よ 唯 

I 個人で ない、 一 個人で あると 同時に 家の 一 人で あると 云 ふ 感じが 鈍くな つ て來ま 



す、 家 を 思 ふ 精神が 薄くな ゥて來 ます、 も 7- で 家の 名前 を 辱 かし ひるな と 云 ふ 道德的 

觀念を 養成す るの は 必要で あ.^ ますが、 然し 耻と 云ふ點 からい ふと 更に 一 層 上の もの 

があります。 次に 郷里、 卽ち 自分の 鄕 里に 對 して 耻 かしい、 此鄕 里に 對 して 耻 かしい 

と 云 ふ 精神が 又 一等 上であります、 例へば 小さな 村なら ば 村の 人間と して 斯ラ云 ふ 事. 

をして は耻 かしい と 云 ふ 感じが 起る、 然し 其 鄕里を 離れて 仕舞へば、 耻 しいと 云ふ考 

はなくな つて 仕舞 ひます、 所謂 旅の 耻は搔 捨てと 云 ふ ことがあ 6^ ます、 昔 は 伊勢 詣を 

します のに、 例 へ ば 江戶の 中なら ば もの 名前 は 直に 分- ますから 耻し い 感じ を 致し ま 

す、 處が 一 步江戶 の 地 を 離れて 仕舞 ひます とそれ は 忘れて 仕舞って 耻 しい 事 を 致し ま. 

ザ.、 所謂 旅の 耻は搔 捨てと 云 >A ことがあらます、 卽ち鄕 里と 云 ふ II 裁 を 脫 して 仕舞つ, 

て 自分の 守る 所 を 失 ふので あ, 9 ます、 是も 薄弱の ものであります、 モウ 一つ 進んで 社 

會に對 して 耻 しい、 卽ち 社會的 制裁 言換 ふれば 道德的 制裁に 對 して 耻 しいと 思ふ觀 念" 

があって、 此に 於て 耻と云 ふ 乙 とが 隨分 立派な ものに なって 參 ります、 處が道 德的帘 

四 維に 就て ニニ 五 



ま 那哲學 の 研究 一一 一一 六 

裁に 對 して 耻 しいと 云 ふ 感じ は、 社會道 德の衰 顔した 時代に 於て は 制裁に ならぬ、 所 田 R 

人の 嗜も 七十 五日と 云ふ譯 で、 日本の 現今の 社會の 如き も、 立派な 人物と して 尊敬お 

受けた人が罪惡を犯してすゥか.0^人望.^」落して居ったが、 漸く 復活して 仕舞った と 云 

ふや ラな事 は隨分 多い ので あ,, ます、 若し 其 人が すつ か.:, 精神 を入替 へ て悔 改め 立派 

な 人物に なったならば 復活す る こと も 結構で あ 力ます、 併し 其 人が 果して 每ひ 改め,, 

が ど 5 か は 疑 はしい、 近年に 於て はさ ラ云ふ 人が 少 くない やうで あ., ます、 別に 名 を 

申し ませぬ が、 さう 云 ふ 人は少 くない やうで あ ft, ます、 それから モウ 一 つ 進みます 

と、 國家的 制裁、 言換 へれば、 法律 的 制裁、 此 制裁に 對 して 耻 かしい と 云 ふ 感じ を 《 

す 者が ある、 處が是 は耻の 道德的 制裁よ 力 も モク 少し 下等の 者で あ 6, ますが、 此道德 

的 制裁なら ば 餘程此 精神に 於て 採るべき 所が あるが、 國家的 制裁、 法律 的 制裁に 對し 

て耻 力し いと 思 ふような 人間 は、 苟も 法律に 反かない、 所謂法網を潜.c^さへすれば5,- 

しい 是は どんな 惡ぃ 事,^ しても、 法律上 犯罪者に ならないならば 決して ft かしくな ハ、 



是 等の 對他 的の 耻と云 ふの はまた 低い 耻 であ..^ ます、 是 がー 步 進んで.^ 心に 對 する a 

is ふので 道徳的の 耻 となります、 自分自身 新 ふ 云 ふ 事 をして は、 人が 見ようと、 a 

まいと、 社會 的の 制裁が あらう と、 あるまい と、 家の 名前 を 汚さう と 汚すまい と、 或 

は國 家の 制裁に 觸れ やうと、 觸れ まいと、 自分の 良心が 承知 しないと 云 ふ ものに なゥ 

て、 本営の 耻 といへ るの ゼぁ fti- す、 さ ラ云ふ 良心に 於て 耻 かしい と 云 ふ 感じが あれ 

ば、 斯う 云 ふ 事 をす るに 忍びな S ると になる、 ft 際 良心に 於て 耻 かしい と 思へば、 縱 

令 人が 見なくても、 所謂 獨りを 慎し む、 或は 俯仰 天地に 愧ぢ ずと 云 ふところの 立派な 

所に 進んで 行きます、 或は 言換 へれば、 自分で 如何にも 道德的 満足 をす る、 を こで 本 

営の 恥と 云 ふこと になって 錢る、 此 道徳的に 自分で 満足す る、 さラ して 自分で 新う 云 

ふ 事 をす るに 忍びない ところの 人間に なって、 始めて 本 當の耻 の 何物た る を 知る ので 

あ. c> ます、 是が纏て神檨に對し耻かしぃと云ふ^-とになります、 ^^督敎の所謂天國は 

. ^の. こ 在. CS て、 卽ち 良心 は 天から 賜った ものであります、 懦敎 では 天命 之 謂レ性 $ 

維に 就て , I 



ネー 那.? .n 學の 研究 , 一一 一一 \ 

.^の生れゥきは天から賜ったものでぁる、 其 完全 無缺の ものが 我が 良心と して 胸の 中 

にぁるのでぁ.<^ます、 我が 良心 其 物 を 我が物と 思って はならぬ、 是は 神様の 物で ある、. 

哲學 的に 言; 3 ますと、 大我 小我の 關係 であ. ます、 元々 小さな 我があって、 是が 

れば 大きな 我れ、 宇 S 我れ になる、 宇 ま卽ち 良心 其 物で ぁゥ ?、 きで 良心 は 

於て 耻 A しいと 云 ふ もの は、 同時に 天に 對 して 耻 かしい と 云 ふさに なって 來る、 物欲 

の 念 私慾の 念に 蔽 はれる と 良心の 光 卽ち心 光.,. 蔽 はれて 仕舞 ひます、 心 光を蔽 はれ 良 

心の 何物た き 知らない やうな 人間に なって、 耻の 何物た る を 知らない やうに f ま 

す、 卽ち 良心が 無くして 耻の 何物た る を 知る こと は出來 ない ので あ.., ます。 そこで 耻 

と 云ふ きが 非常に 重大の 柱の 一 ?, ますが、 不幸 E て 此耻と 云, -,, と は 今 は 

餘程少 いや ラ であ fes ます。 

日本の 國家を 支持す ると ころの 柱 は 以上に のべた 禮義廉 耻の四 本の 柱で あ 6^ ます 

が、 其 中の 或 物 は蟲が * つて 居 も、 或 物 は 外形の 堂々 たる ものが あって 中 は 白 艤に喰 



よれて 仕舞って、 唯一 割に どうか 其 物ら しい 所が ある けれども、 此耻の 如きに 至って 

は 其 何物た る を 知らない 者が、 政治 界 或は 商業界、 其 他の 方面に 撗行 跋扈して 居る の 

では あるまい か、 心 光を蔽 はれ 耻の 何物た る を 知らない ゃラ な有樣 ではない か、 我が 

日本に 於け る 此四本 柱 は 危ぶな かしい 狀 態に ある やうに 思 ふ ので あ 6. ます、 總 ての 

世の中に 於て 樂觀 論者と 悲觀 論者と 云 ふ 者が あ, 9 ますが 樂觀 的に 見る と 云 ふこと が 又, 

非常に 〔且 いこと で、 今 は 縱令惡 くても 將來 非常に 善くなる と 云 ふ 人が あ ft^ ます、 併し 

ながら 今の 世の中 は 危ぶない 世の中で あると 云って 大聲 疾呼して 國 民の 覺醒を 促す の 

も 亦 必要の 乙と であ. 9 ます、 私 は敢て 悲観論者と 云ふ譯 では あ,^ ませぬ けれども、 現 

の 世の中に 於て 四 本 柱の 缺 けて 居る 乙と を說く 者で あ. 9 ます、 さて 斯の 如くに 四 本 

柱の 缺 けて 居る の は 何の 爲め であるか を考 へて 見やう と 思 ひます。 

七 

今の 四 本 柱の 段々 日本で 缺 けて 來た 重なる 原因 は、 要するに 生活 困難の 爲 では ある 

四 維に 就て ニニ 九 



支那 哲學 の硏究 一二 二 ◦ 

ま いか、 生活 上 困難で あれば ある 程 ゆつ く. した 事が 出來 ない、 どうしても 明日の 食 

は 困る やうな 者で あれば、 道徳の 何物た る を 知って 居っても それが 出來 ない、 所謂 貧 

の 盗みと 云ぶ 乙と にな, 9 ます、 貪に 迫られて 據ろ なく 惡ぃ事 をす ると 云 ふこと が、 實 

に 一般の 人情で あ .-t- して、 確に 日本の 四 本 柱の 中の 總て 大きな ものが 清れ かかって 

IS るの は 生活 困難の 爲め であらう と S ふ、 で、 管 子の 言った ると に 衣食 足丽知 一一 禮節 一と 

S ふ 語が あらます、 卽ち 衣食に 窮 する 者 は 駄目で ある、 併し 苟も 道德を 以て 自ら 任ず. 

る 人 は縱令 現在の 生活が 如何に 困難で あらう とも、 衣食が 縱令 足. なくても、 昔の 武 

士は食 はね ど 高 楊枝と 云 ふ 位の 心に なって 欲しい、 孟子の 言った 語に 無- 恆產- 者無_~. 

恆心ーと云ふ乙とがぁ,c^ます、 恆の 財産がなければ 一定の 心がない、 無-一 恆產 一而 有-一 恆 

心 者 『 惟 士爲, 能、 恆の 壷なくても 恆の 心が ある 者 は、 唯 士が之 を 能くす ると 云 ふので 

あ.^ ます、 士君子た る 者 は恆產 がなくても 恆 心が あるので あ 6, ます、 苟も 道徳の 何物 

たるる と を 知る 士君子 は恆の 逢がなくても 俊の 心がなければ ならぬ、 卽ち禮 義廉耻 の 



何物たる^Jとを十分に考へて、 日本の 今の 缺陷 に對 して 大聲 疾呼して 戴きたい と 思 ふ. 

ので あ. ます、 德不 k 孤 必有, 隣と 云 ひます、 諸君が 鱧 義廉耻 を 重んぜられ、 又 自分の 

關系 せらる る 範圍內 に 於て 道 德ケ」 鼓吹され ると、 日本 國 家の 將來の 道德的 精神の 維持 

はき も 大海に 石 を 放.^ 込めば 波が 岸まで 波及す る 如くに、 ずっと 日本の 國家を 風靡す 

る 7> とが 出來 ない とも 限らない ので あ ft- ます。 



g! 維に 就て 一二 一一 一 



森 Is 究 一 i 一 

道 敎の攝 生 法に 就いて 

道 敎は後 の 張 道 陵に よらて 創唱 せられ、 六 朝に 至って 大成せられ たる 一 種の 宗敎 

である。 張 道 陵の 子孫 は. 現に 江 西 省の 龍 虎山に 在らて、 張天師 として 一世の 尊崇 を S 

けて 居る が、 道 敎には 厳然たる 本 支の 關 係が 無く、 各派 獨 立に 發.. 3 せる が 故に、 張 天. 

師を宗 とする 一 旅の 外に、 多くの 流派 ある こと は 勿論で ある。 各派 成立の 歴史的 研究. 

は 暫く 之 を 他 に讓. ^て、 今日は 專ら道 敎の攝 生 法に 就て 所見 を 述べよ ラと思 ふ。 攝 

生 法 は 唯一で なく、 各派の 主と する 所 も 亦 夫々 異同が ある や 5 であるが、 之を總 括し. 

て大 II- を 叙す るつ も. 9 である。 

抑も攝 生と 一 II 及び 攝 生の 目的 は、 拳 靈十章 S ゆるの が S である。 曰く、. 

蓋 聞 善 伊 生者、 陸行 不,? ? 児虎ズ i 不 レ被,, 甲兵:,^ 無, 所 其 角: 虎, 所 b お 

- 爪 r 兵 無. 所ら < -,, 其 匁 r 夫 何故、 以, „其、無-, 、死、 地 r 



攝生の目的は卽ち死地無きの域に達する^Jとでぁる。 攝 生の 結果、 死地 無き が 故に、 

* 效果 として 児 も 其 角を投 ずる 所な く 虎 も 其 爪 を 措く 所な く、 兵 も 其ヌを 容るゝ 所な 

きに 至る。 死地な しと は 如何なる 意味 5 るか を 確め るに は、 次の 一章 を引證 とせば な 

らぬ。 卽ち 第五 十五 章に 曰く、 

含德之 K 者、 比-之 於 赤子-也、 毒蟲不 k 螫、 猛獸不 k 據、 摟 鳥不, 搏、 

含德の 厚き 者 は 恰も 赤子の 如く、 毒 蟲も螫 さず 猛獸も 害せざる ものである。 前章に 

は 善く Si 生して 死地な き 者と 云 ひ、 後 章に は 含德の 厚き 者と 云 ひ、 其 文 は 相違 あれ ど 

も、 其 效果に 就ての 要旨 は 頗る 相似て 居る と 思 ふ。 老子 はる、 に 赤子と 言へ ども、 亦 

好んで 嬰 兒と云 ふ 語 を 用ね て 居る。 赛, 氣 致, 柔、 能 如-一 嬰 兒ー乎 (十 章) とか、 我獨泊 

i 其 未お、 如-嬰 兒之 未, 孩 (二十 章) とか、 又は 常德不 fe 復-歸 於 嬰兒- (二十 八 章) 

と 云 ふの 類、 昝此 五十 五 章の 意と 同じ。 特に 二十 八 章の 常德不 レ離復 -ー歸 於嬰兒 一の 文 

は、 常德不 k、 復-ー 歸於無 極-及び 常德乃 足、 復-ー 歸於樸 一と 相 並びて 用 ひられ、 嬰兒ノ 

道 敎の攝 生 法に 就いて ニー 一一 一二 



II の 研究 二 |ーー四 

無: r 樸は皆 同じく、 老子の 所謂 道お 形容した ものと 見るべき である。 《兒 又は 赤 下 

の 天 與铜燈 に し て 何等の 作爲 なく 虚飾な きを、 道の 無爲 自然に 譬 へ た もの と 思 はれ 

る。 を^^で含德の厚.n者は嬰兒、無極、又は樸に復歸したものと見るも差支ぁるまぃと 

思 ふ。 又 同時 暴く 攝 生して 死地な しと は、 釁、 無 極 又 Is 歸し たものと 見る 

も 差 支 あるまい と 思 ふ。 換言すれば 死地 無しと は 第五 十五 章に 所謂 長生 久視の 意に 

して、 五 n 人 は 道と ー體 とな,, 、 有限の 現象界 を脫 して、 無限の 本 體界に 入ム、 常住 不 

滅 天地と 共に 長久なる を 言 ふので、 此塊然 たる 肉體 のま 、神仙 不死と なる を 言 ふので 

ない。 卽ち 老子の 所謂 死 而不, 亡者 壽 (三十 三. 章) の 意と 云 ふべき である。 況んゃ 老子 

は 第 十三 章に 

吾 所,, ,以 有,, 大患, 者、 爲き 有, 身、 及,, 吾 無, 身、 吾 有-, 何患ハ 

ともい ひ、 肉體は 罪惡の 根源と も 見て 居る ので ある。 然るに 其 後,^ 受けた 列 子. 莊子 

は攝生 宜し さお 得れば、 此肉 身の ま \ 水火 を も 踏 ひべ く 風雲に 御して 四海の 外に も 遊 



ぶこと が出來 る、 卽ち卽 身絕對 となる ことが 出來 ると 說 いて 居る。 是も 恐らく 係 端な 

る 形容 を 用ね て、 譬^ 的に 理想 を說 いた ものて、 奧 人の 心境の 無碍なる こと を 説いた 

ものと E はれる 然るに 乙れ が 神仙 說と 合致して 後の 道敎を 開く に 至った ので ある 卽 

ち 後の 道敎 では、 攝生 宜しき を 得れば 神仙 不死の 人と なる でと が 出来る と說 くので あ 

る。 換言すれば 道敎 における 攝生 法の 目的 は、 神仙 不死の 人と なること である。 其方 

法 は 唯】 でな y 種々 の 方法が ある。 今顺; i ヒ追 ふて 之を說 明しょう と 思 ふ。 

後の 道 敎徒は 老子の ft に 旣に攝 生 法 を 論じて あると いふ。 虛-ー 其 心 ハ赏- 一 其 腹 一 (三 章) 

を靜 坐の 姿勢と 解釋 し、 谷 神 不死、 是 謂- 玄牝- (六 章) ヒ 

谷 養 也、 人 能 養, 神 則不, 死、 玄天 也、 于, 人 爲, 鼻、 牝地 也、 于, 人爲, 口、 天 養 k 人 

以 k 氣: 從, 鼻 入 藏,, 於 心 i 養, 人以 n 五味: 從^ 入藏- ぉ胃ハ (pi) 

とい ひ、 一 種の 呼吸法と して 解釋 する ので ある。 然しながら 此說は 老子の 眞 意に 當ら 

ぬ と は、 贅 辯を耍 せぬ と 思 ふ。 老子に は 別に 具體 的に 攝生法 を 論じた もの は 無い 力 

道 欲の 攝生 法に 就いて , 一二 二 



み 12 研究 . i 六 

子に は旣に 其方 法 を 論じた ものが あると 思 ふ、 莊 子は攝 生の 乙と を 養生と 云 つ て 居 

るが、 もの 意味 は屘丁 牛を說 くの 說 話に よって 見ても、 ^!::然に從ひ無理,^」せぬことゝ 

解して 差 支ない と 思 ふ。 然し 莊 子の 內には 今 一 層 具 |£ 的に 養生 法を說 いた 所が ある。 

刻 意篇に 曰く、 

就- 1 簸澤 ハ處- -閒曠 r 釣, 魚 間處、 無爲而 已矣、 此江海 之 土、 避 W 之 人、 間 暇 者 之 所, 好 

也、 

吹 f 呼吸、 吐, 故納, 新、 熊經鳥 申、 爲 jt 而 已矣、 此導引 之士、 養 形 之 人、 彭 祖壽考 

者 之 所, 好 也、 

前者 は靜坐 法の こと を 述べ、 後者 は 呼吸法の 乙と を 述べた ものと 見る, J とが 出來 やう 

と 思 ふ 熊經鳥 申と は 呼吸の 際に 於け る 姿勢 を 形容した もので、 首 を 伸す ことで ある。 

陸德 明の 音 義に司 馬の 說を 引いて、 熊經は 若-熊 之攀, 樹而 引, 氣 也と 解し、 鳥 申 は 若,, 

鳥之瀕 也と 解して 居る。 吐 故 納新は 故氣を 吐いて 新 氣を納 る、, と、 後世に は此語 



,、本 づきて 吐納 法.^ -說 くもの が ある。 引と は 音 義に李 氏 を 引て、 導 レ氣令 k 和 き >蹬 

令 レ柔と 解して ある。 要するに 一 種の 呼吸法に よって 形 AO 養 ひ 長壽. ^致す ベ しと 云 ふ 

論お があった ので ある。 尤も 刻 意 篇は莊 子 外篇の 1 なれば、 莊 子の 自筆で ない、 莊子 

の 門下 者 流の 手に 成った ものと 思 はる、 が、 內 篇の內 にも 靜坐 呼吸に 關 する 文と も 解 

し 得べき ものが あると 思 はる。 齊物 論に 曰く、 . 

南 郭子綦 iL 几而 坐、 仰, 天而 嘘、 然似, 喪-其 耦- 

司 馬、 說に耦 身 也、 身與, 神爲, 耦と いひ、 兪樾は その 意 を 受けて、 更に 耦寓 也、 神 寄-於 

身; 故 謂, 身爲, 寓と 解して 居る が、 恐らく は當 るまい。 耦は 匹祸の 意、 今の 言葉で いへ 

ば 相 對的觀 念、 差別 的 見解で ある。 郭 注に 此文を 解して 

同,, 天人? 均-彼我 T 故 外 無- 與爲 T 歡、 而喀焉 解體、 若, 失-其 配 匹つ 

と 言 ふの は 動かす 可かざる の說 である。 几に 憑て 坐す が靜 坐なら ば、 天 を 仰で 噓すカ 

呼吸で、 喀然耦 喪 ふ は 其 結果で ある。 旣に相 對的觀 念 差別 的^ 解 を 失 ふが 故に I 

道 敎の攝 .e: 法に 就いて 二三 七 



支那 哲學の 研究 ニー 二八 

彼の 別が なく 無我の 狀 態となる。 子 * が 今 者 五!: 喪, 我と 言った の は其爲 である。 几に 

憑って 坐し、 然として 差別 的 見解 を 失 ふに 至った と は、 坐驟 入定と 似て nki ると も 忍 

ふ。 大宗 師篇に 亦 曰く、 

墮, -枝體 聰明: 離, 形 去, 知、 同-於 大 通ハ此 謂,, 坐 忘 r 

莊子雪 に墮 一, 枝體, を 解して 離, 形と いひ、 黜 一一 聰明, を 解して 去-知と いひ、 同一 一 於大通 一お 

解して 猶- 一太 虛之 無碍, とい へる は、 簡 にして 要 を 得て 居る と 思 ふ。 . ^ち 枝 體, で 墮ち聰 

明を黜 くと は、 忘, -其肝 膽;. 遺, -其、 耳目 ス 大宗: t 篇) と 同意で あらう。 而 して 断る 狀 態に 

なる の を 坐 忘と い へば、 坐 忘 は 矢 張ら 禪定と 似て 居る ので は あるまい か。 なほ 坐 忘の 

反對 は坐馳 (人間 世 ffi) と 云 ふこと であるが、 こ、 に は 別に 言 ふ 必要 は あるまい。 以上 

は內篇 に 見 ゆる 靜坐 法の 一 斑で ある。 次に莊子は踵2^》と云ふこと,^述 ベ て 居る。 大 

宗師篇 に 

古之眞 人、 其 寢不, 夢、 其覺 無. 憂、 其 食不, 甘、 其 息 深々、 奥 人 之:: マ以, 踵、 衆人 之 



息以 k 喉、 屈服 者、 其嗒言 若, 哇、 其耆 欲深 者、 其 天機 淺、 

と 云 ふ は、 卽ち眞 人の 狀況を 述べて、 呼吸法に 論及した る ものである。 後世に 至って 

は佛 氏は數 息を說 き 道家 は 踵 息を說 くと して、 相並稱 する に 至った。 さて 靜 坐と 呼吸 

法と は 相關聯 して 離る ベ からざる 密接の 關 係が あると 思 ふ。 要するに 靜坐 呼吸の 法 は 

に 內篇に 見 ゆるから、 莊 子の時に 已に其 端 を 開いて、 莊 子の 門下 者 流の 時代に は 吐 

納導 引の 法と して 盛んに 主張され たもの なる^と ケー 想像せ しむる に 足る ので ある。 

吐納導 引卽ち 一 種の 服氣 法は攝 生の 法と して 第 一 に 主張され たる ものであるが、 之 

と 殆んと 同時に 說 かれた る 攝生法 は、 服 食 法 又は 藥餌 法で ある。 戰國の 末 は 燕 齊の間 

に 方術の 士 起って、 專ら 神仙 說を 鼓吹した が、 彼等 は 海中の 仙 山に 神仙 あ.. 仙 藥を有 

する が 故に、 之 を得來 つて 服 食 すれば、 神仙た る と を 得る と說 いた。 卽ち 最初 は 仙 

藥を仙 山に 求めん とする ので 秦始皇 が徐福 を蓬萊 山に 使した るが 如き は をの 適例で あ 

る。 後 はは 山山に 仙薬 あ.?. 云 ふ 思想と 共に、 自 から 仙 藥を鍊 らんと する もの 起る。 

道 敎の攝 生 法に 就いて 二三. 7 



支譽 學の研究 § 

淮南 子の 外篇 中には 鍊丹法 を 詳論した ものが あ. て、 劉 向 は 之 を 得て 國帑を 靡して 鍊 

金 を 試みて 成らず、 殆んと 死罪に 處 せられん とした 事が 劉 向本 傳に見 ゆる 通., であ 

る。 古詩 十九 首の 一 にも 

服 食 求-神仙 r 多 爲,, 藥所, 誤、 

と あれば、 この 服 食 法 は當時 頗る 流行した るるとが 想像 さるる。 抱朴 子に よると 天下 

有數の 名山 は 華 山、 泰山、 霍山、 恒山、 嵩 山 以下 都合 二十 八 あ 6. て、 (金 丹篇) 此 等の 

山中に は 仙藥玉 芝,^ 生す るが 故に、 我 令 は 登って 之 を 採集すべき である。 但し 山中 は 

は 狐理を 始め 種々 の 障害 あるが 故に 舞 山符を 佩び、 明鏡 徑九寸 以上の もの を 背後に 懸 

け、 吉日 を擇 びて 登山し、 若し 玉 芝を發 見した 時 は、 禹步 法に よって 進んで 之 を 取ら 

ねばならぬ。 (登 涉篇) 鍊丹法 は 名山に 入. 齊戒 沐^、 人事 を絕 ち、 決して 汚穢 を 近つ 

けず、 俗人と 往來 せず、 不信者に 知らし めず、 同志の 者 三人 以上 を 伴 はずして 丹を鍊 

ら ねばならぬ。 (金 丹篇) 且つ 仙藥の 材料 は 丹砂、 黄金、 白銀 雲丹 以下 十 種 (仙 藥篇) あ 



ら、 調合 法 も s された る もの あれ ども、 藥 名が 俗人の 稱呼 と 異る が 故に 口 直 4 け 

れば 成功 しないの であると 說 いて ある。 , 

次に 攝生 法の 第三 は 房中 術で ある。 蓋 人情の 免る 能 は f もの は 直の 性で ある。 

裤山 となれば If 食 ひ, 吸 ふて 生复 やる ことが 出來 るから、 き,? は甚 

便利で あるが? へ S>-Jssf 鐘す きと は 凡庸 S ま 能 は f 所 

であら ラ。 を 乙で 攝生 法の 1 として 房中 術を說 くもの が 起った ので あら ラ。 房中の 術 

をの 宜しき I れば、 き 御す る 多 i 善なる ものである。 囊 K 齒は伐 性の 斧で あ 

るが 故に、 n^s 一 兩 人に して 死 s,^ に 足る が 其法宜 kl れば、 

之に 因て 神仙と なること が出來 る。 卽ち黃 帝の 如き は 千 二百の 女 を 御して 昇天せ.."" 

も傳 へられて 居る (微 旨篇) かの 素 女經の 如き は 此の 主張から 著 はされ た 書で あるが、 ■ 

奪ら 房 屮術を 主張した 一 派 もあった ので ある。 

攝 生の 第 四 法 は 善行 功徳 を 積む ると である。 抱 朴子對 俗篇に 曰く、 

道, 敎の攝 生 法に 就いて 一一 四 一 



支那 哲學の 研究 一 一一 

人欲-地 仙: 當, 立-三百 善: 欲-, 天 仙: 當 に乂, -千 二百 善: 若 有, 千 一 百 九十 九 善 『而忽 

復中 行- 一 惡 r 則盡失 U 前 善 T 乃當, -, 復更 起-善 數, 耳、 

天地に は 司 過の 神 あ .5 て、 三尸蟲 及び a 神 を 使役して 人の 罪 狀を知 6,、 犯す 所の 輕重 

によ. 大 なる 者 は 紀卽ち 三 fn, 日の 壽餘を 奪 ひ、 小なる 者 は 算卽ち 三 ョの壽 命 を 奪 ふて 

之お 罰する ので ある。 (微 旨) 而 して 善 積み 功 を 立 つれば、 次第に 騫命を 益す。 故 こ 

善行 功德を 積めば 神仙と なること が出來 るので ある。 竈神 は 月の 每こ 天に 上. 9 て 人の 

罪狀 報告す るが、 三 尸蟲は 六十 日毎に 庚申の 日に 天に 上って 人の 過失 を 云 ふ もので 

ある。 この in 尸蟲は 人が 生 さて 居る 間 は、 身中に 拘束 せらる ゝが、 死ぬ ると 吾人の 身 

體を 遊離して 由 化 遊行して 放縦なる こと^ 得る ので、 好んで 人の 過失 を 言 ひ、 その 

早 死,^ 祈る ので ある。 かの 庚申 待と て 終夜 寢な いのは、 此三 尸蟲の 昇天 を 防ぐ 爲 めで 

ある。 さて 拘 j 朴子 時代に は 積善 立 功 も 千 二百 善 を連續 して 遂行せ. ねば、 偶 一 惡を 行つ 

たと き 以前の 善 功 は 悉く 消滅す と 論じて 居る が、 それで は 俗人 は 殆んど 不可能の 事 



であって、 自暴自棄 は陷 らしめ るので、 後世に 至って は 善惡を 加減して、 一月 每に收 

i»ik f 以て 大 なる 11 げし めんと ,に 至った。 功過 格 I 者 は 

? 夫れ である。 功 III 要に よれば 約 ■ あ. 《.、 其採點 法に 夫 i 同 あれ ど 

も、 要するに 某々 の 善行 は 加菌、 某 S 惡行は 滅幾點 と 定めて、 加減 8 して 5 

の 得る 所の i 皇 むる 方法で ある。 瀧 籠の 妻が 糸卷に H を卷 いて、 愛 g 

善行 を獎勵 したと いふ 話 は、 恐らく の 功過 格 力 方法に 思 ひ 付きなる もので あらう 

以 上述ぶ る 所 道敎 の攝生 法に は、 服氣、 服 食、 房中 術 及 S 善の 四 法, て、 をの 

目的よ 神仙た るに,。 老子が 攝 生して 死地? に 至る と說 いたの を, 文 魔り に 解 

釋し從 つ.^ f 奇 f る 方? 論ぜられ たか、 Hi. 服 食、 環 術 及び 

霧の 順序に 霊した やうで ある。 攝生 すれば 神仙と なるとい へば、 頗る 奇怪に 似た 

れ ど.,^ 修養 すれば 聖人と なると 說く 儒敎、 或は 他力 若く は 自力に よって 神佛 となると 

,耶 蘇敎、 佛敎と 其大 旨に 於て は本來 大差な きものな きと も 亦 知らねば ならぬ 

道 敎の攝 生 法に 就いて - 一. 一四 一一】 



II の 研究 . 一一. a 

漢 代 思 想の 傾向 

特に 儒道 ニ敎に 就いて 

言 は霞會 S 季大會 g し? て、 此處 は揭? ある や 付て 御- f し 

たいと 思って f ます、 餘 4 門に 偏す る やうな 虞れ が? ますが、 0a 

はした S と 思; 5 ます。 .? 

漢 代と 書い si し g、 漢 代と 申す の は 御 承知の 通,, SSS 天下 1 1 

しまして から I の獻 帝の 時に fl、 卽ち魏 の 文 帝に ずます 迄、 舊後漢 I 

じて 約 四 g 年で あ.,?、 西 I 元で 申します と 紀元 g 二百 六 年 t 紀元後の 二 

百 二十 年 迄で ございます、 尙 申し 換れば 戰國の 11 けて、 きして 更に? 響 

六 朝に 傳へ g 代で t ます、 何 あしましても 前後、 正確に 申します と 四百 二? 

年間で あ.. ますから して、 其 間に は? な 事情 もず、 時勢の 變 f,l いますし 一 



槪に 論ずる と 云 ふ,, -とは 困難で ございます、 併し 私 は、 ど 5 やら 四百 年間に 通じた I 

つの 傾向が ある やうに- めました ので、 其 御 話 を 申 上げて 御 批評 を 伺 ひたい と^ふ 次 

第で ございます。 

尤も 四百 年間と 申しましても 時代 別に 致しますならば 色, な點 から 約 五つに 分ける 

t とが 出來 ます、 第一 の 時代 は漢 初の 時代、 第二 は武 帝の 時代で あ. 5 ます、 第三 は 前 

漢の 末、 哀帝、 平 帝の 時代、 第 四 は 後 漢の明 帝の 時代、 第五 は 後漢の 末の 桓帝、 靈帝 

の 時代、 う 云 ふ 風に 分ける と餘 ほど はっき. 9 分る やうで あらます 

此 五つの 時代の 間に 少し づ、 の 異動が あ *9 ますが、 其 間の 特色と 云 ふやうな もの を 

先づ御 話します と、 漢の 初めの 時代と 申します の は、 戰國 の七國 互に 雄を爭 ふた 所の 

騷亂の 時代、 及び 秦の始 皇帝が 虐政 を 天下に 布いた 時代 を 承け て 居 ft^ まして、 非常な 

騷 ぎの 後で あう ますから、 朝廷 も 下人 民 も總て 疲れ 果た 後の、 暫く 休息 をしたい と 云 

ふやうな 考 への ある 時代で あ 6 まして、 此 時代で は槪 して * せば 黄 帝 老子の 思想、 卽 

漢代 思想の 傾向 一一 四 五 



支那 哲學の 研究 二 四 六 

黃老の S 想と 云 ふ ものが 最も 流行した 時代で あ, 9 ます、 其 次の 武 帝の 時代に はどう か 

と 云 ふと、 武帝 はー體 非常に 聰^な 人でありまして、 さラ して 武帝 以前の 文 帝り. 弋 

に立派に國が治りました故に國靡が充赏して居ft^ます、 そこで 〈れ帝 は 有 爲の才 を 抱い 

て、 外 匈奴に 向って 高祖の 受けた 所の 耻 -@ を 雪ぎ、 內は 天下の 思想界 を 統一せ むこと 

を圜 つて 儒敎 を獎勵 した 時代で あ. 9 ます、 卽ら武 帝に 於て 儒敎が 殆ど 阈敎と 云 ふやう 

な 地位 を た 時代で あ. ます、 それから 次の 哀帝 平 帝の 時代 は、 外戚 王 氏が 權 を專ら 

にした 時代、 天下の 學者 達が 權カ 家の 鼻息 を 窺; 5、 王 氏に 阿ねる と 云 ふやうな 所から 

讖緯 とい ふ さ を 言 ひ 出した 時代で あ 力ます、 漢 代に 於て 最も 流行した 讖緯 思想 卽ち未 

來 記の やうな もの は此 時に 起った ので あ. ます、 もれから 後漢の 光武帝が 再び 天下 を 

卒らげ ましてから、 次の 明 帝の 時代に 佛敎渡 來と云 ふ 大事 件が あ fts ます、 是 はどうし 

て も 1 つの *r ホ, クメ I キン グ として 勘定し なければ ならぬ 時代で あ .9 ます、 最後の 

桓帝、 靈 帝の 時代、 是は 外戚, V 宦官が 互に 權威 を爭 ひまして、 王室 は あれ ども 無き が 



如き 時代で あ 4 す、 其 際に は 天下の 學霊が 盛んに 讓を相 尊び、 時の 政局の 屢,. 

0l<ilii^-l 01 蜃等 I 領 として 

lisll 一 時§く?? れ if ま 大きな 事件の 

あ CNg 代で あ 4 す、 れ から 遂に 漢が 滅びて 魏、 晉 となる、 斯う 云ふ 風に 分けて 

lilt ^^nllllt?;! fe^^i 

し、 此五 CNSg 外に も? 御 話すべき 事が 澤山 あると 思 ひます 併し 時間の 都合 も 

ごまます からし 大? 申 上げる £ め. まし 乂今曰 は 殊£道 ニ敎の 方面に 付て 

御 話 をして 見やう と 思 ふので ございます 

, 先づ 便宜上 I の 方 t 御? し 1 と g ますが、 道 御 f する に? 

i 先づ其 時代の 狀 fl しなければ? ませぬ、 秦の始 皇帝が 天下 を 統一し ます 

以前 は、 七國 互に? S まして、 各地 方に 靈 して 互に 戰 f しな、 敵の 領地 を 

奪った 冬き と を や? f まし g で、 一 isitiss 

二 四 七 

漢代 想 , 傾向 



a 一一 四 八 

であ. -1、 ,v さ 人民 多數 は、 謂 は I 炭の 苦み を 受ける と 云 ふ有 樣 であつ ミ も 

れ 故に 秦が 天? 統一した 時には、 人民 は f 直る ゝきが 出 來て眞 に 幸福で ある. 

ペ i であった ので あ., ますが、 不宰にも 秦の始 皇帝が 虐? 施して、 所謂 仁 管 施 

さず して 天下 I し:? しさので すから、 人民 は 其 虐政 S しみまして:^ も 堪へ切 

れ なくなった、 きで 陳|廣と5 やうな 連中が 出て 一 たび? 倡へ て、 天下 之 こ 

簾して g 天下 は f 滅? 仕 5 と, やうな 譯 g つ g であ., まして 四方 こ 

墨が 並 g つて? とし g であ 4 すが、 所謂高才 逸 

足の ョか 出て,?^ さ t まして、 漢の惠 が 天下 I 一 する 言に なゥ 

at 前に i 霧し ました、 f、 長い間の 戰國驟 f 秦の I 帝が 銃 一 

して 以來、 漢の 高祖が 天下 拿ら かにして 統一す るまで 數十 g 間、 非常 I 難 I. 

へ 忍び、 非常な 受けた ので, ますから、 ?差 措いても 先づ t しなければ 

まぬ、 11 勞の g は 何 まも 先づ 休息して 睡眠 i ると 云 堂が 一 ?耍で 



ある、 それと 同じく 人民 達 も 非常な 虐政の 後に は 何よ.^ も 休息す ると 云 ふこと が 必要 

であつ たと 思 ふ、 もれに は 丁度、 無爲 にして 化する とい ふ、 無管然 を? 主義と し 

三の 例 を 擧げて 申します と、 漢の 高祖が 秦を轚 破って 關 中に 入って 孺子 嬰ケ擒 にした 

後に、 關 中の 父老と 法 三 章 を 約した と 云 ふ.^ i がご ざいます、 法 三 章と 云 ふの は 殺》 

人 者 死、 傷 乂者及 I』 非と 5? た 三ケ條 で、 其 他 一切の 秦の當 時の 苛政 I い 

て 仕 5 と 云 ふき 約束し まし?、 S 籠に し J すると 云る i 主義と 餘ぼ ど 

似て, ます、 是が 大に當 時の I 墓 § で、 漢が 遂に 天下 を 統一す ると 5 基礎 

は 此の 法 三 章から 起って 居.. ノ ます、 漢の 高祖が 天下 を統 1 してから 八 年して、 惑 帝が 

位に 卽 きました が、 惠 帝の 君臣が 無爲の 政を爲 すと 云 ふ. - とが 史 記の 中に も 書いて ご 

ざいます、 惠 帝の 臣で s、 汲黯 は 無 爲の政 をな し、 蓋 公な ど は、 無 爲の政 は 今の 世 

に 於て は 最も 必要な ものであると 云 ふると を 論じて 居ります、 さラ云 ふやうな 譯で、 

漢代 思想の 傾向 



支那 哲學の 研究 一一 五 ◦ 

黄老の 思想が 最も 其當 時流 行した、 かくの 如く 黃老の 思想が 漢 初に 流行した 理由 は 幾 

CN かに 分ける る とが 出來 ます、 第 1 に は、 秦の 苛政に 惱んで 居った 人の 心に 慰安 を與 

へて 休息せ しめたと 云 ふこと \、 第二に 漢の 高祖と 云 ふ 人 は楚の 地方、 今の 江 蘇 省の 沛 

縣の 人で、 沛の亭 長と 云 ふので あ. ますから 今の 言葉で 申します と 村長 位、 宿場の 長 

位な 極めて 徼々 たる 役人で あ ,o> ませう、 學間も 何もない 一 の 木 强漢に 過ない、 § て 

簡易と 云ぷミ とが 高祖の 氣に 入る ので あ. 9 ます、 國を 建てた 高祖 其 人の 人 各が、 黃老 

の 無爲を 喜んだ こと、 此 二つの 理由 は 黄老の 敎が當 時流 行す る や 5 になった 原因で あ 

らうと 思; 5 ますが、 もれと 同時に 又 見遁す ことの 出來 ない 第三の 原因 I バ 秦の始 皇帝 

& 前に は、. 殆ど 天下の 思想界 を ョ 分して 其 二 を 保つ と 云 ふ狀況 であった 儒敎の 政策 

力 秦の 天下の 政策と 全く 反對 であった 爲に、 秦の始 皇帝が 天下 を統 一 すると、 儒敎 

に對 して 非常な 壓迫を 加へ て、 窨物 を燒き 儒者 を坑 埋めに する に 至った ので 儒敎が 一 

時 非常に 衰へ 果て 居った と 云 ふこと 第 四 は、 儒 敎其物 はどう 云 ふ 事 を 主張す るかと 云 



ふと 羅讓刑 fl する ので あ.??、 黄 帝、 擎の學 問の 無 管 f 尊ぶ と 云 

ふの 4 つ sf 形式と か、 制度と か、 さう I, しい 事が 震に は說 かれて 居 

るので あ 4 ます 司 馬遷の 父、 司 馬談の 言葉 を 借. -て言 ふなら ば 儒者 は 博く して 耍寡 , 

く、 勞 して 功 少なし である、 新う 云 ふやうな 學說 が匆々 休息 を 思 ふの 際に 容れ られる 

と 云 ふ 乙と はなから うと 思 ふ、 卽ち 黃老が 流行す ると 云 ふに 付て は 二 り の 有利な 條 

がぁ-c^、 儒敎が 流行す るに 至;.^ なか ゥ たと 云 ふ. - とに は、 二り の 不利なる 條 件が あつ 

た、 之 を 合せて 見れば 四つの^ 因が 經 とな. -緯 となって、 漢の 初めに は 黄 老學が 流行 

するとに なった 次第で あらう と 思 ひます、 をる で 其當時 は黃老 學を悅 ばない 者 は 無い 

やうな 有樣 であ, まして、 漢の 高祖の 如き は S 馬上に 天下 S たり 又 何 It 事 

とせんと 豪語し、 或は 高祖の 前に 儒者の 冠 を 着けて 來る 者が あれば 高祖 は 直ちに 其 冠 

を 叩 i して 小? しかけた とい ふ 位の 亂暴 な 人であった が、 .51 に 向って 儒敎 

を 鼓吹して、 心 if 向けし め S 來が あ?、 其 は S と 云 丈であります、 Z 

漢代 思想の 傾向 



支那 哲學の 研究 マ 一 

の 陸賈で すら、 其の 著述 新語お 見 すと 矢張り、 政治の 根本 は無爲 であると し、 無爲 

を 以て 道の 基と 說 いて 居る、 又 前に 申 上げた 司 馬談の 如き も 陰陽、 儒 、墨、 名、 法、 道德、 

道德は 黄老學 であう ます、 此六家 各 二 長 一 短 あ 6 と 云 ふに 拘 はらず、 老子の 學問 のみ 

は 徇に完 4- 無缺 なる が 如くに 批評して 時と 遷移し 物に 應 して 變 化し 俗に 立ち 事に 施し 

て 宜しから ざる 所な くレ指 約に して 操ゥ 易く、 事 少なく して 功多し と 言つ て居,=^ま 

す、 黃老學 は 政治 上、 學術 上から 申しても 或は 個人の 趣味と 云 ふ 方から 申しても、 斯 

う 云 ふ 風に 流行した のでありまして、 黃老的 代表者と も 云 ふべき 淮南子 か 黄老を 鼓吹 

して 居る と 云 ふ M と は 申す まで もない 乙と であ ft, ますが、 淮南 子と 對 立した、 殆ど 同 

時代に 於て 儒者の 代表者と も い ふべ き 董仲舒 さ へ も 春秋 繁 露の 中に 人 主たる 者 は無爲 

を 以て 道と 爲す (離合 根篇) とい; 5、 或は 人 主の 態度 を 論じて 志 は 死灰の 如く 形 は、 委 * 

衣の 如く 精 を 安んじ 神 を 養 ひ 寂寞 無爲 (立 元 神篇) と說ぃて居A^ます、 斯う 云 ふ 風で 

黄老派 G 舉者は 無論 の こふ、 儒 W で すら 黄 老無爲 の 說を悅 ぶ t 一 云 ふ有樣 であ. ま. すり 



で、 漢 初に 編纂され ました 禮記、 禮記は 御 承知の 如く 五經の 1 で 儒 敎の經 典で あ ま 

すが、 其禮 記で さへ も 黃老の 學說を 到る 所に 見る ことが 出來 ると, 言って 宜ぃ 位で、 殊 

に 著し いのは 禮 記の 禮蓮篇 と 云 ふ 一 篇には 純然たる 黄老 思想 を 述べて あ. 5 ます、 又 他 

にも 黄老 思想の 加味され て ある 所が 澤山 ございます、 さう 云 ふ 風に 黃老の 田^ 想が 非常 

に 流行した のであります。 

所が 此黄老 思想と 云 ふ のが 戰國の 末- S から 燕齊の 地方に 起. 9 ました 神仙 說と 加味 

致しまして、 是が 非常に 世人の 信用 を 博し、 大きな 信仰 を 博す る やうに なった ので あ. 

.CS ます、 例へば 秦の. 始 皇帝 や 漢の武 帝な ど は 神仙 不死の 藥ぉ來 めた、 秦の始 皇帝の 如 

きは徐 福と 云 ふ 人に 命じて 童 男 童女 五. 百 入 を 船に 乘 せて 蓬萊 山に 神仙 不死の 藥を 求め 

しめたと 云 ふやうな とが ある、 遂に 藥は 求め 得な かゥ たけれ ども、 此 神仙 說が 黃老の 

說 と加昧 されて、 流行 を來す 因に なった、 で此 神仙 說 はどう 云 ふ 原因で 起って 來 たか 

と 云 ふと、 第一に 佛敎の 言葉に 厭離 穢土、 欣求淨 土と 云 ふとが ございます、 穢ら はし 

漢代 思想の 傾向 二 五-一 



支那 哲學の 研究 二 五^ 

い 土地 を 厭 ひ 離れて 淨 土の 境 を 求めたい と 云 ふ 希望, 是は 騷亂の 際に は 必ず 起るべき 

思想で ある、 是が 神仙 を冀ひ 不死の 藥を 求める と 云 ふ 一 つの 原因で あら ラと思 ふ、 も 

れ から 第二に は 秦漢に 至って 國家 統一 の 事業が 出來 上って 仕舞って, 一 切の 事 心の 儘 

ならざる はない 有樣 になった にも拘らず、 心に 任せない ものが 一 つ ある、 卽ち壽 命 其 

物で ある、 ま 命 は 人力の 如何と もすべからざる ものである、 を こで 何とかして 長命 を 

、ゝ 

したいと 云ふ考 へが あるので 祌 仙と 云 ふ. vi を 求める やうに なった ので あらう、 是が神 

仙 說の勃 輿 を 促した 重 も ^ る 原因で あらう と 思 ふので あ ftv ます、 然るに 此 神仙 說がど 

うして 黃老 思想と】 致した かと 云 ふと、 老子が 旣に 長生 久視、 長く 生きて 久しく 視る 

と 云 ふ を 言って 居る、 此 老子の 長生 久視と 云 ふの は 理想 を 述べた もので、 此の 肉 身 

の儘此 世の中に 長ら へて 何時までも 生きて 居る 意味ではなくて、 吾 が 絕對と 合】 す 

れば 長生 久視、 死す とも 亡びざる ものに な ゥて來 る 所謂 死して 亡びざる もの は 壽と云 

ふ 意味で 長生 久視 を唱 へた、 從 つて 攝生 をし なくて はならぬ と 云 ふると も 言った ので、 



. あ .cs ます、 攝 生の 意味 も 後に 御 話し 致します が、 肉體の養生と云ふ意味は餘.=^加味さ 

れて 居らぬ と 思 ふ、 をれ から 次の 列 子、 莊子 など は 神仙が 現在に 存在し 得る もので あ 

. ると說 いた、 そ で 神仙 說と 黃老 思想と 一 致す る 乙と は 容易く 出 來た哪 であ 6> ます、 

吾々 の 命 は 長く もない ので ある けれども、 修行に 依て は 神仙に なれる と 云 ふ考へ は、 

吾.^ の 心の中に 起った 人: ^観に 基く 所の 考 へであって 根柢が 眞に 深い、 前に 申し まし 

た 黃老恐 想が 漢 初に 流行した の は 政治 上の 原因であった、 今度 は黃老 思想が 歡迎 され 

.to の は 我等の 人生 觀の 上に 根柢が あるので、 是が漢 代に 流行した 原因の 最も 有力な も 

のであります、 を こで 黄老 思想に 於き まして は、 生は寄な.*^死は歸なりとぃ つて、 此 

世の中 は 吾.^ の假 .o- の 宿で ある、 死んで 仕舞 ふと 本當の 自分の 鄕 里に 歸 るので あると 

說 くので、 71 の ゃラな 厭世的 思想 は 道家に 於て は 到る 所に 現 はれて 居 6- ます、 老子 自 

身 も 肉 身お 罪惡の 本と しまして、 我が 大患 ある 所 £ ^は 吾が 身 あるが 爲 めな. 9、 我 か 身 

なきに 及べば 我 何の 患 か あらんと 說 いて、 肉 身が あるから 五味、 五色、 五 音が 吾々 の 

漢代 思想の 傾向 ,11 五 五 



支那 哲學 のが 究 二 五六 

五官 を 刺戟す る 爲に迷 ひが 起って 罪惡を 犯す、 若し 肉體が 無ければ 罪惡 若く は 誘惑 

S して、 さう 云 ふ 危險に 暴露す る 必要 はない ので ある、 肉體が 一番 罪惡の 本で あると 

見た ので あ. ます、 卽 ち言換 へれば 厭世 觀 であらます、 此 厭世 觀 から 出發 したに も 拘 

ず 老子 自身:: 遂に 絕對觀 を 得た、 超絕的 人世 觀に 到達した 人であった、 列 子 も 莊子も 

昝 厭世観から 出發 して 生死 一 如の 絕對的 人生 觀に 到達した 人で あらます、 所が 此 厭世 

的 傾向から 出發 して 生死 一 如の 絕對的 人生 觀に到 透す ると 云 ふこと は 中々 常人に は 能 

し 難い 所であります、 凡 入に は 到底 闲難 である, を こで 漢の 初めに 於て 黃 老が悅 ばれ 

て、 世の中 を 厭 ふ、 世の中 は 詰らない ものである 厭 はしい ものであると 見た所の 凡人 

はどう 云 ふ 風に 進んだ かと 云 ふと、 是 等の 凡人 は此 世の中 は眞に 詰らない もの であ 

る、 もれなら 成るべく 偷 快な ものと して 過したい、 神仙 說 よれば: 々は 長生 不死と 

なること が出來 ると いふ けれども、 事實に 於て 長生 不死 は 不可能で ある、 人の 生命と 

云 ふ もの は 色, '努力しても 到底 如何と もすべからざる ものである、 そこで 凡人よ. まん 



て 超絶 的 人 觀を 獲得す る ことが 出來 ずして、 ー變 して 自暴自棄 にな.. ソ ます、 極端^ 

^樂 主義、 極端な 現世 主義と なる ので あ. c> ます、 漢の 時代に 於き まして は 厭世 觀 から 

出發 して 極端な 現世 主義に なった ので あらます が、 これ は 色.^ な赏 例.^ 以て 證明 する 

i が出來 ます、 然し 此兩漢 を 通じて 厭世観から 出發 して 極端なる 快樂 主義に なった と h 

云 ふこと に 付て は、 曾て 數年 前哲 學雜 誌に 於て 述べた とが ございます からして、 今日 

は 例證を 取って 委しく 御 話す る, -とは 止めて 置 さます、 兎も角も かくの 如く 生-化の 大 

問題に 逢 著して 信仰 を 求めた が、 安心立命 を 得難く して 迷って 居った、 其 迷って 居つ 

た 所であります からして、 後 漢の明 帝の 時に 佛敎が 入って 來 ると、 其 佛敎が 直ちに 盛 

んな勢 ひ を 以て 扶植され る さに なった ので ある、 何等^ 懇 されざる 畑に 種 を 卸しても 

中々 うまく 發生 しませぬ けれども、 立派に 開懇 、ふれた 所へ 佛敎と 云 ふ 種が 入って 來な 

から 非常な 勢 ひで 盛んになった のおと も 思 ふので あ.^ ます、 道敎の 方の 大耍は 先づさ 

う 云 ふや ラな 乙と にな. ます。 

漢代 思想の 傾向 二 五 七 



支那 學の 研究 二 五八 

さて 儒敎 であ. 5 ます、 儒敎 はどう かと 云 ふと、 今 申す 通. <=> に漢の 初めに は黄老 思想- 

が 非常に 流行して ねた にも拘らず、 又 儒 敎の經 典が、 秦の始 皇帝に 燒 かれ 其 後 漢楚の 

爭亂の 際に 散佚して 仕舞った の にも拘らず、 漢が 天下 を統 一 してから 十數 年に して、 

高祖の 次の 惠 帝に 依て 挾 書の 律、 書物 を 持って 居る 者 は 罰する と 云ふ秦 時代の 法律が. 

除かれると儒者は奮って經典を鬼集すると云ふ^Jとに著手したのでぁ.C^ます、 一 方に 

於て 朝廷の 方で も經 典の 蘊 集に 努力 をして 獎勵 をされ ましたし、 又 河間獻 干: も 非常に 

骨折って 經典を 乾 集した、 さラ して 數に 於て は 朝廷よ. 9 も 河間獻 王の 方が 多い と 云 ふ. 

位に 集った ので あ ft> ます、 さう 云 ふ 有力な 保護者 を 得て 儒者 は 非常な 努力 を 以て、 释 

典 を 鬼 集し ましたが、 讀 みにくい 古文、 古 S 文字で 書いた の や、 又經 典が 散ら ば. 

らくに なったら、 拔 けた. 9 缺 けた. CN した もの もあって 甚た讀 みにくかった にも 拘&^ 

ず、 漸次 整理 をして 行った ので あ. 5 ます、 さう して 儒敎發 達の 基礎 .i- 捲へ た、 さラす 

ろと 武帝 の 時に なって tl 敎が 俄然 とし て 勃興す る とに なった ので あ 6 ます、 武帝 の 



時 こま-中 纾が 天子に 對策を 奉 ft^ まして、 さラ して 儒敎ケ 以て 天下 を統 一 しなけ わ ねな. 

ら ぬと 云 ふこと, ^申 上げた ので、 一 躍して 儒 敎が阔 敎と云 ふ 域にまで 進んで 參 つた、 

縱令 4n-gK 抵に 黄老的 思想が 行渡って 居っても、 表面上に は 朝廷が 儒敎 ど獎勵 すると 云 > 

ふるとに 依て、 天下に 儒敎が 普及して、 儒敎其 物が 思想界の ォ ー ソリチ I となる やう 

な有iMでぁc^たのでぁft^ます、 どうして 武 帝が をれ 稃儒敎 を獎勵 した かと 云 ふ,. - とに 

ほきまして は 多くの 理由 を 舉げる 7- とが 出來る やうであります。 

第】 に は、 武帝は 天下に は 色々 な 思想が 紛糾して 居ゥ ますから、 政治的 統一 の 外 は 

思 ® 上の 統 1 と 云 ふ i を考 へたので あ. 9 ませう、 卽ち 思想 上の 統 1 と 云 ふさの 必耍か 

何 か 然るべき 思想で 統一した いと 思って、 色.^ な 學說を 物色して 搜 したので あ 6- 

ます、 るれ が 第一の 原因で ある、 然るに 前に もちよつ と 申し ましたが 武帝は 有 爲な君 

生で ある、 遠く 四方に 國の 威光.^ 發揚 し^ 人で あらます、 さ ラ云ふ 性格の 人で ある 力 

到底 黄老 の稱爲 自然と 云ラ やうな 乙と は悅 ばない に 遠 ひない、 乙れ, が 第二の 原因で: 

漢代 田:: 想の 倾向 二 五 九 



支那 哲學の 研究 一一 六 Q 

あります、 次に 君主が 思想界の 統 一 を圆 るに はどラ しても 君 權を强 める と 云 ふ 乙と が 

必要で あ, - ます、 所が 君主の 櫂 力 を 非常に 强く 鼓吹した 學派は 法 家 者 流であります、 

卽も法 家の 說を 採用しても 宜ぃ譯 である。 然し 是は武 帝の 一代 前の 景 帝の 時に、 景帝 

め臣鼂 錯と云 ふ 人が 此法 家の 學を用 ひまして、 天下 を 統一し やうと か、 つた 所が 美事. 

k 失敗して 七 國の亂 と 云ん 非常な 騒ぎ を 惹起した ので あ,, ます、 卽ち法 家の 學で 

天下 を統 一 すると 云 ふさ は、 景 帝が ひどく 手を燒 いて 居る、 武 帝が 再び 其方 法 を 執ら 

ぬの は尤 であると 思ぶ、 第 四に は 儒敎の 忠孝 を 以て 主と する 思想、 忠孝 を 鼓吹した 儒 

敎は 君主が、 天下の 思想 を統 I する に は 最も 便宜な 思想で あ. ます、 もこで 多くの 思 

想の 中で どうしても 儒敎を 採らなくて はならぬ と 云ふ譯 になって 參.. - ます.^ ミ で儒敎 

^採用されたのでぁ,o^ますが、 君主 自身の 考は 思想界 を 統一す る、 殊に 君主の 權カを 

强め ると 云 ふとが 重なる 目的であった から、 儒 敎の經 典の 中で も 何が 】 番 鼓吹され た 

力と 云 ふと 春秋 公羊學 であ, ます 大 一 統を說 く 公 羊學が 儒敎の 代表的 經典 として 非常. 



t 流行 ノ たの はさ ラ云ふ 理由で あら.^ と 思 ふので あ. 5 ます、 第五に は、 以上の St. 由の 

外こ尙 S い 間かゝ つて、 儒者が 非常に 努力して 經 典お 整理して 殆んど 完成の 域に 達し 

て 居った と 云 ふ 乙と も 一 つの 原因で あ i ませ ラ、 儒敎 を獎勵 しやう と 思っても 經典か 

出來て 居ない と 云ぶならば、 乙れ を 採って 國に 表彰す ると 云 ふ譯に 行き ませぬ が、 立 

i^M 經 典が 整理され て 居った の は 實に仕 合であった ので あ 6^ ます、 第 六に は、 武帝カ 

儒敎を 採用す る 前に は竇 太后と 云 ふ 方が 居. 9 まレ た、 此方 は 非常に 黄 老學を 悅んだ 人 

であら ますから、 竇 太后が お出になる 間 は 儒敎を 探る 譯 にいかない、 所が S 老 學を悅 

んだ竇 太后が 崩御され たと 云 ふさが 儒 敎の頭 を もち 上げる 一 つの 機會 になった, 今一 

つ 第 七に は、 儒敎を 最も 悅んだ 武安君 ra^ と 云 ふ 人が 時の 窜相 となった と 云 ふこと で 

あ. 9 ます、 是は 支那の みならず 何處 でも ありませ うけれ ども、 朝廷の 當局 者が 最も 悅 

んだ學 派が 勃 奥す るに K 宜 であると 云 ふこと は爭 はれない 事實 である、 以上 申 述べ^ 

した 七つの 理由が 相 待って、 儒敎が 俄に 勢力 を 占めて 國敎の 位地 を 占める やうに なつ 

漢代 思想の 傾向 一一 六 一 



支那 哲學の 研究 一 1 六 二 

た次第でぁらぅと思ふのでぁ..^ます。 

所が 幸か不幸か 儒 敎獎勵 と 云 ふ 方法が 宜しき を 得なかった、 ど ラ云ふ 方法,^ 以てし 

たかと 云 ふと、 儒 敎の經 典 を學ん で、 相 當の學 問が 出 來た人 は 之 を 採用して 官吏と す 

る、 卽ち名譽と利益と云ふものを以て朝廷の當局者が獎勵したのでぁ.c^ます、 是が爲 

に I 時 は 非常に e 大を 極める に 至った けれども、 恰も 花瓶の 中の 生花の やうな もので 

根柢がない、 黄老學は人生觀と云ふ立場の上に立c^て居.c^ますから、 一時 は衰 へた 如- 

く 見えても 根が 深いので あ. ON ます、 儒敎は 一時 花が いても 根柢 か 無い、 上 は 名譽利 

益 を 以て 誘 ひ、 下 は 又 名利 を 得ん が爲 めに 儒 敎を學 ぶと いふ 有様で 一 時 は 非) おに 流行 

であった けれども、 獎勵の 方法が 其 宜しき を 得なかった から 儒敎 にと つて は 甚だ 不利 

翁であった 次第で あ 6N ます、 卽ち 儒者 達 は 非常な 熱心 を 以て やった 人達 も あ. CS ますけ 

れ ども、 多くの 人達 は、 孔子 孟子の やうな 熱誠が あるで もな し、 又 孔子 孟子の やうな 

德を 養成す るで TPS い、 之 を 以て 國を 治める と 云ふ大 なる 抱負 を 以て やった ので もな 



い、 槪し s 物の 藝と云 ふ 方に I し、 S にば か A 頭して 居った、 一 般大 多數 

は 唯 それ を 方便と して 自分の 名譽利 達を圆 つたので あるから、 及第して 官吏に なれば 

儒 敎の終 典 は 忘れて 仕舞 • ふと 云 ふや ラな 有樣ズ あるから、 思想界 を統 一す ると 云 ふこ 

との 表面上に 於て は 一 時 成功した やうで ある けれども、 根柢に 於て は 何等 見るべき も 

の はない ので あ.. ます、 そ で 表面上の 利益の み を 求めて 徒に 榮達 を圖 ると 云 ふやう 

な 人間ば から 多く 出來薩 であります、 それが 爲に S も 御 話した f 哀 I 帝の 際 

に は 當局老 の 鼻息 を 窺って 讖緯と 云 ふやうな I と を 多く 述べる やうに もな つた 次第で 

あらう と 思 ふので あ. 9 ます。 

御 話の 順序 上、 此處で 讖緯に 就て 簡單 な說明 をして 置き ませう、 讖緯と 云 ふると 

は、 1 口に 讖緯と 一緒にして 仕舞い ますが、 分けて 申す と 是は違 ふので あって、 讖と 

云 ふ 方 は 所謂 未來 記で あ- > ます、 未來の 事を豫 言す る ものである、 緯の方 は 是は繂 K 

對 する 名目で ある、 經は經 典で ありて: 緯は 其の 横絲 となって 之 を 助ける ものである, 

漢代 思想の 傾向 • 二 六 一一 一 



支那 哲學の 研究 二 六 四 

然しながら 模絲 であるので 自然 わき 道に 入った 所の もので、 經の やうに 尊重し 信 H す 

る 諍に は參ら ぬので あ ft> ます、 緯の 方に は 隨分種 令の 迷信 的の 事が 入って 居って、 識. 

と 似た ゃラ なさが 多い ものです から、 之 を 合せて 讖緯 の學と 申す ので あ. す、 5^ へ 

ば 周の 武 王が 殴め 紂王を 討って 黄河 を 渡ら ひとす る 時に、 白い 魚が 船の 中に p-.^ んだ、 

火が, 飛んで 來て 王の 陣屋に 止った かもれ が 烏に なった、 是は 天命が 武 王に 降った..^ 

,たと 云 ふやうな こと を ゆす、 かう いふ 乙と は 周の 時代から あった やうで あ. ます、 是.. 

は 何ん ちょっと 鍵った が あると、 之 を 以て 其 部下の 士氣を 鼓舞す る爲 に、 王者に 天 

命が 下った 兆 だな どと 云って、 所謂英雄人を欺くに過ぎなぃのでぁ.c^ませぅが、 漢代 

に至っては斯ラ云ふ事柄を名けて受命の符と申すのでぁ.^^ます、 董仲 舒の對 策に 之 を 

受 命の 符と 申して 居う ます、 で董仲 舒に從 へば 春秋の 哀公の 十六 年に 西 狩 獲麟と ある、 

この 麒麟 を 得た の は 孔子が 天命 を 受けた 符 であると 說 くので あ.,, ます、 乙れ は武 帝が 

受 命の 符の 有無 を 尋ねられた 時に 董仲舒 が、 受 命の 符は ある ものと 御 答した ので ある、 



天子が 受 命の 符§無を s れ たと ェの は、 當時 一 般 ss 符 S て I 論が あ 

つた ものと 思 はれる、 所が 受 命の 符と云 ふと は 今 申しました 通り 白い 魚が 飛込んだ と 

か、 火が 流れて 烏と なった とか、 黄い 龍が 出た とか、 黑ぃ龜 が 出て 來た とか、 麒麟が 

出た とか、 赤い 雀が 來 4^ とか、 さう 云 ふ 事 を 以て 受 命の 符と 云って、 是は此 人に 天命 

が 下った-^ 一で あると 云 ふでと を 申して 居ります が、 それが 愈. - 文字と なって 明か は 

何々 と 書いた ものに なって 出た の は、 卽ち本 當の讖 となって 出た の は 漢書の 玉 莽傳に 

よると 王莽が 天下 を 奪 はんとす る 時に 始 つて 居. "ます、 蓋 時の 學者は 王莽に 媚び 諂つ 

で、 讖緯と 云 ふ もの を 始めて 港へ たやう であります、 孺子嬰 を 立つ る 年に、 武功と い 

ふ處で 井戶の 中から 白い 石 を 掘 出した、 其 石 は 上が 圓 くて 下が 四角で ある、 上の 圓ぃ 

の は 天に かたど. -、 下の 四角な の は 地に かたどった ものと 思 はれる が、 其 石に 丹 書で 

告-安 漢公莽 き 暴 一と 5 八 字が あつたと いふる とで ある、 漢書に は符 命の 起る 此 

よ 4 まると ある、 卽 ち I 逢莽の 時に 始ま と玍 ので ある、 t 今? に 言 

二な 4^ 

漢代 思想の 傾向 ーユ 、ま 



支那 i の硏究 二 六 六 

はすれば、 時の 學 者が 王莽に 媚び 諮って さう 云 ふ 物 を 待へ たに 違 ひない が、 時の.,, よ 

天命が 下った と 思った、 王莽は 此の 告, -安漢 公莽, 爲, 皇帝-と 云ふ識 文に よって 天下 C 

,な.c^ました、 是が 流行 ヒ なって、 ぃ^c/\の》文が出て來るので、 王 莽は旣 に 自分 は 

皇帝の 位に 卽 くと 云 ふ n.^T.^ 達しました から、 今度 は 俄に 讖緯と 云 ふ ものに 膨迫を 加 

へて、 斯ふ もの は 止めて 仕舞 は ラと云 ふので 或は. V れを 奏した もの は 罪に 處 すると か 

色 令な 事 を や. CS ましたが、 一遍 起ゥ たもの は 急に 止む 譯に はいかない、 後漢の 光武帝 

も劉秀 位に 卽 くと 云ふ讖 文に 依て 皇帝に なった、 そこで 讖緯 の學は 後漢に 至って 益.' 

流行するゃぅになc^たのでぁ.c^ます、 讖 緯の 起源 は 上に 申す 通力で あ.., ますので、 唐 

孔穎達 は 泰誓疏 に 讖緯の 說は漢 哀帝 平 帝の 世に 起る と 論じて 居 fti. す、 孔潁 達ば.^ A- 

で 無く 後 漢荀爽 も 其 源 は 前漢の 末、 哀 平の 際に あると 論じた とい ふさが、 荀 悅申鑒 

俗 縑篇に 見えて 居ます、 然し 史記 秦本紀 によると 盧 生が 讖. 义を錄 して 之 を 上った さが 

: 見えます から、 讖 緯の始 は!^ や C 時で ありませ うが ともかく 王莾り 頃に なつご 盛に もて 



はやされ 2 であ 4 す 置の 光武帝 は卽 位の 初めに、 isK 天下の 士が 節義が 

なかった と 一 5 とに 付て 非常に 憤慨され て、 國を治 ひるに 儒敎を 以てする、 さう して 

天下のま|1し£義心墓ふと15^.と|眼しな 自分の 豪で あつ g 

手陵と5人ぁ常に優遇して、節,尊ぶと ー5^^き天下sしましさ繞には 

儒 風が 一 時に 揮 ひまして、 所謂 大學 生が 警人 一 圑 となって、 ?に lis 吹して 

5 なく 當 時の 秕政 I 難す ると 云ふ 有様で t まして、 是が 黨錮の f 懇 して 李 

膺 陳蕃 以下 正議 の士警 人.. -丁 網に 殺して 仕舞 ふと になった、 さラ すると 

節義 を以 人に 誇る と? 5 が、 f 失? は堪 らまと 5 ので、 

に全ラ するとい ふミ なら 士風 蟹し 霞 もす りか 上衷 へて 仕? たので あ 4 す 

今の 謙の 御 話 i しまし まら、 引績? 篇議 S じて 流行し まし 

行 說の御 話 をし なければ な. 9 ませぬ。 

〇 五 行 相勝說 

漢代 思想の 傾向 • 一】 广セ 



支那 哲學の 研究 

土 ::: 木 



二 六 



〇 五 



行 

木 



金 



•• 夏 殷: 

相生說 

: 火 …… 土 : 



火 



周 



水 



金- 



水 



大 峰:. 炎 帝:: 黄 帝:: 少 蹿:: 顓頊 

陰陽 家と 云 ふの は 鄒衍、 鄒爽と 云 ふ 人から 始まる のであって、 戰國の 末つ方に 起 CV 

て 居 ftv^ す、 鄒衍、 鄒爽は 孟子と 時 を 同じう した 人で あ 力ます、 此 陰陽 家と 云 ふ 人達 

は元來 易に 基き まして 曆を 加味した ものであって、 春夏秋冬に 應 じて 月,^ にやるべき 

行 ず に 斯う 云 ふ ものであると 定めて、 謂 は 每 月の 行事 を 定めて 之に 從 へば 榮 へる、 

之に 逆へば 亡びる と 云 ふさを 述べて 居 ftiA して、 元來の 主義 はそんに 惡 いもので は ご 

ざい ませぬ、 然し 非常に 迷信が 多い ので、 司 馬談も 陰陽の 術 は大祥 にして 忌諱 衆し、 



人 をして 拘 はって 畏 る、 所 多から しひ、 然れ ども 其の 四時の 大順 序す る は 失 ふべ か 

ら ずと 言って 居ります 鄒衍 は五德 終始の 說を なして、 帝王が 天下に 君臨す るの は五德 

卽ち 五行の 德 による ものと 說 くので、 彼の 說は 五行 相 勝 說と云 ふので あ ます、 前 は 

擧 げた 圖の內 の 第 一 で、 の說 では 五行の 順序 を 土木 金 火水と する 卽ち木 は 土に 勝ち、 

金 は 木に 勝ち、 火 は 金に 勝ち、 水 は 火に 勝つ ものである、 卽ち 王者が 天下お 治める は 

は此 五行 相 勝の 順序に よ. て、 後の 王朝 は 前の 王朝に 打 勝ちて 之に 取って 代った もの 

である、 虞 は 士德を 以て 天下に 王と な ftN、 夏 は 土に 打 勝つ 所の 木、 木德を 以て 天下 は 

王と な ft/ 殷は 木に 勝つ 所の 金、 金德を 以て 天下に 王と な ft/ 次に 周 は 金に 勝つ 火、 

火德を 以て 天下の 王と なった ので あると 說 いて 居る、 鄒衍鄒 1; は 周の 人で あ 力ます か 

ら 火の 次の 水に 付て はどう 云 ふ 王朝と 云 ふ N> とに 論及す るに 至らなかった、 其 鄒衍鄒 

爽の 五行 相 勝 說に對 して 後に 五行 相 生說が 起った、 前に擧げた圖の第ニでぁ-^ます、 

是は漢 代に 起った ので あ, 9 ます、 此 說に從 へば 王者が 代る の は、 次の 王朝が 前の 王朝 

漢代 S 恕.; - 傾向 二 六 九 



支那 哲學の 研究 二 七 

に 打 勝った のでな くして、 前の 王朝から 次の 王朝が 生み出され だので ある、 卽ち木 は 

火 を 生じ、 火 は 土 生じ、 土 は 金 を 生じ、 金 は 水 を 生ずる ものである、 王朝の 代る の 

は 其 法則に 依る ので、 大峰は 木德を 以て 天下に 王と な つたから、 次の 炎 帝 は 木から 生 

じた 火. 德を 以て 天下に 王と な, 9、 次の 黃帝は 火から 生じた 土德を 以て 天下に 王と な. c>、 

小 峰 は 土から 生じた 金德を 以て 天下に 王と な ftN、 顓琪は 金から 生じた 水德を 以て 天下 

に 王と なる、 » う 云 ふ 順序で 王朝が 代って 行く と ai- るので あらます、 是は漢 代の 著述、 

又は 其 前後の 著述 を 見ます と木德 と金 德 とか 火 德 とか 色々 書いて ご ざ いますが、 其 中 

に は 相 勝と 云 ふ 方で 說を 立てる 人 も あれば、 相 生と 云 ふ 方で 說を 立てる 人 もあります 

ので、 同じ 五行で も大變 矛盾して 居る 場合が ある、 其 矛盾して 居る 場合 は 相勝說 であ 

るか、 相生說 であるか、 是は相 勝說. たから 斯 ふなって 居る、 是は 相生說 だから 斯 ふな 

ゥて 居る と 鑑別 をして 見なければ、 混同して さつば り 分らない と 云 ふ 結 Bl^ にな- ます、 

要するに 五行 相 生と 相 勝と 云 ふ說が 出て 參 つたので あ. ます、 是も唯 王朝が 代る と 云 



ふとば か 6 を說 いて 居れば 何等の 關係 はない ので あ. CN ますが、 此 五行、 木 火 土 金 水 を 

以て 說 くと 云 ふと 有 ゆる 方面に 持って 來て、 例へば 時候で も、 方角で も、 食物で も 

衣服で も 色彩で も 其 他 精神 作用な ども、 色々 な もの を 木 火 土 金 水に 配當 して 說 くと 云 

ふ Hi が 盛んに 流行した ので、 是 が 非常なる 影響, 來 したので あ ft^ ます、 此 五行 說の本 

づく所 は洪範 であ.^ ますので、 洪範 五行 傳 など 云 ふやうな ものが 著 はされ、 漢書 以下 

の E 史には 多く 五行 志と 云 ふ ものが あって、 種々 の 迷信 的の 議論 や 傳說ゃ あかしな 事 

が 書いて ございます。 

さて 上來 私は漢 代に 於け る 儒道 ニ敎の 大要 及び 當時 流行 を 極めた 讖緯、 陰陽 五行 等 

の 一 斑 を 述べました、. 是れ からが 私の 諸君に 御 批評 V 請 ひたいと 思 ふ 所で、 今まで 申 

上げた のは大 體に關 する 槪念を 有って 戴きたい と 云 ふ 序論に 過ぎなかった ので あ. 9 ま 

す、 今 申しました 儒敎、 道敎 に付きまして、 凡てに 共通した 一 つの 傾向が あるか 無い 

か、 るれ が 今日 申 上げ やうと 思. ふ耍點 であ. o> ます。 

漢代 思想の 傾向 二 七 1 



支那 哲學の 研究 二 七 二 

もれで 先づ 道德、 卽ち 道敎の 方から 申 上げます が、 道敎は 前に 一 通り 申 上げた 通 6S、 

老子 は 吾々 の 肉 體其物 を 以て 罪惡の 本と 見た ので ある、 老子 は 吾 所, -以有 TTK 患, 者 爲,, 

吾 有., 身 及, 無-一 吾 身: 吾 有-一 何 患- (十三 章) と 申して 居ります、 然るに 吾々 は 善く 攝 生す 

れば 陸行 不, 遇-一 8- 虎 ハ 入, 軍不, 被, 1 甲兵 r (五十 章) 陸上 を 歩いても 動物の 危害 を 受ける 

t ともなし、 軍隊に 入っても 人に 斬られる と 云 ふやうな 乙 ともなし、 夫 は 何の 故 かな 

れば 死地な き 以てな fts と 云; 5、 或は 長生 久視の 道 (五十 九 章) と 云 ふこと を說 いて 居 

ます、 是は 全く 老子の 所謂 道德 的に、 吾, が 修養の 結果 絕對と 合 1 すると 云 ふ 意味 

を 述べた もので、 卽ち 所謂 死 而不, 亡者 壽 (三十 三 章) と 云 ふ 意味 を 述べた ものに 違 ひ 

ない、 この 肉 身の ま 1H 長生 久視と 云ふ譯 では 無い と 思 ふ、 是は 理想論です、 老子 は抽 

象 的の 議論 をした 人、 理想を說ぃた人でぁ.*^ます、 其 次の 列 子、 莊子は ど ラ云ふ 意 昧 

に說 いたかと 云 ふと、 今度 は 只の 理想論で はない、 一 層具體 的に 實例 を說 かなければ 

滿 足が出 來な いや 5 にな つた、 列 子の 黃帝篇 に 黄 帝が 華胥 の國に 遊ぶ と 云 ふ 記事が 載 



つて 居 6 ます、 華 胥の國 は 申す 迄 もな く 理想 國 である、 又 同じ 黄 帝篇の 中に 列 姑射 山 

と 云 ふ 神 出が あ つ て 、 其 神 山に は 神人が 住 ゥ て 居る と 云 ふ 精密な 記事が ござ い ます、 

7- の 神人 は 風 を 吸 ひ 露を飮 んで活 きて 居る、 五穀な ど は 食はなくて も活 きて 居って 心 

は 淵 泉の 如く 形け 處 女の 如しと いふ 記事が ございます、 莊 子の 逍遙 遊篇 にも 亦 親 姑射 

の 山に 神人が 居る、 肌膚 は 水 雪の 若く 綽約處 子の 若く、 五穀 を 食 はず、 風 を 吸 ひ 露 を 

飮 んで活 きて 居る と 云 ふやう に 書いて ある、 吾ら が 修養の 結果、 死す とも 亡びざる も 

のになる と 云 ふだけ では 満足し ない、 現に 神 山に 神人が 居る が、 吾- も 修養 すれば か 

の 神人の やうに なるとい ふ具體 的の 說明 がなければ 不十分, たと 云 ふやうな 感じが あつ 

たやう であ ます、 そ M で具體 化と いふ 考 へが 漢代 になって は 一 層甚 しくな つて 居 ま 

す、 卽ち 老子 は 西の方 關を 出で、 其 終る 所 を 知る 者が 無い とい ふが、 あれ は 死んだ の 

ではない、 老子 は 仙人に なった の, たと 言 はなく ちゃ 满 足が出 來 ない、 そ 乙で 老子 は 仙 

人と して 畫 かれて 居り、 列仙傳 などに は 老子 を 仙人と して 書いて 居.." ます、 列 仙 W は 

漢代 思想の 傾向 一一 七 一一 一 



支那 哲學の 研究 二. PS 

漢劉 向の 著と あ 力ます が、 多分 後 漢人の 作で あらう とい ふ 乙と であ ます、 とも, A く 

列仙傳 などい ふ 書物 も 出來て 老子の 外 多くの 仙人の 傳が のせて あ, ます、 理想 境, ゲ- 苗 

いた ものが 一 變 して 攝 生の 結果 仙人と なる. ので あ. ます、 又 例へば 周 末 や 秦の始 皇帝 

の 時代に 於て は、 吾々 は 藥を飮 めば 仙人になる、 其藥は 仙人の 住って 居る 山に あるの 

おと 云ふ考 へであった が、 それで. は 滿 足 をし ない、 自分自身が 其藥 を煉 つて 仙人に な 6- 

? i る ものであると 云 ふこと を說 出して 漢 代に 於て は煉金 術が 非常な 勢 ひで 勃興して 居 

6 ます、 是 がうまい 工合に 利 導され ると、. 近世 歐洲の 化學は 中世の 煉金 術よ. 起った 

やうな 工合に 支那に 於ても 立派な 化學が 起った かも 知れない が、 其方に 向 はず 唯 1 種 

の 1- 金 術と して 變な ものに なって 終って 居ります、 ,^れ から 同じ 神仙 を學 ぶに 付き ま 

しても、 今の 藥を 嫁る と 云 ふ 外に 靜坐 法、 呼吸法と も 云 ふべき ものが 漢 代に 至って 盛 

んに說かる、ゃラになc^たのでぁ6^ます、 靜坐呼吸の事に付きましては、 莊 子の 齊物 

論に 南 郭子綦 儿に隱 つて 坐し、 天 を 仰いで: 嘘し、 搭然其 稱を喪 ふに 似た. と あるの は、 



靜坐 呼吸の 二 法 及び 其 效果を 述べた もの、 樣に 見えます が、 然し 初めて 文献に 見, えて 

居る のは莊 子の刻 意篇 でございます、 藪澤に 就き 間 曠に處 6 魚 を 釣り 間處 し無爲 のみ 

とぃふのは靜坐の^-とを述べたもので、 吹陶 呼吸し 故 を 吐き 新 を納れ 熊經鳥 申、 赛,^ 

$1 すの みとい ふの は 呼吸法に 就て 述べた ので あ ft^ ます、 最も 是は莊 子の 外篇 であ. 9 ま 

すか, r、 門ドの 者の 書いた ものに 違 ひ あ ft^ ませぬ が、 さう 云 ふ靜坐 呼吸の 方法 をも述 

ベて あ .est- す、 漢に 至って は それが 一層 詳しくな つて 來た、 老子 は 虚心 〔三 章) と 

1K ふこと を說 いて 居る、 此 虛心實 腹と 云 ふこと は 前後の 文章から 見ても 無知 無欲で な 

ければ ならぬ と 云 ふこと を說 いた ものに 違 ひない、 是が漢 代に はどう 解釋 された かと 

云 ふと、 虚心 實腹 は胸ヒ すかして 腹に 氣を 充實 せし むる、 田 式の 靜坐 法兑 おやう に 

解釋 した、 それから 老子の 中に 谷 神不, 死、 是 謂-一玄 牝ー (六 章) と 云 ふ 言葉が ある、 谷 

は 空虚で ある、 そこで 谷の 神と いふの は 本體の 虚無なる ると を 譬喩 的に 說叨 しおもの 

: である、 換言すれば 谷 神と は卽 ち本體 である、 不死と は 其の 永遠なる をい ふ、 玄牝、 

漢代 思想い 倾询 一一 『"ム 



支那 哲學の 研究 ニセ 八 

牝は 「 めす」 である、 動物の 牝が澤 山 子ども を 生む やうな 工合に 本 鱧から 一 切 萬 物が 發 

展 する、 然しながら、 本 體は虛 無で あるから、 本 體其物 は 吾々 の 見る こと も 聞く こと 

も出來 ない ものである、 知るべからざる ものである、 そ で 之 を 玄牝と 謂 ふ、 玄は幽 

玄 にして 知る ベ からず 見聞すべからざる の 意で ある、 本文の 意味 は 斯う 云 ふので ある 

が、 之 を漢代 はどう 解釋 した かと 云 ふと、 谷 神の 谷 は 「やしな ふ」 と 解す るので 神 を 養 

へば 詰, ON 不死の 人と なる ので ある、 それから 玄は 天で ある、 人に 於て は 鼻で ある、 牝 

は 地で ある、 人に 於て は 口で ある、 玄牝卽 ち 鼻と 口と で 一種の 呼吸法 を 行へば 不死と 

なると 解す る、 斯う 云 ふ 風に 老子が 理想 を說 いた ものが、 漢 代に 入. て は 頗る 具體的 

に說かれて居るのでぁ6^ます、 先 づ道敎 はさう 云 ふ 工合で ある。 

次に 儒敎 はどう かと 云 ふと 此 傾向が 尙著 しい、 何故かと 云 ふと 一 體老莊 學派は 抽象 

的理論的の學派でぁるから先づ此位で濟んだのでぁ.c^ませぅが儒家はさぅ は 參らな 

い、 1 體儒家は具lg的の學派でぁ.c^ますから、 道家よ i も 著しく 此頃. が 見えて 居る 



ゃラ であ .9 ます、 儒敎と 申しても 非常に 範 圍が廣 いので 1 々申す^-とは出來ませ^カ 

ら、 此處 では 儒家の 根 本義に 付て 申して 見やう と 思 ひます、 儒家の 根 本義 は 何かと 云 

ふと 私共 は 始終 申す, とであります が 夫 は 天で あ. 9 ます、 孔子は天と云ふ^Jとは餘.9 

申し ませぬ が、 併し 折に 觸れて 天に 對 する 固い 信念が 言語に 現 はれて 居ります 伊へ 

ば 孔子が 宋人 桓魆に 迫害 を 受けた 時に 天生, - 德於予 7 桓魆其 如, 予 何と 申して 居. 9 ます、 

又 g 人の 迫害の あった 時に 天 之 未, 喪-一 斯文 一也、 匡 人 其 如, 予 何と 云った こと も ありま 

す、 何れも 天に 對 する 信仰の 固い 乙と を 現 はした 言葉であります が、 最も 著しい のに 

孔子が 曾て 予欲, 無 J 言と 言った 所が、 子 貢が、 子如不 J 曰 則 小 子 何 述焉と 言った 、さう 

すると 孔子が 天 何 言 哉、 四時 行焉、 百 物 生焉、 天 何 言 哉と 申さ. れ ました、 之 を 以て 見 

て も 孔子の ご 一一 一二 行 は 皆 天に 則った ものおと 云 ふ 乙と が 分る ので あ"^ ます、 其 7- 子の 

天 を 尊ぶ と 云ふ考 へが 中庸に 至って、 天命 之 謂い 性、 率, 性 之 謂 J^J 、修 い 道 之 謂 K 敎と 云. 

ふ、 性 道 敎の說 となった ので あらます、 どうしても 天と 云ふ考 へが 儒敎 では 基礎と な. 

漢代 思想の 傾向 一一 七 J 



支那 哲學の 研究 二 七 八 

る もので あ 6.^^ す、 漢の董 仲舒に 至って は 更に 尙 明瞭に 道之大 原、 出,, 于天 r 天不, 變、 

道 亦不, 變 (天人 對策) と 明言す るに 至った ので あ 6. ます、 唯儒家の內ではk屮^^のみは 

天 を 自然と 見て 機械的に 解釋し 天と 人との 關係 はない と 申して 居 ますが、 其 他の 儒 

者 は 凡て 天 を 宇宙の 主宰^で あると 云 ふ 風に 考 へて 居. ます、 天 は 總でを 支配し、 善 

惡を 監視して 善い 者に は 福 を 與へ惡 い 者に は 禍,^ 與 へる、 特に 王者に 天 が 命じて 天に 

代つ て 天下 を 治めし むる ものであるから、 王者 は 常に 天意 を 奉戴し なければ ならぬ、 

若し 暴虐 無道に して 民の 信望 を 失へば、 天 も亦眷 寵を與 へずして 他の 明德 の. 君子に 命 

じて 代って 君主たら しむる、 是れ卽 ち 革命で あると 解す るので、 儒敎に 於て は 天が 根 

本義で あ- y ます、 此 天に 付て は 今少し 精密に 御 話すべき であ. Q ますが、 天に 就て は 私 

も 屢,! - 論じた 乙 とが あ ftN ます、 尙服部 博士 を 初め 多くの 人が 說 いて 居 6 ますから、 今 

は 一 之 詳論す る 乙と は 省い て 置きます が、 鬼に角天は儒敎の根本義でぁ..^ます、 

天 其; S は 吾, 人生 を 支配す る 所の ものであって、 宗敎 的に 言 ふなら ば 天 は卽ち 神様で 



天 き.. 春 

天大 

夏 



It で 天に 就て 漢 代に はいかに 之 を解釋 した? 述べて 漢代 量の 具體化 

sfLtiat 卽ち 天に 關す J が 陰陽 五 I と 配合され て 

妙な 一 種の 說が 起って 參 つたので あ.?^ す。 

入 畏, 天 上, 天 (爾 雅釋 天) 

^ , 旻, 天 上, 天 (今 尙書歐 陽 說) 



北辰 

靑帝 

赤 帝 

黃帝 , 

S 帝 

漢代 思想の 傾向 



耀魄寶 (在 紫 微宮) 

靈威 仰::: 東、 春、 木 

赤 爆 怒 •:,: 南、 夏、 火 

含樞紐 中、 土用、 土. 

白 招 拒 …… 西、 秋、 金 



二 七 丸 



支那 哲學の 研究 一一 八 ◦ 

黑帝 汁 光紀 北、 冬、 水 (在 大微宮 五 帝座 星) 

第一 圖に 示しました 通. c> 天の 名稱に 就て、 爾 雅の釋 天と 今尙書 歐陽說 とニ說 あ... ま 

すが、 爾 雅の釋 天で は 春 を 蒼天、 夏を吴 天、 秋を是 天、 冬 を 上天と 說 いて あらます、 

歐陽說 では 春が 吴天、 夏が 蒼天、 秋が 是天、 冬が 上天と 云 ふ, J とに なって 居ます、 春 

と 夏との 名稱が 入れち が ひに なって 居.?^ す、 斯ふ云 ふ 風に 天 其 物 を 春夏秋冬の 四時 

に 配合して、 春と 云 ふ もの ゝ 特色 を 現 はす 爲に 或は 蒼天と 云 ひ、 或は 吴 天と 云 ふ 名前 

を附 ける、 夏の 特色 を 現す 爲に吴 天 或は 蒼天と 云 ふ 名前 を附 け、 秋 は S 天、 冬 は 上天、 

晏と云 ふ 字に は 「あはれ む」 と 云 ふ 意味が あるので 秋に 配合し、 冬 は 空が 高い から 上 

と 云 ふやう に 其 特色 を 現 はした ので あ ft, ます、 是は漢 代に 至って 起った 說 であ.?^ ず、 

t の昊 天、 蒼天、 憂 天、 上天と 云ぷ言 葉 は 詩經の 中、 所々 に 出て 居 力ます、 併し 其 多 

くの 場合 を 見ます と、 丁度 此 規則に 當 嵌る 場合 も ございます けれども、 此 規則に 當嵌 

ら ない 場合 も少 くないの であ. ます、 卽ち詩 經に用 ねられて 居る 實 例で、 この 規則 を 



譜據 立てる ると は 出来ない、 此 規則に は當 嵌らない、 當 嵌らな いのは 無理 もない ので 

あ. C ます、 周 代に 於て は 吾 S 感情の 上で 天に 惯みを望む場 合に は 美と 云 つて 居 

る、 天の 洪大 S ふ 時には 養と 云 ひ、 天の 高い るき 謠ふ時 はは 上天と 5 風に、 

天に 對 する 自己の 感情に 依て 天 を呼 ぶので、 をの 時. - によ? 名前が違 つ 5 る、 そ 

れを漢 代に 至って 五行 說に 配當 し、 春夏秋冬に 配當 して 斯う 云 ふ 名前 を附 けた、 詩人 

は 蒼天 昊天 など い ふ 言葉が 後世 四時に 配當 される とい ふ ことお 知らな い から 自分の^ 

羊に 天を稱 する 時に 名前 を 呼んだ ので、 後世に なって 作った 規則で 之 を 律し ゃラ とし 

て も 詩 經に現 はれて 居る ものが 一,^ 當 嵌らな いのは 勿論の 話で ある、 此四ゥ の 名前 を 

春夏秋冬に 當 嵌めた ばか,. - ならば 別に 不可思議な こと は あ.?^ せぬ が、 之 をもう 少し 

變 つたず: 味に 解釋 する やうに なった、 天が 總てを 支配す ると 云 ふこと は 前に も 申した 

通ら 上代から 傳 へられて 居る、 又 五行、 木 火 土 金 水と 云 ふ ものが 一番 人生に 必要 ゼぁ 

る、 洪範に 五行 を擧 げたの は 此意昧 である、 この 木 火 土 金 水 は哲學 的に 言へば 五 元で 

二 、 】 

漢代 思想の 傾向 



支那^ 學の 研究 一一 八 一一 

ある、 もれで 漢 代の 五行 說 による 木 火 土 金 水 を 春夏秋冬と 東西南北 とに 配當 する、 春 

は 木の 作用が 支配し、 夏 は 火の 作用が 支配し、 秋 は 金の 作用であって 冬 は 水の 作用で 

ある、 其 夏と 秋との 間に 土 を 置いて、 土が 土用 を 支配す る、 斯ラ云 ふ 風. に 見た、 之 を 

方角に 當 嵌めるならば 東 は 春で 木、 南 は 夏で 火、 中央が 土用で 土、 西 は 秋で 金、 北が 

冬で 水.、 斯う 云ュ 風に 當 嵌めて、 木 火 土 金 水の 五つの 順に 循環して 四時が 行 はれて 居 

ると 見る、 春 は 木の 作用が 支配して 居って これが 段々 過ぎて 來 ると 火の 作用が 支配す 

るると ゝ なって 夏と なる、 夏が 過ぎて 又 土用が 過ぎる と金の 作用の 秋と なる、 秋が 過 

ぎる i 水の 作用で 冬と なると 云 ふ 風に 見る のです、 是. たけなら ば 別に 珍ら しい こと は 

ない、 天と 帝と は 少し 意味が 違 ひ、 體の 方から 天と いひ、 用の 方から 帝と いふと 區別 

力 ある けれども、 宇宙 を 支配す る 神樣を 皇天 上帝と 見る と、 舂は 皇天 上帝の 木 的 作用 

が 支配して 居る、 夏 は 皇天 上帝の 火 的 作用が 支配す る、 土用 は 皇天 上帝の 土 的 作用が 

支配し、 教は 皇天 上帝の 金的 作用が 支配し 冬 は 皇天 上帝の 水 的 作用が 支配す ると 云ば 



ねばならぬ、 然し をれ だけで は漢 代の 人に は 満足 を與 へない、 そこで 各々 の 作用."" 一 つ 

宛入袼 的の 神と して 夫れ く 名前 を與 へたので あらます、 I 第二 圆に 舉げ? ラは 

春ケ- 支配す る 作用 を 名け て靑 帝、 靈威 仰と 云 ふ、 靑帝、 靈威仰 は 吾々 を 支配す る 神の 木 

的 作用で ある、 夏 も 同じ ゃラな 理由で 赤 帝、 赤 燻 怒と 云 ふ 神様が 支配す る、 土用 は 黄 帝、 

含樞 紐と 云 ふ 神様が 支配す る、 秋 は 白 帝、 白 招 拒と 云 ふ 神樣が 支配す る 冬は黑 帝、 汁 

光紀と 云 ふ 神様が 支配す ると 見る に 至った、 此木火 土 金 水 五つの 作用.^ ど 五つの 神様と 

見る のが 卽ち 天に 五つの 神檬が あると 云 ふ 五天 帝で あ.^ ます、 天上界に 於て 五つの 神 

様が ある 以上 は 人間界に 於ても 五つの 帝王が ある 答で ある、 そこで 五 人 帝、 五つの 帝 

王が 出來 た、 それから 天地 入 三才に 配當 した 三 皇と云 ふの も出來 たので ある、 卽ち f 

代に 五行 說が 流行して 三皇五 帝說が 起った ので あ. 9 ます、 三皇は 誰某で ある、 五 帝 は 

誰某で あると INJS 說に 分れ S45、 iskfis. 

五行 說が 勃興して 天の 五 ゥ の 働きに 五天 帝と 云 ふ 名前 を附 けた、 をれ から 五リ〕 、な 力 出 

漢代 思想の 傾向 二/ 



支那 職の 研究 二八 四 

來、 其 上に 三皇が 設けられて 三皇五 帝說が 起った ので あ.. ます、 吾々 に 言 はせ るなら 

ば 五天 帝 は 一 つの 天と 云 ふ もの、 働きの 五つの 方面で ある、 五天 帝 は 一 つの 天の 屬性 

である、 一 つ 宛名 前 は 別に 存在す るが 譬 へば 三位 一體論 と 同じ やうに 五天, ー體 論で 

ある、 所が 旣に 五天 帝、 卽ち 五つの 神樣が 出來て 各々 別の 働き をす るので あ., ます か 

ら、 其 1 つ を 取って 是が天 其 物で あると 言ふ譯 にいき ませぬ から、 今度 は 五つの 屬性 

を總 括す る 全 體の天 其 物 を 言 ひ 現 はす 必要が ある、 之 を 北辰、 耀魄寶 と 申します、 是 

は 天 を 一 つの 人格と 見、 一 つの 神樣と 見た 時に 名け た 名前です、 其 人格の 働き を 春 夏 

秋 冬、 五行の 働きと 見た 時に 五つの 名前が 出 來て參 つたので あ ft, ます、 是は 確かに 漢 

代の 五行 說の勃 輿した 時に 出來 たもので あって 頗る 具體 的に なって 居 ft^ ます、 そ.. -で 

天 は 唯 一 の喾 であるのに 北辰、 耀魄寶 が あ 6 又 各, - 特殊の 働き を 有して 居る 五つの 天 

帝が あ 力ます から 合 はせ て 六 天と なる、 天に 六つ あると 云 ふ 六 天說も 出た ので あ 

す 斯 くの 如く 六 天神 を 造った 以上 は、 其 神のお 住居 を 定める 必要が 起って 參る、 t 



辰、 耀魄寶 は 何處に 在る かと 云 ふと 紫微宫 にある、 今の 北極星で ある、 其 他の 五天 帝 

は 何處に 居る かと 云 ふと、 紫微宮 でも 宜さ \ うなので あるのに 大徼宫 五 帝座 星、 どの 

邊と 云ん NJ と は 私 は 存じ ませぬ が、 大微宮 の 五 帝座 星に 五 人が 居る と 云 ふ 7i と を說く 

やうに なって 參 ました、 次第/ \ に具體 的と なる ので あ .o ます、 乙の 五 帝お 設けた 

處 から 更に 進んで 感生 帝の 說も 出て 參 るので あ 6S ます。 

鄒衍、 鄒奭 等の 說 いた 五行 相勝說 若く は 後の 五行 相 生 說に從 へば、 或る時 代 は木德 

を 以て 天下に 王と なると か、 火德を 以て 天下に 王と なると か 云 ふに 過ぎなかった、 所 

が漢 代に は 4^ れ では 滿 足が出 來 ない、 旣に 五天 帝と 云 ふ 人格 神が 出來 たので ある、 唯 

木 德と云 ふ 乙と でな く、 木德を 代表す る靈威 仰と いふ 神が ある、 ,v 乙で 或る時 代の 君 

主 は 木德を 以て 王と なる のでなくて、 靑帝卽 ち靈威 仰の 子孫で ある、 或 王朝の 先祖 は 

靈威 仰で ある、 或 王朝 は 赤 S! 怒の 子孫で ある、 若く は含樞 紐の 子孫で ある、 白 招 拒の 

子孫で ある, 汁 光紀の 子孫で あると 云 ふやうな Nl とを說 出した、 是は感 生 帝の 說 であ 

漢代 思想 傾向 二べ 五 



支 都哲學 の矾究 二八 六 

CN て卽ち 一種の 帝王 神櫂說 である、 帝王の 尊 嚴を强 く 言 はむ が爲 に、 何 か. 普通の 人民 

よ. ^鍵った 人で あると 云ズ 乙と を 言 はむ が爲に 造, り 出した ものであって、 一 種の 神婚 

傳說 であ ft> ます、 神 娘 傅 説 は 有 ゆる 民族に 行 はれて 居る ので、 我國 でも 西洋で も何處 

にで も あらます から 珍ら しく は あう ませぬ が、 此神婚 傳說と 五行 說 がくつ 附 いた、 殊 

に 五行 說に 五天 帝 をく っ附 けて 參 つた、 其 處に漢 代の 特色が ある、 其 神 婚傳說 は經典 

の 中で は: S 經の 中に 現 はれて 居る、 大雅の 生 民篇、 魯 頌の閟 宮篇、 商 頌の玄 ST 長發 

篇 などに 現 はれて 居る のが 唯一 の 材料で ある、 經典 以外の 緯窨を 取るならば. 帝王 世紀 

などに も 多くの; S 婚說 がの つて 居る が、 これ は 暫く 措く 乙と とする、 詩 經に現 はれて 

居る 所 を 見 るん 唯、 周の 祖后稷 は 母の 姜嫄が 巨人の 足迹を 踏んで 孕んだ ものである、 

殷の祖 契 は 母の 筒狄が 燕の 卵 を 吞んで 孕んだ もの e あると 云 ふこと で、 其以上^^-かし 

なでと は說 いてない、 それだけ では 漢 代の 人 は 満足し ないで この 神 婚^ 說と 五. 天帝 を 

くつ 附 けて 股 周の 祖契后 稷は卽 ち 天帝の 子孫で ある、. 卽ち殷 の 祖先の 契と 云 ふ 人は黑 



帝 汁 光紀の 1+ 孫で ある、 汁 光紀が 燕の 卵と 化して 簡狄に 通して 契 を 生んだ ので ある、 

周の 先祖の 后 稷の母 姜螈が 巨人の 足迹を 踏んで 孕んだ、 其 足 迹は靑 帝、 靈威 仰の 足迹 

であった、 威 仰 は 足迹と 化して 姜嫄と 通じて 后稷ヒ 生んだ ので ある、 周が 靑帝靈 威 

仰の 子孫で あるから、 前 朝の 殷は木 を 生む 所の 水、 卽ち黑 帝 汁 光紀の 子孫で なければ 

ならぬ ので ある、 斯く云 ふ感生 帝の 說は 全く 漢 代の 一 切 を具體 化する 傾向から 出て 來 

た 者で あ. ます、 尤も 總 ての 場合に 於て 事物 を具體 的に 考 へて 來 なければ 満足し ない 

と 云 ふ と は 有 6, 得る 乙 とで、 V 、ー那 に 於て は 上代から さう 云 ふ 傾向が あ. ます、 例へ 

ば 御 先祖の 祭 を 致します 時に、 唯 御供 物 をした だけで は、 果して 御 先祖: S が歆 けられ 

たで あらう か、 供物が 依然として もとの 儘なる を 見て は 感情 上 満足が 出來 ない のです 

から、 一族の 中から 男の子 を 引っ張って 來て、 それに食物ゃ^^酒などを進めて、 御先 

かたしろ 

祖樣が 食べて 下さった ので ある、 歆 けて 下さ ゥ たの だと 考 へる、 之 を 尸と 云 ふの て あ 

i ますが、 其 子供に 食べ させて 御先 齟樣が 食べ て 下さ ゥ たと 云って 満足 するとい ふの 

漢代 S (想の 傾向 二八 七 



支那 哲學の 研究 二八, <; 

は、 卽ち 事物 を具體 化する ことで、 この 傾向 は 周 代から 傅ゥて 居る、 然しな:^ ら 漢弋, 

に 至って 殊に 其 弊害が 極まった ので あ. ON ます、 前の 識緯說 の 如く 白い 魚が 飛んだ、 龜 

が 出た、 龍が 出た、 是は 天子に 天命が 下った 兆しで あると 云 ふ-たけ では 滿 足せず、 具 

體 的に 害き 記された 物が 出て 來 なければ 滿 足しない と 云 ふ 乙と になった、 是が 易の^ 

釋 などに 於ても 非常に 其 傾向 か 著しくなりまして、 唯 卜筮 する のみでな く、 漢代 では 

非常に やかましく 象 數と云 ふこと を說 くやう になった、 其 結果 之に 對 する 反抗 思想が 

次の 魏晋六 朝に 至って 起った、 若し 魏晋六 朝 或は 後世まで も漢 代と 同じ やうな 具體的 

傾向が 傳 つて 居るならば、 私が 特に 之 を漢代 思想の 特色と して 御 話す る 必要 はない の 

であ ます、 卽ち この 具體 化する とい ふ考は 戰國の 末に 起った 思想で あ. 9 ます けれど 

も 、漢 代に 至って 此 傾向が 特に 著しくな つて 參 つて、 後の 魏晋 になる と是と 全然 反對 

した思想が盛んに起ったのでぁ.c^ます、 魏晋に 至って どう 云 ふ 思想が 起った かと 云 ふ 

と 六 天說を 叩き 壞す爲 に 王肅の 一 天 論が 出て 來る、 五天 帝の 說は 全く 誤で ある 感生帝 



說 のけ 誤で あると 云 ふこと を說 いた、 無論 此王肅 の 說には 個人的に 鄭玄の 六 天 説に 反 

對 しゃ ラと云 ふ考も 籠って 居. 9 ます けれども、 時代思潮が 斯う 云 ふ 事 を 言 ふのに 對し 

て 1^ 對 であった ので あ.?^ す、 易の 解釋に 就ても 漢 代の 具 體 的に 論す る 象數說 に絕對 

反 對の王 弼の說 が 出まして、 象數を 全然 排 lie し 去て 全く 理想論 をな して、 當 時に 歡迎 

された ので あ ft^ ます、 この理想論的に說くと云ふ^-とは ー方には道敎、 佛敎 等の 影響 

もありまして, V れには 又 色 々な 理由 も ございませ うが、 漢 代に 於て 具體 的に 餘 6 極端 

まで 說 いた 反動と して Si 想 的に 說 くと 云 ふ 傾向が 强 くな つたので あ."^ ます、 さう して 

宋代に於ては天は理なft^と說くゃぅになったのでぁft^ます、 漢 代に 於て は 迷信 的に 天 

を 神樣と 見て 六天說 など も 起った が 魏晋に 至って 六天說 などが 捨てられて 更に 一 步.^ 

進: P て宋 代に 至って は 天 は理な ft> とい ふに 至った、 之に は 無論 佛敎の 影響が あ.^ ます 

けれども、 兎 も さう 云 ふ 風に なって 來 たので あ ft- ます。 

之 を 要するに 漢代 思想の 倾向 は、 物 を具體 的に 說 くと 云 ふ 傾向が 强 かった、 老子の 

漢代 思想の 倾向 - 一一 八 九 



支那 哲學 の硏究 一一 九 〇 

理想的、 抽象的に 說く學 派で さへ も 之 を具體 化する と 云 ふ 傾向が 强 かった、 是 が漢弋 

思想界の 一般に 通じた 傾,: 1: であら ラ かと 思 ふので あ. ます、 尙 上述の 外に も 色々 な 方 

面から 說く ことが 出來る やうで あ ftv ます けれども、 餘. 5 管々 しくな. o- ますから そ t^i 

けで 話 を 終って 置きます。 

附言 

講演の 際、 fil 分は漢 代の 傾向が 具 體 化する に 在る こと を、 種々 の.!!^ 例 を舉げ て證叨 する に 止めで、 何,. に 

くの 如く 典體 化する に 至りし かの 理由に 就て は、 遂に 論及す るに 至ら ざり き、 そ は 自分に 於て 種々 の考 が^ 

中に 存 して、 未だ 之 を まとめる の 暇 無かリ しが 爲め である、 講演 後 二三の 人よ リ 其の 理 ぬに 就て 貧 問 を 受け 

たれ ど、 • 自分 は 未だ 明瞭に 之に 咎 ふること が出來 ぬと 斷 つた、 然るに 木 村 泰賢君 は 印度に も 恰も 漢 代と 同じ 

やうな 傾向 を帶 ぶる 或 時代が ある、 而 して 其 時代の 具體 化の 理由 は、 學者 間にの み 止まった 學 問が、 一般 凡 

俗に 普及した 爲 であった と 語られた、 聰明な 讀者 は旣に 自分の 上來の 論文に 就て 看取 せらる., であらう が、 

漢 代具體 化の 中心 點は 五行 說 である、 而 てこの 五行 說は實 際 生活に 密接の 關 係が あり、 1 般 凡俗に も 1" 及し 

たので 其 點は經 典が 學者 のみに 取り扱 はれた のと は 相違して 居る、 木 村 君の 說は大 に 理由が あると 思 はれる、 

故に こ >- に附說 して 大方の 敎を 待つ ので ある。 



秦 皇漢武 の 思想界に 及ぼ せ る 影響 

一 

秦始皇 累世の 餘烈 によら、 六國を 滅ぼして 宇內を 統一し、 南 は 百 越の 地 を 取. -て桂 

林 象 郡 を^き、 北 は 萬 里の 長 城 を 築き 匈奴 を 却く るると 七百餘 里、 威 四海に 振 ひ コ A 

下 雌 服せ ざるな し、 その 功業の 赫々 たる、. その 規模の 雄大なる、 多く その 比 を 見ず。 i 

漢 輿って 旣に 六十 年、 父祖勤儉の後>^*け、 充實 せる 國庫を 擁し、 內は 文化の 燦然と 

して 前古 を 空しう する あ .-、 外 は 匈奴 を擊 つて 平 城の 辱 を 雪ぎ、 國威 遠く 西域に 發揚 

す、 漢武 帝の 如き 亦 固より 不世出の 英主な. -。 二 帝の 事蹟 を 詳述す る は 別に 其 人 あん 

む。 予は 專らニ 帝の 思想界に 及ぼせる 彭響を 論ぜん とす。 

二 

秦 皇漢武 を並稱 して、 必ず 先 づ想ひ 起すべき は、 二 帝の 神仙 を 喜びし 事なる 〈し。 

秦皇漢 武の思 f.- 界に 及ぼせる 影響 ^ f 一 



支那 哲學の 研究 一】 九 一一 

始皇は 徐福を 遣 はして 蓬萊 山に 神仙 不死の 仙藥を 求めし め、 漢武 は少翁 どして 反 魂 香 

を 燃き て 李 夫人 髴の 間に 望 0。 神仙 f 得 つからず、 天下の 富 を 以てする も 亦 そ 

の壽を 如何と もすべからず して 祖け ゥ。 二 帝の 聰明 を 以てして 神仙 不死に 惑 ふ は 何 

ど。 1 に は 生 を 喜び 死を惡 むは 人の 常 情に して、 貴 天子たら, 富 四海 を 有ち、 一切の 事 

唯 をの 意の 欲する ま V な. とい へど も、 唯 生死の 一 關は亦 之 を 如何と もすべからず。 

二に は 長生 久視の 說老莊 の 哲學に 本 づきて、 旣に 戰國の 際よ, 9 勃興し、 燕昭 王の 如 さ 

も 海外の 祌 山を渴 仰せし こと あ .0,、 當 時の 思想界に 於いて は、 決して 不^能の 事に あ 

f ?^^io 是れニ s 神仙 I めし 所以 f。 其の 蒙る は 亦 論ずる を 2 

ず。 然れ ども 獨. -ニ 帝の みに あらず、 當 時の 人 も 亦 等しく 神仙 を 求めん とし、 延 いて 

は 道 敎の發 達 を 促し、 永く 天下 後世に 影響を及ぼせ. 9。 

. 三 

始, ほな 周 末の a を 平げ て 天下 を統 一 し、 武帝は 思想界の 混亂を 治めて 之 を 一 に歸せ 



しむ。 をの 事 或は 類して 亦異る 所な きて-あらす * 

始皇の 南面して 天下に 王た. る や、 - 天下の 兵を收 めて 之を咸 陽に 聚め、 銷 して 金 人 十 

二 を 爲., c\ 律 度量衡.^ 一 £• 車軌を 同じ ラし、 書 交 字 を 同じ ラし、 自 から 始 皇帝と 

猇し、 ニ世三世ょ.c^以て萬世に至.-、 之 を 無窮に 傳、 んと 欲す。 天下 統一の 實 斯に擧 

り、 萬 民 皆 仰 いで" 平明の 治 を 望む。 春秋 一 統を大 にす る 孔子の 理想 も、 始皇に 至 ク て 初 

めて 實 現せ 6, とい ふ も 誰か 然ら ずと いはむ。 是れ 卽ち武 帝が 董仲 舒の對 策に より 凡.^ 

六經 孔子の 言に あらざる 諸子 百 家の 說を黜 けて 思想界の 統一 を圜, 9、 天下 靡 然として 

風に 嚮ひ、 儒敎は 殆んど 國敎の 位置 を 占む るに 至らし と、 事 稍 相 類す とい ふ 所以な 

始皇 固よ, 不世出の 英雄な 6se 旣に 天下 を 平げ て、 意驕, 氣 高ぶる。 而 して 輔弼 もの 

人 無く、 政治 もの 宜を失 ひ、 園書果して驗ぁft^て、 胡亥に 至って 秦 遂に 亡ぶ。 是れ天 

下 を郡縣 にし 井田 を 改易し 事 古を師 とせざる が爲 か。 曰く 否、 井田の 行 はざる 旣に, ン. 

秦皇 萬武の 思想界に 及ぼせる 影響 一】 九 一一 一 



那哲學 の 研究 二. 一九 四 

しく、 時錄 ずれば 法 も 亦變ぜ ざる 可から ず、 郡縣は 寧ろ 天子の 尊錢を 益す 所以な 6V。 

蓋し 苛 法 を 用ね て 仁義 を 施さず、 猥, に 不急の 工事 を 起して、 民 を 哀れま ざ もし は、, V> 

の 遂に 亡滅 せし 所以なら。 予想へ らく 秦を 亡ぼす 者 は 胡に 非ず して、 李斯 な. と。 李 

斯の變 法 を 非と する にあらず V 李 斯が苛 法に よもて 仁義 を 施さ,. -るを 非と するなら。 

天下 統一 の實は 孔子の 理想に よる も、 統治の 法 孔子の 敎に 依ら ざ.0 し は、 ,v の滅 u 踵 

を 廻ら さ * ゝる 所以な 》GN。 

武 帝に 至ゥて は卽 ち然ら ず。 儒敎を 以て 天下の 人心 を 統一す。 是を 以て 士民皆 忠孝 

節義の 何物た る を 知る。 故に武帝の晚年瀆武の譏興.c^、 國庫空 乏して 民心 漸く 離散せ 

ん とせし も、 輪臺自から罪するの詔下.o^て士民皆泣き、 因て 以て 天下 を 泰山の 安き jb! 

置け fcv。 秦皇 漢武の 互に 相 異る所 あ 6S と は 之 を 謂 ふな. os。 

五 

李 斯の秦 を 治む る や、 法治 主義に よ ftN、 首 を 愚に する の 策 を 取. CN、 書お 燒き儒 A* 



坑 こす。 暴 は 固より 暴な, -。 然れ ども 諸 生の 撗議之 を 招致せ しこと も 亦 知らざる 可 力 

らず。 天下 初めて 混 一 し、 人心の 動搖 未お 定まらず、 諳生 猥-^ に 意 を 以て 新政 を 謗, 9 

て。 黔 f 惑亂 するとき、 ? にして 鐡 血の 手腕 を振 ふ.。 量 固よ i ま。 然れど , 

も當 局の 苦心 亦 察せざる 可から す。 當時 博士の 官職と する 所の 書を燒 かず C 醫藥ト ず 

種樹の 書を燒 かず。 楚 人の ー炬、 阿房の 府庫 を 焦土と して 後、 是 等の 書 悉く 滅ぷ。 李 

斯の 暴政、 或は 統治 G 便法た る を 失 I れ ども、 その 天下の 思想界に 及ぼせせ る惡 影 

響 はま 可から ず、 先秦の 文化 $壞 せきと 其 一な り。 自由の 思想 を壓 迫せ しき 

其 二な り。 

田 吩=。 公孫 弘、 董仲 舒等 が武 帝を 助けて 霞を讓 する や、 一 經に 通ず t の は S 

て 之 I とす。 後世 科 f isf 。 班藝て • 曰く、 天下の 土 ま 然として 霞に 

向 ひし は、 蓋し 祿 利の 路然ら しむるなら と。 其の 志す 所 利祿に 在れば、 をの 讀む所 は 

たと ひ議 Kf いへ ども、 德 S め 人 を? に 於いて は、 能くす る 所 果して 幾何 ど 

秦皇 漢武の 思想界に 及ぼせる 影響 二 九 五 



支那 背學 の硏究 一 

や 遺經を 敗殘の 餘に蔸 集し、 訓詁 を 散佚す るに 垂ん とする に W へ、 天下 後^ をして 聖 

賢の 堂奥 を髮髴 する を 得しむ る は、 實に漢 儒の 力に して、 儒 學獎勵 の 効果な. cv。 然 

ども 專ら 六經を 尊崇して, 諸子 百 家 を禁絕 せし は、 其の 影響す る 所 必ずしも 佳良な. c 

とい ふ 可から ず。 その 自由の 思想 を壓 迫せ し 乙と、 爭ふ 可から ざる もの あれば な. cs。 

六 

之 を 要するに、 秦皇は法治主義にょ.c^儒敎を壓迫するに似て、 その 事 は卽ち 孔子 J/ 

1 統の 理想 を實 現し、 漢武 は德治 主義に よら 諸子 百 家 を 排斥す るに 似て、 儒 敎の眞 書い. 

は 未だ 必ずしも 殘す 所な しとい ふべ からず。 秦皇 は名實 共に 思想界の 壓制 者と な. cs、 

漢武は その 名 は儒敎 の獎勵 者に して、 實は 思想界 を應 迫せ る こと 尠からず。 



太史 公の 當代 思想家 評論に 就て 

史 己の k.,- 公 自序 中に、. 司 馬 遷は父 太 史公談 の當代 思想家に 就ての 評論 を 載せた 力 

蓋 其の 意見 は大 體 に 於て 自家の 遵奉す る 所なる ベく、 當代 思想界に 關 して 最穩 健なる 

批評と 陰 じたれば ならむ 3 然れ ども 彼の 修めた る史 記に 就て 之 を 見る に 亦 全然 司馬讓 

の 意見と 1 致す と 云 ひ 難き に 似た...。 請 ふ 試みに 先づ司 馬談の 評論の 大意 を 擧げ、 次 

に 司 馬遷の 之と 相違せ る點. ^指摘し、 少しく 愚見 を附 すべし。 

司 馬談は 陰陽、 儒、, 墨、 名 法、 道徳の 六 家 を 舉げ 此の 六 家 は 其の 立言の 旨 は 各 相違 

すれ ども 其の 歸 する 所 は 皆 一にして、 共に 天下の 治平 を務 むる ものな ft^ とし、 陰陽 家 

を 論じて 曰く、 

陰陽の 術大祥 にして 忌諱 多く、 人 をして 拘は fc- て 畏るゝ 所 多から しひ。 然れ ども 其の 

i 3 1 に大詳 に^る。 頭 野 王 曰く 祥善 也。 ン 

四時の 大順を 序す る は 失 ふ 可から ず (f ロ麵 S トダ^ と。 ォ辭 共に 通ず ) 

太史公 Q 當代 思想家 評論に 就いて 二 九 七 



il の 研究 二 九 八 

後 文 更に 其曹 評論して 陰陽 家が 四時 二十 四 節に 就て 各敎令 裏け、 之に 順 ふ 者は昌 

へ、 之に 逆 ふ 者 は 死せ されば 則 亡ふ と 云 ふ も 必ずし I ら? を 辯し、 春 生し 夏 長し 

秋 收め冬 蔵す るが 如き は 天道の 大經 四時の 大 順なる を 云へ..^。 ^^を 仏 g じて 曰く、 

儒者 は? して 羅く勞 して S 少し、 き 以て 其囊く は從ひ 難し。 然れ ども 其の 

君臣 父子の 禮を 序し、 夫婦 長幼の 別 を 列ぬ る は、 易 ふべ からず。 

儒者 は應 i て 法 とす、 而 じて 六 證傳千 f 以て 數ふ、 累世 其 f 通ず る 能よ ず 

當年其 管究 むる 能 はず、 え 其の 博悪耍 I 少 功と, 所以 f。 今や 六 J 注 

疏豈霄 千 萬の きらん や。 若し 徒に 末 f 5sf 汲 J らば、 ,謹く 功 

1 のみならず、 其 響 ふに 忍び? もの あらん、 太 史公蓄 以て 鑒,? べき f。 

墨 家 を 論じて 曰く、 

墨 者 は f して f 難し、 誉 以て 蒙, SS し。 0isa 

す 可から ず。 



霞の 說く 所』 s 葬 s は、 霞 5 の 別 墓し、 Isf i し? もの 

なる が 故に、 彼 は儉而 難遵と 云へ 力。 

法家ヒ 論じて 曰く 

法 家 は 殿に して 恩 少し、 然れ ども 其 君臣 上下の 分 を 正す は改む 可から ず 

譲 は i を 別たず、 貴 f 殊にせ ず、 一 に 法に 斷じ、 ?尊々 の i ゆ、 故に? 

少恩と 云 ふ。 名家 を 論じて 曰く、 

名家 は 人 をして 儉 にし iif 失 はしむ。 然れ ども 其の §f 正す は 察せざる 可 

からず。 

秦の 說く 所 は II 頗る 巧妙 isE て 之に 反く 能は? しめ、 專ら 名に よ 

ら て 決し 其の 實を失 はしむ る もの あら。 道家 を 論じて 曰く。 

道 家は 人の 精神 墓 一なら しめ、 動いて 無形に 合し、 萬 物お 足せし む。 其の 術た 

る や 陰陽の 大嘅に 因ら * 儒 墨の 善 を -、 名 法の 耍を 撮. -、 時と 遷移し 物に 應 じて 

太 史公 の^代 思想家 評論に 就 いて 二 丸 九 



那哲學 の 研究 、 

き c、 

變 化し、 isi$fn kf して f 易く、 事少 くし t 功 

多し。 , 

儒者 は I らく 人 主 は 天下の If 、 、王 倡へ S 和し、 主 先んじて 臣隨 ふと、 此の 

.< く なれば 鼻し 5 逸す。 I は然ら ず虛? 以て 本と なし、 ®f 以て 用と 爲 

す、 故に 精神 安定、 無爲 にして 自ら 化すべし と。 卽ち 他の 豪に 就て は 各 一 5 短 あ 

るを認 むれ ども、 獨. ol^ を 道家に 歸 した 6.。 

以上 III は 大體に 於て 頗る 肯管得 たる もの f 唯靈ニ 家に 就て ま 誓 

論の 餘地 頗る 多し。 今先づ 還遷 は 果して I 其のき 奉ずる ものな. i5;fp 

るに、 漢素燈 は 大道 I ずる 時 は卽ち 黄老|£ て 六 管 後に すと 評 ずれ ども 

uti らず、 鍵 二 家に 就て、 父 は 豪 i んずれ ども 子 は 霞 皇ん ずき と 

,奪き 見る。 iipiat g して 曰く、 

詩に えず 高山 仰 止、 景行行 止と、 至る 能 はずと 雖も 心 之に 霧す。 余孔 氏の 窨 



を讀 み、 其の 人と 爲.. > を 想 見す、 魯に 適き 仲 尼の 廟堂 車服禮 器を觀 る。 諸 生 時 を、 お 

て禮を 其の 家に 習 はす、 佘低囘之に留h^て去る^iと能はずと云。 天下 君 王 賢人 は 至 

-9 て は 衆し、 當 時は榮 ゆれ ども 沒 すれば 已ひ。 孔子 布 衣十餘 世に 傳へ學 者 之を宗 と 

す、 天子 王 よ. CS 中 國六藝 を 言 ふ もの 夫子に 折中す、 至 聖と謂 ふべ し。 

孔子 は 布 衣の み、 本紀は 帝王の 爲に設 くる もの なれば、 孔子.^ ^ 以て 本紀に 列す 可から ず 

然れ ども 列傳に 記せん は 尊崇の 情に 於て 忍びざる もの あ...。 故に 彼 は 之 を 世 家に 列せ 

しな fts 、孔子 を 世 家に 列す るると 必 しも 夫子 を 尊崇す る 道に 非ず、 至 聖の人 は 王侯の 如 

き 人爵の 上に 超越す。 然れ ども 彼の 微意の 存 する 所 は 之を諒 とせざる ベから ず。 而し 

て 彼 は 孔子 を 評して 至聖な ft^ と 謂 へ ft^。之を彼の老子を莊子申韓と併せて列傳としノ& 

して 深遠なら と 謂へ るに 比すれば、 大に徑 庭 ある を 見る ベ し。 太史公 自序に 亦 曰く 

幽厲の 後 王道 缺け 禮樂衰 ふ。 孔子 舊を 修め 廢を 起し、 詩 書 を 論じ 春秋 を 作 &^、 學者 

今に 至る まで 之に 則る" 獲麟 より 以來 四百 餘歲 にして 諸侯 相 兼ね 史 記放絕 す。 

太史 公の 赏代 思想: 冰評 に 就いて ーュ 01 



支那 哲學の 研究 コ; 〇 二 

司 馬 IT か 父談の 遺囑を 受けて 放絕 せし 史記を 修めし も實に 孔子の 卷秋を 修めし 遺 意に 

做 へ るな i 其 他 彼の 孔子 を 尊信し 儒家 を 重んぜし 微意 は 特に 儒 林の 爲に傳 を 設けし 

に 因る も 之 を 明に する を 得べ し。 

儒道 二 家に 對 する 父子の 意見が 如上の 相違 あるに 就て は 二 個の 理由に よる もの V 如 

し、 1 は 個人的 理由、 二 は 社會的 理由 是な 6>。 

1 個人的 理由 

司 馬 談は天 官を唐 都に 易 を 楊 何に、 道 論 を 黄 子に 學べ. cs。 卽ち 其の 道家に 對 する 素養 

大 ならし も、 六 藝に對 する 學殖は 比較的 犬なら ざるし が 如し。 然るに 司 馬遷は 道家に 

對 する 素養 無き に 非れ ども, 寧^c儒敎に就ての素養の洪大な.c^しに加かざ.c^き。 彼 は 

自ら 十 歳に して 旣に 古文 を 誦せら とい へら。 儒林傳 によれば 弘安 國に學 ぶと いひ、 索 

隱には 之 を 解して 伏 生に 學 びた. 5 とい ひ、 劉 氏 は 左傳、 國語系 本 等の 書な. と 云 へ. OS* 

もの 孰れ か當れ るか は 明瞭なら ざれ ど、 春秋 を董仲 舒に學 びし ると は、 彼が 云 ふが 如 



く。 其の 他 彼が 六藝に 就て 充分なる 素養 あ. y しると は 言 を 待たず。 斯の 如き 父子 學問 

の 相違が 其の 見識の 上に 大 なる 影響 あ ft^ し は 勿論な i。 

因に 言 ふ、 史 記に 散見す る 經說の 研究 は、 司 馬 遷の六 藝に對 する 素養の 如何 を 見る 

上に 缺く 可から ざると 共に、 漢 代經學 の硏究 にも 頗る 重要 なれ ども、 未だ 是れに 著 

手す るの 暇 無き を遺慽 とす。 有志の 人る の 大業に 著 手 せられん 乙と を 望む。 

1 社會的 理由 

,上述 個人的 理由の 外に 看過すべからざる は、 常時 學界 一般の 風潮な り。 西 漢の初 は 天 

卞秦の 苛政に 苦しみて 人心 簡易 を 喜び 自ら 黃老 の學に 傾注せ."。 漢高 腿 秦を破 りて 關 

中に 入. cs、 法 三 章 を 約して 深く 民心 を 得た るが 如き、 惠 帝の 君臣 無爲垂 拱の 政 を爲し 

(ig 本 ¥® 汲鵡が 黃老の 術-^ 用ね、 湾 靜無爲 にして 民心 を 得しが 如 立 £S 舰 g) 以て 當 

時の 風 尙を察 マべ し。 卽ち漢 代 最初の 學者 陸賈の 如き も 無爲を 以て 道 基と なした i、 

.漢 初の 思想界 は卽 ち道敎 全盛の 時代 にして、 同 馬談の 道家 論 は 其 時代の 代表的 

太史 公の 赏代 思想家 評論に 就て 三 〇 一一 一 



支 f 學 の&究 § 四 

議論と 稱 すべし。 武 帝の 時 董仲舒 : 大人 對策を 上 ft> て 儒 敎を推 尊し、 其 他 諸子 百 家の 學 

黜 くべき を 論じ、 公孫 弘の 如き 儒 を 以て 白衣よ. 上って 三 公と な 6-、 W 、他 ー經こ S 

ずる もの, V 官に 登庸す る 道 開けて よ 天下 翁 然として 儒 學に嚮 へ 6,。 司馬遷 の崇需 

說は卽 其 時代の 代表的 議論と 稱 すべし。 司 馬 氏 父子の 意見の 相違 は述 ぶる 如く 父子 素 

養の 如何に 關す る 個人的 理由の 外に、 断の 如 さ 社會的 Si 由に よる ものに 非る か 否 .^<t 

錄 して 博雅の 君子の 是正 を 待つ • 



陸 賈の學 

蘇 張 縱橫の 流 漢に入 6. て酈 生陸賈 あら。 酈生は 其 終 を 全 ふせず 陸生 獨. 9 其 天 年 を 全. 

ふせり。 賈か 初め 客 を 以て 高祖に 從 ふや 口 辯 を 以て 名 あ. 90 尉 佗 を 說き南 越を擧 けて 漢 

服 事せ しめ、 功 を 以て 大中大 夫に 任ぜら る。 漢高 手に 三尺 を 提げて 天 ドを統 一 し、 意. 

氣 傲然 慢罵を 好みて 儒 冠に 溺す るに 至る。 賈獨 り從容 として 時 々進んで 詩 蒈を說 く、 

高祖 篤って 曰く 乃公 馬上に 之 を 得た. 9 安ん ど 詩 書 を 事と せひ やと。 買 曰く 馬上に 之 

得 たれと も、 寧 そ 馬上 を 以て 治む ベ けんや、 場 武は迪 取して 之 を 順守す、 文武" 亚び 用. 

ふる は 長久の 術な ゥ。 昔 は 吳王夫 差 智伯武 を 極めて 亡 ひ、 秦は 刑法に 任じて 滅ふ、 さ 

きに 秦 をして 天下 を幷 せて 仁義 を 行 ひ 先聖に 法ら しめば、 陛下 安ん ど 得て 之 を 有せ ひ 

やと。 帝慙色 あら、 賈に 命じて 秦が 天下お 失 ふ 所以と 漢の 天下 を 得る 所以と 古今の 成 

敗と を 論ぜし ひ。 新語 十三 篇 はこの 命 を 奉じて 著 はせ る ものな り。 ー篇 奏する 每に帝 

陸賈 の^ - -SH 



支. 抓 哲學の 究 -^5; 

未だ 善と 稱せ ずん ば あらず、 左右 皆 萬歲を 呼べ, c^o 秦の 挾誊律 未た 除かれず、 兵馬 

偬の 際、 特に 君主 か 苟も 儒と し 云へば 慢 罵して 措か ざし 時に 當., ,、 毅然として 道を以 

て 人 主 を 解 悟せ しめたる 陸賈の 如き は * に 得難 さの 人物と 云 はさる 可から ず。 史 一せ P に 

陸 賈の言 を 叙して 逆収 順守の 說ぁ fts、 故に 先 儒 多く 之を議 せ. cs。 然れ ども 新語 を讀 む. 

に 此の 說 ある 乙と 無し、 司 馬遷か 己の 意 を 以て 文飾した るに 非る 無き を 得ん や。 

^ 書 

新語 十二 篇は實 に 其 學說を 窺 ふべき 唯 I の 材料な ft, 。 劉 向 七 錄には 新語 二 卷とぁ ftv 

漢書 藝文 志に は 二十 三篇と 見へ、 隨唐志 崇文誊 目に は 皆ニ卷 とあみ、 王 應麟の 玉 海に. 

は 道 基、 術 事、 輔政、 無爲、 資執、 至德、 懷 慮の 七篇 のみ を 擧 げた. 5、 然れ ども 漢魏 

叢書 本に は 以上の 外辨 惑、 愼微、 本 行、 明誡、 思務の 五篇を 加へ て 十二 篇ぁ气 錢福. 

の 序に 篇次 今に 至る まで 訛妄 なき こと 此の 如き は鮮 しと 云へ. 5。 漢書 藝文 志の 傳ふ る 

所獨. 9 異說 あれと も、 今現存<;漢魏叢畜本にょ.c^て彼の學を叙すべし。 



學 說 

根本 思想 

開卷第 1 道 基篇に 曰く 

傳に 曰く 天 萬 物 を 生じ 地 を 以て 之 を 養 ひ、 聖人 之 を 成し、 功德參 合して 道 術 生ず? 

れ實に 彼の 根本 思想な.^。 宇宙 間 一切の 現象、 日月の 代 明、 星 展の列 序、 四時の 序、 

陰陽の 調和 は 勿論、 山川 草木 魚介 禽獸の 如き、 一 として 天地 相承け 相 感じて 成らざる 

もの 無し。 天地 陰陽の 二 氣は卽 ち 宇宙の 本體 なウ。 聖人 の 自然の 現象に 準 ひて 人生 

の 法則 を定 む、 乙れ を 道と いふ。 道 基篇に 曰く、 

先聖 乃ち 仰て 天文 を觀、 俯して 地理 を 察し、 乾坤 を圖 書し、 以て 人道 を定 ひ。 民始 

めて 開悟し、 父子の 親 君臣の 義 夫婦の道 長幼の 序 ある を 知る。 

人&の道は天地の道に則.o^て成せるものにして決して、 B 人の 杜撰に あらず、 蔽 はれ 

て躜 か. 9 し 生 民 も其敎 によ もて 始めて 開悟すべきな fc^、 7> れ實に 儒家の 思想に して、 

降賈の 學 § 七 • 



支那 哲學の 研究 一一 一 G.、 

其 云 ふ 所 】 に 何 ど 槃辭と 相似た る や。 

政治 論 

先聖の 天下 を洽 むる や、 衣食住 を 以て 急務と なし、 農 桑 を敎へ 江河 を疏 通し 舟 車の 用 

を 設け、 法制 を 定めて 是非 好惡を 明に し、 辟雍庠 序の 敎を 設けて 禮義を 明に し、 音樂 

を 興して 風 を 移し 俗 を 易 ふ。 之 を 要するに 物お 統へ變 に 通し 喈性を 治め 仁義 を顯 はす 

以な, CN、 之れ を 親近に 行 ふて 疏 遠の 者 喜 ひ、 之を閨 門の 內に 治めて 名譽 外に 馳せ、 

行天地に合し德陰陽に配するものはt義^;れなft^。 

二) 輔政 

天下の 廣大 なる 1 人の 能く 治む へきに 非ず、 故に 湯 は 伊 尹 を擧け 周は呂 望に 任して 

天下 を 平け た ftN。 天下の 治まる と亂 ると は 輔政其 人 を 得る と 否と にあ. c,o 仁義 を 以て 

心 胸と なし 賢 能 を 以て 股肱と せ は 未た 治まら さる 者 あらさるな 6^。 故に 輔政篇 に 曰く、 

夫れ 高に 居る 者 は 自ら 處る 乙と 安から さる 可から す、 危を 履む 者 は s.,: 任す る 乙と 



固から さるく からす、 自ら 處る 乙と 安から され は墜 ち、 杖に 任す る と 固 力ら され 

ば 仆る是 を 以て 聖人 高に 居ゥ 上に 處 るに は、 仁義 を 以て 巢と爲 し、 危に乘 り 傾 を 履. 

むに は 聖賢 を 以て 杖と 爲す。 …… 堯は 仁義 を 以て 巢と爲 し、 舜は禹 稷契を 以て 杖と 

なす、 故に 高く して 益 固く、 動て 益 固し。 德 天地に 配し 四 表に 光 被し 功 無窮へ 

に 垂れて 名 不朽に 傳ふ。 盖 自ら 處 るに 其 巢を得 杖に 任す るに 其 材を得 たれ はな も • 

秦は 刑罰 を以 V,- 巢 となす、 故 は 覆巢破 卵の 患 あ,^、 趙高 李斯を 以て 杖と 爲す、 故に 

傾仆跌 蕩の禍 あり, 何 そや 任す る 所 非 なれ はな-.^。 

輔 政の 賢愚 lij 邪を辨 する の 道 は 如何。 讒夫は 賢に 似て 美 言 は 信に 似た,"。 之 を 聽く者 

は 惑 ひ 之 を 觀る者 は 冥し、 賢 知の 君に 非れ は 實に之 を辨じ 難し。 辨惑篇 に 曰く、 

失れ 衆 口の 毀 譽は石 浮 ひて 木 沈む とい ひ、 群 邪の 抑 ふる 所 は 直 を 以て 曲と 爲す。 之 

を視て 察せす。 白 を 以て 黑と爲 す。 夫れ 曲直の 形 を 異にし、 白 黑の色 を 異にする は 

天下の 見^き 所な. C/ 然るに 自ら 謬.^ て 其 是非 を 分明す るると 能 はさる は 衆 邪 之お A 

陸 賈の學 三 え 



支那 哲學の 研究 、 三 一 Q 

誤れ はな ft- 

衆 邪の 人 主お 誤る こと 實に斯 の 如く 甚 しき 者 あ ,0。 故に 二世 は 鹿 を 見て 馬と し 曾 母よ. 

を 投じ 垣を踰 えて 走れみ、 意に 阿ら 旨に 從ふ 者は姦 邪の 言な,^、 耳に 逆 ひ 意に 合 は 

さる は 忠良の 言な ,0。 人 主せ 美に 惑 ふて 苦言の 良藥 なる を覺ら す、 人君 賢 良,^ 得て 輔 

政と 爲 すべさ を 知ら さるに 非す。 しかも 其 賢 良と し 其方 正と せる 所、 多く は姦 邪なら、 

ざる は 無し、 これ皆此惑の爲な.:^。 姦傻 朝に 存 すれ は 忠賢皆 野に 隱れ、 天下 傾覆せ さ 

らんと 欲する も 得べ からず。 故に 正邪 を辨 する の 道 は 先 CN るの 惑 を 打破す るに 在 6。 

(二) 法制 

已に 仁義 を巢 とし 賢 良 を 杖と せば 天下の 治平 期して 待 ウベし。 而 して 如何なる 法制 を 

か 施くべき。 術 事篇に 曰く、 

萬 世 不易 法、 古今 同紀綱 

天下お 治む る 所以の 法制 紀綱は 萬 世 不易なる もの あ > て存 す。 文 王 は 東夷に 生 乂大禹 



は 西 *K に 出つ、 世 殊にして 地 も亦遙 に隔れ 6>、 され ども 法制の 大 主意に 至りて は即】 

な .CSC 其 細目の 如き は 時に よ 處にょ 6N て異ら さるべからず、 之を譬 ふれ は 良馬 は 猫 

.9 錤驥 のみに 非ず、 利劎は 惟に 干將 のみに 非ず、 美女は獨.=^西施のみに非ず、 忠臣 は 

獨ら呂 望の みに 非ず、 書 は 必らず レも仲 尼の 門に 起ら す、 藥 は必ら ずし も 扁鵲の 方 

に 出て さるが 如し。 唯 天則に 合 ふ もの は 以て 法と 爲 すべく 時勢に ようて 權 行すべきな 

-e>。 思 # ^篇に 曰く 

天地に 法. 5 て 其 事 を 制し、 世の 便に 因 ft- て 其 義を設 く、 

と 則ち 彼 は 萬 世 不易の 大綱 領を認 むる と共に、 時勢に よ 6^ て變通 ある 可き を 認めた る 

な. 50 唐宋 以後に 在. 5 て尙 井田の 法を說 くが 如き は 恐らく 彼の I 笑に 價 せざる べし。 

(三) 理想的 治世、 

彼の 理想的 至 治の 世 は 果してい かなるべき か、 則ち 無爲 にして 化する にあき。 無爲 

篱に 曰く、 

陸賈 3 學 ー1ニ 1 



支那 哲學の 究 三 一一 I 

夫れ 道 は無爲 よう 大 なる は 無く、 行は謹敬ょ.c^大なるは無し。 何 を 以て か 之 を 一 W 

ぶ、 昔虞舜 天下 を 治む るに 五 殺の 琴 を彈じ 南風の 詩 を 歌 ひ、 寂然と して 國を 治む る 

の 意 無き か 若く、 漠 として 民 を 憂 ふるの 心無き か 若し、 然して 天下 治まる。 

又 至 德篛に 曰 t、 

君子の 治 を爲す や、 塊 然として 事 無き が 如く、 寂然と して 聲 なきが 如く、 官府 吏 無 

きが 如く、 亭落民 無き が 如く、 閭里 巷に 訟 へず、 老幼 庭に 愁 へず、 近き 者は議 する 

所 無く、 遠き 者 は 聽く所 無く、 郵驛 夜行の 吏 無く、 鄕閭夜 名の 征 無く、 犬 夜 吹へ 

ず、 鳥 夜 鳴かず、 老者は 堂に 息 ひ、 丁壯者 田に 耕耘 し、 朝に 在る もの 君に 忠に、 家 

は 在る 者 親に 孝な. cs、 是に 於て 善 を 賞し 惡を罸 して 之 を 潤色し、 辟 雍庠序 を 起して 

之 を敎誕 し、 然して 後 賢愚 議を 異にし、 簾 鄙 科お 異にし、 長幼 節 を 異にし、 上下 差 

f, 强 弱相扶 け、 小 大相懷 さ、 尊卑 相承け、 鳴 行相隨 ふ、 言 はずして 信 あ. cs、 怒 

ら ずして 威 あ. り、 甲 利 兵 深 刑 刻 法 を恃ん で、 朝夕 切, として 後! b よん や。 



と 見るべし、 陸賈は 儒家の 思想 を 本と すと 雖も尙 秦漢の 際の 一 般 思潮に 洩る V ると 能 

はず、 秦の 苛政に 困み て 簡易 直截 を 喜び、 老莊無 爲の道 を 尊崇した. 9 し 面影 か 瞭然と 

して、 るの 至 洽の世 中に 現 はる 、に 非ず や。 

結 論 

之. ^要するに 陸 賈は學 者に あらず、 故に 其學說 として は 何等の 哲學的 者 察 ある こと 

お ^ し、 儒家より 出て 縦横の 流 を 汲み 老莊 の學を 瞥見せ る 一 政論 家に 過ぎ ざれば な,"^。 

然れ ども 驕傲なる 高祖 をして 節 を 屈して 善と 稱 せしめた るが 如き、 引て は漢 1 代の 文 

蓮 開拓に 與 つて 力 あ. 9 しが 如き、 亦 豪傑の 士と いふべき な i。 



陸賈の P 



支那 哲學の 研究 -ニ g 

王 充の學 

一 蓽 蹟 

^3^漢永元年間に在.>て能く書を著はして1家言を爲せし者は。 王符、 仲 長 統及ひ 王 

充の三子な.<^、 而 して 充 最も 珍と せらる 

王 充字は 仲 任、 會稽上 虞の 人な.^。 光武 建武 三年 を 以て 生る、 (西曆 紀元 廿七 年) 小兒 

た 6 しょら 嬉戯す るに 狎侮を 好まず、 儕輩 好ん て 雀 を 探ら 蟬を捕 ふれと も、 充獨 ft, 肯 

せず。 父誦 之を奇 とす 六歲 にして 誊を習 ふに 恭順 鱧 敬 大人の 如し 八才 にして 書 館に 上 

るに、 兒童皆 或は 過失 あるか 爲に 或は 書の 醜なる か爲に 鞭打た る、 而て充獨.0^書日に 

進み 又 過失な し。 後 京都に 到. c て 業 を 太學に 受け、 扶 風の 班彪に 師事し 博覽を 好みて 

章句 を 守らず、 家 貧 ふして 書 無き を 以て 常に 洛 陽の 書肆に 至.., 其賣る 所の 書を閱 し、 . 

1 見 すれば 輙ち 記憶す 遂に 廣く衆 流 百 家の 言に 通す。 後鄕里 k 瞻り屛 居して 敎受 す。 



其論說 始は詭 異なる が 如くに して 終に 理實ぁ ft. 。 以爲 らく 俗儒 文 を 守. 9 て 多く 其眞を 

失 ふと。 乃ち 門 を 閉ち思 を 潜め 慶弔の 禮を絕 ち、 6- 牖墻 壁に 各 刀 筆.^ 置き 得る 所 あれ 

ば 乃ち 之 を 記し、 論衡 八十 五篇 二十 餘萬言 を 著 はし、 物 類の 同異 を 釋し時 俗の 嫌疑 を 

• 正す。 刺 史董勤 辟して 從 事と 爲し治 中に 轉す。 章 和 ニ年辭 して 家に 歸る。 友人 同 郡の 

謝 夷吾 上書して 充を 薦めて 曰く、 充の 天才 は 學の加 ふる 所 非す、 前世の 孟軻孫 卿 近 

食の 楊 雄 劉 向 司 馬 遷と雖 も 過ぐ る 7- と 能 はさるなら と。 肅宗 特に 詔して 公 車 を 以て 徵 

せし も 病て 行かず。 年 七十 髮 白く 齒 落ち 志 カ衰耗 する に 及んで 養 性 書 十六 篇を作 6.、 

嗜欲を 節し 神 を 養 ふて 自ら 守る。 永 元 中 病で 家に 卒す。 

著書、 

論衡 八十 五篇 

今 招致 一 篇を闕 き、 存 する もの 八十 四篇 な.^。 對作篇 に 聖賢の 書 皆 止 を 得すして 作 

れるを 述べ 且論衡 の 作る 所以 を 記して 

王 充の學 



支那 哲學 の硏究 一 一二 六 

論衡 者、 所 T 以 鈴- -輕重 之 言: 立 申 眞僞之 本 1 也、 非, % 調 文飾 辭、 爲, 1 奇 偉之 觀, 也 

といへ ftN。 盖し衡 は 平な ftv、 輕重を 正す 所以なら。 王 充此書 を 以て 衆論の 是非 曲直 

騒然と して 分つな き 者 を 平にす る 乙と、 衡を提 て餾銖 を權 6N て 失 はざる か 如くなら 

しめんと 欲す。 其 抱負の 大 なること 見るべし。 蔡皇吳 に 入て 始て此 書 を 得て 秘玩し 

て談 助と なす。 時人 邕の異 書 を 得た るかと 疑 ひ、 或 人 其 帳 中を搜 求して 論衡を 得、 

數卷を 持ち去る。 邕 之に 丁寧して 曰く 唯 我と 爾と之 を 共に せむ、 廣む るると 勿れ 

と。 其 後 王朗會 稽の大 守と 爲. CN、 又 之 を 得た. ON、 許 下に 還る に 及んで、 時人 其才の 

進める を稱 す。 或 曰く 異人 を 見し に 非 すん は 當に異 書 を 得しなる べしと。 是に 由て 

世に 傳ふ。 今 之を讀 むに 實に充 の 博 覽多識 なる を 察する に餘ぁ fts。 充 の學說 は專ら 

此 書に 由て 見るべし。 

養 性 書 十六 篇 

論衡自 紀篇に 記す る 所に よれば、 充 七十 才は 及んで 氣 カ衰耗 して、 專ら性 命 を 愛 養 



せんと 欲し 其 法 を錄し 此窨を 作れる が 如し。 自紀篇 に 曰く。 

養, 氣 守、 適 食 則 酒、 閉, 明 塞, 聰、 愛 自保、 適 輔,, 服藥 引導 T 庶冀性 命 可 

斯 須不, 老、 旣晚無 JT ASK 書 示, 後、 

とぃへft^。 彼は晚年に至^^て當時 一 般の風潮に免れず、 服藥 神仙お 求めん とせし 道 

家 者 流に 傾きた るに は 非る が、 隋書 經籍志 以下 皆 之を载 せず、 佚す るで と旣に し 

く、 今 其詳を 知る に 由な し。 

譏 俗 節義 十二 篇 . 

政務 之 書、 

後 漢書 本 傳に錄 せず、 自紀篇 に 曰く 

俗 性 貪, 進忽, 返、 收, 成棄, 敗、 充升擢 在,. a 之 時、 衆人 蟻附、 廢退窮 居、 舊故叛 去、 

志-俗人 之 寡 恩 r 故 閑居 作- 1 譏 俗 節義 十二 篇 r 冀 俗人 觀, 窨而 自覺、 故 直 露-其 文. r 

集以- 俗言つ 

芏 充の學 11 二 七, 



+乂那 哲學の 研究 nil 八 

とい ひ 又、 

充旣疾 -1 俗情 r 作,, 譏 俗之誊 r 又 ,閡, 人君 之 政、 徒 欲, 治乂、 不, 得 ,,.其宜7 不 X 曉.. 

其務 r 愁情苦 思、 不., 睹, 所, 趨、 故 作-政務 之窨 r 又 傷:,, 僞書 俗文、 多 不,, 實誠 r 故 

爲, -論衡 之 書- 

と いへ も。 是 等の 書 今皆傳 はらず。 其詳を 知る に 由な し。 

ニ學說 

1 、 本體論 

王充は 1 元氣を 以て 宇宙の 本體 となせ ftN。 萬 物 之 生、 皆稟, 一元 氣, (言 毒篇) と、 るれ 

其 根本 思想な. 0,。 この 一 元素 はいかに して 天地 萬 物 を 後生す るに 至 ft> しが、 論 死篇は 

陰陽の 氣 凝って 人と 爲 ると いひ 又 齊世篇 に 

OCOO 0000 3 

一天】 地、 並 生-, 萬 物、 萬 物 之 生、 俱 得,, I 氣 r 

とい ひ、 自然 篇に又 之 を 詳說 して、 . . 



夫 天 覆, 於 i 上、 地 偃, 於, 下、 下氣蒸 上、 上氣 降下、 萬 物 自生-其 中間- 矣、 

とい へ. CSC 卽ち ニ兀氣が分れて陰陽のニとな.o^、 換言すれば天地のニとな.=^、 ニ氣合 

ふて 萬 物 を 生ずと なせ. 9。 而 して 訂鬼篇 に 曰く、 

夫人 所, -以 生-者 陰陽 氣也、 陰氣 生爲- 骨肉: 陽氣生 爲-- 精神 r 

陰陽 二 氣を說 く點は 易に 本 づき、 ニ氣を 骨肉と 精神と に分說 せし は 蓋 古來の 魂魄の 思 

想に よる。 然れ ども 彼 はこの 一 元氣が 如何にして 天地 陰陽の ニ氣に 分る、 こと を 得し 

か、 二 氣の關 係 如何 等の 疑問に 就て は、 何等の 詳細なる 說 明.^ 與 ぇざゥ き。 

人と い ひ 物と いふ も 其の 】 元 氣を禀 くるに 於て は卽 一 な. 5。 故に 曰く 人物 也 (11) 

と、 而 して 其區別 ある 所以の 者 は 何 どや。 辯巢篇 に 曰く、 

夫傑蟲 三百 六十、 人 爲-- 之 長? 人物 也、 萬 物 之 中、 有- 1 知 慧-者 也、 

と 知的 作用の 有無 を 以て 人と 物との 區別を 認めた. 9。 然らば何故に^-の人物の別を生 

じ、 且は 人に 賢愚の 差 を 生す るに 至 もし か、 卽ち 多少、 厚薄、 和 偏によ るの み。 齊世 

王 充の學 一一 二 九 



支那 哲學の 研究 =r5 

篇に、 

、 、 、 、 

夫 ァ おき ネ &i3 生 II 聖人 I 

とい ひ、 自然 篇に、 

至 德純渥 之 人、 禀, -天氣 多 故 能 則,, 天 自然 無爲ハ$^レ^齚|ノ、 不, 遵- 道德; 不レ 似-; 大 

地" 故 日-一 不肖 一 不肖 者不似 也、::、 天、 地、 爲^マ i3r^i、 二、 ff 

といへ ft>。 而して何故に禀氣の差等を生ずるに至6Sしかに至,C^ては、 遂に 何等の 說叨 

を も爲 さず。 

二、 性 論、 

性 論 は孟苟 以後の 大 問題な り、 世硕 Is 子 賤漆雕 開 公孫 尼 子の 徒 は 皆 性に 善 あら 惡ぁ 

6 と說 き、 吿子は 性に 善惡の 分な さ 乙と 譬 へば 水の 東西 を 分つ 無 さが 如しと 說さ、 劉 

子 政 陸賈の 如き も 亦 之に 論及し、 董仲舒 は 陰陽 を 以て 說き揚 雄 は 性善惡 混と 論ぜら。 

然れ ども 未だ 歸! する 所 を 見ず。 王 充卽ち 率 性 本性の 二 篇を著 はして 詳に之 を辨ぜ A- 



其 論に 曰く、 、 

だ、 は、 共、 に ノ _兀 、氣ビ 『票 ひ、 ぎ^,: oy 厚^、 少、 多、 の、 別、 あら、 、故、 に ii 、に 善惡 賢愚の 差 あ. -、 

猶 九州 田 土の 性善惡 均から ずして 黄 赤 黑の別 上中下の 差 あるが 如きな, 9。 性の 善惡は 

關 せず、 十五 才 以下の 兒 童は譬 へば 練絲の 藍に 染 むれば 青く、 丹に 染 むれば 赤くなる 

が 如し、 性善變 じて 惡と なるべく、 性惡變 じて 善と なるべし。 唯 漸染の 如何に あるの 

み。 堯舜の 民 は比屋 封ず ベく、 榮紂の 民 は 比屋誅 すべく 民 を 改めず して 然 ft ^、卽 其 化 

に£.c^て性に在らvoるを知るべし。 肥沃磽确は土地の本性な^^、 深耕 細 鋤 厚く 糞壤ヒ 

加 ふれば、 磽确の 者 も 亦 嫁樹豊 茂なら。 土地 高し と 雖も銻 を 以て 削らば 低から しむべ 

く、 山中の 鐡も 鍛練せば 利^と ならむ。 况んゃ 人 は 五常の 性 を 含めら、 賢聖 未だ 之 を、 

鍛鍊 せざる のみ、 性の 不善 を 患 ふるに 足らざる な. 9 と。 (I 麵) 

王充は 本性 篇に 於て は 古 來の性 說を歷 史的に 叙述し、 其說ぉ 批判し 以て 自家の 說を 

確め たら。 其 研究の 方法 極めて 見る 可き 者 あ ft^。 然れ ども 其 本性 論が 猶 不完全に して 

王 1^ ぶ學 H 二 = 



支那 哲 摩の 研究 コ三ニ 

矛盾 多き に 至. 9 ては爭 ふべ からざる 者 あ. 9。 今數 步を讓 6 て 性に 善 あ. 9 と假定 せんに 

性惡 なる 者い かて か 五常の 性 を 含む (率 性) 換言すれば 五常の 性と な 6 得 可き 萌芽 を .1^ 

する こと を 得ん や。 彼が 敎 育の 絕對的 價値を 認めた るは卽 よし、 然れ ども 全然 性惡の 

者とせばぃかにして化して善とな..^得べきか、 我 之 を 想像す る こと 能 は ざ るな. 5。 乙 

るに 注意すべき は稟氣 有, 一 厚薄: 故 性 有, 一善 惡 一也 (率 性) とい ひ、 又 人 之 善惡、 共-二 

元氣: 氣有 一一 多少 T 故 性 有-賢愚 一 (率 性) と 論じた る ことな ftN。 これ 本よ.. - 彼の 本體 論よ 

ら 當 然演釋 せらるべき ことなれ ども、 宋 儒の 氣禀說 は 早く 已に 王充の 道破せ し 所なる 

を 記すべきな. ov。 

1 二、 ft 理說、 

蓬 麻の 中に 生ずれば 扶 けずして 自ら 直く、 白 紗緇に 入れば 染め ずして 自ら 黑 しと 

は、 習 ふ 所の 善惡質 性を變 易す る を 云 ふな. 9 (II) 學は卽 ち 性 を 治め 德を 成す 所以な 

i 譬 へば 穀の 始めて 熟する を 粟と いひ、 之を舂き其粃糠を去..^、 之を爨 けば 卽ち飯 



甘味 喰ぶべし 《^ 粟 未だ 米と ならず 米 未だ 飯と なら ざれば、 食 は ミ卽ち 人 を 慯> 

らひ、 人の 學ばざる は 未 |穀の飯と 爲ら ざるが 如し。 ® 人性 もと 蕭ぁ ぶらず 陶 

治 修養 を 待たざる 可から ず。 故に 自然 篇^ 曰く 

人道 有,, 敎 訓之義 T 

ba 然れ ども 天地 氣を合 はせ て 人 自ら 生ず、 猶失 婦氣を 合せて 子 自ら 生ずる 如し (物 勢) 

天地 臺 的に 人 を 生ずる に 非ず と雖 も、 人が 已に 天地の 氣 i けて I せる 以上 は、 

當然 天地の 無爲 自然なる に 做 はざる 可から ず、 禀 氣薄少 にして 道 德に遵 はず 天地に 肖 

さるもの は卽ち 有爲 にして 失敗 を 招く を 免れず、 かの 苗の 長 S るを閱 へ て 之 I 長 

せしめた る宋 人の 如き 卽 るれ な. -。 若し 夫れ 黄 帝 老子の 如きに 至 6^ て は 賢の 純なる 者 

な. 6-0 (自 \ 

黄老之 操、 身中 活澹、 其 治 無爲、 正 k 身共 k 己、 而 陰陽 自和、 無つ 於爲ハ 而物自 

化、 無, 意 於 生- 而物自 成。 (1) 



支那 哲學の 研究 H-i 

易 曰、 大人 與- 一天 地, 合-其 德, と。 無爲 自然にして 天地と 其德を 合する に 至って 其德 1^ 

まる。 

王 充は是 に 至 つ て 自然主義 を說さ 無爲を 主張せ.^、 卽ち漢 代 一 般の 風潮と 同じく 道 

家の 思想 を 重んじ 老子 を 尊崇す るると 至れ. e>。 自然 篇に 

以- 孔子, 爲, 君、 顏淵爲 k、 尙不, 能,, 譴吿: 況 以,, 老子, 爲^、 文子爲 k 乎、 ^ 

文 子、 似,, 天地, 者 也、 

とい へ るが 如き、 卽ち老子を以て孔子ょ,c^も I 頭地を拔きた.c^とせしを見るべ し。 

四、 宿命 說、 

王 充の學 說中最 著しき 者 は 極端なる 宿命 說 な.^。 彼 は以爲 らく 人生の 幸 不幸 遇不遇 

は 勿論、 死生 壽夭 貴賤 尊卑、 1 として 宿命に あらざる は 無しと。 開卷第 1 逢 遇 篇に先 

づ 喝破して 曰く。 

操行 有-常 賢 r 仕官 無-, 常 遇 『賢不 賢才 也、 遇不遇 時 也、 



因て 古今 幾多の 聖賢の 遭遇 を 擧げ、 終に 】 場の 說話を 引て 曰く、 

昔 周 人、 有 T 仕數 不遇、 年老 白 首、 泣- 涕於 塗, 者ハ 人 或 問, 之、 何爲泣 乎、 對曰、 吾 

仕數 不遇、 自 傷,, 年老 失,, 時、 是以泣 也、 人 曰、 仕 奈何 不-- 一 遇-也、 對 曰-、 吾 年少 之 

時、 學 felk 文、 文德 成就、 始 欲-仕 宦 r 人君 好 用, 老、 用, 老主 亡、 後 主 又 用 JK、 吾 

更爲 J^、 武節始 就、 武主又 亡、 少主始 立、 好 用- - 少年 r 吾 年 又老、 是以 未- -甞 一遇- 

也、 , 

人生の 遇不遇 は 全然 宿命に して 人力の 之 を 如何と もすべからざる を 述べて 遺慽 なしと 

いふべ し。 人嶁 蟻の 群 上 を 行く に、 或は 足下に 死す る 者 あ h>、 或ば 全活 傷らざる 者 あ 

i 人生の 幸 不幸 も 亦 之に 異ら ざるな. 90( 幸 偶) 況んゃ 人の 世に 處す るに 當 つて 鄉里 

は在らては三累ぁ6^、 朝廷に 在. 9 て は 三 害 あ fcN、 古今 才德の 人 多く 之に 遇 ふ。 三累と U 

は 何 どや。 命 

~ 】 曰、 凡人 操行 不, 能,, 愼擇, 友、 友 同心 恩 篤。 異心. 疎 薄、 疎 薄 怨恨、 毀-傷 其 行つ 

王 充の學 -三五 



支 郡 哲學の 研究 一一 一 二 六 

• 二 曰、 人才 高下、 不, 能,, 釣 同 T 同時 並進、 高 者 得, 榮、 下 者 慚恚、 毀,, 傷 其 行- 

三 曰、 人 之 交游、 不, 能-, 常歡: 歡則相 親、 忿則 疎遠、 凍 遠 怨恨、 毀-, 傷 其 行; (翠ハ 寄 

篇) 

III 害と は 何 どや 

J 曰、 位少人 衆、 仕者爭 進、 進 者爭, 位、 見, 將相 毀、 增加傅 致、 將 昧不, 明、 然,, 納- 

其 言 I 

二 曰、 將 吏異, 好、 淸 獨異, 操、 *淸 吏 增,, 郁,^ 之白ハ 擧,, 涓々 之言ハ 獨吏 懷,, 恚恨ハ 徐 

求-其 過? 因,, 繊微之 謗 r 被 以= 罪 罰つ 

三 曰、 將或 幸-佐 吏 之 身: 納,, 信 其 言: 佐 吏 非-清 節; 必拔, 人 越, 次、 失 其 意: 毁. 

, 之 過, 度、 淸正之 仕、 抗 U 仃伸, 志、 遂爲 憎、 毀-, 傷 於 將ス累 害 篇)、 

其 未, た 進まざる ゃ三累 あ. 已に進 用 せらる、 や 三害 を 蒙む る、 難ぃかな免れん^^ 

而 して 王 充は 凡て 是等を 以て 命と なせ 6/ 



命 祿篇に 曰く、, 、 

凡: < ぎ,^ ず」,, k 死生 壽夭 之命ハ 亦 有-貴賤 貧富 之 命" 

凡そ 首 目 あるの 類 含 血の 屬命 あらざる は莫 し、 命 貧賤に 當れば 之 を 富貴に すと も猶禍 

1? に 遇 ひ 命 富貴に 當れば 之 を 貧賤に すと も猶禍 患に 逢 ふ。 才 高く 行 厚く とも 必ら ずし 

も 富貴なら ず、 智 寡く 德 薄く とも 必ら ずし も 貧賤なら ず、 其 富貴なる に當 つて は祌助 

あるが 如く、 其 貧賤なる に當 CN て は鬼禍 あるが 如し。 これ 皆 命な .9。 人力の 如何と も 

すべから ざ る 所。 故に 命 富貴 なれば 求めず して 自ら 到. 5、 命 貧賤 なれば 除かん とする 

も 不可な り。 (I) 彼 は 更に 一 步を 進めて 人生の 貴賤 貧富 は 凡て 天上界の 星 位に 關係 する 

奢と なせ. cs。 命 義篇に 曰く、 

天 有-百官 r 有-衆 星つ 天 施, 氣而衆 星 布, 精、 天 所, 施氣、 衆 星 之氣、 在-其 中- 矣 

人禀 仁 现而 生、 含, 氣而 長、 得 k 貝 則 貴、 得, 賤 則賤、 * 或秩 有-高下 r 富或貲 有-多少 〔 

、、、、、、毛、、 、、 

星 位 尊卑 小大之 授 .^、 ,. 

王 充の學 一一 一二 七 



支那 哲學の 研究 一一 三 八 

前に も 云 へ る 如く 死生 壽夭も 亦 命に 外なら ず。 (II 壽 I) 然れ ども 之 を詳說 すれば 分つ 

て 二 品と なすべし。 何 どや 

1 曰 所 當觸値 之 命、 

. 二 曰 彊弱壽 夭 之 命、 

所常觸 値と は 兵 燒壓溺 を 云; 5、 彊弱壽 夭と は 稟氣の 厚薄 を 云 ふ。 前者 は 偶發的 なれば. 

其 期. お 云 ひ 難し、 後者 は卽ち 百歲を 以て 期と なすべし、 夭死す る 者 は 皆 禀氣の 薄き が 

爲 のみ @ . . 

-而 して 此 等の 命 は必ら ずし も 知り 難き を 患へ ず、 彼の 考 によれば、 命の 吉凶 は內外 

二 面よ 6 察知す る と を 得べ し、 外 は吉驗 とな,^ て 地に 表 はれ、 內は 骨相に よ 力て 其 

表 候, V 知るべし。 吉驗篇 に 曰く 

凡人 稟, -貴命 於 天 f 必有, - 吉驗- 見,, 於 地 『 見-於 地ハ 故 有, - 天命-也、 驗 見非レ 一 、 或以: 

- 人物 r 或以- 黼祥 r 或 以,, 先氣ハ 



古來 幾多の 例 を歷擧 して 吉驗 なる 者 を證せ 6N。 又 骨相 篇に 曰く、 

人 曰 命 難, 知、 命甚 易, 知、 知, 之 何 用、 用, - 之骨體 r 人命 禀,, 於 天; 則 有, 表,, 候於體 7 

察,, 表 候, 以知, 命、 猶^察-斗斛,以知.^容矣、 表 候 者 骨法 之 謂 也、 

Alv にも 亦 古 來の例 を 引て 壽夭 貧富 悉く 骨法に よ ftN て 知るべき を證 せ- 5。 

. 彼 は-ぬに 擬 家の 無 命說と 儒家の 有 命 說とを 擧げて 之 を 辯 じ、 又 三 命說を 辯駁せ ftN。 

こと 命義 篇に詳 な. cs、 今 其耍を 摘まむ。 

無 命 論者の 論據 とする 所に 曰く。 昔歷 陽の 都 は 一 宿に して 沈んで 湖と な ft^ 、奏將 白 起 

は 趙の降 卒を長 平に 坑し 四十 萬 衆 sic 同時に 死せ. 9。 かくても 猶命 ありと いふ 乙 と を 得 

べき か。 有 命 論者 は 曰く、 これ 卽ち有 命なる 所以な .<=>、 命 溺死すべし 故に 藤 陽に 相 集 

まれり、 命 腱 死すべし 故に 同じく 長 1^ に 降れ ftN と 

王 充之を 論じて 曰く、 歷 陽の 都 男女 共に 沒し長 平の 坑 老少 並び 埋ひ、 萬數の 中必& 

ザ 長命に して 未だ 死す ベから ざ .5 し 者 あ ft> しなら む、 時の 衰微に 遭; 5 兵 革 並び 起 も 其 

王 充の學 一一 1 二 九 



支^ 哲學の 研究 k 一一 一つ 

,« を 全 ふす る 乙と を 得ず、 一 國 悉く 饑 ゆれば 其間必 らず祿 盛に して 未だ 衰ふ 可から ざ 

る 者 あらむ、 乙れ 國の 災禍に か、 れ ばなら 故に 國命は 人命に 勝 .0、 靡 命 ま K 命 こ 勝 

ると。 

次に 三 命と は 何 どや、 

一、 正 命 

二、 隨命 

三、 S) 命 

li? 命と は 本禀の 自得す る 者、 卽ち 本來吉 にして 求めず して 福 自ら 至る を 云 ひ、 隨 命と 

は 勤勉 努力 すれば 福 至り 情欲 を 縦に すれば 凶禍 至る を 云 ひ、 遭 命と は 行 善に して 意外. 

にも 凶 禍に逢 ふ を 云 ふと。 これ所謂三命說な,c^。 王充又 之を辨 じて 曰く、 凡そ 人の 命 

を受 くる は 巳に 父母 氣を 施す の 時に 在,., て 吉凶 定まれ, 9、 夫れ 性と 命と は異れ ft, 、 操 

^の 善惡は 性な. cs、 禍福 吉凶 は 命な. 或は 善 を 行 ふて 禍ケ; 得る はこれ 性卷 にして & 



凶 なれば な-.。 或は 惡を行 ふて 福 を 得る はこれ 性惡 にして 命吉 なれば な."。 命吉 なわ 

ば 善.^ ラュ ずと 雖も 未だ 必ら ずし も 福 無くん ば あらず、 • ^凶 なれば 行ケ勉 むと も 未だ 

必ら ずし も禍 なくん ば あらず。 盜跖 莊蹯の 凶暴に して 壽を 以て 終 6 たる.^ 見ば、 隨命 

の 說其驗 無き を 知るべし。 顏淵伯 牛の 賢に して 或は 夭死し 或は 惡疾 にか、 れ. 9、 隨命 

の ー隔を 得べ くして 反って 遭 命の 禍 ある は 何 どや。 隨 命と 遭 命と は 畢竟 兩立 すべから ざ 

るな .0 と スち 

王充 深く 衔命說 を 信じた.? * 故に 坦蕩惜 淡怨尤 する 所な く、 不- 貪い 進以 自明 ハ 不 

惡 k 以怨 r<、 同,, 安危, 而齊- 死生 r 鈎-吉凶- 而 r 敗 成- (e の 境界に 到達せ. 5。 但し 

皮の 命 噹ょ人 をして 命の 吉, V 負んで 忌憚す る 所な く、 命の 凶に 屈して 努力の 精神な か 

らしめ、 恐るべき 惡 結果 を 生ずる に 至るべし。 論の 當否は 云 はずと も 明に して、 宗敎 

的 倫理的の 孰れ よら 見る も 皆 取る 可から ざるな 6,。 

五 迷信. V 駁す、 

王 充の學 i 一 



i 裏の 研究 i 二 

論 衡の書 は 其 名の 示す が 如く、 衆論の 是非 曲直 紛然なる を 辯 正す る 所以な 6,, 而し 

て 露の 糧に 就て は 特に 糧 なく 之 I じ、 警痛 t 極む。 九考 三增, 露、 

訂鬼 以下の 諸篇、 皆 世俗の 久しく 惑 ふて 覺る能 はざる 所 を 明に せ ft. 。 今 其 重なる 者 を 

擧げて 其 一 斑 を 示さむ。 

甲、 天人の 關係、 

天 は 下 萬 民に 照臨す * 故に善を行ふ者には福至.c^、 惡を爲 す 者に は禍來 る。 禍福 D 

應 sfKf (厘)。 若 夫れ 人君 は 天の, 特德 して 億兆の 君師 まらし る 者 なれば、 

天 常に 監視し、 靈起 SS 麒麟の 瑞祥 あ, i 風 十雨 其 時 を 失 はず?? 褒す 

(是應 ) タ" t とも 人君 政を爲 すに 道 を 失すれば、 天災 異を 降して 之 を 譴告す (|^)。 其^ 

吿 必ずしも 同 一 轍に 出ず 雷 は 天の 怒な 6,、 寒溫は其喜怒な,^||)。 其 他 古來の 變怪妖 

異 一 . ^は 列 擧 すべ からず、 而 して 改め ざれば 災其 身に 及ぶ、 異を 先にして 災を 後に する 

は 先づ敎 へ て 後 之を誅 する の義な fts (譴吿 )o 故に 飜然 改悛 德を修 むれば 災異も 亦と 



む、 人君 は 政 を 以て 天 を 動かす 己と を 得るな .0(11)。 と、 M れ 所謂 儒家の 套 語な i。 

王 充は之 を辯駁 して 曰く、 凡そ 人の 窮達 禍福の 至る は、 之を大 はして 則ち 命な- 0、 之 

を 小に して は 則ち 時な 6(1)。 古來 禍福 應 報の 傳說を なす 者 は 皆虛な とて、 】 々其 例 

を 擧げて 之 を 辯證 せり S 王の 德に 非れ は 鳳凰 麒麟;^ 致す ると 能 はずと、 此言妄 な 6/- 

文 王 孔子 は 仁聖の 人な 6>、 世 を 憂 ひ 民を憫 みて 利害 を 顧みず、 故に 拘 厄の 禍に遭 ふ。 

而 して 鳳麟は 獨ら 能く 自ら 其 身 を 全 ふす、 其 深謀遠慮 聖人よ 6N 賢れ. ON と爲 すべき か、 

春秋に 曰く 西 狩 獲麟と 衰魯に 出で、 身 を 殺す は 何 どや。 且つ 鳥 獸の知 は 人と 通 ぜず何 

を以 て 國の有 道と 無道と を 知らん や。 廣大 なる 天い かん ぞ言語 通 ぜず情 指 達せざる の 

細 物 を 使 ふべ き、 物 も 亦 天の 使と なる を 得ざる な ft< 指 瑞)。 譴吿の 如き 最笑ふ へ き說な 

.9。 天道 は無爲 自然な. 9。 もし 人 を 譴吿 すと せば これ 有爲 にして 無爲に 非ず とい ふべ 

し。 天の 災異 ある 譬 へば 人の 病 あるが 如し、 血 豚 不順 なれば 疾病 生じ、 風氣 知せ ざれ 

ば災 あ, -。 災異 あれば 天 阈政を 譴吿 すと せば。 疾病 あらば 天復人 を譴吿 すべ さか 

王充 S IMS 



ilKW 暂 学の 研究 三 三 四 

(譴吿 )。 天 は 至 高大な.. y 人 は 至 卑小な 6^ 人の 天地 を 動かす こと 能 はざる は猶 螢火の 鼎 

を 焚く 能 はざる が 如し (1)。 之 を 要するに 天人 密接の 關係ぁ ft> と 爲すは 皆 妄說な fts と、 

彼は天の人事に與.o^知る能はざるを辨ずるに卑近の例を以てして曰く、 論者 曰く 天 は 

高に 處. て 卑に聽 くと。 今假. OS に 天 を 以て 耳目 を備 へたる 者と せんに、 凡て 耳 は 首に 

あ. 9、 天の 人 を 去る M と數萬 里に して、 其 耳目 極めて 高遠な ft>、 いかで か、 人事 を 察 

する を 得ん や、 之を譬 へば 人 樓臺の 高に 上れば、 地上の 螻蟻を 察する 乙と を 能 はざる 

か 如くな らんの み。 天 を 以て 氣な. CN とせんが、 氣は 雲煙の 如し、 安ん ぞ よく 入の 辭を 

聽 かんや (變虛 ) と。 

然ら 湯 大旱に 遭 ふて 自ら 責む るに 五 過 を 以てして 雨 を 祈 し は 何 どや、 春秋に 

所謂 大雩 して 雨 を 求む る は 何 どや。 成王周公を疑ひし時疾風雷電ぁ.-^しは何どゃ。 將 

又 a 雷 風 烈には 孔子 必らず 變ぜし は 何 どや。 もし 天人の 關係 無くん ば 古聖 先王 何故 は 

新の 如くなる。 fJ れ當然 起. 來る 可き 疑問な .0/ 王 充之を 辯 じて 曰く、 



陰陽 不, 和 災變發 起、 或 時 先 世 遣咎、 或時氣 自然、 賢 聖感, 類、 慊權自 思、 災變 

惡徵、 何爲至 乎、 引, 過 自責 恐 有, 罪、 畏-愼 恐懼 之, 意 未 S 必其 有- -實 事, 也、 (感 類) 

旱は 湯の 爲に 至らず 雨 は 自ら 責めし が爲 にあらず 自然の 氣 のみ。 (感 類) 祭らざる も沛 

然として自ら雨ふ,c^、 求めざる も曠然 自ら 暘す。 雩は 民の 望 を 慰む る 所以、 孝子 慈 孫 

の 病に 益 無き を 知る も 卜筮 祈禱 する が 如きな 6N。 且つ 雩の 祭る 所、 天 か 神 か 雲 雨の 氣 

か はた 泰山 か。 笑ふべきの甚しきな-=^(|)疾風迅雷に變ずるは天地の激氣を敬するの 

み、 雷電の變に當..^て成王の畏懼せしは、 疑惑の 念 あるに 當. CN て 物 類に 感ぜし のみ、 

皇天 大 雷雨 を 以て 之を責 むる と S ふ は、 未だ 其實事 あるに 非るなら (1) 

乙、 鬼神 

世人 皆以爲 らく 人 死 すれば 鬼と なる、 寃枉を 以て 强死 せる 者 は 其怨を 報じ、 鬼 或は 

德を 報ず、 例せば杜伯の鬼は周宣王を射ft^。 申 生の 鬼 は 上帝に 乞 ふて 晋を 罰し、 或は 

草 を 結んで 恩人に 功名 を 獲 しめたる の 鬼 あるか 如き、 又武 王の 疾 あらし 時 周 公 祈 祭し 

王 充の學 三 H 五 



...its 九 i 六 

て 曰く、 

予仁 若考、 能 多才 多藝、 能事-, 鬼神? 乃 元 孫、 不, 若, -旦 多才 多藝 ,(|) 

周 公の^ にして 鬼神 を稱 する を 以て 見れば、 其 存在 は 決して 疑 ふ 可から すと。 (I) 

王充 之. V 辯 じて 曰く、 人 は 物なら 物 も 亦 物な. o。 物 死して 鬼と 爲ら ざるに 人 死して 

何 ど獨. 鬼と S らむ や、 凡そ 人の 生ける 所以 は 精氣な 6S、 精氣 は血脉 によりて 生ず、 

人 死 すれば,^ 脉竭 さ、 隨 つて 精氣滅 ひ、 形體朽 敗して 灰と なる。 之を譬 ふれば 氣の人 

を 生ずる は猶 水の 氷 を 生ずる が 如し、 水 凝って 水と なり、 氷釋 くれば 亦 水と なる、 氣 

凝って 人と な. o、 人 死す れぱ 氣に復 る、 之 を 鬼神と いふ 其 名の 異るを 以て 知 あ.., て禍 

害 を爲 すと する は 誤れ々。 故に 曰く 

人 未, 生、 在-元 氣中; 旣死復 ,,歸 元氣, …人 未, 生無争 知、 其 死 歸,, 無知 之 本; 何 

能 有, 知 乎、 

ふ 人の 死す るは猶 火の 滅す るが 如し、 人 死して 知な き は猶火 輝な きが 如し。 若し 人 



死 すれば 卽ち 鬼と 爲る とせば、 開闢以來の死者の數の累計は遙に今人の數ょ.=^多かる 

ベく、 幾千 萬の 鬼 天地 間に 充満し 堂に 满ち 庭に 盈ち 道路 上 一 步に 一 鬼 を 見る! 5 ^きな.? 

と (論 死) 

之 を 要 する に 世の 所謂 鬼 は 死人の 精神に あらず して、 皆 人の 思念 存 想の 致す 所な 

.CNC 換言すれば 神經 作用な, ON。 人 病めば 憂懼す 憂懼 すれば 因て 鬼の 出 づるを 見るな 

ち。 神經 作用 卽ち精 念存想 或は 目に 發し 或は 口に 發し 或は 耳は發 す, * 目に 發 すれば 卽 

ち 其 形 を 見、 耳に 發 すれば 卽ち 其聲を 聞き、 口に 發 すれば 卽ち其 事 を 言 ふ。 (訂 鬼) 彼 

は訂 鬼篇に 更に 乙の 幻影 を 見る 所以 を 詳細に 分說 して 曰く 

1 、 人 之 見, 鬼、 目 光 輿-臥 亂, 也。 

氣 倦み、 精盡 きて 臥し、 忽ち 眠覺 むる に當 4、 眼花暸 a して 鬼 を 見るな. y。 卽 

ち 臥 而目光 反、 反而精神見人物之象矣なft^。 病に 臥せる 者 及び 狂者の 鬼 を 見る 

も 亦 精 氣衰耗 して 目 光 反照す る か爲な *。 

主 充の學 §il セ 



^^那哲學の研究 0^ 

二、 鬼 者 人 所, 見得, 病之氣 也、、 

外氣に 感じて 病 を 得、 其氣盛 なれば 卽病も 亦 篤し、 而 して 氣盛 なれば 髮髴 とし, 

て 人物の 象 見 はる、 病 者 因て 之 を 見るな 6S。 故に 山林 中に 病む 者 は 山林の 精 を 

見、 越 地に 症む 者 は 越 人 を 見る は 之が 爲な 

三、 鬼 者 老物之 精 也、 

物の 老 たる 者 は 其 精 人と なる、 亦 未た 老 ざる 者に して 其 性能く 變 化して 人の 形. 

を 象る 者 あ- 9。 病で 精氣衰 劣す るに 乘 じて 來 つて 之 を 犯すな. 90 

四、 鬼 者 本 生, I 於 人 r 時不, 成, 人、 變化而 去、 

顓琪 氏に 三 子 あ ft, 、 死して 疫鬼 となる、 其】 は 江 水に 居る 之を虐 鬼と 爲す。 其、 

二 は 若水に 居る 之 を 魍魎 鬼と 爲す。 其 三 は 人の 宮室 奥 隅に 居. o 善く 小兒を 驚か.. 

す。 

五、 鬼 者 甲乙 之 精 也、 



甲乙 は 天の 別 al) 氣 な..^。 其 形 人に 象る。 病んで 死 せんとす る 時 は、 甲乙の 

神 至る。 

六、 鬼 者 物 也、 

これ 凶惡の 類な. 9。 人 病んで 死 せんとす る 時 之 を 見る。 其 象 人に 似た- > 或 又 鳥 

獸に 似た. -。 或は 鬼と いひ、 或は 凶と いひ、 或は 魅と いひ、 或は 魑と いふ。 

七、 人且, - 吉凶? 妖祥 先見、 人 之且レ 死、 見-百 怪ハ 

凶禍 I 死の 寺、 妖鬼見 はる。 然れ ども 妖見 はる ゝ爲に 凶禍を 受け、 鬼來る カ爲 

に 死す るに は 非るな. -、 且に 凶な らんと して 妖豫め 見 はる ゝ こと あら、 申 生の 如 

き はるれ なら。 凶 至 CN て 妖亦見 はる 、こと あ. -、 杜 伯の 如きで, れ なら。 この 妖 

. 祥 鬼神なる 者 は 皆 太陽の 氣 之を爲 すな も 陰氣は 骨肉 を 生し 陽斌は 精神 を 生す。 

人 は ニ氣を 具備せ るが 故に 骨肉 精神 共に 强健 にして 其 形見るべし。 然れ ども 鬼 

は卽 太陽の 氣に よも 生ず、 而 して 太陽の 氣獨ら 盛に し sf が 故に 徒に 能 

II I 九 



ils 究 go 

く象を爲せとも形を成す^Jと能はす、 精氣 あれ ども 骨肉 無く、 j 且恍忽 として 

卽ち復 滅亡す るな ftN。 

彼が 鬼 を 以て 神經 作用な 6 幻影な.?,; せし は 頗る 其當を 得た 6. 。 然れ ども 第二 以下 

に分說 せる 所、 當 時の 迷信 を辨 ぜんとして 遂に 全く 迷信 誤謬 を脫 する こと 能 は ざ ft, し 

は 惜しむ ベ さな. CN。 

彼は尙 四諱、 辨祟、 誌 術、 解除、 卜筮 等の 諸篇 に、 諸種の 迷信 を辨駁 せ,, s。 今】々 

之 を 擧げ ず。 彼 書 は 普く 當 時の 傳 說を揭 げたれば、 宗敎 思想 及び 迷信の 風な と を 察す 

るに は、 頗る 有益の 材料と いふべ し 



荀悅申 鑑を讀 む 

申 鑑五卷 は 漢苟悅 の 著 はす 所な, 》.。 悅は淑 の 孫、 儉の 子な 6.。 獻 帝の 朝に 仕へ、 曹 

操の 府 に辟ぜ られ、 孔融 及び 弟 或と 同じく 禁中に 侍講た."、 志 獻替に 在れ ども、 謀 用 

ゆる 所な し、 乃ち 申 鑑五篇 を 作る。 蓋 其志經 世に 在. -、 然れ ども 當時 政權曹 氏よ. -出 

づるも 一 言の 之に 及ぶな く、 融と 或と は曹 氏の 旨に 件 ふ を 以て 其 死 然を得 ざら しも、 

悅獨ら 優 游壽を 以て 終 ふ。 所謂 濁世に 處 して 苟も 性 命 を命ラ せる もの 其 人 多く 稱 すべ 

きを 見ず。 故に 余 は 儒 學史を 撰して 其 人 を 取らず。 然れ ども 彼の 著 申 鑑は亦 見るべき 

の語少 からず。 苟も 其 人 を 以て 其 言 を廢す 可から ずと せば こゝに 一 言す る も 亦 止む 可 

からざる な, -。 彼の 行事 は 後 漢書 本 W 化詳 かな, -、 建 安 十四 年卒、 年 六十 ニ而 して 申 

鑑五篇 は 之 を 後世に 傳ふ。 

申鑑 2 篇、 曰く 政體第 1、 時事 第二、 俗縑 第三、 雜 言上 第 四、 雜 言下 第五 是 な..^。 

苟悅申 鑑を讀 む 一一 一四】 



支那 哲學の 研究 三 四 二 

申 鑑とは 何 ど, 政體 第一 にもの 義を 解して 曰く、 

夫 道 之 本、 仁義 而己 矣、 五 典 以經, 之、 羣籍 以緯, 之、 詠, 之 歌, 之、 弦, 之 舞, 之、 前- 

鑑旣 明、 世復 申, 之、 故 古之聖 王、 其 於,, 仁義 一也、 申重而 己、 篤 序 無, 疆、 謂,, 之 申 

鑑: 

從 つて 政體第 一 に 叙す る 所 は、 彼の 經綸の 要旨 を 窺 ふるに 足るべき ものと ず。 曰く、 

立-天 之 道 7 曰 陰與, 陽、 立-地 之道ハ 曰剛與 柔、 立,, 人 之 道 r 曰 仁與, 義、 陰陽 以統 

其 精氣- 剛柔以 品,, 其 群 形 f 仁義 以 經,, 其 事業 r 是爲, 道 也、 故 凡 政 之 大經、 法敎而 

已矣、 敎者陽 之 化 也、 法 者 陰之符 也、 仁 也 者 慈, 此者 也、 義也 者宜, 此者 也、 禮也者 

履, 此者 也、 信 也 者 守, 此者 也、 昝也者 知, 此者 也、 是故 好惡以 章, 之、 喜 怒 以范, 之 

哀樂 以恤. 之、 若 乃 二 端 難不. 愆、 五 德籠禮 不鴯、 六 節 ill 不.. 悖、 則 三才 允 序、 

五 事 交備、 百ェ 惟釐、 庶績 咸熙、 

道の 本 は 仁義の みなる 所、 M、 政の 大經 は法敎 のみなる 所以の 哲學 的根據 は、 卽ち 易の 



陰き 一元論に 在る を 知るべし。 彼 じ 次に lis じて 曰く、 

天,, 道、 皇乍, 極、 臣作 ,輔、 民 作, 基、 惟 先哲 王 之 政、 1 曰 承 k 天、 二 曰 正 k 身、 一二 巧 

任, 賢、 四 曰恤レ 民、 五 曰 明 一 六 曰 立 ま、 承 k 惟允、 正 レ身惟 常、 任 ki, . 

恤, 民 ffi 勤、 明, 制 惟典、 立レ業 惟敦、 是 謂-政 體- 也、 

是れ 卽ち擎 たる 霞の 言に して、 雲德治 主義の 眞髓は 以上の 數 語に 盡 くと 云 ふ も 

震に あらず。 而 して 亦 萬 世 不易の 敎 たらずん ば あらず。 彼の 所謂 g は、 吾人が 今 

日 謂 ふ 所 4 義 同じから ざる は 勿 論ま。 彼 I んで 政治の 術 I 及して 曰く、 

政治 i、 先屛 -I コ乃崇 --五政" 一 曰 偽、 二 曰 私、 舊放、 四 曰 奢、 僞, 俗、 

私壞. 法、 放 越. 軌、 奢 敗】、 •:: 是 謂- 四患 ハ 興-業- 以 養-其 生ハ ? 好惡- 以? 

其 俗: 宣- 文敎, 以 章-其 化: 立-武備- 其威ハ 明 -霸-以 ,其 法ハ 是 謂- -f - 

其 說何等斬暫 る 者 ある i ず。 然れど も眞理 は 常に 淸 新なる でと も 亦 知らざる 可 :: 

らず。 彼の 本傳 中には 卽 きの 一節 を 引け..。 賢 能に 任ずる に 十難 あるの 說、 頗る 

1111 

荀悅申 鑑を讀 む 



支那 哲學の 研究 三 四 西 

くべきものぁ.c^。 曰く、 • 

1 曰不, 和、 二 曰不, 進、 三 曰不, 任、 四 曰不, 終、 五 曰 以-- 小怨- 棄,, 大德 『 六 曰 以,, 小 

過- 黜-- 大功 r 七 曰 以-, 小 失- 掩,, 大美 r 八 曰 以,, 奸訐, 傷,, 忠正ハ 九 曰 以-- 邪說, 亂,, 正 度つ 

十 曰以, I 讒嫉, 廢= 賢 能: 是 謂-十 難: 

是 れ獨ら 君主に 對 する の鑒戒 たるの みならず、 凡そ 人の 上に 在. CS て 人材 を 指揮す る 者 

の、 必ず 知らざる 可から ざる 處た. CN。 

時事 第二 以下 は 彼の 識見 を 窺 ふべき もの 少 からず。 今 其 二三 を錄 す。 備 博士に 曰く、 

仲 尼 作, 經、 本 1 而已、 古今 文不, 同、 而皆自 謂,, 眞本經 r 古今 先師、 義 一 而已、 異, 

家 別, 說不, 同、 而皆自 謂 古今 11 仲尼邈 靡 fer 昔 先師 歿而 無, 閒將誰 使, 折, 之 者、 

秦 之滅, 學也、 書 藏-- 於 屋壁: 義絕 - 於 朝野, 逮 k 至-, 漢興 r 收-摭 散滯ハ 固已 無-, 全 學- 

矣、 k 有,, 磨滅; 言 有, -楚 夏つ 出 有- 1 先 後" 或學者 先, 意 有, 所-, 借定, 後進 相 放、 彌以 

滋蔓、 故 ! , 源 十, 流、 天水 違 行、 而訟 者紛如 也、 執 不,, 倶是ハ 比而 論し N、 必 有-可, 



所謂 一 經 ssssll しと なせる f £ して、 B5 1 針と 5 ベ 

し。 至德要 道に 曰く、 

或 曰、 疆霞 約爾、 典籍 甚富、 如而 P 之以 求お 也、 語有王 曰、 有 ^ ,來 

張, 羅以 待, 之、 得 者 一目 也、 今爲 二目 之羅ハ 無-時 得 T 鳥矣、 道 雖レ要 也、 „ ^レ博 

無,, 以 通- 矣、 博-其方 f 約-其 說ハ 

博 文 約禮は 孔子 si 所、 i 靈 I は 子 思の 敎ふ る 所、 兩翥 待? 而し後 得 

たらと なす。 專 ら尊德 性の み を 論ずる は 1 目の 羅を 以て 烏 を 捕 へんと する の 類、 多く 

道 問 學を言 ふ は 博く して 要 寡き の 譏 ある 所以、 必ず 博-其方-約-其 說- の說を 以て 當ォ 

.CN となす。 

俗 嫌 第三に は 卜筮、 方 忌、 形相、 神仙、 養 性 等の 迷信に 就て 一 之 を辯駁 せり。 今 

1 之 を擧げ ず 。唯 其 ーを錄 す。 

荀悅申 鑑を讀 む ■ 



支那 哲學の 研究 三 四 六 

世稱 緯書 仲 尼 之 作 也、 臣悅 叔父 故 司 空 爽辨, 之、 蓋 發,, 其僞, 也、 有 於 中興 之 前つ 

終 張 之 徒 之 作 乎 

緯誊を 信じで 以て 自家 學說唯 1 の 根本と なす 輩 は 以て 如何と なす。 若し 夫れ 彼の 學說 

にして、 儒家 共通の 問題に 觸る 、者 は、 卽ち 性情の 論な. CN。 其 說雜事 第五に 詳 かな 

4。 性と は 何 ど。 曰く、 

生 之 謂, 性 也、 形神是 也、 

生 之 謂 性と は吿 子の 主張に して、 漢代 にあ. nN て は殆ん ど學者 間の 定論た. ON。 形と は 肉 

體 にして 神と は 精神なる 乙と は 

有, 氣斯 有, 形、 有, 神斯 有-好 惡喜怒 之 情, 矣、 , 

の語にょって明かな.<^。 彼 は 善惡の 標準に 就で は、 遂に I 言 も 之に 論及せ ず。 蓋 常識 

よ. 5 見て 自明の 事と なし V なるべし。 然れ ども 旣に 子の 動機 論、 苟 子の 結果論、 及 

ぴ董 子の 完具爲 善の 論 あれば、 之に 關 して 1 言な かる 可から ざる 所な. cs。 彼 は 性に 就 



て は 諸家の 說を歷 評して、 自己の 意 を 述べて 曰く, 

或 問,, 天命 人事; 曰 有-三 品, 焉、 上下 不, 移、 其 中 則 人事 存焉 爾、 命 相 近 也、 事相 遠 

也, 則 吉凶 殊矣、 故 曰、 窮理盡 性、 以 至-於 命ハ 孟子 稱- 性善ハ 荀卿稱 - 性惡ー ハム 孫子 

曰 性 無-善 惡 T 楊 雄 曰、 人 之 性 善 惡渾、 劉 向 曰、 性情 相應、 性不 -1 獨善ハ 情不- 獨惡ハ 

曰 問,, 其理 r 曰 性 善 則 無-四 凶 T 性惡則 無-三 仁 T 人 無-善 惡ハ 文 王之敎 一也、 則 無- - 

周 公 管蔡: 性 善 情惡、 是架紂 無, 性、 而堯舜 無レ情 也、 性善惡 皆渾、 是 上智 懷 レ惠、 

而下愚 挾, 善 也、 理也 未, 究矣、 惟 向 言爲, 然、 

11 一品の 說は 天命 人事 を 問 ふに 答 ふるの 語な と雖 も、 下 文に 云 ふ 所、 上下 不 移と 其 中 

と は 正に 孔子の 上智 下 愚と 中 人と を 指し、 命 相 近事 相 i 迷と は 孔子の 性 相 近習 相 遠 を 指 

す ものなる でと 疑 ふ 可から ず。 之 を 性 三、 品說 ならと 云 ふ も 誰か 然ら ずと 云 ふ もの あら 

ん。 而 して 孟子の 性 善 論、 苟 卿の 性 惡論、 楊 雄の 善惡混 論と を歷 評する 所 は、 殆んど 

唐韓退 之の 性 三 品 說の先 驅と云 ふべ し。 且つ 彼が 取る 所の 性情 相 應の說 も、 亦 韓退之 

荀悅申 鑑を讀 む . H 四 七 



支那 哲學の 研究 一一 

の 性情 相 稱說 の 先驅 と 云 ふべ し。 性情相應の說 を 取る が 故に、 當時 或は il のお 

をな す 者 は、 彼が 務めて 之 を 排斥す る 所な 6,。 _t 

或 曰、 仁義 性 也、 好惡情 也、 仁義 常 善、 而好惡 或有^、 故 有-慕-也、 曰不 然好 

惡者性 之取舍 也、 實 見-於 外 「故 謂,, 之 情- 爾、 必? 乎 性, 矣、 仁 着 善 之 誠 者 也、 

何 嫌-其 常《 好惡塞惡 未, 有, 所 \ あ、 is. 凡 F 祌者、 莫 

有 .氣斯有. 形、 有. 神斯 有-好 惡喜 怒參 矣、 故人 g 浦有レ 情、 由- 氣之有 i 也、 氣 

有- -A? 祌有 i 惡 r 形與- 白黑, 偕、 1-1 

體用を 以て 言へば 性は體 にして 情 は 用 f。 好 惡は情 f 、 而 して 之 g の 取 舍と云 

ひ、 iMnf? 必ず 性 £づ くと は 其? 述べ sf 。 

好 f 以て 置 未だ 分つ 所 あらず と 云 ふが 如き は、 情 は必し 4 ならず、 si 

ならざる の 意, V 述べて 遺慽 なし。 , 

或 曰、 人 之於ノ 利、 § 好, 之、 能以- 仁義, 爲, 節 者、 是性 割,, 其 情, 也、 性少情 多、 



性不, 能鈾- 其 情: 則情獨 行爲, 惡矣、 曰 不』、 是善惡 有-多少-也、 非, 情 也、 有 X 

於此ハ 嗜, 酒嗜, 肉、 肉 勝 則 食焉、 酒 勝 則 飮焉、 此 二者 相 與爭、 勝者 行矣、 非-情欲 

, 得, 酒、 性欲, 得, 肉 也、 有:, 人-於 此 r 好, 利 好 Ji、 :義 滕則義 取焉、 利 勝 則 利 取焉、 

此 二者 相 與爭、 勝者 行矣、 非-情欲 A 得 k 利、 性欲.. 得 也、 

情惡 にして 性 之 を 制して 善 を爲 すの 說を讒 破して 極めて 明瞭と 云ぶべし。 因て sfcis 

て 之を證 して 曰く、 

易稱、 乾道變 化、 各 正-性 命: 是 言-萬 物 各有& 也、 觀-- 其 所 k、 而 天地 萬 物 之 情 

可, 見矣、 是言, 情 者應, 烕而動 者 也、 昆蟲 草木 皆 有, 性焉、 不 -1 盡 善-也、 天地 聖人 皆 

稱, 情焉 、不, 主, 惡也、 M 

彼 は 遂に 凡 情意 心 志 者、 皆 性 動 之 別名 也と 云. ひ、 情 何 主, 惡之 有と 云へ 力。 卽ち彼 

從 へ ば 唐 李翱の 復性滅 情の 說の 如き も 亦 排斥すべき 論た.^。 

性已にJlー品ぁft^とせば、性の善惡と敎育との關係は如何。 彼は此 問題 を 論じて 曰く、 

苟悅巾 錢を讀 む S 四 九 



支, # 哲學の 研究 三 五つ 

或 曰、 善 惡皆性 也、 則 法敎何 施、 曰 性雖, 善、 待, 敎而 成、 性雖, 惡、 待, 法而 消、 唯 

上 知 B 下 愚不, 移、 其 次善 惡 交爭、 於, 是敎 抉-, 其 善 r 法 抑,, 其惡ハ 

性 三 品說は 孔子に 胚胎し、 子 思に 至って 漸く 明かに、 荀悅に 至って 完成し、 韓 愈は更 

に 之 を 祖述 せらと 云 ふべ し。 申 鑒篇は 塞々 たる 短篇な. c> と 雖も、 亦 頗る 彼の 學カを 見 

るお 足る もの あ fez 故に 今 其 要旨 を 論ずと 云 ふ。 



1 



竹林の 七賢に 就て 

竹林の 七賢と は 晉書嵇 康傳は 、 

所,, 與神 交, 者。 惟 陳留阮 籍, 河內 山濤、 豫,, 其 流 一 者、 河 內向秀 • 沛國劉 伶 *籍 兄 子 戚* 

瑯琊 王戎、 遂爲, 1 竹林 之游ハ 世 所謂 竹林 七賢 也、 

と あるに 本づ く。 當 時に 於て、 或は 少く とも 晋書 編纂 以前に 於て、 旣に 竹林の 七賢と 

云 ふ名稱 があった ことが 明白で ある。 されば, V の 順序 も 阮籍、 山濤、 稱康、 向秀、 劉 

伶、 阮咸、 王戎と 呼ぶべき である。 なほ 竹林の 游と云 ふこと は、 右の 截输傳 の 外に 山 

籌、 王戎、 阮 咸の傳 中に も 見えて 居る。 而 して 淸談と 云 ふ, J と は 王 戎の從 弟 王 衍の傳 

に 見えて 居る。 * 

竹林の 七賢の 名 は 後世に 至っても 恰も 雷の 如く 轟いで 居る が、 當時 及び や 、之に 後 

れて 所謂 七賢と 其の 趣向 を 同じう したる もの は 猶少く はない。 例へば K 籍の子 渾字は 

竹林の セ資に 就て さ 五 1 



ま 那哲學 の 研究 2. 五一 J 

長 成.、 從子 K 修字 は宣 子、 阮咸の 子 瞻字は 千里、 王 戎の從 弟王衍 及び その 四 友と 稱 せら 

れ たる 王 澄 • 王 敦* 炭 凱* 胡 母 輔之ゃ (晋書 胡母輔 之傳) 兗 州の 八 伯と 稱 せられた る阮放 • 都 

鑒* 胡 母輔之 • 卞壺 • 蔡謨 • 阮孚 • 劉 殺 • 羊曼 (晋書 羊 §s などの 如き 皆 夫れ V> ある。 この 風 

は當 時に 於て 一 種の 流行 をな し^もの である。 而 しても の唱首 は實に 阮籍、 山 濤のニ 

人 を 推さねば ならぬ、 

さて 竹林の 七賢と い へば、 その 人物 風流 閑雅 さながら 神仙の 如き ものと 想像 さる、 

が、 本傳 によって 彼等の 行爲を 見る と、 一 二の 例外 は あれ ども、 大體に 於て 彼等に、 共 

通の 點が あるの を發 見す る。 もの 第 一 は嗜 酒と 云 ふこと である。 阮鐯は 酒を嗜 み、 酣 

飮を 常と し、 二 斗の 酒を飮 むと あ. o、 山 濤は酒 を 飮み八 斗に 至って 方に 醉 ふと あ. ftN、、 

劉 伶 は 常に 鹿 車に 乘み 1 壺 酒を携 へ、 妻の 諫む るに も拘 はらず 禁ずる こと 能 はず、 1 

飮ー斛 五斗な 至. CN 遂に 酒 德頌の 文 を 作った、 阮咸は 酒を飮 むに 復杯腹 を 用わず、 酌 ひ 

に大 盆お 以て 酒 を 盛った、 ,4- の 他 阮修の 如き は步 行す ると さ 常に 百 錢を杖 頭に 掛け、 



酒店に 至れば 乃ち 獨. 9^ 暢 したと ある。 第二 は彈 琴と 云 ふ M とで ある。 S 籍は 能く 嘯 

き 善く 琴を彈 じた、 R 咸は 妙に 昔 律 を 解し 善く 琵琶 を磾 じた、 阮瞻は 善く 琴を彈 じ、 

苟 くも 聽 かん 乙と を 求 むれば、 貴賤 長幼 を W はず 皆 之れ が爲 めに 彈 じたと ある。 第 111 

は? §1 散と 云 ふ,. -と である。 阮籍は 得意なる に當 りて は、 忽ち 形骸 を 忘れ、 時人 多く 

之 を癡と 謂った。 劉 伶 は 常に 鹿 車に 乘. OS 1 壺 酒を携 へ、 人 をして 鎵を荷 ひて 之に 隨は 

しめ、 常に 死 すれば 便ち 我 を 埋めよ といった。 乙れ はや ゝ超脫 を 銜ウて 居る とも 思 は 

れ、 生死の 念懷に 忘る ゝ能 はざる ものと 見 ゆるが、 ともかく 形骸 を 遺る、 ものと いふ 

ると が出來 る。 K 咸の 如き は 酒を飮 むと き、 羣豕 ぁも來 つて をの 酒を飮 むに 咸は 直ち, 

に その上に 接し 共に 之 を 飮ん, たと ある。 不潔と も 思 はない と 見えて、 豕と 一所に 酒 を 

飲 ひな ど は、 確に脫俗と云ふ^^とが出來ると 思 ふ。 第 四 に 不拘禮 敎と云 ふ とで あ、 

る。 R 籍は 母の 臨終に 人と 翁 を M み 居し が、 「母 歿すと 聞き 對者は 止めん こと を 求めし 

も、 留めて 賭お 決し 酒お 飮 むる ill 斗。 又 葬らん とするとき にも 蒸 肫を食 ひ 二 斗の 酒- 

竹林の 七賢に 就て 三 五 H 



i 哲學の 研究 コ I 五 

,|ん, た。 彼ば よく 靑 白眼き なし、 鰭 俗の 士を 見れば 白眼 を 以て 之に 對し、 同 臭味 ゥ 

人と 對 する. に は # 眼 を 以てした ので、 醴. 俗. の士 之を疾 むさと 讎の 如しと ある。 その子 

潷も少 にして, 通達 を 慕 ひ 小節 を 飾らず と, ある。 王戎 の. 如き も 母の 喪に 居う、 鱧 制に., S, 

は- らず、 酒 を 飮み肉 を 食;! 5 或は 卖棋. を 觀たと ある。 

要す. るに 所謂 七賢の 徒 は、 世. 俗の. 形式的 道德を 排斥し、 性の 自然、 に 任せ、 S 淡 

寒 慾、 : 物 外に 超然たる を. 尊んだ めで ある。 然しながら 例外 も ある。 王 戎は父 が凉州 

は *i り そ 官.. に. 卒せし 4 き、 故 吏が. 賻數 Is 萬 を 贈つ おの を、 辭 して 受けな かづた ので、 

.V の 名を顯 はした けれども、 晚 年に は 利 を 興す を 好み、 廣く 八方の 園 田 水 碓を收 めて 

天下に a く、 蓄續 する 所 限な く、 自 から 牙 壽を 執って 畫夜 計算し、 恆に 足らざる が 如 

く、 叉自 から 奉ずる と 極めて 儉 素であった。 女が 裴顓に 適き 錢數萬 を 貸しし に 久し 

う』 て 還さず、 をの 後に 女歸 寧せ しに、 王 戎は悅 びず、 女 遽に錢 を 返しで 然る 後に 歡 

ぶ、. 從子婚 せんとす、 戎は をの 軍衣 を 遣 5、 婚訖れ ば卽ち 之お 取. 9 返せ i、 又 家に 好 



李 あら 常に 之お 賣 るに、 人の 種 を 得ん t と を 恐れて 常に その 核 を鑽せ &.。 之お おて 世 

人に 譏られ、 膏 窗の疾 -V 稱 せられた と 云 ふ とで ある。 彼の 如き は 例外であって、 七 

賢の 面 i;t> しと もい ふべき であら ラ。 彼 自身.^ 晚 年に 

吾 昔與, -嵇叔 夜、 K 嗣宗? 酣 --暢 於此: 竹林 之游、 亦 預-- 其 末 r 自 阮云 亡: 吾便爲 

時 之 所,, 覉紲: 今日 視王雖 k 近、 邈 若-一山 河: 

i 歎息して 居る。 

さて 七賢の 徒が 上述の 如き 行爲 をな すに 至ゥた 哲學的 根據は 何かと 云 へば、 言 ふ 迄 

もな く老莊 思想で ある。 阮籍の 傳には 博 覽,, 群籍 r 尤 好-一 莊老, と あら、 播厳 も博覽 無, 

不-該 通? 長 好-一老 莊-と あ. o>、 向 秀も雅 好-一老 莊之學 一と あ ft^、 山 濤も性 好-一 莊老 T 每隱 

レ身自 晦とぁ 6/ 王衍の 如き は 世事 を 論せ ずして 終日 淸談 し、 聲名 籍甚、 傾 一一 動 當世ハ 

妙 善, 一玄 言 7 唯 談,, 老莊- じたので ある" その 思想 は發 して は 達莊論 (阮 籍リ とな..^、 大 

人. 先生 傳 (防 籍) となら、 酒德頌 TUT とな CN お。 大人 先生 傳の 要旨 はかう である。 

竹林め-七 齊に 就て 一一 i 五 



支那 哲學の 研究 三 五六 

世 之 所謂 君子、 惟 法 是修、 惟 鱧 是克、 手 執,, 圭璧 r 足 履,, 繩墨 r 行 欲, 爲,, 目前 檢 r 言 

欲, 爲 -1 無窮 則 T 少稱- -鄕黨 f 長 聞- -鄰國 T 上 欲, 圜-, 三公ハ 下不, 失,, 九州 牧ハ 獨不, 見 

,3 群蝨之 處-- 襌中ハ 逃-乎 深 縫 f 匿-乎 壊絮? 自以 爲,, 吉宅, 也、 行 不., 敢 離,, 縫 際 r 動不 

ふ 耽 出-, 镩襠: 自以爲 裇,, 繩墨, 也、 然炎丘 火 流、 焦』 巴滅 Js、 群蝨 處,, 乎襌 中つ 而不 

ノ能, 出 也、 君子 之 處,, 域內 『 何異 „, 夫蝨之 處,, 襌中, 乎、 

鱧 俗の 君子 を羼 つて 半 風 子の 襌 中に 處 るに 異ならず と 云へ る は、 彼が 白眼 世上の 人 

を 見た 所以で ある。 酒 德頌に 曰く、 

大人 先生 以,, 天地, 爲, 二 朝 T 萬 朝 爲,, 須臾 r 日月 爲,, 扃 »r 八荒 爲,, 庭衢 r 行 無- 徹迹 『 

&無, 一家 廬ハ幞 .天 席 k、. …: 

頗る 物 外に 超然たるの 趣が あるで はな い か。 而 して 兩 者の 共に 莊子 の 口吻た るると は 

勿論で ある。 .1^ 秀の 如き は 莊子隱 解お 作った。 もの 價 値に 就て は本傳 に、 

"莊均 著,, rs: 外 數十篇 ,:: 秀乃 爲.. 之隱解 7 發,, 明奇趣 r 振,, 起玄風 r 讀, 之 者、 超然 心 



悟、:: 惠帝之 世、 郭 象又述 而廣, 之、 儒 墨 之 迹見, 鄙、 . 道家 之 言 遂 盛焉, 

と ある。 郭 象の 莊子注 は 頗るよ く出來 たもので あるが、 大體に 於て 向秀の 注に 本づぃ 

たものと い へば、 向秀の 注の 出 來榮も 想像され るので ある。 要するに 七賢の 思想の 哲 

學 盼根據 は老莊 である 乙と は斯の 通. 9 である。 

彼等 は 如上の 行爲を 善良なる 且つ 適當 なる ものと 思った であらう か。 阮鐯は 嘗て そ 

の 子^ 字 長 成を戒 しめた ことがある。 

子渾 {モ 長 成、 有-父 風 T 少慕 U 通達 ハ 不, 飾-小節 r 鐯謂 曰、 仲容已 豫-- 吾此流 T 汝不 V 

得- 復爾; 

仲 容とは 兄の 子咸字 は仲容 で、 竹林 七賢の 一人で ある、 汝復た 然る こと を 得ず とい ク 

て 之を戒 しめたの である。 又 山濤は 王衍を 批評した 乙と が ある。 

王 衍字 夷甫、 神 情 明秀、 風姿 詳雅、 甞 造-山 濤ハ 濤 嗟嘆 良久、 旣去、 目 而送レ 之 曰、 

何物 老嫗。 生-, 寧馨兒 つ 然誤, 1 天下 蒼生-者、 未 S 必 非- 此 人-也、 (本 傅) 

竹 杯の 七賢に 就て 三五セ 



ま 郝哲舉 の 研究 = 一. 五 ス 

王衍は 終日 淸談を 事と し 一世 を聳 動した ので、 後進の 士景 B せ. ざるな く、 矜 i 咼浮誕 

遂に 風俗, 成して、 果して 晋の 天下に 大害を 招致し、 自身 も 石勒に 殺さる、 に至ゥ た 

ので ある。 乙の 竹林 七賢の ニ大 首領の 言 を 見る と 如上の 如き 行爲を としたの ではな 

いと 思 ふ、 王 衍も將 に 死 せんとす るに 臨て は 頗る 前非 を 後悔した ので ある。 本 偉に 曰 

衍將, 死 顧 言 曰、 嗚呼 吾 曹雖, 不, 如,, 古人 T 向若不 Js= 尙 浮虛ハ 戮, カ以 匡,, 天下 ハ 猶 

可, 不, 至,, 今日 r 

尤も 山 濤は晋 の 天下 を K る 者 は王衍 であると 批評して 居る が、 山濤こ も 寧 KC 巨魁の 1 

人で、 王衍輩 は山濤 等の 風 を 學び其 波 を 揚げた 者と 言 ふべき であらう。 顧亭林 は已に 

その 意 を 論じて 居る。 日 知錄卷 十三、 正始に 曰く、 

昔 者 嵇紹之 父康、 被^-於 晋文 王: 至, -武帝 革命 之 時 f 而山濤 薦,, 之 入 仕; 紹時屛 

.^門7@,,辭不ャ就、 騫謂, 之 曰、 爲 V 君 思, 之 久矣、 天地 四時。 猶有, 一 消息 rtH 兄 於, 



人 乎、 一時 傳誦、 以爲- 名言: 而不, 知 K 其 敗 Ji 傷, 敎。 至, 於 率-天下 一而 無 k 者 

也、.:. 如-, 山 »- 者、 旣爲- 邪說之 魁: 

亭 林の 所 說は. 正 議讜論 易 ゆ 可から ざる ものである。 人の 性 はもと 善。 彼等 は 善良な 

る行爲 とも 思 はぬけれ ども、 强 いて 性 を 矯めて 居た ので ある。 阮 if か 母の 喪に 居て 酒 

を 飮み肉 を 食べ ども、 擧 Jtl 號、 吐, 血數 升、 毀療骨 立、 殆 致, 滅, 性と 云 ふが 如き、 

性を矯むる^-と甚しきが故に、 又 その 悲しみ も 亦 一層 甚 しいので ある。 阮咸 が豕と 共、 

に 酒を飮 み、 或は 犢鼻 鞾.^ 蟲 干した 話の 如き、 強いて 奇矯の 事 をした 形迹も 無き にあ 

らずと 思 ふ。 

然 らば 何故に 其の 必要あって、 か V る 行 爲を敢 てした か。 阮鐯 はもと 濟世^ 志が あ 

CV たけれ ども 性 命を亂 世に 全 ふせんが 爲 めに かゝる 行爲 をした のであった。 本 傳に曰 

く、 

及- 曹爽輔 "政、 召爲- -參軍 T 籍 因以, 疾辭、 屛-於 田 里 T 歲餘而 爽誅、 時人 服 n 其遠識 r 

-. 竹林 ハ. に 就て 三 五 九 



那哲學 の 研究 111 六 Q 

又 曰く、 

肇 

籍本 有,, 濟世志 T 屬,, 魏晋之 際 r 天下 多 故、 名士 少, 有-, 全 者 r 籍 由, 是不, 與-- 世事つ 

遂酣 飮爲, 常、 文 帝 初 欲 T 爲-武 帝-求 * 婚於籍 h 籍醉 六十 日、 不, 得, 言而 止、 饉會 數- 

以_- 時事, 問, 之、 欲 K 因,, 其 可否, 而致, 之 罪; 皆 以-- 酣醉, 獲她、 

詠懷 詩を讀 めば 頗る 阮籍の 志 を 察する 乙と が出來 るので ある。 さて 之 は阮鐯 のみで 

ない。 山濤の 如き も 曹爽の 難 を 避けた 一 人で ある。 王 戎は晋 室 方に 亂る、 を 以て 蘧伯玉 

の 人と 爲. を 慕; s、 時と 舒卷し 蹇腭の 節な しと ある。 卽ち孔 明の 出師 表に 所謂、 苟 全- 

-性 命 于亂世 r . 不, 求,, 聞達于 諸侯, の 意であった。 _ 竊康の 如き は 時の 權臣鐘 會の爲 めに 

陷られ て 遂に 身 を 殺した。 卽ち 彼等が か V る 行 爲を敢 てしたの は 苟も 性 命を亂 世に 全 

ふせんが 爲 であった。 最も 一 方に 於て は 彼等の 性格 も隱者 的、 脫俗 的であった、 阮籍 

は嗜 i 酒 能 嘯、 * 彈, 琴、 當,, 其 得意 r 忽 忘,, 形骸 r 時人 多 謂, -之癡 7 と ぁゥ、 称康は 天質 

自然 活靜 寡愁、 含 匿, 瑕と あ 6/ 其 他 皆 類似の 性格で あ つて、 夫で 老莊 おも 嗜ん? i: 



ので ある。 彼等 は 老莊を 好んだ 結果、 か 、る 思想 を懷 くに 至った ると も 全然 無い とも 

S へ. ぬか、 寧る 老莊 は體 裁よ ぃロ實 とした ものと 思 はれる。 

禮俗を 蔑視す るに 就て は、 儒 墨 名 法 を 以て その 哲學 的根據 とす るるとが 出來 ぬの は 

明白で ありて、 別に 說明 する 必要 は あるまい。 言 ふ 迄 もな く 老莊に ロ實を 求めねば な 

らぬ。 況 んゃ當 時に あ ft> て は秦漢 の 際から 老莊が 流行して 居た ので ある。 韓返之 原 道 

篇に火 一一 于秦 7 黄 一一 老于漢 一と ある 通ら、 漢代 にあ.^ て は 黄 老は大 流行であった。 その 

理由に 就て は 別に 1 篇の 論文と して 詳細に 述べた ことがあ るから、 乙、 に は 略し やう 

思 ふ。 老子が 流行 すれば 當然莊 子 も 著 眼 せらるべき は 勿論で ある。 洪稚存 の說に 

自 U 漢興: 黄 老之學 盛 行、 文景 因, 之 以致, 治 、至- 漢末 T 祖- 尙 玄虚- 於, 是始變 --黃 

老 7 而 稱,, 老莊 r 陳壽魏 志 王 粢傳末 言、 稽康好 言, -老莊 :老莊 幷稱、 實始 n 於此" i 

讀書 Si 卷 十二 所 引) 

陳澧 は馬季 長の 本傳を 引いて、 

竹林の 七賢に 就て - 



支 都 哲學の 研究 三 六 一一 

馬 季長己 言,, 老莊; 洪稚存 云、 始,, 於康: 亦 g 非、 (東讀 |卷十11) 

と 評して 居る が、 予の 見る 所 を 以てすれば 淮南 子に は 莊子を 引く と 甚だ 多く、 且耍 

略 訓には 老莊之 術 云 t の 語 あ 力、 馬季 長に 始まる と 云 ふ も 亦 非で ある。 史記 には老 fii 

申 韓と云 ひ、 老莊 のみでな く 申 韓をも 併せ 稱 して あるから、 暫 らく 之 を 取らず。 武帝 

以來儒 敎大に 起 つ たけれ ども 老莊 思想 は相變 はらず、 思想界の 根柢に 撗は つて 動かす 

可から ざ る 力が あ つた。 揚雄、 王充 1 . 王充は 特別と しても 11 等の 著述 を 見ても 老 

莊の 影響が 歷々 として 指 するとが 出來 る。 老莊 思想 は 兩漢を 通じて 猶 盛であった。 

つて 竹林の 七賢 は に その ロ實を 見出した ので ある。 

次に 時世が 彼等 をして 世と 浮沈せ しむる の 止む を 得ざる に至ゥ たと 云 ふが、 亂 世な 

らば 進んで 之を涛 ひ、 身 を 殺して 仁 を 成す も 亦 可なら ず や。 古の 氣 節の 士は皆 然らざ 

る はなし。 何故に 魏晋の 際に は 観 を 避け 身お 全 ふせんと する 者の み 多い のか。 阮籍、 

山濤、 王戎の 如き 皆當 時の 大臣で ある。 何故に 身 を 殺して 仁を爲 すの 氣 節が. き^った 



I 



か • 勿論 いづれ の 世に 在 て も亂を 避けて 身 を 全 ふせんと する 者 は ある。 老子の 關 

出で て 去 ,00 莊 子の 犧 牛た らんよ. は、 汚 瀆に尾 を曳く 所の 龜た らん/^ と を 希望せ る 

が 如き、 何れの 世に も 其の 例 無き にし も あらず。 唯 魏晋の 際に 滔.^ 風 を 成した の は 何 

故で あるか。 乙れ に は 亦 相當の 原因が あった と 思 はれる。 

後漢の 光武帝が 氣節 を尙ん で、 天下の 士風を 鼓舞して から、 三代 以下、 風俗の 美なる 

乙と 後漢に 如く もの はない 有様であって、 所謂 黨錮の 難に も 仁に 依. 9 義を 踏みて、 命 

を 捨て 顧みなかった (日 知錄 十三、 兩漢 風俗) 然し、 李 膺* 陳蕃等 を 首領と し、 三 君 • 八 俊 • 

八顧•八及•八厨等の目ぁft^、 一 大圑結 をな して、 時の 政治 を 評論し 毅然として 屈しな か 

CN た 節義の 士が、 漢 末の 黨錮 によつ VM 朝 はして 或は 殺され 或は 黜 せられて よ 力士 風 

1 變す るに 至った (後 漢書 黨錮傳 ) かの 蔡邕の 如き は卽ち 節義 衰而 文章 盛の 始 である。 且 

ゥ曹孟 德が冀 州 を 有つ や、 再三 令お 下し、 たと ひ 汚辱の 名 を 負 ひ、 笑はる、行ぁ6^、 

不仁 不孝 る も、 治國 用兵の 術 ある もの は 之 を 登庸 せんとした。 (日 知錄十 1 一一 兩漢 風俗) 是 

竹林の 七賢に 就て 三 六 111 



.^^规哲學の研究 三 六 四 

れょ. 5 士風 大に變 ずるに 至った。 晋世 祖泰始 元年 傅 玄諫官 とならて 上疏 して 曰く、 

近 者魏武 好-法 術: 而 天下 貴- 1 刑名 r 魏文 慕-通達 r 而天 下賤,, 守 節 r 其 後 綱紀 不 i 攝 

放 縱盈, 朝、 遂使こ 天下-無,, 復 淸議ハ <: 日 知 錄集釋 所 引閻若 璁說〕 

上の 好む 所 は 下焉ょ 6 甚だしき ものが ある。 魏 武以來 天下に 臨む に 法 術 を 以てし 通 

達 を 以てして 而 して 天 下士 民の 節義 を 貴ばん と を 望む は、 所謂 木に 緣て魚 を 求む る 

の 類で ある。 七賢 輩の 節義 を 重んぜざる はか ゝる 因緣も あると 思 ふ。 苟も 性 命 を亂世 

に 全 ふす ると ヘム ふ M と は、 たと へ 消極的な 意氣 地な きものと 批評が あつても、 必 しも 

絕 對に惡 いこと ではない。 然し 苟も ー國の 大臣と して 濟 世の 職に あ ながら、 徒に 世 

と 浮沈して 矜高浮 誕の風 を 成す に 至る の は、 絕對に 非と すべき とで ある、 七賢 輩の 

行 爲は斷 じて 恕 する ことが 出來 ぬ。 顧亭 林が 國 亡,, 於 上 r 敎淪, 一 於 下 r 【宠戎 互 僭、 君臣 

屢易、 非-一林 下 諸賢 之咎 r 而誰咎 哉、 C 日 知錄十 111 正始) と 云った の は 當然の 論で ある。 苟も 

思 天下 風敎に 致す 者 は 兹に鑒 みる 所がなければ ならぬ。 



文中 子の 哲學 

文中 子に 就いては 十餘年 前に 哲學雜 誌 (?) 上に 有 馬祐政 君の 論說 あ- 9 しお JS 

憶 すれ ども、 今 之を參 酌す る 暇な し。 讀者 諒焉 

( 一 ) 蓽蹟 及び 著書 き 

女中 子は隋 末の 大儒 王 通 字 仲 海の 私諡な ft. 。 彼の 行事 は史に 於いて 考 ふべき もの 無 

i 獨. 隋唐 通錄に 其の 穢行ぁ し を 以て 史臣に 削られた ft^ と稱 する こと、 宋晁 公武 

の 郡 齊讀書 志に 見 ゆ 今 隋瞽. ^見る に 主 通の 傳無 さる-^ 晁 氏の 言の 如し。 然れ ども 舊唐 

書 隱逸傳 王績傳 中には 

兄 通 字 仲 俺、 大業 中 名 儒、 號,, 文中 子, 自有 X 傳、 

、と 云 ひ、 別に 文苑 傳王 勃傳 中に 附記して 曰く、 

祖通 隋蜀郡 司戶書 佐、 大業 末、 棄 雈歸、 以.. 著書 講學- 爲^、 依-春秋 體例ー 自-獲 

文中 子の 哲舉. S 六お 



, 支那 哲學の 研究 」n 六 力 

麟後: 歷,, 秦漢, 至, 於-後 魏: 著- -紀年 之 書 T 謂-之 元經: 又 依-孔子 家 語、 揚雄法 言 

, 例: 爲-, 客主對 答之說 r 號 曰-中 說" 皆爲- 儒 士所" 稱、 義寧 元年 卒、 門人 薜收 等、 相 

共、 議諡 曰-文中 子 T 二子 福 時、 福郊、 . 

新 唐 書 隱逸傳 王績傳 中には、 

兄 通隋末 大儒 也。 聚- 徒河汾 間; 倣, 古作-六 經 r 又 爲,, 中說? 以擬, 1 論語 r 不., 爲.. 諸 

儒, 稱 道-故 書不, 顯、 惟中 說獨 存、 

と 云 ひ 文 藝傳王 勃傳に は、 

初祖 通、 隋末 居-一白 牛溪- 敎授、 門人 甚衆、 甞 起- >漢 魏-盡 k 曰、 作,, 書 百 二十 篇 r 以 糠 

-古尙 書 r 後 亡,, 其 序 r 有, 錄無 者 十篇、 勃 補- -完缺 逸 f 定著 J 1 十五 篇 r 

i 云へ. ov。 彼の 行事の 史上に 散見す る もの 以上の 四 節に 過ぎ ざれ ども、 互に 相補 ひて 

凡そ 彼の 行事 を 想像す るに 足ら ひ。 而 して 彼の 著書 は 以上の SS 事 を 参酌して 六經 及び 

中說 あ- しも、 唯中說のみ存せしこと新唐書にょ..^て之を知るべし。 故に 新 唐 書藝文 



志に は 唯 儒家に 王 通 中說五 卷を錄 する のみ。 中 說は又 文中 子と 名ゥ く、 今存 する 所漢 

魏 叢書 本 は 上下 ニ卷 とし、 之 を 十篇に 分て. 5。 通 考本は 文中 子 十卷と あり 蓋 十 篇を以 

て十卷 となす ものなら む。 漢魏叢書本には阮通序ぁ.《^。 百 子 全書 本に は 又 別に 門人 杜 

^撰 文中 子 世 家 を 添 ふ。 

所謂 杜俺撰 文中 子 世 家 は 文中 子の 世 系 及び 行事 を錄 する こと 甚詳な 6^。 而 して 其の 

大要 は 中 說に錄 する 所に 蹈 合す。 故に 今 之に 依て 中 說を參 酌して 其の 大要 を 返べ、 次 

いで 所見 を附 すべし。 

王 通 字 は 仲 淹と云 ふ。 龍 門の 人な- 9。 世, 1- 書 香の 家な. 今 下に 其の 略 系を揭 ぐ.^ 

漢 徵君爵 : : 股 sis • … S 述 SI 秋 : : 寓 ー 罕 —秀ぉ II 以— 玄護 !1 J 

や 广換聽 P 決 l&lg— 彥 illl 傑き 鵲議隆 |?i 耍 IT 文中 子 —福郊 、啭 

な: • 厂凝 丄鹏畴 I 勃 fal, 

文中 子の 哲學. . H 六セ 



ま It 哲學 c»x^ B 一六 八 

^^中子は隋開皇四年を以て生る。(膽;^れぉ!?战 ?;^2簡)傳 へ 言 ふ 父 之 を し て 坤の師 は 

之く は » ひ、 之 を 祖に吿 ぐ。 祖 曰く 是れ素 王の 卦な. 9。 君德ぁ と雖 其の 時に 非 

ず。 是子 必ずよ く 天下の 志 を 通 ぜんと 遂に 名 づけて 通と 云 ふ。 開皇 九年陳 亡ぶ、 父 伯 

高 g の 歎して 曰く、 王道 叙 無し、 天下 何 爲れど 一 となる かと。 文中 子 時に 年六才 側に 

在 fts。 憂色 あ 6N て 曰く 通 聞く 古の 邦を爲 むる もの 長久の 策 あ 6S。 故に 四海 常 k1. 統 

す、 後の 邦を爲 むる もの 苟且の 政 を 行 ふ。 故に 魏晋 以下 數 百年 定主 あるな し、 】 是】 

非 何の 常 か 之れ 有らむ と。 伯 高 之を異 とし、 遂に 吿 ぐるに 元 經の事 を 以てす。 文中 子 

拜 して 之を受 く。 書 を 東海の 李 育に 受け、 詩 を 會稽の 夏 捵に學 び、 禮を河 東の 關子明 

は 閱ひ 、樂を 北 平の i に 正し、 易 ケ-族 父 仲 華に 考へ、 衣 を 解かざる こと 六歲、 其の 

勤勉 此の 如し。 仁壽 三年 (?^ f) を 以て 冠し、 慨然蒼生を濟ふ志ぁ.^、 西の方 長 安に 遊 

ぴ文帝 を 見て 太平 十一 一 策 を 奏す。 (g§tlf) 帝大に 僚 びて 議を 公卿に 下す。 公卿. 悅 びず 

時に 將に蕭 牆の禍 あらんと す。 文中 子^ち 去 あ。 J5 太子 廣帝 $ して 位に 卽<、 ま. 



を煬 帝と す。 太 業 元年 1 たぴ徵 すれ ども 至らず、 河 汾に歸 駄レて 起たず. {ti^ 服 t) 孔 

子の 業 を 繼ぐを 以て 自ら 任ず、 嘗て 曰く、 " 

千载而 下、 有 T 紹 _-宣 尼 之 業-者 5 荅不- 得 而讓- 也、 (1^. 地) 

詩 書 を績き 醴樂を £ し 元經を 修め 易 道を讃 し、 九 年 はし セ 成る。 門人 遠き 上. 9 至る も 

の甚 多し • 杜 俺の 撰 文に よれば 左の 諸子 を擧 けた .-、 曰く 河南の 董常、 太 山の 姚義、 

京 兆の 杜俺、 鄒の 李靖、 南 陽の 程无、 扶 風の 寶威、 河 東の 薛收、 中 山の 賈瓊、 淸 河の 

房 玄齡、 鉅 鹿の 魏徵、 太 原の 溫大 雅、 穎 川の 陳叔 達、 是等は 皆 其の 錚.^ < ^る ものな 

^^o なほ 關朗篇 によれば、 門弟 子の 六藝に 通ず る.^ を 

鵡——寶 威、 K 瓊、 姚義 > ' : \ : ザ 

-、 樂 1 溫彥 博、 杜 如晦、 i 達、 _ • 」 "つ 

書——杜 俺、 房喬、 魏徵、 - . 

^ 11 李靖、 薛 方士、 裴晞、 王珪、 

V で そ 二 文中 子の 哲學、 S 六 * 



支那 哲學の 研究 0S 

无經— 叔恬、 

六經 —董 常、 仇璋、 薛收、 程 元、 • 

と S へ ftN。 卽ち有 唐 創業の 功臣 殆んど 皆 彼の 門人な 6>。 而 して 濟< -多士 の 門弟 中 彼の 

董常を 見る ると、 恰も 孔子の 顔 回に 於け るが 如く、 嘗て 董常を 評して 其 顏氏之 流 乎 

(s^ 地) とい 《え 且つ 董 常の 文中 子に 先って 卒せし 乙と, 亦 顏囘の 孔子に 先り が 如し。 

周易 篇に 曰く。 . 

董常 死、 子哭, 之、 終日 不 P 絕、 門人 曰、 何 悲之深 也、 曰 吾 悲,, 夫 天 之 不., 相, 道 也、 之. 

子沒、 吾 亦將, 逝矣、 明 王雖, 興、 無., 以 定,, 禮樂, 矣、 . 

後屢徵 すれ ども 就かず、 大業 十三 年 (卽 ち義攀 元年) 疾んで 卒す。 年 三十 四。 前文 

周易篇に吾亦將逝矣の話は三十除才の壯者文中子の話としては注意すべき點な.0^とす 

門^ 等相議 して 曰く、 吾師 はもれ 至 人 か、 詩 書 を續き 禮樂を 正し 元經を 修め 易 道を讃 

し, 聖人の 大旨、 天下の 能事 畢る、 仲 尼 旣に沒 して 文兹に 在らず や。 易に 曰く 黄 裳 1R 



吉、 文 在, 中 也、 と 請ふ諡 して 文中 子と 言 はんと。 其 著書 は • 

鱧 論 二十 五篇 (十 卷) 樂論 二十 篇 (十 卷): き 

續書百 五十 篇 (二十 五卷) 續詩 三百 六十 篇 (十 卷) 5f . 

元經 五十 篇 (十五 卷) 贊易 七十 篇 (十 卷) , 

此 等の 書 は 唐 武德四 年 天下 大に 定まる に 及んで、 其 弟 凝に 授けし ると 杜 俺の 文に 見 ゆ 

れ ども、 今傳 はらず 唯 中說十 篇を存 する のみ。 

今中說 によ. 5 て 文中 子の 所謂 六 經を考 ふるに 

】、 元經 は皇 極讜義 (祖父 傑の 著) に 因て 修 むる 所に して、 之 を 孔子の 春秋に 擬 せる- 

ものな. nN、 故に 

天下 無,, 賞罸? 三百 载矣、 元經 可, -得 不&乎 (gm) 

おひ 元經其 正, 名 乎 (I 易) とい ひ、 又 

. #t 秋元經 於,, 王道 7 是輕重 之 櫂衡、 曲直 之繩皇 也、 失 則 無, 所, 取, 哀矣、 (M 君) / 

文中 子の-称 學. 3 七 1 



、 支那 哲學の 研究 三 七 二 

i 云へ .0>。 而 して 晋惠 帝に 始ま. cs、 (gll) 陳亡 ぶに 終 6N、 (I 史) 南北の 疑を斷 し, 

<| 樂) 其の 中に 元魏を 帝と なせ. 9、 (1 史) 凡そ 其 大要 を 想像すべし。 今漢魏 叢書 中に 

1兀經十卷ぁ,《^、 薛收之 を 傳し阮 逸 之に 注せ 力。 文 獻通考 本 は 十五 卷 とす、 面 して 晁 

公武の 郡 齊讀誊 志に 之 を 以て、 E 逸の 假託 となして より 後人 皆異說 なし。 故に 今 亦 

之れ を 論ぜす と 云 ふ。 

二、 績詩 は 時變論 聽) に 因て 修 むる 所、 問 易 篇に績 詩の 因て 修 むる 所以 を說 いて 

曰く 

諸侯 不 J 貝, 詩、 天子 不, 採 k、 樂官不 J? 雅、 國史不 お &!、 嗚呼 斯則 久矣、 詩 

可- 以 不-續 乎、 

而 して 詩 中に 採錄 する 所 凡そ 六 代なる ると は、 禮樂篇 に 績詩以 辯 六 代 之 俗と あ 4、 

其 他 王道 篇に 薛收の 問に よ.^ て 明な. CN。 然るに 天地 篇に は績 詩に よ て 七 代の 損益 

を視 るの 語 あ feN。 未た 孰れに 從ふ へき か 知ら ざれ ども 暫く 多數 の 法に よ て山ハ 



代と す。 天地 篇には 績詩を 論じて 

可, -以諷 T 可- 以達ー 可- K 蕩 一 可- 以 猫處- 出 則悌、 入 則 孝、 多 見-治 E 之 情 T 

とい ひ、 又 上 明 k 綱; 下達-五常-の 語 あ 6.。 且つ 搴君篛 に は 四 名 五 志の 說ぁ *, 

日く 

薜收 問- -續 詩; 子 曰、 有-四 名- 焉 有-五 志- 焉、 何 謂-四 名 1 1 曰 化、 天子 所 3 以 風- 

天下, 也、 二 曰 政、 蕃臣 所, n 以 移-其 俗-也、 三 曰頌、 以- 成功- 告- 於 神明-也、 四 曰 

歎、 以陳, 誨 立- 誡于 家-也、 凡此四 者、 或 美焉、 或 勉焉、 或 傷焉、 或 惡焉、 或誡, 

焉、 是 謂-五 志 7 

鎮 詩の 大略 は 以て 想像す るに 難から ざるべし" 

-1、 續書 は 政 大篇へ S§ 姐) によ. CS て修 むる 所。 天地 篇に 曰く、 大義 之 燕 甚矣、 詩 書 可- 

以 不-績 乎、 

是れ 詩と 同じく 績 書お 修めし 所以な i。 而 して 書中 錄 する 所 は 天子の 義凡を 四、 大 

文中 子の 哲學 一一 一 セーュ 



支那 哲學 s 研究 一一 ーセ四 

E の 義凡七 あ 6N、 周 公篇に 曰く 

賈瓊 問, -續書 之義; 子 曰、 天子 之義、 列,, 乎範, 者 有』、 曰 制、 曰 詔、 曰 志、 曰 策、, 

大臣 之義、 載-子 業-者 有, 七、 曰 命、 曰訓、 曰對、 曰讃、 曰議、 曰誡、 曰諫、 i 

而 して 續 誊の漢 よ, 9 始まる こと 王道 篇中 薛收の 問に よ.^ て 明な ft, 。 文中 子 之に 答て: 

曰く 」 

六國之 弊、 亡秦之 酷、 吾不, 忍, 聞 也、 又焉 取,, 皇 綱-乎、 漢之 統,, 天下, 也、 其 除, T 

殘稼ハ 與, 民 更始、 而 興,, 其 視聽, 乎、 . . 

天地 篇 にも 亦 曰く 一 

"二 帝 三 王、 吾 不-, 得而 見, 也、 捨,, 兩漢 r 將 安之 乎、 

是れ 其の 漢ょ. c> 始まる 所以な *。 其 篇數は 文中 子 世 家に は 百 五十 篇 といへ ども、 唐, 

書に は 百 二十 篇と あ.^、 尙誊百 二十 篇其 十八 篇を中 候と し百兩 篇を尙 書と する ると. 一 

鄭玄 ぎく 力 如し。 彼已に 書お 續ぐ、 恐らく は篇數 も亦尙 書と ig じく 百 二十 篇 な.?, 



: しなるべし。 • 

四、 其 他 彼 は 又 禮樂を 正し、 王道 之駁 久矣、 禮樂 可- 以不 P 正 乎、 (I 地) と 云 ひ 、正-一 禮樂っ 

以旌- 後 王 之 失- (,樂 ) と 云 ひ、 又 易を賛 して 孔子の 旨 を 明に せ $ と 云へ ども、 其の 詳 

細に 就て は 中 說には 又 之 を 記さず。 蓋 彼の 最カ を盡く せし は 元經 及び 續詩 書に あ 

ら。 之 を 以て 門弟 子 を敎へ 又敎を 天下に 垂れん となせ 6.。 然れ ども 今皆傳 はらず、 

其 詳細.^ 考 ふる 能 はざる な ft. 。 

彼 は 又 別に 中 說十篇 あ-.。 文中 子の 行事、 其の 爲人、 其の 學問等 を 知るべき もの は 唯 

此誊 あるの み。 然れ ども 中 說を讀 む 者 は 何人も 此 書が 果して 文中 子の 言な ft- や。 否 

やに 就いて 疑惑の 念 を 起さ C る 者 は あらざる べし。 晃 公武の 郡 齋讀窨 志に は 之 を 論じ. 

て 曰く、 

今觀 -中說 7 其 迹往. ^僭 _1聖 人 T 模擬 竄竊、 有 T 深 可- 怪 笑-者 h 獨貞觀 時諸將 相、 f 

房 杜李魏 二 溫王陳 r 皆 其 門人、 予嘗以 k 此爲, 疑、 及 J^- 李德林 關朗薛 道衡事 r 然 後- 

文中 子の 哲學 一 一 一七 五 



支那 贫學の 研究 111 セ六 

知,, 其 皆妄, 也、 通 生-, 於 開 皇四年 7 而德林 卒以- 十一 年 T 通 適 八歲、 固 未, 有, - 門人 r 

通 仁壽四 年、 嘗 一到,, 長 安 r 時 德林卒 、已九 載矣、 其 書 乃 有 T 子 在,, 長 安 r 德林請 k., 

歸援, 琴皴, -蕩之 什 T 門人 皆沽ぉ 襟、 關朗 在,, 太 和 中 r 見, -魏 孝文ハ 自,, 太 和丁已 7 至- 

逋生之 年 甲 辰; 蓋 一 百 七 年矣、 而其睿 有, 問,, 禮於關 子 明 r 隋書薛 道 衡傳稱 、道衡 仁壽. 

中、 出 爲-- 襄州總 管; 至,, 煬帝卽 位, 召還、 本 紀仁壽 二 年 九月、 襄州總 管 周 搖卒、 道 

衡之 出、 當 ,在,>此 年, 矣、 通 仁壽四 年、 始 到,, 長 安 r 是年 高祖 崩、 蓋 仁壽末 也、 又隋 

書稱、 道 衡子收 初生、 卽出繼 --族 父 儒: 養,, 於 儒 宅 r 至-, 於 長 成: 不 ,識,- 本 生; 其 書 有 

,內 史薛公 見,, 子 於 5 女: 子收, 曰、 汝 往事お 之、 用&三 事, 推焉、 則 以,, 房杜 輩, 爲 

-rexT 抑 又 可:, 知矣、 "ま纖> 

晃公武の言ふ所は皆信にして徵ぁるものな.c^、 何人も 此の 非難に 對 して 文中 子 を 辯 護 

する 能 はざる ぺし。 陳龍川 嘗て 文中 子 を 喜び 之お 類 次して 十六 篇 となせ 4、 然れ ど.^ 

itvl ト ' ^ " ,i , I ■ II ^,,r ■ !, Hi f ► - : 1.— 'r.t. 



以.. 中說, 方綸語 T 以 i 常-比-顔 ま 與. -E 人 i、 而名朝 之 執政 者、 與- 老儒 老將 

. -. 言、 而 It, 之 無- 婉辭: 此讀- 中 說-者 之 所-同病-也, 

と 言へ-.。 是れ堇 中 說を讀 む 者の 何人も 想起す る 所なる べし。 程 子 f て 文中 子 を評レ 

て 曰く :::ひ お;^^ さる C .S や、 : : 

王 通隱德 君チ也 *、_.當&ぎ 少 言語 T 後 來爲- 人 傅會" 不^ i 謂き 書ハ 其 粹處、 殆 

. 荀揚 所-及、 若- -績經 之類ハ 昝 非-其 作 T 

是れ蓋 中 說に關 する 定論と 云 ふべ し。 然 らば 文中 子の 說く所 は 如何なる 點に 止ま 

て、 後人の 傅會 せる 所 は 果して 如何、 到底之を辨別する^^と能はざるも、 予は 今專ら 

中說に 依らて 此 書中に 見 はれた る 思想 を迎 fts て 之 を 一 定の 組織の 下に 論述 せんとす。 

文中 子の 言と 後人の 傅 會と雜 採す る處 あら は、 讀者 自ら 之 を 判別して 可な i。 若レ. 9 

れ文 中子 を 以て 烏有先生 となす ものに 就いては、 予は正 氏 揮 麈錄の 言 を 引用して 之 は 

對 ふべ し。 日く、 

文中 子の 哲學 IH 



支那 哲學の 研究 三セ八 

文 6. 子隋末 大儒、 歐 陽文忠 公宋景 文修, -唐書 r 房杜傳 中、 略不, 及,, 其 姓名 r 或 云、 

其 書 阮逸僞 作、 未, „必 有-, 其 人: 然唐李 習 之嘗有 ,讀,, 文中 子 r 而劉禹 錫 作-王 華 卿 墓 

誌; 序 載,, 其 家 世 行事, 甚詳、 云, 門 多-偉人 r 則 與-, 書 所 P 言合 矣、 何 疑 之 有、 又 皮 日 

休 有,, 文中 子 碑 f 見,, 於文粹 f i . 

(一一) 其の 性格 ,.c 

文中 子 は 孔子 を學 び、 行住坐臥 常に 孔子たら s< こと を 期す る 者な. os。 孔子が 天下お 

周流して 屢隱 者に 遇; 5 しが 如く、 文中 子 も 亦屢隱 者に 會せ .5。 孔子が 往, 天下の 木鐸 

を 以て 目せられ、 聖人き 以て 評せられ しが 如く、 文中 子 も 亦 屢至人 を 以て 目せられ、"" 

或は 大賢 を 以て 評せら る。 論語 中には 鄕黨の 一 篇 あ.^ て、 孔子の 起居 動作 を 描く ると 

極めて 詳な ftv。 而 して 中說 にも 亦 文中 子の 起居 動作 を 描く 乙と 甚だ 詳な .oso 兩々 對照 

し來れ ば、 中說の 論語 を 模倣せ し 跡、 歷々 指摘すべし。 

餽相篇に曰,^、".^ *「K 人 ~<3f 



子 謁,, 見 隋祖: 一 接而陳 -1 士 一策 ハ 

盖太 こ. 道の 行 はるべき を 見 たれ はな 然るに 楊 素が 文中 子を徵 せんとす る や、 之に 

答へ て 曰く ,1 

疏屬之 南、 汾水之 曲、 有-先人 敝廬 在? 可 3 以 避-風雨 T 有, 田 可 3 以 具- 饋粥ハ 彈, 琴 

著, 書、 講 JF」 勸, 義、 自樂 也、 願 君 侯 正, 身 以統- 天下 ハ 時 和 歲豐、 則 通也受 k 賜 多 

矣、 不. 願. 仕 也、 (I 君) 

遂に 仕へ ず。 仕 ふる を 欲せざる に 非ず、 仕 ふるに 足ら ざれ はなら。 其 心 は 未た 曾て 夭 

卞に存 せ ずん は 非ず。 故に 魏徵、 杜 it 、董常 等が 各 其 志 を 言 ふに 當ゥ て、 董常 曰く、 

願 聖人 之 道行-於 時: 常 也 無^-於 出處 T(g 地) 

文中 子卽ち 之に 與 せる は 是 か爲?。 (馊 SJSli?^ ま §-1) 河 上 丈 人 8 お S) 

嘗 つて 文中 子 を 評して 曰く、. 

i ぎ 乎斯人 也、 心 若, 醉- -六經 T 目 若, 營-- 四海" 何 居 乎、 斯人 也、 <w 君) 

文中 子の 哲學 - 一七 九 



支那 哲學の 研究 

北山 丈 人 も 亦 曰く 

何 謂 這々 者、 无, 急歟、 子 曰 非,, 敢急: 傷,, 時 怠, 也、 (13 

二 丈 人の 評する 所、 及び 文字 中の 答 ふる 所に 由って 彼の 志の 存 する 所 を,. 見る ベ し • 

sps^-^^ 文) 從子王 珪は 卽ち 曰く、 

吾 聞 i 朗 之筮, 矣、 積亂之 後、 當さ, 大賢; 世 習- 禮樂; 莫, 若, -吾族 r 天 未 道、 

振- 1 斯文-者、 非, 子 誰歟、 (§ 朗) 

鄉人內 史薛公 は卽ち 曰く、 

王 氏 有 父, 焉、 有,, 子孫, 焉、 雖, 然 久,, 於 其 道 r 鍾,, 美 於是, 也、 是人必 能 叙,, 露像, 

矣、, 

薛 公の 語 は 頗る 孟僖 子の 孔子 を 評する に 似た 40 (Ig^gi; 年) 仲 長子 光 も 亦 曾て 文中 

子の e: 人に 語って 曰く、 - ■ V- . 

子 之. 師其至 人 乎、 死生 一 矣、 不, 得,, 與, 之變; (I 公) 



至 人 及 ひ 死生 一 矣の 語は莊 子の 常套語な るると は 注意すべし。 事は猶 後に 詳な 6N。 禮 

く、 

子 自,, 蒲關 r 關吏陸 逢 止, 之 曰、 未, 可 3 以 遯-, 我 生 民, 也、 子爲, 之 宿、 翌日 而行、 

陸 逢 送. 子 曰、 行矣、 江湖 鱸 鯨、 非 _| 溝 瀆所, 容也、 

盖し隋 祖ケ」 見て 道の 行 はれざる を 知. 9、 遂に 之 を 去. 9 し 際の 事なる べし。 然れ ども 目 

は 四海 を營 み、 時の 怠る を 傷 ひの 人 は、 決して 生 民 を遯る k 人に 非るな. ft.。 前後 や 

矛盾せ る を 見るべし。 且つ 出 關の事 は甚た 老子 出 關の說 と 相 類し、 陸 逢 は 僅に 一宿 を 

得れ ども、 關令尹 喜 は 卽ち五 千 言 を 得しとの 相違 あるの み。 事は猶 後に 詳な 6N。 而し 

て 門人の 文中 子 を 見る こと は 言 ふ 迄. も 無 し。 王 孝 逸 は 4K 子の 道 は 孔子に 劣らず とい 

ひ。 (^道) 程 元は 盖天之 を 啓く 積學の 能く 致す 所に 非ざる な.? 稱 せり。 (I 樂) 

次に 文中 子の 風釆に 就いては、 龍 門 關の吏 仇 璋の語 頗る 詳な 6。 魏相篇 に 曰く、 

吾 視-- 其顙; 頹如 也、 重 而不」 几、 目燦如 也、 澈 而不, 瞬、 ロ敦如 也、 闞而 不., 張、 鳳 

中子の 哲學 一一 一八 1 



支 都哲學 の硏究 三 八 二 

頸龜 背、 鬚 垂至, 腰、 參如 也、 與, 之 行、 俯然而 色卑、 與, 之 言、 泛然 而後 應、 浪驚 

拖旋 而不, 懼、 是必 有, 異, 人 者 也、 吾 聞, 之、 天下 無, 道、 聖人 藏焉、 鞠躬 {.K 默、 斯 

人殆似 也、 

其の 溫柔 敦厚なる 風釆畫 くが 如き を 見よ。 唯 三十 歲 前後の 壯者 たる 文中 子の 鬚 か參如 

として 垂れて 腰に 至る が 如き は、 頗る 異 とすべき もの あ 6V。 

次に 彼の 日常の 行動に 就いては 事 君篇に 記す 所、 最詳 な. nN。 曰く、 

子 間 居 儼然、 其. 動 也徐、 若, 有, 所, 慮、 其 行 也、 方 若, 有, 所, 畏、 其 接, 長 也、 恭々 

然、 如, 不, 足、 接-幼 者? 溫々 然、 如, 有, 就、 子 之 服、 儉 以挈、 無-長物, 焉、 綺羅 

. 錦繡、 不, 入- 于 室? 曰 君子 非,, 黄白- 不, 御、 婦人 則 有, -靑碧 r 子 寡, 賓、 無,, 甙饌 r 食 

必去 k 生、 味必 適、 果菜 非-其 時: 不, 食、 曰 非-天道-也、 非,, 其 土, 不, 食、 曰 非, I 地 

道-也、 鄕人 有- 1 窮而索 者 r 曰 ,爾 於, 我 乎 取、 無 T 擾 _,爾 隣 里鄕黨 -爲, 也、, 我則不 k 厭、 

鄉人 有,^ ?必 先往、 反必 後、 子 之 言、 應而不 "唱、 唱必 有, i 大端 r 子 之鄕、 0.0. 



者 f 或 問,, 人 善? 子 知-其 善 r 則稱 k 之、 不 Ji、 則 曰, 未, I 嘗 與久, 也、 子 濟,, 大川? 有 

, 風 則 止、 不, 登, 高、 不, 履, 危、 不, 乘, 悍、 不_, 奔馭ハ 鄕人 有,, 水 土 之 役 r 則 具,, 畚錄 

,以往、 曰 吾 非お- 大夫, 也、 

其の 自 から 持す る こと 謹駸、 物 を 待つ こと 寬裕、 自 から 奉ずる と儉 素、 人 を 救 ふ は 

吝嗇なら ず、 攝生を 重んじ 危 きに 近づかず、 人の 善 を稱. する を樂 しみ、 鄕人も 亦自か 

ら 其の 德に 感化して 相 爭ふ者 無 か. o> しこと を 記述して 遺慽 無しと いふべ し。 

(一 5 彼の 目的 

文中 子の 目的 は 王道の 赏 現に 在, 不幸に して 王道の 暗く して 明かなら さる 乙と 旣 

に 久し。 故に 彼 は開卷 第! に厲聲 疾呼して 曰く 

甚矣、 王道 之 難, 行 也 

と。 千歲ょ ft> 上、 聖人の 上位に 在る もの は 周 公に 若く は 無し。 千歲 より 下、 聖人の 下 

位に 在る もの は 孔子に 若く は 無し、 周公沒 して 聖人の 道行 はれず。 孔子 沒 して 聖人の 

文中 子の 哲學 三八ミ 



支那 哲學の 研究 三 八お 

遒傳 はらず。 周孔の 道行 はれず。 是れ 王道の 明かなら ざる 所以な fc^o(^ 觸篇) 是を 以て 

王道 を實 現せん と 欲せば、 須 らく 周 公 孔子の 道 を 行 ふべき な ft. 。 孔子 は 嘗て 曰く、 如 

し 我ケ- 用ね る 者 あらば、 吾夫れ 東 周を爲 さむ かと。 文中 子 も 亦 曰く、 

如 有-用』 者; 吾 其爲, I 周 公所 P 爲乎、 (^地) 

命 あ. 如何と もすべからず。 故に 孔子 は 退いて 六經. 修めた. ftN。 文中 子 も 亦 遂に 道の 

天下に 行 ふ 可から ざる を 知る。 故に 曰く、 

千歲而 下、 有.^ 紹,, 宣尼之 業, 者 h 吾不- 得而讓 一也、 (默 地) 

彼 か六經 を續修 せし は實に 之か爲 な.. -。 . 

(四) 政治 說 

若し 彼 を 用ね る 者 あらば 彼 果して 如何なる 政 をか爲 すべき。 禮樂の 政卽是 な. ft>。 彼 

畲て房 玄齡に 語って 曰く、 

王道 盛、 則禮 樂從而 輿焉、 非,, 爾 所-及 也、 (r^ 



王道 篇 にも 亦 曰く、 . . 

二三 子 皆 朝 之預】 者、 今 言, 政 而不, 及 i 化、 是 天下 無 X 鱧 也、 言, 聲而不 k 及 X 雅、 是 

天下 無, 樂也、 言, 文 而不, 及, 理、 是 天下 無レ文 也、 王道 從, 何而興 乎、 

是れ赏 に 彼が 禮樂を 正せし 所以な. 5。 故に 曰く、 

王道 之駁 久矣、 禮樂 可- 以不 i 乎、 ® 

彼 は 嘗て 自 から 謙遜して 

吾 於,, 禮樂っ 正, 失 而已、 如-其 制作" 以俟, - 明哲: (I) 

と 言 ひし も、 其の 自 から 任す る 所 は、 又 折に 觸れて 言に 發せ 6.。 董 常の 死す る や、 文 一 

中子 之を哭 する 乙と 終日に して、 門人に 語って 曰く、 

吾悲, -夫 天之不 T 相 %」 也、 之 子歿、 吾 亦將, 逝矣、 明王雖 k つ 無 以定 = 禮樂 -矣、 

卽ち 鱧樂の 政の 如き は 房玄齡 輩の 及ぶ 處に 非ず。 唯 夫子と 董 常との み、 よく 之に 任ず 

文中 子の 哲學 . 一一 一八 五 



支^ 哲學 の硏究 11; 八 六 

可し となせ しな. o。 周 公篇に 曰く、 

通-其 變ハ 天下 無 H 弊法ハ 執-其方 r 天下 無,, 善敎 7 

然 らば 禮樂の 制定に 至. > て は、 彼 は 方に 鏺 通の 妙 を 極ん とす。 孔子 は 嘗て 顔 回に 語 6- 

て禮樂 制定の 方針 を 示せ. >。 文中子の方針は蓋し彼が正したる禮樂中に明らかな.=^し. 

ならむ。 今 其の 書 散佚して 其の 詳細 を 知. 難しと 雖も、 暫く 中說に 依って 之 を 想像せ 

んか、 彼 は 曰く、 

冠 禮廢、 天下 無-成, 人, 矣、 昏 禮廢、 天下 無,, 家 道, 矣、 喪 禮廢、 天下 遺-其 親- 矣、 祭 

禮廢、 天下 忘- 1 其祖, 矣、 鳴 呼 吾 末, 如,, 之 何, 也 己矣、 

冠婚 喪祭 を 以て 人生の 大 禮と爲 せし は 明らかな. CN、 其の 他 述史篇 に は、 

宗祖 廢、 而氏姓 離矣、 

とい ひ、 家族 主義 を 主張し、 事 君篇に は、 

嫁娶而 論, 財、 夷 虜之道 也、 君子 不, 入,, 其鄕 T 古 者 男女 之 族、 各擇; ぉ焉、 不,, 以, 財 



爲, 禮、 . 

と いひ、 婚禮を正ぅすべきを主張せ.《^、 嫁娶 せんとして 財の 多寡 を 論ずる は、 夷虜の 

道な ft> とい ふが 如き は、 薄志弱行の 青年輩 を 痛罵して 遺慽 無しと いふべ し。 天地 篇に, 

曰く、 

薛方士 問 Js、 子 曰 貧者 傚-手足: 富者 具,, 棺槨 r 封 域 之 制 無. ^ 廣也、 不, 居,, 良田 r 古 

者 不,, 以 k 傷 生、 不- 以 爲.^ 禮、 

儒家の 葬 禮の重 且大に 過ぐ るに 對し、 取捨の 意を寓 し、 墨 家の 極端なる 節 葬に 陷らず 

して、 寧^<:孔子の易めんょ^^は寧^c戚めょの訓に適ひ、 頗る 時勢に 切なる を覺 えずん 

は 非ず。 天地 篇に 曰く、 

子藝 J^、 登場 歲不, 過, -數石 T 以供 U 祭祀 冠婚 賓客 之 酒-也、 成; S 則 止、 子 之 室、 酒 

不鼪、 

彼が 鱧お 貫ん ぜ しこと 亦 以て 想兒 する に 足る。 法制に 就いては 別に 言ふ處 を兒 ざ れど 

文屮 子の 哲^ ! 二八 七 



:き 



那哲 i- の 研究 三 八 八 

無, 赦 之國、 其刑必 平、 多 欲 之國、 其財必 削、 (g) 

とい ふが 如き、 彼が 信 賞 必罸と 民力 休養の 意見 を 有せし を 想像す るに 足るべし 

以 上述ぶ るか 如く、 彼の 意見 は 頗る 取捨す る 所 あれ ども、 大體に 於いて 彼の 政治 說 ^ 

は復古主義な.0^き0 立命 篇に 曰く、 

賈瓊 曰、 淳灕模 散、 其 可, 歸乎、 子 曰、 人 能弘, 道、 苟 得,, 其 行; 如, 反 爾、 (I) 治 

亂相 易、 澆淳 有, 由、 輿 衰資, 1 乎 人 r 得失 在,, 乎敎? 其 曰,, 太古 不 T 可, 復、 是未, 知,, 先 

王 之 化, 也、 詩 書 禮樂、 復何爲 哉、 

彼 は 卽ち詩 書 禮樂を 用ね、 且 其の 人 を 得ば、 太古 復す 可から ざ るな しと 言へ 6.。 而し 

て 彼 は 理想的 至 治の 世 を 述べて 曰く、 

古 者鑒王 在, 上、 田 里 相距、 鷄犬相 聞、 人 至,, 老死; 不,, 相 往來ハ 盖 自足 也、 是以 ギ: 

治 之 代、 W 典 潜、 五禮 措、 五 服不, 章、 人知, -飮 食: 不』 = 盖藏: 人知,, 群居: 不, 知, 



愛敬 T 上 如- -標枝 T 下 如-野 鹿 r 何 哉、 盖上 無爲、 下 自足 故 也、 (^ 

I に 至って 彼 は 老子の 語 を 引用せ. 9。 先に 述べた る 出關の 記事 及び 至 人の 語 等に 思; S 

合 はせ て、 彼が 知らず 識ら ず、 老莊 の說を 混せ る を 見よ。 老子 は禮樂 を廢棄 して 民樸 

き. に歸 るべ しと 云 ひ、 彼 は讀書 禮樂を 用ね て 民 淳に復 すべし と 云 ふ。 其の 矛盾に 就い は 

彼は關 知せ ざる もの、 如し。 * 

彼 は 四民の 別 五 等の 序 等の 如き 階級 制度 を 是認せ 6^。(1) 而 して 其の 最も 注意すべき 

は國 民の 輿論 ケ尊 重せ しこと な ft^。 問 易篇に 曰く、 

議其 盡-, 天下 之 心-乎、 昔 黄 帝 有-合 宮之聽 r 堯 有,, 衞室之 問 T 舜 有- -總 章之訪 r 皆議 

之 謂 也、 大哉 乎、 幷- 天下 之 謀; 兼-天下 之智 T 而理 得矣、 我何爲 哉、 恭, 己 南面 而 

已、 

鱧樂篇 にも 亦 曰く、 

議 天子 所-, 以 兼采而 博聽- 也、 唯 至 公之 主、 爲- -能擇 -焉、 

文中 子の 祈 S ま 三 八 九 



支那 粹學の 研究 三 九 〇 

萬 機 公論に 決せん とする 衆議 制 を 是認す ると 共に、 天子よ く 至 公の 心 を 以セ 天下に 君- 

旗すべき を 述べた るか 如き、 殆んど 現今の 立憲君主政 體を豫 想す る もの あ, os。 是れ盖 

し 儒者の 理想と する 所な. CN。 儒 は 卽ち至 公 を 尊ぶ、 然れ ども 君主の 尊餒は 依然として 

動かす 可から ざるなら。 孰れ か 儒敎を 以て 民、 王 的な. と 云. ふ。 

(五) 儋理說 

彼 は 多くの 儒家と 同じく、 義務 論と して 三 綱 を 取 ftv、 德論 として 五常 を 取る 乙と、 

天地篇に見ぇたる薛收の語に由6^て明な6^。 曰く、 

菩嘗 聞-, 夫子 之 論 P 詩矣、 上 明-三 綱 r 下達-五常 r . 

# 述 * 篇 にも 亦 曰く 

, 薛收 問, 仁、 子 曰 五常 之始 也、 問, 性、 子 曰 五常 之 本 也、 

仁 を 以て 五常の 始 となす を 見れば、 五常 は卽ち 仁義 禮智 信なる こと 疑 ふ 可から ず。 广" 

して 性 を 以て 五常の 本と なす を 以て 之 を 見れば、 盖 五常の 德は 性の 基礎の 上に 大成 首- 



らる べしとの 意なる べし。 なほ 性に 就いて 彼の 考を 見る に、 王道 篇に. 曰く、 

.. 或安而 行, 之、 或利而 行, 之、 或畏而 行, 之、 及-其 成 T 功 1 也、 

是れ 正に 中庸に 所謂、 生 知 安行、 學知利 行、 及び 困知勉 行の 語と 同じ。 卽ち彼 は 子 

思と 同じく 三 品說を 取る ものと いふべ し。 彼は斯くの如く生知安行を4ゅ2むるに拘^&^ 

ず、 却って 天啓の 聖人 を 認めず、 何人 か學 問に 由ら ざれば、 成德の 域に 至る 可から ず 

となせ fts。 禮樂篇 に 曰く、 

元 (g) 汝知乎 哉、 天下 未 不, 學而成 者, 也、 

然 らば 其の 所謂 學とは 何 どや。 天地 篇に之 を 解して 曰く、 

學者博 誦云乎 哉、 必也 貫,, 乎 道 ハ 文 者 苟作云 乎 哉、 必也濟 -乎義 r 

卽,^學問の目的は道を賞くに在ft^、 博覧 多識の 如き 未, た 以て 學と言 ふ 可から ず。 其の 

他事 8 に、 

古 之 史也辨 JF」、 今之史 也耀, 文、 

. 文中、 子の 哲學 三 九 1 、 



. 支那 哲學の 研究 一一】 九 二 , 

と 云 ひ、 或は 又 

古 之 文 也約以 達、 今 之 文 也繁以 塞、 

と 云; 3 しが 如き、 其の 志の 存 する 所 を 見るべく、 洗 鍊雕琢 のみ を 乙れ 事と せし、 隋唐 

の 文人に 對 して は 正に 項 門の 1 針と いふべ し、 學 問の 目的 は 聖人た るを學 ぶに 在る ベ 

き^^-と、 亦 言 を 待たず。 然るに 彼 は 又 嘗て 成人 を 論じて 曰く、 

姚義之 辯、 李靖 之智、 賈瓊 魏徵之 正、 薛收之 仁、 程 元 王 孝 逸 之 文、 加し N 以 篤 固 r 

申, 之以- 禮樂; 可, „ 以爲 - 成人, 矣、 

孔子 嘗て 成人 を 論せ しと 何 ど 其の 相似た るの 甚 たしき。 要するに 以 上述ぶ る 所 は 純然 

たる 儒家の 見な hN。 然れ ども 彼の 倫理 說は又 頗る 老莊の 見 を 混ず る もの あ ftN。 天地 篇 

に 董常を 評して 曰く、 

常 也 其 殆坐忘 乎、 ♦ 

顏囘が 坐 忘せ し と莊 子に 見 ゆ、 董常 は卽ち 文中 子の 顏囘 なると 前に 述べし が 如し。 



天地 篇又 曰く、 - 

董常 曰、 夫子 之 道、 與, 物 而來、 與物而 去、 來無 i 所, 從、 去 無 k 所 k 親、 

廓お 大公、 物來. 9 て嘅應 すと は 易に 見 ゆれば、 必ずしも 老莊の 見と いひ 難しと 雖も、 一 

頗る 老莊の 見と 類す る もの ある は 疑 ふ 可から ず。 又 曰く、 

子 謂-程 元-曰、 汝 奥- 董 常-何 如、 程 元 曰、 不一- 敢企" 常、 常 也 遺-道 德" 元 也 志-仁 

義 T 

* の 事 は カ子が 子 貢に 顔囘 との 優劣 を 問 ひしと 相似て、 其の 言 は卽ち 老莊の 思想な 

.00 仲 長子 光 嘗て 文中 子 を 評して 曰く、 

子 之師、 其 至 人 乎、 死生 一 矣、 不レ得 <-與, 之變ス S へ A) 

是又莊 子の 語の み。 是を 先の 政治 說 中に 擧 げたる 理想的 至 治の 世の 殆と 老子の 理想 國 

と 同じき 等に 參照 すれば、 彼の 倫理 說も亦 知らず 識らず 頗る 老莊の 影響 を 受けた る を 

見るべし。 

文中 子の 哲學 • 3AH 



ま 那哲學 の 研究 三 九 5, 

(六) 宗敎觀 

彼は孔子を學ぶ者な.c^。 故に 其の 宗敎觀 も 亦 孔子と 相似た ft, 。 王道 篇に 曰く、 

子讀 一一 無 鬼 ゆ 曰、 未, 知, 人、 焉知, 鬼、 

孔子が 未知 生、 焉知 死と 云へ る こと、 其の 造語 相似た う。 彼 は 焉んど 鬼, V 知らん とい 

へど も 鬼神.^ 認めざる に 非ず。 鬼の 存在 を認 むる と雖 も、 孔子と 同じく 敬して 之 を P 

さけんと するな .CSC 故に 天地 篇に 曰く、 

陳叔達 問 T 事-, 鬼神, 之 道 h 子 曰 敬 而遠, 之、 

天地 篇に又 曰く、 . 

問レ 祭、 何獨祭 也、 亦 有, 祀焉、 有, 祭焉、 有, 享焉、 者不, 同、 古 先聖 人 所。, 以 接.. 

. 三才 之奧, 也、 , 

天神に は祀 とい ひ、 地 觝に は 祭と い; 3、 人 鬼に は 享と云 ふ は 周禮, に Bi する 所に して、 

彼は盖其の說にょらしこと明なft^。 卽ち彼 はたに に 天地人の 三才お 承認す るの みなら 



ず、 祭る に その 禮を盡 くさん とするな. 5。 今 三才に 就ての 彼の 所見 を考 ふるに、 

氣爲, 上、 形聚っ 識 都-其 中つ 而 三才 備矣、 (§) 

と 云 ひ、 或は 又、 

夫 天 者統- -元氣 -焉、 非,, 止蕩々 蒼々 之 謂, 也、 地 者 統-- 元 形, 焉、 非-北山 川 丘陵 之 謂, 

也、 人 者 統,, 元識 -焉、 非-止 圓首方 足 之 謂-也、 (^) 

と 云 ふ氣と 形と は 明 了に して 說明を 待た ざれ ども、 識 とは盖 知識の 識 にして 神 的 作 

用 を 言 ふ、 彼 は 又 天神 を 解して、 . 

遠 則 冥 ,- 諸 心, 也、 心 者 非, 他 也、 窮, 理者 也、 故悉本 n 於 天 r 推 n 神 於 天 

と 云 ひ、 地 紙 を 解して、 

至 哉、 百 物 生焉、 萬 類形 焉、 (中略) 形 也 者 非, 他 也、 骨肉 之 謂 也、 (I) 

と 云へ 6V。 其の 言 ふ 所 明瞭なら ざれ ども、 要するに 天 は 元氣を 統べ、 人 之 を 得て 以て 

心と し、 地 は 元 形 を 統べ 人 之 を 得て 以て 骨肉と なすが 如し。 封禪を 論じて、 

文中 子の 哲學 3 丸 五 



ま那 I の 研究 一二 九 六 

封獮之 費、 非, 古 也、 徒以夸 n 天下 7 其 秦漢之 侈 心 乎、 (1) 

と 云 ふが 如き、 醇 儒の 見と して 頗る 尊重すべきな .cs。 

彼 は 弟子 董 常の 死せ しとき、 歎じて 天の 道 を 助けざる を 悲しむ と 言 ひしが 如き、 @ 

或は 又 

命 之 立 也、 其 稱,, 人蔡, 乎、 故 君子 畏, 之、 (§) 

と 云 ふが 如き、 天命に 就いて 惑 ふの 念 無き 能 は ざ. き。 然れ ども、 

賈瓚 曰、 甚矣、 天下 之不, 知, 子 也、 子 曰、 爾願, 知 乎 哉、 姑 修焉、 天 將, 知, 之、 況 

人 乎、 (1) 

i 云 ひ、 遂に 

治亂蓮 也、 窮達時 也、 吉凶 命 也、 I 來 一往、 各以, 數至、 豈徒云 哉、 (I) 

と 云 ふに 至って は、 旣に 安心立命の 域に 到れる を 見る、 彼 嘗て 或 人の 長生 不死の 道お 

問 ひしに 答へ て、 



仁義 不, 修、 孝悌 不, 立、 奚爲 - 長生 r 甚矣人 之 無 k 厭 也、 (I) 

と 云 ふが 如き、 人の 務む べき は卽ち 仁義 孝弟に 在 6^、 生死の 如き は實は 數の當 さに 然 

るべき 處、 吾人の 如何と もすべからざる 處、 となせ るお 見るべし。 

次に 彼 は儒釋 道の 三敎を 論して 曰く、 

詩 書 盛而秦 世滅、 非-仲 尼 之 罪, 也、 虛玄 長而晋 室亂、 非,, 老莊之 罪, 也、 齊戒 修而粱 

國亡、 非- 釋迦之 罪 一也、 易不 JK 乎、 苟 非-其 人 r 道 不,, 虛行 

其の 言 易 ゆべ からず。 佛敎を 論じて 曰く、 

或 問, 佛、 子 曰 SS 人 也、 曰 其敎何 如、 曰 西方 之敎 也、 中國則 泥、 軒 車不, 適, 越、 冠 

S 不. 可, -以之 tM、 古 之 道 也、 (I) 

佛の 聖人た るを認 ひれ ども、 其 敎は之 を 印度に 用 ふべ し、 之 を 支那に 用 ふ 可から ずと 

なせ..^。 旣 にして 亦 曰く、 

元 曰、 三敎何 如、 子 曰、 政 惡,, 多 門, 久矣、 曰廢, 之 如何、 子 曰、 非,, 爾所, 及 也、 

文中 子の 箭學 一一 一.^ 七 



支那 哲學の 研究 三 九 八 

眞君 建德之 事、 適 足-推 k 助, 瀾、 縱, 風 止 T 燈爾、 子讀- 洪範 讜義, 曰、 三敎 於, 是乎 

可 ニ矣、 程 元 魏徵進 曰、 何 謂 也、 子 曰、 使 =k 民不" 倦、 (M) 

政の 多 門なる は 思想の 統一 を妨 ぐる 所以なる を 以て、 始めは 三敎の 並び 行 はる、 を以 

て 之 を 不可と し、 唯 其の】 を 取. 9 て 他の ニを廢 する の 容易なら ざる を 認めた. cs。 然れ 

ども 洪範讜 義を讀 むに 及びて 三敎合 1 の觀を抱くに至れ,《^洪範讜義の何物なるかは今 

之れ を詳 にす るに 由な し。 要するに 彼の 三敎 合一 は政治的見地ょ.りなるな.=^。 

(七) 結 論 

中說に 記す る 所、 種々 の 方面に 關 する もの あ.^ -。 以 上述ぶ る 所 は 彼の 學說を 見る は 

足るべき 諸問題に 就いて、 其の 大要 を錄 せる に 過ぎず。 然れども上に述る所にょ..^て 

之れ を 見る も中說 なる もの V 價値 及び 中說に 由って 見た る 文中 子 其 人の 如何 は 凡 を 之 

を 想像すべし。 宋儒 頗る 文中 子 を 推し、 或は! S 以後の 一人と なす もの あれ ども、 其の 

人と 其の 窨 と共に 頗る 怪しむ るべき 處 ある は、 亦 言 を 待たざる な. <=N。 



唐 李翱の 哲學を 論ず 

一 、 蓽蹋 及び 著罄 

李 翱字は 習 之、 幼に して 儒學を 勤め、 博學 好古、 文を爲 ftN て氣 質を尙 ぶ。 貞元十 

四 年 進士の 第に 中,^、 始め 校 書郞に 任じ、 累遷 して 元 和の 初、 國子 博士 史館修 選と 爲 

る。 常に 謂へ らく、 史官の 紀事、 實を 得ず と。 乃ち 建言して 曰く、 大抵 人の 行 は大善 

大惡、 世に 暴る る 者に 非れば、 皆 人に 訪ふ。 人 周知せ ず。 故に 行 狀諡牒 を 取る。 然れ 

ども その 狀を爲 る 者、 皆 故 吏 門 生に して 苟ー 一一 in 虛美、 文に 溺れて 其理を 忘る。 臣 請ふ毐 

を 指し 功を载 せ、 賢 不肖 党 易から しむる ると、 假 令ば 魏徵は 但其諫 爭の語 を 記せば 以 

て 直言と なすに 足 ftv、 段 實は但 司 ffi 印 を 倒 用して 逆 兵お 追 ひ、 染紕を する を 記 

せば 以て 忠烈と 爲 すに 足る が 如くせ む。 然ら ざる 者は考 功太 常史 館に 勅して 受 くる 

,j と 勿ら しめんと、 詔して 可とす。 再遷 して 考功 員外 郞 となる、 諫議大 夫 李 景儉、 翱 

唐 李翱の 哲學を 論す 三 九九.. 



ま那哲 おの 研究 四 00 

を 表して 自ら 代る。 景儉 斥けられて、 翱 も亦朗 州刺史 となる。 時に 十五 年な 6N。 旣に 

して 又 召されて 禮部郞 中と なる。 翱性 峭鲠、 論議 屈する 所な し、 仕へ て 顯官を 得ず、 

欝 4- として 樂 まず。 宰相 李 逢吉 を 見て、 其 過失 を 面 斥す。 逢吉 之と 校せ ず。 翱 心に 自 

ら 安ん ぜず。 請暇 百日に 滿ち官 を 免ず。 逢吉 更に 奏して 廬州刺 史を授 く。 太 和の 初、 

入って諫議大夫知制誥となft^、 中書舍 人に 改む。 後出で、 鄭桂 刺史、 桂 管 都 防禦 使、 

潭州 刺史、 湖南 觀察 使に 歴任し、 九 年襄州 刺史、 山 南東 道 節度 使と な. >、 會昌 中、 鎮 

に 卒す。 謚 して 文と 云 ふ。 著 はす 所 文集 十八 卷ぁ. „N。 

一一、 韓愈 及び 佛と 李翱 

* 翱が、 韓 愈に 從游 せし は、 貞元 十二 年 愈が、 汁 州の 佐た 6, し 時に 始ま. os、 其 後退 之 

の 歿する 迄 二十 九 年、 終始 涂 はらず。 祭 吏 部 韓侍郞 文に 曰く、 

貞元 十二、 兄 作-汁 州ハ 我 遊, 自, 徐、 始 得,, 兄 交? 視, -我 無能 T 待, 我以 i 友、 講 k 文析 

レ道、 爲, 益 N 厚、 二十 九 年、 不レ 知-一 其久 T 



韓 愈は稱 して 我に 從 つて 游ぶ とい へど も、 李 翱の韓 愈に 於け る は、 之に 師事せ るに 

非ざる な.^。 李 翱は從 游後ニ 年 はして 進士に 及第し、 又 二 年に して 韓 愈が 從兄算 の 女 

を娶れ $、 事 は 文集 昌黎韓 君 夫人 京 兆韋氏 墓誌銘に 詳 かな. 5。 從 ク て韓 李の 情誼 頗る.. 

密 なる もの あ. >。 卽ち 祭文に 曰く、 

老聃言 Jft、 死 而不, 亡、 兄 名 之垂、 星斗 之 光、 

與陸慘 書に も 亦 曰く、 

我友韓 愈、 非,, 玆世之 文 r 古 之 文 也、 非- 兹世之 人 T 古 之 人 也、 其詞 奥-其 意-適、 則 

孟子 旣沒、 亦不, 見, 有 K 過-於 斯-者 5 

韓 愈の 文章 人物 を 推 尊す るると 斯の 如き もの あ 6.。 韓 公行 狀には 乃ち 曰く。 

自 _,貞 元末ハ 以 至,, 於兹: 後進 之士、 其 有, 志,, 於 古文-者、 莫, 不- 視スム 以爲. ^法、 

乃ち 其 人に 師事せ ずと 雖も、 其文を師とするものなる乙と明かな,n^。 

韓愈は 居常 佛を排 する を 以て 己が 任と なす。 而 して 李 翱も亦 去 佛齊論 あ ft- て 頗る IN!^ 

唐 李翱の 哲學を 論す 四 〇 一 



支那 哲 M 子の 研究 四 二 

を排 す。 又 答 泗州開 元 寺 僧澄觀 書に 開 元 寺の 鐘銘を 作る を慊 しとせ ざるの 意 を 述べて ■ 

曰く、 

吾 之 銘-是 鐘-也、 吾将, 明-聖人 之 道, 焉、 則 於- -釋 氏-無, 益 也、. 吾將, 順- 釋氏 之敎 r 

而述 i 焉。 則 惑,, 乎 天下, 甚矣、 何 責,, 乎 吾 之 先覺, 也、 

然れ ども 後 遂に 之に 銘す。 時に 貞元 十五 年、 卽ち韓愈に從游する後三年な<^。 澄觀 

は、 華厳宗の 傑 僧に して、 恰も 此年を 以て 國師號 を 賜 はる。 吾 將に釋 氏の 敎に 順って 

述べん とする か、 則ち 天下 を 惑さん rJ と甚 しからむ といへば、 當時 頗る 佛敎を 知. し 

7- と 明かな. 5。 且つ 去佛齊 論に も 亦 曰く、 

惑, 之 者溺, -於 其敎: 而排, 之 者、 不, 知,, 其 心 r 雖 -I 辯而當 r 不, 能, 使- 1 其 徒, 無&而 

勸, 來 者/故 使 I 其 術, 若, 彼 之 熾 i 也、 

彼が 佛敎 に對 して 旣に 幾分の 知る 所 あ し 乙と 推知すべきな 6S。 但し 頗る 佛敎, V 知 

れ ども、 « は 儒釋の 相 矛盾す る を 疑 ひ、 又 或は 儒 釋の其 心に 於て 必ずしも 衝突せ ざる- 



を 思; 5、 信疑 相半ばした るの 狀 あ.^、 然れ ども 彼が 遂に 鐘 銘を著 はした る を 見れば, 

其の 信の 遂に 疑に 勝ちた る を 察すべし。 されば 禪學 五燈に 戴す る 所、 李翱藥 山の 問題 

は 恐らく は 誣言に あらざる べきな, 9。 李翱朗 州の 剌史な ft^ し 時、 藥 山に 謁して 道 を 問 

ふ。 藥山答 ふるに 雲 在-一青 天, 水 在, 瓶 を 以てす。 李翱 欣愜拜 謝して 揭を 述べて 曰く、 

鍊,, 得 身形, 似-鶴 形 T 千 株 松下兩 函經、 我來 問, 道 無- 餘說ハ 雲 在-青天 > 水 在 k、 

李 翱が朗 州の 刺史 となう し は 元 和 十五 年に して、 開 元 寺の 鐘銘を 撰せ し 後 二十 一 年、 

I 士に 及第せ し 後 二十 二 年を經 た. 0^。 復性誊 三篇は 彼の 二十 九 歳の 作なる こと、 復ぉ 

下 篇に見 ゆれば、 彼が 藥山を 見る 後の 作と いふ は 誤な...。 蓋 儒釋の 一 致 を 信ずる の 後、 

鐘銘を 撰した る 以後の 作なる べし。 

1=、 復性 減情說 

復生書 は 上中下の 三篇ょ 6 成, 9、 上篇は 性情の 關係を 論じ、 中篇 は 復性減 情の 方法 

を 論じ、 下篇は 人生の 須臾なる を 論じて 學-. ^勵む ベ. きを 云 ふ。 彼 は 開卷第 1 に 喝破し 

麼李 謝の 哲學を 論ず 四 OH 



支那 哲 4f の 研究 四 〇 四 

て 曰く、 

人 之 所 3 以爲, -聖 入-者 性 也、 人 之 所 „,以 惑-其 性, 者 情 也、 喜 怒 哀懼愛 惡欲七 者、 皆 情 

之 所, 爲也、 情 旣昏、 性斯 匿矣、 (^) 

七 情 循環 交々 來 つて 性,^ 惑 はし、 性 をして 充實 する 能 は ざら しひ。 彼 は 之を喩 すに 

水火 を 以てして 曰く、 

水之渾 也、 其流不 JB、 火 之 煙 也、 其 光不, 明、 . 「非-水火 淸明之 過, 也、 沙不, 渾、 流 

斯 淸矣、 煙不, 欝、 光斯 明矣、 (^) 

ズの性 はもと 淸澈な 6N、 もの 之 を 濁す る もの は沙 泥な. 0>0 もの 濁す に 方って、 性豈 

に 遂に 有るな からん や。 久しく 動かさ ざ れば、 沙泥 自ら 沈み、 淸 明の 性、 天地 を鑒 す、 

外よ 6 來る にあらず。 故に をの 濁す や、 性 もとよ. CN 失 はず、 その 復す るに 及んで 性 .1^ 

生ぜず。 (中篇) 然 らば 情と は 何 ど 曰く、 

情 者 性 之 動 也 (肚) 



情 者 性 之 邪 也、 知-其 爲- 邪、 邪 本 無 k 有、 心 寂不, 動、 邪思自 息、 惟 性 明 照、 邪 何 

所レ生 ノ篇、 . 

情 は 本 無 邪妄の ものな. os。 然れ ども 情 はもと 性の 動に して、 性 よ ft> て 起る。 故に 曰: 

く, 

無, 性 則 情無, 所, 生矣、 是情 由, 性而 生、 情 不,, 自情 7 因, 性而 情、 性 不,, 自 性? 由, 情 

以 i 

天地 間の 萬 物、 皆 ー氣を 受けて 其 形 をな し、 或は 物と な ftN、 或は 人と なる。 (下 篇> 

故に 其 性 皆 一な, 9 と雖 も、 その氣を受くる各淺深ぁ6^、 必ずしも 均しから ず。 (上 篇) 

故に 聖人 は 性 を 得て 惑 はざる ものな. os。 百姓 は 情に 溺れて 其 本 を 知る 能 はず。 終身 其 

性 を 見ざる な. CN。 聖人と 雖も豈 情な からん や。 心 寂然 不動に して 邪 思 自ら 息み、 一 切 

の 情 は 皆 性の 上に あって 動く を 以て、 情 あ i と雖も 未だ 嘗て 情 あらざる な 6S。 吾人 終. 

局の 目的 は 邪妄の 情を滅 して 天命の 性に 復. cs、 廣大淸 明、 天地 を 照らす に 在るな ftN。 

唐 李翱の 哲學を 論ず 四 〇 五 . 



支那 哲學 の硏究 四 〇 六 . 

(上 篇) , . 

然 i ば 復性滅 情の 方法 如何。 彼 は 其方 法に 漸 ある を 說き、 先 づ其法 を 述べて 曰く、. 

弗, 慮 弗, 思、 情 則不, 生、 情 旣不, 生、 乃爲 k 思? 思 者、 無^ 無 k 也、 (§) 

無慮 無 思、 卽ち正 思の 方法 を 以て、 妄情を 生ぜ ざら しむる を 以て 第 1 著 手と す。 此 

方法 は 卽ち其 心 を齋戒 する 所以に して、 猶ほ 未だ 靜を 離る 、こと を 得ず。 靜 あれば 必 

ず 動 あ. 9、 動 あれば 必ず 靜ぁ. 動 靜の相 對的範 圍を脫 せ さるもの なれば、 未だ その 

至れる もの あらず。 故に 曰く、 

方靜之 時、 知-心無.. 思 者、 是齋戒 也、 知-本 無.. 有, 思、 動靜皆 離、 寂然 不, 動 者、 是 

至誠 也、 @ 

本來思 ふると 有る. なき を 知 6>、 動靜皆 離れて、 始めて 寂然 不動の 域に 入るべし。 是れ 

卽ち 至誠に して 修養の 極致な も。 卽ち性に復^^、 天道に 合 1 する ると を 得、 寂然 不動 

(3S 卽ち體 )、 感而遂通(明卽ち用)を致すな,.^。 故に 曰く 



誠 而不, 息 則虛、 虛 而不, 息 則 明、 明 而不, 息、 則 照-天地, 無 Js(^) 

或は 廣大淸 明。 照-一 乎 天地, (上 篇) とも 本性 淸明、 周-一流 六虛, (中篇) ともい ふ。 寂然,, 

不動、 動静 皆 離 るれば、 覩 ざるの 見、 聞かざる の 聞 あ ftN、 物 至の 時 (格 物)、 其 心 照 や 

として明かに辨じて物に應ぜvt^る(致知)な6^。 故に 曰く、 

不, 覩不, 聞 是非 乂也、 視聽 昭々、 而不 fe!- 於 見聞, 者、 斯 可矣、 無 也、 無, 

弗, 爲也、 其 心 寂然、 光,, 照 天地 7 是誠之 明 也、 (I) 

晝は 作し、 夕は休む者は凡人な..^。 彼等 は 物と 共に 作し、 物と 共に 休し、 常に 物 は 

動かさる。 吾入は卽ち之と異ft^、 晝も 作す 所な く、 夕 も 休む 所な く、 作す も 作す に 非 

ず、 休 も 休に 非ず と觀 じ、 作 休 二者 を 離れて 存 せざる に 至れば、 吾人の 本性 は 終に 亡. 

且つ 離る、 こ となく、 悠久 無疆 たる を 得べき な も。 (下 篇) 

四、 結 論 

歐陽修 の 李翱を 論ずる や、 專ら幽 懷賦を 推賞して 曰く 

齊李翱 の 哲學を 論ず 四 〇 七 



支那 哲學の 研究 四 C 八 

嗟 乎 使 こ- 當時 君子 T 皆 易-其 嘆 k 老嗟, 卑之心 T 爲申顛 所 k 之 心: 則 唐 之 天下、 豈有モ 

亂且 亡, 哉、 

復性 書の 如き は 中庸の 義疏 のみに して、 無用の長物た ft> となせ ft^。 幽懷賦 の 價値は 

K に 歐陽修 の 論ずる 所の 如し。 然れ ども 復性 書に 至って は、 更に 一 層 重大なる 意義 を 

有す。 其中庸を解するものなる乙と勿論な.0^と雖も、 之に 新 意義 を 加味 せんとす る も 

のな. os。 故に 其 言 昔の 註解と 同じから ざる を 問 ふ 者に 答へ て、 彼以, 事 解 者 也、 我 は 

以 X 心 通 者 也 (中篇) とい ひ、 中庸 を 以て 儒家 唯】 の 性 命 書と なし、 

鳴 呼 性 命 之 書雖, 存、 學者 莫-, 能 明 r 是故皆 入-於 莊 列老釋 7 不, 知者、 謂, 夫子 之 徒 

不, 足 „以 窮,, 性 命 之道ハ 信, 之 者皆是 也、 (^ 

と 歎じ、 自己の 解釋を 以て 誠 明の 源 を 開く ものと し、 烏戯 夫子 復生、 不 1 廢-- 吾 言- 矣 

(上 篇) と稱 せ. CSO 

彼が 性情 を對 立せ しめ、 性 を定靜 不動と し、 情を妄 邪と し、 靜を 主として 復性滅 情, 



を 鼓吹せ る は、 周 子の 主 靜說の 淵源と もい ふべ く、 又 性 を 疏靜 とし、 形 を 以て 氣に本 

づ くと なせる は、 張子の 虛氣對 立の 先驅 ともい ふべ し。 性 善 情 惡の說 は 旣に漢 代に あ 

6- て、 董仲舒 が 性情 を 陰陽に 配せ るに 始まる といへ ども、 吾人 は 寧 ス^佛 敎の眞 如 無明 

の說 に本づ くと 見る の穩當 なる を覺 ふ。 之 を 要するに 彼の 所說 は、 佛敎的 精神 を 以て 

儒 敎の經 典 を解釋 せる もの: a: して、 正に 近代 哲學の 端 を 開ける ものな 



唐 李 翱の哲 學を誨 ず 四 九 



支那 折 c 學の 研究 四10 

程 門の 四 先生 

橫渠 逝て 關 中の 學振 はす 天下の 學士靡 然として 伊 洛に歸 しぬ。 二 程 子 同心 協力 聖學 

を 鼓吹し 後 學を誘 抜せ しか、 明 道ば 幾 もな くして 沒せ しも 伊川 獨 6 崭 然として 天下の 

表となft^及門の多士彬々た.o^。 而して其尤は卽ち所謂程門の四先生これな.<^。 誰 ど 四 

先生と は、 曰く 謝 上蔡、 曰く 楊龜 山、 曰く 游廣 平、 曰く 呂藍田 乙れ な fe>。 上蔡は 聰明 

儕輩を應し氣象剛方なft^、 玩物喪 志の 誡 ある 所。 龜山は穎悟にして氣象和平な..^、 道 

南の 歎 ある 所、 廣 ギ篤學 にして 氣質溫 厚。 藍 田 は 深 潜縝密 にして 顏囘の 目 あ ftN、 上蔡 

の 門に は 朱漢上 あ, 9、 張 撗浦も 亦 其 思想 を繼 承し、 陸 學の先 河と なる。 龜 山は獨 6 者 

壽を 得て 遂に 南宋 洛學の 大宗と な. C/ 朱 晦菴張 南 軒 は 皆 其 門に 出づ。 廣 平の 後、 流 風 

餘韻 世に 存 する もの あ. と雖 も、 其學 遂に 振 はず。 藍 田 早く 沒し龜 山の 後の 大 なる 

に蔽 はる。 請 ふ 四 先生の 面目 を 窺 はんか。 



謝上縈 

第一章. 事癀 

謝 上 蔡名は 良 佐 字は顯 道、 壽舂上 蔡の人 故に 人 呼んで 上蔡 先生と いふ。 嘗て 

明道扶 溝に 知た 6 し 時往て 之に 從ふ。 始め 記 問 を 務め 自 から 該博 を 負む。 明 道に 語る 

は 前史 を稱 引して 一字 遺さす。 明 道 曰く 賢 記憶す る と 何 ど 多き、 抑 も 玩物喪 志と 

いふべ しと。 上蔡赦 然慙汗 背に 決し。 明 道 曰く、 M れ卽ち 惻隱の 心なり と、 因て 徒に 言 

語を學 ぶる となく 靜坐 修練 を勸 む。 上 蔡此に 於て か發憤 興起し 苟も 事理 未だ 通 徹せ ざ 

れば其顙泚たft^。 元 豊八年 進士の 第に 登. 9 州 郡に 歷 仕す。 應 城の 令た. 5 し 時 胡 文定州 

郡 を 巡視し 來 つて 弟子 禮を 以て 上 蔡に見 ゆ。 伊川と 別る と 一 年に して 復來 つて 見 

ゆ。 伊川 其 進 學を問 ふ。 答て 曰く 但た 1 矜字を 去り 得た ftN と。 曰く 何の 故 ど。 答て 曰 

く 子細に 點撿 すれば 病 痛 悉く 此 裏に 在, 9 と。 伊川 歎じて 曰く 乙れ 所謂 切 問而近 思なる 

ものな i と。 建 中 靖國の 初召對 す。 徽宗之 を 用 ふるの 意 あ しも、 上 蔡以爲 らく 上意 

程 門の 四 先生 四 1 1 



支那 哲學の 研究 四 二 1 

誠なら ずと、 乞 ふて 西 京 竹 木場に 監た .0/ 大學 博士 朱 震 往て敎 を 請 ふ。 上蔡 因て 論語 

を 說き子 見齊衰 者の 章と 師毚 見の 章 を擧て 曰く、 聖人の 學は微 なく 顯 なく 內 外な し、 洒 

掃 應對進 返 よら 上天 道に 達する まで 一 以て 之 を 貫く、 一 部の論語此に盡きたfc^と。 或 

曰く 建 中の 年 號德宗 と 同し 恐らく は 佳なら じと。 上蔡 曰く 恐らく は 亦 一 播遷を 免れし 

と。 因て 口語に 坐せられ て獄に 下され 廢 して 庶民と 爲す。 上蔡沒 せし 時、 廣平其 墓に 

誌す、 然れ ども 其 文 蚤べ 佚せ り 故に 其 事蹟 を詳 にす るると 能 はず。 著 はす 所論 語說ぁ 

•9 世に 行 はる。 又語錄三卷ぁ6朱子の編輯せる所な,<^。 

第二 章 學 說 

上 蔡はニ 程の 門に 遊ぶ と雖 も、 其得る所は實に明道に由れft^。 明 道 も 亦 頗る 上蔡 の 

才を 愛す、 甞て其 外に 馳 せて 博覽を 事と する を誡 しめ、 思 を內省 的に 致さし む。 上蔡 

之に 於て か飜 然として 之 を 改め。 專ら 心性 を 研究して 明 道の 心 論 を推究 し、 心は卽 

仁、 仁 は 卽覺と 論じ、 矜と 名利と を 去. 9 持敬靜 坐し 默識心 通胷懷 擺脫の 境に 至. て 止 



む。 其學明 道の 直覺 的なる を 受け 更に 1 步を 進め、 橫浦象 山の 學を 開け 4. 

( 1 ) 心 論 

仁と は 何 どや 天地の 德 これの み、 天地 生, I- の德 あ. 5 萬 物に 寓す、 故に 萬 物 皆 春 底 © 

意志 あ 6 と。 れ明 道の 仁說 な. 9。 上蔡 更に 之.^ -推說 して 曰く、 仁と は 何 ど、 活者, W 

仁と 爲し 死者 を 不仁と 爲す、 今人の 身體 麻痺して 痛癢を 知ら ざ る もの 之 を 不仁と い 

a. 知覺 ありて 痛癢 を識 るるれ を 仁と いふ、 桃 杏の 核 種て 生すべき もの 之 を 桃 仁 杏仁 

とい ふ、 生 意 あ. 9 此を 推して 仁 見るべし (1】 纖) と" 卽ち 仁を說 くに 生 意 を 以てす。 乙 

れ其 師說を 推して 獨 得の 地に 至れる 者に して 橫 浦の 學を 起す 所、 抑 亦 後 儒の 批難. 免 

れ ざる 所な 6va 

仁 は 天の 理 にして 寸毫の 杜撰 を 交へ ず、 而 して 上 蔡は仁 を 以て 心なら と說 破し、 心 

は卽ち 天地の 實 在な ftv と 爲せ. cs。 曰く 心 は 何も 仁是 のみ (If) と。 又 曰く 人心 は 天地 

と 一般、 只 私意の 爲に自 から 小 了す、 理に 任せ 物に 因て 已與る rJ と 無ければ 天の み、 

程 門の 四 先生 , 四 1111 



支那 哲學の 研究 . • 四 1 四 

豈た 天地と 一般なる のみな らん や、 只卽ち 乙れ 天地な, り (If) と。 又 曰く 佛の性 

論ずる は 儒の 心 を 論ずる が 如く、 佛の心 を 論ずる は 儒の 意 を 論ずる が 如し (If) io 

其 心 を 重んずる こと 見 る ベ し。 唯 心を盡 くす 時 は卽ち 天と 1 なら 我 は 我に 非ず 天な 

.ON。 然れ とも 其 支 離し 去 つて 天と 一 なること 能 はざる 者 は實に 人欲の 私 あるが 爲な 

6> 、上蔡 曰く 天理と 人欲と 相對 す、 一分の 人欲 あれば 卽ち 一 分の 天理 を 滅却す、 1 分 

の 天理 を存 すれば 卽ち 一分の 人欲に 勝ち得、 人欲 纔に肆 にして 天理 滅す、 私に 任せ 意 

を 用 ひ 杜撰 事 をな せば 所謂 人欲 肆 な- > と、 纔に 私意 あれば 卽ち 天と 一 たる 乙と 

能 はず、 然 らば 其 私意の 由て 起る 所 は 如何、 上蔡は 未だ 之に 論及す るの 暇 あら ざ.. * 

(二) 修養の 工夫 

心は卽 仁に して 心を盡 くす 時 は 天と 】 體た. 9 動作 語默 天に 非ざる 無く 內外 1 た. 9 天 

人の 名 亡ぶ。 而 して 天と 一 たる 乙と 能 はざる 者 は 私意 人欲に 蔽 はる ゝが爲 な. 0^、 其蔽 



を 除く 所以 は 實に持 敬 窮理に 在 fts。 私意に 蔽 はる 故に 名利 矜夸の 念 あ 一 切の 痛病此 

裏よ. ON 生ず、 上蔡 曰く 錮蔽自 欺の 心 を 懐き 虛驕自 大の氣 を 長ず る は 皆 名 を 好む の 故な 

& (Im) と。 故に 名利の 關を 打破して 後 始めて 學に 進むべく、 窮理の 工夫に よ ft> て始 

めて 之 を 打破すべきな. 5。 上蔡曰く名利の關を透し得ば卽^-れ小歇の處、 窮理の 工夫 

に 藉.^ て此に 至, 5 て 方に S 域に 入る こと を 望むべし (If) と。 

曰く 學者漠 らく 理を窮 ひべ し、 物々 皆理 あ. 9 理を窮 むれば 則ち 天の 爲す所 を 知る、 

天の 爲す所 を 知れば 天と 一 たら 往く 所と して 理に 非るな し、 我 あれば 理を窮 ひる 乙と 

能 はず 人 誰か 與我を 知らん や。 窮理の 至 は 自然に 勉め ずして 中. 9 思 はずして 得 從容道 

中る。 問 ふ理は 必らず 物々 にして 之 を 窮めん か。 曰く 必ず 其 大者を 窮めん、 理は 1 

而巳。 ー處 にして 理窮 れば觸 る、 處皆 通ず、 恕は 其窮理 の本歟 (If) と。 見るべし 上 

ふ 祭の 學 簡易 を尙 ぶと 雖も尙 窮理を 閑却せ ず 伊川の 口吻と 一 に 何 そ 同じき や。 然れ ども 

性 意すべき と は 必窮其 大者理 一 而巳矣 の 二 句に して、 上蔡の 所謂 大 者と は 心に 外な 

程 門の 四 先生 四】 五 



支那 货學の 研究 四 一六 

らず 且ゥ之 を窮 ひるの 法と して、 彼 は 靜坐持 敬 を 以てせ. 9。 曰く 道に 近き は靜に 如く 

は莫 し、 齋戒 以て 其德を 神明に す 天 T の至靜 な. cv、 心の 物を窮 むる 盡 くろ 有り. 而 して 

天は盡 くるな し、 之 を 如何ん ど 之 を 包まん (|^) と。 又 日く 問 ふ 太 虛は盡 くる 無く 心 

は 止まる 有 6 安ん ど 合一 を 得 A、 答て 曰く 心 止まる 有る は 只 他.^ W ふるが 爲な. 9。 若 

し 用 ひずん ば 何 ど 止まらん や (I 违) ふ。 又敬を說て曰く敬はミれ常に惺々にして心,^§ 

を 法と す (If) と。 a 令と は心昏 味^ら ざるの 謂に して 乙れ 心 上に 就て 工夫. 爲す^ 

fo 卽ち靜 坐して 其 德を祌 明に し 本心 常に 皎令 たら。 是に 於て か默識 心通智 懷擺脫 

の 境に 達すべし。 これ 上 蔡の學 の 簡易 直截なる 所に して 抑 亦禪に 遠から ざる 所な-.。 

唯 禪と異 る 所 は 唯 其下學 上達 を說 さ、 凡, V 事必ら すし も 高遠 を 要せず 且つ 小處 よ. <>看 

さ、 灑 掃應對 上に 就て 誠意 を 養ひ來 るべ しと 云 ふに あるの み。 

楊 e 山 

第 I 章事饋 



上蔡は實に程門の冠冕な^^而して之に次で敢て讓らざるを龜山となす、 請 ふ其學 を- 

論ずる に 先って 其 行事 を 見ん か。 

龜山は 姓 楊 名 は 時 字 は 中立、 學者 尊んで 龜山 先生と いふ。 南劍州 將樂の 人なら。 仁 

宗皇祐 五 年 を 以て 生る。 幼に して 穎異 能く 文 を 屬し稍 長して 學を 經史に 潜む。 熙寧九 

年 進 土に 及第し 河 州 司馬參 軍に 調 せらる。 時に 河南の 二 程 子 孔孟の 學を 講じ、 河洛の 

士靡然 之に 從ふ。 龜山卽 ち官に 赴かず して 明 道に 見 ゆ。 明 道 喜ぶ こと 甚 しく 每に言 

ふ。 楊 君會し 得て 最も 容易な ftN と。 其 歸る時 明 道 之 を 目、 送して 曰く 吾 道 南矣と 明道沒 

して 後 伊川に 從ふ。 甞て横 渠の西 銘を著 はせ しゃ 二 程 深く 之に 推服す、 而 して 龜山は 

其 兼 愛に 近き を 疑 ひ 之 を 問 ひ、 伊川の 理 一分 殊の說 を 聞て 始めて 豁然 疑な し。 州 郡 は 

歷 仕して 治溃 あり 或は 龜 山の 像 を畫て 之を祀 る もの あるに 至る。 其 盛名 遙に 高麗に 聞 

ゆ。 時に 天下 漸く 多 故なら 因て 召されて 侍講と な. 9 進言す る 所 多し。 王 安 石が 學の 

を 辨し其 從祀の 列 を 降し、 遂に 罷ら る。 高 宗の卽 位し 玉 ふとき 召されて 侍講と な. 5、 

門の 四 先生 四 1 七 



ilSC 那^^ ^ 研究 四 一 八 

幾 もな く 致仕し、 紹與五 年 四月 卒す。 時に 年 八十 三。 著書 龜山集 四十 ニ卷 あ. 

第二 章 學 說 

( 一 ) 宇宙論 

龜山は 明 道の 學を繼 承して 】 元 論 を 主張して 曰く 天地 を 通じて 1 氣 のみ 

記) 氣 合して 生じ 盡きて 死す、 凡, V 心 知血氣 あるの 類、 物と して 然ら ざるな し 合の 來 

に 非ず 盡の往 に 非ざる を 知れば 其 生や IS 浮、 其 死 や 水釋、 晝 夜の 常の 如くに して 悅戚. 

する に 足らず (|_|) と。 卽ち 一 元氣 な. 如何 にして 天地 乾坤 千 態萬狀 をな すに 至る 

か。 龜山 曰く 夫れ 氣の闔 闢往來 豈に窮 あらん や。 闔ぁ ら闢 あ. 5 變是に 由って 生し 其變 

常 無し 易に 非ず して 何 どや、 輕 くして 淸 める 者 は 上って 天と 爲. CN、 祌 之に 應 じて 乾と 

爲る。 重く して 濁れる 者 は 下って 地と 爲, os、 神 之に 應 じて 坤と爲 る、 (I) 天地 乾坤 は 亦- 

w!^ 異名に して 同 體其本 は 一物な. 9、 變 生して 則ち 名 立つ。 天に 在って は 象 を 成し 地:: i_ 

在って は 形 を 成す も亦此 物な, os。 變 化往來 によ. て 千 態萬變 生す。 變化 は卽ち 神の 



爲す 所なら (簡: 南) と。 卽ち 宇宙の 現象 千 變萬化 ある 所以 は、 二 兀の氣 一 動 一 靜或ゆ 

屈し 或は 伸び 神妙 不可思議なる もの あれば な..^。 本體は 卽ち實 在に して 現象 は卽ち 生; 

滅す。 龜山は 之 を 影と 形と に譬 へて 曰く、 影 は 形に 從 つて 有無す これ 生滅 相 なれば な 

う、 佛甞て 云 一 切 有 爲法は 夢幻 泡 影の 如しと、 7- れ 正に 其實 有に 非る を 云 ふな 6^、 然ら 

ば 生滅せ ざる 者 は 何 ど (f? 十) 卽ち 宇宙の 本體 なる 一 元氣 これな. 5。 

. 天地 間の 萬 物 皆 7^ の 本 體の發 現に 外なら ず、 故に 曰く 夫れ 天地の 間に 盈る もの 皆 物 

なり、 而 して 人 も 其 一 に 居る、 人 は 物の 靈而巳 (S) と。 人 も 物 も 畢竟 一 のみ 唯 人 は 卽_ 

ち萵 物の 靈 たる 所以の もの は、 人 は 天地の 中 を 受けて 生ずる が爲な ft. 。 龜山 曰く 夫 誠 

1K 之 道 性 之德也 (Ig) と。 卽ち誠 は 人の 萬 物の 靈 たる 所以に して 實に 天人 合 1 の契櫟 

(二) 偷理說 

上、 目 的 

待 門の 四 先生 四 一九 



, 支那 哲^の 研究 四 二 〇 

人生の 目的 は 他な し、 學 んで罌 人た るに 在る のみ、 學の 極に 至らば 聖人た る こと 難 

からざる な. cs。 然 うと 雖 も古來 聖人た る もの 無き は 何 どや。 其學 至らざる が爲 のみ、 

■ 人た るると 甚、 た 難し、 故に 學者 聖人 を 以て 學んで 至る 可し と 云へば、 人 皆 之 を 嘲笑 

して 狂と す、 失れ 聖人 は 固よ ftN 未だ 至. 9 易から ず、 然れ ども 若し 聖人 を 舍て學 ば 3^ 何 

を 以て か 準 的と 爲 さんや。 故に 曰く 學 者の 聖人 を視る 乙と 其猶射 者の 正鵠に 於け るか 

如き か、 巧カの及ぶ所遠近中否の齊からvoるぁ.=^と雖も未だ正鴿を舍て射を言ふ可き 

奢 あらざる なら、 士の 聖人 去る/^ と 或は 相 倍 確し 或は 相 什 百し 造る 所 固よ 6 同じ か 

ら ずと 雖も、 未お 聖人 を 志さず して 以て 學を言 ふべき 者 あらざる な 鍾 I) と。 

塞 人 を 以て 學んで 至るべし と爲す 乙と を 得る 所以の 者 は 何 どや、 顔 子 曰く 舜 何人 ど 

ゃ予 何人 どやと 爲す ある 者 は亦是 の 如し。 孟子 も 亦 曰く 人 皆 以て 堯舜. なるべし と。 盖 

天地 萬 物 1 性なればなft^o(Mgl纖)學者之を知らば豈に發奮興起せざる可けんゃ。 孔 

S: 弟子の a 其師に 事へ て 流離 困 頓死に 瀕しても 去らざる が 如き 譽 Ad 要め 利 を 射ん とす 



るに 非ず 其 求む る 所 極めて 大 にして 流離 困頓 瀕死 も 道 ふに 足らざる あれば な &'、 學者、 

此を 知らば 學の已 む 可から ざる を 知る 可な &^。 

下、 方法 

夫れ 天下 を 通じて ー氣 なら、 而 して 人 は 天地の 中 を 受けて 生れ、 其盈虛 常に 天地と 

流通す、 寧 を 剛大に 非ず ゃ惟自 から 形 體に梏 せらる 故に 其 至大なる を^ず 其、 至剛 なる 

を 知ら さるな. 9、 若し 直 を 以て 養はゝ 天に 受 くる 所の 至大 至 剛の氣 を 暴す るると 無 

し。 入告 私意 私心 を 以て 之を餐 はんとす、 るれ 皆 苗を揠 くの 類の み (il)o 故に 心 を 洗 

ひ a 心 を 忘れ 意 を 誠にして 鏡の 明なる が 如くすべし、 勝 心 あるが 如き 最 不可な. 9、 龜 

山 曰く 若し 勝 心を懷 けば 之 を 事に 施す に當. CN て 必らず 己の 是非 を 以て 正と し窒礙 なき 

能 はず、 又 之 を 固執して 移らず、 此れ 機巧 變詐の 由て 生ずる 所な. 5、 勝 心 を 去. 9 盡く 

して 天理に 循ふぺ し (11) と。 故に 心 を 治め 氣を養 ひ德に 進まん と 欲せば 必らず 直 を 

以てすべ. n なら。 維摩經に直心是道場とぃふが如き眞に然6^。 

程 門の 四 先生 四 ニー 



支那 哲學の 研究 四 ニニ 

如何なる か 乙れ 直にして 誠なる、 如何なる か でれ 曲に して 妄 なる、 其 道 を 知る は卽 

ち 致 知 格 物 これな ft>。 曰く 致 知 は 必らず 格 物 を 先と す、 物 格うて 後 知 至る。 知 至 CN で 

新に 止まる を 知る、 己れ 其 序な. 9(1 學) W 又 曰く 學者致 知 格 物 を 以て 先と 爲す、 知 末 • た 

至ら ざれば 善 を 擇て之 を 固執 せん i 欲すと も 未だ 必らず しも 道に 當ら ざるな ft^、 鼎鑊 

陷 弊の 踏む 可から ざ る は 人 皆 之 を 知る。 世人 敢て 之を蹈 まざる は 之.^ 知る 乙と 審 なれ 

ばな 6/ 身 を 下流に 致せば 天下の 惡皆 之に 歸 する こと 鼎 鑊隔宑 に異る ことなし、 而し 

て 或は 之 を 蹈んで 之 を 避けざる は 未だ 巽に 之 を 知ら ざれば な. 5、 若し 眞に 不善 を爲は 

鼎 鎮^ IS; を蹈 むが 如き ビ 知らば 誰か K- 善を爲 さんや ノ fl) 因て 龜山は 致 知の 方と して 

最も 六 經に重 を 得け. ON、 曰く 六經は 聖人の 微言 にして 道の 存 する 所な り、 道の 深奥 は 

言の よく 傳ふ 可き にあらず と雖 も、 聖賢の 聖賢た る 所以 を 求めん と 欲せば 六經 舍て 

孰く にか 之 を 求めん、 學者當 に 之 を 精 思し 之 を カ行して 超然と して 言 意の 表に 默會せ • 

ば 則ち 庶幾 からん か (I 睛傳) と。 又 嘗て 讀 書の 法 を 語って 曰く 以身 體之、 以心 驗之、 俾 



容默會 於 幽間靜 一 之 中、 超然 自得 於 書 言 象 意之 表 (f? ォ) と。 之 を 要するに 學者 聖人の. 

必らず 學んで 至るべき を 信じ、 致 知 格 物よ 始めて 眞に直 を 以て 心 を 治め 氣を養 ふべ 

きを 知り、 私心 妄意を 除去し 盡 せば、 天下の 物 擧げて 我に 在ら 內外を 合せ 物 我 を 一 に 

する所以な.n^。 

見るべし 龜 山の 論ずる 所 悉く 伊川の 學の 外に 出で ざる 7- と を、 聖人 を 以て 學的 とな 

すべし と 論せ る は 顔 子好學 論の 注 脚に して 致 知 養 氣を說 く 所 亦 伊川の 說に 外なら ず、. 

其 六經を 重視す るが 如き 丄蔡の 直截なる と 少しく 趣 を 異にせ れ やがて 南 渡洛學 © 

宗 となる 所以に は あら ざ るか。 

游廣 平 

廣 平の 著窨 久しく 完本な く 今 僅に 存 する 所 文集 四卷 中に て 學說の 見る 可き 者な し. 1 

故に 今 之 を 略す。 

呂藍田 

程 門の 四 先生 四 二 111 



支那 赞學の 研究 四 二 四 

第一章 事蹟 

呂氏 兄弟 四 人 あ ftN、 曰く 大忠、 曰く 大防、 曰く 大釣、 曰く大臨^Jれな.C^、 皆 椅渠り 

門に 學び 其說を 遵奉す るると 極めて 篤し。 模渠沒 して 後程 子に 歸す。 藍 田は卽 ち呂大 

臨な. <y。 

呂大臨 字 は 與叔。 京 兆 藍 田の 人な ftN。 學者稱 して 藍 田 先生と いふ。 横渠 卒する に 及 

び 程 子に 見て 其 學を卒 ふ。 當時謝 上 蔡游廣 1^ 楊龜 山と 相 並んで 程 門の 四 先生と 稱 せら. 

る。 與叔の 婦翁張 天職 嘗て 人に 謂て 曰く 吾 顔 回 を 得て 婿と 爲せ ftN と、 其 人に 推 重 せら 

れし rJ と 知るべし。 藍 田 博く 群 書 を 極め 尤禮に 通す、 獨 居の 時と 雖も 儼然 危坐して 其 

德を 涵養す。 伊川 先生 其 深潜縝 密を稱 す。 藍 田 嘗て 詩を賦 して 曰く 

學 如-元 凱, 方 成, 癖、 文 到,, 相 如, 始類, 俳、 獨 立,, 孔門, 無,, 一 事,、 只 輸ョ顏 子 得-心 齋 r 

と 伊川 之を賛 して 本 を 得た. 9 と 云へ, cs。 元祐 中大學 博士と 爲り 秘書 省 正字に 遷る、 

范顾禹 之 を 薦めし も 未, た 用 ふるに 及ばず して 卒す 年 四十 七。 伊川 深く、 其 早 沒を惜 め 



-^。 克己 銘ー篇 は 其學を 述べ 盡 して 遺 慽 なし。 其 著 はす 所 易 詩大學 中庸 各 ー卷禮 SS 傳 

十六 卷 孟子 講義 十四 卷 文集 二十 八卷 あ.^。 

第二 章 學 說 

藍 田 は 構渠及 伊川の 緖餘を 受け、 人性 を 論す るに 本然 氣質を 以てし 君子の 學を爲 す 

所以 は氣 質を變 化する にある のみと 論. せら。 而 して 彼の 學說の 中心 點は卽 ち心說 にし 

て、 修養の 工夫と して 喜怒哀 樂未發 以前に 求めん とする 所 は 前人 未發の 論に して 後^ 

豫袁延 平 か未發 以前の 氣象を 看る の 學風を 開く 所以な....。 

(一) 性 論 . 

人 天地の 中 を 受けて 生れ 自 から 天地の 德を 具有す。 柔强昏 明の 質 異れら と 雖も其 心 

の 然る 所 は 皆 同じ、 た^ 蔽に淺 深 あ, 9、 故に 昏 明の 別 あ. 9、 禀に 多寡 あ 6 故に 强 弱の 

分 あ .-、 理の 同じく 然る IS に 至って は 聖愚 も 異る所 無し o(gl). 因て 藍 田 は氣禀 に强弱 

の 分 あら 蔽に淺 深の 別 ある 7- と を 譬喩 を 以て 示して 曰く、 性 は】 也、 流行の 方 剛柔昏 

程 門の 四 先生 E 二 五 



支那 哲學の 研究 四 二 六 

明 ある は 性に 非ず。 譬 へば こ 、に 三人 あ. 9、 一 人 は 密室の 內に居 力。 1 スの 帷幄の 下 は. 

居. 9、 1 人は廣 都の 中に 居れ ft> とせんに、 三人の 見る 所 昏明各 異なるべし、 乙れ 3«i 目 

同から ざる か爲 ならん や、 其 居る 所に 隨 つて 蔽に淺 深 あれば なら。 (I) と。 故に 君子の 

學を なす 所以 は氣 質を變 化する に 在る のみ。 德氣 質に 勝て は 則 愚者 も 明に 進 ひ へ く柔 

者 も彊に 進むべき なら。 (絲 錢隨 I) 而 して 藍 田は聖 凡の 同性 を 認めた るの みならず 亦 天 

地 間の 萬 物 皆 同 性な.^ とし、 人と 物との 別 ある 所以 は 唯氣菓 に 開 塞 偏 正の 別 あるか 爲 

な. 9、 人 は 天地の 中 を 受けて 生ずる も 物 は 其 偏を禀 けて 生ずと なせ. ON。 曰く 蔽に開 塞 

ぁft^故に人物た6^、 禀に偏 正 あ 6 故に 人物た. CN、 故に 物の 性 は 人と 異る者 幾 希な も、 

惟 塞て 開かす 故に 知 は 人の 明なる に 若かず、 偏にして lij ならず 故に 才は 人の 美なる は 

若かず、 然れ ども 人に 物に 近き 性 あ ftN、 物に 人に 近き 性 ある は 此が爲 な ftz 人の 性 

於て 開 塞 偏 正盡さ 5- る 所 無ければ、 物の 性 も 未だ 盡 くす 能 はざる ると なし、 已な feN 人 

な. 物な.^、 其 性を盡 くさ る莫 ければ 天地の 化成る (I き と。 卽ち藍 田 は構渠 伊川 



の 如く 本然 氣 質の 別 を認 むる と共に、 又 明 道 先生が 人物の 別 はた 氣に偏 正 あ ft- て 推 

理のカ を 有する と 否と にある のみと 論せ し を 承け たるな i。 

(二) 良心 說 

呂子 曰く 赤子の 心 は 良心な. 9 天の 衷を 降す 所以に して 人の 天地の 中を受 くる 所以な 

.c>。 寂然 不動 虛明純 一 天地と 相似た 6 神明と 1 た .0、 傳に 曰く 「喜 怒 哀樂の 未だ 發せ 

ざる 之 を 中と 謂 ふ」 と 其れ 此を謂 ふか (§) と。 乙れ 實に藍 田の 根本 思想な. ft^。 故に 曰 

中 者 道 之 所 由 出 (11) と。 更に 之 を 詳論して 曰く 率 性 之 謂 道と 則 性に 循 ふて 行 ふ もの 

道に 非るな し、 此性中 別に 道 あるに 非ず、 中は卽性なft^、 天に 在て は 命た 6 人に 在て 

は 性た. 9、 中よ. 9 出る 者 道に 非るな し、 中 は 道の 由て 出つ る 所と いふ 所以な 6 と、 又 

曰く 幕 怒 哀樂の 未だ 發 せざる は卽ち 赤子の 心なら、 其宋 發に當 ft- て此 心至虛 にして 偏 

倚す る 所な し、 故に 之 を 中と いふ、 此心を 以て 萬 物の 變に 應ず往 くと して 中に 非るな 

し、 云. - 大人 は 其 赤子の 心 を 失 はすと は 乃ち 所謂 允 執 厥 中な- - (11) と" 即ち 赤子の 

程 門の 四 先生 四 二 七 



支那 哲學の 研究 四 二八 

心 は 良心に して 未 S の 中 乙れ ならと なせ. 5、 此心は 天理 天德 にして 凡 §-1 な. n^、 m. 

賢 は 之 を 喪 ふこと なく 此心 常に 昭々 として 鑑の 明に 衡の 平なる が 如し、 愚者 は禀 弱く 

蔽 深く 私意 勝 心 横 生し 物欲に 遷 動され 遂に 天心 ヒ喪 ふに 至る、 因て 私に 勝ち 慾 ヒ窒く 

の 方 を 論じて 曰く、 聖人の 學中を 以て 大本と なす、 堯舜 天下 を 以て 相授 くる も 亦 允 執 

厥 中と 云 ふの み、 何 を か 準則と して 過不及 を 知らん や 之を此 心に 求む るの み。 此 心の 

動く や 出入 時 無し 何に 從 つて か 之 を 守らん や、 之 を 喜 怒哀樂 未發の 際に 求む るの み。 

是 時に 當らて 此 心は卽 赤子の 心に して 此 心の 發 する 所 は 純ら これ 義理な. 9 (Ml) と。 . 

惟 先立 乎其大 者、 則 小者 不能 奪、 欲區ク 修身 以正其 外難矣 (I) と、 其 所謂 大者を 立つ ると 

は 則ち 其 心 を 守る に 喜 怒哀樂 未發の 際に 求む るに 在る のみ。 これ 實に後 來羅豫 章李延 

卒の學 を 開ける 者と い ふべ ?な ftN。 

以上 四 先生の 面目の 一 斑 を 叙述し 終れ ft.。 四 先生 各 己の 性の 近き 所 を 得て 各 見る 所 

を 異にせる 跡歷々 指すべし、 此 等の 相違の 點は後 來ニ大 系統 を 惹起せ る 所に 幾多の 關 



係な きに 非ず。 而 して 二 程の 門下 猶 論ず 可き 者頗 多し、 胡 氏呂氏 及び 尹 和靖王 震澤の 

如き 皆 後學に 影響 を與 へ たる者な6^、 猶折を 得て 論ずる 所 あらんと す。 



程 門の S! 先生 四 二 九 



支那 哲學の 研究 四 I 二 〇 

誠 敬の 說 

一、 

私 は 誠 敬の 說と云 ふ 題で 申 上げます るので あ ft ^ますが、 誠と 云 ふ 乙と から 暱次御 話 

を 進めて 參 もます。 誠と云ぷ^-とは噓でなぃ僞.fi^でなぃと云ふ乙とで、 至って 簡單 

して 別に 六ケ しい 乙と も 何も ござい IN せぬ。 朱 子な どが 誠の 解 釋に眞 實無妄 と 云 ふる 

i を 申して 居らます。 誠と 云 ふ 乙と は、 此頃 口癖の やうに tf 者 も 政治家 も 誰し も 言 は 

ない 人 は ご VOSIH せぬ、 誠心誠意 事に 當 ると 誰も 彼 も 言って 居る ので あらま 19。 苟も 

普通 敎育を 受けて 少く とも 中等 程度 以上の 學 校に でも 入った と 云 ふ 人なら ば、 誠と 云 

ふこと を 言 はない 人 は 一 人 も 無から うと 思 ふ。 卽ち總 ての 人が 誠心誠意と 云 ふ 乙と を 

能く 申します。 併しながら 其 誠心誠意と 云 ふ 人 か。 果して 誠と 云 ふると を 知 ゥ て 居る 

だら ラか、 どラ かと 云 ふ 乙と • ^考 、て 見たい と 思 ふ。 



私 は どラも 口に 誠と 云 ふ 人は必 しも 誠 を 知って 居る ので はなから ラと思 ふので あ. 5 

ます。 例へば 彼の ソ - クラ テスの 智德 合一 論と 云 ふ立屬 から 考 へて 見ます ると、 ソ r 

クラ テスと 云 ふ 人 は 智識と 云 ふ もの は德 である、 我々 は 無智なる 者で ある. が、 兹に智 

識を 磨いて 參ゥ ますれば、 それが德でぁると云ふことを.».して居.0^ます。 智識 を 磨 

き、 或る 事 を 知れば、 其處に 直ちに 實行 となる。 實行 する からして 其 人は德 高き 人間 

になる。 知 CN たばか. CS て、 其 知った 乙と を實 行し なければ、 もれ は德 高き 人で もな け 

れば、 德を養 ひ 得た ので もない。 智 は則德 也と 言った の は、 直ちに 實行レ て 我 ものに 

なると 云 ふこと を 言った もので あらう と 思 ふ。 王 陽 明の 知行 合一 說も亦 同じ やうな も 

ので、 知る と 云 ふ 乙と は 直ちに 行 ふと 云 乙と である。 行 ふと 云 ふるとで 初めて 眞に知 

るので あると 申して 居. ON ます。 唯 物の 道理 を 聞き 知った t.- け、 或は 口に 言った. たけで 

は 知った と は 言 はない、 必ず 完全に 履行して 初めて 知ク たと 言へ るので あ 6S ます。 も 

^-で知行合 1 と 申します。 知る と 云 ふこと は 則ち 行 ひの 初めで ある、 行 ふと 云 ふ 乙と 

誠 敬の 說 二 



哲學の 研究 麴 H}n 

は則ち完全に知.C^得た^;とになると云ふ^Jとを申して居.<^ます。 其ソ. 'クラ. K スの知 

德合 一 論、 或は 王 陽 明の 知行 合 一 說と云 ふるとから 考 へて 見 ますれば、 誠 を 其に 知. ON 

得た と 云 ふこと は、 完全に, V れを 自分の 身に 體し、 もれ AJ 完全に 實 行し 得る と 云 ふ 人 

でなければ、 誠 を 知った と は 言へ ない 箬 であ. ON ます。 

一一、 

斯 くの 如き 立場から 考 へます と、 世 問に 所謂 誠心誠意と 云 ふ 乙と を 口にする 所の 政 

治 家に し t^、 學者にし^c、 異に 誠 を 知 ftN 誠と 云 ふこと を 了解し 得た 人 は 幾人 あるかと 

& 5 ふので あ- ます。 私共 は 無論 誠と 云 ふこと は 到底. 1^ 分で 知って 居る と は敢て 申し ま 

せぬ。 迚も 知り 得る と 云 ふ 段に なって 居. CV ませぬ、 中庸に 誠 は 天の 道な と ございま 

す。 誠と 云 ふ もの は 天地 自然の 道て あ. CS ます。 天 は 誠と 云 ふ 事お 以て 1 貫して 居 ま 

す。 天地の 此 有らゆる 現象と 云 ふ もの は、 總て此 誠 を 以て 一 貫して 居. ます。 誠が あ 

れば rj,v、 春夏秋冬 其 時 を 違へ ずして、 萬 物 は それ., 5.\ 生 を 遂げる、 自然に 調和 的に 



世の中が 行 はれて 行く と 云 ふこと は 誠と 云 ふ ものが あれば Ni そで あ. 9 ます。 故に 誠 ゆ 

天の 道な. CV と 申します。 我 令の 終始 務 ひべき 所は此 誠と 云 ふ 乙と を眞に 知. 9 得て、 さ r 

うして 天地の 道と 我, >と 一 體 になる と 云 ふ 乙と であ. ftN ます。 我 令 は 誠お 完全に 履行す 

ると 云 ふ 乙と が、 我 の 務めで あ.^ ます。 そ rJ で 之 を 誠にす る は 人の 道なら と 中庸に. 

說 いて あ.?^ す。 卽ち誠 は 天の 道であって、 之 を 誠にす る 乙と、 誠 を 我, > が 完全に 自 

分の 身體に 養; S 得る と 云 ふこと、 ,J れが卽 ち 人間の 務めで あ 6N ます。 ですから 私 は 到 

底 誠と 云 ふ もの を 得た 者で も 何でもない、 然し 此 誠と 云 ふ 乙と を將來 自分め 身體 に體. 

驗し體 得する 乙と を 努め やうと 思 ふので あ. OS ます。 

I 一一、 

之 を 誠にす る は 人の 道な と 中庸に 說 いて あ. nN ますが、 我, t-ss と 云 ふ もの を 5 冗 全, 

に體 得し 體驗 したと 云 ふなら ば、 誠 は 天の 道で あるから、 そ^^で初めて天人合】 と云 

ふこと が出來 る、 我々 は 直ちに 神と 一 鱧になる とが 出來 る、 其 誠と 云 ふ もの は、 牢 

誠 敬の 說 四 三 一一 一 



支都哲 33- の 研究 四 三 四 

來我々 が 有って 居る、 決して 困難な N> とでお ftN ませぬ が、 不幸に して 日常生活に 於て 

有らゆる 誘惑が あ. 9 ます 爲に 誠と 云 ふ もの は 有って 居っても、 それ を體 得する ると は 

困難でぁ.C^.?Kす。 卽 ち努, 力して 我々 本來 有って 居る 誠と 云 ふ もの を 完全に 體 得すれ 

ば、 卽ち 天人 合一 の 域に. 至る ので あ. y ます。 天地の 道 は 誠で ある、 我, < -が眞 に 誠 を 得 

たなら ば、 卽ち 天地 鬼神 を 感動せ しむる、 天地 鬼神 すら 感動せ しひる から、 人 を 感動 

せし むる こと は 言 ふ 迄 ない。 我々 が 子と して 誠お 以て 親に 仕へ たなら ば、 親 は 我々 

の 誠に 感動す るで ありませ 5、 我々 が 誠 を 以て 君に 仕へ るなら ば 君が 感動され る、 朋 

友に 交 はるならば 朋友 は 我々 の 誠 を 信ずる であ. y ませう。 唯一 つの 誠 を 自分の! 生の 

行爲の 肝要な 耍 として、 さラ して 人間 社會に 立って 有らゆる 場合 少しも 差 支ない に 

違 ひない、 昔舜が 非常に. 親孝行であって、 非常に 頑固な 阿 父さん ロ八ケ ましい 阿 母 さ 

んを 感動せ しめたと 云 ふこと である、 至誠で あれば 人 は 必ず 感動す る箬の もので あ 

る、 孟子の 所 詣 至誠に して 動かざる もの は 未だ 乙れ あらず と は 其 意味 を 記した ので あ 



もます、 誠心誠意 なんと 云 ふこと を 口に 八ケ ましく 言 はぬ でも、 眞に 誠お 有って 事 は 

當ゥ たなら ば、 *t の 誠が 有らゆる 人に 貫徹して 其 ことが 完全に 行 はれない 箬 はない の 

であ. ます。 口に 誠心誠意 などと 言 ふ 人 は 案外 誠心誠意 でない。 誠と 云 ふ もの は聲と 

色と を大 にせず とあります、 非常に 嚴 かな 顏付 をして 如何にも 私 は 誠で 御座る と 言つ 

て、 は 非常に 何 か莊嚴 な聲を 出して、 私 は 誠心誠意 を 以て 此事を やります と 云 ふや 

うな 顔 付 やら 聲音 など を 以て 吹聽 致しましても、 本當の 誠がなければ 到底 駄目な もの . 

である。 本當に 誠で あれば もんな 吹聽 をし なくても、 をん な颜付 をし なくても、 必ず 

誠と 云 ふ もの は 人に 貫徹す る箬 なので ある。 吉田松 陰 先生 は甞て 孟子の 至誠に して 動 

かざる もの は 未た 乙れ 有らず と 言 ふたの を是 はどう も 間違 ひで はない か、 自分 は是程 

誠 以て 事に 當ジて 居る が、 自分の 至誠が まだ 八に 貫徹 しないと 云 ふて、 松 陰 先生が 

嘆息した M とが あ. CN ます、 さて 嘆息し つ、 松 陰 先生 も ふと 氣 付いて、 あ > '是が 卽ち自 

分の 誠が 足らぬ 所で ある、 自分 は 誠 を 以て やって 居る と 云 ふこと 自分が 思 ふだけ 

誠 敬の 說 四 三 五 



支那 哲學の 研究 四 三 六 

が、 旣に 誠の 不十分な 所で ある。 人が 自分の 誠に 感動 しないと いふ こと は 自分の 誠が 

足らない ので あると いって 居ます。 是程 誠で あるのに 人が 感動 しないと 思 ふ 心が、 卽 

ち 誠り 足らざる 所で あると、 fO れは 如何にも 尤もな 考方 である。 さ 5 あるべき, とと 

思 ひます。 本當に 誠で あれば 口で 言はなくて も 必ず 感動せ しむる、 天地 鬼神 を 感動せ 

しむる のみならず、 無知なる 草木 禽獸 と雖も 感動せ しむる 箬の ものである。 

四、 

易の * に 「中孚 豚 魚吉」 と 云 ふ 乙と が あ ます。 易の 言葉 は 】 體謎 見た やうな と 

で 何の 乙と かちよ つと 見た所で 分. 惡 いので あ. ますが、 「中孚 豚 魚吉」 な. と 云ふミ 

と は、 中と 云 ふの は、 我々 の 心、 孚は 誠、 心の中に 完全な 誠が あ. ます。 此孚は 誠と 

同じ 意味で あ. 9 ます。 易で は 誠と 云 ふ 言葉 は孚の 字.^ 使 ひます。 本當に 心中に 完全な 

誠が 充實 して 居 6S ますと、 ,^れ が 最も 無知なる 豚の やうな もの、 或は 水中に 泳いで 居 

る 魚で すら 感動せ しひる。 卽ち我 ,1- の 誠が 豚の やうな 若く は 魚の やうな ものまで 感動 



せし むる と 云ふ譯 で、 有らゆる 事に 當ゥ て吉 で、 ない もの はない と 云 ふ 乙と を 述べ たの 

であ ます。 是は中 孚と云 ふ 卦の說 明で あ. ます。 

此間 t 尾 先生が 今年の 御 講書 始めの 御 話が ございまして、 矢 張ら 誠の 御 話が あ fe^ ま 

したが、 もの 槪略を 申せば 「觀盥 而不, 薦有, 学顒 若」 と 云 ふ 易の 文句お、 御 講書 始め 

に 御 進講に なった さう であ ft> ます、 神樣 に御參 6^ する 時に 先 づ手を 洗ひ淨 めまして、 

唯 自分の 目的 は 神様であって、 神と 人と 對 立した 形に な まして、 何 か 御供へ する 物 

VJ 持って行って、 將に供 へ んとするに當ft^て、 自分の 誠 を 心の中に 充分 貯 へて 居る と 

云 ふの が、 「盥而 不薦」 と 云 ふこと であ. 9 ます。 手 を 洗って 神様に 供へ 物 を 持って 御薦 

めする までの 間 誠心誠意 神樣を 信ずる の 念が あって、 初めて 本當の 誠で あ.?^ す。 其 

誠 を 以て 上と して は 下に 示す に 足る、 下 は 其 上の 君主の 誠と 云 ふ もの を 仰いで 見る に 

足ると云ふ意味を述べたものでぁ.*^ますが、 之 を土屋 先生の 御 講書 始めの 時に 御 進講 

になった の • たさう であ. <MH す。 矢 張 6 中孚と 同じく 誠心誠意が あれば、 上た る 人 は其德 

誠 敬の 說 四 S セ 



支那 哲學の 研究 四 三 八 

を 以て 下に 法た るに 足. 9、 下た る もの は 其 上の 誠の 德を 仰いで 尊敬す ると 云 ふ、 卽 ち 

をの 誠が あれば、 神樣 は感應 されまして 神と 人と は 相 感ずる ので ある。 卽ち 誠と 云 ふ 

ものが あれば 豚の やうな もの 魚の ゃラな もの すら 感動す る、 神樣 に, するならば 神 

も感應 される。 又 人 も 其 誠に 依って 感應 すると 云 ふこと が屢々 斯の 如く 易の 中に 述べ 

てあります。 菅 原道眞 公の 歌に 「心 • たに 誠の 道に かな ひなば 祈らず とても 神 やま もら 

ん」 と、 云ふ歌も矢張.<^同じ乙とを述べられたものでぁる。 本當の 誠と 云 ふ ものが あ 

れば、 眞に此 神人 合一 の 域に 至る ことが 出 來る譯 であ. 9 ます。 其 誠 を 養成す ると 云 ふ 

ると が 我々 の 人の 道で、 天の 道 は 誠なる が 故に、 天人 合 I に 至る ので あ 6N ます。 さて 

誠 を 養 ひ 得ました 際に は、 其效果 として 如何なる 困難に 遭っても 少しも 精神の 動瑤, W. 

起さない と 云 ふるとに 歸着 致します。 

度.^ 易が 出ます けれども、 易の 震の 卦に 「震 驚-百 里, 不, 喪, 一 匕 s こ、 と 云 ふ 文句が 



あらます、 是は 1 體 どう 云 ふ 意味 かと 言へば、 百 里と 言へば 日本の 約 十 里に 相 當致レ 

ます、 非常な 大 雷が 鳴 i まして 十 里 四方 を 驚倒せ しひる だけの 大 雷であって、 其の 樣 

な 酷い 大 雷が 頭上に 落ち 褂 つても、 不 い 喪-一 匕暨 1 匕 は 匙て あ i ます、 S と 云 ふの は鬱 

S の 酒、 鬱金 香と 云 ふ もの を 以て 香 ひ を 付けた 酒、 其 匙 を 以て 鬱 S を 汲んで 今 御供へ 

をす ると 云 ふ 時に 方ク て、 十 里 四方 を 驚倒せ しむる 大 雷が 鳴っても 其 匙 を 落さない と 

云 ふ 意 * である。 昔 三國の 頃に 魏の曹 操と 蜀の 劉備 との 二人が 宴會を やって 居.?^ し 

た 曹操は 天下の 英雄 唯 使 君と 我との みと 言 ふたので、 劉 備は曹 操から、 そんなに 偉い 

人と B+t れ、 注意人物 となって 居る の は 避けたい と 思 ひ- したから、 何 か 折が あった 

ら 思った 程の 偉い人 間ではなかった と 思 はせ やうと 思って 居ました。 所が 俄に 雷が 酷 

く 鳴った から、 劉備は 御飯 を 食べて 居った 箸 を 取 落して、 私 は 大層 雷が 嫌 ひで あると 

云 ふ 風に 態と 臆病の 風 をして、 曹操を 誤魔化さ うとした 7^ とが ございます。 百 里 も 驚 

倒せし むる 程の 雷 なれば、 大抵の 人 は 措く 所 を 失 ふに 違 ひない。 併ながら 匙 を 持ゥて 

誠 敬の 說 四 一一 一九 



支那 哲學の 研究 四 四 〇 

居る 其 人の 精神 狀態 はどう かと 言 ふと、 唯 全心 神 あるの み 自分の 前に 神 樣が旁 露と し 

て 御出でにな. 5 自分 は 誠心誠意 渾身の 誠 を 込めて 全く 神様に 酒 を 汲んで 差 上げる と 云 

ふ 時で あう ますから、 外の 人 は 措く 所 を 失 ふやう に 驚く ことがあっても 何 慮に 蚊が 鳴 

いて 居る と 云 J 風で、 匙 を 取 落す やうな 不始末 を爲 さない、 卽ち不 喪 匕 睡 と 云 ふこと 

は 誠心誠意の 極に 至. ますと 如何なる 大事 件に 遭っても 少しも 措く 所 を 失 はぬ、 精, 

が動搖して轉倒する乙とはなぃと云ふ意味を述べたのでぁ6^ます。 

六 

易に は 誠の 德を 述べました 所が 、まだ 外に も ございます けれども、 適切なる こと は以 

上の 三ケ條 であ.?^ す。 誠 は 有らゆる もの を 感動せ しめ、 上と して 下に 示し 下と して 

上 を 仰ぐ もの、 誠が あれば、 有らゆる 困難に 遭っても 少しも 精神の 動 搖を來 す もので な 

いと 云 ふこと を 述べた。 是は 最も 面白い と 思 ひます るので 此話を 申 上げた 譯 であ. ま. 

す。 自分もま-た誠ぉ養ひ得たものでぁ.o^ませぬが、 將來は 一 生 懸命に 養 ひたい、 所謂- 



之 を 誠にす るの 道 を 努力した いん 思 ひます。 現在に 於て は 唯 至誠の 境遇お 想像す るに 

過ぎない ので あらます が、 乙れ に は 程 伊川の 實驗 がご ざい.^ す。 程 伊川が 時の 政治家 

に 憎まれて 涪 州と 云 ふ 所に 流された。 所が揚子江の支流に當^^ます漢水と云ふ川がご 

ざいます。 其 漢水を 船 下ら 致しまして、 其 途中で 酷く 暴風雨が 起. - まして、 船が 將に 

轉 覆せん とする ことがあった。 乘 客が 皆 驚いて 神佛を 念ずる 者が 多かった、 或は 號哭 

する 者が 多い、 時に 先生 は 泰然自若 として 居った。 幸 ひ 船が 無事に 着きまして、 上陸 

する に當 6N まして、 一 人の 爺さんが ございまして、 先き 程 先生 は 皆が 大層 心配して 騷 

い, たム 吐いた..^ 叫ん た 6 して 居. ました 時に、 泰然と して 居られた の はどう 云 ふ譯か 

と 聞きます と、 先生 は 誠 敬を存 ずるの みと 言 はれた。 卽ち誠 敬と 云 ふ もの を 心に 存じ 

て、 心が 誠 敬と 云 ふ もので 充實 して 仕舞って 居った からして、 措く 所 を 失 はな かつ 

た。 他の 人が 驚 さ 恐れた にも拘らず 伊川 先生 は 泰然自若 として 居った。 かくの 如く 伊 

川 先生が 誠 敬と 云 ふ ものに 就て 自分の 實驗 がご ざい ますので、 易の 註釋を 書き まし 

誠 敬の 說 四 四 一 



支那^ 學の 研究 四 四 二 

て、 曩の 「震 驚 百 里不喪 匕鬯」 の 所に、 誠 敬と 云 ふ ものが あれば 百 里 を 驚かす ほど 

の 雷 震が あっても、 泰然自若 として 居る rJ とが 出來 ると 云 ふると を 書いて 居. ON ます。 

乙れ は 伊川 先生が 自分の 經驗に 依って 書かれた ので、 如何にも 是は 尤もな 說 だと 思 ひ 

ます。 そ M で 伊川 先生 は 流された 後數 年に して 再び 呼 庚され ました 時に、 門人 達 は 之 

を迎へ て 驚きました。 先生 は 肉 付 は 麗しく 顔色 は 善くて 髮の白 毛 も 幾らか 減って 居る 

と 云 ふやうな、 實 にど ラも 立派な 福々 した 樣子 をして 歸 つて 來られ た。 ^調に 遭って 

は總 てに 不自由な 爲め 顔色 は 憔悴して 仕舞 ふと 云 ふの が 普通で あ.?^ す。 然るに 伊川 

先生 はかくの 如くであった から 門人 共 は 驚きまして、 どラ 云ふ譯 かと 聞きました 所 

が、 學 問の 力で あると 伊川 先生が 答へ た。 卽ち誠 敬と 云 ふ もの > 效果 であ .o ます。 非 

常に 面白い 話であって、 さう 云ぶ もので あら ラと 思; 5 ますから、 願く ば學 びたいと 思 

りて 居- ON ます。 

七 



. 大 鹽中齋 先生 は 皆 樣が御 承知の 通 6^、 陽明學 者で あ. - ます。 陽 明 を崇拜 して 中令氣 

焰 家であって、 どうも 敢て 人に 許さない、 滅多に 人 を 尊敬す る やうな こと はない 人で 

あら t< す。 陽 明 學ー點 張 ft> で 朱子學 など は讀 まない ど 云 ふ 頑固な 人 かとい ふと、 中,^ 

見識 も 廣く程 伊川の 此 話な ども 讀んで 居った ものと 見えます。 或 時 中齋は 自分の 學問 

の 先輩で ある。 中 江藤樹 先生の 小川 村の 御 墓に 秦詣 しょうと 云 ふ 心 を 起しまして、 大 

阪 から 參 まして 恐らく 大 津邊ら であ ft^ ませ ラが、 船に 乘っ たものと 見えます、 琵琶 

湖を橫 切つ て 小川 村に 行つ て參詣 が濟ん で歸途 にな.. > ました 處が、 途中で 非常に 叙 山 

S が 荒れて 參 ました。 恰も 秋の 木の葉 を 弄ぶ が 如くに 波が 烈しくな つて 船 を ゆ 上 

げゅ ft> 下します。 船頭が 酷く 恐れ して、 私 は 誠に 先生に 對 して 濟ま ない。 見渡す 所 

何 處も彼 處も般 一艘 居. 9 ませぬ。 斯の 如く 天變 地異が あると 云 ふ 乙と は、 眼 ある 所の 

船頭 は 皆 知って 居った 爲に船 を 出して 居な か つ た。 私 は 先見の 朗が 無くて 船 を 出し 

た。 定めて 魚腹に 葬 むられ るに 違 ひない。 私は宜 いが 先生に 對 して 濟 まない と斷 御. 

誠 敬の 說 四 四 S 



te< 那哲學 の 研究 四 四 四 

を S 上げました。 且つ又 酷く 弱って 仕舞った。 船頭 すら 弱って 仕舞って 身體が 動かな 

い、 外の 者 は 一人 も 動け る 者 はない と 云 ふや ラな 有様に なった。 中齋 先生 A 酷く 心配 

をして 是は 詰らない。 どうも 自分 も 此處で 水中の 藻: となって は殘 念と 思 はれました 

が、 ふと 伊川 先生の 漢 水の 遭難の 際 誠 敬を存 した 結果と して、 伢川 先生が 少しも 暴風雨 

に 驚かなかった と 云 ふこと を考へ 出しまして、 中 ■ は 今日 此 時と 云 ふ M とに 氣が 著き 

まして、 さう して 一 生 懸命に 丹田に 力, V 入れて 誠 敬を存 すると 云 ふ 工夫 を 致した ので 

あらます。 さう すると 其 效果は 著しく、 船の 動搖 今にも 輔覆 すると 云 ふやうな こと は 

氣 になら なくなった。 心靜に 波の まに まに 中齊自 から 鱸 櫂 を 操って 居ます と、 幸 ひ 風 

も靜 になって 參り 船が 無事に 岸に 著く 7- とが 出來 た。 それで 皆 生き かへ CN たや ラな氣 

持に な.^ 噯 した。 中齋自から自分の經驗に依ft^まして、 伊川 先生の 言った の は 誠に 是 

は 結構な ことで ある。 事實其通もでぁると云ふ^^とを述べ て居.o^ます。 るれ は 洗心涧 

剳 記の 中に 書いて ござ います。 中 齊の學 說は殆 んど剳 記の 中に 包羅 されて 居る と 言 CV 



て宜ぃ 位で あらます。 其 中で 琵琶湖の 遭難の 文章が 最も 長くて 且つ又 名文と 見るべき 

もので あ ます。 

誠 敬を存 した 結果と して、 遭難の 際に 少しも 驚かない、 是は當 然さラ あるべ さ 乙と 

でぁ.c^ます。 非常に 面白い 話と 思 ふので あ 《ます。 伊川 先生な ど は 始終 誠 敬 存 すと 

云 ふこと を 申して 居. ます。 是 まで 易 を 引きまして 誠と 云 ふ 乙と を 上げ ましたが、 誠 

と 敬と 相對 立して 說く のが 學 者の 常で あ. ます。 此 誠と 敬との 一 一 つ の關 係,^ 申 上げて 

此御話 終 6. たいと 思 ひます。 

誠と 云 ふこと は是 まで 縷令申 上げました, J とで あ- C> ますが、 簡單に 申せば 誠と 云 ふ 

とと は 目的で ある、 或は 效 sf- である。 敬と 云 ふ 方 は 其 手段で あ.? ます、 敬の 結果と し 

て 誠. V 得る 或は 誠と 云 ふ 目的 を 達する M とが 出 來る。 斯う 云ふ譯 であ. ます。 

八、 

敬と 云 ふの は 我々 の 精神 を 修養す る 所の 方法で ある、 どラ云 ふの を 敬と 云 ふか、 伊 

王 充の學 四 四 五 



*z 那哲學 の 研究 ®. 匹 六 

川 先生 は 敬 を 解し 主 一 無 適と 云って 居ます。 主 一 無 適と は 一 を 主として、 さケ しで 

外 こら を 散らさない ことで あらます P 孔子の 言った 言葉に 「操れば 存し捨 つれば 13 ぶ 

出入 時な し」、 心と 云 ふ もの は 出た. 9 這 入ったら 定 つた 時がない、 心 は 眼から も 口から 

も 耳から も 出て 行く。 非常に 綺麗な もの を 見て 悉皆 をれ に 見惚れて 居る 時 は、 卽ち心 

は 眼から を ちらの,^ へ 行って 仕舞 ふ。 口 も 鼻 も 同じで 心が をれ に 引かれて 仕舞 時 は 

心 は 何時の間にか そっちへ 行ゥて 仕舞 ふ U 心 は 出たり 這 入ったら 致して 居る。 自分で 

氣が 付きます と チャンと 心 は 居る が、 うつから して 居る と 心 は 出て 仕舞 ふ。 の 意 は 

を 孔子 は 操れば 存し捨 つれば 亡ぶ 出入 時な きもので あると 言って 居る.。 此 敬と 云 ふ I 

と は 其 心 を 失 はない やうに、 此 部屋の 中に チヤ ンと 主人公 を 置いて 置く、 チヤ ンと心 

を 失 はない やうに する。 さう すれば 他の ものから 引かれる とか 或は 物欲に 蔽 はれる と 

云 ふやうな 乙と はない。 チャン ト其 心と 云 ふ もの を 取 守って 外に 心 を 散らさない 

S ヽぽ 部屋の 中に 雨戶が 四方 開いて 居 ft- まして i 其 中に 主人公が チ ャ ン と 居. = ^ま 



すなら ば 泥棒が 這 入って 來る箬 はない が、 主人公が 部屋, に 居. OS ませぬ ければ 何處 から 

も 留守 を 狙って 空 家 狙び, や. est- す、 泥棒が 這 入 CN て來 ます。 心と 云 ふ 主人公が 居. 5 

ませぬ ければ、 眼から 這 入って 大事な もの を 持って行く 鼻から も 口から も 四方から 這 

入って 來て 持って行 くやうな ものである、 主人公が チヤ ンと 部屋の 中に 居らなければ 

駄目で あると 云 ふ 乙と を 宋の學 者 達が 說 いて 居 6, ます。 是は主 一 無 適と 云 ふことの 說 

明と して 明瞭に 細かに 說ぃ たもので あ. 9 ます。 さ ラ云ふ 風に 我, > の 心と 云 ふ もの を 尊 

重して チヤ ン と 忘れない ゃラ にして置く 狀態を 名付けて 敬と 申します。 

九、 

其 敬と 云ふ狀 態. 保つ 乙と に付きまして は 之 を 分ける と 二方 面が あります。 卽ち自 

分が 先 づ相當 に 貌 態度 を チヤ ンと齩 かにす る rJ と、 容貌 態度 を 厳かに すると 云 ふ 

とが、 卽ち 精神 を 敬と いふ 狀 態に 置く 所以の 1 であ. 5 ます。 例へば 正服 正帽 を 著け て 

チャンと して 居 fts ますと。 どうもち よつ と 惡ぃ眞 似 も出來 ませぬ。 著 流しで 鳥 打帽を 

誠 敬の 說 . . 四四セ 



支那 哲學の 研究 四 四 八 

被って、 さ 5 して 手 を 懷に突 込んで 居れば、 其 邊で變 な眞似 をして 歩いても 恥し くな 

c-b.^ な氣が 致します。 服装に 依って 精神が 支配 を 受ける もので あ ふ。 敬と 云 ふ 乙と 

に は 必ず 一 面 は 外界から 敬 を 養 ふと 云 ふ 必要が ある、 ての 外貌の 見掛の 鄭重な こと,^ 

恭と 申します。 見褂 ばか. - 鄭重に して 居つ て 精神が 伴つ て 居らなければ 駄目で ある。 

袴 著け たや ラな異 似して 置いて 心の中で 舌 を 出して 居って は 駄目で あ. 9 ます。 精神的 

方面から 本當に 敬と 云 ふ 精神が なけれ ばなら ぬ。 是は卽 ち 敬の 內面的 方面で ありま 

す。 恭敬の 二つ を對 立して 申します と、 恭と云 ふの は 外界から 心 を 主 一 無 適の 狀 態に 

置く、 敬と 云 ふの は內面 的に 心 を 主】 無 適の 壯 態に 置く の を 言 ふので あります。 內外 

相俟って 敬 卽ち主 一 無 適と 云 ふ 精神 狀 態に 置く と 云 ふこと が出來 ます。 をう してす 1 

無 適と 云 ふ NJ とが 完全に 出來 t< すと、 其 結果と して 誠と 云 ふ 域に 到達す る。 卽 ち神ノ 

合一と 云 ふ とが 出來 る。 其 神人 合 一 に 至 もま すれば、 如何なる 困難な 場合に 遭って 

も動搖 する 乙と はな S と 云ふ效 果を來 すので あ fc^ ます。 



之 を 要するに 誠 敬と 云 ふの は 敬 は 手段で あ ft> 誠 は 目的で ある。 或は 其效果 であると ガ 

sふゃぅな^;とに歸著するのでぁ6^ます。 大體 そんな/^ とで あ 力ます。 



鼸敬 C 就 I I a四^^ 



支那 i^, 學の 研究 四 五 Q 

事 上 磨鍊に 就て 

】 體&理 と 云 ふ もの は、 東洋 西洋と 異 つた 二つの 倫理 は あ. 9 ませぬ。 併ながら 別け 

て 見れば 東洋 倫理 は實踐 的の 傾向が ある。 西洋 倫理 は 實踐を 疎かに する ので はない が 

其 特色 を 申せば 西洋 倫理 は 寧 理窟に 富んで 居る。 東洋 倫理 はどう も 理窟 の 方は少 

く、 其 代ら 實踐の 方に 優れて 居る。 斯う 云 ふ 特色が あると 云 ふこと は、 恐らく 何人も 

認める こと、 思 ふ。 其 處で此 東洋 倫理の 實踐を 重んずる 事柄 を 申す と、 事 上 磨 練と 云. 

ふこと が、 東洋 倫理の 特色に なって 居る。 夫れ で此話 をして 東洋 偷理の 特色と 云 ふ も 

の、】 端 を 窺 ひ, 且つ 夫に 對 して 私の 卑見 を 添へ たいと 思 ふ。 

事 上 磨 鍊と云 ふ 言葉 は、 御 承知の 通. CV 明の 王 陽 明と 云 ふ 人の 使った 言葉で ある。 事 

と 云- \ のは總 ての 我, I- の經驗 する 事柄で ある。 日常 我々 の經驗 する 事柄が 何でも 此事 

で、 其 事に 當 ると 云 ふの が 卽ち事 上の 意味で ある。 磨 鍊と云 ふの は、 例へば 金鐡 を鍛. 



へて 琢磨し 鍛鍊 する、 之と 同じで 磨鍊は 事に 當 つて 我々 が 其 精神 を鍛鍊 する、 鍊 磨す 

ると 云 ふ、 此 意味で ある。 夫れ が 事 上 磨鍊の 意味で ある。 是は 甚だ 簡單 であるが、 之: 

を 詳しく 言 ふと、 王 陽 明の 哲學 から 言 はねば ならぬ ので、 其方に は 餘ゥ深 入. 5 はし ま 

せぬ。 併ながら 事 上 磨 鍊と云 ふ とに 就て 申 上げる 爲に、 チヨ ッ ト之 だけ は 言って 置 

く 必要が ある。 夫れ は 何で あるかと 云 ふと、 誠意、 致 知、 格 物、 是 である。 陽 明の 學 

間 は、 致 良知の 學問、 良知 を 致す と 云 ふこと である。 或は 之 を 簡翠に 致 知と も云ラ 

て、 f.- れが陽 明哲 學の 根據 である。 其處で 我, > の 修養に 就て は、 どう 云 ふ 事柄から 着 

手せ なければ ならぬ かと 云 ふと、 我々 の 精神 活動の 中で、 意思と 云 ふ も 0、 此意 思, V.J 

誠にす ると 云 ふこと が、 我 の 修行に 大切なる もので、 是が 第一 着に やらなければ な 

らぬ。 我, > が 何 か 事を爲 さんと 欲するならば、 先づ第 I に 意思が 正しくなければ なら 

ぬ、 爲 さんと 欲する 心が 誠で なければ ならぬ。 之 を 爲し而 して 學問 をす る、 玆に 於て 

始めて 致 良知、 卽ち 立派なる 精神と なる 乙と が出來 るので ある。 是が陽 の 學說, 「あ 

事 上 磨 練に 就て 四 五】 



那^ 學 S 研究 四 五 二 

る。 

其 處で此 意思 を 誠にす ると 云 ふこと に 就て は、 どラ云ふ乙とをすれば^1!|しぃか、 是- 

は 儒 敎の經 典の 一で ある、 大學の 本文 を 見る と、 欲, 誠-其 意, 者。 先 致-, 其 知? 致, 知 

在, 格, 物。 と 云 ふるとが ある。 大學の 作者に 就て は 議論が あ. y ますが、 兎 も ft 孔門の 

うちで 相當の 者が 書いた ものであると 認められ、 而 して 此 意思 を 誠に せんと 欲するな 

らば知を致すに在.《^と云ふのでぁる,か、 其 知 を 致す に はどう すれば 宜しい のか、 夫れ 

は 格 物と 云. ふこと をす るが 宜しい、 卽ち 意思 を 誠にす ると 1}^ ふ 乙と は、 第 I に 格 物と 

云 ふ ものから 始まる と 云 ふるとになる。 其 處で此 格物致知と 云 ふこと に 就て、 種々 諸 

家の 說が ある。 陽 明 は 陽 明 流の 說を立 て 居る。 鬼に 角 種, なる 說が ある。 例へば 格 

は 至 也と いひ 來 也と いひ、 扦格 也、 又は 正 也と 解釋 する。 此四 通りに 分けて 居る ので 

ある。 至 也と 云 ふの は、 物の 道理と 云 ふ ものが あるならば、 其 物の 道理に 十分 自分が 

熟練す る、 其 物の 道理の 正しい 所に 自分が 行く と 云 ふ 意味、 物の 道理と 云 ふ ものが あ. 



れば、 其 道理の 所まで 行く、 到達す ると 云 ふので ある。 來 也と 云 ふの は 物の 道理 ケ」 我-, ■ 

身上に 持ち 來す、 卽ち 此方から 行く と、 持って 來 るのと 違 ふので ある。 夫れ から 扞格 

也と 云 ふの は 防ぐ と 云 ふので、 物が ある 爲め 良心と 云 ふ ものが 迷 ふ、 自己から 外物に 

對 して 惑の 心 を 起す、 卽ち 外物 は 正しい 心 を 迷 はすから、 此 刺戟 を 防がなければ なら. 

ぬと 云 ふこと に解釋 する のが、 杆 格と 云 ふ もの. - 意味で ある。 是は 有名な 司馬溫 公の 

說で、 夫れ から 正 は 正す ので ある 物 を すと 云 ふの が 陽 明の 說 である。 之に 就て は尙. 

詳しく 申 上げねば ならぬ ので あらます が、 夫れ は 姑く 措いて、 陽 明の 此の 正 也と 云 ふ 

の は 唯今 申 上げました 通り、 物を疋 すので、 正當 にす る、 違 はぬ やう, にす る、 違 はぬ 

やうに すれば 知が 究められ、 隨 つて 意思が 誠になる と 云ぶ 意味で ある。 

扱て 物と 云 ふの は 何かと 云 ふと、 之に 就て は 種種 諸家の 說が あるが、 夫 は 差 措いて 

隐 明の 說を 申します と、 我々 の爲 さんと 欲する 所の 事抦を 指す ので、 我 令の 意思が 今 

將に爲 さんと 欲する 事柄 を、 物と 云 ふので あると、 斯う 云 ふので ある。 朱 子に 言はサ 

事 上 磨 練に 就て 四 五三 



支那 哲學の 研究 四 五 四 

ると 物と 云 ふの は、 凡そ 天下の 有らゆる 物 を 物と 云 ふと 斯ラ 申して 居る。 陽 明 はそう 

言 はない、 物と 云 ふの は 自分の 心で しようと 思 ふ 事柄 を稱 して、 物と 云 ふので ある。 

例へば 我.^ が 今 水を飮 ひと 云 ふ 事柄、 卽ち 一 の 物で ある。 私が 今 話 をしょう と 思へ 

ば、 私の 話す ことが 一 の 物で、 私 は 兹に話 すると 云 ふ 責任 以て 來た 以上、 正當に 

思 ふ 事 を 話し すれば、 私 は 物 を S したので す。 私が 假らに 親に 事へ ようと 思 ふ、 親に 

事へ る 事柄 卽ち 物で ある。 君に 事へ る、 或は 物 を 見る、 聽く、 或は 我々 が 或るての 活 

動を爲 さんと する、 乙れ 等の 事柄 は 卽ち總 て 物で ある、 陽 明の は 斯う 云 ふので ある。 

夫れ から 朱 子に 從 へば、 物と 云 ふ もの は、 凡 も 有らゆる 導 物であって、 客観的 事物で 

ある。 陽 明の 物と 云 ふの は、 總 て主觀 的の 窜 柄で 客 觀 的の 物と 云 ふの はない。 デ物 を 

正す 也と 云 ふの は、 此 意味であって、 私の 意思が 爲 さんと する とが あれば、 其 事柄 

を相當 にやったならば、 格 物と 云 ふ fJ とが 出來 る、 斯う 云 ふやう に 陽 明 は解釋 する Q. 

である e 



.V れ,^ ら 之に 關歸 する 致 知と 云 ふ 乙と、 知と 云 ふこと は、 卽ち陽 明の 良知で、 我 命 

の 本來備 へて 居る 良知で ある。 致す と 云 ふ 乙と は、 是は朱 子の 方で 云 ふと < 我,^>-が汎 

く 知識 を 極める、 汎く 事物 を學 ぶと 云 ふこと になる、 有らゆる 事に ついて 我, が 知 を 

致す と 云 ふので すが、 陽 明の はさう でない、 自分の 良知と 云 ふ もの を、 正當に 完全に 

履行す る 時に、 之 を 名け て 致 知と 云 ふ、 爲 さんと 欲する 事柄.^ 正當に 完全に 屐 行した 

5. あ 合に、 卽も其 人 は 完全に 自己の 知を盡 したので あると 云うて 宜しい、 是が陽 明の 說 

である。 自己の 履行 せんと 欲する 事が 出來れ ば、 卽ち 意の 事柄 を 完全に 實 行した 事に 

なる。 玆に 親に 事へ ると 云 ふ 心 を 起す、 而 して 親に 事へ る 乙と を 完全に 履行したなら 

ば 其 人 は 意思が 誠で ある。 夫れ から 親に 事へ ると 云 ふこと は、 一方から 云 ふと 物で あ 

る。 親に 事へ ると 云 ふでと を 完全に 履行 すれば、 物が 正し いので 格 物が 出來 るので あ 

る。 夫れ から 親に 事へ るに はどう 云 ふやう にす るか を 知って、 之 を 完全に 履行 すれ 

ば、 致 知が 出來 るので ある。 卽ち 同じ 事柄 を 違った 方面から 名稱を 付ける 71 とが 出牵 

事上鍊 磨に 就て 四 五 五 



支那^ 學ぃ 研究 四 五六 

る 格 物、 致 知、 誠意と いふ は 同じ 事 を 違った 方面から 名 づけた ので ある。 尙 詳しく 言. 

は i -、 或る 一の 事柄、 例へば 親に 事へ ると 云 ふ 事柄、 是は 物で ある、 卽ち 私が 親に 事 

へる と 云 ふの は、 一 の 物で ある。 夫れ から 親に 事へ ようと 云 ふの は、 私の 意思が 事へ 

ようと 思 ふので ある、 夫れ から 親に 事へ るの は ど ラ云ふ 方法で あるか を 知る は 知で あ 

る。 以上の 事柄- ビ正當 に 之 を 履行した 時に、 卽ち 物が 正しくな つたので、 格 物で あ 

る、 完全に 臏 行した 時 は、 所謂 知 は 完全に 盡 された ので 卽ち致 知で ある。 又 完全に 親 

に 事へ ると 云 ふ 意思 を 履行した とき、 其 意思 は 誠で ある、 斯う 云 ふので ある。 其處で 

我.^ が 聖人た らんと 欲する に は、 意 を 誠にす ると 云 ふ と、 是が 第一 着手で ある。 而. 

して 其 意ハ, ^誠にす ると 云 ふ 乙と に 就て は、 總 ての 事物に 就て、 意の 存 する 所の 物 正 

$S に 履行す る 乙と である。 正當に 夫れ を 履行 すれば 夫れ が卽ち 意が 誠にな つたので、 

,v の 事柄 は 當然事 上 磨 鍊と云 ふ 乙と になる ので ある。 卽ち 我々 の 知識 を 磨く と 云 ふ M 

と は、 正當に 事物 を 履行す る、 物 を 正しくす る。 我々 の 意思 を 誠にす る、 斯ラ云 ふ; 



とになる ので ある。 意思 を 誠にす ると 云 ふ 7- とに 就て は、 爲 さんと する 主觀 的の 事柄 

を 正當に 行へば 宜しい。 卽ち其 事柄に 當 つて 正 當 行 ふ、 正當に 精神 を锻鍊 すれば 宜 

しいので ある。 卽ち陽 明の 致 知、 格 物、 誠意と 云 ふ とが 分れば、 事 上 磨 鍊と云 ふ ro 

とが、 最も 大切なる 乙と であると 云 ふこと が 分る ので ある。 さ ラ云ふ 學的根 據に依 

つて、 陽 明は說 いたので ある。 

扱て 此事上 磨 鍊と云 ふ 乙と、 是は宋 代邊. 5 から 流行した 靜 坐に 依って 修養す ると 云 

ふ 法、 之と 關 係が ある、 卽ち 或み 事柄に 會 つて、 自分の 精神.^ 鍛鍊 する と、 或は 事 

件に 遭遇した 場合、 社會を 離れて、 例へば、 山の 中に 入って、 獨り 端坐して 精神 を鍊 

ると 云 ふ、 卽 ち坐禪 とか 靜坐 とか 云 ふこと をす るが、 之と 此事上 磨 鍊と云 ふ もの は關 

係が ある。 靜坐 する 佛敎の 言葉. vin ふと 坐禪 である。 佛敎の 坐 禪と云 ふこと を、 精神 

修養の 方法と して、 儒者が之を採.<^來って應用するに、 坐 禪と云 ふこと では 餘ら 佛敎 

的で あるから、 少し 其 姿 を變更 して、 稱て靜 坐と 云 ふので ある。 佛敎 では 坐禪、 儒敎 

事 上 磨鍊に 就て 四 五 七 



ま那 學の 研究 四 五べ 

では 靜坐 である。 修養 法と して 靜 坐と 云 ふこと は、 宋 代に 於て 盛んに 唱 へられた • 無 

論 佛敎の 影響であった ので ある。 其 處で靜 坐と 云 ふ もの は 陽 明 も 若い 時 やった ので 

す。 併しながら 陽 明は靜 坐と 云 ふ もの は、 極めて 初歩の 學問 である、 所謂 小學の 工夫 

で大學 的の 方法で はない、 動搖 した 精神 を ダット 押へ るるとに 就て は、 靜坐は 相應に 

有効で ある。 大學 方面で は 夫れ ではい かぬ、 靜 坐と 云 ふこと は小乘 的であって、 大乘 

的 方法 はそんな もので ない と 云-, 5 の である。 夫れ で 陽 明の 大乘 的、 大學的 方法に 從へ 

ば、 卽ち此 事 上磨鎵 である。 本 當の學 問と 云 ふ もの は、 進んで 事に 當 つて、 夫れ に 就 

て 自分の 精神 を鍛鍊 する とで あると 云 ふの が、 陽 明の 考 である。 唯お 靜坐 許ら して 

自分で は 悟った 積ら で 居ても、 扱て 大事 件に 遭遇した 時、 氣も轉 倒せん 許 もに 驚いて 

は、 何にも ならぬ。 夫れ で 事に 當 つて 其 精神 を鍛鍊 する ことが 本當の 精神 修養に 大切 

なるとで ある。 是れ卽 ち 大乘的 方法で あると、 陽 明は說 くので ある。 陽 明の 弟子の 某 

と 云 ふ 人が、 南京に 居って 役人 か 何 か をして 居た。 所が 或時此 人の 鄕 里から 大切なる 



子供が 3 氣で 危篤であ ると 云 ふ 知せ を 得た。 其 人 は 非常に 騖 いて 煩悶し、 心配して 立 

つても 居ても と 云 ふやうな 狼狽 を來 したので す。 此時陽 明 先生 は、 此處 こも 豫 てよ. 

自分の 言 ふ 所の、 事 上磨鍊 の機會 であると 云 ふので、 陽 明は此 人に 向って、 親子の 情 

と 云 ふ もの は 去るべからざる ものである。 殊に 嫡子の 危篤と 云 ふこと に 就て、 親が 心 

配す るの は 無理がない、 併ながら 如何に 心配しても、 此 感情と 云 ふ もの は 適度 を 過ぎ 

てはいかぬ、 悲しみ、 心配す る こと は當然 であるが、 無暗に 心配して 精神 を混亂 して 

はならぬ、 非常に 好い 機會 である。 豫て言 ふ 事上鍛 鍊を此 時し なければ ならぬ と 言 ふ 

たのです。 陽 明 先生が 斯く 訓戒した ので、 其 人 は 失れ を 言 はれて 漸く 氣が落 付いて、 

心配して 手足の 措く 所 を 知らぬ と 云 ふ有樣 であった 心 持が、 ス ッ カリ 取れて 安心した 

と 云 ふ M とで ある。 是は 傳習錄 にあ, ON ますが、 斯う 云 ふや ラな 工合に 事 上 磨 鍊をゃ 

る、 總 ての 事柄に 就て、 我 令の 精神 を鍛鍊 する 好機 會と 見る ので ある。 是は 最も 有効 

なる 方法で あると 思 ふ。 靜坐する^.-とも宜しぃ、 併し 事 上 磨 鍊と云 ふ 7- と は、 もう 少 

事 上 磨 練に 就て 四 五 九 



支那 哲^の 硏究 四 六 〇 

し 進んだ 鍛鍊の 方法で あると 思 ふので ある。 私共 は 勿論 未だ 事 上磨鍊 が出來 ない ので 

あるが、 世間に も隨分 理窟 は 言 ふが、 其 根據の 無い 者が ある、 何でも 物事と 云 ふ もの 

は St 窟 と共に 根據 がなければ ならぬ。 眞當 に其處 まで 進んだ Si 窟 であるならば、 其 言 

ふ 所に 何ん となく 重みが ある、 根柢が ある。 唯お 机の 上で 作った もの は 力が 無い、 

間で も 何でもそう である、 例へば、 戰爭 など も學問 的に 硏究 しても、 夫れ を眞 當の實 

戰に當 つた 人と 比較す ると、 學問 的の 机の 上で 研究した 方 は、 ィ ザ實戰 となると、 非 

常に 狼狽す る ことがある。 然るに 舊 式の 學間を しても、 實 戰に當 つた 人 は、 ィ ザ戰; 3 

となると 中 令 動じない、 立派なる 態度で 敵に 向 ふ、 平常 は 不得要領であって も、 戰; 5 

となると 兵陣が 整って 成績が 良い、 斯う 云 ふ ことになる。 能く 市井の 無 賴漢の 中に、 

何某と 云ふ俠 客が ある、 實に 人情の 機微 を 穿って 立派なる 態度、 立派なる 行動、 立派 

なる 悟. CV 方 をず る 者が あって、 却って 我々 如き 者 は氣耻 しく 思 ふ ことがある。 夫れ 等 

は 何れも 事 上磨鍊 の出來 た.^ 蔭で ある。 唯 だ 理窟 許りで は 何にもなら ぬので ある。 ■ 



昔 支那に 趙 括と 云 ふ 能く 兵法 を談 ずる 人が あつた、 此 人の 父の 趙 奢と 云 ふ 人 も、 亦 

偉い 兵法家で、 或 時 子供の 趙 括と 兵法の 議論 をした が、 理窟で は 子供の 趙 括に はとて 

も 及ばなかった。 所が 父の 趙 奢の 言 ふに は、 子供の 趙括 を大將 として 兵 を與 へて は、 

必ずや 國家を 誤る と 申した ので ある。 後趙の 國で趙 括.^ 大將 とした 所、 何十 萬と 云 ふ 

兵 を 率, Q て 他 國と戰 ひ を 開いた が、 果して 趙括は 敗北した と 云 ふこと である。 此人は 

窟 では 名將 であるか も 知れない が、 赏 戰に當 つて は 其 力が 足 ftv なかった あ 父さんの 

趙奢 は、 實に 先見の明が あつたの である。 斯ラ云 ふやうな 譯 で眞, ぼの 精祌 鍛鍊 しな 

者 は 決して さう 云 ふ もので ない、 自ハ 刀の 身 鱧で 實驗 し、 給め で 眞當の 鍊. f\ 出^る の 

である。 W ながら 自分で 體 得し、 體 驗 すると 云 ふ 乙と は、 言; 3 易く して K だ 難しい も 

ので ある。 眞 當に體 得した 人 は、 口許 ft> で 言 ふ 人と は 違 ふので す。 口許. で 申す 人 は 

眞當の 腹がない から、 能く 人に 吹聽 する、 廣吿 をす るが、 併し 眞當に 腹の 出 來た人 は 

默 して 居る。 默識心 通で、 心で 悟って 居る、 理窟許6^言ふ人は腹が出來て居なぃ、 所 

事 ヒ磨鍊 に 就て EH ハ 一 



支那 哲學 の硏究 四 六 二 

Er- 事 上 磨 練と 云 ふ 乙と が出夾 J て 居ない ので、 夫れ で. 重味がない 力がない、 腹が 出^る 

と 所謂 一 言 一 行、 皆 根柢が あって、 どんな 人が 見ても 底力の あると 云 ふこと が 分る も 

ので ある。 見, 一 於 面! 盘> 於 背 一 施-一 於 四體ー 四體不 J 一一 n 而喻び と 云 ふ 乙と が ある e 5 

の 腹の 力が あれば 面に 見 はれ 背に 盎、 れる、 表から 見ても 裏から 見ても、 腹 力が ある 

と 云 ふ 乙と が 分る. % して 四肢 五體、 指先な ど、 云 ふ もの は、 別に 話 しない けれど 

i 自然と 人 を渝す 所の 力:^ ある。 其 處で見 於 面。 S 於 背。 施 於 四體。 四體 不言 ffi 

兪。 と 云 ふので ある。 眞 當に體 得した 腹 力の ある 人に は、 自然と かう 云 ふこと が 見に 

れ るので ある、 事 上 磨 鍊と云 ふるとが 出來て 居れば、 其 人に は 重みが 見 はれて、 何と 

なく 其 人の 前に 行く と、 頭が 下る と 云 ふやうな 感じが する ものである。 卽ち人 をして 

自然に 頭の 下る 乙と を覺 えしめ ると 云 ふの が、 眞 當の體 得の 出來た 人で あると 思 ふ。 

.體得體驗は理窟許.=^を揑1!すものでなぃ、 我々 は 事 上 磨 鍊と云 ふこと が、 最も 大乘, 》 

♦V 思 ふので、 陽 明の 說を 一言した 次第で ある。 



支那の 公羊學 派に 就て 

支那の 公羊學 派と 申します の は、 春秋 公 羊學を 主張す る 1 派で ご ざ います • 是は申 

す必耍 もあります まいが 、順序と して 一 體 如何なる もの かと 云 ふと、 春秋 は 申す まで も 

なく 孔子が 畢生の 心血 を 注いで 誊 かれました もので あ. ますが、 それに 對 して 解 擊ぉ 

下した ものが 漢 代に 於て 五つ ございます、 卽 ち 春秋 公 羊傳、 春秋 穀梁 傅、 《 秋 左氏傳 

及び 鄒氏、 夾 氏と 云 ふ もので あ ft> ます、 鄒氏夾 氏の 二つ は 或は それ を傳 へる 所の 先生 

がな く、 或は 傅 其 もの を 箐 さ 表した 書物がない と 云 ふ 理由で 後世に 傳 つて 居. ませぬ。 

詰ら 五つの 中で 左 傳と公 羊傳と 穀梁傳 だけが 遺って るので あ ft, ます。 お 中で 漢の初 

めに 於 さまして は 公 羊 偉が 最も 早く 流行す る やうに な. ました。 さう して 又穀粱 障. H 

ー是と 雁行して 行 はれました。 左 » は 前漢に は餘. 流行せ ずに、 後漢 になって から 行 はれ 

る やうに な つ- て 居, 9 ます。 何故 公 羊傳が 左様に 早く 行 はれる や 5 になつ た かと 申ます 

支那の 公牟學 派に 就て . 四 六 一二 



支那 哲學の 研究 四 六 G 

ると 公羊傳 孔子の 弟子の 子 夏から 段々 傳 り.^ して 漢 代に 至. 5 ましたが、 其 行 はれた 

4H なる 原因 は、 孔子の 春秋 を 書かれた 筆法の 意味 合が 明瞭に 表れて 居る。 例へば 隱公 

の 所に & 初に 元年 春 王 ly 月と ある。 王と 云 ふ 字 は 周の 文 王と 云 ふ 意味で ある、 卽ち周 

の 正朔 を 奉じて 居る と 云 ふ 意味で ある。 何故 正月で SITV の を王疋 月と 云 ふかなら ば、 

よ 統一 を大 にす る、 周の 天下 を大 にす ると 云 ふこと を考 へて 書いた ものである。 斯 

ラ云 ふこと が 公 羊 傳に窨 S てありまして、 穀梁左 氏の 方に は ございませぬ。 さう 云 ふ 

樣こ 孔子が 大義名分 を 明に せんが 爲 めに 書かれた 春秋の 厭 〈意が、 公羊傳 によって 闕明 

とせられ たのが ーゥ。 今一つの 原因 は 公 羊傳の 最後の 所に 制-一 卷秋 之義" 以俟- 後 聖- 

ございます、 もれ は 西 狩 獲 麟と云 ふ 所の 解釋 でございますが、 此 意味 は 孔子が^ 秋 i 

睿 いて 後の 聖人 を 待った、 後の 聖人と 云 ふの は 誰かと 云 ふと、 申す まで もな く是 はき 

の 高祖 を 指す、 卽ち漢 の 高祖が 纏て は 天下 を 取る と 云 ふこと を 孔子が 豫 想され て、 さ 

5 して 漢の 高祖に 天 T を 治む るの 法を傳 へんが 爲に此 春秋 を 書かれた。 さ ラ云ふ 風に 



公 羊 家 は解釋 する ので あ. 9-^ す。 もれが 漢の 朝廷に 於て 流行す るに 至った 餘程有 承な 

條 件に なった ので あ ます。 

1 證漢の 初に 於て 武 帝が 儒 を獎勵 した 主なる 原因 は、 卽ち武 帝が 漢 代の 思想界の 統 

】 と 云 ふこと を圖 つたので ぁゥ ます。 漢 代の 思想界の 統 一 を圖 るに は どの 學問 がい 、 

かとい ふに、 老荘の 學は已 に漢の 初に 使れ て 居りました。 當時 は秦の 苛政の 後 を 受けて 

?&. ON ますから、 無爲 にして 化する と 云 ふこと は兵亂 に勞れ たる 人心に 慰安 を與 ふると 

- いふ 點 から、 一 時 歡迎を 受け 1^ したが、 韓非も 言った 通り 括 淡 無 爲の敎 は 天下 を 治る に 

於て は 不便で ある 。且つき々 天下の 大亂も 昔の 話と なって、 武帝は 有 爲の才 を 以て 居 ft- 

t< すから、 i 爲 にして 化する と 云 ふや 5 な 乙と は 到底 武 帝の 氣に 入らない。 刑お の學卽 

ち 法 家の 說 はどう かと 云ます と、 武 帝の 父の 景帝 に 鼂錯と 云 ふ 者が 一度 この 法 家 

の 學を用 ひて 吳楚七 國の亂 を 惹起し ました。 もこで 思想の 統 一 を圖 るに はどうしても 

君臣の 大義 を さ 張す る 儒敎が 一番 良い。 Ki 敎 を獎勵 する 上に は 大義名分 を 明かした 春 

支那の ヘム や 1-5^ に 就て 叫プ五 



支那 哲學の 研究 TO: 六 六 

秋 公 羊學が 一 番 便利で ある。 禮樂の 政と 云 ふこと は 儒敎の 理想と して 重要なる もので 

あるが、 所謂禮儀三百、威儀三千などとぃc^て禮樂は誠に面倒でぁft^、且っ古 への禮樂 

は 早く 旣に 残闕 して 完全に 傳り ませぬ けれども、 司 馬談の 如きが 儒者 は 博に して 耍少 

しと 言って 居る 位で、 面倒で 利益が 少ぃ。 夫よ ft> は 名分 を 明かに した 公 羊學が 一番 便 

. 利 である、 天下の 統 1 を 計る に は 第 一 に 公 羊學を 以てせなければ ならぬ と 云 ふので、 

董仲舒 が 春秋 公 羊學を 精神 を 以て 天人 對策を 上つ.^、 武 帝が 喜んで 之 を 採用し、 さラ 

して 公羊學 が先づ 最初に 儒 敎の經 典の 中の 代表と して 採用 せらる、 樣 にな ゥ たもので 

あ ft> ます、 さぅ云ふ譯で公羊學が非常に盛んでぁ..^ましたが、 今傳 つて 居. 9 まする 公 

牟傳は 卽ち後 漢の何 休と 云 ふ 人が 主として 董仲舒 の說を 本と して 註釋を 付けた もので 

あ 6tK す。 これ 程 前漢に 於て 流行した ものが 何故 後漢 以後に は 流行し なかった か。 を 

れ から 之に 代って 左傳が 勃興し ましたので あらます が、 左 傅の 勃與は 何に 因る かと 云- 

ふと、 これに はいる. ('の 原因が あ. CS ます。 公 羊 Sf が 流行した 1 つの 原因 は 前に 申す 



通り 孔子が 春秋 を 書いて 後の 聖人 卽ち漢 の 高祖 劉 邦に 賠 したと 云 ふ 解釋ヒ したのに あ,. 

もます が、 左傳が 後漢に 流行した の は、 矢 張 IT しゃう に 時の 朝廷に 阿る 所に 本づ いて 

居る。 左 傳の昭 公二 十九 年のと ころ を 見ます と、 堯の 子孫の 劉 累と云 ふ 者が 御 龍^と 

なると 云 ふこと がご ざいます。 御 龍 氏 は 龍 > ^養ぶ 役目で ある。 漢の 高祖の 姓 は 御 承知 

の 通, 9 劉でありまして、 劉 氏が 古の 聖人 堯の 子孫 だと 云 ふこと は左傳 によって 證 明せ 

られ る。 是が 後漢に 於て 左傳が 朝廷に 採用され る やうに なった 最も 重大なる 原因の 1 

ゥ であ ftNIK す。 其當 時にはお 傳と公 羊 傅が 雙方餘 程 喧嚷を 致しました けれども、 遂に 

が 朝廷に 採用せられ、 愈 流行 を 極む る? -と にな. 9 ました。 左 傳と公 羊 偉と を 比較 

すれば、 左傳の 文章の 面白い ると、 又 書いて ある 事實の 精細 を 極めた 乙と は 到底 公 羊 

傳 などの 及ぶ 所ではない。 をれ で 後世に 至って は 遂に 左傳 のみ 專ら行 はれて、 公羊傳 

は るで 見る かげ もない やうに なって: a 舞った ので あ .9 ます。 

. 其 後 唐 代で は 公 羊 は 九經の ! で、 學 校の 敎 科に は 入って 居ました が 殆んど 見る 者の 

支那の 公羊學 1^ に 就て 四 六 七 



支那 哲學 の. 研究 ran ハ八 

ないやうな 有様で あ. 5t< す。 唯 唐の 啖 助と 云 ふ 人が 出まして、 左傳 排斥して 公羊傳 

を 主として 赛秋 を解釋 した ことがあ. OS ます。 其 門下 者 流の 中に 趙 S 陸 淳と云 ふ 人が 出 

ました。 で 大義名分 を 主張す る 春秋 學が趙 g 陸淳 から 宋に 入って、 孫 明 復と云 ふ 

人の 泰秋 尊王 發微と 云 ふ 著述に な もました。 是が胡 安國の 春秋 胡 氏 傅と 云 ふ もの、 本 

にな, 9、 此 春秋 胡 氏 傳が朱 子の 通鑑 綱目の 本になる、 もれが 日本に 傳 つて 彼の 神皇正 

統記、 大 日本史と 云 ふ ものが 出る 本に なゥて 居. n> ますが、 併し 公 羊 傳は啖 助 等が 一時 

t れを 鼓吹した 外 は 其 後 殆ど 顧みる 者がなかった。 淸 朝に なつてから 非常に 又 公羊學 

が 勃興す る樣 になった、 其 勃興す る やうに な.. > ましたの は 乾 隆嘉慶 の 頃からで あ ft^ ま 

す。 乾 險嘉慶 の 頃に 公 羊 學を說 きました の は 莊存與 と 云 ふ 人で あ ます。 莊存與 よ 6- 

も 稍 先に 山 東の 孔廣 森と 云 ふ 人が 通 義と云 ふ 公 羊 傅の 解釋を 書きました けれども、 淸 

朝の 所謂 公 羊學が 勃興す るに 至った の は 莊存與 と 云 ふ 人からで あ 化ます。 莊存與 の 外 

孫の 劉 逢 祿と云 ふ 人が 莊存與 の學を 受けて 大に 之を弘 めまして、 ^-れから劉逢祿の後A 



に襲自 珍、 魏源、 宋翔 鳳、 凌 曙、 戴 望な ど 種々 の學 者が a び 出て 居. 9 ます。 1 . ^申し 

まして は餘り 面倒で あ. 5 ますから 略します が、 先づ 劉逢祿 から 公 羊學が 非常に 勃興す 

る やうに なった 譯 であります。 公 羊學が 何故 淸朝 になって 俄に 勃興す る やうに なった 

か、 其 原因 を 調べて 見ます ると、 それに は淸 朝の 學 問の 大勢 を ちょっと 申 上げな けれ 

ばな. ませぬ が、 餘ら 横道に 入らまして 公 羊學の 大意の ある 所 を 申す のに 時間.^ 費す 

と 困らます から ざ つと 申 上げます。 

淸朝は 御 承知の 通. 9 漢 と 云 ふ ものが 非常に 盛んにな. 9 ました。 漢學と 云 ふの は 申 

すまで もな く、 日本で 申す 支那 學と云 ふ 意味で はなく、 漢 唐の 時代な ど 申す 所の 漢代 

の訓; ハの 意味で あ A> ます。 訓詁 學が 非常に 勃興す るに 就きまして 閻 若璩、 胡渭 など 

色 令の 人が 出ました が、 其 中の 頭と 云 ふ もの は 先づ蘇 州の 惠 棟と 云 ふ 人で、 惠 楝を漢 

學の 宗主と 云って 5!^ しいので あ.. > ませう。 をれ から 惠楝の 門人の 戴 震と 云 ふ 人 も 非常 

に 漢學を 鼓吹した ので あ, 9 ます。 惠楝の 1 派を吳 派、 I 霞の 一派 を院 派と いって、 吳.. 

支那 公 羊 M ,派 • 就て © 六 九 



+乂那 哲^の 硏究 四 七 

派と 院 派と はもと は 同じ 畑で あらます が, 乙れ を漢學 のニ大 派と いひ、 少し づゝ 主と す 

る 所がち が ひます。 卽ち惠 棟の 方は經 書の 解釋を 主にし ましたが、 戴 震の 方 は- S 進ん 

で 文字の 解 釋と云 ふこと を 致しました。 例へは說文に段玉^^が註を書ぃた、 段 玉 裁 は 

戴 震の 門人で あると 云ふ譯 で、 文字の 解 釋と云 ふ M とに 非常に 力を入れた。 何しろ 此 

惠棟戴 震と 云 ふ 人達が 出、 又 其 門下 達が 出まして から 漢學は 殆ど 極點 まで 發 して、 後 

の 人達で は それ 以上に 出づる 乙と が出來 ない 位に 完全に 解釋が 出來て 仕舞った。 後の 

舉 は 若 I 非常な 腕が あって さう して 自分の 腕 を 振 はふと 思へば、 所謂 漢學の 方面で 

は 到底 惠楝戴 震 一 派の 上に 出る こと は 不可能で あらます。 唯 乙 れ等學 者の 研究 を韆め 

て】 つの ものにす ると 云 ふ M とだけ で、 新 發見を 此方 面に する M と は 不可能で ある。 

•4/ れで 有力なる 人が 何 か 自分の 手腕 を 振 ふに は從來 よも 違った 方面に 進まなければ な. 

ら ぬと 云 ふ 所から、 此公 羊學に 着眼す るに 至った ので あ ます。 

と 申す 譯は、 公 羊 學と云 ふ もの は西漢 (又は 前漢) の 頃に 今 文 を 以て 書かれた も ゆ 



であ- Ov ます、 卽ち 前漢當 時の 文字で 書かれた 經典 であ. > ます。 抑 も 儒 敎の經 典 は 易、 書. 

詩、禮、春秋の五經に就ては總て今文と古文のu種がぁft^ました。 古文 は 古い 權文 を以 

て窨んれたものでぁft^ます。 今 文 は 卽ち當 時の 文字、 殆んど 今の 楷書 見た やうな 文 宇. 

で臀 いた もので あ. 5 ます。 乙の 二種の 內、 前 漢には 今 文學が 流行し 後 漢には 古文 學が 

發 達しました が、 惠楝戴 震 等の 主張す る 學問は 卽ち後 漢の學 問であります。 古文 學で 

あります。 卽ち 彼等の 最も 宗 として 尊ぶ の は 後 漢の馬 融* 鄭玄 等で あ ftv ます。 鄭玄の 

如 さは 殆ど 神樣 として 崇拜 せられた。 所で 古文 學の方 は 今 申しました 通. =v、 惠楝戴 震 

1 派の 研究が 細大 波ら さず。 到底 是れ 以上の 力 を 伸ぶ るで とが 出來 ない 殆ど 極點 まで 

に 達して 居 fts ますから、 もれよ. も 一 步 進んで 前 漢の今 文說を 主張して、 今 文の 方が 確 

かで あると いひ 出した ので あ fts ます。 何故かな らば 後漢 古文の 方 は 種々 の經說 を參酌 

して 己の 一 家の 學を 成した もので、 鄭 玄の學 は鄭玄 1 己の 見識が 交って 居る。 今 文の 

方 は 前 漢時代の もので、 是は 先生からの 言 傳へ卽 ち 師傳を 重んじて &れを 代, M 一 曰傳^ 

支那 公羊學 派に 就て . 西 七 1 



支那 哲學の 研究 四 七 二 

所で 確かで あると。 斯ラ云 ふ 所に 着眼した。 其 今 文と 云 ふ 中に、 今 申す 通. -漢 代で は 

儒 敎の經 典 は 皆 古文 今 文の 二種 あ. 9 ましたが、 不幸に して 鄭玄 の學 問が 後^ 盛んにな 

つてから、 今 文の 經典は 殆ど 散佚して 仕舞った。 詩 經に對 する 今 文 も、 書 經に對 する 

今 文 も 皆 散佚した。 唯今 • 文の 中で は 幸に 春秋 公羊傳 のみが 完全に 殘 つて 居る。 そこ, V 

惠楝戴 霞 一 派の 古文 學に對 して 新機軸 を 出す と 云 ふ 所から 着眼して、 さラ して 今文學 

卽ち 公羊舉 と 云 ふ もの を 莊存與 一 派が 主張す る やうに な. 5 ました。 即ち 是れ まで 人の 

ゃづて 居ない 方面、 大に餘 地 ある 方面に 進ん, た、 も*^>で今文の方が大に流行するゃラ 

になった e 淸 朝に 於け る 今 文學は 言ひ換 へれば 公 羊學と 中して 宜しい ので あ...^ ます。 

ft 他所 li る 漢學者 は 訓詁 を 主として 大義 を 外にす る 傾向が あ. 9 ますので、 之に 厭 足ら 

ずして 公 羊學の 大義名分 を-王 張す る やうに もな つたので あらます。 さう 云 ふ で 公 

羊 If と 云 ふ ものが 盛んにな つたので あ. 9 ます。 莊存與 は 主として 公羊學 のみ を 研究し 

て 居. ます。 劉 逢 祿は公 羊傳の 外に 窨經 にも 詩經 にも 註釋が II 全體 の註釋 であ. 9 ま. 



せぬ がご ざいます るし、 其 他 種々 な ものに も說は ある けれども、 主として 公 羊 « を W 

究 して 其 學說を 主張し ます。 後に 劉 逢 祿の流 を 汲んだ 多くの 學者達 は 公 羊學の 精神 を 

以て、 或は 觼の 方面に 硏究を 及ぼし、 或は 論語 を 研究す る、 或は 詩經 とか 書經 とか 種 

.^な方面に硏究して行くゃラになっ たの であらます。 

近代に 至って は、 殊に 最近 中華 民 國と云 ふ 共和政 體 になら ましてから は、 殊に 公 羊 

學が 盛んになりて 居 6 ますが、 公 羊 學と云 ふ もの を 申 上げる に 就きましては、 ちょり 

• と 公 羊傳と 公羊學 との 相違 を 申 上げて 置きます。 傳と云 ふの..^ 學と云 ふのと 少し^ 

同が ござ います。 傳の方 は 本文 を 全部 調べて 見ました が、 後の 公羊學 者が 言 ふやう 

な 華强附 會に屬 する 所、 或は 吾々 が 見て 怪む べしと する 所 は 一 つも ございませぬ。 

併し 公 羊 學と云 ふ 方 則ち 最も 古いの は 何 休の 註で ござ いますが、 尙 進んで は 董仲舒 

の 春秋 繁 露で ごさいます。 これに は 稍 怪しむべき 議論が ぼつく 見えて 居,?^ す。 

何 休の 註に は 大分 變な說 があります が、 近來の 公羊學 者に は 殊に 驚くべき 說が 出て 居 

支那 公羊學 派に 就て 四セ三 



支那 挤 c 學の 研究 四 七 四 

す。 をれ は 後 に 公 羊學の 主張と 云 ふと を 申します から 其 時に 尙 詳しく 申 上げ ま 

す。 ともかく 公 羊 傳と公 羊- と は 內容に 於て 違 ふ もので あ, GV ますから、 其 事 は 充分 明 

瞭 にして 置かねば なら ませぬ。 例へば 公 羊 傳の方 は 孔子 尊王の 大義 を說 いたと 云 ふ 意 

味 は 十分に 表れて 居 6 まして 所謂 春 王 正月と は 1 統を大 にす るので あ. ます。 所が 公 

羊 學の方 は 孔子が 自 から 素 王 を 以て 居る、 即ち 事實 上の 位 は 無い が 王樣を 以て 任じて 

. 居った と 云 ふこと が兒 えて 居らます から、 孔子 を 尊ばん として 反って 孔子 を累 する も 

ので、 餘释變 な ものであります。 其他尙^^k常に不恩議な乙とが見ぇて居.c^ます。 玆で 

申すのは公羊傳で無くて公羊學の方を主として申しますから其,^-c^も.c^で御聞取6ぉ 

願 ひます。 就て は 公 羊 學と云 ふ もの 、主張 はどう 云ふ點 かと 云 ふと、 最も 重要な 點を 

二三 舉げて 置きます。 

先づ 春秋 三世の 義と云 ふので ぁ& ます。 此 春秋 三世の 義と云 ふ rJ と はどう 云 ふの か 

と * します と、 公 羊傳に 所見 異辭、 所 聞 異辭、 所傳聞 異辭と ございます。 此 文句 は 隱公, 



元年 傳と桓 公二 年傳と 哀公 十四 年傳 との 三ケ 所に あります が、 是 だけなら ば 少しも 不 

思議な こと は ございませぬ。 卽ち 孔子が 春秋 を 書かれる 時に、 孔子の 實際 見られた 事 

だけ は 例へば 百の ものなら ば 九十 だけの 詳し さに 書いて ある。 孔子が 阿 父さんお 祖父 

さんから 問いた と 云. ふ 乙と ならば 精密の 度がず つと 缺 けて 居る。 又もう 少し 古くって 

,^ffl 父さんよ. CV もっと 前の 傳聞 した 事なら ば、 どうしても 事實が 詳しく 分らな い か 

ら、 一 層簡單 であると 云 ふだけ である 是は尤 な 話で 如何にも 春秋 を 見る と、 隱公 元年 

から、 哀公 十四 年まで 十二 公二 百 四十 二 年間の 事 を 書いて あ. y ますが、 始の 方よ 6> も 

^の 方になる 8^ 春秋の 經 文と 云 ふ もの も餘程 詳しくな つて 居. 9 ます。 是は 當然な 話で 

あらます。 それだけ 《 らば 何も 不思議 はない ので あるが、 公羊學 では どうかと 云 ふと 

之に 對 して 不思議な 說を なして 居る。 

公 羊學と 申します と漢何 休の 註です、 何 休の 註になる と 不思議な 說を なして 居る。 

卷秋は 十二 公二 百 四十 二 年間の 事 を 書いた もので あ. 5 ますが、 其 十二 公の 中で 昭 公定. 

支那の 公羊學 派に 就て 四 七 五 



- 支那 哲學の w 究 ^そ山 ハ 

公 哀公の 三代 は卽ち 見る 所の 時代で ある。 孔子 自身と 阿 父さんとの 時代で あ. る。 もれ 

から 文 公宣 公成 公 襄公此 四 代 は卽ち 聞く 所の 時代で ある。 これ は 孔子のお 祖父さん の 

時代で あらます。 次は傳 聞す る 時代で、 隱公桓 公 莊公閱 公信 公の 五代 もれ は 孔子の 

高祖、 曾祖の 時の である。 斯う 云 ふ 風に 十二 公 を 分けて 見る のです U それだけなら 

別に 大して 差 支 は 無い ので あ, 9 ま、 すが、 ,でれ に 今少し 要らない 不 m 心 請な 事 を 書いて あ 

50 ー體 天下の 治まる と 云 ふの は、 初めは 非常 化 亂れて 居る 世の中であって それが 段 

令と 太平に な た。 卽ち隱 桓莊閔 信と 云ふ傳 聞の 時代 は 衰亂の 時代であった * 文 宣^ 

襄の四 代 は 段々 世の中が 治まって 來て卽 ち 升 平の 世の中と なった. - 昭定哀 の 三代 は + 

平の a の 中で ある。 初め 隱桓莊 閱僖の 五代 は 高祖 曾祖の 世の中で 衰亂の 世の中で あつ 

たが、 ^^-祖父さんの世の中卽ち文宣成襄の四代になると升平の世の中とな.9、 孔子が 

出現され て 其效果 として 昭、 定、 哀の 三代 は 世 は太卒 となった。 斯ラ云 ふ 風に 說 きま 

すが、 れは g しひべき 說 であ ft^ ます。 事實に 於て どラ かとい ふと 公 羊 學の云 ふ 所 は 



大 鍵な 間違 ひで ある。 成る ほど 隱公桓 公 等舂秋 初期の 時代 は 亂れて 居った と は 云 ひな 

がら、 春秋に 見えて 居る 事實に 就て 之 を 見ます と 文、 宣、 成、 襄の四 代 は 決して dr 平 

i は 思 はれず、 隱桓莊 閔僖の 五代よ. CN 優って 居る とも 覺 えない、 又昭公 *定 公 • 哀公の 

三代の 如き は 決して 太平ではなかった、 寧^cもの反對と見ても宜し.,位の世の中でぁ 

つた。 それを公羊學者は亂世ょft^升平とな,c^太平となると說く、 是 は事實 に於ズ 非常 

なる 間違で ある。 之 を 要するに 三世の 義と云 ふの は卽 ち衰亂 から 升 平と な 力 太平と な 

• つたので ある。 孔子が 春秋 を 書い たので 所謂 撥亂反 正の 業が 出來 上って 太平と な CN 

た、 新う 云 ふ 風に 說 くので あ ftN ます。 是が 公羊學 者の 春秋に 對 する 解 釋で. あ. ます。 

これだけならばまだしもでぁ,《^ますが、 淸 朝の 公羊學 者に 至って は 一 步 進んで 尙 I 

層 不思議なる 說を附 加 へ た。 淸 朝の 公 羊 Si 者 は 前に 申しました やうに 莊存與 劉 逢祿か 

ら 起った と 言 ふて {且 しいので あ. ますが、 其 公 羊學の 大成 者と も 謂うべき は、 卽ち現 

今 生存して 居, ます 所の,: S 有 爲と云 ふ 人で あ. ft, ます。 是 人が 三世 說に 不思議なる 說を 

マ那 ノ^^ 舉 に 就て 四 七 七 



支那^ 學の 研究 PH/ 

附 加へ て來 たので あ.?^ す。 康有 爲は廖 平の 所 說に本 づき、 唐 牛の 先生 は王簡 蓮と 云 

ふ 人で あ もます。 兩方 共今尙 現存して f ます。 (講演者 云、 5、| は 今 亡し、 t 

予が 講演 を 終らて 歸宅 せる 當 j;- 朝日 新開 社員 某氏 來訪王 氏の 訃を傳 へられたり) ョ 

閡 運の 著述の 中には どうも 康有爲 の 所說と 同じ 議論 を 鍵 見し ませぬ が、 *^ の 著述に 

は 或は 康有爲 の 所說の 本づく 所が あらませ ぬかと 思 ひます が、 まだ K 半の, 著述のう ち 

. 1 二し か 見 ませぬ ので 何とも 申 上げ かねる 次第であります。 この ® ギは蜀 の 井 研と 云 

ふ處の 人で、 井 研 志と 云 ふ もの、 中には 《 牛の 著述 目錄十 種を载 せて あると 承. 5 ます 

が、 其 著述の 一二し か噯だ 見 ませぬ。 で、 私の 見た 範圍 では^の 不思議なる 議論 はま 

づ康有 爲の創 唱と思 はれます。 卽ち康 有爲に 至って 春秋 三世の 衰亂 升-平 太平と 云 ふ も 

のに 就て 非常に 不思議なる 說を 述べて 來た。 卽ち禮 記の 禮蓮篇 の 中に ある 議論と 此 一二 

世 說とを 一 緖に 併せた ので あります。 禮運篇 に は ど ラ云ふ 事が 寄い て あるかと 云.^ 

と、 昔 大道の 完全に 行 はれて 居った 時代に は 天下 を 公と 爲 し.、 賢と 能と を 選ぶ 詰り 君 



主と 云 ふ もの は 天下 を 我が 一族の ものと せず、 天下 公共の ものと し、 世襲 制度で なく 

して 賢者 を 選んで 君主の 權と云 ふ もの を讓 つた。 其 時代に は 完全に 共和主義 社會 主義 

が 行 はれて 居って、 人々 は 己の 活動力と 云 ふ もの を 天下 國 家の 爲に 出さない と 云 ふと 

を殘 念に 思 ふだけ で、 働いた 結果 は 自分 一 身の 利益た らん 乙と を 思 ふと 云 ぷ考は 毛頭 

なかった、 總 てのものお 间 等に 視た、 完全な 社會 主義 自由主義が 行 はれて 居った 時代 

である。 之 を 大同の 世と 云 ふ。 其 次 は^ 湯 文武 周 公の 世の中であって、 此 時代 を 小康 

の 世と 云 ひ、 完全な 時代と は 言へ ない。 君主の 櫂!:: と 云 ふ もの を 家に 傳へ C 世襲 制度 

と 云 ふ ものが 行 はれて 君主 政體 とい ふ ものが 成立した。 さう して 社 會の狀 態が 昔の 共 

和 主義 社會 主義が 遺慽 なく 行 はれた 大同の 世の やうに は 行か なくなった。 其 後 益ミ亂 

れて 終に 據亂の 世の中と なって 仕舞った と 云 ふ 乙と が 禮蓮篇 に 書い て あ. ます。 而し 

て こ の 議論 は 孔子が 子游の 質問に 答 へ た 者と い ふさに な つて 居ます。 康有爲 は此禮 記 

鱧 蓮篇の 大同 小康の 文句 を 春秋 三世の 說 に附會 したので あらます。 卽ち 春秋の 太平と 

ま 那の公 羊學 汲に 就て 四 七 九 



支那 哲學の 研究 四八〇 

云 ふの は躇 記の 大同の 世で ある。 升 平 は 小康の 世に 當る。 衰亂は 據亂の 世で ある。 斯 

ラ云ふ 風に 配した。 是は 康有爲 一家の 見識で あ. ます。 そ で 彼 はこの 見識 を 以て 禮 

記の 禮運篇 の 註 を 書きまして、 其 主義で 之を說 いて 居. ます。 

康有爲 の說に 依. 9 ますと、 孔子の 思想と 云 ふの は 詰. > 進化の 理法に 適って 居る。 世 

の 中 は 進化論の 法則の 樣に 段々 進歩して 將來 理想の 世の中に 向 ふ、 卽ち 春秋 は 亂世か 

ら 段段 進んで 升 平と な- »>、 遂に 太平 大同の 世に 到達した ので ある。 もれで 現在の 世の 

中 は 世界 各國 互に 鎬を 削って 居る 時代であって、 太平 大同の 理想 は 到底 實現 する 乙と 

は出來 ない、 現今に 於て は 先 づ升平 小康の 世の中で あるが、 吾, の 終局 理想 は 太平 大 

同の 世の中 を 期せねば ならぬ。 然し 現今に 於て は 先 づ升平 小康の 世の中に 满 足す るの 

は 已むを得ない 譯 であると 云 ふ 主張で あう ます。 彼が 保皇を 主張して 淸 朝の 天子 を 尊 

ひ、 又 近時に 復辟 論を唱 へて 淸朝 天子の 復位 を 主張した の は、 世界の 現狀に 於て は暫 

く 升 平 小康の 君主 政體を 以て 满 足し、 理想 を 將來に 置いた 爲め であ. 5 ます。 



康有爲 は 大同 書と 云 ふ 本 を 作って 居. O ますが、 それ を 作 6 ましてから 最早 二十 餘年 

になる。 其 大同 窨と云 ふの は 彼の 理想 を說 いた もので あらます けれと も、 御 承知の 通 

-9ニ十餘年前と申しますと淸朝の末でぁ.0^まして、 共和主義 社會 主義と 云 ふやうな も 

のを淸朝の時代に說くと云ふ^-とは到底不可能な事でぁ6^ますから、 其 著述が 出來た 

にも 拘 はらず、 門人め 梁 啓 超 等に は 其說を 示した 乙と は あ. 9 ますが、 もれ を 出版す る 

と 云 ふこと は 彼が 承知し なかった。 漸く 昨年に 至って 其 大同 書と 云 ふ ものが 出版され 

ました。 支那が 共和政 體 にな. 9 ましたから もはや 遠慮す る 所 はない ので それ を 出版す 

A 一 

る やうに なった と 見えます。 其 大同 書 を 見ます と、 全體の 組織から い へば 原稿 はもつ 

と澤 山あった もので はない かと 思 はれます。 初めの 目錄の やうな 所と 本文と 引合せて 

見ます と、 委しい 說 は 僅に 前の 半分し かない、 後の 半分 は目錄 * たけで 委しい 說 明が 

缺げて 居 6 ます、 著述 は 出來て 居る の を 出版 I; ない のか、 或は もれ だけで 終って 居る. 

のか 分り ませぬ が、 兎も角 出版され たの は 半分と しか 思 はれませ ぬから、 全體に 就い 

支那の 公羊學 派に 就て 四 八 一 



支那 哲學の 研究 四.^ -】 

ての 詳しい 事 は 分.^ ませぬ。 然し 大體の 主張 は 明瞭で あ-^ ます。 其 上の 半分に 述べて • 

ある 所 は、 卽ち國 家の 行政に 就ての 理想 を 述べた もので あらます。 共和政 體 として 行 

かなくて はなら ないし、 且 世界 全體を 大同 主義で 以て 治めて 行かなければ ならぬ と 云 

ふ 意味 を說 いて 居ら す。 是は 確に 西洋 思想 を 交へ て 居. ft^ ます。 この 通 ゥ康有 爲は禮 

蓮篇の 大同 小康の 說を 春秋の 三世 說に 附會 して、 さう して 孔子が 此考を 持って 居られ 

たと 云 ふこと を 說かラ とする もので あらます。 凡て 自分の 發明 であると 云 ふ 乙と では 

支那の 民族で は 信用 を 得 せぬ ので、 何 か 新說を 立てる 人 は 何時でも 是は昔 聖賢の 說 

い た 所の 說 であると 云 ふ 乙と を 言 はなければ 1 般の國 民が 受け ませぬ。 そこで 彼 は 西 

洋 思想 共和 民主の 思想 を 取. 殊に ルッソ t の 民 約說の 如き も愛讀 した ものと 見え、 

又 亞米利 加の 制度 佛蘭 西の 制度な ども 充分 研究の 結果、 大同 書と 云 ふ 著述 ヒ なし、 而 

して これ は 孔子の 理想で あると 云った ものと 思 はれます。 孔子の 思想が 大義名分 を說 

くもので あると 云 ふ 乙と は、 乙れ 迄總 ての 人の 信じて 疑 はざる 所で あ もます。 然るに 彼 



は 今 忽ち にして 孔子の 思想が 共和主義 である 社會 主義で あると 云 ふ 7- と を 述べ るの 

は、 1 般 人の 非常な 驚き を 惹起す と 云 ふこと を 想像した ものと 見えまして、 其 點に付 

て も油斷 なく 辯 解して 居 ftN ます。 其 辯 解と して 彼 は 先 づ禮蓮 篇の註 を 書いて 居ます。 

をれ から 又 キ皿子 微と云 ふ もの を 著しまして、 孟子の 中で 凡 を社會 主義 民主々 義に 近い 

ゃラな 議論 を 集めまして、 其の 註 を 書いて 自分の 意見 を 述べて 居.?^ す" 彼に 從 ひま 

すと 孔子の 大同 思想 は 之 を 子 游に傳 へ, 子 游之を 子 思に 傅へ 子 思 之 を 孟子に 傳 へた。 さ 

うして 孟子 以後 數 千年間 其 思想 を傳 へる 者がなかった。 齊通 孔子 は 君臣の 義を 重んず 

る ものと いふの は、 孟子 以後 孔子の 大同 思想 を 知る 者がない ので、 遂に 孔子の 眞意を 

誤解した ものである。 孔子が 君臣の 義を 重んずる とい ふの は荀 子の 學 である。 佛敎の 

語で 言へば、 荀子の學は孔子の小乘思想でぁ^^、 孟子の 方 は 孔子の 大乘 思想 を 承け た 

ので あると 云 ふ 乙と を 孟子 微に 於て 辯 解した。 愛に 注意すべき は子游 であ 6^ ます。 文 

舉 には子 游千 夏と いひ、 十哲の 一人で は あ. y ますが、 人物 は餘, ライ 人と も m はれ 

支那の 公羊學 派に 就て 四 八-】 



支那 哲學の 研究 四 八 四 

ませぬ のに、 何故に 子游を 重んずる かとい ふと、 是れは先に申した通ゥ禮記の禮^3| 

の 大同 小康の 說は 子游の 質問に 依って 孔子が 答 へられた となって 居る。 それで 子游が 

之 を 承け て 子 思 孟子に 傳 へ たと 說く 所以で あ 6^ ます。 之 を 要するに 康有 爲に從 へ ば、 

孔子の 思想の 中心 は 奪 秋 三世 說 である、 言換 へれば 禮記禮 運篇の 大同 小康 說は 孔子の 

大乘 思想で あると 云 ふので あ ftN ます。 

是れが 春秋 公羊學 派の 所謂 春秋 三世 說と云 ふ もの、 大體 であ. ますが、 之に 就て 一 

言 批評 を 致しますならば、 私 は 康有爲 の 議論 夫れ 自身に 矛盾が あると 思 ふので あ. ft^ ま 

す。 何ラ 云ふ點 かと 申す と、 春秋で は 古い 時代が 衰亂の 中で。 段 々進歩して 升 平、 太 

半と なった、 卽ち 理想 を 未來に 置いた ので ある。 之に 依れば 直に 進化論の 原理が 承認 

される。 所が 禮運篇 の 方 は 古代に 理想 を 置いた ので ある。 大同の 世の中が 段令衰 へて 

來て 小康と な.^、 遂に 據亂の 世の中と なって しまったと 云 ふ。 それ を兩っ 合せ やうと 

云 ふので、 左右の 掌 を反對 にして 合せた やうな 形に なって 居る。 卽ち禮 運篇の 說に據 



^ば 進化論の ^斑に 背く ので ある。 一方 は 理想お 古さに 置 さ、 1 方 は 理想 を 將來に 置 

く。 是れが 矛盾で ある。 

尙 詳しく 專門 的に 申しますならば、 公羊學 で衰亂 から 升 平と なり 太平と なると 云 ふ 

ヒ とも、 公 羊の 筆法 を 1 々調べ て見1r^すると非常な間違が起c^て參るのでぁft^ます。 

極く 簡單に 申します と、 古 は 衰亂の 世の中で ある、 此 時代 は 魯の國 のみ を內 として 他 

の中國 外と した、 內 外の 別が, めったが、 段 世界的に 傾いて 行く 結果 升 平の 世の中 

になる と、 魯と中 國とを 併せた ものが 內 であって、 夷狄が 外で ある。 太 1^ の 世の中に 

なれば 夷狄 を も 併せる。 內 外の 別が なくなる と 云 ふ 風に 說 くので あ .o- ます。 併し 此說 

き 方 は 彼等 は 二三の 證 據を擧 げて說 きます けれども、 春秋の 筆法に 就て 一 夕 調べで 晃 

ると 決して 當 つて 居. ft> ませぬ。 さう 云ふ點 から 見ても 彼等の 說は 誤って 居ります。 卽 

ち 春秋 三世 說と云 ふ ものに 對 して は、 公 羊傳其 もみと して 見ても 誤謬が あ 6^ ますし、 

或は 禮運篇 と 比較した 上から 見ても 自家撞着が あるので あ. 5 ます。 

支那の ベム 羊學 派に 就て 四 八 五 



支那 哲學の 研究 - 匹八プ 

, ) 此卷次 三世 說と云 ふ ものが 一 暗々 の 極に 段, 勢力 を 得て 革命が 成立 致しました Q , 

さラ して 革命 成立 後に 至って は 支那の 思想界の 統 一 を 11 る 上から、 何 を 以て 統 一 する 

が 1 番宜ぃ かと 云 へ ば 、何う しても 儒 敎で統 一 する が 一 番宜 い 。儒 敎で統 1 しゃう とす 

ると、 孔子の 敎 として 所謂 五倫の道の 內で、 君臣の 大義と 云 ふ もの は 共和政 體 になれ 

ば 無い, J とで あるが、 其れ を 如何に 解釋 すべき か。 又 支那 は 忠孝 を 以て 國を 立て 、居 

る、 孝 は 何時の 世に も 在る が、 忠と云 ふ と は 君主がない 以上 は 無い ことで ある。 之 

を 如何に 說 くべき かと 云 ふ 問題が 起って 來る。 他の もので 統一 すれば 宜 いので あるが、 

支那 國民 を統 r する に は 長 S 習慣と して 孔子の 思想が 一番 好い、 もれに は 君臣の 大 

^と 云 ふ 乙と は何ラ する か、 忠孝の 乙と は何ラ する か、 斯う 云 ふ 問題が 起って 參 つた。 

革命が 成立した 當 時には、 孔子 は 君臣の 大義 を說 いた ものであると 云 ふ 所から、 革 

命黨の 一 派で は、 從來の 通. 9 孔子 を 尊崇し 孔子 を 祭る る と は 無意味で あると 云ふ考 

で、 蜀の 方で は 孔子の 廟を 毀ちました. 9、 廣 東の 方で は 孔子の 祭を廢 すると 云 ふるとお 



致し まし 4^ が、 孔子の 敎を 以て 國民 思想 を 統一す るなら ば、 中華 民國 として は 是非と 

も 孔子 敎に對 する 解釋を 改めなければ ならぬ 乙と になった。 もこで 康有爲 の 春秋 三世 

說 太平. K 同の 思想と 云 ふ ものが 廿: (和 政府に 喜ばれて 採用 せられる やう はなった ので あ 

ft, ます。 卽ち 春秋 三世 說に據 ると、 忠君の 思想 君臣の 大義と 云 ふやう な ^J と は、 孔 

子の 小乘的 方面であって、 大乘的 方面に 於て はさ ラ云ふ もの は 無い、 卽ち 共和主義で 

あ. 且つ 社會 主義で ある。 太平 大同の 主義から いへば、 內 外の 別な く 自他の 區別 はな 

いると になる から 共和政 體と 相容れ る。 をれ では 革命 成立 後袁世 凱が 大總統 であった 

時 4^ こ、 盛んに 孔子の 大同 思想と いふ 乙と が 論議せられ たのであります。 孔敎 會雜^ 

ゃ庸 言な どい ム雜 誌の 中に、 孔子の 說は大 平 大同の 說 であると 云 ふ.^ と を 多くの 學者 

が說 くや ラ になった ので あみます、 所が 御 承知の 通ち 袁 凱が 帝制の 準備.^ して 帝王 

たらん こと を 謀. して 以來、 其聲は 忽ちに 影 を 潜め^して、 孔子が 太平 大同 說 であ 

ると 云 ふこ.^ は雜 誌に も 新聞に も 出 なくなった。 袁が 死んだ 後 まだ 日淺 くして 近來は 

支那の 公羊學 5^ に 就て 四" 七 



支那^ 學の 研究 四 八 八 

種,^ 政治 上の 問題が 多い 爲 めか、 或は 又 一 つに は 太平 大同 說も 殆ん ど遺慽 なく 論ぜら 

れた爲 めか、 近來 餘,. ^乙れ に關 する 說は ございませ ぬが、 兎も角も 孔子の 敎を 以て 國敎 

とすべき や 否やと 云 ふ 事が 憲法 問題と して、 I 度 は 否決され ました けれども- R 議論 さ 

れ るゃラ になって 居らます。 種々 の 方面に 反 對論も あ. 9 ますが、 康有爲 が 盛に 孔子 敎 

を 以て 國敎 とす 可し と 云 ふこと を 主張して 居ります が、 其 趣意 は、 つまう 孔子 は大乘 

主義に 於て は 共和主義 であると 云 ふ 乙と を 何處^ でも 說かラ と 云 ふので あ 6^ ます。 是 

が 春秋 三世 說の 一端で あ. 9 ます。 

今一 ゥ、 是れは 春秋 三世 說 ほどに 重要な 問題で は あ 6^ ませぬ が、 革命と 密接の 關係 

あるので あ. 9 ます。 春秋 は 九 世の 仇 を大な ft> とすと 云 ふこと であ... j ます。 莊 公の 四 年 

に齊襄 <ム と 云 ふ 人が 紀國を 討ち 滅 した 事が ございまして。 , ^れを 春秋の 經 文に は紀侯 

其 國を大 去す と 書いて ある。 左 傳に據 ると 紀 公が 國を擧 げて遷 つて しまったと 云 ふや 

5 に 解 1- して あ. ot- すが、 公羊傳 には紀 公大 去と 云 ふると はハ 齊襄 公が 紀を 滅ぼした 



ので ある けれども、 襄公は 賢明なる 人で あるが 故に、 紀を滅 したと 云って は襄 公の 疵 

になる 虞が あるから、 賢者の 爲に 忌んで 態と 大 去と 書いた ので あると 云って ある。 何 

故 襄公を 賢明と 云 ふかと 申します と。 襄 公の 九 代 前の 先祖 哀公が 紀 公の 先祖に. 讒言 さ 

れて 周の 朝廷から 誅罰を 受けた 事が ある。 卽ち齊 の 哀公 は 九 代 前の 仇を此 時に 至って 

討った ので ある。 もれで 先祖の 爲に仇 を 報 ひた 所から 賢明で あると 云 ふので す。 九 代 

前の 仇 を 討つ と 云 ふこと は 公羊傳 によると 無論 善い。 それ は國 であるから 善い ので あ 

る。 一. 國 として は 九 代の みならず 百世と 雖も 善い。 併 乍ら 家に 就て はさう 云 ふ 事 はい 

けない。 何故ならば、 國と云 ふ もの は 君主と ー體 であるので、 卽ち 先君の 耻は 今の 君 

の耻の やうな ものであるから して 之 を 討つ と 云 ふ 乙と は 差 支ない。 家なら ば さう は 行 

かない、 斯う 云 ふ 風に 說 いて ある。 朕は國 家な ftN と 云 ふ 思想に 近いので す。 

是れは 公羊傳 の所說 で、 公 羊學に 於ても 勿論 乙れ を 承認して 是 とした 思想で あ. 9 ま 

して、 乙の 思想 は 革命に 直接の 影響 を與 へたので あ. 5 ます。 御 承知の 通り 明の 天下 を 

支那の 公羊學 派に 就て 四 八 九 



支那 哲學の 研究 四 九 〇 

滅 した 淸朝は 満洲 人で ある。 満洲 人 は 支那 民族から 云へば 蕃族で ある。 其 蕃族が 漢民 

族の 天下 を 討 滅ぼして 取って 代った。 取って 代った のは數 世の 昔で は ある けれども、 

漢民族と して は 百世 後と 雖も之 を討ゥ て 仇 を 報ずる 必要が ある、 满洲人 を 討ち 滅 さな 

ければ 祖先の 耻を 雪ぐ 所以で ない。 さう 云 ふ考と 乙の 春秋 九 世の 仇 を大な ft^ とすと 云 

ふ 思想 を 結 付けた 譯 であ ft. ます。 かの 武昌に 起.?^ した 第 一 革命の 際に は滅满 興漢と 

云 ふ 旗幟 を樹て >. 革命の 叫び を 揚げ ましたが、 其當 時の 檄文の 最初に、 春秋 は 九 世の 

仇を大 な. 9 とすと 云 ふるとが 書いて あった。 あれ は 卽ち公 羊 春秋の 思想で あらます。 

然るに御承知の通.^、 愈, - 革命が 成立 せんとす る 際に 當.? ^して、 一方で は 孫 逸 仙が 

革命軍の 大總統 となって 北方の 袁世 凱と 種. M 父 涉の末 遂に 妥協し ましたが 其 妥協の 際 

に 滅満興 漢と云 ふ 旗幟 を樹て k 春秋 公 羊學の 精神で 行く と 云 ふと 實際上 大變な 障碍が 

起る。 卽ち满 族を滅 すと 云 ふ 主張 を 何 處迄も 押 通すならば、 蒙古の 如き、 西 藏の如 

さ、 回 敎徒ひ 如き、 此 等の 種族 は 満洲 廷 によって 內屬 した ものです から、 满人 を滅す 



と 同 寺に、 此等は 支那 中^と は 離れて 了 はなければ ならぬ、 卽ち 支那 本部の 外 は 全部 

外 こ 仅られ て 了 ふ。 卽ち 蒙古 や 回 部 は 折れて 露 西亞に 入. =^、 西藏は 英吉利の ものに な 

ると 云 ふこと を覺 悟し なければ ならぬ と 云 ふ 乙と を 知らました ので、,^ 孫 逸 仙 等 も 成程 

尤も だと 思った と 見えまして、 遽 かに 旗幟.^ 變 へまして 五 族 共和と 云 ふ 乙と を 主張す 

る やうに なった ので あ 4 ます。 五 族と は 御 承知の 通り 漢人、 満洲 人、 蒙古 人、 回敎 

人、 西藏 人、 之 を 五 族と 申し^す。 をれ で 旗幟 も 五色 を 用 ひると 云 ふこと-に 變 つたの 

であら ますが、 ともかく^Jの革命の最初は確に春秋は九世の仇を大な.9とすと云ふ所 

から 出た ので あらます。 尤も それに は 新 思想と 舊 思想との 衝突と. いふ やうな 乙と や、 

政治 上の 種, の 原因が ある 乙と は 勿論で、 乙の 點に 就て は 嘗て 論じた I とも あむます 

が、 今一 々之 を辩じ ませぬ、 ともかく 春秋 は 九 世の 仇 を大な ft^ とすと 云 ふ 公 羊 派の 思 

想が 又 一 つの 大 なる 勢力と なって 加 はった の は 勿論であります。 

要するに 淸 朝に 於け る 公 羊 學と云 ふ もの は、 束漢 古文 學に對 して 新機軸 を 出さん, 力 

支那のへ ム羊學 波に 就て 四ブ- 



支那 哲學の 研究 四 九 二 

爲に、 西漢今 文の 學ケ > 王 張す ると 云 ふ 所から 非常な 勢 を 以て 出て 參 りました もので、 

又 一方に は gl 洋 との 交通が あ 日本 邊. 5 に留學 する 人が あると 云 ふやうな!: で、 段 

由: 牛 等の 思想と 云 ふ ものが 入. 5 來 つたので、 其 自由 平等の 思想 を甚 礎と して 之 を 

公 羊 學と結 付けて、 共和政 體に 憧れる やうな 思想が 支那の 新しい 人 令の 間に 起って、 

新舊 思想の 衝突と 云 ふ とから 革命の 大業 を 成し遂げる やうに なった ので あ す。 

公 羊學其 もの k 精神の 結果 さう 云 ふ 事が 出來 たと 言 はんよ らも 寧ス私 は 11 それ も あ 

らます けれども ! 西洋の 自由 14. 等の 思想が 支那 人の 中に 這 入った から、 , 之 を甚礙 と 

して、 それに 經典 として は 春秋 公 羊學の 思想 を 持 ゥて來 て 飾った ので あ. y ます。 例へ 

ば宋 儒の 思想 は 佛敎の 恩 想 を 中心として、 古の 經 典の 色 を 着けて 出來 たや ラな譯 で、 

公羊學 派の 學 流の 學 說は卽 ち 西洋人の 思想 を 基礎と して、 其れに 經 典の 色, 着けて 支 

那 特有の ものなる が 如くに 見せかけて、 支那 人の 所謂 古を崇 ぶの 思想 を 満足 させた も 

ので あると、 斯う 云 ふ 風に 私 は 見る のであります。 



、切 委し お 話 すれば 康有爲 の 事 や、 その外に も 多くの 公 羊 派の 人, > の 事 や、 t<, た 外 

i^. も 大分 有 もます けれども、 あと は 御 質問に 依って 申 上げる rJAJ 化 致しまして、 大 S 

t れで 御免 を 蒙ク ます。 > ふ. 



支那の 公羊學 派に 就て 四 九 三 



支那 哲學 の硏究 - 

中華 民國に 於け る 儒敎の 民主化 

i 

若し 最も 簡明に 儒敎の 要領 を 述べよ とい はば、 恐らく 何人も 儒敎は 人倫 五常の 道 を 

說 くと 答へ るで あら ラ。 人倫と は卽 ち儒敎 倫理に 於け る 本務 論であって、 之 を 分って 

君臣、 父子、 夫婦、 兄弟、 朋友の 五と する。 五常と は卽 ち儒敎 倫理の 德 論であって、 

仁義 禮智 信の 五で ある。 德 論から いへば 仁義の 二 を 最も 重視す るの 故 を 以て、 儒 敎.^ 

仁義 道 德の敎 とも い ふ。 然し 德 論の 方 は 今 論ぜん とする 問題と は 直接の 關 係が 無い か 

ら 暫く 之 を 措 いて、 玆に は. 本務 論卽ち 五倫に 就て 述べ ようと 思 ふ。 

五倫に 就て 孟子 は 君臣 義 あり、 父子 親 あ- 5、 失婦別ぁfe^、 長幼 序 あ 6^、 朋友 信 あ fe- 

と 云って 居る が、 漢代ぁたft^から、 五倫の 中で も 特に 君臣、 父子、 夫婦の 三 倫 を 重視 

して、 之 を 三 綱と いひ、 君は臣の綱た.=^、 父 は 子の 綱た- 5、 夫 は 妻の 綱た fcJJ 説く? 



從 つて 本務 論に 於て は 忠孝が 最も 重要の 位置 を 占めて、 忠孝 一致の 論 は、 古来 儒者の 

極力 鼓吹す る 所で ある。 忠臣 を 求む るに 孝子の 門に 於て すと いひ、 或は 孝 を 以て 君に 

事 ふれば 卽ち忠 とい ふ、 忠孝 傳家久 と は 支那 民族の 誇 ft^ とする 所であった。 

二 

然るに 先年 革命が 成功して、 中 ff 民國が 創立せられ たので、 五倫の 中の 一 倫、 三 綱 

の 中の 一 綱卽ち 君臣の 關 係が、 宣統 帝の 返 位と 共に 亡滅 し、 忠孝と いふ 双關の 中の 1 

方が 缺 けたので ある。 儒 敎偷理 の 最も 重要なる 一角が 崩れた ので ある。 所謂 保守派の 

人 冷 は 非常に 之 を 憤慨し 歎总し 痛惜した こと は 言 ふ 迄 も 無 い 。 而 して 革命 黨の 人々 は 

如何に 此の 問題 を解釋 した かとい ふと 夫 は 二 派に 別 かれる。 孔子 は 君臣の 大義 を說ぃ 

たもの なる が 故に、 中華 民 國と儒 敎とは 相容れ ざる ものと いふ 見解 を 取る 者が 一 つ。 

南方 各地に 於て 或は 孔子の 廟を 毀ち、 或は 孔子の 祭祀 を廢 止した の は、 此 種の 見解に 

由った ので ある。 然しながら 滅滿 興漢を 提唱した 革命 黨が、 何時の間にか、 五 族 共和 

中華 民國に 於け る 儒敎の 民主化 四 九 五 



支那 哲學の 研究 四九プ 

を 標榜した 如く、 實際 上に 於て 孔子 排斥の 不便 不利 を覺 つた 彼等 は、 孔子の 思想 を 民 

國と 一致せ しむる の 解釋を 取った。 此の 第二の 見解 取る 者が、 現在 中華 民國に 於て 

最も 勢力 を 占め、 第一 の 見解 は 今や 殆んど 見る 乙と が出來 ぬゃラ になった。 斯 くの 如 

くにして 忠孝 を 主張した 儒敎 は、 今や 中華 民國に 於て 全く 民主化す るに 至った ので あ 

る 

ミ 

まづ 何故に 革命 黨は斯 くの 如く 强 いて 孔子 を擔 がう とする かとい へば、 夫に は 種 令 

の 理由が あるが、 k 、一 の 理由 は 中華 民國の 思想 統 1 の 必要に 迫られた, -と であらう。 

現在に 於て は 南北 兩 分して 互に 相爭 ひ、 和平 會議も 思 ふやう に涉 取らぬ けれども、 何 

人も統 1 を 望まぬ 者 は 無い が、 特に 民國 創立の 當 初に は 統 1 された る 民 國の實 現 を 希 

望した こと は 勿論で ある。 而 して 民 園の 統 1 に 就て は、 矢 張 6 支那 民族の 誇りと する 

孔子 を 以て する のが、 他の何物を以てするょ.0^も最も有功でぁる。 第二の 理由 は孔 



子の 思想 も 解釋の 方法 如何に 由って は、 共和 國と 衝突 矛盾な きものと 見 るるとが 出^ 

る ことで あらう。 若し 孔子の 思想が 絕對に 共和 國と 相容れ ぬなら ば、 之 を 共和 國 たる- 

中華 民國の 思想 統一に 利用す るると は 出 來ぬ譯 である。 然るに 支那 人から い へば、 幸 

に 孔子の 思想 も、 之を共和主義と解する^-とが出來ると主張する學派がぁる。 勿論 方 

便と して 之 を 利用す るので あるから、 彼等に 取って は 其解釋 が科學 的なる や 否や、 客 

觀 的に 正當 なるや 否や は 問題で 無い。 但し 其 所に 大 なる 困難の 伏在して 居る 乙と は、 

恐らく 彼等の 氣 付かぬ 所で あらう。 

四 

孔子の 思想 を 以て 民主主義、 典 和 主義、 社會 主義、 であると 解釋 する の は、 所謂 眷 

秋 公羊學 派の 一派で ある。 抑 も 春秋 は 孔子が 畢生の 心血 を 注いで、 尊王の 大義 を皴吹 

した 著述で あるが、 其解釋 の內、 今存 する 所 は 左 氏傳、 公 羊傳、 穀梁傳 の 三種で あつ. 

て、 之 を 春秋 三傳 とい ふ。 就中 公 羊傳は 最も 善く 孔子の 筆法 を發 明し. もので、 公 羊 

中華 民 園に 於け る 儒敎の 民主化 四 九 七, 



支那 辨學 の硏究 四 九 八 

傳其物 は元來 何等 特別な 奇怪な 解釋が ある 譯で 無い。 然るに 所謂 春秋 公羊學 派の 解釋 

に 至って は 驚くべく 怪しむべき ものが あるので ある。 夫 も 莊存輿 や 劉逢祿 等に 由って 

創唱 された 當時 は、 尙ほ 弊害 は » かった が、 淸 朝の 末期に * 平、 康 有爲、 梁 啓 超 等が 

最も 奇怪なる 主張 を爲 すに 至って 其の 弊 極まる。 其の 主なる もの は泰秋 三世の 義 であ 

る 

公 羊傳に は卷秋 十二 公二 百 四十 二 年間 を所傳 聞、 所 開、 所見の 三階 段に 分って、 凡 

を 記事の 體裁 は、 傳聞 する 所よ. 5 も、 開く 所 は 詳しく、 閗く 所よ. 9 も 見る 所 は 詳しい 

とい ふの 意 述べた に過ぎないの を、 公 羊學者 は隱、 桓、 莊、 閱、 僖の五 公 は 據亂の 

世、 文、 宣、 成、 襄の四 公 は 升 平の 世、 昭、 定、 哀の三 公 は 太!^ の 世で あると 說く。 

初は亂 世で あるが、 漸次 進步發 達して 升 平と な ,5、 孔子 出現す るに 至 CN て 太平 理想 

の 世と な ゥ たと 說く。 是れ はもと 孔子 を 尊ばん として 說 いた 所の 僻論で ある。 然し 是 

れ だけなら ば 弊害 は尙ほ » いと 思 ふ。 然るに 淸 末の 公 羊 學者は 之 を 禮記禮 運篇の 語に 



附會 したので ある。 禮蓮篇 の 文 は 議論 上 最も 重要なる もの なれば、 之 を 原文の まゝ弓 

用す るると、 する。 曰く、 

大道 之 行 也、 天下 爲, 公、 選-賢 與" 能、 講 修, 睦、 故人 不 3 獨親 = 其 親 r 不 子-^ 

其 子: ffkk 壯 有お, 用、 幼 有, 所, 長、 矜寡孤 獨廢疾 者、 皆, 所 

男 fl, 分、 女 有 b、 貨惡 3 其 弃-- 於 地-也、 不 S 必藏- 於 己 T カ惡 S 其不ぃ 出-於 身-也 

不,, 必爲, 己、 是 故謀閉 而不, 興、 竊亂賊 而不, 作、 故 外 戶而不 k 閉、 是 謂-大同 ハ今 

大道 旣隱、 天下 爲 ,家、 各 親-其 親 T 各 子-其 子? 《 カ爲, 己、 大人 世 及 以爲, 禮、 城 

郭溝池 以爲, 固、 禮義 以爲, 紀、 以 正-君臣 ハ 以 篤-父子 T 以睦- 兄弟 ハ 以 和-夫婦 T 以 

設- 制度; 以 立-田 里; 以 賢-勇 知: 以, 功爲 色、 故 謀 用 i 作、 而兵 由レ此 起、 禹湯 

文武 成 王 周 公、 由お 其 選 也、 此六 君子 者、 未^?不,謹-於禮-者.^也、 以 著- -其 義- 

以考- -其信 r 著, 有 X 過、 仁, 讓、 示-民有 T 常、 如 有- 不 ^ 由 k 者ハ 在 k 執 者 去 

衆 以爲. 狭、 是 謂- 小庶 r 

民國に 於け る敎の 民主化 四 大力 



支那 哲學の 研究 HOO 

醴 記に は 之 を 孔子の 語と して あ る。 卽ち 彼等に 從 へば 春秋 太平の 世 は禮記 大同の 

世、 春秋 升 平の 世 は禮記 小康の 世で あると 說く。 從 つて 孔子が 君臣の 大義 を說 いたの 

は 升 平 小康の 世 をい つた もので、 云 は 5- 小乘 的敎理 である。 孔子の 理想 は 太平 大同の 

世で 無ければ ならぬ。 是卽ち 孔子の 大乘 的敎理 であると。 從 つて 彼等 は苟 子が 君權ヒ 

重んじた の を、 孔子の 小乘的 敎理を 得た ものと いひ、 孟子が 君.^ 輕んじ 民 を 重んずる 

を 以て、 孔子の 大乘的 敎理を 得た ものと 說く。 彼等の 思想の 根柢に、 歐米 共和 國の精 

神が 横 はって 居る 乙と は 勿論で ある。 

大同の 世に は 天下 爲公、 選賢與 能と いふ は、 今の 民主 國で、 大統領 を 公選す ると 同 

じく、 小康の 世に は 天下 爲 家と いひ、 又 大人 世 及と いふ は 君主 及び 貴族の 世襲 を 承認 

する の 意で ある。 又 大同の 世に は 己の 親子の み を 特別に 親愛せ ずして 萬 人 を 平等に 博 

愛すと いひ、 小廒の 世に は 親疎の 別 を 承認す と說 く。 又 大同の 世に は 貨物の 浪費.^ 避 

け、 勞 働に 從事 すれ ども 自己の 利益 ケ 計らん が爲 めにあら ずと いひ. 、共產 主義 的 社 會.^ 



承認し、 小康の 世に は 自己の 私有 財產を 承認し、 鱧義を 設け、 君臣、 父子、 兄弟、 夫 • 

婦の關 係 を 正しくす と說 く。 約言 すれば 升 平 小康の 世に は 君主 政體、 世襲 制度、 差別 

的 博愛が 行 はれる ので、 古の 禹湯 文武 周 公の 治世 は 夫れ である。 太平 大同の 世に は 民 

生 政體、 自由 平等主義、 共產 的社會 主義、 が遺慽 無く 行 はれる とい ふので ある。 

五 

. 上述の 禮蓮篇 の 語が 若し 果して 孔子の 主張なら ば、 彼等が 孔子 を 共和主義な -9 とレ 

て、 中華 民阈と 何等 矛盾せ ぬと 說 くの は 當 然と 言 はねば ならぬ。 卽ち 現代 支那 思想界 

に 於て は、 以上の 春秋 公羊學 派の 說が、 1 國を 風靡して 居る 有樣 である。 かくて 儒敎 

は 現今 中華 民國に 於て 全然 民主化 されて 居る。 今 吾人 は數 項に 分って 少しく 之 を 論評 

して 見たい と 思 ふ。 

第一に 春秋 は 過去 を 以て 據亂 とし、 漸次 升 平に 進み、 現在 を 以て 太平の 世と する の 

は、 鱧 蓮篇は 現在 を 以て 亂世 とし、 過去 を 以て 小康よ 6^ 大同に 溯る と說 く。 彼と 此 

華 民國に 於け る 儒敎の 民主化 五 01 



支那 5^ 畢の 研究 五 〇 一一 

は 全然 正反對 である。 然るに 此 二者お】 致せし めんと する は 首尾 を顚 倒す る もので あ 

る。 

第二に 禮蓮篇 の 思想 は 決して 孔子の 意見に あらず、 孔子 は 堯舜を 祖述し、 文武 を憲. 

章し、 特に 周 公 を 理想と し、 常に 之 を 夢想せ し 乙と は 論語に 確證 あり、 決して 之 を 小 

康の六 君子と して 第二義に 墮 せしめざる こと 是れ 其の ー證 である。 孔子 は 禮義を 重視 

せし rO と 論語に 確證ぁ ftv、 決して 之 を 小康と して 蔑視せ ざる 乙と 是れ 其の ニ證 であ 

る。 S が 老を老 として 人の 老に 及ぼし、 我が 幼 を 幼と して 人の 幼に 及ぼす は 孔孟 儒敎 

の 博愛の 真義で あう、 決して 無差別の 博愛 を 認めざる こと 是れ 其の 三證 である。 孔子 

は 寧 ス 堯舜 禪讓を 美と し、 湯武放 伐に 遺 慷の意 を 表すれ ども、 決して 世襲 制度 を 非と 

せず、 且つ 君主の 尊嚴を 重視せ る i 是 其の 四證 である。 先 儒 旣に鱧 蓮篇 の 孔子の 言に. 

あらざる をい ふ 者 ある は、 蓋此 等の 點に 見る 所があった ので あら ラ。 

第三 は 鱧 運篇の S 想 は 寧み 老莊の 思想た るると 疑 ふ 可から ず。 老子が 大道 廢れ て.^ 



義 あもとい ひ、 鱧 を 以て 忠信の 薄に して 亂の 首と いふ は、 禮 運に 禮義を 以て 紀と爲 す, 

を 小康と すると I 致す、 是れ 其の ー證 である。 禮 運に 謀の 興らざる を尙 び、 謀の 作る 

を 非と する は 老子の 無爲 自然 を尙 ぶと 一 致す る fo と、 是れ 其の 二 S である。 

第 四に 禮記は 儒 敎の經 典、 五 經のー なれ ども、 必ずしも 悉く は 信すべからず。 何と 

なれば 禮 記は漢 儒の 編纂で ある。 漢 代に 於て は 儒道の ニ敎 漸く 接近して、 次第に 融合 

せんとす る 傾向 を 示し、 老莊學 者と 雖も 儒家の 經 典に 通じ、 儒者と 雖も老 莊學の 要旨 

に 達し、 自 から 二 敎を 採用して 自己の 說を 成す に 至った。 從 つて 當 時の 儒者が 編纂し 

^體 記に 老荘 S 想 を 混じた の は 止む を 得ぬ 乙 とで ある。 禮運篇 の,^ き は 其 1 W であ 

る。 然 らば 何故に 斯 くの 如き 老莊 思想が、 孔子の 言と して 記されて 居る かとい へば、 

これ は莊 子の 所謂 寓言、 卽ち 老莊學 者の 慣用 手段で、 當 時に 於け る 一 種の ブ "パダン 

ダ であって、 自家の 意見 を 孔子に 託して 述べた ものである。 

. 大體に 於て 以上 列擧 した 樣な 理由に よれば、 禮運篇 を 引用し、 之 を 春秋 三世の 義 K 

中華 民國に 於け る 儒敎の 民主化 £o ミ 



支那 哲學の 研究 五 四 

配す る は不當 である。 且つ 夫れ 自分が 大 なる 困難の 伏在 をい ふの は、 よしや 1 時は孔 

子の 思想 を 民主的な. 9 と說 明して 之を彌 縫し 得た としても、 之 を 以て 中華 は "國の 典據 

とせん か、 やがて 科學的 研究の 結果、 孔子の 大義名分 說が 明かと なれば、 其 所に 民國 

の 自殺と いふ 危機 を 胚胎す ると 思 ふからで ある。 故に 中華 民國に 於け る 儒敎の 民主化 

論 は、 多くの學者にょ-^、 種,^ の 著述 を 以て、 ffi に 鼓吹され て 居る けれども、 是は凡 

て徒勞 である。 寧ろ 別に 其の 據る所 を 定めねば なるまい と 思 はれる。 



支^ 文化の 考察と 其 特質 

麵 

支那 文化の 研究が 將來益 . 必要な る. -と は、 何れの 方面から 見る も 明白なる 妻 

で、 今更 事 新ら しく 5f 無い が、 其 硏究法 も 亦 多種多様で なければ ならぬ。 S は 

は 研究 法に 就て 其】 斑 を 說かラ と 思 ふ。 但其 一斑であって、 其 全 約を盡 くさぬ こと は 

勿論で ある • 

古語に 眼 光徹 紙背と 5 ことがある。 文字 f に解釋 すれば 「紙の? で 見 透す」 と 

云 ふ 意味で ある。 紙の 裏まで も 見えて は 裏の 文字が 邪魔で あらう と 思 はる ゝ 計りで あ 

るが、 其眞意 は斯の 如き 器械 的 又は 物理的の 意味で 無い ると も 亦 勿論で ある。 卽ち f 

錄 せられた る 事件 又は 格言の 意義、 其の 事件 又は 格言が 出來た 根柢 又は 當 時の 環境と 

の 關係等 を 明瞭に 了解す るの 謂で ある。 表面の 記 錄を其 儘に 受け取る のみで は、 吾ノ 

支那 文化の 考察と 其 特質 kor 



支那 哲^の 硏究 五 〇 六 

の艮は 虫々 節穴 同樣 との 譏り を 免 かれない であらう。 裏面 (若し 裏面と 云へば 暗黑的 

の 聯想が あるならば、 寧. C 根柢と 云はラ か) の 眞相を 看破す るので なければ、 眼光 紙 

背に 徹した と 云へ ぬ。 斯 くの 如く 鋭利なる 観察眼 は獨 ft^ 與籍 を讀む 時に 必要なる のみ 

ならず、 吾人の 日々 の 生活に も 亦 必要で あるが、 特に 支那 文化の 研究に 於て 其 必要 を 

切實は 感ずる ので ある。 

一一 

支那の 經典 や、 賢哲の 佳言 善行 は 孰れ も朗. ^誦す 可き 金玉の 文字 を 以て 綴られ、 具に 

之 を 以て 吾人 B 常の 規範と して 服膺す 可き ものである。 特に 支那 文 學特徵 の 一 として 

極めて 洗煉せられ たる 辭句を 以て、 簡明に 道破せられ たる 格言 を讀 めば、 其 含蓄 豐富 

にして、 無限の 妙味 ある を覺 えしむ る 力が ある。 故に 古 來漢學 者 は 之れ を崇拜 して 措 

く^Jとを知らず、 從 つて 支那に 心醉 する の有樣 であった。 暫く 四書 五經を 措く として 

も、 二十 四" 史を讀 みて 支那が 幾多の 宗敎 家、 道德 家、 思想家、 政治家、 美術家、 發叨 



家 を 輩出した の を 知る 者 は、 誰か 支那 を 蔑視す る ことが 出 來ょラ ど。 是れは 主として 

英國の 文化 を 研究した 者が 英國を 謳歌し、 米國の 文化 を 研究した 者が 米!: を 謳歌し、 

獨 逸の 文化 を 研究した 者が 獨逸を 謳歌し、 佛國の 文化 を 研究した 者が 佛國を 謳歌す る 

と 同樣の 心理 現象であって、 支那の 文化 を 研究した 者が、 支那 を 謳歌す るの は 怪しむ 

に 足らない ので ある。 自分 も 不肖ながら 支那の 文化 を硏究 して、 聊か 其 一端 ケ- 明かに 

せんとす る 者で あ ゥ て、 偽らず 自分の 感情 を 告白す るなら ば、 自分 は 支那 を 愛し 支那 

を 敬す る 者の 1 人で ある。 併しながら 聖經 賢傳を 通じて 支那 を觀 察した 時代と、 身 親 

しく 彼 地 を 踏んだ 後と は 支那 文化の 觀察 法に 劃然 一 時期 を 劃した こと も 亦專實 であつ 

て、 所謂 眼光 紙背に 徹すて ふ 語の 極めて 意味 深き を 感じた ので ある e 

三 

自分が 最初に 北京に 行李 を 解 S た 時、 朝夕 起臥 を 共に したの は法學 士宮內 季子 君で 

あつ. 5ii。 宫內君 は 自分よ も數 ヶ月 前に 北京に 入った ので、 自分 は 種々 其 指導 を 受けた 

支那 文化の 考察と 其 特質 五 七 



支那 哲學の 研究 五 〇 八 

fj とも 少 くなかった が、 共に 心を談 する の 折に、 支那 を觀 察する に は 凡て 裏から 褢か 

らと觀 察 を 試みる 乙との 必要なる こと を 語. ft^ 合った ミ ともあった。 其後數 月に して 蘇 

峯德富 氏 燕 京に 來 遊せられ、 後 「七十 八日 遊 記」 の 著 あ ftN、 內に 論語 逆讀 法と 題す る 1 

節が あって、 正しく 自分が {S 內法 學士と 相語ゥ たのと 符節 を 合 はする が 如き 見解が 述 

ベら れて ある。 さすがに 蘇峯氏 は】 代の 才人で ある。 措 辭の妙 を 極めた る逆讀 法なる 

新語 を發 明せられ たる 乙と は 敬服の 至. 9 である。 如何にも 乙の 逆 讀法卽 ち 眼 光徹 紙背 

法 は 支那 文化 を 研究す る 方法の 一 として 適當 なる ると が、 決して 鮮 くないと 思 ふ。 . 

論語に 巧言令色 鮮矣 仁と 云 ふ, J とが ある。 巧言令色の 語 は書經 に本づ くので ある 

が、 孔子が 之 を 嫌忌せ る とは甚 しかった と 見え、 論語に はニケ 所に 見え、 且つ 巧言 

令色 足 恭は左 丘 明 之 を 恥づ、 丘 も 亦 之 を 恥づ とも 云って 居られる。 徒らに 辭令を 巧 は 

し、 顔色 を 善くして 誠實 之に 伴 はざる は、 小人のお 爲 である、 君子の 恥づる 所で ある 

ると は 勿論で あ て、 孔子の 訓戒 を 待つ 迄 も 無い 乙と であるが、 當 時の 支那 人に は特 



こ 其 弊 甚だしかった ので は ある ま い か、 先づ 行って、 其 言 は 然る 後に 之に 從 ふと 云 

しのぶ 

ひ、 言に 訥 にして 行に 敏 ならん 乙と を 欲すと 云 ひ、 仁者 は 其 言 や 訪と云 ひ、 君子 其き n 

に 於て 苟もす る 所 無き のみと 云 ひ、 言の 出で ざる は 躬の逮 ばざる を 恥づれ ばなら と 云 

ひ、 君子 其 言の 其 行に 過ぐ る を 恥 づと云 ひ、 巧言 は 德を亂 ると 云 ふ 類、 論語に 之 を戒し 

むる と 枚 舉に遑 なき 有樣 であ ft^ 、其 他言 行 は 君子の 極 機と 云 ふが 如き、 言行 相稱 はねば 

ならぬ ミと、 及び 心に も 無き 便侫 は 德を亂 るると 等の 訓戒 は 後世の 賢 も 屢<- 繰ら 返 

せる 所で ある。 朱 子 は 先 後 を 論ずれば,^ を 先と なし 輕重を 論ずれば 行 を 重し となす と 

云 ひ、 陽 明に 至 CN て は 更に 知行 合一 を說 いて 實踐 躬行 を 重視した ので ある。 之 を古來 

支那 人の 特に 辭 令に 巧みなる に 思; S 合 はすれば、 St 賢の 此 訓戒 決して 偶然なら ざる を 

知るべき であら ラ。 

四 

支那に 在らて は 堯舜以 來中を 重んずる と 至れ. くせ ft^ で 堯が位 を 舜に傳 へ、 舜 

+乂那 文化の 考察と 其 特質 五 凡 



支那 の硏究 21c 

が 位 A, 禹に傳 ふる 時に 政治の 心得と して 訓を 垂れた の は 中 を 執れとの 一 語であった。 

されば 舜が 弟子に 敎 へた 四 德 及び 齡 S が當 時の 想 的 人物 を 論じた 九 德も其 德目は a 

4- ある けれども 總て中 を 重んずと 云 ふ 一語に 總括 する 乙と が出來 る。 湯 は 中 を 執って 

方戚? しと 稱 せられ、 洪範九 時 は 最も 中 を 重んじ、 易 も 亦 中正.^ 尊び、 孔子 も 亦 中.^ 尊 

重して、 中庸の 德 たる 至れる かな、 民能くする鮮き^-と久しと云ひ、 子 思に 至って は 

遂に 中庸の 蒈を著 はして 中の 德を頌 した。 然 らば 支那 人 は 悉く 中 を 尊崇す るかと 云 へ 

ば 必ずしも 然ら ず。 賢者 は 之に 過ぎ 不肖 者 は 及 はず 中庸 を 得る 乙と 容易で 無い けれど 

も、 頗る 常軌 を 逸する 者が 少く 無い。 楊 朱 if 戮の言 天下 に^ち、 天下の 貢 楊に 歸せ ざれ 

ば卽ち 墨に 歸す るの 勢で あつたと 云 ふが、 楊 朱 は 極端なる 個人主義で その 爲我 主義と 

は 社會的 又は 國家的 共同生活 を 全然 無視した 者で ある。 墨 子 は 純然たる 社 會主雜 者で 

をの 兼 愛 主義と は 貴賤 親疎の 別 を 全然 無視した 純然たる 平等 博愛 を說 くもので ある。 

新く の 加き 兩 極端の 言論が 兩,^ 勢力 を 占め をの 孰れ か 一 に歸 依す る 者の み 多くして、 



儲 敎の穩 健なる 議論に 耳お 傾く る 者 は 甚だ 少な かゥ た。 もれと 同様に I 方に 戰爭を 主 

張し 攻伐を 以て 賢な, 9 とする 者が あれば、 又 一 方に は 純然たる 平和論者、 侮られて 辱 

とせざる rJ と を 主張す る 者が あ. 9、 支那 人に は 往<- 極端から 極端に 走る ものが 多い。 

英雄 首 を囘ら せば 卽ち 神仙と 云 ひ、 君子 豹 變と云 ひ、 愛憎の 激變は 太 行の 路 にも 譬へ 

られ、 好み すれば 毛羽お 生じ、 惡 めば 瘡を 生ずと 稱 せらる。 專制 君主 國ょ ftN 一躍して 

=fS 和 民主 國 とな. 9、 五偷 五常 を說 きし 口頭 忽ちに して 倫 常 を 滅却す 可き を說 き、 深窓 

に 人と 爲ら、 異性 を兒る を羞; し處女 も、 大道 を 濶步し 更に】 躍して 婦人 參政權 を 主 

張す るが 如き、 近時 支那 國 民の 情 態 を 見る 者 は、 古の 聖賢が 口 を 極めて 中和 を說 きし 

も 亦 偶然なら ざる を 知る 可き である。 

五 

義 利の 辨は 古今 學 者の 口 を 極めて 詳說 W る 所で ある。 大學末 章に は 國利ど 以て 利と 

爲 さず、 義を 以て 利と 爲 すと 謂 ふと 述べ 手 凰 子に は 首と して 梁惠 王を說 いて 王 何 ど 必ず 

支那 文化の 考察と 其 特質 五一 1 



支那 哲學の 研究 五 ニー 

しも 利 を 言 はん。 亦伫羲 あるの みと 云 ふ。 得る を 見て は 義を思 ふと は實に 千古 不磨の 

格言で ある。 然も 滔. ^ として 利に 赴きて 義を 忘る、 こと 古今 同一 轍で あるの は、 實に 

痛 t に 勝へ ざる 次第で ある。 莊 子の 文章 は恍洋 自恣, 實に 端倪す 可から ざる ものが あ 

るが、 其 思想 は 大體に 於て 老子の 虚無 自然の 說を 承け, 無用 を 以て 世に 處し たもの 

で、 吾人の 必ずしも 取らざる 所で あるが、 彼が 利害 を 蔑視した 言論 態度 は" 頗る 吾人の 

尊敬の 念を惹 く 所で ある。 韓非 子の 言論 は 深刻で 皮肉で、 往<- 人 をして 不快の 感を抱 

かし ひるが、 彼が 父子の 愛 、夫婦の 情、 君臣の 義をも 無視して 不、 此 等の 關係は 悉く 利 

己 的 打算から 成立って 居る..^ - 喝破した 如き は、 何と 云 ふ 徹底した 議論で あら ラ。 蓋學派 

の 相違 はあって も、 人間 を 利に 走る 者と 見て 居る 點は 同一であって、 之れ, 力 救 濟の法 

として, 老莊は 絕紫觀 の 上に 立ち 利害の 端 を 忘れよ と說 き、 儒者 は 利 を 見て は義を 思へ 

よと 敎へ、 韓非は 法律 を 以て 之 を 制御 せんとす る 者で ある。 此 等の 敎は利 賢 さ 支那 人 

の 性格に は 特に 適 なる 訓戒た る を覺 ゆるので ある。 官 場の 蔡情 は由來 其の 代表的と 



, ^云ぶべく、 時め く 大官の 門 はは 車馬 織る が 如く、 一 旦 勢力 を 失墜 すれば 忽ちに して- 

又 門前 雀羅 ヒ 張る の有樣 となる 乙と は、 古今の 史上に 其 例枚擧 する に遑 がな S 程で あ 

る。 利に 敏き 習と して 理財の 才に富 ひこと は 又 支那 人の 特色の 一と も 云ぶべく." 匹.:," 

にして 忽ちに 鉅^ の 富 を 成す もの は 獨.《> 古の 陶 朱猗頓 のみで は 無い ので ある。 

六 

孔子 は少 にして 賤 しく、 委吏 となって 料 量! f かに、 司糰の 吏と なって 畜蕃 息した と 

云 ふこと は、 史 SS の 孔子 世 家に 見えて 居る 通, o> であるが、 倉庫の 吏と して 穀類の 出納 公 

平なる こと、 牧畜 係 役人と なって 家畜 か 漸次 繁殖した と 云 ふ, JAJ は、 吾人 を 以て 見れば 

當然の 事に して 尋常 人の 行爲 に過ぎない、 未だ 以て 聖德 を稱 する に 足らざる を覺 ゆる 

ので ある。 然しながら 凡て 物 を 批評す るに 超絕 的であって はならぬ。 必ず 內在 的で 無け 

れ ばなら ぬ、 若し 一 度當 時の, 境 を 1^ 察したならば、 それが 卽ち聖 德を稱 する の 一 端な. 

るると を覺る であらう。 戰國 策であった かと 思 ふが、 楚 王が 欄竊の 家畜 を 飼 はしむ る 

支那 文化の 考察と 其 特質 五 ニニ. 



支那 哲學の 研究 五一 四 

に 供給 十二分であった にも 拘 はらず、 家畜の a せ衰 ふるの を 怪しんだ 事が 見えて 居る。 

其 時 は 卽ち司 横 吏 は 飼料 を 私して 居た ので あつたと 云 ふ 乙と である、 司 幟 吏 は 飼料 を 

25 し、 委吏は 出納の 間に 私腹.^ 肥し、 官吏 皆 中 飽の弊 甚だしき は、 支那に 於け る 古今の 

き 弊で ある。 されば こ を 肉.^ 分つ と 平 かなる も 奇特の 一 とせられ 料 量 平に 畜蕃 息す る 

も 聖德の 一 端と せらる、 ので ある、 支那に 在って 中飽の 何物た る 乙と を 知ら ざれば。 以 

て 官場を 語る に 足らない。 獨.? 場の みで 無く、 日常生活 にも 亦然 ft^。 凡そ 如何なる 

人7^,>隨對に手數料なくしては、 1 物 を も 購入す る 能 はざる は 支那 社會 の現狀 である。 

七 

楊 震 四 知と は 蒙 求に も 載せられ、 淸廉 なる 官吏と して、 永く 後世の 稱贊 する 所で あ 

る。 こ は 楊 震が 嘗て 推擧 したる 一人 暮夜 私 かに 來 つて 楊 震に 金 を 贈らん とし、 暮夜 知 

る 者 無しと 云った 時、 楊 震が 天 知、 地 知、 汝知、 予知 何 ど 知る 者 無しと 言 はんやと ぃゥ 

て、 之 を 却け たので ある。 楊 震の 行爲 は淸廉 であ ,0^、 奇特で ある N~ と は 勿論で ある。 



然れ ども 吾人 を 以て 見れば、 此 は當然 の行爲 で、 少しも 稀ら しい 乙と ゝは思 はれな 

い。 而 して 古今の 淸廉 なる 官吏と して、 7- の 1 小 些事が 稱贊 せらる ゝ 乙と は、 纏て 大 

多數 が不廉 なる 反 證と云 ふ 可き であらう。 苞 1 行 はれ、 請託 盛んなる 支那の 官 場の 古 

今の 通弊.^ 知ら ざれば、 楊 震 四 知の 意義 は 遡 解し 難き ことで ある。 

此 種の 格言 敎訓 や、 德言 善行 を 擧げ來 つて、 其 格言 又は 敎訓 の眞の 意義 を觀 察し、 

佳言 善行の 稱贊 せらる、 裏面の 消息 を達觀 すれば、 頗る 支那 文化の 根柢の 一 面に 觸る. 

V 所が あるの を覺 ゆる ので ある。 今 は 唯 其 一端 を 擧げて 赂ぼ之 を 論ずる に 止めて 置 

く。 有志の 土、 此 種の 見解 を 推して 多くの場合 を解釋 されたならば、 必ず 释明 する 所 

が少 くないで あらう。 老子が 甞て 大道 廢れて 仁義 あ. -、 智慧 出で て大僞 あ.^。 六親 和 

せずして孝慈ぁ-^、 ^家 昏亂 して 忠信 ありと、 稱 したの は、 矯激の 言 取る に 足らぬ 樣 

であるが、 翻て 之 を 思 ふと 大に其 味 あるの を覺 ゆるので ある。 蓋し 眼光 叙 背に 徹する 

の士 にあら ざれば 共に 之 を 語る に 足らぬ であら ラ* 

支那 文化,; 考察と 其 特質 五 一 



食 那哲學 の s;sl- 



支那 哲學の 硏,究 終 



ナ 



複 不 

製 許 




大 


大 


大 


正 


正 


JE 


十 


/、 


ノヽ 


年 


年 




二 


八 


八 


月 


月 


月 


五 


五 




曰 


曰 


曰 


再 




印 


版 


行 


刷 





支 




那 


正 


哲 


價 




金 


の 


貳 


硏 


圓 


究 


五 




拾 




m 





S f fi ^3^京市神田區表祌保町七番地 -rf *B ISB .Ig 

s 振替 金口 座 東京 八 七貳番 1\Iks-§ap.B 



著作者 宇 野哲ム 

東京 市 神 田 區表神 保 町 七 番地 

發 行者 阪本眞 三 

東京 市 牛 込 區市谷 M 賀町 一丁目 十二 番地 

印刷者 UH: き 十一 5^ 

東京 市 牛 込 區市谷 加賀町 一 丁目 十二 番地 

印刷所 |g 秀英舍 第 一 工場 



送金! 
料參 f 

m 

侧ま 

紙 

錢錢 K 



同 

め 匿 

錄 



□ 



^^京帝1-犬學文5;1.敎授 

京 高等 師範 學校敎 狡 



文學 博士 宇 野哲ム 先生 新著 





言 嘗 



菊判^:?上製本 

全 壹册五 百 頁 

正價金 

貳圓 五拾錢 

送料 十八 錢 

本書 は 上古よ 术は 至る 迄の 支那 思想の 大耍を 極めて 平 易 簡單に 叙述して 最もよ く耍 領を盡 くせる ものな 

90 特に^朝に於ける學術思想の變遷が如何に暗々裘に^^命を惹起するに至リしか、 支那の 新人の 思想 は 如 

何な る 倾向を帶ぶ る か は の "一 取 も 留意 せる 所に して^ 1^ 世に 行 はれた る 支那 舒舉史 の 缺陷は 本番に 依て 械 

足せられ て 亦?, ぬ憾 なし • 本書 は 又附錄 として 1 々原文 を 揭げて 直ちに 堂奥 を 窺 ふの 使に 供し 亦 著者の 議論の 

极拔 ある を 知らし む。 耍するに本書は初畢^!^にも專門家にも旅右に缺くべからさる絕好の新著なり。 I 



橘 惠勝著 







本 害 は 大蔵 I- 典 を. 胺 史的に 觀 おして 解說的 叙述と 內在的 批判と に 一 の體系 をな せる ものにして &モ^ g: 到の 境 

地に 5^ 引 せんとす る案內 害で ある、 阿 含 *大^. 華厳. 般? 右 等の 經 典よ リ諭藏 の 仝 部に K りて 5:: :;^ 的が ド說 をな し 

典據を明示したるが故に本醫を手引とせば大藏の問林に遊ぶこと^!!!在でぁる。 sf^ お il; 化の 跡-ど 地 的に 觀ぉ 

して $3 物に よって 考證 する が 如き は考 5£S の 一 方法に 過き ざれ ども 本 寄の 特色 1 である。 —— (著^!?識) I . 



錄目書 圖行發 館 同大 1 




画貳金 

2;>^ —十 《{3(<3;^ 



□ 法學士 新 m 佐 逸 氏 新著 ロ|3冊2§賤§ 




暁 近^ 會生沾 の 多端なる に 俘 ひ. は」^ 題に 關 する;^ 爵に からず と雖も 多く は 其 研究の 一 

方面の みに 偏し 社會 生活の 全般に 涉リて 其 根本;:? 解決 を與 へたる もの 無し。 本書 は 此點を 

造憾 とし 汎く 貧窮. 疾 .:^* 犯 If-* 性愁 的^ 溶の jlSiISS に 涉リて 之 を 紐 織 的に 考究せ る-. にて 

其 目的 は 現代 生活に 對 する 嚴 正なる 批判に あり。 今や 一切の 文化的 或は 敎化的 活動 は總て 

15!^ 的 科學的 批判に よりて 始められざる 可らず。 本蒈は 先づ首 論に 於て 社お 生活の 自然 的 

歷 史的 及 法律 的 關係を 明かに し 各論に 於て 其 原理の 適用た る 刑事 政策と 社會 政策との 調和 

に 就き n 述せリ e 新人の 首 11 社會 改造の 耍諦は 本書に よりて 始て叨 かとなら む • 



((內 容 BI 次 一 班)) 序論 社會 幸福の 基礎 を 論す:: 前編 原論:: 笫 1 章 國.: ^と 社會 主義 運動:: i ぎ H:! " 

社會と 犯罪:: 笫三車 刑法の 社 會的甚 礎 及 其 適 窜 社會 制度の Is^ 及發 達:: 後編 各論 …… . 

第】 章 經濟狀 態 生活 狀 態の 改善 及 社會衞 生:: 第二 章 性慾 生活に 對 する 豫 防:: 入 翻に 於け る 性 愁の地 

位:: 稷 褻の 意義:: 强兹 罪の 規定:: 男女 姦迎 5 非に 對 する 所 罰:: 重 ^2 非.:.; 保 • 媒介:: 性慾 異常と 犯 

罪:: 性慾と 早熟..: 同性 性慾:.. 戰辛… 件 欲 i 活に 於け る權 利:: 人数と 性欲 r:. 自田娇 姻:: 國家娘 

姻觀 •:. 第三 章 社會的 優 精 學:: 刑 政策 學 ••: 《各 細 は. 略す)):: 一 




◊ 三 島 章 道 氏 新著 o ((好評 激甚)) 

菊半截 1 装 

仝 壹册五 百 M 

正價 金臺圓 六拾錢 

送 Si 十二 錢 

一 孟子の 如何なる 本なる か は、 今更 云 ふ必耍 はありますまい。 ; # は 支那の クラ ッ シ ッ クが隨 

fit* 分す きもので すが、 中で も 孟子 はすき です。. やさしい 仁慈の 心と、 どこまでも 自分の 主 

- ^ --u^ ^ 義を B に 貫ぬ いて 行く 1 本 調 十の 純な 卒直な 所が 先づ 第一 に 私 をして 敬-おさせました。 孟 

^ 子の人逍主^:^的な, 民不 主義 的な 所 はきつ と、 現代の 若い 人々 の 想- 北 ハ^す る 所が 多い 

i. 5 でせ う。 我國に 孟子の 註釋 本は澤 山あります が 現代 詰-卜 佥譯 した 本 は 一 稗 もない の を 私 は 

遗憾に 思って これ を譯 して 見ろ 氣 になり 数十 册 の講譯 本と 支那で 發 行され た 英文の 孟子と を參考 として 

出 來る丈 平易な そして 現代的 言葉 を 使 ふて 所謂 『漢 學』 に 拘泥せ ずに 譯す ことにつ とめました。 現代人の 

手に よ" て 諍され し 孟子に はまた 別の 味が ある だら うと 思 ひます。 —— (著者 識 )- 



橘 惠勝著 




菊 s: 最 上 製 

正價 

金ぎ 闥 貳拾錢 

送料 十二 錢 



佛敎は 世界の 大宗? 衩 にして 其 剌 たる 精神 は 獨り我 日本に 於ての み傳 はれり。 而 して 我 口 本文 叨 S 發 fc5、 

佛敎に 負 ふ 所赏に 多大な りと す。 是れ 殊に 我 日本に 於て 佛欽を 攻究せ ざるべからざる 所以な り。 然れど 

も^ 敎の 敎義は 啻に 深 にして 解し 難き のみならず 又 之に 關 する 經綸 頗る 浩瀚に して 讀 破し 易から ず。 

本書 は 世の 學者 をして 佛欽々 義の 一 端 を 理解せ しむる に 於て 必ず 貢献す る 所 あるべし。 



錄目書 圖行發 館 同大 



本 製 上 最判六 四 

圓貳 金價正 

錢 二十 金 料 送 



激甚 




の哲 




著者 は 常に 明道稈 ft- を 推稱 して 孔孟:, 丁お の 第 一 



の S^Ee/ 人と して; 淑 する もの 兹に年 あ. 9 明 道程 子の 哲 

學は 實に此 信念に 本 づきて 成る。 旣に明 道の 爲人を 知れ は與に 共に 聖學. V- 倡 明 

特に 二 程 字 は 其學風 夫れ夫れ 特長 ありて 

後來朱 陸の I 一大 學派を 開き 宋學に 於て 最も 重要なる 位置 を 

5 . ^るので こゝに 伊川 程 子の 哲學を も 併 論す る 次第で ある。 善く 讀む 者は此 

^ も 書の 獨 ft- 二 程 子 其 人 を 髮鬆 せし むる のみで 無い 乙と を 知る であらう。 

序 謫:: 第 1 節 上代 哲學: : 第二 節 中^ 哲學: : 第 三 節 近世 哲學: : 明 

道捏 子の 哲學: : 第一章 iJ! 蹟:: 第二 隶學 問:: 純: 止 哲學: : 宇宙論: 

人 4- 觀:: 敎育 論:: 政 法論.:. 異端 論 •: 批判:: # 川 程 子の^ 學: 

: 第一章 i 蹟:: 第二 章學 間:: 實踐哲 學:: 倫理 說:: 知識 論:: 性 

論:: 二 程 子の 比較 及 其 影響:: 



內 

次 



班 一次 目容內 



大 

圜 

錄 




g 早稻 田大學 講師 吉田眩 1 1 郞 新著 S— 

I 四 六??! 最上 美本 

仝查册 紙数 五 百 頁 

正價金 

壹圓 八拾錢 

郵稅 十二 錢 

『生と は? 死と は?』 恐らく 私たち は 現在に 生きつ、 ありと いふ 悲しき 有難き 尊い 意識の 他に 何もの を も 

見出す 事 を 得ない かも 知れない。 けれど,^ 私 は 今::! {a 分の 生きて ゐる 事の 姆 園の 幾人 かの 可憐な 人々 に 

とりて 慰籍 であり、 力で ある こと を考 へた だけで も 私の 生活が 無意義で ない こと を 思 ふ。 たと へ はつ き 

りと した 哲學 は摑み 得ない としても 私 は それだけの 窻味 でも 生きて ゐ なければ ならない と 思 ふ。 永 却の 

時 を 通じて この 1 刹那の み 相 凭り 相 抉け 合 ふ 事ので きる、 また 感じ 合 ふ 事ので きる、 人間の 1^ と 人間の 

魂と の 觸れ合 ひ を 除 いて ど JJ に 生活が あらう。 (著者 の 感想より) 

ァ、 サァ • シ モンス :.: 心馥の そよ ぎ ::• の 葉:: 初秋の 光 リ:: ■ 術 家と 心 •: 秋の 

叮 より …… 下町 住ま ひ …… 强く 生さん がた めに:: 心の 弱い 靑 年::. sti 活の 底から:: 小糟ぬ 

の 日:: 旅 空から :.: 心 の 扉 を 秋の 感謝:: 老 乞食, •: 人が 人 を さばく: -迷ひ 子:: 

落葉の 詩 ::• 秋 は 過ぎ行く •:: 死の 步 みが:: 何も 望; まな.^ 日 a;: 夜^ を^いて; 3 る 巧..:^ 

色な 壁に :•: 兄弟の 話 •:: 上野の 森の あたり を:: 父:: 秋の 朝:: 或る 男:: 或る ま-:-; 省 

福 さるべき^ 人 :… 木 權の家 •:: 千年 川の ほと 黄昏の 空に:: 五月 • 雨の 口:,:. 雲; し:^ 

日 を 見る 時 :… 據{^ 花 :… 夢の 墓 学… 銀の 壶:: シネラ リャ; ;: 五 5 si^:: 柳::^. s;:;^ 

空 旅ん は 北より カフェ の 窓:: 雨の 音 は 悲し:: 靑き 朝:: 冬の 詩:: ゥ ラジオ 更秒 

::.T の 墓 •:: 病み あがり:: 植木屋の 死:: 星 は 飛ぶ:: 森 を 歩めば:: 十四の 夏 •:•£ 界 

は 疲れた :… 光り は 過去の:… 故鄉の 人:: 人生 は 厳粛な い: 弱き.^、 ひ ルス";;;;;、 .B 人間 辆 

な^ スト H IS ス キイ :… メ レジ ュ コ ウス キイと 人間 神 •:: 近代 人の 民衆 癣術短 論;: :5© 

術の 內容 .:: 超人 論 •:: 精子 は 地に 横 かれた:: 藝 術の 搖篦: : 



錄目書 圖行發 館 同大 



『變態 心理』 主幹 

文學士 



中 村 古峽氏 新著 




i 



六 判 最上 製 美本 全 壹册五 百 頁 

、 金戴圓 五拾錢 送料 十一 一 錢)) I 

本番 は、 變鶬 心理 學に 造詣 深く、 且つ 催眠 赏技に 於て、 殆んど 入神の技 能 を 有 

せる 著者が、 儘 眠 現象 を 初め、 潜在 精 紳7 二重人格 1>幽 靄の 岀現 ▽ 狼 狸の 憑 俊 

▽ 透視 念 寫 並に 不 li^ 少年 精神病 者の 心理 

等、 諸種の 變態 心理 現&ケ 飽くまで、 學術 



一 



的 且つ 通俗的に 說!^ したる、 我 學術界 唯一 の 新著に して、 特に 世上の 山師が、 

心靈を 名と して、 諸種の 瞞著 手段 を 行へ る を 素破拔 きたる 二 章 は、 最も 痛快 

を 極 ひ。 著者 は K に、 多年の 實驗 中よ ftN、 精神 治療の 資例 4. 數種を 詳細に 報吿 

し、 就中 ニ靈 人格者の 旌術. 法 及 夢の 新 黉驗等 は、 全く 著者の 創意に 屬す。 敎育 

家、 宗敎 家、 醫師、 法曹 家 は 勿論、 一般 家 の 父兄 詣 氏の 必讀を 望む。 




七 町保祌 表 田 神 市 京》 ま 

行發誼 同大 

番良 に 七 八 京朿座 ロ替振 



ケォ 



、 



一 第 一 高等 學校敎 授^ 

東洋 大學 講師 



並ー艮 先生 譯ー 




ま 

五 



,M 囹類 iss 正 價金戴 圆五拾 錢郵说 士ー錢 ® 

藝 W 界概は 倒れたり と雖も 新世界 觀は 未だ 確立せ ず、 思想界 は 紛亂し 人間 は その 歸趣 

に 迷 はんとす。 是れ實 に 現代の 頓^に して 精神 界 1 切の 病 源な り • オイケン 博士が 獨 

特の 見地より 此大 問題の 解決 を 試みた る もの を 本書と す。 來 博士の 所 說は 難解な リ 

と 雖も本 口の 如き は 決して 然ら ず。 博士 も 亦 常に 本書 を 最も 平易の 叙述と g せり。 そ 

して 博 土と 親交 ある 譯 者が 最新 版に よれる!^ 肇も 亦た 平明 流暢な り。 オイケン を 知り 

人生 問題 を 解かん とする に 之 を 織かざる を 得ず。 



文學士 In 问 森ー艮 人 氏 新著 ■ 【文明 史的 觀 察に 成れる 書 1 




ill 



袖 珍 最上 製 美本 

八, 壹 册 11 一 百 五十 ほ 

§ 金壹圓 五拾錢 

送料 十二 錢 



? i 鮮支^ を 歩いて 來た 著者の に は 幾多の 問題の みが 残されて 居る。 S 典 を 讀んで 描いて た 支那 も 新聞 雜 

誌 を! i じ て 想像して 居 た滿鮮 も 共に その 眞相 と は 餘 程な, 6】 处が あ つ た。 旅 打::: それに は 聰明と 發見 と が 必 

然 的に 産み 川され て 行く ものである 而 して 過" ぶ 5- 實 若く は 時空 間に 渡り をつ ける もの は 何と iW つても 旅行が 

最も 捷徑 であらう。 —惟ふに政:^^^業乃至敎育 

の 方面 も 思想 藝術的 方面 も 支那 位 ジャパ ナイ ズ 

され た^は ある ま い 而も その 何れん ものに 對し 

て 文明 史的の 見地から 花當 なる 批判 を; トし たも 

の は 差 富り 見出し かれる C 平常 この 缺陷の 一部 

分で も い >| から 何とかして 描 ひ 度い と 思って 居 

る 著者 はこ? 際 その 企てん 一 端を衷 はさんが 爲 

kft と 紀行に 助して 抱懐せ る所說 を披歷 した も 



頗' 文 
ffi 學 


曰 

本 
及 
曰 

本 
人 

本 

書 
を 

評 

し 

て 
曰 


さ 

作 

で 
あ 
る 


物 

し 

て 

白 

し 



のが 本 である この 意味に 於て 著者 は淺 薄なる 思恕 をば 飾 に 閑 夂字を 以てする が 如き 單 なる 月, 並の 紀 なと 

その 軌を f に せざる こと を 信じて 疑 はな い。 著 香の 渴 仰せる 新 奉 物に 對 する 知識 慾と 好奇心 とを滿 足せし め 

著者の 胸裡に 鬱勃せ る 希望と 抱負と を 充足せ しめたる 大陸の 自然と 人生との 印象 記 は 苟も 支那 問題 を 口にす 

々 の 一 誼 ケ冀ふ も不 〔s でな いこと や 確信す る • 



錄目書 圜行發 館 同大 




□ 東京 帝國大 學講帥 紀平正 美 先生 新著 

四六^!^ ヒ製 美本 

<i| 壹册 紙数 約 五百茛 

正 價貳圓 

郵稅金 十二 錢 

本窗 『自 找^』 1 篇は 仝く 自分の gsli の 上に な-脚して 組織した ものである。 前編 『自找 の 分析』 ポサ、 はは 

出來 得る 汲り の 分析 を 試みた。 廣義に 於け る 敎育者 或は 人の 上に 立つ 人に は 其方 法 上に 多少の 參考 害と 

なるべきものと13;ずる。-後辋『人格の價^^』 に 於て は 入 格の 意義と 價値 とや 11^ 的に 定めん と 企てた。 即 

ち 5f 怨の ものた るか を 論じて ^學 CK ーぞ、 敎> ^?: ai§ 其 他 1 股に 人文 現象の Jss^ となるべき もの を 定め 以て 

現代ん の くべき お 法 を 示さん と 計った S5 りで ある 切に^ 者の 批評 を 待つ —(著者 

東京 帚 國大學 講師 紀平正 美 先生 新著 

好 評 



四六判 a 上製^ 卒 

查册 三百 サ頁 

正 償騫國 五拾錢 

郵稅金 十 II 錢 

本喾は 令より 十一 年- に 一 i^H 湖に 愛讀を 得た ものであるが 其 後久し く絕 版せられ てるた。 然るに 昨年 

末に 其 姉妹 篤た る 『€: 我^』 を S: 版した に 就て ぴ讀 者から 耍 求が 出た ので 同 寝の f 版杜 からして 再び ^ 

つたいで S るふ 然し 十一 年の 間に 社會の 事情 も 非常に 變化^ は" 自 ゆの 思. ほ... 亦 多少 發; g 

して. Q るので あるから Ji- の 儘での 再勤 は 到底 許す 事が 出來な い それで 仝 部 書 を 改めて .Is 分の 任 を^ 

にした ので ある。 もと 四 拾 錢の定 M の ものが 圓 になった。 內容に 其れ丈の 差が あるかお 力 は© 者 

定に 待つ べきで あるが 自分から は 時代の 推移と 諦められん を 顧 ふので ある。 IC 著者, M)— 




□s 館 sisp 助 II 彥士宇 野哲入 先生 新著 口 



四魯耩 



大 




j 菊判 最上 魏 1st 本 

定 僭晝圓 八拾錢 

稅 金 十二 錢 




大學は 儒敎の 目的 を 最も 善く 親 織 的に 叙述せ る ものな りと は 著者の する 所、 此簪は 

^上の 見解に よりて 卒易 叫晰に 講述 せる ものにして S する に大學 要旨 を はてし 稱す るに 

索引 及 之. V 密接の 翻 係 ある 幾多 有益の S 究を 以てす。 I? もく も 儒教ん 何 た, a か を 知ら 

んふ 欲せば 必ず 此書, >,繙 いて 著者の 閫 熱せる S£ 話 を 聞かざる ベ からず • 



□SIKKf 校 助 li 文 學士宇 野 哲人 先生 新著 □ 





菊判 最上 戧樊本 

<s=i 册^ 百 八 拾 S 

正儇貳 „圇 五拾錢 

郵说 十一 ー錢 



忽ち 



儒敎の 3 的 は 大學に 儺 はり、 儒 敎の根 * 義は 中庸に 明かで ある。 かくて ゆ の 二 啓 は 

とな" 緯 となり。 互に^ 待って 儒; 《 の^ 相 を傳 ふ, * 著者 は 如上の 見, 解 を 以て 先に 大學講 

義を著 はし 今 亦中廨 講義 やす。 に 山て 旣に 譖 敎 の:::: t お を 明かに せる 大方の 士は躋 

ふ 更に 巾庸に 就いて 儒^ の眞面 y を 了せ よ。 尙^ 錄^ 簿は皆 W 接 問 接に 中瘢 5 意^ 

を 明かに する ものである * , 



版 五 評 好 



gsslsf^ll 宇 野 哲人 先生 新著 s 





史學雜 誌 評 :• 本嘗は 著者が 先に 文部省の 命で 媵 遊した る 所に 據り 支那 ハ 珍奇なる 風俗 

習慣 を 描いて 精細 を li む 山 束の 聖蹟 歷代 の 帝都た り し 長 安洛陽 及武漢 南京 鎖..: d 蘇 州 杭 州 等 の 

名所 舊蹂は 勿論 都市 高 H 大河 を も繊密 なる 觀察を 以て 流麗なる^ 致 を 揮 ふ。 日本人 は 多く 支 

那の 歴史 を 知り 地名 を 知リ亦 支那の 詩文に 通ぜり 此の 多少の 智識 を 有して 本書に 對 すれば 興 

妹 律々 として 湧く が 如く 少し にても 十八 史略 を 知" 唐詩 選 を諳ん ずる もの ?;: 請み 去り 讀み來 

りて 卷の盡 くる を覺 えない • 尙卷 末に は 支那の 社會 事業 家族制度. M 民 性 論 あり 內容充 赏哈ん 

ど】 の 閑 文字な く 蓋し 近來 稀に 見る の 好 著な り • 

時 惠 新報 評: : 著者 は 漢學の 造詣 深い 人で ある 其 上 叙事 ® る 穩 健で キ ザな 文飾 を 事と せ 

ず廣ぃ 深い 智識 を 土 棗と して 極めて 自由に 書かれて あるので 世間 赞 通 3 支那に 關 する 出版物 

の 如く 讃 むのに 不安心 を覺 えさせず 1 々成る 程と 讀者 を赏肯 させ 後まで 印象 を 遣す の は 恐ら 

く 本書の 特色で あると 思 ふ • 



大 

一一 館 

一 了 

書 



界の 日本 、東洋め 日本、 我等が 日本、 10.^ を KJ の 畲は得ょー 



□ Is- 京 一 帝 國大學 

□ 文 科大學 : 



E 文學士 植松安 先生 新著 g 



名 著」 




H 判最 L 製 美本 

全 一 冊 五 百 頁 

優 金 .、 

貳圓 五拾錢 



籠解なる古文を最も平ヌぺなる假名交.o^文に蒈き下しl^假名•^附し詳細なる語義 

と 其 索引 を 添 ふ。 著者が 國民 心理 を 基礎と して 神代と 上古との 風俗 人情に 下し 

たる 評論 的 文章 は 各 段 章に 



顯 はれて 大和民族 發展の 由 

來を 明に し國民 歸嚮の 中心 

を設 く。 是れ 本書の 特長な 



一 解なる 古文 を 最も 平易なる 假 



名交り^?^に甞下し振假名を附し 



詳細なる 語義と 其 の 索引 を 添 ふ 



ft^。 今や 大戰 終局して 世界 m5 想の 急激なる 變動 は將に 我國民 思想に 及ばん とす 

世界の 本。 洋の, 日本。 我等が t" 本。 れを この 書 K 得よ。 (類書 中の 白眉) 



錄目書 讓行發 館 同大 



JJ-iiLI t -^4] 四六判 最上 製 美本 全 s 彻箱ス 

□ 三 f 彦五 口先 生. 正 犢金戴 圓郵稅 十一 i 

^思想と 生活 




箸 者よ 敎育 者と して. 5 年の 苦しい 生涯 を 送りて 來た。 J 體 Its 嫌 

き 乍ら &を 流し 乍ら 猶 光明に 向て 進まん とし 

て 細い かすれた 聲を 出して 叫び 績 けて 來た。 

其 聲が此 窨と爲 つたので ある。 思想の 上に, 

i 生活の 上に どれ 丈 著者が 苦惱 して 來 たか、 養が 何等かの 暗示 を 



,© い Si み!、 敎育 JS 



てケ- 慰めと. 5-*^ 

A} ちる 士は讀 め 



得ん とする 



驗の 上; ; - 、 

有つ もので あ. - 得たら 著者の 幸 は 之に 過ぎない 

il の |:-. 思想 I 活:: ifl: 敎 はと 《;^ ほ.,.; は 

一 I 一 赏:: 敎 W 者の 资格: :;^iw 者と しての 努力:: 敎 ふる 人^ ユ^ 

:f る 勞 …師弟の 情誼 : 養の 、も 

*s .チ き ら ひ:: B ぽも 努戒を 要する 時:: 若葉の 榮 ゆる 頃: ,f 

ぼ f 好 S 述" SII と |.:.| 者と 學 II 校 I と S 牛お 



事業::入と職業 :-徹底と32^ 

: 天職:: 精神 生活と 云 ふこと 

: 自發的 ゆ 細 神:: 一 一敏 W 者の 随 

俯仰 夭 地:: 獨 居- •• 或る 若き 



に 二 




口 稱毛龍 風 先生 新著 口 ((好評 激甚)) 

四六判 最上 製^ 本 

全壹冊 六 百 五 拾 萬 

赃 貳 Q 八拾錢 

S 税金 十甙錢 

思想 は 力 也。 生活の: msg にして 文化の 中核 &。 宜 

哉、 生活 革新 世界 改造の 今日 思想の の カ說と 

思想 問 Si の 赏視と を a る や。 本替は 著 Tr- 獨自 の理 

想 主義 的 見地よ. 9 思想の, M 義と價 彼と を 徹底的に 鮮明し 代表的 sa 想 問^1 を 明 快晴 

細に 論究せ る 者 混沌た る 我國民 思想 は 本書に 依. CV て 初めて 真相 を鬧明 せらる、 と 

共に 將來の 標的 を 見出す ゃ必 せり 敢て心 ある 1 e 國 r. にの 精璧を 1^1- 望す る 以.? 

思. 恕の 種々 相: 理 類と 人生: 批評と 人生: 文明 批評の 意義: 戰 後の 文明と 我國の 使命: 外来 S 想と 

國民 思想の 統 j と 振作: 國民 泣德の 改造: 赏業 道 德の报 興.. 公人の 自殺 を 論ず: 侗人主 

義 11:^ 想と 文藝: 人間性の 解決: 文藝と 倫理 性: 以下 略す 

大阪 毎日 新聞 曰く:: 何處を 見ても 著者の 而 a さが 溢れて 居る のが 嬉しい。 特に 文藝 上の ヒ ュ ー ニマズ .4 

及 倫理 學と文 學の關 係 等の 章 は 現代 日本に 滔々 として 人道主義なる 語の 下に 殴 昧に考 へられて 居る 考へ 方に 

快な 痛捧を 加へ るで あらう。 



代表的 思想 問謂& 

明快 精細に 論究, ち 



§ 民 卞-活 

目次 おど だ 



行發館 同大 



Ha 






々 




詳 


二 ッ- 


m 


が 


は 


苦 


m 


心 


ベ 


の 


て 


大 


li 




♦Us 

3^ 



き © 正確ぉる國史を最も5^1.易は讀み得る書 



^s^:::i國大學£pt直& 

文 助 敎授タ 



安 先 



1 r0 正情參 園^ 拾錢ノ 






s ハ判 最上 製 美本 sss 黥 £ 全 一 ー册金 t 曙 

日本 ft® の j 澄に 假名 日本 g: 紀と いふ もの > -存 する 事 は從來 一 ,力 ■ 

n 學^l«び.^ト_ぉ居^l未だ普く其存&を知る人がき い 。 本書 は 著^ 

^^i^ 丈 Is^ ひ盡ひ 2 て 調べ 得た 所の 廿餘 部の 異本 を ffr^ 

お ほる _ 一 內容 はま isi 字 交り は 書 下し 漢字 



S せ: 达 料金 >i 

ぉ錢 三拾錢 j 




< i ミ Ed ra«^ ■ J t i ,- , 

き 詳細^る 目 錄を添 ふ 正確なる M 

史を 最も-牛 易に 讀み 得る 書で ある。 思想 

動搖の 今日 我 國體の 精華 を國民 全般に 知ら 

しめんと す るの が 著者 の 本意で ある。 



錄 目書圖 行 發館 同大 



m 渡 部 政 盛 先生 新著 g 纏 li^ 顧 S 參 as 拾錢 SI 




我が 國の敎 育學は 今や 全く 行 詰て 仕舞った。 吾人 は 之 を 打開せ ねばならない 

本書 は 新く の 如き 貴き 使命 を帶 びて 公に された ものである。 內容は 諸 論: 第 

一 章 明治 前半期の 敎霄 學說: 第二 章 日本 輕 近の 敎脊 學說: 第三 章 個人的 敎育 

舉說 〈谷 本) 第 四 章 社き 的敎 育學說 (熊 谷、 樋 口、 吉田、 田 中、 野 田): 第五 S 調和 

的敎 育學說 (大瀨 、森 岡、 小而溝 淵). 第 六 章 生活 完成の 敎 育學說 (下田): 第 七 

章 文化的 教育 學說 (乙 竹): 第 八 章 人格 的敎 育學說 

(中島) . . 第 九章贸 際的敎 育學說 (澤 柳) . . 第 十章自 

動的 敎育說 (河 野): 第 十 一 章、 ム民的 敎育說 (川 本) 

…第 十二 章 創造 位の 敎育說 (稻 毛): 第 十三 章 分 

動的 敎育說 (及 川): 結論: の Si 窜ょ. 5 成 づてを 

る。 特色 は 諸家の 學 說の詳 叙と 忌憚な き 批判と にある は 言 ふまで もない。 隨 

て 學者先 づ本蒈 を讀 むの 義務が あ. 9。 敎育學 者 文 檢受驗 者 は本霄 に 依って 學 

者の 說の 要點と 長短と を 知る 必要が ある 敢て弊 館の 大言 以て 江 潮に 本書 を 維 

薦 する 所以で ある。 . 



の 




大 

life 


老 



大 

書 

錄 



敎育 學術會 編著 隨 難お 頭 正價 金ま圓 



送 

十二 錢 




本書 は 文^ 受驗 者の 爲 めに、 ^來の 四.^ 1, 研究 難 を 救 はんとして 著 はされ たもの 

である。 內容は 大手 中庸. 論語-孟子の 各 編 は 就て ( 一 ) 解題 (一 n 根本 

思想 (三) 倫理 思想 (§ 政治 思想 「五: -宗敎 思想 (六) 人性に 關 する 

思想 (七) 敎育 思想 (八) 其 他の 思想 (九) 批評の ® に 記述し 其 相互 間の 系 

— 統的鬮 明に 少 からず 骨,^ 折った。 其 他 試 

000 の 說をも 隨時隨 所に 挿入し 且つ 

儒敎の 根本 思想た る 天 • 天命 *性* 道 *敎 等の 

觀念を 明かに し 置き たれば 今 如何なる 問趙 

が 出ても 决 して 驚く こと は あるまい。 文 儉受驗 者の 是非 熟讀 すべきで ある。 ft 

の 他 S! 書の 思想 的 研究 は 我國は 於ても 支那に 於ても 本書が 最 

初の もので あれば 從來の 文字の 上の 研究に 飽きて K る 一 般の人 は 本 is は 依 

て 11 敎 思想の 鮮味を 味. ふが 宜ぃ敢 て 受驗者 *敎育 家 *學 校 ま S 並に 弘く 1 般 

人士に 薦 ひる 所以で ある。 



£ 修き科 

,- 國漢科 




錄目書 圖行發 館 同大 I 



1 軍 


e 


趣 


層 

人 


佼 


味 


の 


Sdfcr 

11 










h 


て 


M 


錄 


及 


!!! 


!!! 


省 






す 


35: 


出 


ベ 




づ 


き 


が 



ほ 小 林 一 郞氏 新著 

1 



四六判 最上 製 

美本 〕 fJE ベ 十 頁 

筘人 全壹册 



正憒 金貳圓 參拾錢 




3者曰^z::美しきもの.を求め、 偉なる もの を 慕 ふ 心 は 吾が 齢の 長す ると 共に 衰 

へぬ。 忙しき 世に 住み 忙しく 言 ひ 忙しく 動け る 間に、 吾が 心 は 日に 卑く、 日に 鈍 

i くな ft- ぬ、 吾が 髮に 白き が 加 はら 行く AJ 同し く 

吾が心には壅の積ft^行くなるべし。 され ど 美し 

きもの. 求め、 偉なる もの を 慕 ふ 念 はな ほ 全く 

滅びた るに あらず 古今の 非凡なる 人. の 行 を 知 

.5 言 を 誦する 每に 限らな く 貴く も 又 魔し くも S 

はる、 な, C : 云々 11 ((大 好評 を 博して 增刷出 60) 1 1 

世 を 救 はんとす る 者 は先づ 自ら 救 はざる ベ からず 國を 完了 せんとす る 者 は 先づ自 

ら完 うせざる ベから ず 著者 こ、 に 感ずる 所 あり 東西の 歴史 を涉獵 して 吾等が 自ら 

救 ひ 自ら 完 うする に カを與 ふべき 言 を 集めて 凡そ 三百 を 得たら 是れ 人の 聲 にして 

又 天の 聲な. -。 此書を 關く者 は 三 s の 巨人と 一堂 は會 して 共は談 

笑す る感 あらん。 



重 刊新最 



S 津田 光造 氏 新著 simfs 盡 lis 錢 ? 一一 i 




本書 は 『二 や:: 尊德の 民主 生活』 の 姉妹編と して 書いた ものである 前の は 翁の 哲學 若く は S 

J® 生活 を 主として 紹.^ しんぶで あるが 今度の ハ- 哲學を 牛: むに 至った 翁の 入洛と 生 舌との 

評 m を 試み それ の 現代との 1 係 を; しょうと した ものである。 過去の 偉人に gl- して 代 名 

詞 に 「 翁 j と か 「先生」 と か 云 ふ 敬稱を ffl ふ. * W は 吾 令の 鳢 儀で あり 尊崇 の 表示で あるに も拘 

らず、 本 fiiii は 必ずしも それに 據ら ず、 時に 之 を 用 ひ、 寧ろ 「八 ホー 次郞」 とか 「彼 」 とか 云 ふ 平常の 

様式に 出づろ $ が 多かった の は 本 #が¥ なろ^ g でた く 評傳 であるか、 りで ある 断 かる^-;^/ なか 

ら私は 今度の 試みに 於て 一 方に 於て 益, 彼の 鎏人味 を 高調す る 辜 を 努めた と 同時に 又 他 

方に 於て 出 來る丈 彼の 人 問, 议を錢 揮す rf £.;s?< 面り 寶 5- は 一 tt 年敎 帥の 現代 

る S を 怠らない 事に した。 卷 末に 载 せた -ItiF 与き 6n?p 美」 に 於け るき 祭の 形 4^ 主 

龍の 敎 育と 生活と に對 する 止み難き 反抗の :— I 



聲 であり 其 感想の 手記で ある 彼が 二せ n 1^ 寸 

の 人格と 生活と に 接して 如何なる 感 を受 

けし か は 偏に 讀 者の 批判に 待り。 



束 京 神 田 表 神 保 町 七 

大同 館 發 行 



In 一 I 宜 尊德の 民主 生活 全 ^ g ^ 鶴 



UNIVERSITY OF TORONTO 
LIBRARY 

purchased from the 
MELLON FOUNDATION GRANT 

for 



EAST ASIAN STUDIES